阿佐谷マーキング part8

かつて、東京に一大帝国を作り上げるかに見えた貸本のネギシ読書会も、元はといえばこんな外れのこの小さな店が出発点だったのだ。店番をしていた、いかにもうだつの上がらぬサラリーマンの気配を漂わした貧相な親父が、会長という名に変身するとは人は分からない。しかし、最近は不調なのかパッとした噂をきく事はなくなった。

五叉路にある食事処「玉九」店主の腕前は料理、つまみと何を選んでもどれをとっても大満足。気さくな雰囲気は酒を飲むにも、飯を食うにも最高の店なのだ。夫婦二人の店で奥さんの由美ちゃんはなかなかの美人。亭主のけいちゃんは将棋がなかなかの腕前。俳句もこなし、新年すずしろ句会で棋士・大島賞を獲得し鼻高々。

未だに細々と手作り和菓子の店だが、実はこれがうまいんだな〜!








昔、といっても20年くらい前には弁天池という名の池だったが、いつの間にか駐車場に変身たたりを恐れたか、池の祠はかなり広い空間を取って残された。水のある場所の守り神は蛇なのだろうか、祠右手の棒石の上には蛇が気味悪くとぐろを巻いている。その昔、子供が犠牲になっているのを知っているだけに、写真を撮るのも腰が引けてしまった。

大学が地方に移りだしてからは、阿佐谷から学生の姿が極度に減っていった。ここ阿佐ケ谷けやきプールも、元はといえば中央大学の水泳部のもので合宿所もここにあった。特に水球部の学生が元気よく門限破りでよく遊んでいた。一緒に遊んだあの遊び方からすると中大水球部はあまり強くなかったのかな・・?

車止めの鉄パイプがにょきっと三本、道路に打ち込んである。知るかぎり数10年前からこの状態なのだ。道幅も結構あるし、だいたいこの左側には駐車場しかないのだ。駐車場であるならば車の出入りが良いほどベストだと思うのだが。左の家と駐車場の土地との権利争いでもあって、こんな事になっているのだろうか?わからんな〜!



お〜い!
大丈夫か〜おじいさん











阿佐ケ谷は豆腐屋のメッカとして、なぜTV 局が取材に来ないのかと思わせるほど多い。特筆すべきは河北病院の通りに隣り合わせにある
二軒の豆腐屋はいったいどうなっているんだ。冬の明け方この道は、もの凄い湯気と豆腐の臭いで充満する。その湯気と臭いの中を通り抜けるときの清々しい気持ちよさといったらない是非、経験してみたら!

近くのビルからでも覗かれるのだろうか?
上の窓がなにかで目隠しされている。せっかくの
湯屋玉ノ湯の気配が台無しになってしまっている。台無しといえば下の看板もすごいね〜!もうこうなるとなんでも有りで湯屋として生き残るための必死さが感じられて凄い。写真としてはかなり気に入っているのだ


その昔、少年の頃、伝書鳩を飼うのが流行ったことがある。買ってきては逃がし買ってきては死なれついに少年は挫折した。これは自分のことだが、かなりの人たちが同じ挫折を経験しているのではないかと思う。このような歴史を感じさせる鳩舎を見るたび少年の頃を思い出してしまうのは私だけだろうか。


元中大プールの横にある阿佐ケ谷けやき公園だ。うむ、なになに公園の一部を改修するのか。なるほどね、最近この公園をねぐらにしている女浮浪者のグループがたむろしているからかな。まあ、それはそれにしても、このヘタクソというよりも愛嬌のあるこの字、珍しいよな〜公共の立看とは思えないよな〜。


阿佐ケ谷の町の屋台は、石原物産が一手に仕切っている。三菱銀行の前の名物屋台の叔父さんもそうだ。だいたいの屋台がその管理下にいるものだと思ったが、このはぐれ屋台は違うのだろうか?駅前に出ているのだから、所場代とかの問題などどうなっているのだろう?東京しょうゆ ラーメンこのロゴ気にいった。


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