現役閉店 ジャズ屋ではない
当方の記憶違いがありましたら御免なさい・・・指摘して下さい
ジャズ喫茶マッチの旅
京都編
隣町のような感覚で頻繁に通っていた街京都。あぁ〜あのころ古都京都は・・・燃えていた。

一時は50数軒ものジャズ喫茶がひしめき合っていたのに・・・


参考資料:スイングジャーナル/ジャズ批評社「ジャズ批評」
「ジャズ日本列島」年度別ジャズ喫茶各県の紹介数
47年<28>/55年<44>/61年<56>/70年<5>

★印は田口ガクくんのマッチです/★印は佐々木正樹くんのマッチです
★印は三宅さんのマッチとキャプション/印は京都出身の高篠薫さんからいただいた情報です

52番街
昭和45年開店)

上京区寺町通り 京都のお店は場所が具体的ですので、場所を思い出せば大体の感じを思い出しますのでありがたいです。本格的ジャズ喫茶で有名店です。確か交差点の角の二階にあったと思います。
★コルトレーンがよくかかっていました。バップ、モダンが中心。フリー、クロスオーバー(古いな。フュージョンか)は、かけない主義だとか。毎週日曜ライブあり。チャージ350〜400。コーヒー300円。

B

BE-IN

伏見区錦通り  こりゃロックの店だ。

Beetside

伏見区竹田大久保町上る東 

BIG-BEAT

上京区室町今出川下ル ★私が二浪していたとき、京都の近畿塾というところに通っていました。当時、烏丸今出川を少し下がったところにあったその予備校の近くに、入口に小さなお庭のある、えらく京都的な喫茶店がありましたが、たしかこの店がそこであったような?

BIG BOY
昭和46年開店)

中京区河原町三条京劇前 ★河原町通りに面してあったお店で、劇という映画館の前ということしか覚えていません。え、んなことはマッチを見れば分かる!そうなんですよね。★モダン中心。クロスオーバー(フュージョン)もかける。マスター曰く「ジャズは新しいものを聴かないと意味がない」。ライブ不定期 フィル・ウッズ、日野元彦などが主演していた。
京都のジャズ喫茶の便所の落書きは学生運動の臭いがプンプンしていたが、ここのは特に凄かったので、暫く読みふけって次の人のノックで気が付くまで長居をしてしまった。big motherは姉妹店。

big mama

blue note
昭和40年開店)

中京区河原町三条下ル 河原町を少し入ったところの有名店。
★京都では古いジャズ喫茶のひとつ。50〜60年後半が中心。ブルースもかかります。喫茶タイム午後7時まで。7時以降バータイム。金、土ライブあり。定休日なし。
ピアノの鍵盤が書かれたカウンターに立つホステスのようなカウンターレディ。昼間は入ったのだがバーのような雰囲気でいわゆるジャズの店とは縁遠く、な〜んか場違いな店に入ったようで落ち着かない店だった。でも、快くコースターもマッチも頂いたのが好印象として残っている。確か筋違いの通りにもう一見あったような気がしているのだが、もう30年も昔のことで自信がない。

C

CARCO’20

東山区三条通り 
この店は嵐山に向かう市電が走る坂の途中で、停留場の前にあったよう記憶がある。いわゆるジャズ喫茶ではなかったが、当時としては素晴らしくエスニックな雰囲気の店で、インド更紗の巻きスカートがよく似合う素敵な女性がやっていた。旧友で京都出身の薫ちゃんなどは、この店のことを話すと少女のように目がキラキラ・・
★(京阪電鉄大津線路面電車が店の前を通っていた。)このみせについて、ひさうちみちお氏が『03』1990.5月号(新潮社)にエッセイを書いているので抜粋します。
「僕が初めてジャズに興味を持ったのが(CARCO20)とゆう店だった。そこは他のオーナソドックスなジャズ喫茶と違って30年代くらいのシカゴジャズみたいなのがよくかかっていた。無論バップやクールジャズもあったし時々ドン・チェリーみたいのものもかかてけれど、僕は音楽性よりミーハーに懐古趣味からジャズを聞くようになったわけだ。店の内装もいわゆるインテリアと感じさせるものはなくて自然にタイムスリップしたような、それで表の古びたガラスから鉢植え越しに、路面電車の走っていくのが見える。『街の灯』のチャップリンの写真や、ロートレックのポスター、入口には『大人は判ってくれない』がすすけて色褪せてますねん。これが。無論チャップリンやベル・エポックのブームなんかその頃はなかってですからこれはまいったね。どうも僕たちが呼んでいるところの『カルコのお姉さん』とゆう人がいてこのひとがまた美しい。いや顔もきれいでしたけれど、なんちゅうかそのたたずまいがね。物腰も柔らかで憧れた。僕一人で行く店とったら、ここくらいのものだった」以上 『03』1990.5月号(新潮社)より抜粋
「カルコに寄せて」          薫記
これほどジャンゴ・ラインハルトのギターが似合った店はないと思う----。当時、高校一年生だった私は、学校近くの停留所(東山七条)から市電を乗り継ぎ(東山三条)で下車、だらだら坂を蹴上(地名/けあげ、インクライン方面)に向かって歩いた。坂の途中、右手に都ホテルが見えてくると、カルコ20に到着する。大きなドラム缶の上に、鉢植えが目印だった普通の民家であるが、ドアを開けると20〜30年代のジャズが聴こえてきた。油曳の木目床、真空管のアンプ、ゴダール映画のポスターがさりげなく貼ってある。この店は当時日本中を席巻した紫煙漂う大音量、おしゃべり禁止といったようなジャズ喫茶の定義範疇に当てはまらない店だった。
たぶんこの界隈の人たちは、心地よい音楽がかかっている喫茶店と捉えていたにちがいないと思う。カルコのおねえさんや、おにいさん(私もこう呼んでいた)は、<ジャズウ喫茶やなかろうが、そんなんどうでもええねん>と思っていたのであろう。夏場アイスコーヒーを注文すると、昭和ガラスカップの器と、螺鈿を施した縁が少し盛り上がったコースターと一緒に運ばれてくる。ジャズと時おり路面面電車が通る音が交差する空間で、(私はこの先ど-やっていきていけばええのやろか・・・)などと思案していた青い青い時代の私であった。  常連客のひとりに近藤等則がいた---。

CASPPE

シアンクレール
昭和47年開店)

上京区河原町通り荒神口バス停前 ★あまりにも有名なこのお店は住所が示すとおり、河原町通りに面した2階にありました。階段を昇って店内に入ると昼間も真っ暗。目が慣れるまでしばらくかかります。真っ黒なインテリアに真っ黒な鎧戸の窓の隙間は西向きで、日中の陽の光が僅かに差し込んでいます。雰囲気のあるお店でした。
★(ひらがな表記のほうが一般的だと思います)
女性的な繊細さが店にあり、オーナーかもしれないおばさんがやっていた。この店は久保田高司氏解説のレコードコンサートで有名だったが、惜しくも数年前になくなってしまった。新聞でも閉店の特集を組まれた

蝶類図鑑
昭和47年開店)

中京区河原町蛸薬師 
この店の広告がスウィングジャーナルに載ったときは、なんていう変わったネーミングの店だろうか?これって怪しいコレクターの店なのかな〜と、関東方面の連中は思ったものだ。★スイング、バップ中心。灯り採り程度の小さな窓、壁に並んだ蝶の標本、苦いコーヒー。会話厳禁。パラゴンからジャズが吠えていた。土曜日は、幻の名盤といわれたアルバムがよくかかっていた

コニーリ

北区西大路平野神社角 

Cotton Club
昭和46年開店)

中京区河原町三条下ル ★河原町通りと、木屋町の間の路地にあったと思います。路地に面したカウンターだけのお店でジャズ飲み屋という感じだったと思います。浪人生の私は昼間にいったのですが、長髪のおねいが、カウンターの内で、いわしの煮付けを作っていて、醤油と生姜の香りが店内にあふれていました。夜のお店なんですね。店を出るときにマッチをほしいといったら、けげんそうな顔でカウンターの上のごちゃごちゃの中から捜し出してくれました。こういう店にありがちなことですが、友達みたいなのが2〜3人入れ替わり立ち替わり入ってきては、おねいとだべっていました。しかし、ジャズは真面目にかけていたように思います
ここの店主・茂樹ちゃんとは、一時期、阿佐谷〜京都 の連帯を強めお互いに行き来していた。吐夢と同じくらいに狭い店だったが、雰囲気は最高な店だった。漫画家の永島慎二先生と京都二人旅をしたときも寄った。その時先生が壁にサインと漫画を書いたが、店が小火にあったりで、暫くしたら蛸薬師の方に<レディ・デイ>立派な店を出し、コットンクラブは閉店

こるこう゛ぁど

四条畷下ル 

琥珀

中京区西木屋町四条入ル 
★ここはフォーク&ロック喫茶でしたね。

D

down beat

中京区河原町三条上ル ★このお店のことはよく覚えているのに覚えていません。と、いいますのはマッチが二つあって、一つはすごく変則的な形ですね。中に入っていたマッチもかわっていた記憶があります。しかし、しばらくして一般的なブック型のマッチにかわりました。だから、行った記憶はあるのです。うーん、しかし店内のことは全然覚えてない。本格的ジャズ喫茶ではなくてBGM的にジャズをかけていたかなり大きなお店であったような?

E

エバンス

北区紫野西泉堂町 

G

幻潜館

上京区今出川寺町西入ル  今出川<ほんやら洞>前の信号をわたると正面にあるビルに入っていた。ここの店主も、阿佐谷〜京都パイプライン的役割をしていたが、いつの間にか音沙汰が途絶えてしまった。

I

Inpulse!

中京区河原町通り蛸薬師上ル 

J

JAZZ CANDY

京都市三条通り 

JERU
昭和45年開店)

下京区木屋町高辻上ル158  
しばらくこのホームページでは閉店扱いをしていましたが、こちらの娘さんから現在も営業中で、マッチのデザインも変わったという情報を頂きました。2002.1.28

縄文

上京区上立売電停前 

拾得
昭和48年開店)

上京区大宮通下立売下ル 今や京都のライヴハウスといったら蔵の店<拾得>と二つ返事で返ってくる有名な店。開店した当時は、エネルギッシュなライヴのプログラムを組み、音楽方面だけに関わらず、多方面の若者文化にも影響を与え、かなりセンセーショナルな話題を提供し東京方面にも名を馳せ、拾得参り続くようになった。

JAZZ inn RELAXIN'

L

LADY DAY

中京区西木屋町蛸薬師上ル 
コットンクラブを閉店した後、ここにあるビルの七階に開店。店名が現すとおりビリー・ホリデイのコレクションが自慢。ここに移ってから茂樹ちゃんとは、もう何年会っていないのだろう。きっと顔も忘れているかも?

Loudon House

先斗町歌舞練場北側 

M

MARCHEN

京都北白川電停前 ★北白川の電停前ということは、あの京大の交差点のとこですね。覚えてません。と、いうよりは確かこのマッチは当時この近くに下宿していた、私の友達がよく通っていて、彼から貰ったものだったように思います。行こう行こうと思いながらも、結局行けなかったお店です。しかし、何となく行ったような気もするんだよなぁ。2階にあって、非常階段のような鉄の階段をトントントンって上っていくようなお店で、店内は四角で、普通の定食喫茶店みたいな感じで、生活臭の漂うジャズ喫茶で、長髪のおねいさん達がいたような?

黙示録

左京区北白川 

Mous・Tache
昭和46年開店)

中京区河原町三条入ル  http://web.kyoto-inet.or.jp/people/mousta/aindex.html旧コットンクラブを訪ねすでになくなっていることを知った。どこで聞いたか、コットンクラブの斜め前に出来たこの店が、茂樹ちゃんの店だと誰かから聞き、ウ〜ンと洒落た店のドアを恐る恐る開け、訪ねたところ、まったく関係ないと・・・ケンもほろろに扱われ洒落た店はこれだからと頭に来たことを思い出した
矢野さんが書いているとおりです。ヒジョーにムカツク店でした。70年代後半頃、買い置きの煙草がラークだけだったのです。わしら貧民階級の人間は来るなってことか。

モンローウォーク
昭和49年開店)

中京区烏丸夷川西入る このマッチを送ってくれた方、メールぶっとんでしまいコメントが消えてしまいました。これを見たらレスください。

P

Popeye
昭和46年開店)

中京区河原町 
ハードロックの店だが、京都のロックの店といえば、百万遍先にあった<ダムハウス>ぐらいしか知らなかったのに何故か手元に残っていたので載せた。

R

RAG
昭和56年開店)

北区北山通り府立資料館前 

ろくでなし

下京区木屋町四条下ル   http://www.cyberdecker.gr.jp/rokude/
確か、ブルーノートの近くにあった<ガウチョ>のマスターの店じゃなかったかな?
★(がうちょ)の昼マスター・ヨコチャンが80年頃だした店。当時のまま現存している。

RIZA

京都千本丸太町 ★またまた覚えていません。うーん、いつかいったような?

S

Scot

下京区東洞因七条下ル 

SMSPOT
昭和48年開店)

上京区寺町今出川上ル ★がーん、またまた覚えていません。すんません。京都御所近くのお店で何度かいった記憶があるのですが、お店のことは全然覚えておりません。たしか、殺風景な通りの1階に雑然とした感じで建っていた本格的ジャズ喫茶だったように思うのですが?
同志社の裏手にある。★SMスポット(この表記の方が一般的です)
セシル・テーラー、山下洋輔などがよくかかっていた。コーヒー250円。

SHIRO HOUSE

京都下京区綾小路高倉西入北側地下 
★四条通り大丸前を少し南に下がって烏丸通りの方に曲がったところ、静かな路地にありました。本格的ジャズ喫茶で地下のお店ですが、明るくて日本的なインテリアだったと思います

T

The Man・Hall
(昭和47年開店)

下京区四条堺町東入ル 
★ビル地下2Fにある暗い暗い照明の店。モダン中心。コーヒー300円。

敦府里

中京区河原町三条入ル 
の店は怪しい、ラベルにジャズの文字も見えず、まったく記憶にないだけに・・怪しい?

トリュフォー

衣笠西大路平野神社前  トリュフォー、ジャズ・classic、この店はよっぽどの映画好きのオーナーの店なのだろう。

U

U.S.A

祇園会館 

Y

YAMATOYA
(昭和45年開店)

左京区熊野神社交差点東入ル ★ふーむ、分かりやすい住所表示ですね。京都の熊野神社の閑静な住宅街の2階にありました。本格的ジャズ喫茶です。京都の老舗達のなかでは比較的新しいお店でしたが、同志社大や立命館大、京大が近いということもあり、いつも熱心なジャズファン達が店内にたむろしていました。京都ジャズ喫茶の牙城。
★店が一度移転していなかったかという矢野さんのお尋ねの件にお答えします。開店当初から同じところにあります。熊野神社東入る二筋目と二筋みなみ入るは同じことなのです。京都の住所表記はややこしい。1Fは当時のまま現存しています。時々ライブもやっていて、ケニー・ドリューやマル・ウォルドロンが出演しました。2Fにあった正当派ジャズルームはありません。また、2Fの大きな大きなアルテックをどうやって壁に取り付けたのか?京都ジャズ喫茶の不思議のひとつでした。コーヒー300円。

Z

zabo

中京区河原町三条下ル 

ZAC BARAN

左京区熊野神社東入ル 
★ジャズは時々かける、という程度でした。ブルース、ロック中心。京都在住音楽好きな外人の溜まり場。

ホームページ「ジャズ喫茶マッチの旅」は楽しいですね。懐かしく、また熱かった時代が蘇ってきます。しかし、20年くらい前のこととなると記憶が曖昧になってくるのも仕方がないことと思います。私の手元にある京都ジャズ喫茶関係の資料を抽斗から出してきて、いろいろ調べてみました。当時のコーヒー代、ライブ事情などあって、つい時間を忘れ読みふけってしまいました。あの頃の記憶が少しずつ鮮明になってきたので、矢野さんの記憶が曖昧な部分だけ書いてみました。(記憶違いがあったら指摘してほしい、とあったので・・・・)
*具体的な数字があると、思い出しやすいので、あえてコーヒー代を記しました。コーヒー代は70年頃のものです。 なるべくデータだけを書こうとしたのですが、好きな店は、ついつい長くなってしまいました。  かしこ                         高篠薫さん記

Rag 京都市中央区 京都の繁華街にあり、店内からの京都の夜景が見えるライブハウス。
Hello Dolly:京都市中京区  京祇園の先斗町の老舗。
le club jazz:京都市中京区三条にあるジャズバー
CANDY
京都市東山

ジャズ批評 47年「ジャズ日本列島」

河原町蛸薬師:蝶類図鑑、インパルス(昭和41年)、河原町三条:ビッグ・ボーイ、ザボ、河原町六角:ブルーノート、コットン・クラブ、ムスターシュ、今出川寺町:ビッグ・ビート、幻潜館、SM SPOT、CHICO、寺上ル:52番街、河原町荒神口:シャンクレール、四条堺町:ザ・マン・ホール、三条大橋:ロンドン・ハウス、四条小橋:ダウン・ビート、左京区北白川:メルヘン、聖護院山王町:YAMATOYA、下京区東洞院:SHIRO HOUSE:千本丸太町 :リザ、烏丸丸太:ケント、元田中:ピエロ、木屋町高辻:JERU、西京極:MOKU、東山区山科:スイング、東山区三条東:McCall's、蹴上げ:Carco'20と、さすがのフリータウン京都だ。

ジャズ批評 55年「ジャズ日本列島」

京都市中京区河原町蛸薬師:蝶類図鑑(昭和47年)レディ・デイ(昭和46年)インパルス、四条河原町:厭離穢土、河原町三条:ZABO(昭和46年)BIG BOY(昭和46年)クエスト(昭和55年)、丸太町:ケント(昭和37年)、木屋町六角:グレイプジャムBIG MOTHER LTD、三角屋、河原町:ブルーノート(昭和45年)、新京極:ポント、三条:魔女利華(昭和49年)、夷川通り:モンロー・ウォーク(昭和49年)/左京区一乗寺:オーティ(昭和52年)、栗田口:CANDY(昭和54年)、岩倉:ゴー、熊野神社:YAMATOYA(昭和45年)きまぐれ亭(昭和53年)、ざっくばらんサンタクロースREMA(昭和47年)、北白川:ふーんじゃらむ、田中:プロボクサー、浄土寺:マッコールズわらく館(昭和54年)吉田:メルヘン(昭和33年)/上京区河原町今出川:クボタハウスしゃんくれーる(昭和31年)ダウンビート、中筋通り:格子(昭和52年)、寺町:52番街(昭和45年)、SM SPOT(昭和47年)、大宮:拾得(昭和48年)、千本丸太町:リザ/下京区四条:ザ・マンホール(昭和45年)、木屋町:ジェル(昭和45年)JAZZ INN ろくでなし(昭和53年)、木屋町蛸薬師:呼び人/伏見区深草:サウンド・トラップ/北区紫野:エバンス、北山通り:フレンチクオーター・ラブ/長岡京市開田:エイジャ/八幡市男山:ヴォレスと44店が紹介されている。

ジャズ批評 61年「ジャズ日本列島」

京都市中京区河原町蛸薬師:蝶類図鑑、河原町:ブルーノートガウチョ(昭和32年)JuG's BAR(昭和57年)、先斗町:HELLO DOLLY(昭和50年)、新京極:ジャズ・イン・ポント(昭和51年)、丸太町:ケント(昭和36年)、夷川通り:モンロー・ウォーク(昭和49年)、三条:魔女利華(昭和49年)ムスタッシュ(昭和46年)QUEST(昭和55年)レディ・デイSUPER BOWL、四条河原町:厭離穢土(昭和51年)、河原町六角:SUPER POTATO、御幸通り:THE ADAM AND EVE CLUB(昭和55年)、木屋町蛸薬師:呼び人/左京区北白川:C・B・G・BEbony Box(昭和59年)黙示録(昭和54年)、熊野神社:YAMATOYAざっくばらん、一乗寺:ダウン・ホーム(昭和56年)、岩倉:ゴー、サンタクロース、Jazz Library YAMATOYA(昭和60年)、吉田:メルヘン、静市市原町:なんど/右京区JAZZ LUNCH Your(昭和49年)バルビエリ(昭和49年)/上京区河原町荒神口:しゃんくれーるミッキーマウス、大宮:拾得、下賀茂:LUSH LIFE(昭和59年)、中筋通り:格子SM SPOT、千本丸太町:リザ/下京区四条:ザ・マンホール(昭和55年)JAZZ INN ろくでなし、木屋町:JERU(昭和45年)、烏丸:ビッグ・ノーズ(昭和58年)、富小路:磔磔/北区紫野:エバンス、上賀茂:Butter-Cup(昭和56年)JBL SOUND ガロ(昭和58年)、北山通り:RAG(昭和56年)、珈ッペ(昭和51年)/東山区三条:Candy、、祇園町:スコッチ・バンク(昭和58年)、古門前通り:Sunny Side/伏見区深草:サウンド・トラップ/長岡京市開田:エイジャ/福知山市篠尾:ガス燈(昭和55年)が紹介されている。

ジャズ批評´95年「ジャズ日本列島」

京都市中京区河原町:ブルーノートガウチョJuG's BAR、先斗町:HELLO DOLLY、新京極:ジャズ・イン・ポント、夷川通り:モンロー・ウォーク、三条:魔女利華ムスタッシュQUESTレディ・デイSUPER BOWLサセモライブ・スポットRAG、四条河原町:ディナーズ・バー厭離穢土、河原町六角:SUPER POTATO、御幸通り:THE ADAM AND EVE CLUB/下京区四条:JAZZ INN ろくでなし、木屋町:JERU、烏丸:ビッグ・ノーズ、富小路:磔磔/上京区河原町荒神口:ミッキーマウス、大宮:拾得、、中筋通り:ミュジック・スポット格子、千本丸太町:RIAZ/右京区JAZZ LUNCH Yourフェアリー赤マント/左京区北白川:C・B・G・B、熊野神社:YAMATOYAざっくばらん、吉田:メルヘン、静市市原町:なんど工房、上高野:ケンプ/北区上賀茂:JBL SOUND ガロ/東山区八坂新地:バラード、スコッチ・バンク、Sunny Side/伏見区深草:サウンド・トラップが紹介されている。


新宿の二代目酋長が、京都で<シローハウス>を閉店したので、行ってみたら下町の長屋のようなところ。きっとゴールデン街を意識し、ここを発信地に居留地を作ろうとしたのだと思った。しかし、いつの間にか無くなり酋長はどこかの島で大工をやっているという噂を聞いた。<カルコ>のアヤさんは、東京の下北沢に住んでいるとか噂が聞こえてきた。それもこれも、大昔の話だ。永島先生と京都・福井を旅しながら入った何軒かのジャズ喫茶も忘れてしまった。マッチもなくしてしまった。西部講堂で開かれたコンサートで洋輔さんが出るというので金もないのに、ドリーム号でやってきて講堂の屋根に雲を描くのを手伝った。一夜の宿と京大の建築学部のロッカーに潜り込み、そこで出会った連中と飲みに行った百万遍近くの、妙に湿った空気の店もジャズをかけていた。店長は学生運動を応援する熱く燃えるオカマだった。
<厭里穢土><ふーんじゃらーむ><プロボクサー><魔女利華><鳥類図鑑><呼び人><黙示録><磔磔><珈っぺ>
京都の店はなんとも変わったネーミングに店が多かった・・・みんなどうしているのだろう・・・・