阿佐谷マーキング part9

御歳69歳、我がバイクチーム会長だった内田さんは、生地でもある会津若松の往復750kの日帰り強行ツーリングを敢行。同行する若者達を後目に現地では温泉に入り酒を飲み意気軒昂。帰宅後も旧鈍我楽に飲みに来る元気さだった。翌年ガンを宣告されながらもダンディな姿で飄々と遊びまわり、颯爽とこの世を去っていった。右の赤いビルが内田さんのお宅

この店の実体は写真屋なのだが実にいろんなものを売っている。証明写真、写真絵皿は分かるとしても、坂本龍馬とダイアナ妃の写真が1200円。立体魚拓?電池交換。ハガキに切手印紙。店外には自動販売機のあらし。タバコ、ジュース、エロ本、コンドーム。もうフルにスペースを使いこなしている。が、いかんせん人通りが少ないのが悩みか?。


阿佐ケ谷でも特にいい雰囲気を醸し出している好きな景色の家である。早稲田通りに近く車の出入りも結構激しい通り沿いにありながら、竹の垣根はこの時代にはあまりにも不用心。昔は皆今阿だった。この垣根にめいっぱいに薔薇の花が絡まり出す。啓蟄も過ぎた頃には、この家の庭からうるさいくらいの蛙の声がグエッツグエッツと聞こえてくるのだ。

町中の裏通りにいきなり現れる西洋館。おんや〜なんだこれ〜!ここは軽井沢か〜!と一瞬目を見張るこの建物。何でまたこんな裏通りにこんな建物を造ったのかな〜!個人住宅?ラブホテル?社宅?・・・表札を見ると伴久ホテルの東京何とかと書いてある。ホテル関係の建物なのか・・・
でもなんか無駄な金かけてる気がするな〜。大きなお世話か。

北口駅前を荻窪方面に回転すしと本屋のビルの間をホテルスカイコートに向かって歩くと右手に屋台路地王がある。なかなかの雰囲気なのだがいかんせん、いわゆるビル風という奴が吹き荒れる場所に位置するので、寒い季節はかなりの覚悟がいる。一時期あちこちに屋台村が流行りだした頃、開店したがこの屋台で3代目。かなりの苦戦を強いられているようだ。

1999年3月に完成を予定しているパールセンターの天蓋の掛け替は着々と進みとうとう駅前の入り口に突き出る形でこんなドームのような鉄骨の骨組みが出来た。これで駅からほとんど雨に濡れずにパールセンターに駆け込めるといった作戦なんだろうな。これってきっと口うるさい阿佐谷人の口撃の的になるような気がするんだけど!


阿佐ケ谷中央公園の一部を閉鎖して作られているこの地震災害設備は、かなりの深さをボーリングしている。100m3掘ると書いてあるが、どうもそんなに掘っているように見えない。工事の連中もテレテレとのんびりしたもので、しょっちゅう休んでいる。どうでも良いけど防火水槽が消防庁の管轄とは、当たり前のようだが知らなかった。

近年はコンビニからスーパーまでペット・フードのコーナーは充実している。中杉通りにあるペット・ショップ・コジマみたいな専門店がやっていけるのは、かなりのペットが、隠れて生活しているは確かなのだ。だが未だに不動産屋の広告はペットお断り。家主に内証でペットを飼っている人たちに同士としてエールを送るのだ。

クリスマスともなるとターキーの丸ごとローストしたものがで〜んとテーブルに鎮座ましますパーティは豪華な雰囲気になるものだ。ここ鳥八の手羽先ローストや焼き鳥は何を食べても美味しくて安いのであど弁舎のお奨めなのだ。風呂帰りの立ち食いもおつなもの。一羽丸ごとローストは予約できるぞ。

中杉通りと早稲田通りのクロスロード。ここから先の中杉通りは鷺宮に向かう。環八よりの角にチェーン店なのだろう大吉という木をふんだんに使ったいい雰囲気の居酒屋がある。不思議なことに阿佐谷地番に面した早稲田通り沿いにある居酒屋はここともう一軒しかないのを知っていた?

もう地域に根ざし過ぎて今更看板なんか無意味。この中華そば屋ぐらいの貫禄になるとそんな思いを抱かせる。店頭に止めたバイクで出前をやっているようなので、一度注文してみようと試みたがお前なんか一見のよそ者に出前なんかしてやるかといった頑固な外構えに気後れしていまだにここのラーメンとは縁がない


リクルート・間組の悪魔の所行に手を貸す杉並区役所と、地域住民の闘いは無視することが出来ない・・・・。北二丁目旧中杉通り沿いから奥にど〜っとだだっ広い空き地がある。ここに11階建てのマンションを建設するというのだ。完成したらこの地域の住民の生活環境は劣悪になることは必定。あまりといえばあまりの所行に無関係な人たちの間にも悲憤の色が


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