阿佐谷マーキング part2

な〜んてこたあない
もう嫌になるほど見あきた
阿佐谷南口の風景なのだ。そう言えばオームの象さんも選挙の時にはここで盛大に踊っていたっけ。その頃は子供連れのお母さんなどはのんびりと象を見上げていたっけ。あまり変化のない阿佐谷もこのところ駅前周辺のビル化でだいぶ景色も変わってきた。

阿佐谷名物店主とも言える個性的な古株の店が入っていいた、この建物もランボオの堀さんが山で亡くなり、裏窓のママも近所に移転してしまい。もとボクサーのキッチン・チャンピオンのちょうさんが残り孤軍奮闘。「本日はボクシング応援のため休業」の貼り紙はもはや阿佐谷名物。


町中に鬱蒼とした森と立派な屋敷。阿佐谷の名主相沢家は、文化財として東京都から指定されている。映画の世界では必ず殺人事件が起きる、といったそんな秘密の臭いと気配するのだ。ちょっと前まで、で〜と続く阿佐谷小学校裏の長〜い塀の中から、蛇やカエルが出てきては通行人を驚かしたものだった。エッ!今でも出るの?

昼間ランボオの便所の窓を外から撮影。夜となりこの便所を見上げると、薄汚れた窓からは、夜な夜な酔っぱらった客達の呻き溜息、嘆きなどが聞こえてきそうだ。かくゆう私も若い頃、酒に酔いこの便所で小便をしながら、窓から外に顔をつきだして訳もなく「馬鹿野郎、コン畜生」などと叫んだものだった.。

smapのキムタクもよく来たという、釣り堀寿々木苑は、なんと百年くらい続いているそうな?しかし、残念なことに85年に土地の半分を釣り堀に、半分をマンションにしてしまい、かつての釣り堀然とした感じはなくなってしまった。一時期、阿佐谷から釣り堀が消えたという噂が蔓延したが、どっこい生き残っているのだ。

中杉通りを青梅街道に向かって撮影。中央線で国立とならび称される並木道は素晴らしく格別な雰囲気だ。最近は道の両側に綺麗なビルや店ができ散策するにもちょっと豪華な気分が味わえるのだ。右に三和銀行(ここの通帳の絵柄のスヌーピーが可愛いのだ)でも通帳には千円くらいしか入っていないのだ。(関係ないか!)


 

かつて土俵の鬼若の花を育て横綱輪島を跡取りとした先々代の花籠部屋がこの日大相撲部の隣にあった。輪島のリンカーン。中島家の立派な門柱など、今は往事を偲ばせるものはまったく無くなってしまった。花籠部屋隆盛時代の阿佐谷の食い物屋(特に寿司屋)などは、大食らいのお相撲さん達のお陰で盛大に稼がして貰ったものだった

阿佐谷では老舗の不動産屋中杉不動産は、沢山の人たちがお世話になったことだろう。またここの社長の頑固一徹の仏頂面は怖い。最近は見なくなったこの手の顔と雰囲気がものすごく信頼感を持たせるのだから不思議。未だにガラス張りの店の机の前に何時も座っているので一度見てみよう!。怖いぞ〜!

阿佐谷のメーンストリート商店街パールセンターは、98年春にアーケードの掛け替えが決定し、天涯を外した。その姿は化粧を落としたうば桜。建物の裏側が丸出しで見事なまでの老朽化。空が見えるってこんなにも気持ちのよいものだったのかとは、ある商店主の言葉。99年3月にはできあがるそうだ


阿佐谷は、いまだに質屋が結構ある。最近は学生がめっきり減った阿佐谷だが、その昔は随分と利用されたものだった。最近では主婦層が利用しているそうだが、質草はなんなのだろう。あのころは万年筆やら背広やらどんなものでも貸してくれたものだけれど。俺もずいぶんといろんなものを流しちゃったな〜。

1995年当時、阿佐谷はオームの本拠地としてしっかり日本中に名を広め、阿佐谷に寄宿する子を持つ親たちを心底心配させたものだった。その子供達はといえば、「今日はサリン抜きでいこう」などとオームラーメンに、肝試と称して浮き浮き出かけていったまあ・そんなもんさ!

音楽家・今井重行先生の経営するスタジオ・アルスノーヴァは、ランボオ、チャンピオンなどが入る建物の一階にある貸しスタジオ。演劇野郎どものスタジオ公演が頻繁に行われ、悲鳴やら怒声がスタジオ内から聞こえ道行く人はビックリぎょうてん!


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