阿佐谷マーキング part11

天沼一丁目、熊野神社に向かって左側に異様なオブジェで化粧され、今や家人もなく金属部分は錆が出始めてしまった奇館がある。バブルの頃に建設され、景気の荒波にもてあそばれたのか、たかだか10数年で主人も去り、空き屋として無惨な景色として残っている。

ピカピカのアルファロメオが、金持家の駐車場でリアの一部を路上にはみ出し無造作に置かれていた。今井という男はアルファを20万円で買って百万かけてレストアしたが頻繁に起こるオーバーヒートに根を上げ泣き泣き手放したのと比べればまったく偉い違いだ。


どうしてこんな陽の当たらないところに公園なんか作ったのだろう?人がいるのを見たことがない。ココでボ〜としていると、右隣には幼稚園もある事だし否が応でも怪しい人に見られるじゃないか。これは考え過ぎではない。実際写真を撮っていた俺を保母さんが胡散臭い目で見ていたのだ


銀杏小路にあった(98年12月閉店)焼肉屋バーベキュー倶楽部の二階で隔月に開かれていた落語会に橘家文吾という落語家が出ていた。あど弁舎の数人はすっかり彼の芸に惚れていたのだが、彼の粗暴な面ばかりが目立ち逃げ腰になってしまった。だが、99年めでたく真打ち昇進。

阿佐ヶ谷最古参の女将さんがやっている店はどこかと聞かれれば、銀杏小路のふもとと即座に答えちゃう。だって、格子戸越しに店内を見ると60歳以下のお客を見たことがない。多分ここでは70歳平均で60歳では、まだまだ小僧扱いでヒヨッコなんだろう〜な


ご存じあど弁舎グループのjazz鈍我楽外観。ホテル・スカイコート1階にあり説明はいらない程この町では有名な店?どうでもいいけど、最近不景気です。みなさ〜ん!パソコンやゲームなどやってないで飲みに来てくれ〜!あまり家に籠もってると友達が無くなるぞ〜!


文大通り(元スリ通り)をスカイコートホテルに向かう景色。この右に女子高校生がよく溜まっていた十月という喫茶店があった。ある日、小娘に「オメ〜!なにガン飛ばしてやんだよ〜!」と脅かされたことがあったけ。情けね〜!ここも、いつの間にかなくなってしまった。



映画監督の中島君は、飲食に関する好奇心は人後に落ちない。ある夜文大通りにある熊の子の扉を開けた「なにかご用ですか?」と、着物を着た粋な女将が訊ねた。「飲みたいのですけど」「こちらは会員制の店ですのよ」「電通の××さんと待ち合わせなんですけど?」「は〜?」「こりゃ失礼しました〜!」

周富徳の福来飯店「いらったいまて〜!」の中華訛に迎えられるとジャスミンの臭い。高そうだなとメニューを見れば定食600円からのチープな値段にホッ。最近はされたせいか味もそこそこになってきたのは果たして気のせいか? 

町なかに突然起こる読経にびっくり。商売だたっら「駅から2分」の看板も出せようというところにお寺がある。源氏鶏太の駅前シリーズなら「駅前お寺」。阿佐ヶ谷を舞台にするならまずココをテーマに選べば面白いものが書けそうだ。


オームラーメンの後に、勇気ある中古レコード屋が出来た。開店数日後、随分通った店だった国分寺のジャズ喫茶モダンのネームが付いたLPがゴソゴソあったのには驚いた。つぶれた噂は聞いていたがまさか阿佐ヶ谷で出会うとは。


銀杏小路の入り口にある昔ながらにベタベタ貼り紙をした不動産屋。主人も昔ながらのいかがわしい不動産屋スタイルで一見強面。とろろが阿佐ヶ谷一の人情不動産屋なのだ。人は見かけで判断してはいけないテストケースのような人なのだ。


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