ある日、一通のメールが届いた
その人は、未だあったことのない人で文面からすると
かつて新宿で絶大な人気を誇っていたジャズ喫茶<DIG>の常連らしかった。
そのメールの内容はオレを驚喜させた。
その経緯を忘れないためにも、彼のメールをそのまま此処に残しておこうと思う。

第一報 6/22
初めまして 川崎在住の荒木と申します。Yahooの検索で ”ジャズ喫茶のマッチ” のタイトルに引かれホームページを拝見しました。DIGのコメントを読んで約30年前を思い出しました。ひょっとしたら、渋谷か新宿でお会いしているかも知れません。大学時代のかなりの部分をあの堅い椅子で過ごしたものです。その当時、行った都度マッチを1個づつ持ち帰ったのを思い出し、探したところ一部が出てきました。懐かしいビュッフェに加えカレンダー紹介用の「Gillespie」「Rollins」の折り返し付きのものが約30ヶ。汚れてはいませんが、残念なことに全てにメモ書きがしてあります。<日付やリクエストしたレコードタイトル 等々>そのようなものでよければ差し上げますが、その節は一報ください。
たまにCDを聴くくらいでJazzとの距離が遠くなり気味の今日この頃ですが、久々に懐かしい時期を思い出しました。


★突然、ウソのような嬉しいメールにビックリ仰天!当惑しながらも、この文面から察するところでは、初期の頃のDIGのマッチであることを察した。そして日本一ジャズ喫茶マッチの殿堂を目指すコレクターとして、図々しくも即座に有り難く頂戴する旨のメールを送ったのだった。
第二報 6/27
川崎の荒木です。自宅のMacの具合が悪く、会社から送っているため遅くなりました。
忘れない内にと日曜日に、整理して梱包(大げさですが)し、昨日郵便局に出しました。
今日、明日にでも届くと思いますが、何がきたのかとビックリしてはいけないので先にメールします。有り合わせの菓子箱にいたずらした、「汚れたDIG木箱」に入れて送りましたが、昔、パイプの葉っぱを入れていたのでその臭いがするかと思います。不快でしたら廃棄してください。 では、失礼します。
★郵送されてきた小包は、丁寧に梱包されている。その姿に、まだ見ぬ荒木さんの人柄が偲ばれる。マッチが納められていた木箱などは、荒木さんの手作りだそうだが、まさか!DIGで特別に作ったのか?と驚かされるほど見事な出来映えで、マッチのロゴからレタリングもそっくりそのままだった。その中に納められていた、ひとつひとつのマッチに書かれたメモからは、荒木さんの青春時代を思い描かせ、かつて自分もそうだった時代を懐かしむことが出来るものだった。荒木さんの青春時代を預けられた重みに、多少の緊張を覚えながら感謝し、心からお礼のメールを送った。
第三報 6/30
矢野 様 返事が遅くなりましたが、DIGの木箱が無事届いて安心しました。
余計なモノを送ってしまったかと心配しましたが、喜んでいただいて恐縮しております。
まさか中平さんへ、とまでは思ってませんでした。中平さんにも20年以上お目にかかっていませんが、お元気でしょうか。相変わらずダンディーなことと思います。『ロンジンの腕時計とライカ』が中平さんのイメージです。たまたま検索したジャズの3文字から、こうして共通の喜びを分かち合う方と知り合えて感激しています。 言葉が尽きませんがこのへんで失礼します。         00/6/30  荒木
マッチと木箱を、DIG(DUG)オーナー中平さんに見せたいとメールを送ったところ、このようなレスが送られてきた。インターネットを初めてから約2年、その間顔の見えない素晴らしい人たちと知り合った。メールで送られてくる文面から、その人となりを想像する喜びもひとしおである。以前にも韓国に赴任中に我がサイトを知ったというジャズファンの三宅さんが帰国したついでにと、自宅の横浜から雨のなかわざわざ大切な学生時代からの膨大なマッチのコレクションを、阿佐ヶ谷まで持ってきてくれた。当然三宅さんとは初めての出会いだった。まだ顔も知らない荒木さんだけれど、文面から察するところ三宅さんや私などと同じ世代で、きっと同時代、特定された空間のなかで確実にすれ違っていたと確信できるような人だろう。そして今、ジャズの3文字からインターネットを通して出会うミステリアスな環境がとても気持ちいい。

折りからの大雨のなか、荒木さんからメールで送ったと連絡のあった小荷物が届いた

開けてビックリ、ジャズ喫茶<DIG>のオリジナル・デザインそのままの箱が出てきた。

蓋を開ければ、往時の姿そのままに保存され、パッケージも真新しいDIGのマッチがぎっしり入っていた。

マッチの白紙部分には、荒木さんがDIGに行った日付と、リクエストしたアルバムのメモ書きが残されていた。

写真:中平穂積
DIG JAZZ CALEMDAR
1968版 定価=500円
中平さん撮りおろしの写真・カレンダーで、広告になっている見開きマッチ。右側には収められているジャズメンの名が印字してある、写真はソニー・ロリンズ

上と同じDIGのジャズカレンダー
1967年版は、中平さん自ら、ニューポート・ジャズ・フェスとニューヨークのジャズクラブとヨーロッパを取材したときの写真を使った永久保存版だ。
懐かしい渋谷D IGの名が左にあるが、この店はレコード盗難事件でミソをつけたのか、残念ながら長続きはしなかった。

★ 届けられたものは、まさに68年度DIGのマッチ。まだコレクションに手を出していない頃のモノで、すっぽり抜け落ちていたものだけに驚喜した。5月19日〜翌年の2月13日までの45個のマッチ箱は、丁寧に日付順に箱に収められ、全てに日付やレコードタイトルと聴いたアルバム面がメモしてある。これで散逸してしまったマッチの一部と言うだというのだから、すごい量のDIGコレクターだったようだ。当時は、大学新卒の給料が1万2千円だったかな?DIGのコーヒー代が120円だったと記憶しているので、荒木さんが飲んだコーヒー代だけでも、学生の身分では凄いことになる。もっとも、あの頃は飯代も惜しんで此処に通っていた若者だらけで、腹を鳴らしながら益子のコーヒーカップで冷えたコーヒーを啜っていた。近いうちに中平さんのところに見せにいこう。きっと、中平二世の塁くんたちもみんな感動するだろう!ついでに写真でも撮って荒木さんに送ろうかな!なにはともあれ、荒木さんの好意には感動してしまった。


木箱に同封されていた手紙

梅雨まっさかりのうっとうしい時期、いかがお過ごしですか。
早速お返事いただきありがとうございます。
メールにありました「DIGという特殊な環境を共有」のフレーズが気に入りました。友人に連れられて初めて入ったのは、多分1966年だと記憶しています。それから5〜6年間、やや暗めの、そして木の優しさを感じる独特な(特殊な)環境に通いつめたことは、今でもハッキリと思い出せます。店の雰囲気が、中平さんの人柄をよくあらわしており、それに強く引かれたのだと思います。その頃は、ROLLINS一辺倒でほぼ毎回リクエストしていました。(送りましたマッチのメモ書きはその名残です)
社会人になってからもしばらくは通っていましたが、いつのまにかジャズを聴くことが少なくなり、それと共にDIGからも足が遠退いたのは自然だったかもしれません。
早いものでそれから34年、DIGのマッチはわたしの思い出ではありますが、引っ越しなどでだいぶ処分しましたし、手元には数個あれば十分です。数字やメモが書いてあって邪魔かもしれませんが、送らせていただきます。当時いたずら心で作ったDIGの木箱(きたなくてすいません)も一緒にさせてもらいました。欲しいと言っていただける方に所有してもらうことは、どんなモノでも活きるものです。
インターネットをとおして「DIG」(ひょっとするとGENIUSも・・・)を語り合える方と知り合えてとても幸運です。機会があればお会いしたいと思います。PS .野球チームのホームページを見て奇しくも同じ××才と知りました。ついでながら、私もたまにですが、まだ草野球をやっています。                   では、失礼します。2000/6/24

★ 私は今、ウェッブ・オーナー冥利を、快く味わい、噛み締めしみじみと酔っています。
WWWの素晴らしい関係性が見えてきませんか?私と荒木さんは一言も言葉を交わしたことはありません、当然顔も知らない。しかしながら、お互いの文章のやりとりのなかから、人となりが見えてくる。何時か、会ってみたくなる。顔を見ながらお互いの言葉で会話してみたい。それは、良き環境を共有した者ではのことで、生きた分量分だけ今話したい。昔のことだろうという人もいるが、良い時代の思い出は素直に話したい。
すれ違うこと、会うことさえもなく、いずれこの世から消える去る運命にある人間。広い日本のどこかから突然、声がかかる、それも見も知らぬ人達から、仲間達から、旧友から。人として生きてきて、人類史上こんな形で、人と人の交流があったのだろうか。今更ながら私はホームページを運営してよかったと思っている。
今も交際がある人たち、これから出会うであろう未知の人たちとの関係が素晴らしい事実であらん事を祈る