嵐を呼ぶ男
 映 画
邦 題

嵐を呼ぶ男

原題

The Stormy Man

ジャンル

青春音楽劇

監督

井上梅次(  小説サロン所載・井上梅次の小説)

脚本

井上梅次、西島大

撮影

岩佐一泉

国・年度

日本 日活 1957年12月28日 101分

ソース

VHS / DVD

 

2090年の昨年鬼籍に入ってしまった知人の 劇作家で、脚本家でもあった西島大さんの代表作品
石原裕次郎を一躍国民的スターにした大ヒット作。この1作のヒットにより、それまで赤字経営だった日活は再建を果たした。この年の興行ベスト5のうち、2本が裕次郎の主演作品。このほかにも配収が2億円以上あったものが3本あったことを見ると、当時の裕次郎人気がうかがわれる。
【解説】
国分正一は銀座で評判の暴れん坊。そこで弟の英次は兄を売り出そうと、女流マネージャー・美弥子に頼み込んだ。ジャズドラマーを目指した激しい猛練習の中で、正一と美弥子はお互いに惹かれるものを感じ始める。いよいよライバル・チャーリー桜田とのドラム合戦の前日、正一はトラブルに巻き込まれ、右手をケガする。当日、右手の痛みから苦境に立った正一は、マイクを握り歌を歌い、満場の拍手を浴びる。屈辱を受けたチャーリーは、美弥子に横恋慕する芸能界の黒幕・左京とともに正一の右手を完全に潰す。
【配役】
石原裕次郎(国分正一)、北原三枝(福島美弥子)、芦川いづみ、(島みどり)、金子信雄(左京徹)、青山恭二(国分英次)、白木マリ(メリー・丘)、笈田敏夫(チャーリー・桜田)、小夜福子(国分貞代)、岡田眞澄(福島慎介)、天路圭子(有馬時子)、市村俊幸(持永)
【逸話】笈田敏夫と演ずるドラム合戦はドキドキした記憶が生々しく浮き上がってくるが、
OST盤のライナーノーツによると、実際のドラマプレーは、石原裕次郎は白木秀雄、笈田敏夫は猪俣猛がプレイしたと書いてある。

音 楽
音楽監督

大森盛太郎

主題邦題

嵐を呼ぶ男

主題原題

ジャンル

Jazz

作詞作曲

井上梅次/大森盛太郎/主題歌:石原裕次郎

サントラ

EP / CD

劇中演奏
「渡辺晋とシックス・ジョーズ」および「白木秀雄とクインテット」

この二枚はオリジナルサントラではない
     
            
「鷲と鷹」とのカップリング、46回転シングル盤    石原裕次郎 日活サウンドトラック集

●笈田 敏夫(おいだ としお、)1925年(大正14年2月21日 - 2003年(平成15年)9月2日)昭和期のジャズ歌手。戦後を代表するジャズ歌手として活躍した。愛称は「ゲソ」。ドイツベルリン生まれ。父はピアニストの笈田光吉。
●白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康、)1933年1月1日 - 1972年8月。日本のジャズ・ドラマー。
東京芸術大学音楽学部打楽器科に入学(のちに中退)。この年の打楽器科入学生は2名で、もう1人は指揮者の岩城宏之。芸大在学中にキジ西村の勧めでブルー・コーツに参加し、ジャズ・ドラマーとしてのキャリアを開始する。1959年に水谷良重と結婚し(1963年離婚)、時代の寵児としてマスコミを賑わせた。1968年5月に自己のわがままからバンドを解散。同時期に渡辺プロダクションからも解雇。白木クインテットの解散後はジャズ界から離れる。1972年9月1日、赤坂のアパートの自室で腐乱死体となって発見された。死因は睡眠薬中毒。
●猪俣猛兵庫県宝塚市出身。16歳でデビューし、20歳で上京。21歳で「スイング・ジャーナル」誌の新人賞に輝く。1976年、若手育成を目指し「リズム・クリニック・センター」設立。94年には「ジャパン・ジャスト・ジャズ・オールスターズ」を率いてニューヨーク公演を行い、カーネギー・ホール、アポロ・シアターで大喝采を浴びる。96年、前田憲男音楽監督「THE KING」を結成。 日本のジャズの歴史を記録するため、浜離宮朝日ホールに於いてコンサートを全20回にわたり行い、幅広い層から高い評価を得る。


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