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2005年【地球号を降りたあの人この人、気になる人々
★1999年〜2008年


12/26
■尾上松助(歌舞伎俳優)東京都
26日午前11時9分、原発不明がんのため東京都中央区の病院で死去、59歳。葬儀・告別式は台東区上野公園、寛永寺輪王殿で。喪主は妻。
 父は新派の名脇役、故春本泰男さん。1954年歌舞伎座で尾上緑也を名乗り初舞台。90年6代目尾上松助を襲名した。
子役時代にはテレビドラマ「赤胴鈴之助」の主役を演じ人気を集めた。歌舞伎では菊五郎劇団に所属し、2代目尾上松緑に師事。立役、女形、老け役と幅広い役柄をつとめた。
12/26
■ビンセント・スキャベリ(俳優)米ニューヨーク州生
26日、肺がんのためイタリア・シチリア島の自宅で死去、57歳。
 ニューヨークで演技を学んだ後、「アマデウス」(1984年)など多数の映画に出演。
97年には米誌バニティー・フェアから米国で最も優れた性格俳優の1人に選ばれた。2001年にシチリアで演劇の演出に携わったほか、複数の料理本の著者としても知られる。
主な出演作は「カッコーの巣の上で」(75年)、「ゴースト ニューヨークの幻」(90年)、「バットマン リターンズ」(90年)など。
12/24
■デレク・ベイリー(英国のギタリスト)英国
24日、運動ニューロン疾患のためロンドン市内の自宅で死去、75歳。
 60年代から即興を中心に演奏。日本ではトランペット奏者近藤等則やミュージシャン坂本龍一などに影響を与えた。
舞踏家の田中泯とは、昨年6月まで25年にわたり共演してきた。

12/20
■アルジェンティナ・ブルネッティ(女優)アルゼンチン・ブエノスアイレス
20日、ローマで死去、98歳。死因は明らかにされていない。
 南米などで活動後、1937年から米国に進出。ハリウッド映画「素晴らしき哉、人生!」など数多くの映画やテレビドラマに出演した。
今年10月に自伝を出版するなど旺盛な執筆活動でも知られていた。
12/21
■砂本 量(脚本家)神奈川県
21日午後1時、大たい骨悪性骨しゅようのため自宅で死去、47歳。葬儀・告別式は横浜市金沢区釜利谷東、セレモホール金沢文庫で。喪主は妻。
 映画「四日間の奇蹟」や来年公開の「明日の記憶」などの脚本を手掛けた。
12/19
■藤木 悠(俳優)東京都
19日午後7時55分、肺そく栓症のため東京都中央区の病院で死去、74歳。葬儀・告別式は親族だけで営み、後日に「しのぶ会」を開く予定。喪主は妻。
 同志社大卒。54年にデビュー。黒沢明監督の「隠し砦の三悪人」、小津安二郎監督の「小早川家の秋」をはじめ、東宝の社長シリーズ、駅前シリーズなど多数の映画に出演。テレビでも「Gメン75」など多くのドラマで渋い脇役として親しまれた。
12/16
■ジョン・スペンサー(米俳優)ニュージャージー州
16日、心臓発作のためロサンゼルスの病院で死去、58歳。
日本でも放映されたエミー賞受賞の政治ドラマ「ザ・ホワイトハウス」(米NBCテレビ)で、レオ・マクギャリー首席補佐官役を演じた。
 「性格俳優」として知られ、数多くの映画やテレビドラマで好演。
松田優作の最後の出演作となった「ブラック・レイン」(1989年)にも登場した。 ほかの出演作は映画「推定無罪」(90年)、「交渉人」(98年)など。
12/15
■仰木 彬(元プロ野球・近鉄、オリックス監督)福岡県
15日午後4時10分、呼吸不全のため、福岡市内の病院で死去、70歳。葬儀・告別式は、故人と家族の意向により密葬。
 54年、福岡・東筑高から西鉄に入団、西鉄黄金時代の二塁手として活躍した。88年に近鉄監督に就任し、89年にリーグ優勝。94年からオリックス監督、95年からリーグ連覇を果たし、96年には日本一にもなった。
「仰木マジック」と称された采配と、野茂英雄、イチローらを育てた手腕で、名伯楽とうたわれた。04年に殿堂入り、05年には近鉄と統合されたオリックスの監督を務めたが、体調の不安を理由に1シーズンで退任した。
12/14
■トレヴェニアン(米作家) 米ニューヨーク州
14日、慢性へいそく性肺疾患のため英イングランド地方西部で死去、74歳。
 トレヴェニアンはペンネームで、本名はロドニー・ウィテカー。
クリント・イーストウッド主演・監督の米映画「アイガー・サンクション」の同名の原作が代表作
米海軍、テキサス大の学部長などを経て本格的な執筆活動に入った。近年は英国とフランスの自宅で過ごしていた。 ほかに「バスク、真夏の死」「シブミ」などの作品がある。作風によってトレヴェニアンを含む複数のペンネームで作品を発表していた。
12/12
■ロバート・ニューマイヤー(米映画製作者)
12日、映画撮影のため滞在していたカナダ・トロントで
ぜんそくに伴う心臓発作で死去、49歳。
 コロンビア映画を経て映画プロダクションを設立した2年後の1989年、現代人の深層心理を鋭く描写し、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した米映画「セックスと嘘とビデオテープ」を製作、一躍有名に。その後も「サンタクローズ」(94年)などを手掛けた。
12/10
■ユージーン・マッカーシー(元米上院議員)ミネソタ州
10日、首都ワシントンで死去、89歳。パーキンソン病を患っていた。 
 下院議員を経て1958年に上院に初当選し公民権運動などに取り組んだ。ベトナム反戦を掲げて68年の大統領選の民主党候補指名争いに挑み、当時のジョンソン大統領が再選を断念する一因になった。 結局指名争いに敗れ、共和党のニクソン大統領が誕生。70年に上院を去ったが、その後も4回大統領選に名乗りを上げた。
12/10
■リチャード・プライヤー(米コメディアン)イリノイ州
10日、心臓発作のためロサンゼルス郊外の病院で死去。65歳。
 7歳でナイトクラブにドラマーとして出演。高校卒業後、軍役を終え、全米各地のナイトクラブを巡業。
米社会の黒人差別を逆手に取った過激なジョークで人気を集め、エディ・マーフィ、クリス・ロックなどのコメディアンに影響を与えた。
 60年代から映画にも多数出演。主な作品は「ビリー・ホリデイ物語」(72年)、「スーパーマン3」(83年)、「サギ師とウソつき患者」(91年)など。レコードでグラミー賞も受賞した。長年アルコールや薬物中毒に苦しみ、近年は多発性硬化症などで闘病生活を送っていた。
12/6
■木村若衛(浪曲師)横浜市
6日午後、心不全のため埼玉県越谷市の病院で死去、91歳。葬儀・告別式は越谷市増林、越谷市斎場で。喪主は長男。
 ピアノ伴奏による歌謡浪曲などで脚光を浴び、浪曲の復興に尽力した。得意演目は「河内山宗俊」など。
本浪曲協会会長を2期、日本演芸家連合会長を78年から20年間務めた。81年に紫綬褒章受章。
12/4
■原 ひさ子(女優)静岡市
4日午後9時32分、心不全のため東京都荒川区の病院で死去、96歳。葬儀・告別式は東京都荒川区町屋、町屋斎場で。喪主は長男。
 33年、前進座の舞台女優としてデビュー。以後、山中貞雄監督の映画「人情紙風船」をはじめ、戦前、戦後を通じて数多くの映画に出演。テレビ放送が始まってからは、ドラマの母親やおばあちゃん役に欠かせない貴重な脇役女優として活躍した。バラエティー番組などにも登場し人気者に。90歳を超えても、
現役最長老格の女優として最近まで活動した。 テレビドラマの主な出演作に「中学生日記」「ふぞろいの林檎たち」、映画に「青い山脈」「ワンダフルライフ」「サヨナラCOLOR」など。
12/4
■グロリア・ラッソ(シャンソン歌手)スペインのバルセロナ
4日、メキシコのクエルナバカで死去、83歳。死因は不明。
 スペインで診療所の助手やラジオの司会者などを務めた後、1954年にフランスへ移り、直後からシャンソン歌手として成功。しかし、60年代に入るとダリダらに取って代わられた。その後、メキシコにわたり、中南米で人気を得た。生涯に6回結婚したことでも知られる。 代表曲は「ボン・ヴォワヤージュ」など。
11/29
■ウェンディ・ジョー・スパーバー(米女優)ロサンゼルス
11月29日、乳がんのためカリフォルニア州の自宅で死去、46歳。
 スティーブン・スピルバーグ監督の「1941」や、1985年に始まった「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズに出演。
97年に乳がんと診断され、自らの治療の傍ら、がん患者の精神的ケアを行う団体を設立するなど支援活動にも従事した。
11/28
■マーク・ローレンス(米俳優)ニューヨーク
11月28日、心臓疾患のため米カリフォルニア州パームスプリングズの自宅で死去、95歳。
 高校時代から演劇の舞台に立ち、20代で映画界入り。こわもての悪役として人気を集め、「イフ・アイ・ハド・ア・ミリオン」(32年)などに出演したが、共産党支持者だったため、第2次大戦後、ハリウッドの「赤狩り」で一時欧州に活動の場を移し、その後帰国。近年は「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(96年)などに出演した。
11/28
■トニー・ミーハン(英国のドラマー)ロンドン
28日、
自宅で転倒した際に頭に受けた負傷がもとで、ロンドン市内の病院で死去、62歳。
1950年代後半に誕生したポップグループ「ザ・シャドウズ」の初代メンバーの1人としてドラムを担当。ヒット曲「アパッチ」などを生んだ。61年に独立。その後、同グループの元仲間ジェット・ハリス氏と組んで演奏活動を続けた。
11/27
■ジョスリン・ブランド(米女優、故マーロン・ブランドの姉)サンフランシスコ
27日、米カリフォルニア州サンタモニカの自宅で死去、86歳。遺族によると、死因は老衰。
 映画「侵略」「逃亡地帯」でマーロン氏と共演したほか、「大草原の小さな家」などのテレビドラマにも出演した。
昨年7月には、マーロンの死去をみとった
11/26
■鈴木尚之(脚本家、前シナリオ作家協会会長)岐阜県
26日午前1時25分、肺がんのため東京都内の病院で死去、76歳。葬儀は親族で済ませた。後日お別れの会を開く予定。喪主は妻。
 東映助監督を経て脚本家に。内田吐夢監督らと組み「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」日本映画黄金期の作品を多く生んだ。「白い巨塔」などテレビドラマの脚本も手掛けた。
11/25
■ジョージ・ベスト(英国の元サッカー選手)英国の北アイルランド
25日、ロンドンの病院で死去、59歳。腎臓の感染症で入院していた。
 1960年代に英イングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドのフォワードとして活躍、68年に欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)初優勝に貢献し、欧州最優秀選手に選ばれた。
英サッカー界初のスーパースターと言われ、長髪をなびかせての華麗なプレーと絶大な人気から「5人目のビートルズ」の異名も。
 酒浸りの派手な私生活のため選手生活は短く、2002年に肝臓の移植手術を受けていた。
11/24
■パット・モリタ(日系2世の米俳優)カリフォルニア
24日、
老衰のため米ネバダ州ラスベガスの自宅で死去、73歳。
 空手の師匠役を演じた映画「ベスト・キッド」が日本でも大ヒットした。
第2次大戦中は日系人の収容所で暮らし、その後数多くのテレビドラマや映画に出演した。
11/23
■徳川義宣(徳川美術館館長、
尾張徳川家第21代当主)東京都
23日午前5時5分、肺炎のため東京都文京区の病院で死去、71歳。自宅は豊島区目白。葬儀・告別式は文京区護国寺桂昌殿。喪主は長男。
「お別れの会」は12月8日午後6時から名古屋市東区徳川町、徳川美術館で。
11/21
■高村倉太郎(映画撮影監督、日本映画撮影監督協会名誉会長)東京都
21日午後3時23分、慢性心不全のため横浜市の病院で死去、84歳。葬儀・告別式は23日午後1時から東京都江東区亀戸東覚寺で。喪主は長男。
 主な作品に「幕末太陽傳」(1957年)、「ギターを持った渡り鳥」(59年)。
11/19
■東野芳明(美術評論家、多摩美大名誉教授)東京都
19日午後0時15分、急性心不全などのため東京都杉並区の病院で死去、75歳。葬儀・告別式は府中市浅間町、府中の森市民聖苑で。喪主は弟。
 東大文学部卒。54年、「美術批評」誌の
第1回美術評論新人賞を受賞し、評論家としてデビューした。マルセル・デュシャン、ジャクソン・ポロック、ジャスパー・ジョーンズら、米国発の現代美術を積極的に日本に紹介。ベネチア・ビエンナーレなどの国際展でコミッショナーを務め、日本の現代美術の海外紹介にも尽くした。著書に「ジャスパー・ジョーンズ」など。
11/18
ハロルド・ストーン(米俳優)
18日、ロサンゼルスの病院で死去、92歳。関係者によると「自然死」という。
 1913年ニューヨークで生まれ、劇場の子役としてデビュー。大学で薬学を学んだ後、映画、テレビ俳優に。派手さはないが堅実な性格俳優として「間違えられた男」(56年)、「スパルタカス」(60年)、
ヘロイン大追跡<未> (1975)など映画約30本に出演した。
11/16
倉田地三(俳優)広島県
16日午前7時15分、多臓器不全のため東京都で死去、88歳。葬儀・告別式は小金井市東町、太陽寺で。喪主は妻。
 
父は「出家とその弟子」などで知られる劇作家の倉田百三。59年、劇団「東京芸術座」の創立に参加。「蟹工船」「どん底」などの舞台公演に出演した。
11/13
■ショパン猪狩(コメディアン)東京都
13日午前0時17分、心不全のため東京都目黒区の病院で死去、76歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は妻。
 妻千重子さんとのお笑いコンビ「東京コミックショウ」などで活躍。「
レッドスネーク、カモン!」と呼び掛けるヘビの芸で人気を集めた。
11/11
ムスタファ・アッカド(映画監督)シリア
11日ヨルダンの首都アンマン、9日の夜に発生した連続爆弾テロで負傷し、搬送先の病院で死去、75歳。
 米国を拠点に映画界で活躍。イスラム教の預言者ムハンマドの半生を描いた「ザ・メッセージ」(1976年)、
ムソリーニ政権のイタリア軍占領に抵抗したリビア指導者を描いた「砂漠のライオン」(81年)などを監督。米映画「ハロウィン」シリーズのうち数作品を製作総指揮した。
砂漠のライオン:A・クイン(オマー・ムクター)/O・リード(グラツィアーニ)/イレーネ・パパス(マブルーカ)/ロッド・スタイガー(ムッソリーニ)
11/8
■デービッド・ウェストハイマー(米作家)テキサス州ヒューストン
8日、心不全のためロサンゼルスの病院で死去、88歳。同氏の息子が12日までに明らかにした。
 地元の新聞社で編集者やコラムニストを経験。第2次大戦で、搭乗していたB24爆撃機が、イタリア軍戦闘機に撃墜され、2年4カ月にわたり捕虜として過ごした。
フランク・シナトラ主演の映画「脱走特急」(1965年)の原作「フォン・ライアン特急」を書いた
 この経験を基に、イタリア駐留ドイツ軍から脱走する捕虜米兵を描いた小説「フォン・ライアン特急」を執筆。ほかにテキサスの町での人種対立を題材にした「マイ・スイート・チャーリー」などの作品がある。
11/8
桂 吉朝(落語家)大阪府
8日午後11時20分、心不全のため兵庫県尼崎市の病院で死去、50歳。葬儀・告別式は行わず、後日お別れの会を開く。
 1974(昭和49)年、桂米朝さんに入門。師匠譲りの端正な語り口で、上方落語界のホープとして人気を集めた。「芝居ばなし」といわれる「小倉船」などを得意とし、研究熱心で知られた。2001年に上方お笑い大賞を受賞。02年には
芸術選奨の文部科学大臣新人賞を受賞、台湾で落語を披露するなど活躍の場を広げていた。
04年から体調を崩し、落語会を休演がちだった。
11/5
ジョン・ファウル(英作家)英エセックス州
5日、英南部ドーセット州の自宅で死去、79歳。死因は明らかでないが病気療養中だった。
 1963年発表の小説「コレクター」で注目を浴び、現代英国文学の代表的作家として長く活躍した。ベストセラーとなった
「フランス軍中尉の女」(69年)は、81年にメリル・ストリープ主演で映画化された

11/6
本田美奈子(歌手)東京都
6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去、38歳。葬儀・告別式は埼玉県朝霞市溝沼朝霞市斎場。喪主は母。
1985年「Temptation」で日本レコード大賞新人賞を受賞。パンチ力のある歌唱とセクシーなステージ衣装が話題となり、「和製マドンナ」と呼ばれた。92年
ミュージカル「ミス・サイゴン」の主役の座を射止め、以後「レ・ミゼラブル」など数々のミュージカルに出演した
 今年1月、急性骨髄性白血病が判明して入院、入退院を繰り返しながら闘病生活を続けていた。
11/5
■中村宗哲(千家十職塗師十二代)京都市
5日午後8時34分、心不全のため下京区の病院で死去、73歳。葬儀・告別式は京都市左京区黒谷町浄源院。喪主は二女。葬儀委員長は千家十職竹細工柄杓師黒田正玄)。
 茶道の千家の茶道具などを代々作る千家十職の塗師。86年、父の十一代の引退に伴い十二代を襲名。
女性として初めて千家十職を継承した
11/6
■高橋ひろ(シンガー・ソングライター)。東京都
4日、多臓器不全のため東京都の病院で死去、41歳。葬儀・告別式は親族らで済ませた。
 87年から2年間、バンド「
チューリップ」にボーカルとして参加。その後、主にソロ歌手として活動。代表曲にアニメ「幽遊白書」のエンディングテーマ「アンバランスなKissをして」などがある。
10/29
■ロイド・ボックナー(米俳優)カナダのトロント
29日、癌のため米カリフォルニア州サンタモニカ市の自宅で死去、81歳。
 11歳でラジオに出演、1960年代からテレビドラマに出演、「スパイ大作戦」「ミステリー・ゾーン」など多くのドラマで演じた。映画でも「刑事(デカ)」(68年)「ワイルド・アパッチ」(72年)などに出演。近年はテレビや映画から過度の暴力シーンを排除する運動を行っていた。
10/28
■三笑亭夢楽(落語家、落語芸術協会相談役)東京都
28日午後3時53分、肺不全のため東京都豊島区の病院で死去、80歳。葬儀・告別式東京都中野区中央宝仙寺。喪主は妻。
 1958年、真打ちに昇進、「寄合酒」や「三方一両損」といった長屋物を持ちネタとした。明るく軽妙な芸風で、テレビのお笑い番組でも人気を集めた。
10/24
■ローザ・パークス(黒人の米公民権運動家)アラバマ
24日、米デトロイトの自宅で死去、92歳。死因は老衰。人種差別撤廃運動に尽力し、「米公民権運動の母」と呼ばれた。
 公共の場所での人種隔離を定める法が施行されていた1955年12月、同州モントゴメリーの
市バス内で席を移るよう求めた白人男性の求めを拒否し逮捕、収監された。これをきっかけに、故キング牧師を中心とした長期間の抗議行動に発展。翌56年、米連邦最高裁が差別は憲法違反とする判断を下した。57年にデトロイトに移住し政治家の事務所で働きながら差別撤廃運動に尽力した。
 96年には米政府が市民に与える最も名誉ある勲章「大統領自由勲章」、99年には議会が贈る最高の栄誉である「議会金メダル」を受賞した。
10/24
■根上 淳(俳優)東京都
24日午後3時54分、数年前から自宅で療養していたが糖尿病の合併症で脳こうそくとなり、脳梗塞のため東京都新宿区の病院で死去、82歳。
葬儀・告別式は東京都中野区中央、宝仙寺。喪主は妻ペギー葉山。バイオリニストの森乙の長男。
 47年大映に入社し、49年「母三人」に出演。「稲妻」「川のある下町の話」など多数の映画に出演、青春スターとして人気を集めた。65年ペギー葉山と結婚。大映退社後、テレビを中心に活躍。ドラマ「白い巨塔」「帰ってきたウルトラマン」などの脇役として親しまれた。
10/22
■福田利子(料亭「松葉屋」おかみ)東京都
22日午前11時40分、肺炎のため自宅のマンションで死去、85歳。葬儀・告別式は同マンション1階の集会室で。喪主は長男。
 1957年に売春防止法が施行された直後から、
江戸時代の遊郭・吉原の文化を後世に伝えるため「花魁ショー」を開始。東京観光のはとバスツアーにも組み込まれ、人気を呼んだ。
10/20
■シャーリー・ホーン(米女性ジャズピアニスト、歌手)
20日、ワシントンで死去、71歳。死因は不明。ハスキーな低音の声で、弾き語りの名手として人気を誇った。
 4歳でピアノを始め、ハワード大の音楽院で学んだ。1950年代からクラブで弾き語りを開始、大物ジャズ奏者の故マイルス・デイビスやクインシー・ジョーンズに絶賛された。98年にグラミー賞を獲得した。

10/20
■ジャンミッシェル・フォロン(画家・彫刻家)ベルギー
20日、白血病のためモナコの病院で死去、71歳。
 建築を学んでいたが画家を志してフランスに渡った。当初、フランスでは評価されなかったが、作品を米国の雑誌に送ったところ、ニューヨーカー誌などで紹介され注目を集めた。水彩画やイラストのほか、彫刻やグラフィックアート、地下鉄駅の巨大壁画など幅広い分野にまたがって独自の世界を展開。日本を含む各国で作品展が開かれた。
10/19
■宮城けんじ(漫才師)宮城県
19日午前3時24分、肺がんのため東京都江東区の病院で死去、81歳。葬儀・告別式は江戸川区西小岩、東京葬祭新館式場で。
葬儀委員長は内海桂子漫才協会会長。喪主は妻。
 映画の子役や歌謡ショーの司会者などを経て、61年に東けんじと漫才コンビ「Wけんじ」を結成。コンビは「やんな!」などのギャグで親しまれた。99年に東が亡くなってからは漫談などで舞台に立っていた。

10/17
■原久美子(ジャズ歌手)東京都
17日午前2時8分、脳腫瘍のため東京都品川区の病院で死去、50歳。葬儀・告別式は桐ケ谷斎場で。喪主は母。
 少女期に盲目となったが、1978年に歌手デビューしライブハウスなどで活動。94年には欧州のモンブラン登頂に成功、話題となった。著書に「盲導犬ボル モンブランの風を聴け」がある。

10/12
■角梨枝子(元女優)広島市
12日午後9時36分、心不全のため東京都目黒区の病院で死去、77歳。葬儀・告別式は近親者だけ。
 初代ミス広島から映画界入り。青春映画「山の彼方に」に主演したほか、成瀬巳喜男監督の「山の音」やテレビドラマ「キイハンター」などに出演した。
10/3
■細川護貞(故近衛文麿元首相秘書官、細川護熙元首相の父)東京都
3日午前10時1分、心不全のため東京都渋谷区の病院で死去、93歳。港区南青山葬儀所で。喪主は長男護熙。
 
肥後藩主細川家の17代目。1940年に近衛首相の秘書官に就任したが、戦後は政界から身を引き、主に文化界で活躍した。戦中や戦後直後の政界中枢の動きを克明に記録した「細川日記」や、「細川幽斎」などの著書がある。
 細川家の伝来品を収める永青文庫理事長や神社本庁統理などを務めたほか、日本ゴルフ協会の会長としてスポーツ界にも貢献した。
10/2
■オーガスト・ウィルソン(ピュリツァー賞受賞の米黒人劇作家)ピッツバーグ市
2日、米シアトル市の病院で肝臓がんのため死去。60歳。
 皿洗いなどをする傍ら65年から詩作を始め、戯曲に移行。主に故郷を舞台として
黒人の苦悩の歴史を年代記風に描いた作品群は高く評価された。「フェンス」(87年)、「ピアノ・レッスン」(90年)で2度のピュリツァー賞を受賞。「フェンス」がトニー賞を受賞するなど、ブロードウェーでも商業的成功を収めた。
10/1
■ポール・ペナ(米ブルース奏者)マサチューセッツ州ハイアニス
1日、サンフランシスコの自宅で糖尿病による合併症などのため死去、55歳。
 生まれた時からほぼ完全な盲目で、幼少期からピアノやギターに親しみ、大学卒業後ブルース演奏者となる。作曲した「ジェット・エアライナー」が77年にスティーブ・ミラー・バンドの演奏で全米ヒット。近年はブルースと西アフリカやモンゴルの民族音楽を融合させた曲の演奏を続けてきた。

9/21
■ドン・アダムズ(米俳優)
25日、肺感染症のため、米ロサンゼルスの病院で死去。85歳。昨年、腰を骨折して以来、体調を崩していた。
 高校中退後、米海兵隊に入隊。第二次世界大戦に参戦後、コメディアンとして芸能界デビューした。1965年にスパイ映画を皮肉ったコメディードラマ
「それゆけ!スマート」(NBCテレビ)で主演し、人気を確立。このドラマでエミー賞を3度受賞し、テレビアニメの声優としても活躍した。
9/22
■有川貞昌(映画特撮監督)東京都
22日午後10時35分、肺がんのため静岡県東伊豆町の病院で死去、80歳。
 54年
「ゴジラ」第1作で特撮カメラを担当、数多くの東宝映画で特撮監督などを務めた。テレビ「ウルトラマン」などの特殊技術も手掛けた。
9/21
■三石千尋(スタントマン)旧満州(中国東北部)
21日午後5時34分、肝不全のため東京都三鷹市の病院で死去、64歳。三鷹市下連雀、禅林寺霊泉斎場。
 
日本のカースタントの草分け的存在。テレビドラマシリーズ「大都会」「西部警察」などで活躍した。
9/19
■後藤田正晴(元副総理)。徳島県
19日死去。91歳。
 東京帝国大学法学部を卒業後、旧内務省に入った。1972年、
警察庁長官として連合赤軍あさま山荘事件の解決を指揮。田中角栄元首相に請われて政界入りし、鋭い行政手腕から「カミソリ後藤田」の異名を取った。 衆院旧徳島全県区から76年に初当選。96年の引退まで当選7回ながら、大平内閣で自治相として初入閣し、中曽根内閣で官房長官、行政管理庁長官、総務庁長官、宮沢内閣で法相、副総理などを務めた。
9/17
■ジョン・ブロムフィールド(米俳優)
18日、腎不全のため、治療を受けていた米カリフォルニア州パームデザートで死去、83歳。
 56年から放映されたテレビドラマ「モーガン警部」シリーズの主演などで知られる。12年間の俳優活動で20作の映画に出演。
61年には来日して東映映画「モーガン警部と謎の男」にも出演した。
9/14
■中内 功(ダイエー創業者、元経団連〈現日本経団連〉副会長)大阪市
19日午前9時半、脳こうそくのため神戸市内の病院で死去、83歳。
 太平洋戦争から復員後、神戸市で医薬品の販売を始め、57年に大栄薬品工業(現ダイエー)を設立。同年に大阪市に安売り店「主婦の店ダイエー」の1号店を開業以来、高度経済成長に乗って大型スーパーの
ダイエーを全国最大のチェーンに育てた。 事業の拡大にも熱心でコンビニやホテルなどにも進出。88年にプロ野球南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)、92年にリクルートを相次いで傘下に収めた。 しかし事業拡大路線が裏目となり経営が悪化し、99年ダイエー社長を退任。2004年12月、産業再生機構の支援を受けることになったのを機に、最後に残っていた肩書である名誉職のファウンダー(創業者)も辞め、ダイエーグループとの関係が完全になくなった。
9/14
■ロバート・ワイズ(米映画監督)インディアナ州
14日、心不全のためロサンゼルスの病院で死去、91歳。
「ウエスト・サイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」など世界的人気となったミュージカル映画を手掛けた。
「市民ケーン」(41年)でフィルム編集を担当し、44年に「キャット・ピープルの呪い」で監督デビュー。
 60年代には、ニューヨークの下町を舞台に若者たちを描いた「ウエスト・サイド物語」(61年)や、ジュリー・アンドリュースが演じた「サウンド・オブ・ミュージック」(65年)を制作、監督
。2作ともアカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞した
9/13
■中北千枝子(女優)東京都
13日午前11時24分、急性心筋こうそくのため東京都渋谷区の自宅で死去、79歳。
 黒沢明監督の「素晴らしき日曜日」に主演。「酔いどれ天使」などにも出演。成瀬巳喜男監督の代表作「浮雲」「流れる」でも重要な脇役を務めた。 夫は東宝映画元会長の故田中友幸。 69年から86年まで日本生命のテレビCMに出演、「日生のおばちゃん」役として親しまれた。
9/9
■アンドレ・プー氏(仏の映画俳優)パリ
9日、南フランス・バール県の病院で死去、85歳。死因は明らかにされていない。
 1968年のジョルジュ・ロートネル監督の「パリ大捜査網」でジャン・ギャバンと共演、75年の「フリック・ストーリー」にアラン・ドロンらと出演するなど、約50本の映画に出た。自転車競技選手出身で、
51年に国民的歌手のエディット・ピアフと1年間恋愛関係にあった。
9/7
■見沢知廉(作家)東京都
7日午後、横浜市戸塚区俣野町1403、ドリームハイツ20の806の
自宅マンションから飛び降り自殺した。46歳。葬儀は密葬。喪主は母。
 神奈川県警戸塚署によると、遺書は見つかっていない。同署が動機を調べている。
 新左翼の活動家として大学在学中に成田闘争に参加。右翼に転向後、内ゲバ殺人事件などで12年間収監される。獄中で執筆した天皇制がテーマの小説「天皇ごっこ」が94年、新日本文学賞佳作を受賞。「囚人狂時代」はベストセラーとなった。
9/2
■朝吹登水子(作家、翻訳家)東京都
2日、東京都内の自宅で死去、88歳。葬儀・告別式は4日午前10時から東京都港区高輪3、高野山東京別院で。喪主は孫牛場潤一。
 
第2次世界大戦前のパリに留学。1950年に再びパリに渡り、オートクチュール(高級注文服)のデザイナーの資格を取得。作家ボーボワールと親交を結び、66年に来日したサルトル、ボーボワールの案内役を務めた。ボーボワール「娘時代」「女ざかり」、サガン「悲しみよこんにちは」などを翻訳して日本に紹介。自伝的小説「愛のむこう側」もある。
8/31
■マイケル・シアード(英俳優)スコットランドのアバディーン
31日、英南部ワイト島で死去、65歳。代理人によると、がんを患っていた。
 英王立演劇アカデミーで学んだ後、テレビドラマなどに出演。映画「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」(80年)に出演。
ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーや親衛隊(SS)隊長のヒムラーの役を何度も務め、「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」(89年)ではヒトラー役で登場した。
8/22
■梶 哲也(俳優)東京都
22日、転移性脳しゅようのため埼玉県富士見市の病院で死去、79歳。葬儀は親族で済ませた。
 テアトル・エコー創立メンバー。舞台「表裏源内蛙合戦」「日本人のへそ」などに出演した。8/21
■ホースト・タッペ(ドイツの写真家)ドイツ西部ウェストファーレン
21日、レマン湖畔ブベーで死去、67歳。病気療養中だったが、死因は明らかでない。
 20世紀の芸術家や作家の肖像写真を多く撮った。画家ピカソ、ココシュカや作家ナボコフ、イアン・フレミングらの写真で有名。

8/23
■ブロック・ピータース(米俳優)ニューヨークのハーレム地区
23日、すい臓がんのためロサンゼルスの自宅で死去、78歳。
 ブロードウェーの舞台でデビュー。映画「アラバマ物語」(62年)で、人種差別の風潮が色濃い30年代の米南部で、誤って強姦罪に問われた黒人男性の役を熱演したことで知られる。 SF映画「スター・トレック」シリーズにも出演し、
低音を生かし、歌手、声優としても活躍した
8/17
■トニノ・デリコリ(映画カメラマン)
17日、ローマの自宅で死去したと家族が明らかにした。82歳。
 16歳でローマの撮影所「チネチッタ」の撮影助手として映画界入り。フェリーニの「インテルビスタ」、パゾリーニの「ソドムの市」、レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」、ベニーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」など一流の映画監督と数十本の撮影を手掛けた。
ゴールデングローブ賞の生涯業績賞も受賞した
8/17
■旭堂南陵(講談師)大阪府
17日午前10時10分、肺炎のため大阪府東大阪市の病院で死去、88歳。
 実父の二代目南陵に入門。17歳で大阪の演芸場で講談の修業を始め、旭堂南海の名で初舞台。二代目小南陵を経て66(昭和41)年、三代目南陵を襲名した。上方講談界のけん引役として活躍。一時衰退した上方講談を積極的な自主公演で再生させた。
8/12
■フランシー・ボーラン(ベルギーのジャズピアニスト)
12日、がんのためジュネーブで死去、75歳。(ベルギーのウェブサイト「ジャズ・イン・ベルギー」による)
 1960年代から70年代にかけて、米国のジャズドラマーのケニー・クラークとバンドを結成し、11年間に30枚のアルバムを録音、欧州出身のジャズ演奏者として知られた。

8/12
■石井輝男(映画監督)。東京都
12日午前9時43分、肺がんのため東京都内の病院で死去、81歳。葬儀は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は置かない。
 95年、高倉健主演の映画「網走番外地」が大ヒット。計18作がつくられる人気シリーズに育て上げた。多彩で型破りな作風が持ち味。つげ義春の漫画の映画化にも情熱を傾け、90年代に「ゲンセンカン主人」「ねじ式」を手掛けた。
8/9
■ジュディス・ロスナー(米作家)
9日、ニューヨーク・マンハッタンの病院で死去、70歳。死因は不明。
 ニューヨークで起きた女性教師殺人事件の真相を探る
「ミスター・グッドバーを探して」(75年出版)が、77年、ダイアン・キートン主演で映画化されヒット。洞察力のある作品で定評があった。
8/8
■バーバラ・ベル・ゲデス(米女優)1922年ニューヨーク
8日、米メーン州の自宅で肺がんのため死去、82歳。
 ブロードウェーの舞台女優を経て映画界へ。陽気なキャラクターで人気を集め、
ヒチコック監督の「めまい」(58年)などに出演した。 米テキサスを舞台に富と権力、愛憎をテーマにした、70年代後半から90年代前半のテレビドラマシリーズ「ダラス」に出演。石油で財を成した一族で控えめでしんが強く誰からも信頼される女性像を演じた。
8/2
■村上信夫(元帝国ホテル総料理長)東京都
2日午前6時、心不全のため千葉県松戸市の自宅で死去、84歳。葬儀は親族だけで執り行う。後日、帝国ホテルがお別れの会。
 40年帝国ホテルに入社。召集され、シベリア抑留生活後に復職した。パリのホテルリッツで修業、帰国後の60年からNHK「きょうの料理」に出演。気さくな人柄でフランス風家庭料理の魅力を伝え、64年の東京五輪では選手村食堂の料理長を務めた。
 国賓が来日した際の料理を任される一方、69年に料理長に。94年には専務取締役総料理長に就き、96年から料理顧問。94年、勲四等瑞宝章。
7/26
■ダニー・サイモン(米テレビ脚本家) 米ニューヨーク
26日、米オレゴン州ポートランドで脳卒中の合併症のため死去、86歳。
 
劇作家ニール・サイモン氏の兄。弟のニールとともに1940年代からラジオやテレビのコメディー番組の脚本を執筆。「ユア・ショー・オブ・ショーズ」や「フィル・シルバース・ショー」などの人気テレビシリーズを手掛けた。弟が劇作家に転身した後もテレビ界にとどまった。
7/26
■岡 八朗(コメディアン)兵庫県
26日午前5時20分、肺炎による呼吸不全のため兵庫県尼崎市の病院で死去、67歳。
 21歳で吉本新喜劇入団。一時期、漫才師となり人気を得るがコンビを解消、吉本新喜劇に戻った。独特の風貌と「くっさー」などのギャグで、人気コメディアンとして活躍した。 その後、吉本新喜劇の再編成に伴いテレビ、商業演劇など同喜劇以外にも多く出演「奥目の八ちゃん」の愛称で親しまれた。1993年以降、胃がんのため入院するなど病気がちで2003年に心機一転を図り、芸名を「八郎」から「八朗」に改名していた。
7/23
■相馬和夫(元プロ野球ヤクルト球団社長)足利市
23日午前7時40分、栃木県足利市の病院で死去、78歳。葬儀・告別式は28日午後零時半から足足利市斎場。
 85年、球団代表から球団社長に就任。新人選手を獲得するドラフト会議で、抽選で荒木大輔(東京・早実高)、長嶋一茂(立大)らを引き当て
「黄金の左手」と呼ばれた。
7/22
■杉浦日向子(江戸風俗研究家、元漫画家)東京都
22日午前4時32分、下いん頭がんのため千葉県柏市の病院で死去、46歳。葬儀・告別式は親族だけ。
 80年「通言室乃梅」で漫画家としてデビュー。江戸風俗をテーマにした作品で人気を得た。84年「合葬」で日本漫画家協会賞優秀賞、88年に「風流江戸雀」で文芸春秋漫画賞を受けた。
 
93年に漫画家としての活動をやめ「隠居」を宣言。江戸風俗研究に専念し、エッセー「江戸へようこそ」や小説などで活躍した。
 NHKで放送されていたバラエティー番組「コメディー お江戸でござる」で、江戸風俗を解説するコーナーを95年から約9年間担当した。そば愛好家としても知られた。
7/20
■ロング・ジョン・ボルドリー(英国出身のブルースミュージシャン)
胸部疾患のため、カナダ・バンクーバーの病院で死去、64歳。
 1941年に英国で生まれ、移り住んだカナダの国籍を81年に取得。60年代の英ブルース、ロック界を代表する歌手だが、ロッド・スチュワートら数々の若い才能を発掘、養成したことでも知られる。 
身長が約2メートルもあることから、「ロング・ジョン」と呼ばれた。
7/20
■ジェームズ・ドゥーアン(米俳優)カナダのバンクーバー
20日、米ワシントン州レドモンドの自宅で肺炎などのため死去、85歳。
 軍役を経てトロントで演劇を学び、NYへ移住。66〜69年に米NBCテレビのSFドラマ「スター・トレック」シリーズの「宇宙大作戦」に宇宙船エンタープライズ号の機関長役で出演。
70年代〜90年代にかけての映画版「スター・トレック」でも同じ役を演じ人気を集めた。
7/19
■エドワード・バンカー(米の犯罪小説家)ハリウッド
19日、米ロサンゼルス近郊の病院で手術後の合併症のため死去、71歳。
 
4歳の時に両親が離婚し12歳で矯正施設入り。17歳以降、強盗、詐欺罪などで計18年間服役した。獄中で小説を書き始め、実体験にヒントを得た「リトル・ボーイ・ブルー」「ドッグ・イート・ドッグ」などの作品で人気を集めた。73年の獄中からのデビュー作「ストレートタイム」(原題ノー・ビースト・ソー・フィアース)は、1978年にダスティン・ホフマン主演で映画化された。
7/18
■中川政昭(写真家)。岡山県
18日午後1時29分、脳出血のため東京都江東区東陽の自宅で死去、61歳。葬儀・告別式は近親者だけ。後日お別れの会。
7/10
■A・J・クィネル(英国の冒険小説作家)
10日、肺がんのためマルタ・ゴゾ島で死去、65歳。
 英バーミンガム近郊の町で生まれ、
1980年代に「燃える男」で作家デビュー。ほかに「スナップ・ショット」「サン・カルロの対決」などの作品がある。「燃える男」は2004年の米映画「マイ・ボディガード」の原作となった。 体調を崩し、今年3月ごろからマルタの病院で療養していたという。
7/8
■ジェラルディン・フィッツジェラルド(女優)アイルランド・ダブリン出身のAP通信などによると、
17日、ニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去、90歳。長年、アルツハイマー病を患っていた。
 地元の劇場などに出演した後、39年に米ハリウッドに進出し、ウィリアム・ワイラー監督の映画「
嵐が丘」に出演、アカデミー助演女優賞にノミネートされた。ほかの出演映画に「愛の勝利」(39年)「ハリーとトント」(74年)「ミスター・アーサー」(81年)など。晩年は実験的な演劇、オフ・ブロードウェーの舞台でも活躍した。
7/16
■馬渕健一(マブチモーター名誉会長)香川県
16日午前1時55分、心不全のため千葉県松戸市の病院で死去、82歳。葬儀・告別式は近親者だけで行う。
 54年、マブチモーターの前身となる東京科学工業を設立。71年に現社名に変更、小型モーターの世界トップ企業に育てた。85年まで社長、99年まで会長。
弟の隆一会長宅が2002年8月に放火され、妻子が殺害された。事件は未解決。
7/8
■橋本真也(プロレスラー)岐阜県
11日午前10時36分、脳幹出血のため横浜市南区の病院で死去、40歳。葬儀・告別式は横浜市西区、一休庵久保山式場で。喪主は妹真生。
 1984年4月、新日本プロレスに入門。「
破壊王」と呼ばれて人気を集めた。2000年4月、元柔道世界王者の小川直也選手に敗れて引退したが、ファンの嘆願運動を受けて復帰した。同年11月、新団体「ZERO−ONE」を設立。最近はフリーで活動していた。
7/8
■串田孫一(哲学者、詩人)東京都
8日午前5時半、
老衰のため東京都小金井市緑町1の4の34の自宅で死去、89歳。出身。葬儀・告別式は10日西浅草、清光寺。
 39年、東大哲学科卒。在学中から山岳雑誌に寄稿し、戦後発表した柔軟な筆致の人生論、幸福論が若者の支持を得た。山の紀行や滋味あふれるエッセー、詩、評論、小説、西洋哲学の紹介・翻訳など多彩な文筆活動を展開した。 東京外語大教授などを務め、山をめぐる芸術誌「アルプ」の編集でも活躍。FM番組「音楽の絵本」にも長年出演した。著書は「山のパンセ」「串田孫一随想集」「博物誌」など多数。80年、
紫綬褒章を受章。長男は演出家の串田和美。
7/8
■三船 浩(歌手)新潟県
8日午前7時48分、心筋こうそくのため東京都府中市の病院で死去、75歳。
 戦後、新潟のラジオ番組制作を経て上京。56年、「男のブルース」で歌手デビュー。豊かな低音の魅力で大ヒットし、その後も「夜霧の滑走路」などをヒットさせた。
91〜95年日本歌手協会理事長。
7/6
■クロード・シモン(仏・ノーベル文学賞作家)マダガスカル
6日、パリで死去、91歳。死因は不明。フランスの出版社が9日発表した。
 南フランスやパリで育ち、第2次大戦で騎兵連隊に動員され捕虜となったが脱出した経験を持つ。戦後、代表作「フランドルへの道」、「歴史」などを発表し、
85年ノーベル文学賞を受賞。近代小説の形式を無視し、革新を目指したヌーボー・ロマンの代表的作家として知られ、約20の小説を発表した。
7/6
■エド・マクベイン(作家)ニューヨーク
6日、こう頭がんのため米コネティカット州の自宅で死去、78歳。
 54年、教師経験を基に高校生の非行を描いた
「暴力教室」で一躍人気作家に。56年、マクベインのペンネームで87分署シリーズの第1作「警官嫌い」を発表、約半世紀にわたる人気シリーズとなった。代表作は「ハートの刺青」。86年に米探偵作家クラブ賞の巨匠賞を受賞した。
7/3
■ロバート・ハインデル(米国の画家)
3日、肺気腫のため米コネティカット州の自宅で死去、66歳。
 リハーサル中のバレエやミュージカルのダンサーを描いた油彩やデッサンで知られる。
日本や英国で人気が高く、故ダイアナ元英皇太子妃や故高円宮と親交があった。
7/3
■ピエール・ミシュロ(フランスのジャズ・ベース奏者)
3日、パリで死去、77歳。死因は不明。
 1940年代にディジー・ガレスピーやマイルス・デイビスら米ジャズ界の巨匠と数多く共演。モノクロ映像と即興ジャズ演奏で都会の現代人の犯罪心理を描いたルイ・マル監督の映画「死刑台のエレベーター」(57年)で、マイルスとともに演奏。50年代にパリでジャズ奏者として活躍した。ベルトラン・タベルニエ監督の映画「ラウンド・ミッドナイト」(86年)にも出演した。

7/3
■アルベルト・ラトゥアーダ(イタリア映画監督)イタリア・ミラノ
3日、ローマ近郊の自宅で死去、90歳。
 マルチェロ・マストロヤンニとの共演で、
女優ナスターシャ・キンスキーの本格デビュー作となったイタリア映画「今のままでいて」(78年)を監督。一方、少女の初めての性体験を描いた「十七歳よさようなら」(60年)などの性表現が、度々糾弾された。
7/2
■アーネスト・レーマン(米脚本家)ニューヨーク
2日、ロサンゼルスの病院で死去、89歳。死因は病死だが、詳細は明らかにされていない。
 地元の大学卒業後、ブロードウェーの劇場関連出版社のコピーライターを経て脚本家に。50年代にハリウッドの映画界に入り、アカデミー賞作品賞を受賞した映画「ウエスト・サイド物語」(61年)、「サウンド・オブ・ミュージック」(65年)のほか、「麗しのサブリナ」(54年)、「北北西に進路を取れ」(59年)などを手掛けた。2001年にアカデミー賞の名誉賞を受けた。
7/1
■天野 滋(フォーク歌手)岩手県
1日午後7時8分、脳内出血のため東京都目黒区の病院で死去、52歳。葬儀は近親者で済ませた。
 フォークグループ「NSP(ニュー・サディスティック・ピンク)」のリーダー。1974年、天野氏作詞・作曲の「夕暮れ時はさびしそう」が大ヒットするなど、NSPは70年代を代表するグループとして活躍した。87年に事実上解散するが、2002年に復活。
今年2月に19年ぶりの新曲を出したばかりだった

7/1
■レナルド・ベンソン(米男性ボーカルグループ、フォー・トップスのメンバー)
1日、肺がんのため米デトロイトの病院で死去、69歳。
 グループは1950年代から歌い始めレコードを出していたが、モータウン・レコード移籍後に「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」などヒット曲を連発。5000万枚以上のレコードを売り上げ、米国の代表的なボーカルグループとなった。 ベンソンは60代になってからも積極的で、1年の3分の1以上を歌の活動に充てていた。今年4月8日にグループで歌ったのが最後だったという。
7/1
■ルーサー・バンドロス(米国のポップス歌手)ニューヨーク
1日、米ニュージャージー州の病院で死去、54歳。
 柔らかい歌声のバラードで人気を集め、1980年代のブラック・コンテンポラリーと呼ばれた黒人音楽の代表的歌手。マライア・キャリーさんら人気女性歌手とのデュエットも多く、世界で計2500万枚以上のアルバムを売り上げた。
2003年4月に脳卒中で倒れた直後に発売された最後のアルバム「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」は、04年のグラミー賞最優秀楽曲賞、また「愛はパワー」などのヒット曲で知られ、
グラミー賞を4回受賞した。
7/1
■萩原葉子(作家)前橋市
1日午前3時39分、播種(はしゅ)性血管内凝固症候群のため東京都世田谷区の病院で死去、84歳。
葬儀は親族だけで行う。喪主は長男で多摩美大教授の朔美氏。
 詩人萩原朔太郎の長女。30代で離婚、「父・萩原朔太郎」で日本エッセイスト・クラブ賞、66年「天上の花」で田村俊子賞、新潮社文学賞を受賞。育児の傍ら執筆活動を続け、オブジェ制作やダンスでも活躍した。代表作は「蕁麻(いらくさ)の家」(女流文学賞)「閉ざされた庭」「輪廻の暦」の自伝的三部作などがある。
6/28
■ブルース・マルムース(米アクション映画監督)ニューヨーク
6月28日、食道がんのためロサンゼルスの病院で死去、71歳。
 陸軍従軍中にドキュメンタリーを手掛け、除隊後に映画界入りした。シルベスター・スタローン主演の「ナイトホークス」(81年)や、「ハード・トゥ・キル」(90年)などを監督。日本でも人気となった「ベスト・キッド」(84年)には俳優として出演した。
6/27
■遠井吾郎(プロ野球元阪神タイガース内野手)山口県
27日午前5時24分、肺がんのため東京都品川区の病院で死去、65歳。葬儀・告別式は親族のみ。
 山口・柳井高から58年に阪神入団。62年から中軸を打つなど、
77年まで20年にわたって阪神で一塁手として活躍。通算成績は1919試合出場で137本塁打、打率2割7分2厘。78年には阪神の打撃コーチを務めた。温厚な性格で「仏の吾郎さん」と親しまれた。
6/25
■チェット・ヘルムズ(音楽プロモーター)米カリフォルニア
25日、脳卒中の合併症のため米サンフランシスコで死去、62歳。
 バンド「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」の創設者。70年に27歳の若さで亡くなった
伝説のロック歌手ジャニス・ジョプリンを発掘し、このバンドで本格的な活動をさせた。
6/25
■長 新太(絵本作家)東京都
25日午後3時17分、中いん頭がんのため東京都内の病院で死去、77歳。葬儀・告別式は7月1日桐ケ谷斎場。
 蒲田工業高校を卒業後の1948年、新聞の漫画コンクールに入選。小島功らの若手グループ「独立漫画派」に入り都会的な感覚の作品を発表した。福音館書店の月刊絵本にさし絵を描いたのをきっかけに、絵本も手掛け、59年、月刊絵本「おしゃべりなたまごやき」(旧版)の絵で文春漫画賞を受賞。絵本「キャベツくん」「ふゆめがっしょうだん」などで絵本にっぽん大賞。
94年紫綬褒章受章。日本漫画家協会会員

6/20
■ラリー・コリンズ(米国の作家)
20日、脳出血のため、フランス南部フレジュスの病院で死去、75歳。
 仏の作家ドミニク・ラピエールと世界的なベストセラー・ノンフィクション
「パリは燃えているか」を共著、になった。
1929年米コネティカット州生まれ。米通信社UPIの中東特派員や米誌ニューズウィークのパリ支局長を務めた後、60年代からラピエール氏とコンビを組み、イスラエル建国を描いた「おおエルサレム」、インド独立を描いた「今夜、自由を」など現代史のノンフィクションを独特の手法で描いた。

6/19
■水島 弘(俳優)東京都
19日午後1時13分、肺炎のため東京都渋谷区の病院で死去、72歳。
葬儀・告別式は親族だけで済ませた。「しのぶ会」を7月19日劇団四季「自由劇場」で劇団葬として行う。
 53年の
劇団四季旗揚げに参加した創立メンバーの1人で、長く主要キャストとして活躍したほか、テレビや映画にも数多く出演した。同劇団での主な作品は「ひかりごけ」「オンディーヌ」など。93年の「オペラ座の怪人」を最後に病気療養していた。

6/18
■松村達雄(俳優)横浜市
18日午前7時25分、心不全のため東京都新宿区の病院で死去、91歳。葬儀は近親者のみ。
 独特のせりふ回しと温かみで名脇役として重用され、山田洋次監督の人気シリーズ「男はつらいよ」では
72年から故森川信さんに代わっておいちゃん役に。とぼけた持ち味が人気を呼んだ。 主な出演映画に「どですかでん」「四十七人の刺客」、テレビでは「若い季節」「事件記者」「赤い疑惑」、舞台では「罪と罰」など幅広いジャンルで活躍。93年の黒沢明監督の映画「まあだだよ」では文豪・内田百☆役で主演した。
6/17
■ビリー・バウアー(米国のジャズ・ギタリスト)1915年、ニューヨーク
17日、肺炎の合併症を起こしニューヨークで死去、89歳。
 生まれ。バンジョーやウクレレを学んだ後にギターに転向。クール・ジャズの最高峰として知られるレニー・トリスターノに師事、ベニー・グッドマンやチャーリー・パーカーらジャズ界の大御所と演奏活動した。70年、NYにギターの専門学校を開設、死の直前まで後進の指導に当たった。

6/16
■奥崎謙三(ドキュメント映画「ゆきゆきて、神軍」の主人公)兵庫県
16日、神戸市の病院で死去、85歳。
 太平洋戦争中、陸軍工兵隊の一員としてニューギニア戦線に従軍。旧陸軍の上官らの戦争責任を追及した原一男監督の映画「ゆきゆきて、神軍」の主人公として知られる。69年1月の皇居一般参賀で、昭和天皇に向けてパチンコ玉を撃ち服役した。83年に旧陸軍時代の元上官の長男に発砲。殺人未遂罪などで懲役12年の判決を受けた。著書に「ヤマザキ、天皇を撃て!」などがある。
6/15
■シュザンヌ・フロン(フランス女優)パリ郊外
15日、胃腸炎のためパリ市内の病院で死去。87歳。
モデル、シャンソン歌手
エディット・ピアフの秘書の後、演劇女優となり、後に「赤い風車」(52年)「素晴らしき恋人たち」(61年)など映画にも出演。61年に「汝殺すなかれ」でベネチア国際映画祭の主演女優賞を受賞した。

6/10
■永島慎二(漫画家)東京都
10日午後10時15分、慢性心不全のため東京都杉並区の自宅で死去、67歳11ヶ月。自宅は東京都杉並区西荻北。
葬儀は親族だけで済ませた。喪主は妻小百合さん。33歳で糖尿病にかかり、4年前から人工透析をしていた。
 中学を中退してプロの漫画家を目指し、1952年「さんしょのピリちゃん」でデビュー。61年に発表した「漫画家残酷物語」で漫画界の舞台裏を描き、評価を得た。その後、新宿を放浪するが、自伝的作品「フーテン」で復活し、若者から支持された。他の代表作に「若者たち」「花いちもんめ」「柔道一直線」など。ギタリストの永島志基氏は長男。
6/10
■倉橋由美子(作家)高知県
10日死去、69歳。葬儀は親族で済ませた。
 明治大在学中に左翼運動をめぐる短編小説
「パルタイ」で注目され、同作で女流文学者賞を受けた。米国留学を経て本格的な作家活動を始め、抽象的、寓話(ぐうわ)的と評される作風を築いた。
 主な作品に、ベストセラー「大人のための残酷童話」や「スミヤキストQの冒険」「アマノン国往還記」(泉鏡花文学賞)。翻訳に「ぼくを探しに」など。サンテグジュペリ「星の王子さま」の翻訳にも取り組み、今月下旬刊行の予定だった。

6/6
■アン・バンクロフト(米女優)ニューヨーク・ブロンクス
6日、がんのためニューヨークの病院で死去、73歳。
9歳の時から女優を志望。演劇を学んだ後、ハリウッドの「ノックは無用」(52年)でデビューしたが、人気が出ずNYで舞台女優に転身。
 その後映画界に戻り
「奇跡の人」(62年)で、ヘレン・ケラーの教師役で、アカデミー賞主演女優賞を受賞。青春映画の名作として知られる「卒業」ではダスティン・ホフマンが演じた主人公を誘惑する年上の女性、ミセス・ロビンソンを好演した。出演作はほかに「アサシン暗・殺・者」(93年)など多数。映画監督メル・ブルックス夫人。
5/30
■二子山親方(大相撲・元大関貴ノ花)青森県弘前市
30日、舌と下の歯茎の間にできる口腔底がんで闘病中だったが東京都文京区の病院で死去。55歳。
 中学卒業後、「土俵の鬼」の異名を持つ兄の初代若乃花の二子山部屋に入門し、1965年夏場所に初土俵。68年、当時の史上最年少入幕を果たした。大相撲の大関貴ノ花として人気を博し、長男若乃花と二男貴乃花を横綱に育て上げた。75年春場所で横綱北の湖を決定戦で破り、初優勝。「角界のプリンス」として、軽量ながら全力を出しきる取り口で、相撲ファンを女性や子どもに広げた。 横綱を期待されたが、大関在位50場所の最長記録を残して81年初場所途中で引退。優勝2回、幕内通算578勝406敗だった。
 引退後は旧藤島部屋を創設し、若貴兄弟をはじめとする数々の力士を育て、部屋を角界最大勢力に導いた。日本相撲協会でも事業部長などの要職を歴任したが、2年ほど前から体調を崩し公務を休むことが続いた。公の場に姿を見せたのは1月30日の貴ノ浪の引退相撲が最後で、2月23日には貴乃花親方が口腔底がんで闘病中であることを公表していた。
5/29
■オスカー・ブラウン・ジュニア(米国のシンガー・ソングライター、脚本家)シカゴ
29日、下部脊椎の感染症に伴う合併症のため4月半ば、両足の激痛とまひのため入院していた。シカゴの病院で死去、78歳。
 マイルス・デイビスの「オール・ブルース」の作詞者で知られる。

5/25
■エディ・アルバート(米俳優)
26日、肺炎のためロサンゼルス郊外の自宅で死去、99歳。
 米映画「ローマの休日」(1953年)で、記者役のグレゴリー・ペックとともに行動するカメラマンを演じた。 50年以上にわたり映画やテレビで活躍。「ローマの休日」と「ふたり自身」(72年)で、それぞれ
アカデミー助演男優賞の候補になった。
5/25
■イスマイル・マーチャント(英国の映画製作者)1936年、インドのムンバイ(当時はボンベイ)
25日にロンドンの病院で死去、68歳。死因は明らかにされていないが、ここ数年、腹部に不調を訴えていた。
 ニューヨーク大学で経営を学ぶ。ジェームズ・アイボリー監督と出会い、61年にマーチャント・アイボリー・プロを設立。「眺めのいい部屋」(86年)が大ヒットし、アカデミー脚色、美術監督装置、衣装デザインの各賞を獲得。監督としても活動し「ボンベイの踊り子たち」(82)などの名作を生んだ。
5/24
■石津謙介(服飾デザイナー)岡山市
24日午前2時2分、肺炎のため東京都青梅市の病院で死去、93歳。故人の遺志で献体し、葬儀・告別式は行わない。お別れの会を後日開く。
 明治大商科専門部卒。51年、「VAN」で知られる
「ヴァンヂャケット」を創立。米国東海岸の大学生のファッションを「アイビールック」として紹介、60年代に大流行させた。東京・銀座のみゆき通りを、アイビールックでVANの紙袋を抱えて歩く「みゆき族」が出現し、社会現象にもなった。「TPO」という言葉をはやらせたことでも知られる。
5/18
■岡枝慎二(映画字幕翻訳者)東京都
5月23日午後5時35分、心筋こうそくのため東京都千代田区の病院で死去、76歳。葬儀・告別式は故人の遺志で行わず、別れの会を近親者だけで済ませた。
 英語、フランス語、ロシア語など7カ国語に通じ、
2000本以上の映画字幕の翻訳や監修を手掛けた。代表作に「スター・ウォーズ」「プラトーン」「エマニエル夫人」「惑星ソラリス」などがある。
5/22
■国友 忠(浪曲師)東京都
22日午前0時5分、転移性肺がんのため茨城県三和町の病院で死去、86歳.

葬儀は親族だけで済ませた。喪主は妹大熊ヨシ子。
 「銭形平次」を浪曲化するなど
50年代にラジオで人気を博した。80年代には、中国残留邦人らの帰国支援のため民間団体「春陽会」を設立、会長として10年以上にわたり帰国や日本定住の支援活動に取り組んだ。


5/18
■平岡篤頼(早稲田大名誉教授、文芸評論家)大阪府
18日午前2時50分、虚血性心不全のため東京都新宿区の病院で死去、76歳。
 アラン・ロブグリエやクロード・シモンらフ
ランスのヌーボーロマンの翻訳者として知られた。大学で文芸誌「早稲田文学」の発行人を長く務めたほか、小説も執筆、芥川賞候補になった。
5/17
■フランク・ゴーシン(米俳優)ペンシルベニア州ピッツバーグ
17日、ロサンゼルス郊外の病院で肺がんのため死去、72歳。
 ニューヨークなどの舞台でカーク・ダグラスら有名俳優の物まねで人気を集め、1960年代に
米人気テレビ番組「バットマン」の悪役リドラーで有名になった。その後、各種テレビ番組や「シャム猫FBI」などの映画に、最近では人気の犯罪サスペンスドラマ「csi」に出演した。
5/16
■岡部冬彦(漫画家)東京都
16日午前8時19分、心筋こうそくのためさいたま市中央区の病院で死去、82歳。
葬儀・告別式は近親者のみ、喪主は長男で
軍事評論家いさく氏。
 都会のサラリーマン家庭の暮らしぶりを子どもの目でユーモラスに描いた「アッちゃん」と「ベビー・ギャング」で文芸春秋漫画賞。外国漫画の影響の濃いモダンな「アツカマ氏」などもヒットした。 無類の飛行機好きでも知られ、著書に「岡部冬彦のヒコーキばんざい」など。
他の代表作に「
きかんしゃやえもん」「へりこぷたーのぶんきち」などがある。1989年に紫綬褒章。
5/12
■モニカ・セッテルンド(スウェーデンのジャズ歌手)1937年、同国ハーグフォルス
12日夜、警察当局によるとストックホルム中心部の自宅マンションで起きた火災で死去、67歳。
地元メディアによると、ベッドでの喫煙が原因とみられる。
 生地元バンドで歌った後、ストックホルムの有名ジャズクラブに出演、
60年の米国公演で国際的な名声を得た。最も有名な録音は64年にビル・エバンス・トリオと共演した「ワルツ・フォー・デビー」。
 女優としても活動、同国の映画やテレビに出演した。ここ数年は脊柱側彎症で、不自由な生活を送っていた。

5/6
■エディ・バークレー(フランスの音楽プロデューサー)パリ
12日夜、心不全のためパリの病院で死去、84歳。
 第2次世界大戦前ごろから米国人風の名前を名乗り、バーでピアノを弾いた。終戦後、「バークレーズ・クラブ」を設立、パリのジャズ演奏のメッカとなり、レコード会社「ブルー・スター」も立ち上げた。 米国旅行から戻った
1955年、フランスに初めてLPレコードを導入、その後は音楽プロデューサーとしてジャック・ブレル、ダリダ、ミレイユ・マチュー、シャルル・アズナブールなど多くの有能な歌手を見いだした。
5/6
■小林勝彦(俳優)東京都
6日午後9時10分、肝細胞がんのため東京都新宿区の病院で死去、68歳。
 高校在学中に劇団結成に参加。「潮来笠」で主演するなど、大映の時代劇映画の二枚目として人気を獲得。映画「大菩薩峠・完結編」で故市川雷蔵らと共演したほか、「暴れん坊将軍」「水戸黄門」などテレビの人気時代劇で脇役を務めた。
 米映画「スター・ウォーズ」の吹き替えや、テレビアニメの声優としても活躍した。
5/5
■チャーリー・ミューズ(
野球用ヘルメットの開発者
5日、米フロリダ州サンシティーで死去。87歳。
 米大リーグのパイレーツで、球団幹部を含め、50年以上在籍。1950年代初め、当時のブランチ・リッキー・ゼネラルマネジャーが打者の頭部を保護するヘルメットの開発を思い立ち、ミューズ氏が責任者として開発に当たった。パイレーツが52年に採用して以降、大リーグでヘルメットが普及した。
4/28
■パーシー・ヒース(米ジャズベーシスト)1923年ノースカロライナ州
4月28日、ニューヨーク州の病院で、骨肉腫のため死去、81歳。
 52年伝説のジャズバンド「モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)」を、ビブラホン奏者のミルト・ジャクソンらと結成した。 代表作は「ラスト・コンサート」「ジャンゴ」など。74年のMJQ解散後はジミー・アルバートの三兄弟バンド「ヒース・ブラザーズ・バンド」を結成、活動を続けた。

4/27
■利根はる恵(女優)東京都
27日午後7時48分、胆管がんのため
東京都杉並区の病院で死去、80歳。
 映画「真空地帯」「雲ながるる果てに」、舞台「はなれ瞽女おりん」などで、演技派の脇役として活躍した。
4/27
■福井敏雄(お天気キャスター)徳島県
27日午後10時6分、老衰のため大阪市西淀川区の病院で死去、84歳
 大阪管区気象台の天気相談所長などを務め、1980年に気象庁を退官。テレビ番組の天気予報コーナーを担当し、独特のイントネーションで天気を解説する様子やきまじめな人柄がお茶の間に親しまれた。
4/27?
■ジョージ・コスマトス(映画監督)イタリア・フィレンツェ
肺がんのためカナダ・ブリティッシュコロンビア州ビクトリアで死去、64歳。関係者が27日までに明らかにした。正確な死亡日時は不明。
 ロンドンなど各地に滞在後、カナダに移住。シルベスター・スタローン主演の「ランボー 怒りの脱出」(1985年)「コブラ」(86年)や「トゥームストーン」(93年)などを手掛けた。
4/26
■マリア・シェル(映画「居酒屋」の女優)ウィーン
26日、肺炎のためオーストリア・ケルンテン州の自宅で死去、79歳。ドイツ語圏で国際的に活躍した最後の女優の一人といわれた。
 ナチスの迫害を避け移住したスイスで育つ。16歳から女優として活動、ヘルムート・コイトナー監督の「最後の橋」(1954年)でカンヌ映画祭の女優賞、ルネ・クレマン監督の「居酒屋」(56年)でベネチア映画祭の女優賞を獲得し、トップスターに。ハリウッドでも活躍し、マーロン・ブランドらと共演した。 晩年は病気を繰り返し、療養生活を送っていた。
4/25
■小林ハル(
最後の越後瞽女)新潟県
25日午前2時10分、老衰のため新潟県黒川村熱田坂の特別養護老人ホーム第二胎内やすらぎの家で死去、
105歳
 生後3カ月で失明後、5歳で口承文芸、瞽女に入門。三味線を手に娯楽の少ない山間部をめぐり、瞽女唄を歌い続けるなど、最後の越後瞽女として民俗芸能の普及に努めた。
4/25
■福田甲子雄(俳人)南アルプス市
25日午前2時50分、心不全のため山梨県南アルプス市の病院で死去、77歳。
 47年に俳句誌「雲母」の飯田蛇笏選・春夏秋冬欄に出句、「雲母」に入会。60年に飯田龍太に入門。63年から「雲母」編集部に入り、92年の終刊までかかわる。その後「白露」創刊に尽力し、93年の創刊同人になった。
 重厚な風土性を持つ句で知られ、飯田龍太研究の第一人者でもあった。04年句集「草虱」で蛇笏賞受賞。ほかの句集に「白根山麓」「山の風」など。著書に「飯田龍太」「飯田蛇笏」など。
4/23
■ジョン・ミルズ(英国の俳優)英サフォーク州
23日、病気のためロンドン郊外で死去、97歳。
 30年代に映画デビュー。1970年の映画「ライアンの娘」で知的障害者の役を演じ、
アカデミー助演男優賞を受けた。ほかに主な出演作品は「大いなる遺産」(46年)「戦争と平和」(56年)「80日間世界一周」(同)など。
4/23
■アール・ウィルソン(元米大リーグ投手)
23日、心臓発作で死去した。70歳。
 同氏は1959年にレッドソックスに入団。62年に米大リーグで
黒人初の無安打無得点試合を達成した。その後、タイガースなどに移り、70年に引退。通算成績は121勝109敗。打撃にも優れ、ノーヒットノーランの快挙達成試合で放った1本を含め通算35本塁打を記録した。
4/20
■岡本敏子(岡本太郎記念館館長)千葉市
20日、東京都港区南青山6の自宅で死去しているのが見つかった。79歳。病死とみられる。
 東京女子大在学中に画家の岡本太郎氏と出会い、約50年間、秘書として制作活動を支え、
後に養女となった。 太郎が亡くなった96年、岡本太郎記念現代芸術振興財団を設立し理事長に就任。太郎さんの自宅兼アトリエを岡本太郎記念館にし、作品や著作を伝える活動を続けた。著書に「岡本太郎に乾杯」「岡本太郎が、いる」など。
4/20
■丹羽文雄(作家)三重県
20日午前0時25分、肺炎のため東京都武蔵野市西久保1の自宅で死去、
100歳。喪主は長男直樹。
 早稲田大卒。32年「鮎」で文壇に登場。「マダムもの」といわれる一連の風俗小説で流行作家となる。戦後も「親鸞」「蓮如」など、旺盛な創作活動を続けた。 日本文芸家協会理事長を長く務め、文壇のまとめ役的存在だった。吉村昭さんや瀬戸内寂聴さんら多くの作家を送り出した。 86年ごろからアルツハイマー病で介護を受け、後に家族が公表して話題となった。 77年文化勲章。日本芸術院会員。
4/18
■桂 文朝(落語家)東京都
18日午前1時5分、がんのため東京都中央区の病院で死去、63歳。葬儀は21日正午から東京都葛飾区立石の源寿院で。喪主は妻貞代。
 52年に二代目桂小南へ入門し、70年に真打ち昇進。04年から落語協会理事。75年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
古典落語の正統派として知られた。ひょうひょうとした味わいで知られた落語家、桂文朝が山遊亭金太郎(後の二代目桂小南)に
入門したのはわずか10歳の時。前座名はタア坊。まさに寄席育ちだった。キャリアは半世紀余に及び、毎回ネタ下ろししていた入船亭扇橋、柳家小三治との「三人ばなし」の会は評判を呼んだ。23年にわたったこの会の千秋楽は1997年8月31日。何とダイアナ元英皇太子妃が交通事故死した日だった。高座に現れた文朝さんは「新聞記者はみんなパリへ行ったもんで少ないね」。その姿が忘れられないと、演芸評論家の京須偕充さんは話す。
 「大ネタをみっちりやるというよりもサラッとやるタイプ。とはいえ六代目円生に気に入られ、大ネタもけいこしていた。実力を発揮せずに逝ってしまった。惜しい」と京須さん。寄席にいないと困る噺家だった。
4/17
■奥山貴宏(作家)山形県
17日午後8時1分、肺がんのため東京都新宿区の病院で死去、
33歳。喪主は父秀弥。
 出版社勤務を経てフリーライターに。31歳のときがんを告知され、
ウェブサイトの闘病記が評判になり、単行本として出版された。自伝小説「ヴァニシングポイント」が出版されたばかりだった。
4/16
■高田 渡(フォーク歌手)岐阜県
16日未明、北海道釧路市内の病院で死去、56歳。死因は不明。葬儀・告別式の日取りは未定。
 
4月3日のライブの後に釧路市で倒れ、同市内の病院に入院していた。
 10代から東京で活動を始め、1960年代末に京都に移って岡林信康らと関西フォークの中心的存在になった。時事的な話題を皮肉ったり現代詩をメロディーに乗せるなど反逆、批評精神に富んだ作風。「日本の吟遊詩人」とも呼ばれた。
 70年代以降は東京・吉祥寺を本拠にした。80、90年代には体調を崩したが、2000年ごらから回復。4年には彼の日常を追ったドキュメンタリー映画「タカダワタル的」が公開されるなど、若者にも再評価されていた。
4/15
■藤田湘子(俳人)神奈川県
15日午後1時8分、胃がんのため横浜市青葉区の自宅で死去、79歳。
 10代から俳句を始め、水原秋桜子に師事、「馬酔木」の同人に。
国鉄に勤務しながら、64年に俳誌「鷹」を創刊、主宰となる。83年の立春の日から3年間、毎日10句以上作り俳壇の話題となった。句集に「狩人」「神楽」など。評論に「水原秋桜子」「俳句好日」「句帖の余白」など。
4/13
■福士敬章(元プロ野球投手)鳥取県。
13日夕、
和歌山県みなべ町のマージャン店内で死亡しているのを訪ねてきた知人が見つけ、田辺署に届けた。病死とみられる。54歳。
 鳥取西高から69年にドラフト外で巨人に入団。勝ち星がないまま73年に南海へ移籍し、主力投手として活躍。77年には広島に移り、2度155勝をマークするなど6年間で58勝を挙げ、広島のリーグ制覇に貢献した。83年に渡韓、いきなり30勝をマークし最多勝を獲得。日本での通算成績は339試合、91勝84敗9セーブ、防御率3・68。韓国の通算成績は54勝79敗。78年まで松原明夫、79年は福士明夫の名前でプレーした。


4/13
■ジョニー・ジョンソン(米ミュージシャン)
13日、セントルイスの自宅で死去、80歳。死因は不明だが、肺炎などで最近治療を受けていたという。
 
ロックンロールの先駆者の一人といわれるチャック・ベリー(78)と協力してピアノでの曲作りに従事。初期のロックンロール発展に貢献し、2001年には「ロックンロール名誉の殿堂」入りした。ベリーの代表曲「ジョニー・B・グッド」はジョンソン氏にささげた曲とされる。 
4/8
■清家 清(建築家、東京工大・東京芸大名誉教授)京都市
8日午前10時42分、肺炎のため東京都大田区の病院で死去、86歳。葬儀・告別式は青山葬儀所で。喪主は長男で慶応大教授の篤氏。
 3才から神戸育ち。東京美術学校(現東京芸大)建築科と東京工大建築学科を卒業。日本の伝統美を現代住宅に生かし、戦後建築に影響を与えた。代表作は「久が原の家」「森博士邸」など。 軽井沢プリンスホテル南館など多くのビルも設計。著書に「家相の科学」など。日本建築学会会長、札幌市立高等専門学校の初代校長などを歴任。83年に紫綬褒章、89年に勲2等瑞宝章。
4/7
■平泉緋紗(舞台女優)
杉並区阿佐谷北4丁目在住
8日午後5時ごろ、心配して訪ねた長男で行政書士の立野勘治(53)が、
自宅の風呂の中で倒れている平泉さんを見つけた。警視庁の調べでは、亡くなったのは7日午前7時ごろ。肝臓がんのためとみられる。平泉さんは一人暮らしだった。71歳。
 平泉さんの遺体は舞台衣装などとともに10日、荼毘だびにふされた。告別式は12日午後2時から杉並区梅里1丁目4の23の清徳寺で行われた。17歳で演劇を志し、若くして夫と死別。5人の子どもを育て、50歳になって、パントマイムのヨネヤマママコさんの流れをくむ一人芝居に取り組んだ。衣装を抱え、米国、フランスなど世界各地を一人で公演して回った。抗がん剤の副作用などで意識が朦朧とする中、医師の制止を振り切って舞台に挑み続けた。昨年12月の立川市での公演が最後の舞台となった。 一人芝居の女優平泉緋紗さんの最後の舞台となった「狐と笛吹き」公演=昨年12月24日、立川市の女性総合センター・アイムで 肝臓がんと闘いながら、世界をまたにかけて一人芝居を続けてきた 
9年前、がんを発病。入退院を繰り返したが、その間も書き下ろし脚本による新作「台所のメディア」の舞台に挑戦。昨年12月に自身の代表作「狐きつねと笛吹き」を演じたのが最後だった。 立野さんは「最後に自分が納得ゆく舞台を演じることが出来たのではないか」と涙ぐんだ。古くからの友人で、公演の設営などに当たってきた立川市在住のプランニング業、しおみえりこさんも「劇的な演劇人生をつづった本『これは私の舞台』の今秋刊行を目指してがんばっていたのに残念」と話した。
4/8
■野村芳太郎(映画監督)東京都
8日午前0時15分、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去、85歳。葬儀・告別式は東京都文京区大塚護国寺桂昌殿。喪主は長男芳樹氏。
 41年、松竹に入社。58年の松本清張原作、橋本忍脚本の「張込み」で評価を高め、「ゼロの焦点」「砂の器」などの名作を次々に生んだ。主な作品に「拝啓天皇陛下様」「八つ墓村」「事件」「鬼畜」など多作で88本の映画を撮った。
85年に紫綬褒章、95年勲四等旭日小綬章を受賞
4/7
■中山大三郎(作詞、作曲家)宮崎県
7日午前0時3分、咽頭がんのため、東京都港区の病院で死去、64歳。
 法政大在学中に「南国の春」で作詞家としてデビュー。尾形大作さんのデビュー曲として作詞・作曲した「無錫旅情」がヒット、1987年には作詞した島倉千代子さんの「人生いろいろ」が大ヒット、日本レコード大賞作詩賞を受賞。 89年から日本作詩家協会の常務理事を務めている。
4/5
■ソール・ベロー(米ノーベル文学賞作家)カナダ・モントリオール近郊
5日、米マサチューセッツ州ボストン近郊の自宅で死去、89歳。死因は不明だが、最近体調を崩していたという。
 9歳の時にシカゴに移住。44年に文壇にデビューし、「オーギー・マーチの冒険」(53年)「ハーツォグ」(64年)「サムラー氏の惑星」(69年)などが代表作。ノーベル賞受賞時には「人間への洞察と現代文化に対する巧妙な分析」が評価された。ほかに「犠牲者」(47年)「この日をつかめ」(56年)「雨の王ヘンダソン」(59年)などの作品があり、多くの邦訳がある。作品「フンボルトの贈り物」(1975年)でピュリツァー賞を受賞、76年には
ノーベル文学賞を受賞するなど、二十世紀を代表するユダヤ系米国人作家の一人として活躍した。
4/4
■ヨハネ・パウロ2世(ローマ法王 )ポーランド
ローマ法王庁(バチカン)は2日夜(日本時間3日未明)、が同日午後9時37分(同3日午前4時37分)、自室で死去したと発表した。84歳。
 10億人を超えるカトリック教徒の最高指導者として、東欧革命や中東和平、宗教間対話の促進などの平和外交に積極的に取り組んだ。
法王は1月以降、二度にわたってローマ市内の病院に入院。2月下旬には呼吸障害を防ぐための気管切開の緊急手術を受け、一時は回復傾向にあったが、容体はこの数日間で悪化した。3月31日には尿路感染症のために高熱を出し、法王庁は1日、「法王は非常に危険な状態にある」と発表、2日も「意識が遠のく時もある」などとしていた。 法王の死去に伴い、バチカンは法王選出選挙を実施する。
4/3
■岡田史子(漫画家)北海道
3日、心不全で死去。55歳。告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、中村朝美氏。
 高校在学中の1967年、手塚治虫主宰の漫画誌「COM」でデビュー。詩的な作風で天才と評され、少女漫画界に大きな影響を与えた。代表作に「ガラス玉」「ピグマリオン」など。近年は筆を断っていた。
4/1
■頭師孝雄(俳優)
1日、膵臓がんのため死去、58歳。
 子役のころから活躍。代表作に映画「乱」「敦煌」「雨あがる」など。テレビ番組の出演も多い。俳優の頭師佳孝は実弟。
3/31
■ビリー(ロックバンド「ギターウルフ」のベーシスト)群馬県
31日午前4時35分、心不全のため東京都目黒区の病院で死去、38歳。
87年にギターウルフを結成。米国でライブを行うなど海外での活動が盛んだった。代表作にアルバム「ジェット ジェネレーション」(99年)など。
3/29
■林家染語楼(落語家)大阪市
29日午前8時6分、食道がんのため大阪市阿倍野区の病院で死去、54歳。
親族のみで密葬を営み、お別れの会を後日開く。喪主は長男で落語家の林家市楼。
 73(昭和48)年に父の故三代目林家染語楼に入門。93年、四代目染語楼を襲名した。古典落語のほか、「市民税」など新作も得意とした。上方落語協会理事。
3/22
■ヨゼフィーネ・ハベルカ(ウィーンの有名カフェ「ハベルカ」の経営者)オーストリア東部クレムス近郊
22日、心臓病のため死去、91歳。 
 1939年に夫とウィーン旧市街1区にハベルカを開店。薄暗い店内にたばこの煙が立ち込める独特の雰囲気が若い芸術家や作家をひき付け、建築家フンデルトバッサーや作家トールベルクが通い詰めたことで有名。近年、米資本のコーヒーチェーンが進出してくる中も、創業当時のままの内装とスタイルを守り続け、ウィーンのカフェ文化の守り手として伝説的な存在となっていた。
3/22
■阪田寛夫(作家)大阪市
22日午前8時04分、肺炎のため東京都内の病院で死去、79歳。
葬儀・告別式は25日午後1時から東京都港区赤坂、日本キリスト教団霊南坂教会で。喪主は妻。
 
童謡「サッちゃん」の作詞者で、日本芸術院会員。75(昭和50)年、母親の最期を描いた「土の器」で芥川賞を受賞した。 東大卒業後、ラジオ番組のプロデューサーなどを務めた後、文筆業に専念。ラジオドラマ「花子の旅行」で久保田万太郎賞を受けるなど幅広く活躍した。 二女は元宝塚歌劇団トップスターで、女優の大浦みずきさん。
3/22
■丹下健三(建築家)大阪府
22日午前2時8分、心不全のため東京都港区の自宅で死去、91歳。
葬儀・告別式は25日正午から東京都文京区関口東京カテドラル聖マリア大聖堂、喪主は妻。
 東大工学部卒。廃虚から復興する広島市の平和記念都市計画をはじめ、戦後、各地の公共建築を数多く設計。64年の東京五輪、70年大阪万博では中心的建築家として活躍した。東京・代々木の国立屋内総合競技場や東京都庁舎などの建築で有名。80年文化勲章受章。
 海外でもクウェート国際空港、サウジアラビア王国国家宮殿などを手掛け、第2次大戦後の建築界に大きな足跡を残した。63年から74年まで東大教授。著書に「一本の鉛筆から」など
3/21
■ボビー・ショート(米歌手)イリノイ州
21日、白血病のため米ニューヨークの病院で死去、80歳。
 幼いころからピアノの弾き語りの天才少年として名をはせ、ニューヨークのホテルやナイトクラブなどで活躍。ホワイトハウスでレーガン元大統領や、クリントン前大統領の前でも弾き語りを披露した。

3/21
■佐藤孝夫(元プロ野球国鉄スワローズ外野手)宮城県
21日午前8時50分、脳内出血のため東京都内で死去、73歳。
 宮城・白石高から仙台鉄道局を経て1952年に国鉄(現ヤクルト)に入団。同年に新人王、57年は本塁打王に輝いた。通算1275試合に出場し、970安打、150本塁打。引退後はヤクルト、西武、阪神のコーチやスカウトを務めた。
21日に都内で開かれた野球指導者講習会で倒れ、病院へ搬送中に死亡が確認された。
3/17
■アンドレ・ノートン(米SF・ファンタジー作家)
17日、うっ血性心不全のため米南部テネシー州ナッシュビル近郊の自宅で死去、93歳。
 1934年に最初の作品を出版後、約70年間で130以上の作品を完成。このうち、秘密の道を使って出入りする想像上の惑星での生活を描いた「魔法の世界」シリーズで30以上の作品を発表し人気を集めた。米国のSF・ファンタジー作家協会が若者向けの優れた作品に対し、2006年から「アンドレ・ノートン賞」を授与することを決めたばかりだった。
3/12
■桂 文枝(落語家)大阪市
12日午前11時32分、肺がんによる呼吸不全のため三重県伊賀市の病院で死去、74歳。
 大阪市交通局職員を経て1947(昭和22)年、4代目桂文枝に入門。54年に小文枝を襲名した。故6代目笑福亭松鶴さん、3代目桂米朝さん、3代目桂春団治さんと並んで上方落語界の四天王と呼ばれ、戦後の上方落語の復興に尽力。92年、5代目文枝を襲名した。弟子として桂三枝さん、桂文珍さんら多くの人気落語家を育てた。 語り口は流麗で端正。古典のほか創作落語も手掛け、女性の描写にも定評があった。韓国公演やテレビドラマ出演でも話題を呼んだ。74年、上方お笑い大賞を受賞。84年から94年まで上方落語協会の会長を務めた。紫綬褒章(97年)や旭日小綬章(2003年)を受章。 今年初めから体調が悪化し、入院していた。
3/12
■江間章子(詩人、作詞家)岩手県
12日午前5時49分、脳内出血のため東京都世田谷区の病院で死去、91歳。
お別れのミサは世田谷区上野毛カトリック上野毛教会で。喪主は置かない。
 1949年にNHKラジオで放送された「夏の思い出」(中田喜直作曲)が多くの人に愛唱され「花の街」(團伊玖磨作曲)なども作詞した。 新潟県で生まれ、岩手県で育った。静岡高女時代から新詩運動に参加。卒業後に上京し、36年に詩集「春への招待」を出版。戦後は三好達治、草野心平らと活動するほか、少女小説、ラジオ歌謡など幅広い創作を行った。

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2■石井岩太郎(映画監督)北海道
12日午前11時55分、急性心不全のため東京都武蔵野市の病院で死去、70歳。葬儀は三鷹市下連雀4
禅林寺
 渥美マリ主演の映画「モナリザお京」(71年)などを手掛けた。
3/10
■照屋林助(漫談家)大阪市
10日午前2時33分、肺炎のため沖縄県具志川市の病院で死去、75歳。
 こっけいなラジオ歌謡番組で人気を集めた。沖縄ポップス「りんけんバンド」のリーダー
照屋林賢の父
3/10
■星 ルイス(漫才師)東京都
10日午後2時5分、肺がんのため埼玉県越谷市の病院で死去、56歳。
 昨年7月にコンビを組んでいた星セントが肺がんのため56歳で亡くなったばかりだった。
 72年に「セント・ルイス」を結成。早口で長身のセントさんとのコンビで、「田園調布に家が建つ」などの辛口ギャグが人気を集め、80年代の漫才ブームをけん引した。03年にセントさんとのコンビを解消していた。
3/9
■桂 文紅(落語家、上方落語協会理事)大阪府
9日午前7時56分、肝硬変のため大阪府枚方市の病院で死去、72歳。
 55年に4代目桂文団治に入門。落語公演の傍ら、青井竿竹の筆名で新作落語の創作や放送番組などの構成も手掛けた。

3/7
■デブラ・ヒル(米映画プロデューサー、脚本家)米ニュージャージー
7日、がんのため死去、54歳。死亡場所は明らかでない。
 映画制作現場のアシスタントを務めた後、ジョン・カーペンター監督の出世作となったホラー映画「ハロウィン」(1978年)など、多くのサスペンス、ホラー映画の制作や脚本を担当。
ハリウッドで活躍する女性プロデューサーの草分け的存在だった。
3/7
■テレサ・ライト(米女優)1918年ニューヨーク
6日、心疾患のため米コネティカット州の病院で死去。86歳。
 高校時代に演劇を始め、その後映画界入り。美ぼうの一方で控えめなそぶりや優れた演技で、
40年代に一世を風靡、42年、「ミニヴァー夫人」でアカデミー賞助演女優賞を受けた。 「クーパーの花婿物語」(44年)ではゲーリー・クーパーらと共演したほか、アルフレド・ヒチコック監督の作品などでも幅広く活躍。近年では「レインメーカー」(97年)にも出演した。
3/4
■栗原貞子(詩人)広島市
6日午後8時15分、広島市安佐南区長束自宅で死去、92歳。
 1930(昭和5)年、広島県立可部高女卒業。多くの反戦詩を手掛け、これまで約300編を詠んだ。45年8月6日、
爆心地から約4キロの自宅で被爆、広島市内に入り、惨状を目の当たりにした。代表作は遺体や重症の被爆者で埋まったビルの地下室で赤ん坊が誕生したという話を聞いた感動を基にした「生ましめんかな」。占領軍のプレスコード下で初めて原爆を取り上げた文芸同人誌を発刊。原水爆禁止運動や被爆体験を若い世代に伝える語り部活動に取り組む傍ら核戦争を告発する詩集を次々に発表した。
3/4
■木川かえる(漫画家)滋賀県
4日午後11時40分、腎不全のため滋賀県守山市の病院で死去、81歳。
 戦後、進駐軍のキャンプで音楽に合わせて
即席で似顔絵などの漫画を描く芸で「ジャズ漫画家」として有名になった。吉本興業に所属し、寄席のアドリブ漫画でも人気を集めた。同社の所属タレントでは最長老だった。
 読売国際漫画大賞の優秀賞(83年)や、上方お笑い大賞の特別賞(96年)などを受賞。
2/28
■飯島夏樹(元プロウインドサーファー)東京都
現地時間2月28日午後11時50分(日本時間1日午後6時50分)、肝臓がんのため米ハワイ州ホノルルの自宅で死去、
38歳
葬儀・告別式は現地時間4日午後5時半からホノルルのマキキ聖城キリスト教会で。喪主は置かない。
 プロウインドサーファーとしてワールドカップなどで活躍。02年がんを告知され、昨年夏、
自らの闘病生活に着想を得た小説「天国で君に逢えたら」を出版、13万部のヒットとなった。家族とのきずなを描いたテレビのドキュメンタリー番組も大きな反響を呼んだ。
2/28
■クリス・カーティス(ドラマー)
28日、英リバプールの自宅で死去、62歳。死因は不明だが、長く病気を患っていたという。
 英ビートグループ「ザ・サーチャーズ」の元ドラマー。1960年代前半に高校の同級生と、ジョン・ウェインの映画(邦題「捜索者」)から名前を取ったバンドのザ・サーチャーズを結成。「ピンと針」「シュガー・アンド・スパイス」などのヒット曲を次々と出した。 66年にサーチャーズを脱退後はソロでも録音活動を行い、その後、ロックバンド「ディープパープル」の前身となる「ラウンドアバウト」を結成した。
2/27
■那須博之(映画監督)東京都
27日午後8時51分、肝臓がんのため東京都調布市の病院で死去、53歳。葬儀・三鷹・禅林寺
 東大卒業後、日活の助監督に。フリーとなって監督した「ビー・バップ・ハイスクール」(1985年)がヒット、シリーズ化された。ほかに薬師丸ひろ子主演「紳士同盟」など。昨年秋の「デビルマン」が最後の劇場映画監督作となった。
2/24
■蔦谷喜一(塗り絵作家)東京佃島
24日午前8時33分、老衰のため埼玉県春日部市の病院で死去、91歳。
 紙問屋に生まれ、山川秀峰の美人画にあこがれ川端画学校に入学。40年代後半から塗り絵を描き始め、60年ごろまで「
きいちのぬりえ」で日本中に大ブームを巻き起こした。近年ブームが再燃していた。
2/23
■古関忠男(旧ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団元理事長)千葉県
23日までに東京都葛飾区新小岩の自宅で死去、83歳。死因は不明。
 KSD事件で、元労相村上正邦被告らへの贈賄罪などに問われ執行猶予付きの有罪が確定した。連絡が取れないのを不審に思った知人が23日に訪ね
、風呂場で亡くなっているのを見つけた。
2/22
■羽生未来(タレント)東京都
22日午後9時29分、肺がんのため東京都中央区の病院で死去、
30歳。葬儀委員長は婚約者の五十嵐渉。喪主は母百合子さん。
 
NHK教育「英語であそぼ」のお姉さん役で人気を集め、幼児教育番組で活躍。99年には歌手デビューした。
2/22
■シモーヌ・シモン(仏女優)フランス・マルセイユ
22日、パリで死去、93歳。死因は明らかになっていない。
 30年代から映画に出演し、一時は米ハリウッドにも進出。「獣人」で名優ジャン・ギャバンと共演、「キャット・ピープル」で好評を得た。
2/22
■イ・ウンジュ(韓国女優) 
22日、ソウル近郊のマンションで自殺、24歳。
朝鮮戦争を描いた韓国映画「ブラザーフッド」(原題「太極旗を翻して」)のヒロイン役を務めた。 全羅北道群山出身。韓国のトップ女優として、ドラマや映画で幅広く活躍。俳優ウォンビンさんらと共演した「ブラザーフッド」は日本でも公開され人気を集めた。

2/20
■ジミー・ヤング(米国ヘビー級ボクサー)
20日、心臓発作で亡くなった。56歳。
 1970年代、ボクシングのヘビー級で、ムハマド・アリやジョージ・フォアマン(ともに米国)と闘ったヤングは、76年4月、世界王者のアリに挑み、微妙な判定で敗れたが、1年後のフォアマン戦(ノンタイトル)には判定勝ちした。69年から90年までの通算成績は35勝(12KO)18敗3引き分け。
2/20
■レイモンド・ムフラバ(南アフリカのアフリカ民族会議の元闘士)東ケープ州の農村
20日、肝臓がんのため南アフリカ・ポートエリザベスの病院で死去。85歳。
 反アパルトヘイト(人種隔離)闘争で1964年、
マンデラ前大統領らと一緒に終身刑の宣告を受けた。 44年、アフリカ民族会議(ANC)に加わり、60年にANCが非合法化されると、軍事訓練のため中国へ渡った。62年に帰国後、ANC軍事部門の司令官に就任。89年釈放され、東ケープ州首相のほか、ルワンダやブルンジの南ア大使を歴任した。
2/20
■ハンター・S・トンプソン(米ノンフィクション作家)
20日夜、コロラド州アスペン近郊の自宅で自殺、67歳。
 1960-70年代のニュージャーナリズムの旗手。一人称で俗語を駆使して語る
ゴンゾー(無頼派)ジャーナリズムで政治・社会問題に切り込んだ。代表作に「ヘルズ・エンゼルス」など。日本語でも「ラスベガスをやっつけろ!」「アメリカン・ドリームの終焉」などの訳書が出ている。
2/20
■サンドラ・ディー(米女優)ニュージャージー州
20日、ロサンゼルス郊外サウザンドオークスの病院で死去、63歳。死因は腎臓病とみられる。
 モデルを経て映画界入り。1960年代にブロンド美人として人気を集め、「避暑地の出来事」(59年)、「9月になれば」(61年)、「タミーとドクター」(63年)などに出演した。
2/19
■岡本喜八(映画監督)鳥取県
19日午後0時30分、食道がんのため川崎市多摩区生田の自宅で死去、81歳。
1943(昭和18)年、東宝に入社。戦争活劇「独立愚連隊」(59年)で人気を集め、戦中派サラリーマンを描いた「江分利満氏の優雅な生活」(63年)や、日本の敗戦を取り上げた大作「日本のいちばん長い日」(67年)など、戦争という題材にこだわった作品を作り続けた。 70年代後半からは「大誘拐 Rainbow Kids」などの娯楽色豊かな作品に力を発揮。2001年制作の時代劇「助太刀屋助六」が最後の作品となった。
2/17
■ダニエル・オハーリー(アイルランド映画俳優)アイルランド・ウェクスフォード
17日、米カリフォルニア州の自宅で死去、85歳。死因は明らかにされていない。
 大学で建築を学んだ後、舞台俳優に。その後、渡米しハリウッド映画に出演、1954年には「ロビンソン漂流記」で
アカデミー主演男優賞にノミネートされた。このほか「マクベス」(48年)、「ロボコップ」(87年)など多数の作品に出演。90年代には人気テレビドラマ「ツイン・ピークス」にも登場した。
2/16
■ウィリアム・ギブソン(米国の映画監督、プロデューサー)
16日、老衰のため米モンタナ州の自宅で死去、82歳。
 旧日本軍の真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナのドキュメンタリーを1981年に撮影。2000年にはルーズベルト、ケネディ、レーガンら歴代米大統領や、戦後活躍した各国著名人に関する取材をまとめた本を出版した。
2/14
■松本正彦(漫画家)大阪市
14日午前6時、胃がんのため東京都杉並区の病院で死去、70歳。
1950年代に
大阪で貸本漫画を手掛け、辰巳ヨシヒロらと漫画家集団「劇画工房」を結成。近年は切り絵作家として活動していた。作品に「パンダラブー」など。
2/13
■ルシアデジェズス・ドスサントス(尼僧)
13日、ポルトガル中部コインブラの修道院で死去、97歳。
 「ファティマの奇跡」を目撃した尼僧。「ファティマの奇跡」は第1次大戦中の1917年5月13日、幼少のフランシスコ、ジャシンタ兄妹とドスサントスさんの前に聖母マリアが現れ(1)第1次大戦の終了と第2次大戦の開戦(2)共産主義の興隆を意味するとみられる東方からの脅威(3)81年5月13日のローマ法王ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件−の3つの予言をしたとされる。
 兄妹は第1次大戦後に肺炎で死亡。暗殺未遂事件を生き延びた法王は2000年5月、兄妹を聖人に次ぐ福者に列する儀式を行った。
2/10
■アーサー・ミラー(米劇作家)ニューヨーク
10日夜、心不全のため米コネチカット州の自宅で死去。89歳。氏はがんを患っていたという。
 ユダヤ系の家に生まれ、大学在学中から劇作を始めた。
49年「セールスマンの死」でピュリッツァー賞を受けて劇作家としての地位を確立。平凡なセールスマンに米国の夢を仮託し、子供への過大な期待を抱いて自滅する姿を、現代の悲劇の象徴として描いた。また53年の「るつぼ」では、魔女狩りを素材にマッカーシズムへの警鐘を鳴らした。社会と個人の接点からドラマを構築し、社会の矛盾を風刺し、批判した。映画化された作品も多い。日本でも、作品は数多く繰り返し上演され、大きな影響を与えてきた。、国際ペンクラブ会長も務めるなど活躍した。56年にはマリリン・モンローと3番目の夫として結婚し話題になったが、61年に離婚。50年代に米議会を吹き荒れたマッカーシズム(共産主義排斥)の槍玉に上がったこともある。
2/10
■ジャン・ケロール(仏詩人、小説家)
10日、フランス西部ボルドーで死去、93歳。
 ボルドーで医者の家庭に生まれ、16歳で雑誌を創刊。
1941年からナチス・ドイツに対するレジスタンス(抵抗運動)に参加し42年に逮捕された後、強制収容所に送られた。その体験を基に「夜と霧の詩編」(45年)を執筆、アラン・レネ監督が「夜と霧」(55年)として映画化した。三部作「他人の愛を生きん」(47−50年)など約20の小説も発表した。
2/8
■ジミー・スミス(米国のジャズオルガン奏者)
8日、米アリゾナ州スコッツデールの自宅で死去、79歳。関係者は自然死としているが、詳細は明らかではない。
 1925年ペンシルベニア州で生まれ、音楽学校でピアノを学んだ後、51年に電子オルガンの演奏を始めた。ニューヨークの有名クラブでデビューし、ジャズやブルース、ゴスペルを融合させた独自のスタイルを確立し人気を集め、その後のジャズに大きな影響を与えた。代表作は「ザ・キャット」「ザ・サーモン」など。

2/8
■キース・ヌードセン(ドラマー)
8日、米サンフランシスコ近郊の病院で肺炎のため死去。56歳。
 米ロックバンド、ドゥービー・ブラザーズのドラマー。少年時代にドラムを始め1974年にドゥービー・ブラザーズに参加。シャープで力強い演奏で、同バンドの「ミニット・バイ・ミニット」などのヒットに貢献した。
2/6
■皆川睦雄(元プロ野球南海投手)山形県
6日午後2時20分、敗血症のため大阪府堺市の病院で死去、69歳。
 山形・米沢西高(現米沢興譲館高)から54(昭和29)年に南海(現ソフトバンク)に入団。56年から8年連続2けた勝利を挙げ、68年には31勝10敗、防御率1・61で最多勝利と最優秀防御率のタイトルを獲得した。18年間の通算成績は221勝139敗。現役引退後は阪神、巨人、近鉄でコーチを務めた。
2/4
■オジー・デービス(米俳優、監督)ジョージア州
4日、フロリダ州マイアミで死去、87歳。
性格俳優、監督として活躍、
人種差別撤廃運動の活動家としても知られた。ブロードウェーの舞台で演じた後、映画俳優に転身した。主な出演作品に「ジャングル・フィーバー」(1991年)「マルコムX」(92年)など。妻で女優のルビー・ディーとはテレビシリーズ「ルーツ」など多数の作品で共演した。
2/1
■フランコ・マンニーノ(イタリアの作曲家)パレルモ
1日、ローマ市内の病院で死去、80歳。死因は不明。
16歳でピアニストとしてデビュー。ナポリ・サンカルロ歌劇場の芸術監督を務めるなど指揮者としても活躍した。
「ルートヴィヒ 神々の黄昏(たそがれ)」「イノセント」など
ルキノ・ビスコンティ監督の映画音楽を担当。同監督の「ベニスに死す」では、挿入曲として有名なマーラーの交響曲を指揮した。
2/1
■ジョン・バーノン(米俳優)カナダ
1日、心臓手術後の合併症のためロサンゼルスの自宅で死去、72歳。
 ロンドンで演劇を学んだ後、舞台やテレビ出演などを経て映画界入り。「ダーティハリー」(71年)「アニマル・ハウス」(78年)などに出演、
演技派の悪役として活躍した。
1/31
■中尊寺ゆつこ(漫画家)東京都
31日午前8時45分、S状結腸がんのため横浜市内の病院で死去、42歳。
 小学生時代から漫画を描き始め、87年に「ビジネスジャンプ」(集英社)の新人賞などを受賞。時代の空気を的確に読み取り、中年男性のように行動する若い女性“
オヤジギャル”の生態を描いた漫画を雑誌などに連載、90年に流行語大賞銅賞を受けた。主な作品に「スイートスポット」「お嬢だん」などがある。
1/29
■エリック・グリフィス(英ミュージシャン)英ウェールズ
29日、すい臓がんのため、英エディンバラの自宅で死去、64歳。
 
ビートルズの前身バンド、クオリーメンの創設者の1人。1940年、4歳でリバプールに移る。地元の学校に在学中、ジョン・レノンらと友人になり、50年代後半に学校の名前を取ったバンド、クオリーメンを結成。レノンとともにギターを担当し、同バンドはその後、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンらの参加を得て、60年にビートルズになった。 58年に同バンドを離れて海軍入り。97年に再結成された同バンドで活動を再開。2003年には日本公演も行い、アルバム「ソングス・ウイ・リメンバー」が発売された。
1/28
■ジャック・ビルレ(仏・俳優)
28日、脳出血のため、同国ノルマンディー地方エブルーの病院で死去、53歳。
 パリ芸術学校で演劇を学び1972年から映画俳優に。「2人のロベール/花嫁募集中」(78年)でフランス映画の最高賞セザール賞の助演男優賞、「奇人たちの晩餐会」(98年)で同主演男優賞。約70本の映画に出演した。「ピエロの赤い鼻」(03年)が昨年、日本で公開された。
レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章受章。
1/26
■北原謙二(歌手)大阪市
26日午後10時1分、虚血性心疾患のため東京都文京区の病院で死去、65歳。
 91(平成3)年高血圧性脳内出血のため倒れ、手術を受けた。手足に障害が残ったが、テレビ出演など芸能活動を再開していた。
61年(昭和36)年、ジャズ喫茶でスカウトされ歌手デビュー。翌年「若いふたり」が大ヒット、独特の高音と伸びのある声が親しまれ「若い明日」「若い太陽」「ふるさとのはなしをしよう」などをヒットさせた。
1/23
■桜 むつ子(女優)東京都
23日午後6時18分、肺がんのため東京都渋谷区代々木の自宅で死去、83歳。
 
「あきれたぼういず」や劇団新風俗などを経て50年に松竹に入社。下町的な雰囲気を持ち味に大船調喜劇やメロドラマの名わき役として活躍、63年フリーに。代表作に小津安二郎監督作品「東京物語」「東京暮色」。ほかにテレビドラマ「私は貝になりたい」。映画では「スウィングガールズ」が最後となった。


1/22
■コンスエロ・ベラスケス(メキシコの女性作曲家、ピアニスト) メキシコ西部ハリスコ州
22日、メキシコ市内の病院で心臓疾患のため死去、84歳。
 41年に作詞作曲した「ベサメ・ムーチョ」は世界的に有名になり、トリオ・ロス・パンチョスなど大勢のアーティストが歌った。日本でも戦後、黒木曜子の歌でヒットした。他の作品に「カチート」など。昨年11月に自宅で転倒し肋骨を骨折。以来、入院していた。 
1/17
■バージニア・メイヨさん(米女優)ミズーリ州セントルイス
17日、米カリフォルニア州南部サウザンド・オークスの老人施設で肺炎などのため死去、84歳。
 舞台女優を経て、43年に映画デビュー。「虹を掴む男」(47年)などに出演し、ハリウッドの黄金時代を代表する女優の一人となった。49年には後の大統領、故ロナルド・レーガンと「真夏の曲線美」で共演。グレゴリー・ペック、バート・ランカスターらとも共演し、60年代以降は舞台を中心に活動した。
1/16
■真木洋三(作家)
福岡県出身16日午後10時4分、すい臓がんのため東京都渋谷区の病院で死去、78歳。
自宅は東京都杉並区成田西2の14の1。
 新聞記者の傍ら小説を発表。作家専業に。経済、歴史小説を中心に活動した。作品に「東郷平八郎」「モーツァルトは誰に殺されたか」など。
1/15
■エリザベス・ジェーンウェー(米作家)
15日、米ニューヨーク州ライの老人向け施設で死去、91歳。死因は不明。
 1940年代から本格的に小説に取り組み、45年に「デージー・ケニオン」を発表、邦題「哀しみの恋」(48年)として映画化された。70年代以降、社会における女性の役割をつづった「男世界と女の神話」(71年)を発表するなどフェミニズム運動に力を注いだ。
1/15
■ルース・ウォリック(米女優)ミズーリ州れ。
15日、肺炎による合併症のためニューヨークの自宅で死去、88歳。
 俳優オーソン・ウェルズの劇団に入り、1941年の名作、ウ
ェルズが監督、主演の「市民ケーン」で主人公ケーンの妻役を演じハリウッドにデビューした。その後、テレビドラマでも活躍し、エミー賞にノミネートされた。
1/15
■クトリア・デ・ロス・アンヘレス(スペインのソプラノ歌手)バルセロナ
15日、スペイン・バルセロナの病院で呼吸不全などにより死去、81歳。
 1945年に上演された歌劇「フィガロの結婚」でデビュー。98年の引退まで50年以上にわたって芸能活動を続けた。世界各国で公演、カラヤンやズービン・メータら大物指揮者ともステージに立った。
1/14
■アルフレッド・ハウゼ(タンゴのバンドリーダー)ドイツ・ミュンスター
14日、ドイツ・ハンブルクで死去、84歳。死因は不明。
 造船エンジニアの息子として生まれ、子どものころからバイオリン、サクソホン、ピアノなどを学び、第2次大戦敗戦後、北ドイツ放送ダンスオーケストラの指揮者となり、コンチネンタルタンゴの楽団を率いてドイツ戦後音楽界の一翼を担った。65年以降、同楽団とともに何度も来日し、日本でのタンゴ音楽ブームに火を付けた。「真珠採りのタンゴ」「黒い瞳」などの名演で
「タンゴの王様」と呼ばれた。
1/13
■岡崎宏三(映画撮影監督)東京都
13日午前4時29分、噴門部がんのため東京都目黒区の病院で死去、86歳。
35(昭和10)年に新興キネマ大泉撮影所に入社。「愛の記念日」(40年)で撮影監督としてデビュー。川島雄三監督「青べか物語」、山本薩夫監督「華麗なる一族」、木下恵介監督「衝動殺人・息子よ」など、戦後日本映画を代表する監督の作品を多く手掛けた。
 ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督「アナタハン」(53年)をはじめ、シドニー・ポラック、ジョン・フランケンハイマーら海外の監督と組んだ作品も多い。 
紫綬褒章、芸術選奨文部大臣賞などを受けた。
1/11
■加藤卓男(陶芸家、人間国宝)
岐阜県出身11日午前11時45分、肺炎のため岐阜県多治見市の病院で死去、87歳。喪主は長男幸兵衛。
 奈良時代に中国からもたらされた陶芸技法「三彩」復元の第一人者。制作技術が17世紀以降途絶え、幻のペルシャ陶器と言われた「ラスター彩」の研究を重ねて再現に成功。80(昭和55)年から8年をかけて正倉院(奈良市)に残る奈良時代の三彩の復元作業にも従事した。9
5年に人間国宝に認定された。
1/10
■スペンサー・ドライデン(ドラマー)ニューヨーク
10日、カリフォルニア州中部ペタルーマの自宅でがんのため死去、66歳。
 ロックグループ、
ジェファーソン・エアプレーンの元ドアマー。サンフランシスコを中心に潮流を起こしたサイケデリック・ロックを代表する同バンドに1966年に参加、ヒット曲「あなただけを」「ホワイト・ラビット」などを演奏した。70年に脱退後はグレートフル・デッドなどのロックグループで演奏した。
1/9
■橋本幸治(映画監督、元東宝映画常務。)栃木県
9日午後3時1分、心疾患のため栃木県足利市の病院で死去、68歳。
 登山中に倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。監督作品に沢口靖子主演の「ゴジラ」(84年)、「さよならジュピター」(同)がある。
1/8
■筒井敬介(児童文学作家)東京都
8日午後6時35分、腎不全のため東京都目黒区の病院で死去、87歳。
 慶応大在学中に演劇に熱中、戦後児童文学の創作を始め、NHKの契約作家となる。脚本を手掛けたテレビ草創期のNHK帯ドラマ
「バス通り裏」がヒットし、十朱幸代、岩下志麻らを輩出した。 主な作品に「かちかち山のすぐそばで」など。「筒井敬介童話全集(全12巻)」「筒井敬介児童劇集(全3巻)」も刊行された。
1/8
■大島信雄(元プロ野球松竹、中日投手)愛知県
8日午後3時22分、肺炎のため東京都目黒区の病院で死去、83歳。
 県岐阜商で左腕のエースとして活躍し40年の選抜野球大会では4試合すべて完封し優勝に貢献。慶大を経て50年に入団した松竹で1年目に20勝4敗、防御率2・03の成績で最優秀防御率、最優秀新人に輝き
2リーグ分立後初のセ・リーグ優勝に貢献した。プロ通算成績64勝41敗。
1/8
■小森和子(映画評論家)東京都
8日午前1時42分、10数年前から仕事をやめ自宅で療養していたが、呼吸不全のため東京都港区麻布台の自宅で死去、95歳。
 雑誌記者などを経て、「映画の友」編集長だった淀川長治氏の勧めで、戦後、映画評論の道に。テレビやラジオの洋画解説やトーク番組に数多く出演し、「おばちゃまはね…」「モア・ベターよ」など独特の語り口で人気者となった。 著書に「おばちゃまのモア・ベター人生論」など。
1/3
■林 裕章(吉本興業会長)兵庫県
3日午後7時56分、肺小細胞がんのため大阪市北区の病院で死去、62歳。
71(昭和46)年吉本興業に入社、取締役テレビ・ラジオ制作部長などを経て99年6月に社長に就任し、経営の多角化を改め本業のお笑いを強化する方針に転換。4年7月には会長となった。 横山やすし、西川きよし、桂三枝、明石家さんまら多くの漫才師やお笑いタレントを育て、
「吉本王国」を築き上げた元同社会長の故林正之助の女婿
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■出羽錦(元大相撲関脇)東京都
1日午後5時47分、すい臓がんのため死去、79歳。
葬儀・告別式は10日正午から杉並区永福1の8の1、築地本願寺和田堀廟所。
 出羽海部屋に入門し、1940年夏場所初土俵。重い腰を生かした左四つからの四つ相撲で幕内には77場所在位し、39歳まで土俵に上がり続けた。
初めて三賞が制定された47年秋場所で殊勲賞に輝いた。引退後は田子ノ浦親方となり、定年退職後は相撲放送の解説者で活躍。頭の回転がよく、ユーモアあふれる語り口は人気があった。
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■シャーリー・チザム(
黒人女性初の米連邦下院議員
1日、フロリダ州デートナビーチ近くで死去、80歳。死因は明らかになっていない。
 1924年ニューヨーク市内の黒人地区で工場労働者を父に生まれた。コロンビア大学で修士課程を修了、68年に初当選以来、7期14年間にわたり下院議員を務めた。女性や黒人など少数派の権利擁護に奔走、舌ぽうの鋭さで知られた。72年には大統領選の民主党候補争いに出馬した。