阿佐谷マーキング part4

なんだなんだこの注意書きは、これって個人的に書いたのかと思った。でも東土木公園事務所と書いてあるからには、この家の人が思い悩んで、わざわざ公園事務所に直訴したのだろうな。こんな事をする奴がいるから書いたんだろうけど。それにしてもエアガンに石か〜!何だか、やられる方にも問題があるようなないような!

北一丁目けやき公園方面の町中から見上げた河北病院徳川夢声や、寺山修司が亡くなった病院として名を轟かしている。杉並区内では総合病院としては、かなり大きな病院のせいか、此処で亡くなる人が多いので阿佐谷雀のあいだでは×に来た病院などとの陰口を叩かれている。




旧中杉通り(松山通り)北四郵便局は商店会の中にひっそり佇む。但し、侮ってこの局を襲ってはいけない。この局には、強盗よけに雇ったのではないかと思わせる図体のでっかいピアスをしたガードマンのような国家公務員がいる。こいつは強そうだ!因みに郵便局強盗の史上最低被害額は500円だそうだ。1999年初頭の事だそうだ


文学青年の気配を残すご夫婦が絶妙のコンビネーションで長年やって来た大橋惣菜店。阿佐谷のグルメ?たちに天下一品のハムカツ50円とフライの店と大評判だったが、平成10年12月の暮れに、ご主人の体調不良でなんと閉店してしまったのだ。また一つ阿佐谷名物が消えてしまった・・さびしい。

阿佐谷は、道路が複雑に込み入り道幅も狭い。挙げ句の果ては一方通行の嵐。一度迷うと、あ〜阿佐谷砂漠う〜〜。ともかく東京の中でも、狛江と並ぶ嫌われ道路で、もっともタクシーの運ちゃんが嫌がる町だそうだ。そんな嫌われる道路の中でも実に明解な道路の五差路は町の名所の一つ?阿佐谷駅、中杉通り、早稲田通り、高円寺方向、馬橋公園へ向かう5本の道が交わる信号のない交差点なのだ。



ゴールド街にある
娥楽亭を作った名工永田勉君の作品の一つ、台所酒場ぐうは、木をふんだんに使った内装が結構な雰囲気。元デザイナーだったオーナー大宮君とかわいらしい奥さんとの夫唱婦随で猫まんまなる面白いメニューや本格的料理のメニューもある。ベリ〜グッドの料理とお酒で大評判。あど弁舎お友達のお店のひとつです・・・みなさん宜しく。

暗黒真空地帯ガーデンの隣、急な階段を昇るとそこが麻雀荘ことぶきは、我らが仲間の行きつけの店だったが、メンツが揃わなくなってしまい此処数年足がとうのいてしまった。当時、気のいいマスター奈良さんは徹夜麻雀に明け暮れる常連達にいつまでも付き合ってくれた。暇なときは銀座でというクラブを出している奥さんを車で迎えに行くなど夫婦仲も良く本当に優しい人だ。


数年前に新しくなってしまった篠原病院旧館は大正ロコロ調の木造二階建てで「東京建物博物館」に移築しても良いほどの気配があった。阿佐谷名物だったのにもったいないな〜。また、この病院で太宰治が盲腸の手術をしたのは有名な話。有名人てのは全くこんな事でも評判になってしまうのだからしんどい商売かもしれない。
バイク事故で矢野もここに入院したけれどな〜にも噂もされないってんだ


五差路を馬橋公園方面にブラブラ来ると此処にぶつかる。左が馬橋公園地震緊急用物資の倉庫で住所は高円寺になる。右に見える古くさい看板テーラー岡田の住所は阿佐谷。ということで、この道が阿佐谷と高円寺のボーダーなのだ。


左の写真の道をまっすぐ歩いていき、振り返るとこの景色がある。右に見えるのが馬橋小学校だ。日曜日には校庭を解放している。これが実はものすごい弊害、学校の側の住人が”・・・まったく日曜の朝だってのにうるさくって寝てられやしない・・・とぼやいていたな〜。わかるわかる


馬橋公園のベンチ
日曜の午後、明るい日差しを浴びながら、人々を優しく迎える、このベンチも、冬の夕方頃には何故かこんなにも寂しい景色の時が多くなってしまう・・・。こんな日に独りぽっちでベンチに座っている人がいると、その人までも寂しそうに見えてしまうのは気のせいか


マクドナルド昔は此処にみやこというパチンコ屋があったのだ。阿佐谷では最高の立地条件の場所にマクドナルドが進出してきてから、ゆっくりと町は変貌しだしたのだ。右手の工事中のビルは芝仁という果物屋だったのだけど、今度は何になるのかな〜。阿佐谷駅前もだんだんビル化してきたな〜


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