阿佐谷マーキング part6

北一丁目にある阿佐谷第9朝鮮学校の横にある阿佐谷中央公園にあるこのかわいらしいのような奴。実はこいつが曲者なのだ。公園といったら昼間はのんびりとした雰囲気で、用もないのにベンチなどに腰掛けたくなってしまう。ところが、夕方ひともいなくなった公園の薄暗がりに中で、この鯨が、独りユラリユラリと揺れているのだ。風のせいかと思えども風は無し・・結構気味が悪い・・・のだ。

 

こいつも阿佐谷の仲間と思えばついレンズを向けてしまった。冬の日向の金網越しの黒猫。ただそれだけの写真なのだ。が、現像してみて何となく、捨てがたい写真なのに気付き掲載することにした。その理由は、昔から小生が行ってみたいタスマニアに棲むタスマニアデビルにあまりにも似ていたからなのだ。よ〜くよ〜く見ると、だんだんと味わいがでて、可愛らしくなってしまった。

 

何年も何年もバブルのころも、そして未曾有の大不況の現在も我関せずと建ち続けるこの家は、いったいどうなっているのだろう。人も住んでいそうもないし、通り沿いにある土地だって相当良い立地条件にあるし、つっかえ棒やガムテープなので養生しているところを見ると誰かが管理していることは確かなのだが。いやはや、風雨に晒され月日と共にまた一段と凄みを帯びてきた。


旧鈍我楽の階段はかなり急な階段を上り下りしなければならず、かなりの階段落ちの犠牲者が出たものだった。ある者は救急車で、ある者は店主や常連に担がれ、ここ河北病院救急の入り口を夜中に入ったものだ。歯を折った人、頭を数針縫った人、入院を余儀なくされた人、そんなこんなで、よくも死者が出なかったものだ。統計的に階段落ち経験者は、また必ず落ちると言うことだから気を付けて下さい。


神明宮のまえにある<松坂屋>は、質屋と貸衣装と記念写真撮影をやっていて、い5万円くらいと書いてあったような気がする。が、小生には全く 関係ない。小生が利用するのは同じ棟の隣の質流れ店。よく、ここを利用するのだ。問題はここのご主人、物静で優し風貌なので、ついまけろと言ってしまう。しかし、これがまるで通じなく全くまけてくれないのだ。この人見かけによらず結構頑固な一刻者とみた。

商店会の真っ直中に突然現れる不気味な煉瓦作りの建物。通りすがる人は<何じゃこれ〜!>とビックリ・・!実はこれ、知る人ぞ知る丸山ワクチンと並び称される、がン特効薬蓮見ワクチン珠光会。かつては古風な木造作りの恐ろしげな気配の建物だったが、数年前に、今度は窓もなくパスカビルの僧でも出てきそうな西洋の城塞のような建物になったそれにしても何故、病院なのに窓がないのだ?


落語に「素人鰻」別名を「鰻屋」がある」。うなぎ屋にやってきた客が素人の店主に鰻をさけという。仕方なく店主は鰻を掴まえにかかるが、そこは素人の悲しさ、つるりつるりと逃げるうなぎ「おいおい、親方どこへ行くんだ」「どこへ行くのか、そっちに回って鰻に聞いてごらんなさい」神田の老舗神田川の暖簾分けであろうこの店は、味、料金ともに庶民的でなかなかよろしい。

どうだ、これも阿佐谷の景色なのだ。当時この地域はこのような洋館が、かなりあったそうで、江戸川乱歩の小説には、美女を誘拐した怪人二十面相が鬱そうとした森の中にある洋館に逃げ込む場面がよく出てくる。この洋館の設定が荻窪当たりだったそうだ。ここ阿佐谷にも、そんな雰囲気がかなり強かったのだろう。蔦の絡まるこの様な大きな家がまだ沢山ある

阿佐ケ谷図書館は、杉並区の中では一番新しい図書館。と、言うことは区役所の手当が遅れていた町なのだ。その図書館の前にあるのが右の写真のプレート。図書館が出来た当時、飲み屋でよく合う根っからの阿佐谷贔屓の叔父さんが憤懣やるかたないように「遅すぎるっていうのよここが阿佐ケ谷文士村だってゆうのよ、それなのになんで今まで阿佐谷に図書館がなかったのよ」と怒りまくっていたのを思い出した。

あれほど荒れ狂った激動の70年安保の火が陰り、80年代に突入すると何か世の中が妙に軽い動きを見せるようになりだした。頭を掻きむしりひたすら苦悩する?文学野郎達の姿も、どこかダサイと見なす風潮になり、文学の臭いを強く残す、この阿佐谷でさえも、行き場を失った文学野郎どもは行きつけの飲み屋でさえ片隅に追いやられる始末。やがて姿を消し、今やタスマニア狼の様な存在になってしまった。

杉並第一小学校正門の前に緑のおばさんが居る。この人達は実は公務員らしい。嘘かまことか勤務時間も短く、定年もなく、空きも無くほとんど独占状態。おまけに年収が700万円以上もあり、ものすごい待遇をされているらしい。これって本当の話なのか?そういえば、現れては消える彼女たちは、着替えは何処でやってるの?おばさん達の事務所ってあるの?謎ばかりだ〜!誰か<緑のおばさん>の真実を教えてくれ〜!


大型スーパーの進出は一般ユーザーには大変便利なものだが、地に根付いた町の商店にとっては壊滅的な打撃を与えた。この写真の魚屋のように、昔は通りひとつに、近隣の住民を相手にした小売専門店があったものだ。配達も、玄関、勝手口に<まいど〜!>の気軽なかけ声と世間話などがあちらこちらに聞こえたものだった。大都会である東京の町々は、人と人との距離が短かい、その短かい微妙な距離感の中に人情味があったのだ。


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