岩手編 参考資料・スイングジャーナル:「ジャズ日本列島」ジャズ批評刊 年度別ジャズの店県総数 55年<19>・61年<9>70年<9> |
ベーシー |
一関市地主町 |
ダンテ |
盛岡市大通り |
ジャズ批評 47年「ジャズ日本列島」 ジャズ批評 55年「ジャズ日本列島」 盛岡市オスカー(昭和50年)、ダンテ、チェック(昭和46年)、伴天連茶屋(昭和46年)、パモジャ(昭和50年)、一関市ベイシー、北上市タック(昭和50年)、水沢市ray・ブラウン、釜石市貴族院、サンライズ(昭和45年)、邪宗門、宮古市人形の家、ミントン・ハウス(昭和48年)、陸前高田市ジョニー(昭和50年)、花巻市くがーん、上闔伊郡クィーン(昭和40年)、ケルン、花屋敷(昭和50年)、江刺市ミニヨン(昭和52年)など各市にあるジャズ喫茶が紹介されている。 ジャズ批評61年「ジャズ日本列島」 盛岡市伴天連茶屋、チェック、ダンテ、一関市ベイシー、北上市タック、陸前高田市ジョニー、釜石市サンライズ、上闔伊郡クィーン、花屋敷がと大分減ってはいるが9店舗が紹介された。 ジャズ批評´95年「ジャズ日本列島」 61年に紹介された9店舗全てが紹介されるも、新規登場は見えない。
この店の店主高橋了くんとその弟タックは、旧吐夢の常連だった。
特に兄の了くんは仕事で稼いだ金は全てレコードに化けてしまうくらい買いまくっていた。それは、彼の夢に繋がる作業であることは一目瞭然で、
数年後に彼が盛岡にジャズ喫茶ダンテを出店、その地に一躍名を馳せたことでもわかる。
しかし、あの当時西荻に同名のダンテ(ジャズ喫茶)があったというのに、彼ほどの個性派が何故この名を使ったのか今だに不明なのだ?
北上市にタックという名の店があるが、高橋弟タックと結びつくのだが、開店がダンテより2〜3年早い・・・
違うカナ〜〜!店主の名が高橋洋となっているのも????
一関のベイシーを探し訪ね当て、重厚な蔵造り蚤瀬のドアをちょっぴり緊張しながらドアを開けると、店内は無人!
一瞬ためらいながらも一歩足を踏み入れると、奥のテーブルで太めの万年筆を握り原稿用紙に向かう菅原さんを見つけた。
作業に集中していた菅原さんは顔をあげ少しの間があった後、店主の顔に戻った。東京から来たことを告げ珈琲を所望する。
オレたちの座った席に壁には、先年この地、この店で亡くなったといってもよい色川武大(阿佐田哲也)氏の落書きを偶然にも見つけ感動した。
色川武大(阿佐田哲也)氏は、晩年菅原さんの家に起居し、この地を終の棲家としたのだから。しばらく、永年に渡って染み込んだジャズの臭いと、
針を落とした音のなかで時間が止まってしまったような異空間に身を任せる。素晴らしかった。
その後、店内(二階は骨董などのギャラリーになっている)を案内してくれたり、お気に入りのブレーキーのレコードに合わせて、
菅原さんがドラムソロを聴かせてくれたり、一緒に写真に収まってくれたりと親切な応対に感謝しつつ、
2時間ばかりの短い別れをした。その後、記念写真を送ろうと思いながらも、いまだに送らず仕舞いになっている。
阿部薫特集では、必ず登場する陸前高田のジャパン・ジャズ ジョニー、ここも一度行ってみたいところだ。
阿部薫・・・新宿風月堂に来ていた少年時代の彼を知っている人はもう少ないだろうな・・・