阿佐谷マーキング part 1

阿佐谷の青梅街道沿いに残る卓球界の牙城タマス。三遊亭小遊三などがいる落語家卓球倶楽部の御用達で、例の愛ちゃんなどと共に頻繁にTVなどのメディアにも紹介されている。そのおかげでこのタマスは今やちょっとした卓球界のメッカと化しているそうだ。ピンポンは色だけではなくて明るい未来があるのだ。

右に西友ストア。左東急ストアと共に北口の中杉通りを挟み阿佐谷の台所としてしのぎを削っている。駅ホームから見たこの景色が、阿佐谷が一番大きな街らしい街に見える・・・それも結構大きな街にね。だけど眺め回すとちま〜としていて本当にちいさな、村のような町なんだな〜と感じてしまうのだ。

枡蓮酒店は、五叉路の中で一番に目立つ場所に立ち「日本でA番目に安い酒屋」の看板が目立つ。呑兵衛には有り難い店で深夜までやっている貴重な酒屋らしい。でもあまり、ここを利用する人を見たことがない。まして、ここのおばちゃんの際だったユニークさのほうが日本でA番目じゃないかと近所の人に囁やかれている。


 

この町で初めて手打ち蕎麦で上手いと名を取った大久古はタバコも吸える気楽な雰囲気な割にはちょっと高め。おまけにバイトのおばさんの態度ががさつでメッチャうるさい。しかし、今でも、蕎麦打ちの男衆(旦那かな〜)の姿と蕎麦の姿が健気でつい暖簾をくぐってしまう。いらあっしゃ〜い!べちゃくちゃべちゃくちゃうっ〜ウルセ〜!

早稲田通りにある東原バス停留所。関東バスといえば、このところ非常に運転手の態度がよくなった。なんでかな〜?昔は酷かったものな〜。料金払っている最中に発車なんか当たり前。東京一荒い運転でマナーの悪さは天下一品の定評があったのにな〜!!また一つ名物が無くなってしまったのは寂しい???。

昨年の大雪の日。深夜の阿佐谷駅前の広場を撮影。その昔ここはちょっとした森になっていた。その森の中に木造で造られた10ワットくらいの暗い便所があり、そこで何度か首吊り自殺があったことを思い出し雪の寒さのせいもあってかブルッと身震い。最近バリアフリーの便所に改装計画があがっている。



店の前にある妙正寺川の橋の近辺はもはや中野区。阿佐谷エリアに入っていると思うので紹介したい山岸商店昔ながらのよろず屋的雑貨店だ。店の外には何から何までが、二階には布団が、一階には家族分の洗濯物と、あらゆる商品がダバ〜ゴチャ〜とぶら下がり雑貨屋とは斯くあるべしで、この景色は圧巻。


河北病院の先に五差路がある。この一角にある阿佐谷教会の脇道をまっつぐ行くと、丸正ストアがある早稲田通りに抜ける道と、中杉通りから来た道がぶつかるT路地でな〜んてこた〜あない阿佐谷北一丁目の町角なんです。強いていえば俺ン家がこの近くにあって、この写真の右側には阿佐谷動物クリニックがあるのだ。


左に見えるのが世尊院。右手にはここの墓場がある。かつてはこの道路は墓場だったのだ。世尊院を分断して作ったのがこの中杉通りで、この近辺、しょっちゅう事故が起きる事故多発地帯。近所のおばさん連中「やっぱりお墓を移動した祟りかしらね〜」とヒソヒソ話。たたりじゃ〜

河北病院の正面入り口の傾いた家の上にある看板なんだけど。なんでこんなもの写真撮ったんだろう・・・。画面のつなぎに入れておくか!この間見たら看板募集中になっていた。こんな場所でも金取って貸していたんだ


阿佐谷は、水はけの悪い土地がら一歩裏道にはいると、住宅の脇を流れるかなりの生活用水路(ドブ)があった。そのドブに蓋をして作ったのが、町中のあちこちにある遊歩道。人一人がやっと歩けるだけの遊歩道、裏道ウォッチングもなかなかのものだ。

阿佐谷に残る唯一とも言える昔ながらの路地にある飲料街銀杏小路ホテルスカイコート側の入り口にある大きな銀杏がこの名の由来である。気配が良いいて事は、やはり古いって事なのか、やってる店の女将連中もかなり古い。今や映画Vシネマなどの撮影隊がしょっちゅう使っている


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