阿佐谷マーキング part7

早稲田通りは杉森中学校の前にあるホンダ系バイクショップジャイロは、矢野の御用達ショップなのだ。でもすっかりバイクを降りてしまったので、このところお世話になるのは散歩の途中の一服と、愛車duoのメンテナンスだけとは申しわけない。

待てよ、右のシートが張ってあったところはその昔八代写真館で、その後、うどん屋敷島に変わったのだけれどちょっと見ない間に空き地になっている。阿佐ケ谷でも何故かこの一体が変化が大きい。パチンコ屋parcoが進出してきてからかな? 関係ないか!


夕闇迫る阿佐ケ谷は一番街の通りにあるパチンコ・パルコの入り口。折しも店の階段を上ろうとする叔父さんの背中を後目に一目散に家路につこうとする親子の対比が面白い。身をかがめてカメラの前を抜けようとする女性と少年の身をかがめた姿がどことなく面白い。


阿佐ケ谷町内会に何処にもあるただの掲示板だが、何故か布のデイバックがぶら下がっている。中には何かが入っており通り過ぎる人たちは気になってしようがない。しかし皆、見て見ぬ振りで通り過ぎていく。この中に札束が・・・と思うとこんなとこにも都会の死角が

ゴールド街裏道は、自転車の無断駐輪の無法地帯だったが、駐輪場が近くに出来、今は歩きやすい裏道として整頓されたが、その昔、高架鉄道が出来る前はドブ板通りといわれたジメジメした所でった。そんな一帯にも飲み屋が数軒あり、行きつけの店に爪先立ちでふらふらと入って行く酔っぱらい達の姿が懐かしい

 

20数年前に、この一帯の住民を立ち退かせて造られた中杉通り。当時阿佐谷に友人がいる連中の中には、住民票を移し駆け込み居候の区民を決め込み、まんまと区から数十万の金をせしめたエピソードを知っている。立ち退きには幸不幸が付きもので、不幸なのは立ち退き線から変形に残されされた土地で、幅2mそこそこの建物に入った不動産屋などもその典型だ


右が1号店の鳥正。ゴロゴリの横浜ファンのおやっさんがやっている。最近あまり顔を見ないと思ったらベースターズ優勝と共に大魔人のように復活したのだ。それも、同じ横浜ファンとしてこの焼鳥屋に通う山下洋輔さんと写真誌フォーカスにご機嫌で登場。因みに2号店、店主で婿の<とおる>さんは、巨人ファンで横浜などまったく無視とは面白い・・・


阿佐ケ谷北口三菱銀行とゴールド街の前の通りをとことこ歩いていくと、この目印のコーナーにぶつかる。右に行くと<阿佐谷北ふれあいの家>という最近できた特別養老院。左に曲がると有名な?河北病院。その先には教会が。人生の曲がり角ここにあり、この曲がり角に立って棒を倒して自分を占うのも面白いかも・・・さてさて君の行く道は・・・。

中央線高架下にある駐車場は、高円寺まで雨の日も濡れずに歩いていけるので便利だが、車にとっては最悪。酔っぱらい、犬、猫、悪ガキ、愉快犯の絶好の獲物、小生の車も、ある日ボンネットの上に靴跡の形でボコンと凹んでいたのだ。くっそ〜!最近驚いたことに女の浮浪者迄が、移動の少ない車の陰に段ボールの家を造って寝ているのには恐れ入った・・・。

高円寺側にある馬橋公園入り口(右の写真)の中で見つけたのがこの驚き桃の木お猿の木夕方の日差しの中にぽっかり浮かんだこのサルを遠目に見たときは<なんだなんだ>ってな好奇心で、この木に吸い寄せられて行ったしまったものだった。そのあまりの出来映えに思わず感服。拍手喝采。見え見えの作為にあふれたものだが、これをやったヤッは偉い。


この一帯では、かなり設備の整った大きな馬橋公園。しかし、景観を損ねる注意書きの多さには頭に来る。まったく日本の役所の張り紙好きにはあきれ果てる。こんなものひとつ張るのにも大勢で会議を開いているのかと思うと腹が立ってくる。その点、小金井公園は綺麗で自由で、良識の元に人はもとより犬などの動物達ものびのびと遊ばせているのだ。


この町は、昔ながらの雰囲気を残す建築物が豊富に残っていたが、あのバブルの荒波に素敵な佇まいの家々が飲み込まれ消えていってしまった。しかし、頑なに昔の景観のまま残る、こんな看板なども探せばまだまだ沢山見つけることもできる。北5丁目にある、歯科医荒井。電話局番がまだ三桁。おまけに下4桁が8148とは。これを見つけた時は嬉しかった。


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