12/26
■ジェラルド・フォード(元米大統領)
26日、カリフォルニア州の自宅で死去、93歳。死因は不明。
ウォーターゲート事件で辞任したニクソン大統領(故人)の後継として副大統領から昇格、1974年8月から77年1月まで第38代米大統領を務めた。米国史上、選挙戦を戦ったことのない唯一の大統領。11月にレーガン元大統領を抜いて米大統領経験者の長寿記録を更新したばかりだった。
48年ミシガン州から下院議員に選出され、65年に共和党下院院内総務。ニクソン政権下の73年12月、汚職で辞任したアグニュー副大統領の後任に就任。74年8月にはウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任したため、大統領に就任した。 田中政権下の74年11月、現職の米大統領として初めて訪日。昭和天皇と会見した。
12/25
■ジェームス・ブラウン(米ソウルミュージックの大御所歌手)
25日死去。年齢には諸説あるが、APは73歳としている。死因は明らかにされていないが24日、肺炎で病院に運ばれた。
「プリーズ・プリーズ・プリーズ」などのヒット曲で知られる。
12/20
■中島忠幸(漫才コンビ「カンニング」)福岡県
20日、東京都内の病院で死去、35歳。出身。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。
92年に竹山隆範(35)とコンビを結成し、バラエティー番組などで人気を博した。04年12月から急性リンパ球性白血病で休業していた。
12/20
■青島幸男(前東京都知事、放送作家)東京都
20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で死去、74歳。出身。自宅は東京都江東区。葬儀・告別式は東京都港区南青山、青山葬儀所で。喪主は長男。
55年、早大商学部卒。同大学院中退。在学中に漫才の台本を書いたのがきっかけで芸能界とかかわり、日本テレビ系の「シャボン玉ホリデー」などでコント作家として活躍。「青島だあ」などの流行語を生み出した。直木賞も受賞した。
参院議員を経て95年の東京都知事選に無所属で立候補し、既成政党の候補らを抑えて当選。都が開催予定だった世界都市博覧会を公約通り中止した。99年に退任後、タレント活動を再開していた。
12/18
■ジョゼフ・バーベラ(米アニメーション作家)ニューヨーク
18日、ロサンゼルス郊外の自宅で死去、95歳。老衰とみられるが、詳しい死因は不明。
銀行勤務などを経て、アニメーション作家として30年代に映画会社MGMに採用された。故ウィリアム・ハンナ(2001年に死去)とコンビを組み「トムとジェリー」「スクービー・ドゥー」「フリントストーン」などのアニメーションを制作した。
12/17
■岸田今日子(女優)東京都
17日午後3時33分、脳腫ようによる呼吸不全のため東京都内の病院で死去、76歳。葬儀は親族のみで行い、後日「お別れの会」を開く。喪主は長女の西条まゆ。
文学座、劇団雲を経て演劇集団円の創立に参加。ミステリアスな雰囲気を備えた個性派として喜劇からシリアスな役まで幅広く演じた。代表作に「今日子」「更地」など。 映画は安部公房原作、勅使河原宏監督「砂の女」(64年)の演技が海外でも高い評価を受けたほか、「破戒」「八つ墓村」などに出演。
60年代から「ムーミン」の主人公の声や、ドラマ「大奥」のナレーションを務めるなど、独特の声質と語り口で人気を集めた。
著書「妄想の森」で98年、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど執筆活動でも有名だった。
12/16
■小城ノ花(大相撲元関脇)佐賀県
16日午後5時50分、東京都墨田区の二男宅で死去、71歳。葬儀・告別式は20日正午から東京都墨田区業平、柳島妙見山法性寺で。喪主は妻。
1952年春場所(1月)、出羽海部屋から初土俵。もろ差しが得意の技能相撲で幕内には54場所在位し、殊勲賞1回、技能賞1回。67年夏場所で引退後は高崎親方として後進の指導に当たり、長男の小城乃花(現高崎親方)、二男の小城錦(現中立親方)がそろって関取になった。
12/14
■アーメット・アーティガン(米アトランティック・レコード創設者)
14日、ニューヨークの病院で死去、83歳。ニューヨークで10月29日に行われたローリング・ストーンズのコンサートの際に倒れて頭部を打ち、昏睡状態が続いていた。
トルコのイスタンブール生まれ。外交官の父親が駐米大使に就任したのに伴って米国に移った。47年にニューヨークで興したアトランティック・レコードをR&Bのメジャーレーベルに育て上げ、レイ・チャールズやレッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズなどの作品を送り出した。
12/12
■ピーター・ボイル(米俳優)
12日、多発性骨髄腫や心疾患を患っていたが、ニューヨークの病院で死去、71歳。
個性派俳優として知られ、映画「ジョー」(70年)ではヒッピーの若者に反感を抱く労働者の役を演じたほか、ロバート・デニーロさん主演の「タクシードライバー」(76年)など数多くの映画に出演した。
12/10
■アウグスト・ピノチェト(チリの元大統領)チリ中部バルパライソ
10日、サンティアゴの陸軍病院で死去、91歳。心臓発作を起こし入院中だった。
陸軍司令官だった73年、アジェンデ社会主義政権をクーデターで打倒。74年から90年の民政移管まで大統領を務めた。 中南米ではいち早く自由主義経済政策を導入、安定成長に貢献した一方、軍・警察による「左翼狩り」を徹底。弾圧による死者・行方不明者は計約3200人とされる。
ロンドンで入院中の98年、英司法当局が逮捕。2000年に帰国を許されたが、04年以降、チリ司法当局により殺人や誘拐罪、資産隠しによる脱税の罪で起訴された。
12/9
■ジョージア・ギブス(米歌手)マサチューセッツ
9日、白血病による合併症のため、ニューヨークの病院で死去、87歳。
10代の時からボストンで歌い始め、52年には「キッス・オブ・ファイアー」が大ヒットした。ポップ、カントリー、バラードなど幅広いジャンルの音楽をこなし、ヒット曲を紹介する50年代のラジオ・テレビ番組「ヒットパレード」への出演で知られる。
12/8
■マーサ・ティルトン(米歌手)キサス州コーパスクリスティ
8日、ロサンゼルス近郊の自宅で死去、91歳。
30年代、ベニー・グッドマン楽団のボーカルの1人を務め、「ロック・ロモンド」などの曲で有名。ロサンゼルスの高校に通いながら、小さなラジオ局で無報酬で歌っているところを見いだされた。
12/7
■ジェイ・マクシャン(米ジャズピアニスト)オクラホマ州マスコギー
7日、カンザスシティーの病院で死去、90歳。病院側は死因を明らかにしていない。
ピアノを独学し、15歳でデビュー。その後活動の場をカンザスシティーに移した。37年、サックス奏者チャーリー・パーカーと出会い、41年までともに断続的に活動。
50-60年代には活動が少なくなったが、69年にツアーを再開、80歳代まで現役を続けた。代表作に「バイン・ストリート・ブギ」など。
12/3
■大森健次郎(映画監督)中国・青島
3日午前11時43分、肺炎のため東京都渋谷区の病院で死去、73歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は妻。
映画「二十歳の原点」「岸壁の母」「地震列島」やテレビドラマ「俺たちの旅」などを手掛けた。「どですかでん」など黒沢明監督作品の助監督も務めた。
12/1
■クロード・ジャド(仏女優)1日、パリ郊外の病院で死去、58歳。知人の脚本家によると、目の腫瘍を患っていたという。
フランスの巨匠フランソワ・トリュフォー監督に舞台での演技を認められ、映画「夜霧の恋人たち」(68年)に出演。代表作はほかに、ヒチコック監督の「トパーズ」(69年)など。76年には日本映画「北の岬」にも出演している。
11/28
■小田切みき(女優)東京都
28日午前5時、心臓疾患のため神奈川県鎌倉市七里ガ浜の自宅で死去、76歳。関係者で密葬を済ませた。喪主は夫で俳優の安井昌二。
黒沢明監督の映画「生きる」で抜てき。ほかに「十代の性典」や今井正監督の「ひめゆりの塔」などに出演した。テレビドラマ「チャコちゃん」シリーズなどで活躍した四方晴美の母。
11/27
■宮内国郎(作曲家)東京都
27日午後4時13分、大腸がんのため東京都府中市の病院で死去、74歳。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男。
代表作に人気テレビ番組「ウルトラマン」「ウルトラQ」のテーマ曲など
11/27
■ビビ・ムーア・キャンベル(米作家)米フィラデルフィア生まれ
27日、脳腫ようによる合併症のためロサンゼルスの自宅で死去、56歳。
人種問題に端を発した92年のロサンゼルス暴動後の黒人差別問題を軸に描いた「ガラスの壁」や、精神障害者の問題をテーマにした作品などで知られる。人種、障害者問題の分野で貢献した作家に贈られる各種文学賞を受賞した。
11/24
■ウィリアム・ディール(米ミステリー作家)ニューヨーク州ジャマイカ
24日、米アトランタの病院で大動脈の塞栓のため死去。81歳。
第2次大戦中、陸軍に従軍。ミズーリ大で歴史などを学び、ジャーナリストを経て作家に。代表作は「シャーキーズ・マシーン」など。
法廷ミステリー「真実の行方」は96年、リチャード・ギア主演で映画化された。
11/24
■ロバート・マクファーリン(米オペラ歌手)アーカンソー州
24日、心臓発作のため死去、85歳。
53年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のオーディションに合格。55年、同歌劇場初の黒人男性ソロとして、「アイーダ」のアモナスロ役でデビューした。
グラミー賞を受賞した歌手ボビー・マクファーリン氏の父親。
11/23
■ベティ・カムデン(米ミュージカル作家)ニューヨーク・ブルックリン
23日、心不全のためニューヨークの医療施設で死去、89歳。
02年に死去したアドルフ・グリーンとのコンビで数々の名作を残し、ミュージカル映画の傑作「雨に唄えば」(52年)の脚本を手掛けたほか、コンビとしてのブロードウェー・デビュー作「オン・ザ・タウン」(44年)は後に映画「踊る大紐育」(49年)に改作された。
11/23
■アニタ・オデイ(米ジャズ歌手)、シカゴ
23日ロサンゼルスの病院で肺炎で入院中だったが死去。87歳。長年、麻薬、アルコール依存症に苦しんだが克服した。
独学でプロ歌手の道に入り、巧みな即興を交えた歌唱力で40−50年代にジャズ歌手の第1人者となった。「スイート・ジョージア・ブラウン」、「ハニーサックル・ローズ」などが代表曲。晩年までロサンゼルスのジャズクラブなどで歌った。白人女性ジャズ歌手の最高峰と称されることもある。
11/23
■フィリップ・ノワレ(フランスの男優)フランス北部リール
23日に死去、76歳。フランスのテレビによると、死因はがん。
演劇活動を経て映画界へ。ルイ・マル監督の「地下鉄のザジ」(60年)で名を知られるようになり、以後、喜劇からシリアスな作品まで100本以上の映画に出演。幅広い役柄を演じた。 フランス映画の最高賞であるセザール賞の主演男優賞を、75年の「追想」と、89年の「素顔の貴婦人」で2度受賞。日本でも大ヒットした「ニュー・シネマ・パラダイス」(88年)では年老いた映写技師のアルフレード役を演じた。他の代表作に「イル・ポスティーノ」(94年)など。
11/23
■灰谷健次郎(児童文学作家)神戸市
23日午前4時30分、食道がんのため静岡県長泉町の病院で死去、72歳。出身。葬儀・告別式は故人の遺志で行わず、喪主もおかない。
56年大阪学芸大(現大阪教育大)卒。神戸市で17年間小学校教師として勤務後、沖縄やアジアを放浪。74年、厳しい環境にありながら希望を失わない子どもと若い教師の交流を描いた「兎の眼」を発表、ミリオンセラーに。沖縄戦がテーマの「太陽の子」も幅広い世代に支持され、両作品とも映画化された。他の代表作に「天の瞳」など。 91年、沖縄県渡嘉敷村に移住。97年、神戸市で起きた連続児童殺傷事件の容疑者少年の顔写真を新潮社刊行の写真週刊誌が掲載したことを批判、同社と自分の全作品の出版契約を解消するなど社会的活動でも知られた。
11/21
■黒木 憲(歌手)東京都
21日午後0時22分、腎不全のため静岡県沼津市の病院で死去、64歳。葬儀・告別式は近親者だけで行う。喪主は歌手で長男の。
学生時代、ハワイアンバンドで活躍。67年に「夜の東京の片隅で」でデビュー。翌年「霧にむせぶ夜」が大ヒットし、ムード歌謡の実力派歌手として人気を集めた。
代表曲はほかに「おもいやり」「別れても」など。
11/20
■ロバート・アルトマン(米映画監督)米ミズーリ州
20日、ロサンゼルスの病院でがんによる合併症のため死去、81歳。
第2次世界大戦で爆撃機パイロットを経験、大学で工学を学んだ後、テレビドラマ監督を経て映画界入り。ハリウッドの本流とは一線を画した映画づくりを貫いた。代表作は反戦メッセージを込め、カンヌ国際映画祭最高賞パルムドールを得た「M★A★S★H」(70年)や複数の物語を絡め1つのテーマに集約する手法が発揮された「ナッシュビル」(75年)など。 カンヌに加え、ベネチアとベルリンの世界3大映画祭で最高賞を受賞している。
最近の「ゴスフォード・パーク」(2001年)を含めアカデミー賞監督賞に5回ノミネートされ、今年春には過去の功績に対しアカデミー賞名誉賞を受けた。暴力表現が多いハリウッド映画を批判し、米中枢同時テロ後は「テロリストはハリウッド映画でヒントを得ている」などと発言していた。
11/19
■ジェレミー・スレート(米俳優)
19日、ロサンゼルスの病院でがん手術後の合併症により死去、80歳。
1960年代にテレビシリーズ「ザ・アクアノーツ」で人気を得た。日本でも放送された「スパイ大作戦」に出演したほか、「ガールズ!ガールズ!ガールズ!」で故エルビス・プレスリーと共演するなど約100作品に出演した。
60年代後半には「ヘルズ・エンゼルズ69」などマイナー映画に出たほか、最近ではNBCの人気番組「マイ・ネーム・イズ・アール」に脇役で出演した。
11/19
■フランシス・ジロ-(仏映画監督)サンブランセ
19日、心臓発作のため、フランス南西部ボルドーのホテルで死去、62歳。
映画助監督やジャーナリストとして活動した後、74年に映画「地獄の貴婦人」を監督。代表作に「華麗なる女銀行家」(80年)など。
11/17
■神田伯龍(講釈師)東京都
17日午後、心不全のため神奈川県鎌倉市の病院で死去、80歳。葬儀・告別式は近親者のみで行う。追悼演芸会を行う予定だが、日程は未定。喪主は妻。
江戸の市井の人々を描く「世話講談」の第一人者として知られた。
11/16
■仲谷 昇(俳優)東京都
16日午前7時22分、肺気腫による慢性閉塞性肺疾患のため、港区の病院で死去。77歳。家族のみの密葬とし、後日、劇団葬が営まれる。
文学座出身のベテラン俳優。38年に芥川比呂志、神山繁、小池朝雄、岸田今日子らとともにクーデター的に文学座を脱退し、劇団雲を結成。さらに75年に脱退し、円の創設に参加し、平成4年から同代表を務めていた。 文学座以来、行動を共にした女優の岸田今日子と昭和29年に結婚したが、53年に離婚。その後、再婚していた。
テレビドラマ「ザ・ガードマン」「キーハンター」や数多くの舞台、映画で渋い個性派俳優として活躍。また、フジテレビの深夜番組「カノッサの屈辱」では“教授役”として出演し、若者の人気を呼んだ。
11/15
■石川 賢(漫画家)栃木県
15日午後10時8分、急性心不全のため甲府市の病院で死去、58歳。葬儀・告別式の日取りと喪主は未定。
69年に漫画家永井豪のアシスタントになり、翌年デビュー。永井さん原作の「ゲッターロボ」で作画を担当したほか「虚無戦記」などを発表した。
11/10
■ジャック・ウィリアムスン(米SF作家)アリゾナ州
10日、米ニューメキシコ州の自宅で死去、98歳。死因は明らかでない。
20歳で「メタル・マン」を著して以来、核ロケットによる月探査や反物質など斬新なテーマで活躍、「米SFの父」と呼ばれた。日本でも翻訳出版された「宇宙軍団」「ヒューマノイド」などで知られる。 晩年も執筆を続け、最近「ザ・ストーンヘンジ・ゲート」が出版された。
11/10
■ジェラルド・リバート(米R&B歌手)
10日、オハイオ州クリーブランドの自宅で死去、40歳。
力強く情熱的なR&Bで知られ、ソロのほかジョニー・ギルらとのグループ「LSG」でも活躍。80年代後半以降、「カサノバ」のほか、父親で歌手のエディ・リバートとのデュエット曲を収めたアルバム「プライベート・ライン」などがヒットした。
11/10
■ジャック・パランス(米、俳優)
10日、米カリフォルニア州南部モンテシトの自宅で死去、87歳。広報担当者によれば「自然死」で、詳しい死因は明らかでない。
冷血な悪役のガンマンを演じた「シェーン」(1953年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなどアクション、西部劇分野で活躍した。「シティ・スリッカーズ」(91年)で同助演男優賞を受賞した。
11/10
■はらたいら(漫画家)高知県
10日午後零時7分、肝不全のため埼玉県富士見市の病院で死去。63歳。
告別式は15日午前11時半から東京都板橋区板橋の新板橋駅前ホール。喪主は妻。
1963年にデビュー。風刺の効いた作風で知られる。代表作は「ゲバゲバ時評」「モンローちゃん」など。日本経済新聞にも83年から85年まで「ゲンペーくん」を連載した。TBSの「クイズダービー」のレギュラー回答者として有名。最近は自身が苦しんだ男性更年期障害の体験記を出版している。
11/5
■村山雅美(国立極地研究所名誉教授)東京都
5日午後4時53分、前立腺がんのため東京都内の病院で死去。88歳。告別式の日取りなどは未定。喪主は妻。
1968年に日本人として初めて南極点に到達した。53年から56年にかけ3回連続でヒマラヤ・マナスル遠征隊に3加。南極観測隊には56年出発の第1次から15次まで計7回3加し、うち3回は越冬隊長を務めた。第9次の68年、11人の隊員とともに雪上車で日本隊として初めて南極点に到達した。 国立極地研究所を退官した後も極地にこだわり、88年には飛行機で北極点に降り立ち、南北両極点を踏んだ最初の日本人となった。南極の昭和基地に置き去りにされた樺太犬「タロ」「ジロ」を題材にした映画「南極物語」(83年)で監修を担当した。
11/3
■内山田 洋(歌手)福岡県
3日死去、70歳。喪主などは未定。
前川清をリードボーカルとする「内山田洋とクールファイブ」のリーダーとして1969年にデビュー。「長崎は今日も雨だった」が大ヒットし日本レコード大賞新人賞を獲得した。以後「そして神戸」「東京砂漠」などのヒットを飛ばし、前川氏が87年に独立した後も音楽活動を続けていた。
11/3
■ポール・モーリア(仏、作曲家)フランス南部マルセイユ
フランス南部ペルピニャンで死去した。81歳。
幼少時からピアノを学び、10歳でパリ国立音楽院に入学、本格的に音楽の勉強を開始した。 ストリングスを多用した軽快なサウンドで知られ「イージーリスニング」と呼ばれる分野の代表格。60年代に自分のオーケストラを結成し、指揮者として活躍。世界的ヒットとなった「恋はみずいろ」のほか、「エーゲ海の真珠」「オリーブの首飾り」などを送り出した。 編曲・指揮者としての活動と並行して作曲も手掛け、作曲家としても有名になった。20回以上来日し、日本に多くのファンがいる。
11/2
■レナード・シュレーダー(米脚本家)
2日、ロサンゼルスの病院で心不全のため死去。62歳。近年、がんなどのため健康状態が悪化していた。
米ミシガン州の敬虔(けいけん)なキリスト教カルビン派の家庭に生まれ、同教派の大学やアイオワ大で学んだ。1969年から70年代にかけ日本に滞在、大学で米文学を教え、作家、三島由紀夫氏に出会った。
主な原作、脚本は共作を含め「ザ・ヤクザ」(74年)、「男はつらいよ・寅次郎春の夢」(79年)、三島氏をテーマにした「ミシマ」(85年)、「蜘蛛女のキス」(同)など。沢田研二さん主演の「太陽を盗んだ男」(79年)の原案、脚本も担当したとされる。
11/1
■ウィリアム・スタイロン(「米、作家)バージニア州ニューポートニューズ
1日、肺炎のため米マサチューセッツ州で死去、81歳。
1951年、米南部育ちの娘の自殺を軸に家族の荒廃を描いた最初の作品「闇の中に横たわりて」が注目され、南部文学のフォークナーやヘミングウェーの後継者と評された。黒人の反乱事件を素材にした「ナット・ターナーの告白」(67年)はピュリツァー賞を受賞。アウシュビッツ収容所を逃れてニューヨークで生きる女性を描いた「ソフィーの選択」(79年)はベストセラーとなり、メリル・ストリープ主演で映画化された同名の作品もヒットした。。10/30
■木下順二(劇作家)東京都
10月30日、肺炎のため東京都文京区の病院で死去、92歳。自宅は文京区向丘。故人の遺志で葬儀などは行わない。来年4月、劇団民芸などが「お別れの会」を開く予定。
歴史と人間との鋭い緊張関係を描いた重厚な作風で知られ、ゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実が主人公の「オットーと呼ばれる日本人」や、日本人の戦争責任を問い直した「神と人とのあいだ」などで戦後演劇の一つの典型をつくり出した。
一方、「彦市ばなし」といった作品で独自の民話劇を確立。故山本安英が、つう役を1000回以上演じた「夕鶴」は国民的演劇として親しまれた。 山本安英らとともに芸術語としての日本語を追究。現代語と古語の融合を試みた「子午線の祀り」に結実させた。 また戦後の新劇運動に大きな影響を与え、平和運動にも積極的に発言した。
10/30
■白川静(漢字研究家、)福井市
30日午前3時45分、内臓疾患のため京都市の病院で死去、96歳。葬儀は1日、近親者だけで営んだ。お別れの会を開く予定。
初期漢字資料の甲骨文や金文の解読に取り組んだ漢字研究の第一人者。「字統」「字訓」「字通」の字書3部作を完成、「白川漢字学」を集大成した。中国の古典と万葉集の比較研究でも知られる。 菊池寛賞、朝日賞など受賞多数。98年に文化功労者、04年に文化勲章。 主な著書は「金文通釈」「説文新義」「稿本詩経研究」「漢字」「孔子伝」など。印税を寄付し05年5月、立命館大に「白川静記念東洋文字文化研究所」を設立した。
10/29
■武藤礼子(俳優)東京都
29日午後3時21分、急性心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、71歳。葬儀・告別式は世田谷区砧、耕雲寺で。喪主は夫。
主に声優として活躍、エリザベス・テーラーの吹き替えやテレビアニメ「ふしぎなメルモ」の主人公の声などで知られた。
10/26
■小島信夫(作家)岐阜市
26日午前3時58分、肺炎のため東京都内の病院で死去。91歳。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長女。
東大文学部卒。安岡章太郎、吉行淳之介氏らとともに「第三の新人」と呼ばれた。1955年「アメリカン・スクール」で芥川賞。65年、家族の不安定さをテーマにした長編小説「抱擁家族」で谷崎潤一郎賞。戦後文学を代表する小説と評価された。 その後も人間関係の危うさやもろさを皮肉とユーモアを交えた文体で描いた作品を発表。82年、12年かけて連載した長編「別れる理由」で野間文芸賞。94年文化功労者。晩年まで創作意欲は衰えず、今年春、「残光」を刊行した。
10/26
■大木金太郎(元プロレスラー)韓国全羅南道
26日、ソウル市内の病院で死去、77歳。必殺技の頭突きで日本と韓国のプロレス界で活躍したが、最近は糖尿病や内臓疾患などで長期入院していた。
58年に故力道山にあこがれ、貨物船で日本に密入国。拘束されるが、力道山が身元引受人となり、59年日本プロレス(当時)に入門。故ジャイアント馬場、アントニオ猪木とともに若手3羽がらすとも呼ばれた。72年にボボ・ブラジルを破りインターナショナルヘビー級王座に就いた。「猛虎」の異名で馬場、猪木と激闘を重ねた。
81年に日本を去り、韓国プロレスの発展に尽力。95年に東京ドームで日本での引退式が行われた。
10/10
■フレディ・フェンダー(米歌手)テキサス州
14日、米テキサス州でがんのため死去、69歳。
カントリーにラテン調の味付けを施すなど、ジャンルを超えた音楽が幅広く受け入れられ、米国やメキシコなどでヒットを飛ばした。麻薬所持による服役などで浮き沈みもあったが、テキサス・トーネイドスやロス・スーパー・セブンのグループでも活躍。3度グラミー賞を受賞した。代表曲は「涙のしずく」など。
10/12
■ジッロ・ポンテコルボ(イタリアの映画監督)ピサ
12日、ローマの病院で死去、86歳。死因は不明。
大作「アルジェの戦い」でベネチア映画祭の66年度の金獅子賞受賞。ほかに「ケマダの戦い」(69年)など歴史をテーマにした作品を撮った。完全主義者として知られ、作品は少なかった。90年代にベネチア映画祭の委員長を務めた。
10/10
■柳家小せん(落語家)東京都
10日午後10時23分、肺炎のため東京都足立区の病院で死去、83歳。葬儀・告別式は13日午前11時から足立区綾瀬、千代田城北ホール。喪主は妻。
61年、真打ち昇進とともに4代目柳家小せんを襲名。ひょうひょうとしたキャラクターと芸風で知られ、テレビの演芸番組などでも活躍した。
10/9
■西山登志雄(元東武動物公園園長)東京都
9日午後4時40分、肺炎のため埼玉県春日部市の病院で死去、77歳。葬儀・告別式は13日正午から埼玉県宮代町、東武レクイエム聖殿春日部で。喪主は長男。
46年東京・上野動物園に入園。大型動物の担当になり、カバと寝食を共にする飼育で有名になった。81年東武動物公園(宮代町)の園長に就任。テレビや雑誌で「カバ園長」として親しまれ、連載漫画のモデルにもなった。
10/7
■華 ばら(漫才「フラワーショウ」のメンバー)神戸市
7日午前10時5分、肝不全のため神戸市内の病院で死去、69歳。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は「フラワーショウ」でともに活動した華ゆり。
1961(昭和36)年、華ぼたんさんをリーダーに女性漫才トリオのフラワーショウを結成。大阪の松竹芸能に所属し「ようこそ〜みなさま〜」という歌い文句や、にぎやかな話芸で人気を集めた。ぼたんが89年に亡くなった後は、ゆりとコンビで活動していた。上方漫才大賞奨励賞や、上方お笑い大賞特別賞などを受賞。
10/2
■タマラ・ドブソン(米女優)メリーランド州ボルティモア
2日、メリーランド州の医療施設で肺炎と多発性硬化症の合併症により死去、59歳。
モデルから女優に転身。190センチ近い長身と美ぼうで知られ、映画「クレオパトラ危機突破」(1973年)や「チェーンヒート」(83年)などに出演した。
9/30
■多々良 純(俳優)宮城県
9月30日午後0時40分、肺機能不全のため東京都内の病院で死去、89歳。出身。葬儀・告別式は親族のみで済ませた。喪主は妻。
劇団民芸で「炎の人ゴッホ」などに出演。映画でも積極的に活躍、「七人の侍」「人間の条件/第一・二部」「無法松の一生」などの作品で、脇役として異彩を放った。
その後も映画やテレビドラマに多数出演し、喜劇的な演技もこなせるベテランとして存在感を示した。
9/24
■丹波哲郎(俳優)東京都
24日午後11時27分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去、84歳。葬儀・告別式は港区南青山、青山葬儀所で。喪主は長男の俳優義隆。
1952年に映画デビュー。ギャングのボスや刑事役などで独特の存在感を示した。 60年代には米映画「太陽にかける橋」への出演をはじめ、「007は二度死ぬ」でショーン・コネリーと共演するなど国際的にも知名度を高めた。代表作に「砂の器」「不毛地帯」「たそがれ清兵衛」など。 テレビでも草創期から活躍、「キイハンター」「Gメン75」など数多くのドラマに出演した。 霊界研究家を自称し、映画「大霊界」シリーズの総監督を務めた。
9/23
■梶本隆夫(元プロ野球阪急ブレーブス投手・監督)岐阜県
23日午前6時26分、呼吸不全のため神戸市内の病院で死去、71歳。葬儀・告別式は、エテルノ西宮で。喪主は長男。葬儀委員長はプロ野球名球会会長の金田正一。
54年、岐阜・多治見工高から阪急(現オリックス)に入団。この年に20勝をマーク。57年の9連続奪三振はプロ野球記録。実働20年で通算254勝255敗。867試合登板は歴代3位。44度の20勝がありながらタイトルと無縁で「無冠のエース」としても知られた。引退後は投手コーチを経て79、80年に監督を務めた。
9/22
■メリー・オア(米作家、女優)ニューヨーク市
9月22日、肺炎のためニューヨーク市で死去、98歳。
46年、田舎出身の女性がブロードウェーのスター女優にのし上がって行くさまを描いた小説をコスモポリタン誌に発表、50年に制作された名画「イヴの総て」(ジョセフ・マンキーウィッツ監督)の原作となった。この映画は同年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞など6部門を受賞した。
9/21
■桂 文春(落語家)和歌山市
21日午後3時55分、気管支ぜんそく重積発作のため大阪府東大阪市の病院で死去、41歳。葬儀・告別式は大阪府吹田市内本町、弥山会館で。喪主は師匠の桂文珍。
87年に入門し、桂文時を名乗った。2000年、文春に改名。大阪にオープンした落語定席・天満天神繁昌亭こけら落とし公演に24日出演する予定だったが、急に体調を崩したという。
9/20
■スベン・ニクビスト(映画カメラマン)スウェーデン
20日、スウェーデンの医療施設で死去、83歳。家族が明らかにした。認知症などで長年、治療を受けていた。死因は不明。
同国映画界の巨匠イングマール・ベルイマン監督に気に入られ、1973年に「叫びとささやき」で、83年に「ファニーとアレクサンデル」で、それぞれアカデミー賞の撮影賞を受賞。芸術的なライティングから「光の魔術師」と呼ばれた。ほかに「存在の耐えられない軽さ」(88年)、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(81年)、「めぐり逢えたら」(93年)などの作品で知られる。
9/19
■マーサ・ホルムズ(元米ライフ誌写真記者) ケンタッキー州
19日、ニューヨーク市内の自宅で死去、83歳。病死とみられる。
44年、ライフ誌では3人目の女性写真記者として入社。異端の画家ジャクソン・ポロックや映画スターのハンフリー・ボガート、ローレン・バコールの写真で知られる。
9/18
■〆さばヒカル(漫才師)山形
18日午後8時20分、肝不全のため山形県内の病院で死去、37歳葬儀・告別式は山形県鶴岡市湯野浜、乗慶院で。喪主は母。
ビートたけしに弟子入りし、〆さばアタルとの漫才コンビで活躍した。(自殺説有り)
9/16
■上之郷利昭(ノンフィクション作家・評論家)三重県
16日午後7時58分、進行胃がんのため東京都板橋区の病院で死去、69歳。葬儀・告別式は新宿区神楽坂の善国寺で。喪主は妻ん。
ロイター通信社などの記者を経て、作家・評論家として独立。作品に商社の破たんを描いた「企業崩壊」、「東本願寺の変」など。戸塚ヨットスクールを肯定的に描いた「スパルタの海」は議論を呼んだ。
9/11
■吉永正人(日本中央競馬会調教師、元騎手)鹿児島県出身
11日午後0時51分、胃がんのため死去、64歳。葬儀・告別式は14日正午から茨城県美浦村美駒、美浦トレーニングセンター厚生会館本館で。喪主は長男。
61年に騎手デビュー。83年にはミスターシービーに騎乗し、ダービーなどクラシック3冠を達成した。このほかモンテプリンスで82年の天皇賞・春を制するなど通算461勝(うち重賞37勝)を挙げた。調教師としては199勝をマークした。
9/1
■竹久千恵子(女優)秋田県
14日(日本時間15日)、脳卒中のため米ハワイ州の病院で死去、94歳。葬儀はハワイ州の自宅で営まれる。喪主は長男クリス・カワカミ。
1930-40年代に多数の映画、演劇に出演。榎本健一、高峰秀子らと共演した。主な出演作品に山本嘉次郎監督「馬」など。戦前に日系人ジャーナリストと結婚して渡米したが、日米開戦のため帰国。戦後、夫と再会して再び渡米した。晩年はハワイで暮らしていた。
9/1
■小林久三(作家)茨城県
1日午前0時42分、脳こうそくのため横浜市青葉区の病院で死去、70歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は妻。
松竹で脚本や映画製作を担当する傍ら推理小説を執筆。「暗黒告知」で江戸川乱歩賞を受賞し、作家として本格デビュー。主な作品に、自衛隊の幻のクーデター計画を描き、映画化もされた「皇帝のいない八月」などがある。
9/6
■巌谷大四(文芸評論家)東京都
6日午後2時、老衰のため東京都杉並区上荻3の2の10の自宅で死去、90歳。葬儀・告別式は杉並区南荻窪、願泉寺で。喪主は三男。
雑誌「文芸」の編集長などを経て文芸評論家に。日本ペンクラブ副会長、日本文芸家協会副理事長を歴任し、文壇のまとめ役として長年にわたって活躍した。父は童話作家の巌谷小波。 主な著書に「非常時日本文壇史」や父の伝記「波の跫音」など。
9/4
■スティーブ・アーウィン(クロコダイル・ハンター)
4日、オーストラリア北東部クイーンズランド州のポートダグラス沖の海中でテレビ・ドキュメンタリー撮影中にアカエイに胸部を刺され、心停止のため死去、44歳。
同州で爬虫類の動物園を経営する両親の下で、子供のころからワニなどを捕獲し、動物園で保護するなどしてきた。 1991年に動物園の経営を引き継ぎ「オーストラリア動物園」と改称。ワニや毒蛇などを捕獲したりするドキュメンタリー「クロコダイル・ハンター」シリーズで世界的に有名になった。
9/2
■デューイ・レッドマン(米ジャズ・テナーサックス奏者)テキサス州
2日、ニューヨーク市内で肝臓病のため死去、75歳。
13歳でクラリネットを始め、後にテナーサックスへ。60年代から、高校時代に知り合ったオーネット・コールマンのグループやキース・ジャレットと共演し、自らのバンドも率いた。力強く、詩的な演奏で知られた。
8/31
■福沢康道(映画撮影監督)東京都
31日、東京都内の病院で死去、82歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は妻。
黒沢明監督「どですかでん」や成瀬巳喜男監督「女の中にいる他人」などの映画、テレビ「ウルトラマン」の撮影を手掛けた。黒沢作品ではほかに「生きる」「赤ひげ」などの撮影助手も務めた。
8/30
■ナギーブ・マフフーズ(ノーベル文学賞作家)カイロ
30日、死去。94歳。血圧の急激な低下と腎機能低下のため、カイロ病院で治療を受けていた。
34年カイロ大卒業。公務員のかたわら文筆活動を続け、30年代末に作品を発表。以来数十年間、多数の小説、映画シナリオを執筆し、88年にアラブ世界で初のノーベル文学賞を受賞。代表的小説に「バイナル・カスライン」「渡り鳥と秋」などがある。
作品は宗教界から反イスラム的との非難を受け、94年にイスラム過激派組織のメンバーに首などを刺されたこともある。
8/31
■ガイ・ガバルドン(元米海兵隊員)
31日、フロリダ州で心臓病のため死去、80歳。
44年6月、海兵隊2等兵として南太平洋のサイパン島上陸作戦に参加。同紙によると、玉砕戦を挑む日本軍に対し、「一匹おおかみ」と自ら名付けた「説得作戦」を提案し、実行した。日本軍が潜む洞窟(どうくつ)などに1人で夜間に潜入。片言の日本語で降伏後には尊厳をもって取り扱うことや、日本への帰還を約束、1日に約800人の日本兵を連れ出すなど計1000人以上を降伏させ、「サイパンの笛吹き男」と呼ばれた。この活躍ぶりは後にテレビドラマや映画にもなった。
8/30
■グレン・フォード(映画俳優)
30日までに死去、90歳。死因は不明だが、これまでに何度か脳卒中を起こしていた。
女優リタ・ヘイワースと共演した「ギルダ」(46年)で有名になり、39~91年の間に80本以上の映画に出演、ロマンスからコメディーまで幅広い役どころを見せた。
救急関係者が30日、同氏が自宅で死亡しているのを発見。警察は事件性はないとしている。
8/29
■ジャンピン・ジーン・シモンズ(米ロカビリー歌手)
29日死去、69歳。長期にわたり病気を患っていた。
1964年、「ホーンテッド・ハウス」が米ビルボードのヒットチャートで11位になったほか、エルビス・プレスリーと一緒に活動した時期もあった。
8/29
■ジョゼフ・ステファノ(米脚本家)
25日に死去、84歳。死因は明らかになっていない。
ソフィア・ローレンが出演した映画「黒い蘭」の脚本を執筆したほか、11960年には米映画会社「20世紀フォックス」の脚本家となり、ヒチコック監督の名作「サイコ」の脚本を担当。米国のSFテレビシリーズ「アウターリミッツ」も共同制作した。
8/29
■ジェラルド・グリーン(米作家)
29日、コネティカット州で肺炎のため死去、84歳。
ポール・ムニが医師の役を演じた映画「ザ・ラスト・アングリー・マン」(59年)の原作者として知られ、小説やノンフィクションを多数執筆。NBCテレビのドラマ「ホロコースト」(78年)の脚本も手掛け、エミー賞を受賞した。
8/23
■沢田駿吾(ジャズギタリスト)愛媛県
28日午前11時1分、肝細胞がんのため東京都武蔵野市の病院で死去、76歳。葬儀・告別式は渋谷区西原、代々幡斎場で。喪主は長男。
60年代にジャズバンド「ダブルビーツ」を結成し、ジャズギターの第一人者として活躍。音楽プロデューサーやジャズスクール経営者として後進を指導した。
8/23
■高木東六(作曲家)鳥取県
25日午前0時5分、肺炎のため埼玉県内の病院で死去、102歳。葬儀・告別式は駿河台、日本ハリストス正教会ニコライ堂で。喪主は長男。
東京音楽学校(現・東京芸大)中退。戦前は宝塚歌劇などの作曲や指揮を手掛け軍歌「空の神兵」も作曲した。 戦後作曲した「水色のワルツ」は、二葉あき子さんが歌い大ヒット。西洋的ハーモニーの美しさを強調した作風で、オペラ「唐人お吉」などクラシックの作品も多い。テレビ「家族そろって歌合戦」の審査員としても親しまれた。
8/23
■メイナード・ファーガソン氏(ジャズトランペッター)
23日、腎臓と肝臓の機能不全のためカリフォルニア州の病院で死去、78歳。
米映画「ロッキー」のテーマ曲の演奏で有名。
28年、カナダ・モントリオールの音楽一家に生まれ、4歳からピアノとバイオリンを始め、9歳でトランペットを手に取った。20歳の時に米国に移り、多くのジャズバンドで活躍。60年代にジャズ人気が下火になると自らのバンドの規模を縮小、一時インドに移り東洋の音楽や哲学にも関心を寄せた。
8/23
■関 敬六(コメディアン)栃木県
23日午前2時8分、肺炎のため東京都千代田区の病院で死去、78歳。葬儀・告別式は葛飾区奥戸、セレモ新小岩ホールで。喪主は妻。
52年にエノケン劇団に入団。その後、東京・浅草のフランス座などで芸を磨き、渥美清さん、谷幹一さんとトリオを結成、熱演型のコメディアンとして頭角を現した。
映画「男はつらいよ」では、主役の寅さんの仕事仲間として登場した。テレビでも「てなもんや三度笠」「花へんろ」など出演作多数。
75年に自ら主宰する劇団をつくり「浅草の軽演劇の灯を消すな」を合言葉に公演していた。
8/20
■ジョー・ローゼンソール(報道カメラマン)
20日、米サンフランシスコ郊外で老衰のため死去、94歳。親族が明らかにした。
AP通信の写真記者として太平洋戦争で激戦となった1945年の硫黄島を取材。同島の摺鉢山に米兵士らが星条旗を立てようとする瞬間をとらえた写真を撮影し、ピュリツァー賞を受賞した。
8/16
■黒柳 朝(エッセイスト、女優黒柳徹子の母)北海道
16日午後44時31分、心不全のため東京都内の病院で死去、95歳。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。喪主は長男。
バイオリニストの黒柳守綱(故人)と結婚し、長女の徹子らを育てた。82年に出版した自伝の「チョッちゃんが行くわよ」は、87年にNHKの連続テレビ小説「チョッちゃん」としてドラマ化されるなど話題を呼んだ。 著書はほかに「トットちゃんと私」など。
8/14
■青山哲也(新派俳優)東京都
14日午前1時36分、すい臓がんのため東京都江東区の病院で死去、66歳。葬儀・告別式は、落合斎場で。喪主は姉。
66年、劇団新派に入り、初代水谷八重子に師事。二枚目俳優としてテレビドラマなどでも活躍した。主な出演作に舞台「遊女夕霧」や「鶴八鶴次郎」など。
8/14
■デューク・ジョーダン(米国のジャズピアニスト)米ニューヨーク
8日、デンマークで死去。84歳。
1940年代後半からチャーリー・パーカーのグループで演奏し、50年代にはニューヨークを中心に活躍した。
代表作は「フライト・トゥ・デンマーク」など。来日経験もあり、各地で演奏会を開いた。
8/2
■八重垣緑(劇団若草社長)東京都
2日午後10時、肥大型心筋症のため東京都内の自宅で死去、75歳。お別れの会は、中野サンプラザで。喪主はいとこ。
劇団若草と芸能プロダクションの八重垣事務所を設立した。詩人金子みすゞのめい。
7/21
■清水九兵衛(彫刻家)名古屋市
21日午後1時21分、腎がんのため京都市南区の病院で死去、84歳。葬儀の日程は未定。密葬は親族のみで行う。
53(昭和28)年東京芸大卒。大学在学中、清水焼の名家、6代目清水六兵衛の養子になり、日展にも作品を発表。66年ごろから彫刻に戻り、アルミニウム合金を鋳造して磨いた抽象彫刻シリーズを発表して注目され、77年に日本芸術大賞を受賞。80年ごろから作陶も再開し、7代目を継いだ。
元京都市立芸大教授。紫綬褒章受章。代表作に「朱竜」など。
7/21
■マコ・イワマツ(米国の日系人俳優)神戸
米カリフォルニア州南部の自宅で21日、食道がんのため死去、72歳。
15歳の時に、既に渡米していた両親を追って米国に渡り、軍役を経て演劇の道に。スティーブ・マックィーンと共演した「砲艦サンパブロ」(66年)でアカデミー賞助演男優賞候補となるなど、アジア系の本格俳優として脚光を浴びた。「コナン・ザ・グレート」(82年)ではシュワルツェネッガー現カリフォルニア州知事と共演。ほかに「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(97年)「パール・ハーバー」(2001年)や、「梟の城」(1999年)などの日本映画にも出演した。
7/20
■ジェラール・ウーリー(仏の映画監督)パリ
20日、フランス南部サントロペの自宅で死去、87歳。死因は不明。
俳優を志し、38年コンセルバトワールに入学、39年に初舞台を踏んだ。第2次大戦中はユダヤ人迫害を逃れるためスイスなどに亡命。映画初監督作品は59年の「熱い手」。64年の「大追跡」の成功に続き、66年の「大進撃」は観客動員数が1700万人を超える大ヒットになった。
他の代表作は「大頭脳」(68年)や「大乱戦」(71年)など。女優のミシェル・モルガンが私生活上のパートナーだった。
7/19
■ジャック・ウォーデン(米俳優)ニュージャージー
ニューヨークの病院で19日、死去、85歳。詳しい死因は不明だが、関係者は高齢のためとしている。
ボクサー、陸軍落下傘部隊員などを経て映画界入り。落ち着いた演技の性格俳優として知られ、「シャンプー」(75年)、「誘惑のアフロディーテ」(95年)「フランダースの犬」(98年)などに出演。「シャンプー」と「天国から来たチャンピオン」(78年)でアカデミー賞助演男優賞に2度ノミネートされた。
7/17
■ミッキー・スピレイン(米推理作家)AP通信によると、
自宅のあるサウスカロライナ州で17日死去、88歳。死因などの詳細は明らかになっていない。
ニューヨークのブルックリン地区生まれ。1940年代に私立探偵マイク・ハマーを主人公にした「裁くのは俺だ」を発表して人気を博し、その後も暴力やセックスをちりばめたハマーものの作品を発表。62年発表の「ガールハンター」などは映画化され、自らハマー役を演じた。
自らを流行作家と割り切り、評論家からの批判的意見を意に介さなかった。
7/13
■宮田征典(プロ野球元巨人投手)群馬県
13日午後2時11分、肝不全のため群馬県前橋市の病院で死去、66歳。葬儀・告別式、喪主はいずれも未定。
日大から62年に巨人に入団し、主にリリーフ投手として活躍。65年は69試合に登板し、20勝(5敗)をマークした。登板時の時刻が午後8時半前後だったことから「8時半の男」と呼ばれた。通算成績は在籍8年で45勝30敗、防御率2.63。現役引退後、巨人、日本ハム、西武など
7/10
■薗田憲一(ジャズ・トロンボーン奏者)高知県
12日午前4時54分、食道がんのため横浜市瀬谷区の病院で死去、76歳。葬儀・告別式は品川区西五反田、桐ケ谷斎場で。後日、音楽葬を行う。喪主は妻美智子。
60年に「薗田憲一とデキシーキングス」を結成。旧ソ連で演奏旅行をするなど海外でも活躍し、77年に米ニューオーリンズ市から名誉市民の称号を贈られた。
7/12
■赤塚真知子(漫画家赤塚不二夫さんの妻、フジオ・プロダクション社長)
12日死去、56歳。東京都出身。葬儀・告別式は親族で済ませた。後日、お別れの会を開く予定。喪主は長女りえ子。
7/10
■甲斐智枝美(元タレント)福岡県
10日午前、心不全のため千葉県習志野市の自宅で死去(首つり自殺)、43歳。葬儀・告別式は既に済ませた。喪主は夫。
オーディション番組「スター誕生!」をきっかけに80年、シングル曲「スタア」で歌手デビュー、女優としても活躍した。90年に結婚、引退した。
10日朝、自宅で亡くなっているのを家族が発見した。
7/8
■ジューン・アリスン(米女優)
カリフォルニア州南部の自宅で8日、呼吸器系疾患のため死去、88歳。
1917年ニューヨーク州ブロンクスで貧しい家庭に生まれ、ブロードウェーのコーラスガールなどを経て女優に。40−50年代に「甦る熱球」(49年)、「グレン・ミラー物語」(54年)などに出演、朗らかなキャラクターで「米国人男性があこがれる理想の妻」と呼ばれた。50年代以降は主にテレビなどに出演。
7/5
■松村彦次郎(俳優)東京都
5日午前8時10分、脳出血のため埼玉県戸田市の病院で死去、79歳。葬儀・告別式は草加市瀬崎町、谷塚斎場で。喪主は長男。
テレビドラマ「おしん」「蔵」などに出演。宮沢賢治作品の一人芝居で11996年にイーハトーブ賞を受けた。
7/2
■七尾伶子(女優)東京都
2日午後0時44分、肺こうそくのため東京都大田区の病院で死去、81歳。葬儀は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。喪主は夫の俳優臼井正明。
1942年にNHK東京放送劇団に入り、声優の草分けとして「君の名は」など戦後の人気ラジオドラマで活躍。以後、映画「病院で死ぬということ」や舞台「野分立つ」に出演するなど、幅広く活動した。
7/1
■橋本龍太郎(前衆院議員、元首相)岡山県
1日午後2時、多臓器不全、敗血症性ショックのため東京都新宿区の病院で死去、68歳。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は長男。
政府、自民党は後日、内閣・自民党合同葬を行うことを検討している。
慶応大卒。父龍伍氏の地盤を引き継ぎ、衆院当選14回(岡山4区)。日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件を受け自民党橋本派会長を辞任、昨年9月の衆院選に出馬せず政界を引退していた。橋本岳衆院議員は二男。 厚相、運輸相、自民党幹事長、蔵相、党政調会長、通産相などを歴任し、96年1月、村山富市首相の退陣を受けて第82代首相に就任。現在の1府12省庁の中央省庁再編に道筋を付けた。
6/29
■松本きょうじ(俳優)神奈川県
6月29日、胃がんのため神奈川県小田原市の病院で死去、51歳。葬儀・告別式は親族のみで済ませた。
新国立劇場開場記念公演「紙屋町さくらホテル」や「太鼓たたいて笛ふいて」など井上ひさし作品を中心に舞台で活躍、演出も手がけた。
6/29
■大西忠生(サッカー元日本代表)京都市
29日午前5時18分、肺がんのため横浜市の病院で死去、63歳。出身。葬儀・告別式は親族だけで行う。草津温泉フットボールクラブが近くしのぶ会を開く予定。
京都教育大から67年に三菱重工(現浦和レッズ)入りし、ディフェンダーとして日本代表に選ばれ、代表コーチも務めた。74年に引退。
02年に現クラブの前身、草津温泉スポーツクラブ、Jリーグ2部ザスパ草津運営クラブ社長兼ゼネラルマネジャーのゼネラルマネジャーに就任。
03年に肺がんと知ったが、一線から退くことなく04年のチームJ2昇格に尽力した。
6/24
■川合伸旺(俳優)愛知県
24日午後7時56分、脳こうそくのため東京都中央区の病院で死去、74歳。葬儀・告別式は代々幡斎場で。喪主は妻。
映画や舞台、テレビドラマなどに幅広く出演。ニヒルな悪役が多く、「水戸黄門」「暴れん坊将軍」など時代劇の悪代官役で知られた。
声優としても活躍、米俳優ポール・ニューマンの声などを担当した。
6/20
■クレイデス・スミス(米ミュージシャン)
20日、米ニュージャージー州で死去、57歳。死因などは不明。
1970-80年代に活躍した米国のバンド「クール・アンド・ザ・ギャング」の結成時のメンバーでギタリスト。全米でヒットした「セレブレーション」の作曲も手掛けた。
6/23
■二十山勝彦(大相撲元大関北天佑)北海道
23日正午、腎臓がんのため東京都文京区の病院で死去、45歳。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻。
76年春場所、三保ケ関部屋から初土俵。83年夏場所後に大関に昇進した。均整の取れた体と怪力を生かした豪快な相撲で優勝2回を記録。大関在位は史上2位の44場所。
90年秋場所で引退し、94年に二十山部屋を興した。今年の春先に脳こうそくで倒れ、入院していた。
6/17
■宗 左近(詩人)北九州市
23日までに死去していたことが分かった。87歳。自宅は非公表。死去した日時など詳細は後日発表の予定。
草野心平の詩誌「歴程」に参加。空襲で母と死に別れた体験を描いた長編詩集「炎える母」で68年に歴程賞を受賞した。縄文土器を通じて戦死者の世界とつながろうとする「縄文」シリーズなど、連作詩集を精力的に発表。詩集に「藤の花」(詩歌文学館賞)、「縄文」など。 縄文美術の評論を多く手掛け、ロラン・バルト「表徴の帝国」などを翻訳。法政大、昭和女子大の教授を歴任。各地の校歌の作詞でも知られた。04年にスウェーデンのチカダ賞を受けた。千葉県市川市名誉市民。
6/17
■近藤芳美(歌人、文化功労者)旧朝鮮
21日午前10時1分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、93歳。葬儀・告別式は親族のみで行い、後日、「近藤芳美をしのぶ会」を開く予定。喪主は歌人の妻とし子。 東京工大卒。旧制広島高校時代から「アララギ」に入り中村憲吉、土屋文明に師事した。「新歌人集団」を結成、51年に歌誌「未来」を創刊した。代表歌に「たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき」など。 戦後短歌の旗手的存在で、現代歌人協会理事長として歌壇をリードした。69年迢空賞、96年文化功労者。歌集「早春歌」「黒豹」など。中国新聞、信濃毎日新聞、朝日新聞などの歌壇選者を長く務めた。
6/17
■宮部昭夫(俳優)北海道函館
17日午前2時21分、肝臓がんのため東京都新宿区の病院で死去、75歳。葬儀・告別式は落合斎場で。喪主はパートナーの桜井とし子。
舞台「マリアの首」、映画「幕末太陽伝」「日本のいちばん長い日」などに出演。声優としては、スティーブ・マックイーンの吹き替えで親しまれた。最近では北野武監督の映画「みんな〜やってるか!」に出演。
6/13
■岩城宏之(NHK交響楽団正指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督)東京都
13日午前0時20分、心不全のため東京都内で死去、73歳。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
ベルリン・フィル、ウィーン・フィルをはじめとする世界の主要オーケストラと多数共演し、国際的に活躍した。
札幌交響楽団桂冠指揮者などを務めた。日本芸術院会員。紫綬褒章、サントリー音楽賞などを受けた。
6/12
■青木智仁(ジャズベーシスト)神奈川県
12日午後、急性心不全のため東京都品川区の病院で死去した。49歳。葬儀・告別式は神奈川県鎌倉市腰越の満福寺で喪主は妻。
渡辺貞夫グループなどに参加、さまざまなセッションで活躍した。
6/8
■ロバート・ドナー(米俳優)ューヨーク
米カリフォルニア州南部シャーマンオークスの自宅で8日、心臓発作のため死去した。75歳。
高校卒業後、海軍などを経て、カリフォルニアに移り、性格・喜劇俳優として映画「エル・ドラド」(66年)や70年代−90年代のテレビ番組「刑事コロンボ」のシリーズに出演した。
6/7
■大橋節夫(ハワイアンギター奏者、歌手)東京都
7日午後8時37分、呼吸不全のため東京都大田区の病院で死去、81歳。葬儀・告別式は東京都港区北青山、善光寺で。喪主は長男。
戦後間もなくハニーアイランダーズを結成、ハワイアンブームを巻き起こした。ジャズのジョージ川口さんや笈田敏夫さんと交流し、若者から高い支持を集めた。
ヒット曲に「倖せはここに」など。加山雄三さんの「お嫁においで」の編曲、ギター演奏でも知られる。
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■アーノルド・ニューマン(米写真家)
6日、心臓発作のためニューヨークの病院で死去、88歳。
肖像写真の第一人者。ニューヨークを拠点に活動し「ライフ」誌などに作品を発表。スペインの画家ピカソや米女優マリリン・モンローをはじめ世界の芸術家や政治家らを撮影、日本でも写真展が催された。20世紀を代表するロシア生まれの作曲家ストラビンスキーがピアノに向かう姿を収めた写真などが代表作とされる。
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■ヒルトン・ルイス(米ジャズピアニスト)ニューヨーク
6日未明、米ルイジアナ州ニューオーリンズの病院で死去、54歳。
ハリケーン「カトリーナ」の被災者支援の音楽活動のために訪れたニューオーリンズで5月に転倒、昏睡状態が続いていた。
幼少時からクラシックやジャズを学び、8歳の時に音楽の殿堂として名高いニューヨークのカーネギーホールで演奏。サックス奏者のソニー・フォーチュンと知り合ってジャズ界に入り活躍した。
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■ビリー・プレストン(米シンガー・ソングライター兼キーボード奏者)テキサス州ヒューストン
6日、米西部アリゾナ州の病院で死去、59歳。死因は明らかにされていないが、腎移植手術が失敗し昨年11月から意識不明の状態だった。
10代で本格的な音楽活動に入り、60年代にビートルズに出合った。ジョージ・ハリスンさんの誘いで「レット・イット・ビー」などの演奏に参加。「5人目のビートルズ」と呼ばれていた。代表作は「ナッシング・フロム・ナッシング」など。90年代には、薬物中毒や保険金詐欺事件などスキャンダルに見舞われ、その後は、ゴスペル音楽分野で演奏活動を続けた。
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■清岡卓行(芥川賞作家、詩人)中国・大連
3日午前6時40分、間質性肺炎のため東京都東村山市の病院で死去、83歳。葬儀・告別式は親族で済ませた。喪主は妻の作家岩阪恵子。
フランスの詩人ランボーに傾倒し東大仏文科に学ぶ。59年、叙情的な第一詩集「氷った焔」を刊行。その後、独特の世界を作り上げた。
大連の街の記憶と、亡き妻との出会いを小説にした「アカシヤの大連」で70年に芥川賞を受賞。他に中国紀行「芸術的な握手」、詩集「円き広場」、小説「マロニエの花が言った」など。 日本芸術院会員。元法政大教授。
5/29
■福薗昭男(大相撲元関脇鶴ケ嶺、前井筒親方)鹿児島
29日午後6時6分、敗血症のため大分県別府市の病院で死去、77歳。近親者による密葬を行い、後日東京でしのぶ会を行う予定。
53年春場所新入幕。最高位は関脇で、67年名古屋場所で引退するまで幕内には77場所在位した。もろ差しの名手として鳴らし、技能賞10回受賞。
引退後は井筒部屋の師匠として大関霧島(現陸奥親方)のほか、鶴嶺山、逆鉾(現井筒親方)、寺尾(現錣山親方)の3人の息子も関取に育てた。
5/29
■岡田真澄(俳優)フランス・ニース
29日午前4時5分、食道がんのため東京都内の病院で死去、70歳。葬儀は近親者のみで営む。お別れの会を東京都港区南青山青山葬儀所で行う。喪主は妻。
昨年6月、食道がんが見つかり手術、芸能活動を再開したが、再び体調を崩し療養していた。 日本人の父親とデンマーク人の母親の間に生まれた。52年、日劇ミュージックホールで初舞台。日活に入社し「初恋カナリヤ娘」で映画デビュー。「狂った果実」「幕末太陽伝」など100本以上に出演した。 日活退社後は、ミュージカルなど舞台を中心に活動。テレビドラマやバラエティー番組、ショーの司会役で活躍し「ファンファン」の愛称で親しまれた。司会者95年恵子と再婚した。
5/26
■山本英一郎(日本野球連盟前会長)岡山県
26日、東京都世田谷区梅丘の自宅で死去、87歳。葬儀・告別式は未定。
台湾・台北一中から慶大を経て社会人の鐘紡入り。その後、東京六大学などの審判を務め、アマ野球解説者に。 社会人野球を統括する日本野球連盟会長のほか、国際野球連盟第一副会長も兼務。野球の五輪採用に尽力し、アマチュア球界でのキューバ選手の受け入れも実現させ「アマ球界のドン」と呼ばれた。97年に野球殿堂入りした。
5/25
■米原万里(作家)東京都
25日午後1時12分、卵巣がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で死去、56歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。後日、友人葬を開く予定。
日本共産党衆院議員だった父・故米原昶氏の仕事の関係で少女時代を旧チェコスロバキアのプラハで過ごした。帰国後、東京外語大、東大大学院で学び、ロシア語通訳として国際会議や要人の同時通訳で活躍した。 通訳の体験をつづった軽妙なエッセー「不実な美女か貞淑な醜女か」で95年に読売文学賞を受賞。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(大宅壮一ノンフィクション賞)、長編小説「オリガ・モリソヴナの反語法」(ドゥマゴ文学賞)などで広範な読者を得た。
テレビのコメンテーターとしても活躍。ロシア語通訳協会会長、日本ペンクラブ常務理事を務めた。。井上ユリさんは作家井上ひさし氏の妻。
5/10
■ヴァル・ゲスト(英映画監督)ロンドン
10日、前立腺がんのため米カリフォルニア州パームスプリングズの施設で死去、94歳。
10代からの映画雑誌への寄稿、俳優業などを経てコメディー映画を監督。英国と米国で主にSF映画を監督し人気を得た。主な作品に「原子人間」(55年)、「007 カジノ・ロワイヤル」(67年)、「恐竜時代」(69年)など。
5/16
■田村高広(俳優)京都市
16日午前0時19分、脳梗塞のため東京都内の病院で死去脳梗塞で16日に亡くなっていたことが18日に分かった。77歳。故人の遺志で葬儀は近親者のみで行い、亡くなった日時や死因などは葬儀後に公表する。喪主は長男。
14日朝、自宅で田村さんの様子がおかしいことに同居中の長女夫妻が気づき、救急車で病院に運んだという。1
田村事務所は「できれば、父親(阪東妻三郎)の命日である7月7日に、お別れの会を開きたい」としている。
昭和初期から戦後にかけ「バンツマ」の名で愛された時代劇スター阪東妻三郎の長男で、弟の田村正和さん、田村亮さんも俳優。 同志社大を卒業後、会社員になったが、53年に父親が急死し松竹に入社。翌年、木下恵介監督「二十四の瞳」で教え子役を好演し、豪放さが売り物の父親とは異なる二枚目路線を歩んだ。
故勝新太郎さんとの共演で65年から始まった「兵隊やくざ」シリーズは代表作の一つ。勝さんが演じる傍若無人な主人公とは対照的に、知性的でニヒルな上等兵を好演。その後も「天平の甍」「泥の河」「海と毒薬」などで味わい深い演技を見せ、ドラマなどでも貴重な脇役として存在感を示した。
91年紫綬褒章、99年勲四等旭日小綬章を受章。
5/11
■湯川スミ(故湯川秀樹博士夫人)大阪市
14日午後2時4分、胃がんのため京都市左京区下鴨泉川町の自宅で死去、96歳。葬儀・告別式は京都市東山区五条橋東、公益社中央ブライトホールで。喪主は孫。
1932年に湯川博士と結婚。米プリンストン高等学術研究所客員教授に赴任した博士の秘書役を務め、49年のノーベル賞授賞式に同行した。
81年に博士が死去後、博士の悲願だった核兵器廃絶の遺志を受け継いで平和運動を本格化。87年、世界38カ国、56団体で構成する世界連邦世界協会(現・世界連邦運動)の名誉会長に就任し、運動の先頭に立った。 著書に自叙伝「苦楽の園」がある。
5/11
■フロイド・パターソン(ボクシングの元世界ヘビー級王者)
11日、死去。71歳。親せきによると、アルツハイマー型認知症と前立腺がんを患っていた。
52年ヘルシンキ五輪のミドル級で金メダルを獲得後、プロ転向。56年にアーチー・ムーアを破り、史上最年少(当時)の21歳でヘビー級王者になった。59年にインゲマル・ヨハンソンに敗れたが、翌年ヘビー級で史上初めて、一度負けた相手から王座を奪い返した。
62年にソニー・リストンに敗れ王座を去った後は、ムハマド・アリらと対戦。ヘビー級が人気だった当時の主役の一人だった。
5/10
■松野頼三(元自民党衆院議員、元防衛庁長官)熊本県
10日午後4時47分、心不全のため東京都港区の病院で死去、89歳。葬儀・告別式は南青山、青山葬儀所で行う方向で調整している。喪主は長男の民主党衆院議員、頼久。
歴代首相と太いパイプを持ち「政界の寝業師」の異名を取った。参院議長を務めた父鶴平氏が吉田茂元首相の参謀役だった縁で吉田氏の首相秘書官となり、47年には衆院旧熊本1区から出馬し初当選。以来当選15回を重ね、総務長官、労相、防衛庁長官、農相を歴任、三木政権時代に自民党政調会長、総務会長を務め、三木武夫首相の側近として知られた。 同じ福田派に所属していた小泉純一郎首相とは、首相就任後も会食したり官邸で度々会談するなど親密で、政界で一匹おおかみ的な存在の首相にとって数少ない「相談役」としても有名だった。
5/7
■並河萬里(写真家)東京都
7日午後9時35分、肺がんのため神奈川県鎌倉市の病院で死去、74歳。葬儀・告別式は世田谷区北烏山4、源良院で。喪主は妻。
民放テレビ局を経てフリーに。取材先のシリアで遺跡が破壊されるのを目撃して以来、文化財撮影を生涯のテーマに据えた。中近東やアジア、中南米など幅広いフィールドで活躍した。長く国連教育科学文化機関(ユネスコ)の顧問を務め、文化財の保存を広く訴え続けた。93年、疎開のため幼少期を送った島根県に作品を寄贈した。94年、紫綬褒章受章。
5/7
■曽我町子(そ声優、女優)東京都
7日午前1時ごろ、すい臓がんのため、東京都国立市の自宅で死去、68歳。葬儀・告別式は親族だけで営む。喪主は弟。
テレビアニメ「オバケのQ太郎」でオバQの初代の声を担当、NHKの人形劇の声優も務めた。俳優としても特撮テレビ番組で女王役などを演じた。
国立市で輸入雑貨店を経営。警視庁立川署によると、7日に出勤しなかったため、関係者が自宅を訪ねたところ、亡くなっているのを発見した。
5/7
■松山恵子(演歌歌手)愛媛県
7日午後6時7分、肝臓がんのため埼玉県越谷市の病院で死去、69歳。出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。
中学2年で歌唱コンクールに入賞したのを機に55年デビュー。「未練の波止場」のほか「お別れ公衆電話」「だから云ったじゃないの」などがヒットし、紅白歌合戦に8回出場。庶民派歌手として「お恵ちゃん」のニックネームで親しまれた。肝臓がんを患い、昨年秋から病状が悪化していた。
5/6
■リリアン・ガートルド・アスプルンド(タイタニック号沈没事故の最後の米国人生存者)
6日、米東部マサチューセッツ州ボストン近郊の自宅で死去、99歳。死因は不明。
5歳だった1912年4月、英国からニューヨークに向かって初航海中の豪華客船タイタニック号に家族と乗船。同船が大西洋で氷山に衝突、沈没した事故で父親と3人の兄弟を失う一方、リリアンは母親(64年死去)と別の弟(83年死去)と一緒に救助された。秘書の仕事を早期退職し、心に深い傷を負った母親の世話をした。生涯独身だった。
5/6
■萱野 茂(アイヌ民族初の国会議員)北海道
6日午後1時38分、急性肺炎のため札幌市東区の病院で死去、79歳。葬儀・告別式は平取町中央公民館で。喪主は妻。
75年、アイヌの民話をまとめた著作「ウエペケレ集大成」で菊池寛賞、89年に吉川英治文化賞を受賞した。
二風谷ダムをめぐる土地強制収用裁決の取り消しを求めた訴訟の原告で、97年3月、札幌地裁はアイヌ民族の「先住性」を初めて認める判決を言い渡した。
92年の参院選に社会党から出馬し次点となったが、94年に繰り上げ当選。96年、民主党に移り、98年引退。「アイヌ文化法」の成立に貢献した。
5/5
■上本孝一(プロ野球セ・リーグ審判員、元広島捕手)京都府
5日午前11時40分、心筋こうそくのため、埼玉県朝霞市膝折町の自宅で死去、43歳。葬儀・告別式は朝霞市斎場で。喪主は妻。
京都・西舞鶴高から捕手として82年にドラフト5位で広島入団。85年からはセ・リーグ審判員。一塁塁審を務めた4日の中日−横浜戦(ナゴヤドーム)まで通算1412試合に出場した。
5/4
■吉行理恵(作家・詩人)東京都
4日午後3時26分、甲状腺がんのため東京都内の病院で死去、66歳。葬儀は親族で済ませた。
学生時代から詩作を始め、68年に詩集「夢のなかで」で田村俊子賞を受けた。小説も書き、81年に「小さな貴婦人」で芥川賞。短編集「黄色い猫」で女流文学賞。
NHKの連続テレビ小説「あぐり」の原作者で美容家の吉行あぐりと作家の故エイスケの二女で、兄は作家の故淳之介、姉は女優の和子。
4/29
■ジョン・ガルブレイス(米国の経済学者)カナダ・オンタリオ
29日夜、老衰のため米マサチューセッツ州の病院で死去。97歳。
米カリフォルニア大で学んだ後、37年に米国籍を取得。40年代にはニューディール政策に参画、物価統制局でインフレ対策に取り組んだ。48年からハーバード大で教え、同大名誉教授。 日本でも翻訳されベストセラーとなった「不確実性の時代」や「ゆたかな社会」などの著作で、少数の大企業に支配される米国型資本主義の在り方を批判、公共サービスの充実や、政府による規制の必要性を説いた。健全な社会構築に向けたさまざまな提言を行い、政治、社会、外交など幅広い分野に影響を与えた。
61-63年にはケネディ元大統領に任命されインド大使を務めた。
4/29
■三遊亭円弥(落語家)。東京都
29日午後2時57分、肝臓がんのため東京都新宿区の病院で死去、69歳。葬儀・告別式は台東区蔵前4の18の10、セレモニーホール浄念で。喪主は長男。
58年、八代目春風亭柳枝に入門、師匠死後、六代目三遊亭円生門下に。「七段目」など芝居を題材にした話を得意とした。
4/29
■沼田曜一(俳優)岡山県
29日午後、心不全のため自宅で死去した。81歳。葬儀・告別式は所沢市北原町、所沢市斎場で。喪主は妻。
NHK大阪放送劇団を経て、映画界入り。太平洋戦争での学徒兵の悲惨な最期を描いた「きけ、わだつみの声」の主演などで注目を集めたのをはじめ、任きょう映画の悪役もこなした。主な出演作に「真空地帯」「天平の甍」「深い河」など。 一方、旅先で聞いた各地の民話収集に興味を持ち「大地の劇場」を設立、全国で民話を語り聞かせる手づくり公演を続けた。
4/25
■川崎徳次(元プロ野球西鉄監督)佐賀県
25日午後零時16分、胆管がんのため福岡県久留米市の病院で死去、84歳。葬儀・告別式は久留米市野中町、久留米草苑で。喪主は長女。
40年に南海に入団。その後巨人、西鉄と移籍し、2リーグ分立後の53年には24勝15敗、防御率1.98でパ・リーグの最多勝と最優秀防御率の2冠を獲得。57年に引退するまで通算188勝156敗の成績を残した。 現役引退後は西鉄のヘッドコーチとして三原脩監督を支え、60年から2年間監督を務めた。
4/22
■アリダ・バリ(イタリアの女優)
22日、ローマの自宅で死去、84歳。死因は不明。10代で映画デビューし、イタリアの国民的女優になった。ヒチコック監督「パラダイン夫人の恋」やキャロル・リード監督「第三の男」などに出た後、ビスコンティ監督「夏の嵐」の伯爵夫人役で名声を不動にした。控えめだが個性的な演技で知られた。
4/19
■飯田善国(彫刻家、詩人)栃木県
19午後6時28分、心不全のため長野県松本市の病院で死去、82歳。葬儀・告別式は近親者だけで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は妻カタリーナ。
慶応大文学部を卒業後、東京芸大で梅原竜三郎らに師事。1950年代の欧州留学で彫刻を学んだ。10年以上の滞在中に個展を多く開き、「HITO」シリーズなどを発表した。 帰国後、金属面の反射を生かしたモニュメントや野外彫刻を多く手掛けた。作品に「大地からの閃光」や、多面体シリーズなどがある。 詩人としても知られ「見知らぬ町で」などの詩集や、作家論「ピカソ」があり、幅広い活動を続けた。法政大教授を務めた。
4/12
■ジューン・ポインター(米歌手)
11日、がんのため米カリフォルニア州の病院で死去、52歳。
、グループ「ポインター・シスターズ」メンバー。3人の姉とともに幼いころから同州中部の教会で歌に慣れ親しみ、1970年代「ポインター・シスターズ」としてデビュー。80年代に「スロー・ハンド」「ジャンプ」などをヒットさせた。
4/12
■黒木和雄(映画監督)宮崎県
12日午後3時43分、脳こうそくのため東京都板橋区の病院で死去、75歳。葬儀・告別式の日取りなどは未定。
数日前に軽い脳こうそくと診断され入院、12日容体が急変したという。
同志社大卒業後、54年に岩波映画に入社。記録映画を多数手掛けた後フリーに。「竜馬暗殺」「祭りの準備」などの演出で高く評価された。
88年「TOMORROW/明日」は、長崎に原爆が投下される前日の市民生活を描写。宮崎で過ごした自らの体験を基に終戦前後を描いた「美しい夏キリシマ」、井上ひさしさん原作で原爆投下後の広島を舞台にした「父と暮せば」を続けて発表、戦争レクイエムとして傑出した3部作となった。
終戦間近の鹿児島を舞台にした新作「紙屋悦子の青春」をすでに撮り終えており、ことし8月に公開が決まっていた。
4/10
■森川周三(ジャズトランペット奏者)東京都
10日午後5時1分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去、75歳。告別式は親族だけで行う。「お別れ会」は江戸川区西瑞一之江セレモニーホールで。喪主は妻。
「原信夫とシャープス&フラッツ」でリードトランペッターとして活躍した。
4/5
■ジーン・ピットニー(米ポップ歌手)米コネティカット州
5日、公演先の英ウェールズ・カーディフのホテルで死亡しているのをマネジャーが発見、65歳。詳しい死因は不明。
60年代に歌手として名を上げ、美声でファンを魅了。「リバティ・バランスを射った男」「タルサからの24時間」などのヒット曲を出した。日本では「ルイジアナ・ママ」が大ヒット。 今月は英国を巡回公演中で、4日夜はカーディフのコンサートで元気に歌ったという。
4/3
■絵門ゆう子(エッセイスト、元NHKアナウンサー)東京都
3日午後10時43分、転移性乳がんのため東京都中央区の病院で死去、49歳。葬儀・告別式は中央区明石町、聖路加国際病院礼拝堂で。喪主は夫。
池田裕子の名前でアナウンサーとして活躍、がんを患ってからは自らの体験を著書にまとめ、講演活動なども続けていた。
4/3
■村上元三(作家)東京都
3日午後2時6分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、96歳。葬儀・告別式は台東区上野公園、寛永寺輪王殿で。喪主は長男。
1941年「上総風土記」で直木賞受賞。戦後「佐々木小次郎」を新聞に連載、流行作家に。「加賀騒動」「水戸黄門」「平賀源内」など現代的な視点で、時代小説に新しい光を当てた。舞台劇や映画、テレビドラマの脚本も多い。
4/1
■アイ高野(ミュージシャン)福岡市
1日午後11時33分、心不全のため東京都足立区の病院で死去、55歳。葬儀・告別式は大田区西糀谷白蓮蒲田ホールで。喪主は母。
1966年、グループサウンズ「ザ・カーナビーツ」でデビュー。ボーカルとドラムスを担当。「おまえのすべて」と叫び「好きさ好きさ好きさ」を大ヒットさせた。以後、「ザ・ゴールデン・カップス」に加わり、80年には「クリエーション」に参加。「ロンリーハート」などがヒットした。
4/1
■松本竜助(漫才師、タレント)徳島県
1日午前5時2分、3月22日夜、大阪市内で倒れ、緊急入院。脳出血のため大阪市天王寺区の病院で死去、49歳。葬儀・告別式は大阪市北区長柄西大阪北玉泉院で。喪主は妻。 吉本興業に所属。島田紳助と組んだ漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」で人気を得た。リーゼントに作業服姿で乱暴な言葉も使う「ツッパリ漫才」で、70年代後半からの漫才ブームの一翼を担った。85年のコンビ解散後は「竜介」を「竜助」と改名、芸能活動を続けていた。
3/31
■ジャッキー・マクリーン(米サックス奏者)ニューヨーク
3月31日、米コネティカット州ハートフォードの自宅で死去、73歳。
10代のころからサックスに親しみ、19歳の時、大物ジャズ奏者の故マイルス・デイビス氏らとレコーディング。1959年の「ジャッキーズ・バッグ」では自由な演奏スタイルが注目を集め、その後も「ブルーノート」レーベルから発表した多くのアルバムが人気を呼んだ。
3/28
■ドン・アライアス(米パーカッショニスト)3月28日、ニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去、66歳。死因は調査中。
ニューヨーク出身。生物学を学ぶため暮らしていた米東部ボストンでの交遊がきっかけで黒人女性ジャズ歌手、故ニーナ・シモンのドラム奏者に。
1969年、シモンとの共演がジャズの帝王、故マイルス・デイビス氏に注目され、ジャズ史上で不朽の名作といわれるアルバム「ビッチェズ・ブリュー」のパーカッショニストとして制作に参加した。
3/27
■ブリット・ロモンド(米俳優)シカゴ
米カリフォルニア州南部の高齢者施設で、腎臓疾患のため死去、80歳。死亡日は3月22日との情報もあるが未確認。
第2次大戦に従軍後、演劇界に。1950年代の人気テレビシリーズ「快傑ゾロ」で敵役を演じ人気となり、同名の映画(58年)にも出演。テレビの西部劇シリーズ「ローハイド」などに出た後、テレビドラマなどの監督を務めた。
3/27
■スタニスワフ・レム(ポーランドのSF作家)
27日、ポーランド南部クラクフで心不全のため死去、84歳。
1972年にカンヌ映画祭で審査員特別賞を受けたソ連映画「惑星ソラリス」の原作となった小説「ソラリスの陽のもとに」で知られる。
同作品は2002年、米国のスティーブン・ソダーバーグ監督が原作により忠実に映画化した。1921年に現在のウクライナ・リビウで生まれ、多数のSF作品を残した。
3/26
■矢野浩三郎(翻訳家、明星大教授)福岡県
3月26日午後7時45分、骨髄性白血病のため神奈川県相模原市の病院で死去、69歳。出身。葬儀・告別式はすでに済ませ、後日、しのぶ会を開く予定。喪主は妻。
スティーブン・キングの「ミザリー」、ケン・フォレットの「大聖堂」、ジョルジュ・シムノンの「モンマルトルのメグレ」などを翻訳した。
3/25
■リチャード・フライシャー(米映画監督)ニューヨーク
25日、米カリフォルニア州南部の病院で死去、89歳。死因は老衰とされるが、詳細は不明。
父親は著名なアニメ映画監督。大学では心理学を学んだが、卒業後に演劇を学び脚本家を経て映画監督に。深作欣二、舛田利雄の両氏とともに監督した旧日本軍の真珠湾攻撃を描いた「トラ・トラ・トラ!」(70年)は、アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞。ほかに「海底2万マイル」(54年)、「ミクロの決死圏」(66年)などがある。
84年には、現カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーが出演した人気作「キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2」を手掛けた。
3/25
■バック・オウエンズ(米カントリー歌手)テキサス州シャーマン
25日、カリフォルニア州南部の自宅で死去、76歳。詳しい死因は不明だが、1993年にこう頭がんの手術を受けるなど近年、健康不良が続いていた。
ディスクジョッキーなどを経て50年代以降、カリフォルニア南部を中心に歌手として活躍した。テキサスの伝統的なカントリーにロックやリズム・アンド・ブルースのビートを交えた新しいスタイルを確立。「アクト・ナチュラリー」などのヒット作で60~70年代に人気を集めた。
3/22
■徳田ザウルス(漫画家)横浜市
23日午前3時5分、急性心不全のため横浜市港北区の病院で死去、47歳。葬儀式は横浜市鶴見区豊岡町日本キリスト教会鶴見教会で。喪主は妻。
作品に「ダッシュ!四駆郎」などがあり、ミニ四駆ブームの先駆けとなった。
3/22
■三遊亭円右(落語家)東京都
22日午後10時40分、前立腺がんのため東京都杉並区の病院で死去、82歳。告別式は杉並区堀ノ内、妙法寺で。葬儀委員長は桂歌丸落語芸術協会会長。喪主は長男。
47年5代目古今亭今輔門下になり、55年真打ちに昇進、3代目円右を襲名。つるつる頭がトレードマークで、70年代にはせっけんなどのテレビCMで人気となった。「銀婚旅行」などの新作落語を得意とし、落語界の最長老の一人として最近まで高座に上がり続けた。
3/21
■宮川 泰(作曲家)北海道留萌市
21日未明、虚血性心不全のため自宅で倒れているのが見つかり、東京都世田谷区上馬の自宅で死去、75歳。葬儀・告別式は、青山葬儀所で。喪主は長男。
ジャズバンドのピアニストとして活躍。作・編曲家に転じ、歌手ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」(1963年)が大ヒット。「ウナ・セラ・ディ東京」(64年)で日本レコード大賞作曲賞。クレージーキャッツの映画音楽も手掛けた。「シャボン玉ホリデー」などテレビ番組の音楽作曲の草分けとして活躍、名編曲家としても知られた。
70年代には人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が大ヒットした。
3/13
■モーリン・ステイプルトン(米女優)
13日、慢性肺疾患のため米マサチューセッツ州の自宅で死去、80歳。
ニューヨーク州トロイで高校まで過ごした後、ニューヨーク市の俳優養成所で演技を学び、1946年にブロードウェー初舞台。米演劇界で最高の栄誉とされるトニー賞を2度にわたり受賞したほか、映画「レッズ」で81年度のアカデミー助演女優賞を獲得した。ほかに「大空港」(70年)「コクーン」(85年)などに出演。
3/10
■安達とう子(華道家、花芸安達流主宰)東京都
10日午前7時8分、急性肝不全のため東京都新宿区の病院で死去、69歳。葬儀・告別式は港区青山葬儀所で。葬儀委員長は進士五十八東京農大教授。喪主は養女。
華道の家元の家に生まれ、1968年に独立。73年に日本の生け花の伝統と西洋の芸術を融合させた花芸安達流を創設し主宰。NHKの人気番組「連想ゲーム」などテレビでも活躍した。著書に「花芸への道」などがある。(注)名前の「とう」は、瞳の目が日
3/7
■増山たづ子(写真家)岐阜県
7日午後0時54分、心筋こうそくのため岐阜市の病院で死去、88歳。岐阜市池ノ上町、JAぎふ島斎場で。喪主は長男。
ダムで水没する故郷の岐阜県徳山村(現揖斐川町)で民宿を営みながら、村の四季折々の風景と人々の表情を撮り続け、83(昭和58)年に「故郷 私の徳山村写真日記」を出版し、エイボン功績賞を受賞した。ほかに「ありがとう徳山村」「ふるさとからの転居通知」などの著書がある。
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■ゴードン・パークス(米写真家、映画監督)カンザス州フォートスコット
7日、ニューヨークで死去、93歳。死因は明らかではない。
ホームレスを経験しながら多くの職を転々とし、中古のカメラを買ったことをきっかけに写真家となる40年代末に「ライフ」誌に入り、同誌で初めての黒人カメラマンに。ファッション誌「ヴォーグ」のカメラマンも務めた。
カンザス州の貧しい家庭に生まれた黒人を描いた自らの小説を基に、69年に映画「知恵の木」を初監督。代表作「黒いジャガー」(71年、原題シャフト)は、黒人俳優を起用し観客も黒人層をターゲットにした「黒人映画」の先駆けとなった。息子のゴードン・パークス・ジュニア氏も映画監督。
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■アリ・ファルカ・トゥーレ(アフリカン・ブルースの代表的ギタリスト)
7日、西アフリカ・マリの首都バマコの自宅で死去。1939年生まれで66歳か67歳だが、詳しい生年月日は不明。長期の病気療養中だったが、病名も明らかでない。
マリ北部ニアフンケ出身で、マリの伝統楽器グルケルやヌジャルカの奏者でもある。94年には米国人ギタリスト、ライ・クーダーとの共演作「トーキング・ティンバクトゥー」でグラミー賞を受賞したのを含め、同賞を2度受賞した。」(91年)にも出演した。
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■久世光彦(演出家、作家)2日午前、東京都世田谷区の自宅で死去、70歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取りなどは未定。
東京大文学部美術史学科卒業。60年、現TBSに入社。脚本家の向田邦子さんとともに「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などを手掛けた。斬新な演出で高視聴率を稼ぎ、名物プロデューサーと呼ばれた。79年に独立し、舞台演出にも領域を広げた。 名文家としても知られ、「1934年冬−乱歩」(山本周五郎賞)などの小説や、向田さんとの交流をつづった「触れもせで」といったエッセーも評価された。俳優森繁久弥さんの言葉を基にしたコラム「大遺言書」を週刊誌に連載中だった。
98年紫綬褒章を受章。主な演出作品に「七人の孫」「ムー一族」。著作に「蝶とヒットラー」「蕭々館日録」など。
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■ジャック・ワイルド(英映画俳優)
1日、口くうがんのため死去、53歳。代理人が明らかにした。
英ミュージカル映画「オリバー!」(68年)ですりの少年ドジャー役を演じ、アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた。
52年9月、英中部ロイトン生まれ。映画「小さな恋のメロディ」(70年)、「ロビン・フッド
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松本澄江(俳人、俳誌「風の道」主宰)東京都
1日午後0時21分、多臓器不全のため東京都渋谷区の病院で死去、84歳。葬儀は親族で行い、しのぶ会を後日開く。喪主は夫。
41年「ホトトギス」初入選、高浜虚子らに師事。85年「風の道」を創刊、主宰。句集に「天つ日」「桜紅葉」など。
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■ダーレン・マクガヴィン(米俳優) 米ワシントン州
25日、老衰のため米ロサンゼルスの病院で死去、83歳。
1945年、映画デビュー。その後、「マイク・ハマー」(58年)などのテレビシリーズに主演し、人気を得た。映画にも出演し、残酷なヒーローや悪役も演じた。
90年、キャンディス・バーゲンの父親役を演じたテレビドラマ「マーフィー・ブラウン」で、米テレビ界のアカデミー賞といわれるエミー賞を受賞した。
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■ドン・ノッツ(米喜劇俳優)ウェストバージニア州モーガンタウン
24日、ロサンゼルスの病院で肺や呼吸器系の疾病のため死去、81歳。
大学卒業後、ニューヨークを中心に活躍、1960年代にテレビ番組「アンディ・グリフィス・ショー」で人気を得た。
米放送界の栄誉であるエミー賞を5回受け、「秘密兵器リンペット」(64年)「カラー・オブ・ハート」(98年)など多数の映画にも出演した。
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■デニス・ウィーバー(米俳優)ミズーリ州
24日、がんによる合併症のためコロラド州南西部の自宅で死去、81歳。
大学卒業後、ニューヨークで演劇を学び、50年代にテレビ・映画界入り。70年代の人気テレビドラマ「警部マクロード」の刑事役で注目されたほか、スティーブン・スピルバーグ監督の出世作となった「激突!」(71年)に主演。このほか「ガンスモーク」などのテレビドラマにも出演した。
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■佐々木守(脚本家)石川県
24日午前1時10分、すい臓がんのため東京都新宿区の病院で死去、69歳。葬儀は近親者だけ営む。告別式石川県小松市西町、称名寺で。喪主は妻。
大島渚監督の映画の共同脚本やテレビドラマなど幅広いジャンルで活躍。主な作品に映画「絞死刑」「新宿泥棒日記」、テレビ「ウルトラマン」「おくさまは18歳」「柔道一直線」「アルプスの少女ハイジ」「赤い運命」、劇画原作に「男どアホウ甲子園」など。
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■柳 宗民(園芸家)京都市
21日午前3時12分、ぼうこうがんのため東京都小平市の病院で死去、79歳。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻。
育種農園を営みながら、67年から昨年までNHKの番組「趣味の園芸」の講師を務めるなどテレビ、ラジオで活躍した。園芸文化協会評議員。父は民芸運動家の故柳宗悦、長兄は工業デザイナーの柳宗理。
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■茨木のり子(詩人)大阪
19日。警視庁田無署によると、同日午後、親族から独り暮らしの茨木さんと連絡が取れないと消防に119番があり、東京都西東京市東伏見の自宅寝室で死亡しているのを19日、署員らが発見した。病死とみられる。79歳。
戦後を代表する女流詩人の1人。帝国女子薬専(現東邦大)卒業後に詩を作り始め、1953年に詩人の故川崎洋氏と同人誌「櫂」を創刊。第1詩集「対話」をはじめ、人間性あふれる社会意識と鋭い現実批判を織り込んだ詩を多数発表した。 代表作は詩集「見えない配達夫」「鎮魂歌」「倚(よ)りかからず」、訳詩集「韓国現代詩選」など。
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■リチャード・ブライト(米男優)
18日、ニューヨーク・マンハッタンの通りを渡ろうとした際、バスにはねられて死亡、68歳。
性格俳優として知られ、フランシス・コッポラ監督の米映画「ゴッドファーザー」(72年)、「同PART2」(74年)、「同PART3」(90年)の3部作に出演。アル・パチーノ演じるコルレオーネ家の三男マイケル直属の殺し屋アル・ネリ役を務めた。
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■レイ・バレット(米コンガ奏者)ニューヨーク
17日、米ニュージャージー州ハッケンサックの医療センターで1月に心臓バイパス手術を受けていたが死去、76歳。死因は不明。
1950年代から本格的に演奏活動を始め、ラテン・ジャズやサルサのコンガ奏者として人気を獲得し、コンガをジャズに不可欠な存在にまで高めたと評された。代表作は「リカン・ストラクション」(79年)。89年グラミー賞を受賞した。
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■高田喜佐(シューズ・デザイナー、エッセイスト)東京
16日午前6時5分、肝臓胆管がんのため東京都江東区の病院で死去、64歳。告別式は高田馬場の玄国寺。喪主は弟。
多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。66年、個展「靴のファンタジー」を銀座の画廊で開催。
オリジナル出発ブランド「KISSA」で、シューズデザイナーとして出発。70年代にポックリとファッション・ズック、マニッシュなカジュアルシューズを発表し、77年、(株)キサを設立。91年、ザ・ギンザ・アートスペースで「SHOE SHOE PARADAISE展」を開催。
青山の「ブティック KISSA」をベースに、大人のためのカジュアルシューズを作り続けていた。エッセイストとしても活躍。
著書:「ジャズマンは黒い靴」、『私の靴物語』
『大地にKISSを』
『靴を探しに』(筑摩書房)、『靴と私の物語―素足の旅は終わらない』(学習研究社)『素足が好き』(ちくま文庫)、写真集「Shoe,Shoe
PARADISE」など。母は詩人の故高田敏子。
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■日下圭介(作家)和歌山県
12日午後3時21分、誤えん性肺炎のため千葉市美浜区の病院で死去、66歳。故人の遺志で葬儀は親族だけで行い、後日「お別れ会」を開く予定。喪主は妻。
62年早大卒。朝日新聞記者と二足のわらじで作家活動に入り、75年にデビュー作「蝶たちは今…」で江戸川乱歩賞を受賞。
82年に「木に登る犬」と「鶯を呼ぶ少年」が日本推理作家協会賞を受賞した。
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■ピーター・ベンチュリー(米作家)ニューヨーク
11日、特発性の肺線維症のため米ニュージャージー州プリンストンの自宅で死去、65歳。
ハーバード大卒。ワシントン・ポスト紙やニューズウィーク誌に勤務後、2年間にわたり、ジョンソン元米大統領のスピーチライターを務めた。
1960年代半ばにニューヨーク・ロングアイランド沖で体重2トン以上のホオジロザメが捕獲されたと聞いたのをきっかけに構想を温め、74年、大型のサメが人間を襲う小説「ジョーズ」を発表。スティーブン・スピルバーグ監督が映画化し大ヒットした同名作品では脚本も担当した。
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■フィル・ブラウン(米俳優)マサチューセッツ州
9日、肺炎のため米カリフォルニア州の病院で死去、89歳。
ブロードウェーのダンサーを経て俳優業を始めたが、米映画界を揺るがせた「赤狩り」を逃れて1950年代にロンドンへ移住。映画「スター・ウォーズ」の第1作(77年)をロンドンで制作中だったジョージ・ルーカス監督に出会い、主人公ルーク・スカイウォーカーのおじ役を好演、注目を集めた。
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■藤田元司(野球評論家)
9日午後6時40分、心不全のため東京都内の病院で死去した。74歳。
慶応大、日本石油を経て1957年、投手として巨人に入団。1年目で17勝を挙げて新人王を獲得した。エースとして58、59年と連続最高殊勲選手に輝くなど通算119勝88敗の成績を残した。 引退後はコーチや解説者を経て、81年巨人の監督に就任し、1年目に日本一に輝いた。人情味あふれる采配で、監督通算7年で4度のリーグ優勝、2度の日本一を達成。96年野球殿堂入りした。王貞治ソフトバンク監督が理事長の世界少年野球推進財団で専務理事も務めた。
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■伊福部昭(作曲家)
8日夜、東京都内の病院で死去した。91歳。
北海道大卒。独学で作曲をマスターし、1950年代から「原爆の子」(52年)「ゴジラ」(54年)などの話題作の音楽を担当。「ゴジラ」のテーマ曲は、怪獣の恐ろしさを表現して外国映画にも大きな影響を与えた。 ほかに「ビルマの竪琴」(56年)や「大魔神」(66年)シリーズなどが代表作。 傑作といわれる「日本狂詩曲」なども作曲し、76年から87年まで東京音楽大学長を務めた。2003年に文化功労者に選ばれた。
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■荒木徳義(大相撲元幕内双ツ龍)北海道
4日午後11時47分、劇症肝炎のため東京都中野区の病院で死去、75歳。葬儀・告別式は新宿区上落合最勝寺会館。喪主は妻。
47年夏場所に時津風部屋から初土俵を踏み、52年秋場所に新入幕。右四つからのつりを得意とし、最高位は前頭筆頭で幕内在位は36場所。61年初場所限りで引退し、その後は主に粂川親方として後進の指導に当たった。
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■コレッタ・スコット・キング(故マーチン・ルーサー・キング牧師の妻、社会運動家) アラバマ州
昨年8月、脳卒中と心臓発作などを起こし療養中だった。今年1月15日のキング牧師誕生日にも姿を見せていなかった。
31日米カリフォルニア州で死去、78歳。
ボストンで声楽を学んでいた時にキング師と出会い、53年に結婚。歌や詩の朗読を通し非暴力を訴え、キング師の公民権運動を支えた。68年にキング師がテネシー州メンフィスで暗殺された後、遺志を継いで公民権運動を指導し、ジョージア州アトランタにマーチン・ルーサー・キング・センターを開設。同センターは非暴力による社会変革運動の拠点となった。 南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)への反対運動など国際的にも活動し、80年代には米国でもっとも影響力のある黒人指導者の一人となった。夫の誕生日を米国の祝日とするよう活動した。
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■ナムジュン・パイク(韓国系米国人の映像作家)ソウル生
29日、米フロリダ州マイアミの自宅で死去、73歳。詳しい死因は不明。
東京大で美術を学んだ後、当時の西ドイツに留学。ビデオアートの先駆けとして世界的に高い評価を受け、ニューヨークなどを拠点に活躍した。96年に脳こうそくで倒れ半身不随になった後も創作を続け、98年には第14回「京都賞」も受賞した。妻はビデオアーティストの久保田成子。
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■フェイヤード・ニコラス(米黒人タップダンサー)
24日、肺炎などのため米カリフォルニア州バーバンクの自宅で死去、91歳。
1914年生まれ。音楽家として全米を転々とした両親の元に生まれ、弟(故人)とともにニューヨークのナイトクラブ「コットンクラブ」に出演。ブロードウェーなどで活躍した。「ストーミー・ウェザー」(1943年)など多くの音楽映画にも出演、映画界への黒人タレント進出のきっかけをつくったとされる。
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■川田正子(歌手)東京都
22日午後8時31分、虚血性心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、71歳。葬儀は親族で営む。「音楽葬」を増上寺光摂殿で行う。喪主は夫。
42年、7歳で歌手デビュー。童謡「里の秋」(45年)や「みかんの花咲く丘」(46年)を歌い大ヒット、終戦直後の人々の心をとらえ、人気を集めた。武蔵野音大で学び、79年「森の木児童合唱団」を創立。90年代、ブラジルとカナダで日系人向けにチャリティーコンサートなどを開いた。
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■舟橋和郎(シナリオ作家)東京都出身
15日、死去、86歳。葬儀・告別式は世田谷区桜新町くらしの友桜新町式場で。喪主は長男。
代表作に、戦没学生の手記を基にした映画「きけわだつみの声」(50年)や、「兵隊やくざ」シリーズ、「与太郎戦記」シリーズなど。小説家の故舟橋聖一は実兄。
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■シェリー・ウインタース(米女優)イリノイ州イーストセントルイス
ロサンゼルスの医療施設で14日、心臓疾患のため死去、84歳。
高校時代から演劇を志しブロードウェーを経て映画女優に。映画では当初ブロンドの美人役が多かったが性格女優に転向し人気を集め、「アンネの日記」(59年)「いつか見た青い空」(65年)でアカデミー賞助演女優賞を受賞した。 その後も「ポセイドン・アドベンチャー」(72年)など、計約130の作品に登場した。アンネの日記で得たオスカー像は、アムステルダムのアンネの家に寄付した。駆け出し時代のマリリン・モンローとハリウッドのアパートで同居した時期もあった。
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■本田竹広(ジャズピアニスト)岩手県
13日午前、急性心不全のため東京都中野区若宮の自宅で死去しているのが見つかった。60歳。葬儀・告別式堀ノ内斎場で。喪主は長男。
国立音大在学中からジャズピアニストとして活動。73年渡辺貞夫カルテットに参加、78年にはフュージョングループ「ネイティブ・サン」を結成して幅広いジャンルで活躍した。95年と97年に2度にわたって脳内出血で倒れ、左半身まひとなったが、リハビリに励み、コンサートを開くなど音楽活動を続けた。
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■ルー・ロウルズ(米歌手)シカゴ
6日、肺がんのためロサンゼルスの病院で、死去。家族によると72歳で、70歳との記録もある。
7歳からゴスペルを歌い、軍役後、歌手に。4オクターブの音域を持つ深みのある声で、ジャズ、ソウルからブルース、ポップスなど幅広いジャンルで活躍。「ラブ・イズ・ア・ハーティン・シング(恋はつらいね)」などのヒットで知られる。計4000万枚以上のアルバムを売り上げ、グラミー賞を3回受賞。89年には来日し、ジャズフェスティバルに出演。「リービング・ラスベガス」(95年)など映画にも出演、がんと診断された後も音楽活動を続けていた。
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■三浦敬三(プロスキーヤー)青森市
5日午前2時32分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去、101歳。葬儀・告別式は東京都中野区中央宝仙寺。喪主は長男で冒険スキーヤー雄一郎。
日本スキー界の草分け。24年に北海道大スキー部で本格的にスキーを始め、青森営林局勤務時代に八甲田山で山スキーを開拓。全日本スキー連盟の技術員として技術書を編さんした。 白寿を迎えた2003年2月には、孫を含めた一家3代で、欧州のモンブラン氷河をスキー滑降。100歳を超えても国内外でスキーを続けた。
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■河原 淳(イラストレーター、現代デザイン研究所代表)愛知県
3日午後11時9分、食道がんのため東京都目黒区の病院で死去、76歳。葬儀・告別式は東京都品川区西五反田桐ケ谷斎場。喪主は手芸家妻フミコ。
「イラスト入門」など、イラスト、デザイン入門書で知られた。
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■近藤貞雄(元プロ野球・中日、大洋、日本ハム監督、野球評論家)愛知県
2日午前9時22分、呼吸不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。80歳。告別式は品川区西五反田桐ケ谷斎場で。喪主は妻。
43年、法大から西鉄(現西武)に投手として入団。23勝を挙げた巨人時代の46年の暮れに事故で利き腕の右手中指の腱を切断したが、中日に移籍した48年から54年の引退までに24勝した。81年に中日監督に就任し、82年にリーグ優勝。その後、大洋(現横浜)と日本ハムの監督も務めた。99年に殿堂入り。
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