★1999   
★2000   ★2001   ★2002   ★2003   ★2004   ★2005   ★2006   ★2007   ★2008   ★2009   ★2010
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2011    ★2012  ★2013  ★2014   ★2015  ★2016

1999年から2015年に【地球号を降りた あの人この人、気になる人々

50音順


12/31
■ナタリー・コール(米歌手)カリフォルニア州ロサンゼルス
12月31日、心疾患などのためロサンゼルスの病院で死去、 65歳。
父は歌手のナット・キング・コール。大学卒業後、75年デビュー曲「ジス・ウィル・ビー」がビルボード全米総合チャート6位を記録し、グラミー賞最優秀R&B女性ボーカル賞、最優秀新人賞に輝く。76年初来日、「Mr. Melody」で東京音楽祭でグランプリを受賞。 77年全「I've Got Love On My Mind」で米総合チャート5位、R&B部門1位に輝く。80年代に入りセールスが落ち込み、薬物中毒に陥って一時活動を休止。88年「ピンク・キャデラック」のヒットで復活、89年「Miss You Like Crazy」でビルボードR&B部門とアダルト・コンテンポラリー部門ともに第1位、全米シングルチャート第7位、全英オフィシャルチャートのシングルランキング第2位、91年父ナット・キング・コールのカバー集「アンフォーゲッタブル (Unforgettable... with Love)」を発表、全米ポップチャートで5週1位の大ヒットを記録、グラミー賞最優秀アルバム賞を受賞した。シングル「アンフォーゲッタブル」は、亡父の音源とのオーバーダブ共演が話題を呼び、同年グラミー賞ソング・オヴ・ザ・イヤーに輝いた。
12/27
■ハスケル・ウェクスラー(米映画撮影監督)イリノイ州シカゴ
27日、 老衰のため米カリフォルニア州サンタモニカで死去、 93歳。
商船乗員をへて、映画スタジオを創設するも閉鎖。撮影助手となる。ドキュメンタリー作品をへて、映画監督アーヴィン・カーシュナーとのコンビで劇映画に進出。66年マイク・ニコルズ監督「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」に起用されアカデミー撮影賞を受賞。その後「夜の大捜査線」「華麗なる賭け」「カッコーの巣の上で」「アメリカン・グラフィティ」などを手がけ、アメリカ映画を代表するカメラマンとなる。75年「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」で2度目のアカデミー撮影賞を受賞。追加撮影を担当した「天国の日々」でもアカデミー撮影賞を受賞した。このほか全米批評家賞やインディペンデントスピリッツ賞など受賞多数。70年リチャード・ピアースと共同製作したベトナム戦争中の米部隊によ る市民数百人に対する虐殺を描いた作品「Interview With My Lai Veterans」ではアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞している。60年代には南カリフォルニア大学で教鞭をとった。
12/24
■うなばらこはる(元漫才師)岡山県高梁市
24日、大阪市内の病院で死去、91歳。
6歳で大衆演劇の子ども座長を務める。43年叔母の梅本キミコ(海原お浜)と漫才コンビを結成。お浜がボケ、小浜がツッコミで、「ハッピーお浜・小浜」と名乗ったが、戦時中は「愛国お浜・小浜」に改名させられた。戦後「さざ波お浜・小浜」に再改名し、さらに漫談家の西条凡児により「海原」に命名。、客席を沸かせた。テレビのワイドショーの先駆け、毎日放送の「千客万来」(65年〜72年)にもレギュラー出演した。75年上方お笑い大賞を受賞。78年お浜が白内障を患ったためコンビ解消。05年度には94年に亡くなったお浜と共に上方演芸の殿堂入りを果たした。姉妹漫才コンビの海原やすよ・ともこは孫。
12/24
■国本武春(浪曲師)千葉県下総町(現・成田市)
24日、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去、55歳。
両親ともに浪曲師。日本工学院専門学校演劇科を卒業。東家幸楽に弟子入りし浪曲師となる。ロックやR&Bなどを取り入れた独自のスタイルを確立し、CDアルバムを多数発表。舞台にテレビアニメ、バラエティなど幅広く活躍した。95年文化庁芸術祭賞演芸部門新人賞、浅草芸能大賞新人賞を受賞。 00年芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)を受賞。99年NHK大河ドラマ「元禄繚乱」、01年「「五瓣の椿」」などにも出演。 ETV「にほんごであそぼ」でうなりやベベン役などで人気を博した。
12/16
■安藤昇(俳優・プロデューサー、作家)東京市豊東大久保(現:東京都新宿区)
16日、肺炎のため死去、89歳。
15歳で感化院に、18歳で多摩少年院に収監。予科練合格で少年院退院、45年伏龍特攻隊に配属されるも終戦。46年法政大学予科に入学するが、47年退学。52年渋谷に東興業を設立。その後、愚連隊「安藤組」を組織し、組長を務めた。58年横井英樹襲撃事件で殺人未遂罪で逮捕、61年前橋刑務所に収監。64年組解散。65年自叙伝を映画化した「血と掟」に主演し映画俳優へ転向。その後、 「網走番外地 吹雪の斗争」などやくざ映画など数十本に出演。 79年「総長の首」出演を最後に俳優を休業。Vシネのプロデュースなどを手がける。「やくざと抗争」「激動 血ぬられた半生」などの著作もある。
12/9
■野坂昭如(作家)神奈川県鎌倉
9日、杉並区の自宅で意識がないのを妻が発見、搬送先の病院で死亡去、85歳。
生後半年で神戸へ養子にだされる。終戦で大阪府守口市などを転々。49年新潟大学に入学するも3日で退学。50年早稲田大学第一文学部仏文科に入学す、56年中退。57年阿木由紀夫の名で放送作家としてのコントを書く。63年小説「エロ事師たち」で作家デビュー。67年「火垂るの墓」「アメリカひじき」で直木賞受賞。焼跡闇市派を名乗り評論活動を行うほか、講談社の編集者・大村彦次郎と「酔狂連」を結成。85年「我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ」で講談社エッセイ賞受賞、97年「同心円」で吉川英治文学賞受賞、02年「文壇」などにより泉鏡花文学賞を受賞した。このほか作詞家として「おもちゃのチャチャチャ」で日本レコード大賞童謡賞受賞。クロード 野坂の名でシャンソン歌手、立川天皇の名で落語家、野末陳平とのコンビ「ワセダ中退・落第」として漫才師など多方面で活動。83年参議院議員通常選挙に第二院クラブの比例代表名簿1位として出馬し当選。同年衆議院議員総選挙に出馬するために議員を辞職。田中角栄元首相の金権政治を批判し新潟3区から立候補するが落選した。
12/8
■小鷹信光(翻訳家・作家)岐阜
8日、膵臓がんのため埼玉県所沢市の自宅で死去、79歳。
早稲田大学第一文学部英文科を卒業。医学書院の編集者となる。翻訳活動を始め、同時にパロディ創作集団「パロディ・ギャング」を結成。独立後、ダシール・ハメットらのハードボイルド小説を中心に翻訳を数多く手がけるほか、評論活動も行った。TVドラマ「探偵物語」の原案者としても知られた。07年「私のハードボイルド」で日本推理作家協会賞。
12/
■あしたひろし(漫才師)東京市下谷区竹町(現:東京都台東区)
3日、老衰のため東京都内の病院で死去、93歳。
大都映画の雑用係、「笑の王国」の端役、歌謡ショー司会者をへて、60年南順子・北ひろしの名でマジック・コントのコンビ結成。その後、どつき漫才へ転向。コンビ名をあした順子・ひろしに改名。76年真打昇進。90年代後半から人気がです。五代目柳家小さん一門(のち五代目鈴々舎馬風一門)。あした順子は弟子で、夫婦ではない。兄はプロ棋士の大野源一。
11/30
■岡本おさみ(作詞家)鳥取県米子市
30日、心不全のため死去、73歳。
日本大学を卒業。放送作家をへて作詞家になる。森進一が歌い日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」のほか、吉田拓郎の「旅の宿」、ネーネーズの「黄金の花」などをの作品を手がる。93年作曲家の水野修孝と組んでミュージカル「泣きたくなったら笑うんだ」を制作。02年夏川りみのアルバムにいくつかの作品を提供。03年アルバム「岡本おさみ アコースティックパーティー with 吉川忠英」が制作された。
11/30
■水木しげる(漫画家)大阪市
30日、多臓器不全で東京都三鷹市の病院で死去、93歳。
鳥取県境港市で育つ。43年夜間中学3年生在学時に召集、ニューギニア戦線・ラバウル方面に出征。復員後、紙芝居作家をへて上京。58年貸本漫画「ロケットマ」で貸本漫画家としてデビュー。63年漫画「悪魔くん」を貸本の東考社から出版。64年雑誌「ガロ」で商業誌デビュー。65年漫画「テレビくん」が講談社児童まんが賞を受賞。漫画「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」が少年漫画誌に、人気作家となる。66年「悪魔くん」が初めてTVドラマ化。68年から「ゲゲゲの鬼太郎」が5度TVアニメ化された。93年、幼少期を過ごした境港市に町おこしとして水木しげるロードが建設され、2003年には水木しげる記念館が開館した。07年「のんのんばあとオレ」でフランス・アングレーム国際漫画祭で日本人初の最優秀作品賞を受賞。73年「総員玉砕せよ!」でアングレーム国際漫画祭遺産賞、米アイズナー賞最優秀アジア作品賞を受賞。世界妖怪協会会長、日本民俗学会会員、民族芸術学会評議委員などを歴任。
1123
■今井洋介(アーティスト)奈川県鎌倉
23日、筋梗塞のため神奈川県鎌倉市の自宅死去、 31歳。
多摩美術大学を中退。英ボーンマン美術大学、 米ワイ州立大学に留学し美術を学ぶ。その後、ノルウェーにも移り住んだのち帰国。12年個展「こんにちワールド」を開く写真家デビュー。13年7月−14年3月までフジテレビ系の番組「テラスハウス」に出演。「ようさん」の愛称で親しまれた。14年シングル「もう一度、手をつなごう」をリリースしミュージシャンとしてもデビューした。この間、ノルウェー人女性と結婚し離婚。
11/20
■北の湖敏満親方(元横綱、日本相撲協会理事長)北海道壮瞥町
20日、朝に救急車で福岡市内の病院に運ばれて入院、死去、62歳。
1966年中学1年で上京、三保ケ関部屋に入門。67年初場所で初土俵。72年初場所に新入幕。74年初場所で初優勝し大関昇進。同年名古屋場所後に21歳2カ月で横綱に昇進、いまも最年少記録。横綱輪島と「輪湖時代」を築いた。生涯戦歴951勝350敗107休(109場所)、幕内戦歴804勝247敗107休(78場所)。幕内最高優勝24回で白鵬、大鵬、千代の富士、朝青龍に次ぐ歴代5位。引退後は一代年寄が認められ北の湖部屋を創設。02年日本相撲協会理事長に就任。08年弟子の不祥事で辞任するも、12年理事長に復帰。協会の公益法人化を実現、観客数増加にも尽力した。
11/15
■阿藤快(俳優)神奈川県小田原市
15日、大動脈破裂胸腔内出血のため東京都新宿区の自宅で事務所関係者らが自宅で倒れ死んでいるのを発見、死去、。病死とみられる。69歳
東京都立大学を卒業。俳優座舞台部に入る。その後役者に転向。主に悪役としてTVドラマや映画で活動。 88年ドラマ「教師びんびん物語」で主人公の同僚教師を演じ人気を得る。近年はグルメや旅番組のリポーターなどとしても活動した。01年「阿藤海」から「阿藤快」に改名。主な出演作に映画「駅 STATION」「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」「20世紀少年 -第1章-終わりの始まり」など。15年10月からTVドラマ「下町ロケット」に出演していた。
11/7
■ガンナー・ハンセン(俳優)アイスランド・レイキャビ
7日、膵臓がんのため米メイン州の自宅で死去、68歳。
5歳で米国移住。テキサス大学オースティン校を卒業、同大学院修了(専攻は英語と北欧文化。74年トビー・フーパー監督「悪魔のいけにえ」で映画デビュー。人の皮で作ったマスクをかぶり、チェーンソーで次々と若者たちを血祭りにあげていく殺人鬼レザーフェイスを演じ、映画は大ヒットした。その後俳優を休業してメイン州で作家活動に専念。09年アイスランドのスプラッターホラー「レイキャヴィク・ホエール・ ウォッチング・マサカー」にカメオ出演、13年3D版「飛びだす 悪魔のいけにえ レザーフェイス一家の逆襲」に特別出演した。13年同作製作秘話を書いた回顧録「Chain Saw Confidential」を出版。16年全米公開予定の脱獄ホラー映画「Death House」の製作・脚本を担当した。
11/2
■加藤治子(女優)年東京市赤坂区(現:港区)
2日、死去、92歳。
松竹少女歌劇学校をへて、37年御舟京子の芸名で松竹少女歌劇団に入る39年東宝映画入りし、榎本健一らと共演。41年劇作家の加藤道夫、俳優の芥川比呂志らの「新演劇研究会」(解散するが、戦後に麦の会として再出発)に参加。46年加藤と結婚。49年合流した「文学座」で加藤作「なよたけ」のヒロインなどを演じる。53年加藤と死別後、俳優で演出家の高橋昌也と再婚。63年高橋や岸田今日子らと劇団「雲」を結成し、「ヘンリー四世」「トロイアの女たち」などに出演。74年高橋と離婚。退団してフリーとなる。TVドラマ出演が多く、「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「だいこんの花」「阿修羅のごとく」などに出演。01年新国立劇場「こんにちは、母さん」(永井愛作)で紀伊国屋演劇賞などを受賞、02年勲四等宝冠章を受章。その後、07年TVドラマ版「こんにちは、母さん」、09年森田芳光監督「わたし出すわ」、10年山田洋次監督「おとうと」などの映画に出演した。
10/31
■佐木隆三(作家)旧朝鮮
、北九市の病院で10月31日死去、78歳。
41年引き揚げ、広島県小田村(現:安芸高田市)で育つ。56年福岡県立八幡中央高校を卒業、八幡製鐵(現:新日本製鐵)に就職。 小説を書き始め、「新日本文学」や「文學界」に発表。60年日本共産党に入党。61年「大罷業」を「別冊日曜作家」に発表。63年「ジャンケンポン協定」で新日本文学賞を受賞。64年八幡製鐵を退職し、執筆活動に専念。76年「復讐するは我にあり」で直木賞受賞。今村昌平監督により映画化もされた。90年「身分帳」で伊藤整文学賞受賞。99年北九州市に移る。06年北九州市立文学館館長に就任、12年まで務めた。09年北九州市立大学特任教授(非常勤)に就任。九州国際大学客員教授も務めた。このほか別府3億円保険金殺人事件をモデルにした「一・二審死刑、残る疑問―別府三億円保険金殺人事件」、富山・長野連続女性誘拐殺人事件をモデルにした「男の責任 女高生・OL連続誘拐殺人事件」などノンフィクション小説を数多く発表。
10/27
■中一弥(挿絵画家)大阪府
27日、肺炎のため津市の病院死去、104歳。
小学生のとき右目失明。27年挿絵画家の小田富弥に入門。29年直木三十五の新聞小説の挿絵でデビュー。池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズをはじめ、山本周五郎や藤沢周平ら、昭和を代表する時代小説作家の挿絵を数多く手掛けた。93年菊池寛賞、14年吉川英治文化賞を受賞。作家の逢坂剛は三男。
10/27
■生頼範義(イラストレーター)兵庫県明石市
27日、肺炎のため死去、79歳。
東京芸術大学美術学部を中退。62年、イラストレーターとして活動を開始。73年東京から宮崎市に転居。80年SF雑誌に「スターウォーズ」のイメージ画を発表、ジョージ・ルーカス監督が続編ポスター用イラストを依頼。80年映画「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」国際版ポスターのイラストが高い評価を得る。同年星雲賞アート部門を受賞。14年みやざきアートセンターで「生頼範義展」を開催。14年度文化庁映画賞で功労賞を受賞。このほか「ゴジラ」シリーズのポスター、「信長の野望」などコーエーのゲーム作品全般のイラストも担当した。
10/16
■盛田幸妃(元プロ野球投手)北海道鹿部町
16日、死去45歳。
函館有斗高校から、87年ドラフト会議1位指名をうけ横浜大洋に入団。主にセットアッパーとして試合に出場し、佐々木主浩とともに「ダブルストッパー」と呼ばれた。92年最優秀防御率のタイトルを獲得。98年近鉄に移籍したが、シーズンに脳腫瘍で手術。99年復帰、01年カムバック賞を受賞し、「奇跡のリリーバー」とも称された。02年現役引退。実働14年間で345試合に登板、47勝34敗29セーブ。なお、94−97年までの登録名は盛田幸希。
10/7
■橘家円蔵(落語家)東京府東京市
7日、心室細動のため東京都内の病院で死去、81歳
52年7代目橘家円蔵に入門、前座名は橘家竹蔵。55年二つ目昇進、橘家舛蔵と改名。65年真打ちに昇進、5代目月の家円鏡を襲名。立川談志らとともに「落語四天王」と呼ばれた。TVやラジオ、CMなどにも多数出演した。82年8代目橘家円蔵襲名。「死神」「らくだ」などの古典を得意とした。78年文化庁芸術祭優秀賞、12年江戸川区文化賞を受賞。06年落語協会相談役に就任。
9/29
■フィル・ウッズ(Phil Woods)(ジャズアルトサックス奏者)
29日、肺気腫の合併症のためペンシルバニアで死去、83歳。
1931年マサチューセッツ州スプリングフィールド生まれ。ジュリアード音楽院やマンハッタン音楽学校など学ぶ。卒業後プロデビュー。68年渡仏、「ヨーロピアン・リズム・マシーン」を結成し録音を残した。72年帰国。アルトサックスの限界まで音を鳴らす豪快なスタイルで知られ、グラミー賞を4回受賞した。ビリー・ジョエルの「素顔のままで」でソリストを務めたことでも知られる。チャーリー・パーカーの未亡人チャン・パーカーと結婚、パーカーの遺児2人の継父となった。
9/27
■ジョン・ギラーミン(英映画監督)年ロンドン
27日、心臓発作のため米カリフォルニア州の自宅で死去、 89歳。
「ターザンと猛獣の怒り」などのほか、アドベンチャー作品を手がけた。主な作品に74年「タワーリング・インフェルノ」、76年「キングコング」、78年「ナイル殺人事件」、86年「キングコング」など。
9/24
■福島菊次郎(報道写真家)山口県下松市
24日、脳梗塞のため死去、94歳。
44年春に出征、広島の部隊に配属。復員後、下松で時計店を営みながら写真撮影。60年写真集「ピカドン ある原爆被災者の記録」を発表、日本写真批評家協会賞特別賞を受賞。61年上京、プロの写真家となり学生運動や三里塚闘争、公害などをテーマに総合雑誌に写真を発表。82年郷里近くの無人島へ移住。88年癌で胃の3分の2を摘出。89年から「戦争責任展」「写真で見る日本の戦後展」を全国各地で開催。03年から著作「写らなかった戦後」シリーズを出版。他の写真集「戦場からの報告―三里塚 1967-1977 」、「戦後の若者たち 」 シリーズ、「瀬戸内離島物語」など
9/24
■川島なお美(女優)名古屋市守山区
24日、胆管がんのため都内の病院で死去、54歳。
青山学院大学文学部英米文学科を卒業。在学中に「シャンペンNo.5」で歌手デビュー。ラジオ深夜番組「ミスDJリクエスト」で人気を博し、82年TV番組「お笑いマンガ道場」に出演。94年映画「新極道の妻たち 惚れたら地獄」、96年TV番組「イグアナの娘」に出演。97年TV番組「失楽園」の主演で知名度があがる。
9/23
■中村勝広(プロ野球阪神タイガース・GM)千葉県九十九里町
23日、ホテルで心肺停止状態で見つかり、救急隊によりその場で死 亡が確認された。病死とみられる。66歳。
71年早稲田大学教育学部(体育専修)を卒業。 ドラフト2位で阪神に入団。3年目で二塁手レギュラーを獲得した。82年現役引退。83−87年まで阪神2軍監督を務め、86年ウエスタン・リーグで優勝。90年1軍監督に昇格。92年2位でAクラス入りしたが、以降は低迷。95年シーズン途中で休養、終了後に辞任。03年オリックスGMに就任。06年オリックス監督に就任したが、5位に低迷し1年で辞任。その後シニア・アドバイザー(SA)を経て球団本部長として09年まで球団に残った。12年阪神GMに就任した。
9/22
■岸朝子(食生活ジャーナリスト)東京
、心不全のため22日死去、 91歳。
主婦だったが主婦の友社の募集に応じ、料理記者となる。 68年から女子栄養大学出版部で月刊誌「栄養と料理」編集長を約10年間務め、料理記者の草分け的存在となる。79年女性ばかりの編集プロダクション「株式会社エディターズ」を設立。93年からTV番組「料理の鉄人」に審査員として6年間出演。 「料理記者歴40年」という肩書と「おいしゅうございます」の表現で知名度が上がった。
9/20
■松原徹(労働組合・日本プロ野球選手会事務局長)神奈川県川崎
20日、膀胱雁のため神奈川県川崎市内の病院で死去、58歳。
神奈川大学を卒業。82年にロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)球団管理部に入社。1軍マネジャーなどを務める。88年中畑清(現:DeNA監督)が労組・日本プロ野球選手会の初代会長を務めていた際に選手会事務局勤務。歴代の会長、事務局長を補佐した。00年同事務局長に就任。04年球界再編問題では古田敦也選手会長らとともに経営側(日本野球機構=NPB)と交渉。大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブとの合併の1年間凍結、新規参入球団を前向きに考えることを要求。プロ野球史上初めてストライキを決行した。
9/20
■安保由夫(作曲家、俳優)群馬県
20日、朝亡くなった。67歳。
1971年から1981年まで唐十郎氏の率いる「劇団状況劇場」に在籍。同劇団の舞台に出演する傍ら、数々の劇中歌を作曲した。退団後も「新宿梁山泊」「劇団3○○」「第七病棟」「劇団唐組」等の劇中歌を手がけ、ライブで自作を披露することも多かった。俳優としては、天願大介監督や林海象監督の映画等に出演。また、スナック「新宿ナジャ」のマスターでもあった。代表作は、出だし「どっどどどどうど」の名メロディがあまりに有名な『唐版風の又三郎』(1974)の事実上の主題歌「風の又三郎」など。
9/13
■庄司永建(俳優)年山形県
15日、膵臓がんのため東京都世田谷区の病院で死去、92歳。
48年民衆芸術劇場附属養成所をへて、劇団民藝に入る。70年民藝を退団してフリーとなる。ドラマや映画の脇役として活動。代表作に舞台「セールスマンの死」、TVドラマ「西部警察」、映画「黒部の太陽」「ミンボーの女」など。
9/13
■八木昌子(女優)東京
13日、誤嚥性肺炎のため東京都内の病院死去、77歳。
青山学院大学を中退。61年俳優座養成所を卒業、文学座に研究生として入る。初舞台は62年「女の一生」。 64年座員となる。主な出演作は舞台「雨空」「十三夜」「苺の香り」など。このほか映画 「エロス+虐殺」「八月の濡れた砂」「泥の河」「釣りバカ日誌スペシャル」「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」など、TVドラマ「はね駒」「翔ぶが如く」「水戸黄門」「春よ来い」などに出演した。父は劇作家の八木隆一郎。
9/5
■原節子(元女優)
9月5日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去、95歳。11月25日わかった。
1920年横浜市生まれ。生活苦のため女学校を中退。35年日活多摩川撮影所に入社、映画「ためらふ勿れ若人よ」でデビュー。37年ドイツのアーノルド・ファンク監督による初の日独合作映画「新しき土」のヒロインに抜擢、一気にスターとなる。その後東宝へ移籍。戦時中は「ハワイ・マレー沖海戦」「決戦の大空へ」「勝利の日まで」など 戦意高揚映画に数多く出演。戦後も化粧品会社のカラーポスターに登場。黒澤明監督の戦後初作品「わが青春に悔なし」に出演。47年東宝を離れフリーとなる。 「安城家の舞踏会」「青い山脈」「お嬢さん乾杯」などの作品に出演。 49年小津安二郎監督と組んだ「晩春」に出演後、61年「小早川家の秋」まで小津作品計6本出演した。62年「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」が最後の映画出演となった。63年小津監督が亡くなり、その通夜への出席を最後に女優業を事実上引 退、表舞台から遠ざかった。
9/1
■中平卓馬(写真家、写真評論家)東京
1日、肺炎のため横浜市内の病院で死去、77歳。
63年東京外国語大学スペイン語学科を卒業。65年 雑誌「現代の眼」編集部に入社。編集者時代に柚木明の名前で作品を発表。68年高梨豊、岡田隆彦、多木浩二らと写真同人誌「Provoke」創刊。70年発表の写真集『来たるべき言葉のために」を発表、森山大道とともにアレ、ブレ、ボケの作風で知られた。73年同人誌解散。同年発表の「なぜ、植物図鑑か」では一転してアレ、ブレ、ボケの作風を否定し、情緒を廃したカタログ写真や図鑑の写真のような写真をめざした。77年酔いつぶれて昏睡状態に陥る。意識は回復したが言語と記憶に障害が残る。79年アサヒカメラに「沖縄−写真原点I」を発表し復活。
■ウェス・クレイブン(米映画監督)オハイオ州クリーブランド
30日、脳腫瘍を患っていたが、死去、76歳。
ジョンズ・ホプキンス大学を卒業。ウェストミンスター大学とクラークソン大学で教鞭を執る。で映画界に進出後、編集を経験。72年「鮮血の美学」でデビューした。ホラー映画、スプラッター映画で知られる。主な監督作品に84年「エルム街の悪夢」、88年「ゾンビ伝説 」、96年「スクリーム」など。
■オリバー・サックス(英作家、脳神経科医)英ロンドン
30日、がんのためニューヨークの自宅で30日死去、82歳。
オックスフォード大学で医学修了。1962年カリフォルニア大学ロサンゼルス校で神経医学の研修医となる。60年代に米国に移住。 62年カリフォルニア大学ロサンゼルス校で神経医学の研修医となり、65年ニューヨークに転居。アルバート・アインシュタイン医科大学教授などを務めた。07年コロンビア大学医科大学院教授となる。アルバート・アインシュタイン医科大学神経科臨床医学教授、ニューヨーク大学医学部非常勤教授でもあった。また、サックスは貧民救済修道女会の顧問神経学者でもある。2008年大英帝国勲章(CBE)を受賞。一方で73年嗜眠性脳炎後遺症の患者を描いた「レナードの朝」がベストセラーになる。90年ロバート・デニーロ主演で映画化、ロビン・ウィリアムズがサックスをモデルにした医師を演じた。他の著書に 「音楽嗜好症」「妻を帽子と間違えた男」「火星の人類学者」など。
8/25
■六代目宝井馬琴(講談師)静岡市
25日、死去、 80歳。
明治大学文学部英米文学科を卒業。五代目宝井馬琴 に入門。前座名、琴調で高座にあがる。66年真打ちに昇進し、琴鶴となる。87年六代目馬琴を襲名。講談の原点である軍談を得意とする一方、新作などにも取り組んだ。講談協会会長も務めた。
8/24
■秋田Aスケ(漫才コンビ「秋田Aスケ・Bスケ」)徳島県
24日、糖尿病性腎症のため大阪市内でひとり暮らしの自宅で亡くなっているのを親族が発見した。93歳。
35年大阪にでて服地屋(ラシャ屋)で働く。38年ころ「上方漫才の父」と呼ばれた漫才作家・秋田実が吉本興業で開いた漫才道場に応募、第一期研修生となる。。しかし、コンビを組んだ弟が死去。46年新コンビを結成し、秋田実主宰のお笑い劇団「宝塚新芸座」に参加した。50〜60年だにかけ軽妙なしゃべくり、二代目Bスケの猿のものまねで人気を集め、「夢路いとし・喜味こいし」らと人気を競った。弟子に横山ノックらがいる。
8/17
■柳原良平(イラストレーター、画家)東京
17日、呼吸不全のため横浜市内の病院で死去、84歳。
京都市立美術大学(現:京都市立芸大学)を卒業。寿屋(現:サントリーホールディングス)宣伝部に入社。作家の山口瞳や開高健らと広告制作を担当。トリスウイスキーのキャラクター「アンクルトリス」で毎日産業デザイン賞、電通賞などを受賞。59年サントリー退社。60年久里洋二・真鍋博と「アニメーション三人の会」を結成。64年に退社。絵本作家として「かお かお どんなかお」などの作品を手掛けた。77年横浜文化賞、87年運輸大臣賞、90年運輸省交通文化賞をそれぞれ受賞。
8/3
■阿川弘之(作家)広島市
3日、老衰のため東京都内の病院で死去、94歳。
42年東京大学国文科を卒業。同年海軍予備学生として入隊、翌年海軍中尉として中国へ。21年復員。志賀直哉に師事。27年長編「春の城」で読売文学賞を受賞。その後も「雲の墓標」「暗い波濤」「軍艦長門の生涯」など戦争小説したほか、海軍軍人に題をとった評伝、紀行文や私小説的な短編を数多く発表。60年「なかよし特急」で産経児童出版文化賞を受賞するなど、児童書も手がけた。99年文化勲章受章。日本芸術院会員。「山本五十六」で新潮社文学賞、「米内光政」「井上成美」で日本文学大賞、「志賀直哉」で野間文芸賞および毎日出版文化賞、「食味風々録」で読売文学賞など受賞。法学者の阿川尚之は長男、エッセイストの阿川佐和子は長女。

7/31
■加藤武(俳優、劇団文学座代表)東京市京橋区
31日、スポーツジムのサウナで倒れ、東京都内の病院で死去、86歳。
早稲田大学英文科を卒業。英語教師をへて、52年文学座研究所に入る。同年「狐憑」で初舞台。59年正式座員となり、「美しきものの伝説」「富島松五郎伝」などの舞台に出演。 74年小沢昭一や山口崇、永六輔らと芸能座を結成するも、80年解散し文学座に戻る。85年吉永仁郎原作「芝居 月もおぼろに」を演出。映画では53年今井正監督「にごりえ」に端役で出演後、黒澤明監督の作品8本にでる。ほか「仁義なき戦い」シリーズ、76 年「犬神家の一族」など市川崑、浦山桐郎、今村昌平らの監督に重用された。TVドラマでは「警部マクロード」で上司役の吹き替え、時代劇「真田太平記」「風林火山」のほか、「釣りバカ日誌」やリメイク版「日本沈没」などに出演した。東京やなぎ句会の同人で俳号は「阿吽」。

7/30
■リン・アンダーソン (米カントリー歌手)年ノースダコタ州グランドフォークス
30日、心不全のため米テネシー州の病院で死去、67歳。
66年19歳で歌手デビュー。70年代初頭に「ローズ・ガーデン」が世界的にヒット、グラミー賞の最優秀女性カントリー歌手部門を受賞。このほかアカデミー・オブ・カントリーミュージック賞「最優秀女性ボーカル賞」を2度受賞、カントリーミュージック協会賞「女性ボーカリスト賞」を受賞するなど、 数多くの賞に輝いた。馬術選手としても活動。晩年は飲酒運転による交通事故など不祥事を相次いで起こしていた。
7/21
■川崎敬三(俳優、司会者)神奈川県川崎市
21日、神奈川県川崎市の病院で死去、82歳。11月24日わかった。
54年大映映画「こんな奥様見たことない」でデビュー。57年「哀愁列車」で初主演し、二枚目スターとして山本富士子や若尾文子など人気女優と共演した。60−70年代にかけ「喜劇 初詣列車」など喜劇映画に出演。江利チエミ主演のTVドラマ「サザエさん」ではマスオ役を演じた。74−85年までTVワイドショー「アフタヌーンショー」の司会を務めた。90年に「世にも奇妙な物語」などに出演以降、実質的な芸能活動はほとんどなかった。
7/20
■鶴見俊輔(哲学者、評論家)東京都港区
20日、肺炎のため京都市左京区の病院で死去、93歳。
東京府立五中を退学後、38年渡米。ハーバード大学哲学科に入学。42年アナキスト容疑で逮捕。拘置中に卒業論文が受理され捕虜交換船で帰国。 43年海軍軍属としてジャワ島勤務。46年姉で社会学者の鶴見和子、政治学者の丸山真男、経済学者の都留重人らと「思想の科学」を創刊、96年まで続いた。49年京都大学助教授、54年東京工業大学助教授、61年同志社大教授に就任。70年大学紛争で同志社大学教授を退任。以降は大学を離れ著述・言論活動を行った。60年安保では国会の強行採決に東工大を辞して抗議。65年作家の小田実らと「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を結成、米脱走兵の支援などを行った。04年護憲の立場から「九条の会」の呼び掛け人にも名を連ねる。主著に「共同研究 転向」(共著)、「高野長英」など。大仏次郎賞を受けた「戦時期日本の精神史」で大仏次郎賞受賞、94年朝日賞を受賞。父は政治家の鶴見祐輔。母方の祖父は明治・大正期の政治家、後藤新平。
7/10
■オマ―・シャリフ(エジプト俳優)エジプト・アレクサンドリア
10日、心臓発作のためエジプト・ カイロの病院で死去、83歳。
カイロ大学で数学を学ぶ。卒業後はイギリスへ留学し、ロンドンの王立演劇アカデミーで演技を学ぶ。帰国後、 55年「砂漠の悪魔」で映画デビュー。62年「アラビアのロレンス」に出演、砂漠の民ベドウィンの部族長の演技でアカデミー賞助演男優賞の候補なる。ほか、「ドクトル・ジバゴ」「うたかたの恋」などに出演。03年「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」でセザール賞最優秀男優賞受賞。同年ヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞を受賞。
7/10
■入船亭扇橋(落語家)東京都青梅市
10日、呼吸不全のため死去、84歳。
57年26歳で三代目桂三木助に弟子入り、桂三木助が亡くなったあとは五代目柳家小さん門下。70年真打ちに昇進、九代目入船亭扇橋を襲名。「芝浜」「文七元結」など古典落語を得意とする。81年映画「の・ようなもの」、89年「キッチン」に出演。82年 文化庁芸術祭大賞、83年芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した。10代のころから俳句を嗜み「光石」の俳号を持つ俳人でもあり「東京やなぎ句会」の宗匠、俳人協会の会員でもあった。
7/8
相倉久人(音楽評論家)東京
8日、胃がんのため死去、83歳。
東京大学文学部美学美術史学科を中退。在学中にジャズ評論を始め、「ミュージック・ライフ」誌でデビュー。59年本格的に執筆活動に入り、「スイングジャーナル」誌などに執筆。 ジョン・コルトレーン、ジャズ革命論などで人気を博す。67年同誌と決別。70年ジャズ評論から退く。同年松田政男、佐々木守らと「批評戦線」を結成、雑誌「第二次・映画批評」を創刊。72年ディープパープル来日公演を機にロック評論を始める。

7/8
■石田長生(ギタリスト)大阪府八尾市

1952年7月25日 - 2015年7月8日早朝永眠、享年62歳。
今年3月に食道にがんが見つかり治療に専念するためライブ活動を休止し、入院していることなども、自らのブログで公表、
74年大塚まさじの録音「ザ・オリジナル・ディラン」に参加、レコーディング・デビュー。75年渡米。
帰国後、ブルースバンド「ソー・バッド・レビュー」などを結成。
1989年にCharとアコースティック・デュオ「馬呆(BAHO)」を結成。全国的に名前が知られるようになる。
1996年、我が町阿佐ヶ谷に移住。石やんの愛称で町の仲間達からも愛され親しまれていた(俺も親しくしていたので無念を押さえきれない)。
2003年、3月には阪神タイガースの球団公認応援歌「嵐は西から」の作詞・作曲・プロデユースを手がけている。
活動の中心を旅をテーマに全国各地をまわる「石やん一人旅」を始める。
また、南米(ブラジル、アルゼンチン、ペ ルー)や南太平洋(サモア、トンガ、フィジー)及びジャマイカ、メキシコなどにも渡り演奏するワールドワイドな活動を展開。
小笠原諸島にてライブを行った事をきっかけに小笠原諸島に魅せられ、その後十数回に渡り渡航。
ライブ活動の他、現地の人達との交流を深め、オリジナル小笠原島唄メBoninの島モを作詞作曲。

7/7
菊地雅章(ジャズ・ピアニスト、キーボード奏者)東京
7日、米ニューヨークの病院で死去、75歳。「プーさん」の愛称で親しまれる。
東京芸術大学音楽学部作曲科を卒業。58年プロデビュー。66年「渡辺貞夫カルテット」に参加。67年の日野皓正と「日野・菊地クインテット」を結成。68年ソニー・ロリンズの日本ツアーに帯同、同年バークリー音楽大学に留学。69年帰国。70年代からは米国に拠点を移し、ギル・エバンス・オーケストラやマイルス・デイビス・グループでも演奏。1968年にはソニー・ロリンズの日本ツアーに帯同し、同年バークリー音楽大学に留学。 1969年に帰国。1970年発表のアルバム『Poo-Sun』では、 マイルス・デイヴィスが押し進めていたエレクトリック・ジャズの手法を、日本ではいち早く体現。代表アルバムに「ススト」「テザード・ ムーン」など。

6/22
■ラウラ・アントネッリ(伊女優)イタリアのポーラ
22日、心臓発作のためローマ近郊ラディスポリの自宅で死去、73歳。
幼少期にジェノヴァ、ベネツィアをへて、ナポリに移住。TVドラマ出演をへて、65年映画に初出演。69年マゾッホ原作の「毛皮のヴィーナス」で初主演。71年「クロツグミの男」などでセクシーな役を演じる。73年サルヴァトーレ・サンペリ監督「青い体験」がヨーロッパで大ヒットし、ナストロ・ダルジェント賞主演女優賞を受賞。75年「続・ 青い体験」にも出演。70年代のヨーロッパを代表するセックス・ シンボルとなる。75年ルキノ・ヴィスコンティ監督「イノセント」、80年エット レ・スコラ監督「パッション・ダモーレ」など名匠の作品にも出演した。91年麻薬(コカイン)所持の容疑で、3年半の禁錮刑。
6/22
■ジェームズ・ホーナー(米映画音楽作曲家)カリフォルニア州・ロサンゼルス
22日、カリフォルニア州サンタバーバラで飛行機墜落事故のため死去、61歳。
英国王立音楽アカデミーにおいてジェルジ・リゲティの元で作曲を学び、その後南カリフォルニア大学にて学士号を習得した。UCLAの大学院に進み、修士号を取得した後、同大学で教鞭をとっていたが、 ロジャー・コーマンに見出され『ジュラシック・ ジョーズ』、『赤いドレスの女』、『モンスター・ パニック』、『宇宙の7人』で作曲を手がけた。やはりコーマンの下で働いていたジェームズ・キャメロンとは『エイリアン2』、『タイタニック』で組む事になる。UCLAで音楽理論を教えていた強みからか、シンフォニックなものから『コクーン』や『ニューヨーク東8番街の奇跡』のジャズ風のものまで幅広いスタイルを駆使するが、自身の過去の作品やクラシック音楽といった既成曲との類似を指摘される事が多々ある。
6/20
■音羽山貞博親方(元大関貴ノ浪)青森県三沢
20日、急性心不全のため大阪市内のホテルで死去、43歳。
三沢第二中学時代に年寄藤島(のち二子山、元大関貴ノ花)に勧誘され入門。87年3月場所本名の浪岡で初土俵。94年初場所後に大関昇進。2度優勝した。 大関37場所在位。04年夏場所限りで現役引退。通算成績777勝559敗13休。その後は、貴乃花部屋付きの親方として後進の指導にあたった。 06年心臓の症状が悪化し、心房細動や敗血症などを併発し緊急入院したが回復。15年春場所から土俵下で審判員を務めていた。
6/

6/18
■室伏鴻(舞踏家、振付師)東京
18日、心筋梗塞のためメキシコ市で死去、68歳。
69年土方巽に師事。72年麿赤兒らと「大駱駝艦」を旗揚げ。女性だけの舞踏集団「アリアドーネの會」をプロデュース。76年舞踏派「背火」を主宰、福井県五太子町(現:福井市)に劇場「北 龍峡」を開く。78年「最期の楽園」のパリ上演が1カ月のロングラン、舞踏が「BUTOH」として世界に認知されるきっかけとなる。00年日本での活動を本格再開、神楽坂die pratzeで「Edge」
6/18
■たてかべ和也(声優)北海道喜茂別町
18日、急性呼吸器不全のため東京都内で死去、80歳。
東京育ち。日本大学芸術学部演劇学科を卒業。 79−05年までTVアニメ「ドラえもん」でジャイアンの声を担当、ほかタイムボカンシリーズのトンズラーッターマン)、「超電磁ロボ コン・バトラーV」 の西川大作などを務める。05年日本映画批評家大賞で大山のぶ代ら「ドラえもん」のオリジナルレギュ ラー陣4人とともに田山力哉賞を受賞。06年アニメーション神戸で同じくオリ ジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞。07年東京国際アニメフェア 2007で同じくオリジナルレギュラー陣4人と功労賞を受賞。
6/11
■高橋治(作家)千葉県
13日、肺炎のため死去、86歳。
旧制四高をへて、53年東京大学国文科を卒業。松竹に入社。小津安二郎監督の下で映画「東京物語」の助監督を務める。60年「彼女だけが知っている」で監督デビュー。65年松竹を退社。舞台の演出や戯曲の執筆などをへて、作家活動に入る。84年「秘伝」で直木賞受賞。88年「名もなき道を」「別れてのちの恋歌」で柴田錬三郎賞、96年「星の衣」で吉川英治文学賞を受賞した。85年富山市八尾町の行事「おわら風の盆」を舞台に描いた小説「風の盆恋歌」が話題となる。このほかシベリア出兵を描くノンフィクション「派兵」、小津の人物伝「絢爛たる影絵」など多彩な作品がある。
6/11
■オーネット_コールマン(米ジャズミュージシャン、作曲家 Ornette Coleman)テキサス州フォートワース
11日、心不全のためニューヨークで死去、85歳。
ジャズ・サックス奏者。アルトサックスの他、トランペットやヴァイオリンもこなす。1960年代の、フリージャズの時代を牽引した。学生時代は、R&Bやビバップを演奏していたという。ニューオーリンズやバトン・ルージュで演奏をした後、西海岸のロサンゼルスへ演奏旅行。最初テナー・サックスを始め、後にアルト・サックスに転向した。ロサンゼルスのコンテンポラリー・レコードと契約し、1958年、ドン・チェリーらを従えて初のリーダー・アルバム『サムシング・ エルス!!!!』を発表。同レーベルではアルバム2枚の録音を残した。その後、オーネットの才能を高く評価していたジョン・ルイス(MJQ)の勧めでニューヨークに移り、1959年にアトランティック・レコードに移籍。そして、チャーリー・ヘイデンやドン・ チェリーらと、『ジャズ来るべきもの』『フリー・ジャズ』といった実験的な前衛作品を発表。カントリー・ブルース・シンガーが、ジャズを演奏しているようだ、とも評された。、65年「ゴールデン・サークル」など前衛的なアルバムを制作。オーネットが生み出した新しい音楽は、一大センセーションを巻き起こし、60年代のフリージャズの時代を牽引した。07年ピューリッツァー賞、グラミー功労賞を受賞。
5/30
■小泉博(俳優)神奈川県鎌倉
30日、間質性肺炎のため東京都内の病院で死去、88歳。
48年慶応大学経済学部を卒業、アナウンサーとしてNHKに入局。51年東宝ニューフェイスに合格し、映画「青春会議」で主演。江利チエミ主演の映画「サザエさん」シリーズでマスオ役を務めたほか、映画「ゴジラ」「ゼロの焦点」 「次郎長三国志」シリーズ、TV番組「咲子さんちょっと」「鬼兵犯科帳」などに出演。「クイズ・グランプリ」「おはよう日本」などで司会を務めた。

5/28
■今いくよ(漫才師)京都市
28日、胃がんのため入院先の大阪府内の病院で死去、67歳。
京都明徳高校を卒業。会社に務めをへて、70年高校の同級生だった今くるよと漫才師の今喜多代に 弟子入り。 73年漫才コンビ「今いくよ・くるよ」を結成し、初舞台を踏む。細い体形と厚化粧が持ち味。84年上方漫才大賞、咲くやこの花賞を受賞。本格女流漫才コンビとして知られた。
5/28
■今井雅之(俳優、演出家)兵庫県日高町
28日 、先月記者会見で末期がんであることを公表していたが、大腸がんのため東京都内の病院で死去、54歳。
兵庫県立豊岡高校卒業後、80年陸上自衛隊に入隊、81退職。86年法政大学文学部英文学科を卒業。86年奈良橋陽子演出「MONKEY」で演劇デビュー。96年映画「静かな生活」で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。エル・カンパニーを設立。お笑い芸人がタイムスリップして太平洋戦争中の特攻隊員になるという 演劇「THE WINDS OF GODS」の原作・脚本を手がけ、88年から国内外で上演。95年映画化。98年米ニューヨークでオフ・オフ・ブロードウェイで公演。その後TVドラマになり、 06年全編英語で再度映画化された。出演作に映画「THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE-」「デビルマン」 「ストロベリーナイト」「極道の妻たち Neo」など。
5/27
■クリストファー・リー(英俳優)ロンドン
27日、呼吸器系および心臓系の疾患で入院していたがロンドンで死去、93歳。
第2次世界大戦後に俳優として活動を始める。58年映画「吸血鬼ドラキュラ」以降、ドラキュラ伯爵役を数多く務め、 怪奇映画の大スターとして知られる。ほか「白夜の陰獣」ラスプーチン役、「007 黄金銃を持つ男」スカラマンガ役、「三銃士」ロシュフォール役など、悪役を数多く務めた。01年「ロード・オブ・ ザ・リング」サルマン役、05年「チャーリーとチョコレート工 場」ウィルバー・ウォンカ役、08年「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」ドゥークー伯爵役あんど近年も映画出演をつづけていた。出演作は250本にのぼり、世界で最も多くの映画に出演した俳優としてギネス登録されている。
5/27
■今福将雄(俳優)福岡県飯塚市
27日、心筋梗塞のため自宅で5月死去、94歳。
旧制福岡県立嘉穂中学(現:福岡県立嘉穂高校)を卒業後、九州飛行機の技師となる。終戦直後、NHK福岡放送劇団に入団してラジオドラマに出演、その後TVドラマにも進出。 66年文学座入団。NHK連続テレビ小説「藍より青く」、大河「峠の群像」、映画「日本のいちばん長い日」「トラック野郎・一番星北へ帰る」など多数に出演した。
5/26
■富田勝(元プロ野球選手)大阪市
、大阪市内の病院で26日死去、68歳。
法政大学で同期だった山本浩二、田淵幸一ととともに、「法政三羽ガラス」と呼ばれた。69年ドラフト1位で南海(現:ソフトバンク)に入団。73年巨人に移籍、長嶋茂雄の控えとして三塁を守った。76年張本勲とのトレードで日本ハムに移り、77年から2年連続打率3割超を記録。81年中日に移籍し、翌年引退。プロ13年間で通算1087安打、107本塁打、541 打点、126盗塁。通算打率は2割7分。
5/17
■車谷長吉(作家)年兵庫県
17日、自宅で倒れているところを妻の高橋順子さんが発見。誤嚥による窒息のため東京都文京区の病院死去、69歳。
慶応大学文学部独文科を卒業。広告代理店や出版社に勤務しつつ、72年処女作「なんまんだあ絵」で新潮新人賞候補。退社後、関西で住所不定の生活を送る。93年「鹽壺の匙」で芸術選奨文部大臣新人賞と三島由紀夫賞を受賞。 97年「漂流物」で平林たい子文学賞受賞、表題作は芥川賞候補になる。 98年「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞。01年「武蔵丸」で川端康成文学賞を受賞した。
5/14
B.B.キング(米ブルースギタリスト、歌手)ミシシッピ州イッタベーナ
20年以上糖尿病を患っていたが、14日ネバダ州ラスベガスで死去、 享年89歳。 
8歳でテネシー州メンフィスに移る。49年レコードデビュー。51年シングル「3O'clock Blues」がR&Bチャートの1位を記録。64年「Rock Me Baby」を発表。70年「Thrill Is Gone」 のリメイクでグラミー賞を受賞。93年アルバム「Blues Summit」でグラミー賞を受賞。98年初のセルフ・プロデュース作品「Blues on the Bayou」でグラミー賞を受賞。これまでに50枚以上のアルバムをリリース、「キング・オブ・ブルース」と称された。「ルシール」と命名したギブソン製のギターでも知られ、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、キース・リチャーズなど多くのギタリストに影響を与えた。

5/3
■長田弘(詩人)福島市
3日、胆管がんのため東京都杉並区の自宅で死去、75歳。
早稲田大学第一文学部を卒業。60年詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。65年詩集「われら新鮮な旅人」でデビュー。他の著書に散文詩集「深呼吸の必要」「記憶のつくり方」など。71-72年までアイオワ大学国際創作プログラム客員詩人を務めた。アメリカ文学者で早稲田大学教授の青山南は弟。
5/3
■滝田裕介(俳優)東京都世田谷区
3日、がんのため横浜市の病院で死去、84歳。
早稲田大学演劇科を中退後、劇団俳優座の養成所2期生となる。「事件記者」などのTVドラマや映画、舞台に数多く出演。海外ドラマ「ベン・ケーシー」の主人公の声ほか、映画「スター・ウォーズ」シリーズや「ジョーズ」で主役及び重要なキャラクターの声の吹き替えも行った。
5/2
■柳生真吾(園芸家)東京都

2日、咽頭がんのため甲府市内の病院で死去、 47歳。
玉川大学農学部を卒業。八ヶ岳倶楽部代表。99年NHK「趣味の園芸」のキャスターとなる、その後や同教育テレビ「モリゾー・キッコロ 森へいこうよ!」などのTV番組に出演。「柳生真吾の雑木林はテーマパークだ!」「まる得マガジン 柳生真吾のガーデニング入門」ほか園芸に関する著書多数。俳優の柳生博は父。


5/2
■ルース・レンデル(英推理作家)ロンドン
2日、1月に脳卒中を起こし、危篤状態となっていたが、ロンドンで死去、85歳。
エセックス・ラウトンの女子校を卒業。地元紙「チグウェル・タイムズ」 の記者となる。64「薔薇の殺意」で小説家デビュー。TVドラマ化された代表作「ウェクスフォード警部」シリーズ、異常心理を描くサイコスリラー「殺す人形」など、60作以上がある。バーバラ・ヴァイン(Barbara Vine)名義でも作品を発表している。英国推理作家協会がその年の最優秀長編に与える「ゴールド・ダガー賞」を通算4度受賞。97年一代貴族に叙された。20歳でドン・レンデルと結婚、75年離婚。その後再婚している。
映画化された作品
『ロウフィールド館の惨劇 パラノイド殺人事件 A Judgement In Store 』(86年未公開 アメリカ 監督:オウサマ・ラーウィ 主演:リタ・トゥシンハム/ジャッキー・バロウズ)
『身代わりの樹 Tree of Hands 』(1989年 イギリス 監督:ジャイルズ・フォスター 主演:ヘレン・シェイヴァー/ローレン・バコール)
『わが目の悪魔 Der Mann nebenan 』(1991年未公開 ドイツ=アメリカ 監督:ペトラ・ハフター:主演;アンソニー・パーキンス/ソフィー・ウォード)
『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇 La C屍士onie』 (1995年 フランス=ドイツ 監督:クロード・シャブロル:主演;イザベル・ユペール/サンドリーヌ・ボネール)
『ライブ・フレッシュ Live Flesh 』(1997年 スペイン=フランス 監督:ペドロ・アルモドバル 主演:リベルト・ラバル/ハビエル・バルデム)
『石の微笑 La Demoiselle d'honneur 』(2004年 フランス 監督:ロード・シャブロル 主演;ブノワ・マジメル/ローラ・スメット)

4/30
ベン・E・キング(米ソウル歌手)ノースカロライナ州
30日、ニュージャージー州の自宅で死去、76歳。
58年リードシンガーとしてR&Bグループ「ドリフターズ」に加入。「ダンス・ウィズ・ミー」「ラストダンスは私に」などのヒット曲をだす。60年ドリフターズを脱退、ソロ歌手に転向。61年「スタンド・バイ・ミー」が大ヒット。スタンダードナンバーとしてジョン・レノンをはじめ多くの歌手がカバーし、86年映画「スタンド・バイ・ミー」の主題歌に起用されてリバイバルヒットした。ベン・E・キング・スタンド・バイ・ミー財団を設立し、慈善活動を行った。

4/22
■萩原流行(俳優)東京都世田谷
22日、東京都杉並区青梅街道新高円寺で交通事故を起こし搬送された病院で死去、62歳。バイクで転倒し自動車に轢かれたとみられる。
世田谷学園高校を卒業。82年劇団つかこうへい事務所に入る。同年つかの戯曲を元に製作された映画「蒲田行進曲」に出演、注目される。その後、映画「里見八犬伝」、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の ほか、TV旅番組などに出演。
4/22
■船戸与一(作家)山口県下関
22日、胸腺がんのため死去、71歳。
早稲田大学法学部を卒業。在学中は探検部に所属し世界各地を放浪。卒業後は出版社勤務をへて、79年「非合法員」で作家デビュー。海外を舞台とした冒険小説に定評があり、外浦五郎の筆名で漫画「ゴルゴ13」の原作を手がけたこともある。92年「砂のクロニクル」で山本周五郎賞、00年「虹の谷の五月」で直木賞を受賞。日本冒険小説協会大賞を計6回受賞。15年日本ミステリー文学大賞を受賞した。他の作品に「山猫の夏」「蝦夷地別件」「満州国演義」(全9巻)など。
4/21
■加瀬邦彦(作曲家・音楽プロデューサー)東京
21日、東京都内の自宅死去、自殺とみられる。74歳。
慶応大学を卒業。在学中にバンド「ザ・トップビーツ」を結成。その後、ホリプロ所属で清野太郎、かまやつひろしらと「キャノンボール」を結成。「ザ・スパイダース」「寺内タケシとブルージーンズ」への参加をへて、66年加山雄三が名付け親となる「ザ・ワイルドワンズ」を結成、渡辺プロに移籍。デビュー曲「想い出の渚」がヒットする。71年解散、その後は作曲家や沢田研二のプロデューサーとして活動、、 「危険なふたり」「TOKIO」を手がけた。81年日本劇場取り壊しにともなう最後の日劇ウエスタンカーニバルで ザ・ワイルドワンズを再結成。「ケネディハウス銀座」のオーナーや 「加山雄三&ハイパーランチャーズ」のプロデューサーとしても活動した。
4/16
■白川道(作家)中国・北京
16日、死去、68歳。
戦後に引き揚げた神奈川県平塚市で育つ。一橋大学社会学部を卒業。大手電機メーカー、広告代理店、先物取引会社、投資顧問会社など数多くの職業を経験。インサイダー取引等で懲役3年の実刑判決を受ける。94年49歳のとき「流星たちの宴」で作家デビュー。01年「天国への階段」で山本周五郎賞候補作。他の著書に「単騎、千里を走る」「神様が降りてくる」など。
4/14
■小島功(漫画家)東京
14日、脳出血のため東京都内の病院で死去、87歳。
川端画学校、太平洋美術学校を中退。49年独立漫画派の一員としてプロデビュー。56年雑誌「アサヒ芸能」で「仙人部落」の連載を開始。59年独立漫画派が解散、64年日本漫画家協会と漫画集団の設立に参加。65年より約18年の深夜番組「11PM」にレギュラー出演。68年「にほんのかあちゃん」で文藝春秋漫画賞を受賞。74年より「ビッグコミックオリジナル」で「ヒゲとボイン」の連載開始。同年日本酒メーカー・黄桜のキャラクター「河童」のキャラクターデザインを初代キャラクターデザイナー清水崑より引き継ぐ。92−00年まで日本漫画協会の理事長を務めた。

4/16
■愛川欽也(俳優、タレント)年東京市豊島区巣鴨
16日、前日に自宅から救急車で病院へ搬送されたが、容体が急変し死去、 80歳。。
埼玉県育ち。 浦和高校を中退。54年俳優座養成所に入所。その後劇団三期会をへて、愛川企画室を設立。ジャック・レモンの吹き替えなど声優として活動。71年より深夜番組「パックインミュージック」でパーソナリティを務め、キンキンの愛称で人気を得る。74年映画「さよならモロッコ」で監督・主演も務める。74年より深夜番組「11PM」の司会を86年まで務める。75年長距離トラック運転手を主人公とした映画を企画、「トラック野郎」全10作シリーズに出演した。TV番組「なるほど!ザ・ワールド」の司会などでも知られた。ほか「西村京太郎トラベルミステリー」など2時間ドラマにも多数出演。劇団「キンキン塾」を創設。10年東京・中目黒に小劇場「キンケロ・シアター」を建設した。タレントのうつみ宮土理は妻。
4/13
ギュンター・グラス(独ノーベル文学賞作家劇作家、版画家、彫刻家)ポーランド北部グダニスク
1927年10月16日 - 2015年4月13日  リューベックの病院で死去、87歳。
15歳で労働奉仕団・空軍補助兵、17歳で武装親衛隊に入隊。敗戦後は、米軍捕虜収容所で半年間の捕虜生活を送る。その後、デュッセルドルフで石工として働きながら美術学校に通う。58年朗読による作家・批評家同士の作品発表の場「47年グループ」に認められる。59年長編小説「ブリキの太鼓」を発表、戦後ドイツを代表する作品となり、のち映画化される。同作は「猫と鼠」「犬の年」とあわせダンチヒ3部作として知られる。1999年ノーベル文学賞を受賞
4/9
■三條美紀(女優〉京都市右京区
9日、鬱血血性心不全で死去、86歳。
東京都立桜水女子商業学校(現:杉並総合高校)を卒業。大映東京撮影所経理課に勤務、演技課へ異動し女優デビュー。三益愛子主演「母ものシリーズ」、黒澤明監督「静かなる決闘」、山本薩夫監督「暴力の街」、阪東妻三郎主演「王将」などに出演。52年南米ウルグアイ国際映画祭に参加。55年東映に移籍、 60年代からTVドラマに数多く出演した。
4/2
■マノエル・ド・オリベイラ(ポルトガルの映画監督)ポルト
2日、ポルトガル北部ポルトの自宅で死去、106歳。
31年初作品を発表し監督デビュー。いく度かの休眠期間をへて60歳以降に本格的に作品を制作。71年63歳で「過去と現在 昔の恋、今の恋」を監督し、世界的注目を集める。06年97歳でルイス・ブニュエル監督「昼顔」のオリジナル続篇「夜顔」を監督。07年カンヌ国際映画祭オムニバス映画「それぞれのシネマ」に参加、3分の短篇を撮る。同年「コロンブス 永遠の海」、09年「ブロンド少女は過激に美しく」を監督した。最近も新作を発表し、現役最高齢の映画監督と呼ばれた。
3/20
■今江祥智(児童文学作家)大阪市
20日、肝臓がんのため京都市の自宅で死去、83歳。
戦時中は和歌山県橋本に移住。同志社大文学部を卒業。在学中の52年文学研究会に所属し、「同志社文学」に評論を発表。卒業後、中学校教師や編集者を務めながら、50年代後半から童話を書く。空襲の体験を反映した自伝的作品「ぼんぼん」で73年日本児童文学者協会賞。続く「兄貴」「おれたちのおふくろ」「牧歌」とあわせた4部作で、88年路傍の石文学賞を受賞した。77年発表の「優しさごっこ」はNHKでTVドラマ化された。
3/19
■桂米朝(落語家人間国宝)満州大連市
19日、肺炎のため死去。89歳
兵庫県姫路市育ち。旧制姫路中学(現:兵庫県立姫路西高校)を卒業、43年大東文化学院(現:大東文化大学)進学のため上京。44年応召。終戦後、復学せず神戸市で会社員となる。47年桂米團治に入門。3代目米朝を名乗る。66年桂米朝落語研究会を始める。74年米朝事務所を設立。6代目笑福亭松鶴、3代目桂小文枝、3代目桂春団治らとともに「上方落語四天王」として人気を集めた。96年落語界からは2人目となる人間国宝に指定、、09年演芸界初の文化勲章受章者となる。、落語家の活動の傍ら1969年1月5日、東京都新宿区の鮨屋「銀八」で結成され、そのメンバーは入船亭扇橋、永六輔(六丁目)、小沢昭一(変哲)、江國滋(滋酔郎)、桂米朝(八十八)、大西信行(阿吽)、加藤 武(土茶)、柳家小三治、矢野誠一(徳三郎)ら各界を代表する俳句愛好家によって構成された。
3/17
■金子國義(画家)埼玉県蕨市
17日 、虚血性心不全のため東京都品川区の自宅で死去、78歳。
日本大学藝術学部を卒業。在学中、歌舞伎舞台美術家の長坂元弘に師事。デザイン会社に入社するも3か月で退社、フリーとなる。66年澁澤龍彦翻訳「O嬢の物語」の挿絵を手がける。67年銀座の青木画廊で個展「花咲く乙女たち」を開き画壇デビュー。
3/15
■マイク・ポーカロ(元米ロックバンド「TOTO」ベーシスト)コネチカット州ハートフォード
15日、全身の運動神経が衰える筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っていたが、自宅で死去、59歳。
82年ベーシストとしてTOTOに加入。グラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞した「TOTO IV」(邦題:聖なる剣)の世界ツアーに参加。07−08年ごろにバンドの活動から身を引く。同バンドは「アフリカ」「ロザーナ」などのヒット曲で知られる。元TOTOメンバーでドラムス担当のジェフ・ポーカロは兄、キーボード奏者のスティーヴ・ポーカロは弟。ジャズ・パーカッショニストでドラマーのジョー・ ポーカロは父。
3/15
■タラス・テイラー(絵本「バーバパパ」作者)サンフランシスコ
2月15日、パリで死去、85歳。
生物学・数学の教師として働く。70年妻で共同作者のアネット・チゾンとパリ市内の公園で子供が綿菓子を欲しがる様子を見て、喫茶店のナプキンにバーバパパのアイデアを描いた。76年最初にフランスで絵本として出版。その後、日本語を含め30カ国語以上に翻訳され、TVアニメ化でさらに人気が広がった。
3/12
■テリー・プラチェット(英SF・ファンタジー作家)バッキンガムシャー州ビーコンズフィールド
12日、長くアルツハイマー病を患っていたが、 英ソールズベリー近郊の自宅で死去、66歳。
ジャーナリストをへて、中央電力発電委員会の広報担当となる。その後、70年代に児童向けファンタジーやSFの作品を出版。83年ファンタジー小説「ディスクワールド騒動記」シリーズで一人気を獲得。他の代表作に「遠い星からきたノーム」シリーズなど。01年「天才ネコモーリスとその仲間たち」で英児童文学賞「カーネギー賞」を受賞。著作数は70以上に上り、世界各国の言語に翻訳された。07年若年期アルツハイマー病を発症していることを公表し、アルツハイマー病研究財団に約100万ドルの資金援助を行うことを発表した。 09年アルツハイマー病や末期癌などの患者の自殺幇助(安楽死)を合法化するよう提言、自らテストケースになる用意があると述べた。
3/8
■塩月弥栄子(茶道家、茶道裏千家的伝名誉教授)京都市
8日、老衰のため死去、96歳。
38年荏原製作所社主の長男・畠山不器と結婚。48年子供を残して出奔、のち離婚。52年精神科医の塩月正雄と再婚。東京で茶道教室「塩月弥栄子の茶室」、養和会を主宰。 62-67年までTV番組「私の秘密」にレギュラー出演。淡交会顧問、裏千家的伝名誉教授、青少年研究所理事、日本ブライダル事業振興協会会長などを務める。著書「冠婚葬祭入門」シリーズ4冊が700万部を超えるミリオンセラー。同名でTVドラマ化、映画化された。他の著書に「弥栄子の言葉のこだわり」「上品な話し方」など。父は裏千家14世家元碩叟宗室。弟は第15世家元汎叟宗室。 娘は茶道家の五藤禮子。
3/7
■辰巳ヨシヒロ(漫画家)大阪市天王寺
7日、悪性リンパ腫のため死去、79歳。
大阪府立豊中高校を卒業。54年日の丸文庫から「七つの顔」刊行。貸本マンガなどを中心に描き続ける。 55年「開化の鬼」以降シリアスな作品を手がけ、57年「幽霊タクシー」からは自作を「漫画」と区別して「劇画」と命名。後のブームの先駆者となった。90年自伝的作品「劇画漂流」で塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。海外での評価が高い。11年シンガポールのエリック・クー監督のアニメ映画「TATSUMI マンガに革命を起こした男」が公開され、 14年から日本でも公開中。
3/7
■三笑亭夢丸(落語家)横浜市
7日 、中咽頭癌のため東京都内の病院で死去、69歳。
横浜市立金沢高校を卒業。64年三笑亭夢楽に入門、夢八を名乗る。67年二ツ目に昇進。69−70年まで日本テレビ「笑点」の座布団運びを務める。78年真打に昇進、夢丸と改名。15年弟子の三笑亭夢吉の真打昇進にともない、夢丸の名前を譲ることを発表。
2/28
■松谷みよ子(児童文学作家)東京市神田区
28日、老衰のため東京都内の病院で月死去、89歳。
43年東洋高等女学校を卒業。日本勧業銀行(現:みずほ銀行)に就職、その後JTBで編集に従事。 45年長野中野市に疎開。坪田譲治を訪れびわの実学校で師事。51年初の童話集「貝になった子供」を出版、児童文学者協会新人賞を受 賞。55年人形劇活動を通じて知り合った瀬川と結婚、人形劇団太郎座を創設。60年「龍の子太郎」で講談社児童文学作品を受賞、同書で61年産経児童出版文化賞、62年国際アンデルセン賞優良賞を受賞。64年「ちいさいモモちゃん」で野間児童文芸賞を受賞。このほか 「いないいないばあ」などの幼年絵本、戦争や原爆をテーマにした「ふたりのイーダ」「私のアンネ=フランク」「ミサコの被爆ピアノ」など社会的作品がある。父は無産政党代議士となった松谷與二郎。元夫は児童文学関係者で人形劇団座長の瀬川拓男。
2/27
■レナード・ニモイ(米俳優)マサチューセッツ州ボストン
27日、慢性閉塞性肺疾患(COPD)を患っていた。、ロサンゼルスの自宅で日死去、83歳。
ユダヤ系ロシア移民の家庭に生まれる。ボストンカレッジを中退し、カリフォルニアへ移る。 52年「キッド・モンク・バローニ」で映画俳優デビュー。66-69年放送のTVドラマシリーズ「宇宙大作戦」で耳の尖ったバルカン人のMr.スポック役を演じた。79年開始の映画「スタートレック」シリーズにも出演。84年「スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!」「スタートレックIV 故郷への長い道」では監督も務めた。TVドラマシリーズ「スパイ大作戦」第4・第5シーズンにもレギュラー出演した。著書に「私はスポック」ほか。
2/24
■宮崎総子(フリーキャスタ)福岡市
24日、病気のため大阪府吹田市内の病院で死去、71歳。
立教大学文学部英米文学科を卒業。66年アナウンサーとしてフジテレビに入社。退社後もキャスターとして活動。 85年落語家の桂文枝(当時は:枝)とのコンビで、ワイドショー「モーニングアップル」の司会を担当。93年からはワイドショー「スーパーワイド」の2代目キャスターとして人気を博した。私生活では、フジテレビ在籍時に同僚アナウンサーの山川建夫と結婚、 のち離婚。長女の仲代奈緒は義兄の仲代達矢の養女となり、現在は女優として活動。
2/14
■坂東三津五郎(歌舞伎俳優)東京
21日、膵臓がんのため東京都内の病院で死去、59歳。
9代目坂東三津五郎の長男。62年5代目坂東八十助を名乗り初舞台。88年芸術選奨新人賞受賞。 01年歌舞伎座「寿曽我対面」の曾我五郎、「六歌仙容彩」「喜撰」の喜撰法師で十代目坂東三津五郎を襲名。06年日本芸術院賞を受賞。女優の寿ひずる、元アナウンサーの近藤サトと結婚するが離婚。寿との間に一男二女があり、娘(守田菜生)は女優、息子は二代目坂東巳之助。池上季実子は従妹。
2/14
■ルイ・ジュルダン(仏俳優)仏南部マルセイユ
14日、米ロサンゼルスの自宅で老衰のため死去、93歳。
39年映画デビュー。第2次世界大戦のためキャリアを中断。大戦後に映画界復帰。47年ヒチコック監督「パラダイン夫人の恋」に出演、これを機に活動拠点を米国に移す。49年「ボヴァリー夫人」、58年「恋の手ほどき」、83年「007オクトパシー」などに出演。92年「イヤー・オブ・ザ・コメット」を最後に引退。ロサンゼルスなどで余生を送った。10年仏レジオン・ドヌール勲 章を受けた。
2/14
■シーナ(ロックバンド「シーナ&ロケッツ」ボーカル)北九州市若松区
14日、子宮頸がんのため東京都内の病院で死去、61歳。
71年ギタリストの鮎川誠と出会い、4年間の同棲をへて結婚。夫妻が福岡から上京してバンド結成。78年「涙のハイウェイ」でデビュー。「レモンティー」「ユー・メイ・ドリーム」「ピンナップ・ベイビー・ ブルース」「ロックの好きなベイビー抱いて」など数々の曲で知られル。13年結成35周年を迎えた。
2/8
■栄久庵憲司(工業デザイナー)東京都
8日、洞不全症候群のため東京都新宿区の病院で死去、85歳。
ハワイ、広島県育ち[。東京芸術大学美術学部図案科を卒業。小池岩太郎に師事。在学中に友人とアルバイトグループGK(Group of Koike)を設立、のちデザイン会社に発展。59年黒川紀章、菊竹清訓ら若手建築家・都市計画家グループと「メタボリズム」を結成。61年キッコーマンしょうゆ卓上びんをデザインし、大ヒット。日本の工業デザイナーの草分けとして活動。他に日本中央競馬会、東京都など企業・自治体のロゴマークから、秋田新幹線「こまち」(97年)の外観に代表される鉄道車両まで、幅広い分野でデザインを担当した。
2/7
■河上和雄(元東京地検特捜部長、弁護士)東京都
7日、敗血症のため東京都新宿区の病院で死去、81歳。
東京大学法学部を卒業。在学中に司法試験合格。 58年検事任官。65年米ハーバード・ロー・スクールに留学。その後、東京地検特捜部の検事としてロッキード事件の捜査に関わった。のち同地検特捜部長、佐賀地検検事正、法務省矯正局長、最高検公判部長を歴任。91年退官後は弁護士登録、北海学園大学法学部教授ほかTV番組のコメンテーターとしても活動した。
作家の三好徹は実兄。
1/28
■中山康樹(音楽評論家)大阪府堺
28日、悪性リンパ腫のため川崎市の病院で死去、62歳。
ジャズ専門誌「スイングジャーナル」編集長を経て、評論活動に入る。トランペット奏者マイルス・デイビスの研究で知られ、近年はロックも論じた。著書に「マイルスを聴け!」「ジャズの名盤入門」など。
1/21
■河野多惠子(作家)大阪市
29日、呼吸不全のため東京都千代田区の病院で死去、88歳。
旧制大阪府女子専門学校(現:大阪府立大学)を卒業。50年丹羽文雄主宰の「文学者」同人となる。61年「幼児狩り」で注目され、翌年新潮同人雑誌賞受賞。63年「蟹」で芥川賞を受賞。67年「最後の時」で女流文学賞、 69年「不意の声」で読売文学賞、02年「半所有者」で川端康成文学賞を受賞。このほか谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞した。89年日本芸術院会員。大庭みな子とともに女性初の芥川賞選考委員となり、07年まで務めた。
1/21
■赤瀬川隼(作家)三重県
26日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去、83歳。
大分第一高校(現:大分上野丘高校)を卒業。住友銀行や外国語教育機関書店などの勤務をへて、83年近未来野球小説「球は転々宇宙間」で吉川英治文学新人賞を受賞し作家デビュー。野球を題材にした作品が多く、95年短編集「白球残映」で直木賞を受賞。映画好きでも知られ、エッセー「あ、またシネマ彗星だ」も出版。帽子作家の赤瀬川晴子は妹、芥川賞作家で芸術家の赤瀬川原平(尾辻克彦)は弟。
1/21
■井本隆(元プロ野球投手)高知県宇佐町
21日、膵臓癌のため千葉県松戸市の病院で死去、64歳。
伊野商業高校を卒業。鐘淵化学に就職。実業団時代に速球投手として頭角を現し、72年ドラフト3位指名され73年近鉄に入団。79年、80年パ・リーグ2連覇でエースとして活躍。83年ヤクルトに移籍。84年現役を引退。通産81勝75敗8セーブ、防御率4.08.
1/21
■陳舜臣(作家)神戸市中央区
21日老衰のため神戸市内の病院で死去、90歳。
父は台湾出身の貿易商。大阪外国語学校(現:大阪大外国語学部)印度語科を卒業。同校西南アジア語研究所助手となるも、終戦とともに日本国籍を失い退職。48年一時台湾に帰国し、台北県新荘中学英語教師とあんる。49年神戸に戻る。 61年推理小説「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞。その後歴史小説に転じ、67年「阿片戦争」3部作を完成させた。69年「青玉獅子香炉」で直木賞を受賞、70年「孔雀の道」と「玉嶺よふたたび」で日本推理作家協会賞を受賞した。このほか71年毎日出版文化賞、76年大佛次郎賞、88年読売文学賞、91年吉川英治文学賞など受賞多数。89年天安門事件を批判、90年日本国籍を取得。93年NHK大河ドラマ「琉球の風」で原作を手がける。94年脳出血で倒れ、療養中の95年阪神・淡路大震災に遭う。その後「チンギス・ハーンの一族」「曹操」「中国美人伝」などを発表。
1/21
■大豊泰昭(元プロ野球選手)台湾南投県埔里
18日、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去、51歳。
華興高を卒業。20歳で来日84年名古屋商科大学に入学。88年NPBドラフト2位で中日ドラゴンズと選手契約。 94年年間38本塁打、107打点で本塁打王と打点王の二冠獲得。98年阪神タイガースに移籍。00年通算250本塁打、1000本安打を達成。01年中日ドラゴンズに復帰。 02年オフに現役引退。プロ野球生活14年で通算1089安打、277本塁打、打 率.266。
1/20
■斉藤仁(柔道家、元日本男子代表監督)青森市
20日、肝内胆管癌のため大阪府東大阪 市内の病院で死去、54歳。
83年国士舘大学体育学部を卒業。同年モスクワ世界選手権無差別で優勝。84年ロサンゼルス五輪95kg超級で金メダル獲得。その後怪我に苦しむが、 88年全日本選手権で初優勝。88年ソウル五輪95kg超級で2度目の金メダルを獲得した。89年選手引退後、国士舘大学柔道部コーチ、全日本柔道連盟男子強化ヘッドコーチとして活動。12年副強化委員長から強化委員長に昇格。この間、04年アテネ五輪および08年北京五輪で日本選手団男子柔道監督を務めた。国士舘大学体育学部教授で同大学柔道部監督。段位7段。
1/17
■平井和正(作家)神奈川県横須賀
17日 、急性心不全のため神奈川県鎌倉市の病院で死去、76歳。
中央大学法学部卒業。61年「殺人地帯」がSFマガジンの空想科学小説コンテストで奨励賞受賞。 62年同人誌の宇宙塵に発表した「レオノーラ」がSFマガジンに転載され、商業誌デビュー。63年原作を担当した漫画「8マン」(画:桑田次郎)が週刊少年マガジン誌上で連載開始。さらに「エイトマン」としてTVアニメ化され大ヒット。ほかに「幻魔大戦」(共同原作および画:石森章太郎)などを手がけた。68年初の長編小説「メガロポリスの虎」を発表。71年以前に原作を手がけた漫画「ウルフガイ」を小説化した「狼の紋章」を日本初の書き下ろし文庫本としてハヤカワSF文庫から発表、のちシリーズ化される。79年小説版の幻魔大戦シリーズ「幻魔大戦」「真幻魔大戦」の執筆を開始。83年「幻魔大戦」がアニメ映画化され、「ハルマゲドン」(最終戦争)という言葉が流行る。日本のSFの草分けの一人で、テレビアニメ「エイトマン」や石森章太郎とタッグを組んだ週刊少年マガジンの連載漫画「幻魔大戦」の原作を手がけた。小説作品としては、「幻魔大戦」シリーズ、「狼の紋章」などの「ウルフガイ」シリーズのほか、多くのジュブナイル(少年少女向け文学)で人気を集めた。「ボヘミアンガラス・ストリート」は日本で最初期のオンライン小説として話題を呼んだ。漫画家の平井摩利は娘。
1/15
■大塚周夫(声優、俳優)東京府世田谷区
15日、虚血性心不全のため死去、85歳。
劇団東芸、劇団俳優小劇場、芸能座などで活動。 声優となりアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男、 「美味しんぼ」の海原雄山、「ONE PIECE」のゴールド・ロ ジャー、「忍たま乱太郎」の山田伝蔵の声を担当。吹き替えでは米俳優チャールズ・ブロンソンを担当した。14年声優として東京アニメアワード2014「アニメ功労部門」を受 賞。
1/11
■アニタ・エクバーグ(スウェーデン人女優)スウェーデン南部マルメ
11日、イタリア・ローマ郊外の病院で死去、83歳。
50年ミス・ユニバースのスウェーデン代表となる。これを機に渡米。イタリアのフェで利己・フェリーニ監督に見いだされ、60年「甘い生活」のヒロインに抜擢。同作品はカンヌ国際映画祭最高賞(パルムドール)を受賞。このほか「フェリーニの道化師」などに出演。
1/10
■フランチェスコ・ロージ(イタリア映画監督)伊南部ナポリ
10日、ローマ市内で死去、92歳。
ナポリ大学で法律を選考。48年ルキノ・ヴィスコンティに弟子入りし助手となる。58年監督作「挑戦」が評価される。62年「シシリーの黒い霧」でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞。63年「都会を動かす手」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。72年「黒い砂漠」でカンヌ国際映画祭パルム・ドール、79年「エボリ」でモスクワ国際映画祭金賞を受賞。世界四大映画祭を制覇した。08年ベルリン国際映画祭で13作品が特別上映され金熊名誉賞、 12年ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を受ける。
1/7
■ロッド・テイラー(米俳優)オーストラリアのシドニー
7日、ロサンゼルスの自宅で死去、84歳。
同国でラジオや舞台に出演後、54年米ハリウッドに移る。60年SF小説を原作とした「タイム・マシン」で人気を得る。63年アルフレッド・ヒチコック監督の代表作「鳥」で主演に起用された。その後、70年ミケランジェロ・アントニオーニ監督「砂丘」に出演。09年クエンティン・タランティーノ監督「イングロリアス・ バスターズ」などに出演した。
1/5
■吉行あぐり(美容師)岡山市
5日、肺炎のため死去、107歳。
23年岡山高等女学校在学中に15歳で作家・吉行エイスケと結婚。上京後、山野千枝子さんの指導を受け、29年独立して山の手美容院を開店。40年夫のエイスケと死別。戦争で中断、52年東京・五番町(市ヶ谷駅前)に吉行あぐり美容室を開店。戦争で夫を亡くした女性らに美容技術の指導、90歳を超えても現役美容師を続けた。05年閉店。日本の美容師免許所持者の中では最高齢だった。86年自伝「梅桃(ゆすらうめ)が実るとき」を出版。97年NHK連続テレビ小説「あぐり」としてドラマ化され話題となった。芥川賞作家の吉行淳之介は長男、女優の吉行和子は長女、芥川賞作家の吉行理恵は次女。
1/2
■白坂依志夫(脚本家)東京
2日、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去、82歳。
55年早稲田大学文学部を中退、大映多摩川撮影所に脚本家として入社。増村保造監督と「巨人と玩具」「氾濫」「曽根崎心中」など一連の作品でコンビを組む。ほか三島由紀夫原作「永すぎた春」、岡本喜八監督「結婚のすべて」、市川崑監督のドキュメンタリー「東京オリンピック」など多数の映画脚本を手がけた。58年TVドラマ「マンモスタワー」の脚本で芸術祭奨励賞を受賞。父は「戦争と平和」「夫婦善哉」などの脚本家八住利雄。女優の中川弘子は元妻。



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