(有)東京あど弁舎代表 / 阿佐ケ谷不届記 管理人のジャズ人生!
by yukiko・k

1965年 20歳 
 学業もおろそかにジャズを嗜好する軟派な不良時代を、新宿で過ごす。
1966年 21歳
 親を騙し阿佐ヶ谷の地下にあった倉庫を借り受け『JAZZ 徒夢』の名でジャズの店を開店。
1966年 21歳
 開店三日目、トラックに看板を壊され、縁起直しに店名を『JAZZ 吐夢』に変更する。
1968年 23歳
 文壇酒場のママおりゅうさんの縁を持って、映画監督内田吐夢より店名の許可をもらう。
   フーテンの溜まり場となり、営業形態が怪しくなる。本人も・・・!
1969年 24歳 
 家賃支払いに窮し、知人の着物工房で手書き友禅の下働きにでる(アルバイト)。
1970年 25歳
 友人の就職後、初のボーナスを融通してもらい、一番街に『JAZZROOM 鈍我楽』を出店する。
 『吐夢』は、ブルース・ロック・フォークの店として折しも反戦運動の最中、全国的に名を馳せてゆく。
 フーテン、反戦学生、ヒッピーの巣窟と化し、またも営業形態が怪しくなる。本人も・・・!
1971年 26歳
 結婚
1975年 30歳
 2店を経営しながらも相変わらずの生活苦から、先輩のビニ本撮影助手として働く(アルバイト)。
1976年 31歳
 まともな収入源を得るためNHKホール大道具方の専属として働きはじめる(アルバイト)。
1982年 37歳 
 離婚
 初めて飛行機で北海道に渡りヒッチハイクで移動の最中、留萌のジャズの店『吉里吉里』でバイクに憧れる。
 帰京後その足で教習所に通い、バイク、車の運転免許を取得。このころからJAZZの熱がオートバイに伝導。
 オートバイも、ファイヤーロード系信者の溜まり場と化し、またも営業形態が怪しくなる。本人も・・・!
1987年 42歳
 後楽園スーパークロスを見た勢いのまま成田東須賀神社前でハイサイド、大転倒の挙げ句、右肩上腕部粉砕骨折となり・・・厄年を知る。
1989年 44歳 
 阿佐ヶ谷ゴールド街に漫画喫茶の先駆けジャズを聴かせる『漫画食堂 娥楽亭』を出店。
 有限会社『東京あど弁舎』設立。
1991年1 46歳
 2月26日 大雪の朝、母
文子死去、享年73歳。
1993年 48歳
 5月5日 阿佐ヶ谷南口 ホテルスカイコート阿佐ヶ谷1Fに『JAZZ 鈍我楽』を開店。
1994年 49歳
 1月25日 一番街『鈍我楽』、土建屋の執拗な地上げに闘い続けるも、ついに閉店。
1994年
 3月 阿佐ヶ谷南口 稲葉ビル2Fに『JAZZROOM 吐夢』を再開店。ここを『東京あど弁舎』の本店とする。
1995年 50歳
  1月17日午前5時46分52秒 阪神・淡路 大震災発生
  10月再婚
1996年 51歳
 10月 南口の路地に会員制隠れ酒場『綺譚倶楽部』開店。
1997年
10月26日 敬愛するバーランボヲの
堀口純一さん新潟県新発田市仁王寺岳油だまりにて岳死、享年68歳。
1998年 53歳
 東京あど弁舎のホームページ『阿佐ケ谷不届記』製作。
2000年 55歳
 12月 漫画喫茶が大ブーム。嫌気がさして『漫画食堂 娥楽亭』をジャズ喫茶に転回するも、最悪の経営内容に半年で沈没閉店。
2001年 56歳
 10月 開店35周年記念アルバム「ASAGAYA FRIENDS バナナの皮の伝説」CD完成発売。
2001年
 9月11日  アメリカ同時多発テロ発生 ツインタワー崩壊の実況中継に驚く
 11月 新宿PIT INNにおいて「ASAGAYA FRIENDS バナナの皮の伝説」CDアルバム完成記念ライヴを敢行。
2002年 57歳
 2月28日 友人
山田明くん死去。享年49歳。
 4月10日 友人
金森正雄くん死去、享年52歳。
 7月1日  故山田 明の遺品である大量のレコードを遺族より譲渡。故人の遺志を継ぎ『鈍我楽』をブラックミュージック系の店に転開。
 10月  ねじめ正一、井野信義、福村博のジャズと詩人のトリオ「エジソン・エンジン」をプロデュース・ライヴ活動に入る。
2004年 59歳
 10月23日 PM17時56分、新潟県中越大地震発生 吉祥寺オデオン座5階で上映中の「シークレットウィンドウ」を鑑賞中のことで、暗闇の中の数度の揺れに怯えた
2005年 60歳
 6月10日 敬愛する漫画家で友人の
永島慎二先生死去、享年68歳。
 8月15日 阿佐ヶ谷俳句草相撲協会を創設
2007年 62歳
10月13日 鈍我楽の前にて自転車のまま自爆転倒、痛みを押さえ帰宅したが、あまりの痛さに救急車を要請、河北病院の診断は左肩骨折
2008年 63歳
 1月27日 タクシー帰宅のついでに友人を送り、もうすぐ家だという善福寺川の十字路でタクシー同士の衝突に巻き込まれ、救急車で河北病院に運び込まれる。
      顔面裂傷と打撲 という診断だが、幸い軽度ですみ、そのまま帰宅。三ヶ月の間に二度も救急車に乗るという体験。
2009年 64歳
 8月28日 友人
片山健一くん死去、享年62歳。
 別居
 9月1日  荻窪3丁目10番地25号の一軒家に転居
 12月23日 矢野家長老
、矢野新三死去、享年82歳。
2010年  65歳
 4月24日 生誕日 人生最大の誕生日大合唱をイヴと当日二度もいただき、若い女性たちからはキス、ハグ、メールの祝福を貰う幸せ者。
 5月03日〜30日 写真コンペの会「hojeの写真」発足 綺譚倶楽部にて第一回展示、45名の投票者をいただき成功、次回へと進行
 6月17日 愛犬
矢野しじみ死去 享年14歳34日
 11月15日 早稲田大学教授丹尾氏を仲介として愛猫となるしじみとの生活開始。
2011年  66歳(人生後半最大のもて期かと妄想人生)
  3月11日、東北地方太平洋沖地震 福島原発大爆発 放射能に怯える
6月 人生初めての携帯電話DOCOMOのスマートフォンを購入、時代の波に漕ぎ出す。
2012年  67歳
 3月30日 隠れ酒場 綺譚倶楽部16年の歴史の幕を降ろし静かに閉店。
 4月7日  鈍我楽店主として音楽の店へ復帰
2013年  68歳 
 4月24日 人生の師でもありともに68歳で鬼籍に入られた堀さん、永島先生の歳を迎えた考え深き誕生日。
2015年  70歳
 4月24日 人生古来稀なる歳になる、が精神はまるで稀なるにはほど遠い。肉体は滅びるが、永延に俺の精神は宙をさまようだろう。
 8月31日 渋谷の実家消滅の日
2016年  
 4月14日 熊本大地震発生 大災害に発展
 4月24日 71歳
      創業50周年 21歳で阿佐ヶ谷の町で開店した地下の小さなジャズ喫茶から始まった俺の営みも根を下ろし、50年の金字塔。生涯現役と周年祝いは行わず。
      商業日を忘れ我が誕生日と記念日をダブらせることに決定。
 5月5日5時55分 鈍我楽創業23周年
 5月11日 旧友 
藤永貞範 28日の誕生日を待てず17日早く亡くなるので数えの60歳と数えるのか?


2017年 71歳
 時にはリズムなど取り、やがて来る永遠の時を待ちながら「こんな最後もあって好いだろう」と、好きなジャズを聴きながら大往生(予定)。


2038年 100歳 雲上にて腕枕でごろりと横になり、久米の仙人よろしく下界の様子を眺めながら・・・うっふっふの俳句三昧。