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2000年【地球号を降りたあの人この人、気になる人々

12/30
■ジュリアス・エプスタイン(アカデミー賞受賞の米脚本家)NY出身。
12月30日午前、ロサンゼルスの病院で死去、91歳。死因は不明。
双子の兄弟の故フィリップ・エプスタインと故ハワード・コッチと共同で脚本を執筆した映画「カサブランカ」で1943年のアカデミー賞の脚本賞を受賞。これまでに「いちごブロンド」など約50本に上る映画の脚本を手掛けた。


12/25
■桧山広(ロッキード事件の丸紅元会長)茨城出身。
25日午後7時23分、心不全の為品 川区東五反田の自宅で死去。91歳。ロッキード事件で田中角栄元首相への5億円贈賄の中心人物として贈賄罪に 問われ、最高裁で懲役2年6月の有罪が確定(1995年3月)した元丸紅会長
ロ事件では、コーチャン元ロ社社長、伊藤宏・元丸紅専務らと共謀。田中元首相に全日空がロ社のトライスター機を購入するよう行政指導してほしいと請 託し、謝礼として5億円を贈ったと認定された。
12/26
■ジェイソン・ロバーズ(米・アカデミー賞助演男優賞俳優)イリノイ州シカゴ生まれ。
26日、がんのため 米コネチカット州の病院で死去。78歳。
海軍除隊後の長い無名生活を経て、1950〜60年代は舞台劇を中心に活躍。
映画の代表作は「大統領の陰謀」(76年)と、「ジュリア」(77年)でアカデミー賞助演男優賞を2回受賞したほか、多数の作品に出演。
12/25
■ジョー・ギリアム(米プロフットボール、NFL元選手)
25日、米テネシー州ナッシュビルの病院で死去、49歳。死因は心臓発作とみられる。  NFLに登場した初期の黒人QBの1人で、1974年にスティーラーズの 先発QBを務めて活躍を始めた。薬物中毒に陥って現役引退に追い込まれ、ホームレス生活を送ったこともある。ここ数年は立ち直り、少年フットボールの指導などに携わっていた。
12/25
■浜口陽三(銅版画家)和歌山県出身。
25日午後5時41分、老衰のため港区の山王病院で死去。91歳。  ヤマサ醤油10代目の三男として生まれる。1930年、東京美術学校(現 東京芸大)を中退してフランスに渡り、油彩画や銅版画を制作。39年に帰国したが、53年、再びフランスへ。メゾチントと呼ばれる技法を復活させ、カラーメゾチント技法を開発した。57年「魚と果物」などでサンパウロ・ビエンナーレの版画大賞を受賞。東京、クラクフ(ポーランド)などの国際版画展で受賞を重ね、世界の代表的銅版画家となった。84年のサラエボ五輪記念ポスターにも作品が採用された。作品は、ブドウ、サクランボなど身近な果物を素材にした静物画が主で、ビロードを思わせる繊細な黒を背景に幻想的に描いた。81年、パリから米サンフランシスコに移住、96年に帰国した。
12/23
■駒 けんじ(コメディアン)東京出身。
23日午前9時20分、食道癌のため東京都荒川区の病院で死去、69歳。ディアンの故榎本健一(エノケン)さんの物まねで知られ、浅草を中心に舞台で活躍した。
12/22
■千田夏光(ノンフィクション作家、評論家)中国大連生れ。
22日午後0時13分、呼吸不全のため墨田区の病院で死去、76歳。
毎日新聞記者を経て著述業に。戦争や弱い立場の人々を描くドキュメンタリーで知られた。著書に「従軍慰安婦」「死者の告発」「民芸旅行」など。
12/21
■ミルト・ヒントン(米ジャズ・ベース奏者)ミシシッピ州出身。
21日、ニューヨーク市内の病院で死去、90歳。
ジャズバンドでベースが使われ始めた初期からの奏者の一人で、ルイ・アームストロング、デューク・エリントンといった多数の著名演奏家や歌手と共 演。推定で600−1000枚以上と、最も多くのレコードに録音を残した音 楽家として自他ともに認めていた。

12/20
■エイドリアン・モーリス・ヘンリー(英国、詩人、画家、シンガーソングライター)20日、英中部リバプールの自宅で死去、68歳。
死因は公表されていないが、心臓に持病があったとされる。
リバプール対岸のバークンヘッドで生まれ、ダラム大学でファインアートを専攻。詩のパフォーマンスに興味を持ち、米国のビート派の代表詩人アレン・ ギンズバーグの影響を受けて詩とロックのグループ「リバプールシーン」を結成した。リバプール芸術学院院長(72−81年)、マージーサイド芸術協会 会長(78−80年)を歴任。
代表作に詩集「今夜、昼に」、「都市」、「愛のないモーテルより−詩編」。
12/19
■如月小春(劇作家、演出家)東京都出身。
19日午後6時半、くも膜下出血の為板橋区の日大板橋病院で死去。44歳。東京女子大在学中に学生劇団「綺畸」を結成、演出などで脚光を浴びた。NHK「日本語再発見」のレギュラーや、産経新聞料理面「お いしいエッセー」の執筆などでも活躍した。今月7日、講師を務めていた立教大で倒れ、意識不明の重体が続いていた。
12/11
■白石勝巳(元プロ野球広島監督)広島出身。
11日午後11時半、急性心不全のため横浜青葉区の病院で死去、82歳。広島・広陵中(現広陵高)時代は一塁手として、1935年の春の選抜大会で準優勝。36年に巨人に入団して遊撃手となり、巨人の第1期黄金時代に貢献した。戦後はパシフィック(後の松竹)、巨人を経て、50年の広島の創立に際して移籍。守備の名手として知ら れ、「逆シングルの白石」の異名をとった。50年にはベストナイン に。53年からは監督兼任で、引退後も60年までと、63〜65年に監督を務めた。巨人・王貞治選手に対し、内外野が大きく右へ寄った守備位置をとる「王シフト」を考案した。広島退団後は巨人のヘッドコーチなどを務め、85年に野球殿堂入りした。
12/10
■マリー・ウィンザー(米、女優)ユタ州出身。
10日、老衰のためロサンゼルス郊外の自宅で死去、80歳。
1940年にロサンゼルスの劇場で初舞台を踏み、翌年映画デビュー。悪女役を得意とし、スタンリー・キューブリック監督の「現金に体を張れ」(56年)の浮気妻役が有名。代表作に「その女を殺せ」(52年)、「金髪の悪魔」(57年)などがある。
12/6
■ウェルナー・クレンペラー(米、俳優)
6日、がんのためニ ューヨーク市内の自宅で死去、80歳。
指揮者の故オットー・クレンペラーの息子で、1930年代にナチを逃れ一 家でドイツから米国に移住。ナチの捕虜収容所を舞台にした60年代の連続テレビ喜劇「ホーガンズ・ヒーロー」で、所長のクリンク大佐役を演じ、人気を博した。エミー賞の助演男優賞を2回受けた。舞台や映画、オペラ、クラシック音楽のナレーターとしても活躍した
12/5
■鈴木その子(美白美容・料理研究家)東京都出身。
5日午前4時45分、肺炎のため死去。68歳。
拒食症で長男を亡くしたことをきっかけに「やせたい人は食べなさい」をうたった「鈴木式ダイエット法」を考案。健康食品の開発、販売に取り組んだほか、拒食症の人々を救う活動にも従事した。欧米化した食生活を、ご飯、魚、煮野菜などの日本食中心に切り替える健康法は、多くの支持者を生んだ。化粧品の販売にも進出し、テレビのバラエティー番組やCM雑誌で「美白の女王」として人気を集めた。1週間ほど前から風邪をこじらせて入院していた。著書に「奇跡のダイエット」「白肌は絶対おトクよ!」
12/5
■嵐 徳三郎(歌舞伎俳優)香川出身。
5日午前6時20分、心不全のため大阪市天王寺区の病院で死去。66歳。日大芸術学部演劇科卒。「学士俳優」として歌舞伎界入りし、濃厚な色気のある女形として、「女殺油地獄」のお吉などが当たり役に。蜷川幸雄さんの芝居でも常連として活躍、「王女メディア」の主役は国内外で高い評価を受けた。
12/3
■福田 純(映画監督)旧満州出身。
3日午後0時54分、肺癌のため、世田谷区の病院で死去、77歳。
「エスパイ」「ハワイの若大将」「ゴジラ対メガロ」など東宝の娯楽映画を数多く手掛けた。「日本沈没」ほかテレビでも活躍した。
12/3
■グウェンドリン・ブルックス(ピュリツアー賞受賞の黒人女性詩人)
3日がんのため同市内の自宅で死去。83歳。カンザス州生まれのシカゴ育ち。
11歳ごろから詩作を始め、黒人への人種差別と貧困、麻薬を率直に、愛情をこめてうたった第二詩集「アニー・アレン」で1949年のピュリツアー賞を受けた。12/2

12/2
■大貫久男(一億円拾った人)
2日午前9時1分、心筋梗塞のため静岡県伊東市の病院で死去していた、62歳。
金物会社にトラック運転手として勤務していた昭和55年4月25日、銀座で一億円を拾い一躍、時の人 になった。落とし主が現れなかったため翌年、大貫さんのものとなった。大貫さんは税金を差し引いた6千7百万円のうち、3千7百万円でマンションを購入した。当時は脅迫に悩まされることもあったが、その後も運送会社に運転手として勤務していた。亡くなった二日は釣りに行っていて倒れたという。大貫さんは、一億円を手にしたときの記者会見で、「一億円が自分の幸せにつながるかどうかは、僕の人生が終わったときに初めてわかる」と話していた。
11/29
■下元 勉氏(俳優)高知県出身。
11月29日午後8時57分、肺炎の為渋谷区の病院で死去、83歳。
劇団民芸を経てフリー。テレビを中心に活躍し、NHK連続テレビ小説「北の家族」などに出演した。ほかに、映画「原爆の子」「真空地帯」「キューポラのある街」などの出演作がある。
11/29
■ジョージ・ウェルズ(米国の映画脚本家)ニューヨーク 州出身。
29日、老衰のため、ロサンゼルス郊外で死去、91歳。
1943年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と契約し、フランク・シナトラとジーン・ケリーが共演したミュージカル「私を野球につれてって」(49年)の脚本を共同執筆し、脚本家としてスタート。57年にはグレゴリー・ペック主演の「バラの肌着」でアカデミー脚本賞を受賞。軽いタッチのミュージカルや喜劇が人気を集めた。
11/26
■井出 とり(矢野家の叔母)酉年生まれのとり叔母さん。
11/26
■小坂善太郎(元国会議員)長野市出身。
26日午後4時50分、じん不全のため大田区田園調布の自宅で死去。88歳。昭和21年、戦後初めての衆院選に無所属で旧長野選挙区から立候補して初当選した。平成二年の衆院選を機に引退するまで一回の落選を挟み、当選十六回。昭和45年から日本国連協会会長を務めており、昭和57年には「国連平和賞」を受賞した。
11/22
■百田義浩(元プロレスラー)東京出身。
22日午後7時50分、肝不全のため東京都新宿区の慶応病院で死去、54歳。プロレスラーの故力道山の長男で、リングアナウンサーやレスラーとして活躍した。
11/22
■エミール・ザトペック(チェコの元陸上長距離選手)
22日早朝、プラハの軍付属病院で死去。78歳。
10月30日、脳卒中で倒れ危篤状態が続いていた。
1948年のロンドン五輪の一万メートルで優勝、52年のヘルシンキ五輪では五千メートル、一万メートルを制し、初挑戦のマラソンも優勝し、五輪史上唯一の長距離三 冠を達成。「人間機関車」の異名をもらい、五輪で四つの金メダルを獲得。妻のダナさんもやり投げで優勝、「同一大会夫婦金メダル」の記 録を残した。
「人間機関車」の由来は、圧倒的強さと競技中の独特の呼吸法にあるとされる。  68年にチェコスロバキアで起きた民主化運動「プラハの春」では、民主化を要求する「二千語宣言」に名を連ね、共産主義体制に抵抗。勤務していた陸軍と共産党から追放されたが、90年に22年ぶりに全面的に名誉を回復しスポーツ省に復帰した。
11/15
■森 幹太(俳優、元劇団銅鑼代表)秋田市出身。
15日午後11時50分、両側重症肺炎のため新潟県柏崎市の病院で 死去、76歳。
自宅は東京都中野区白鷺。
テレビ時代劇「水戸黄門」「大岡越前」などに、わき役として出演した。
11/14
■東野英心(俳優)東京都出身。
14日午後4時22分、脳出血のため東京都大田区の病院で死去。58歳。
13日夜、友人と会食中に倒れ、病院に運ばれて手当てを受けていたが、14日になって容体が急変した。
俳優の故東野英治郎氏の長男。俳優座出身で、1962年に映画「青べか物語」でデビュー。以後「本陣殺人事件」「八甲田山」などに出演。
NHKの「中学生日記」の東先生役を82年から7年間務めたほか、テレビ朝日系のドラマ「あばれはっちゃく」シリーズの父親役など、温かみのある演技で親しまれた。
11/13
■歌川豊国(浮世絵師・大学生)東京出身。
13日、急性虚血性疾患の
、東大阪市友井の自宅風呂場で死去。97歳。自宅のふろ場で死亡しているのを知人が発見。一人暮らしで病死とみられるという。  歌川さんは絵師の父母のもとに生まれ、幼いころから浮世絵の手ほどきを受けた。風景画や写真背景画も学び、戦中戦後はカメラ製造輸 出の会社なども経営。昭和47年に画業に復帰した。父親らの意向で尋常高等小学校しか出ていなかったが、「浮世絵のすべてを博士論文にまとめたい」と、平成8年に大阪府立桃谷高校定時制夜間部に社会人入学。「九十三歳の高校生」として話題になった。昨年には近畿大学法学部法律学科二部に96歳で合格。今も二年生として籍を置いていた。
この爺さんヲテレビのドキュメントでよく見たが凄いの一言だった。そういえば、きったない家に婆さんと一緒に住んでいたはずだが、すでにに亡くなっていたのか?
11/13
■フランク・プールセル(ムード音楽の作曲家兼指揮者)フランス南部マルセイユ出身。13日までにパーキンソン病のためパリ郊外の自宅で死去、87歳。
1953年にテレビの軽音楽指揮者となり、60年代に「ライムライト」「オンリー・ユー」のバンド演奏などでムード音楽の第一人者となった。特に米国と日本で成功。米国では「アルバム売り上げが100万枚を超えた初めての欧州人」と呼ばれ、日本でも数多くコンサートを開いた。
11/9
■東千代之介(映画俳優・日本舞踊家元)東京都
9日午前5時33分、左心不全・慢 性腎不全のため新宿東京厚生年金病院で死去。74 歳。東京芸大邦楽科卒。長唄家元の家に生まれ、19歳の時から日舞を学び師匠になる。
昭和29年、東映に入社、デビュー作「雪之丞変化」が大ヒット。故萬屋錦之介(当時・中村錦之助)との「笛吹童子」「里見八犬伝」「紅孔雀」など新諸国物語シリーズで日本映画時代劇の黄金時代を築いた。82年に日舞の若菜流を起こし、舞台を中心に活躍。90年にはNHKの朝の連続テレビ小説「京、ふたり」に出演。93年、脳梗塞で倒れ入院。98年には映 画「ザ・ハリウッド」に出演、著書「東千代之介 東映チャンバラ黄金時代」 を出版。
11/9
■茶川一郎(俳優)東京都出身。
9日午前3時35分、肝細胞がんのため大阪市内の病院で死去、73歳。 昭和21年、浅草軽演劇のキドシン一座に入ったの を振り出しに、各地の劇団を経て、二19年に大阪・ミナミの南街ミ ュージックホールの専属になった。ここで演じた女形役が注目を集め、人気コメディアンになった。テレビのコメディー番組「やりくりアパート」では管理人役の横山エンタツさんらとともに、女形役者の 住人を演じて当たり役となったほか「番頭はんと丁稚どん」「一心茶助」など多数のテレビ番組に出演した。
11/5
■高野 光(元ヤクルトスワローズ投手、通称・殿下)
5日午後11時50分ごろ、豊島区目白の自宅7階の窓から飛び降り自殺。39歳。
昭和59年、東海大からドラフト一位でヤクルトに入団。新人ながら二ケタ勝利を上げ、エースとして活躍した。平成6年にダイエーを最後に引退した。通算182試合に登板し、51勝 55敗13セーブ。最近、精神的に不安定だったという。
高野さんは妻(38)と長女(9)の3人で居間でテレビを見た後、就寝しようとしたところ突然、窓から飛び降りようとした。妻が「やめて」と止めようとしたが遅く、全身を強打してほぼ即死状態だった。遺書は見つかっていない。
11/5
■ジミー・デービス(米歌手、元ルイジアナ州知事)ルイジアナ州出身。
5 日、同州バトンルージュの自宅で死去、101歳。
高校教師から歌手となり、ポピュラー曲 でスタンダードナンバーになった「ユー・アー・マイ・サンシャイン」(1940年)を共作、一躍有名になった。
44年と60年にはそれぞれ同州知事選に当選。知事を計2期務め「歌う知 事」としても全米の注目を浴びた。(ニューヨーク共同)
11/5
■林家珍平(俳優)東京都出身。
5日午後1時、心筋梗塞の為荒川区東日暮里の自宅で死去、60歳。
中学時代に落語家の林家三平に入門。俳優としても活躍、「下町の太陽」「見上げてごらん夜の星を」など多数の映画に出演。1967年から84年まで、テレビ時代劇「銭形平次」に八五郎役で出演した。
10/31
■リング・ラードナー・ジュニア(米脚本家)シカゴ出身。
31日、癌の為ニューヨークの自宅で死去、85歳。
短編作家リング・ラードナーの息子としてシカゴに生まれる。1942年、キャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレーシーが共演したコメディー映画「女性No・1」でアカデミー脚本賞を受賞するなど、風刺の利いた脚本で活躍した。
共産主義者で、47年に下院非米活動委員会に召喚されて証言を拒否し、その後議会侮辱罪で投獄された10人の映画人「ハリウッド・テン」の1人。70年に反戦映画「マッシュ」で2度目のアカデミー賞を 獲得した。このほかの作品に「シンシナティ・キッド」(65年)など。(時事)
10/30
■尾上菊蔵(歌舞伎俳優)東京都出身。
30日午後0時9分、肺炎の為鎌倉市の清川病院で死去、77歳。
3代目尾上多賀之丞の長男として生まれ、昭和15年初舞台。21年に6代目尾上菊蔵を襲名、わき役として活躍した。
10/30
■神田山陽(日本講談協会会長)東京都出身。
30日午後3時58分、腎不全の為川崎市の有馬病院で死去、91歳。
6代目貞山、初代山陽に師事し、昭和30年、2代目神田山陽を襲名。平成9年に国の無形文化財に指定された。
10/28
■ジョルジュ・プージュリー(フランス俳優)1940年、フランス出身。
28日、パリ郊外の病院でがんのため死去、 60歳。
ルネ・クレマン監督の大ヒット映画「禁じられた遊び」(51年)で主役格の少年を演じ、有名に。ロジェ・バディム監督の「素直な悪女」(56年)、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」(57年)など多くの名作にわき役として出演し、晩年は米映画やアニメーションなどの吹き替え声優を務めた。(共同)
10/28
■川崎幽玄(最後の大和指物師)奈良県出身。
28日午前11時7分、出血性ショックのため奈良県大和郡山市内の病院で死去。95歳。十六代指物師として、大阪城・大手門の控え柱の「独鈷(とっこ)組み」と呼ばれる複雑な柱材の接ぎ方を再現し、元興寺の茶室「泰楽軒」を監修するなど無形文化財の保存・伝承に貢献。文化庁長官表彰などを受けている。今年六月にも独鈷組みや捩組みなど、ち密な技を施した室内装飾品を並べた作品展を開くなど活躍していた。
10/26
■ミュリエル・エバンス(米。女優)ミネソタ州出身。
26日、大腸癌の為ロサンゼルス近郊にある映画・テレビの引退者用施設で死去、90歳。1930年代から40年代にかけて金髪の美人女優として一世を風靡し、アカデミー賞で監督賞を受賞した「オペラハット」(36年)など40作以上の映画に出演。トーキーから西部劇へ転身し、「ホパロング・キャシディ」シリーズ(35−45年)のウィリアム・ボイドの相手役としても知られる。(共同)
10/26
■市橋とし子(人形作家)東京都出身。
26日午前11時15分、老衰の為横浜市鶴見区潮田総合病院で死去、93歳。人形劇スライド「つるのおんがえし」、「夕やけものがたり」、「泣いた赤おに」の人形などの製作で文部大臣賞を三回受賞。平成元年に桐塑人形で重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定される。
10/23
■ハンス・エルトル(ドイツ人写真家)
23日、ボリビア南東部に所有する農園で死去、93歳。
ナチス・ドイツ政権下でヒトラー総統やロンメル元帥の写真を撮影。ベルリン五輪(1936年)の記録映画を製作したリーフェンシュタール監督の仕事にも加わった。
チリを経て50年にボリビアに移住、現地では「ヒトラーの写真家」として知られた。晩年、ボリビアのマスコミとの会見でヒトラーと近い関係にあったことを認める一方、ナチス党員ではなかったと主張した。(共同)
10/22
■山路進一(作曲家)東京都出身。
22日午前5時半、脳梗塞の為大田区の池上総合病院で死去、68歳。
主な作品に「宗右衛門町ブルース」「そんな夕子にほれました」など。
10/22
■新山彰忠(元プロ野球南海投手)神戸市出身。
22日午前3時50分、上行結腸がんのため西宮市内の病院で死去、61歳。 法政大学のエースとして活躍後、南海に入団し通算38勝をマーク。
現役引退後は南海、阪急、阪神などでコーチを務めた。
10/17
■島 成郎(精神科医)
17日午前7時30分、多臓器不全のため沖縄県名護市の病院で死去した。69歳。
 60年安保闘争を指導した共産主義者同盟(ブント)の元書記長で、後年は精神科医として地域医療に尽くしてきた。
 19歳で日本共産党に入党。東大入学後、レッドパージ反対闘争で無期停学。1958年、共産党を批判してブントを結成し、全学連主流派を指導した。60年安保闘争のあと医学部に再入学して、精神科医に。70年代に沖縄に移り住み、保健婦とともに患者を訪ね歩いて相談活動を続けるなど、地域での支援態勢づくりに努めた。
 その後、北海道で勤務医や東京の陽和病院長を務めるなどしたが、94年から沖縄に戻った。隔離・収容という観点の強かった従来の精神医療体制を人権尊重の立場から厳しく批判。「医者も患者とともに地域に住まなければ病気は治せない」との考えから「地域に開かれた病院」づくりをめざした。著書に「精神医療のひとつの試み」「ブント私史」など」。
10/17
■ウォルター・シェンソン(米。映画プロデューサー)
17日、脳卒中による合併症のためロサンゼルスの病院で死去、81歳。
映画広報担当者として映画の世界へ。1950年代からロンドンに渡り、ビートルズの最初の映画「ビートルズがやって来る ヤァ、ヤァ、ヤァ」(64年)や「HELP、4人はアイドル」(65年)など、18年間の英国滞在中に多くの作品を手掛け、ビートルズのメンバーからも愛された。
10/18
■グエン・バードン(米ミュージカル・映画女優)
18日、米バーモント州の娘の家で死去、75歳。
死因は明らかにされていないが、マネジャーによると睡眠中に息を引き取ったという。子どものころの小児まひを克服し「くたばれ!ヤンキース」「スイート・チャリティ」「シカゴ」など多くのミュージカルに主演した。「カン・カン」などでトニー賞を4回受賞。演出家の故ボブ・フォッシーとは15年間結婚し、現在ブロードウェイで上演中のミュージカル「フォッシー」の演出にも協力した。
10/16
■リック・ジェイソン(米。俳優)
16日、ロサンゼルス近郊の自宅で短銃自殺しているのが発見された。74歳。
映画「君知るや南の国」(1953年)でデビューし、テレビのシリーズ「コンバット」(62−67年)のヘンリー少尉役で一躍有名になった。68年に日本映画「鉄砲伝来記」の出演のため来日。同年、平安神宮で5度目の結婚式を挙げた。
主な作品に「スカートをはいた中尉さん」、「パートナーズ」、「おかしなおかしな探偵物語」などがある。
10/13
■ジーン・ピーターズ(米。女優)オハイオ州出身
13日、白血病のためカリフォルニア州サンディエゴ郊外で死去、73歳。オハイオ州立大学在学中、美人コンテストに優勝し、知的な美しさが注目され1947年に「征服への道」でデビュー。「ナイアガラ」でマリリン・モンローと、「アパッチ」でバート・ランカスターとそれぞれ共演し、演技派女優として将来を期待される。しかし、56年に突然、大富豪ハワード・ヒューズ氏と結婚し引退。71年に離婚しデビュー作の映画の助監督だったスタンリー・ハウ氏と3度目の結婚。70年代から80年代にかけては、ハウ氏が監督した米CBSのテレビ映画などに出演した。
10/12
■ミヤコ 蝶々(女優)東京出身。
12日午後1時7分、慢性腎不全の為大阪天王寺区の病院で死去、80歳。戦後のラジオ番組などで、漫才師として上方の笑いを全国的にした。女優に転身後も映画、テレビ、舞台で活躍、上方喜劇人のシンボル的存在。夫の故南都雄二との長寿番組「蝶々・雄二の夫婦善哉」は大ヒット。昭和45年代から舞台に進出、脚本、演出、主演と一人三役で、「恋ざんげ」などの話題作を各地で上演した。
78年にNHK放送文化賞、84年に紫綬褒章を受けた。著書に「女ひとり」など。10/11

■サム・オスティーン(米の映画編集者・監督)アーカンソー州出身。
11日、心臓発作のためニュージャージー州で死去、76歳。  1956年にヒッチコック監督の「間違えられた男」の編集助手として映画の世界へ。「若き日の恋」(64年)で編集者に昇格。マイク・ニコルズ監督の「バージニア・ウルフなんてこわくない」(66年)、「卒業」(67年)やロマン・ポランスキー監督の「ローズマリーの赤ちゃん」(68年)、「チャイナタウン」(74年)など著名な映画監督の作品の編集で知られる。75年のテレビ映画「スターダストの女王」の演出で、監督ギルド賞を受賞した。
10/9
■デビッド・デュークス(米男優)カリフォルニア州出身。
9日、心臓病のためワシントン州の病院で死去、55歳。
ブロードウェーの舞台で「ドン・ファン」などに出演.。1974年「ザ・ワイルド・パーティー」で映画デビュー。「リトル・ロマンス」(79年)、「泣かないで」 (81年)、「天使の失踪(しっそう)」(83年)などに出演。テレビドラマの撮影中に倒れたという。
10/5
■リチャード・ファーンズワース(米俳優)カリフォルニア州出身。
6日、ニューメキシコ州リンカーンで
短銃自殺。80歳。
今年の第72回アカデミー賞で、映画「ストレイト・ストーリー」で主演男優賞にノミネートされ、最年長の男優として話題になった。ジェーン・フォンダ主演の「カムズ・ア・ホースマン」(1978年)では、アカデミー助演男 優賞にノミネートされた。
10/5
■玉川勝太郎(浪曲師、元日本浪曲協会々長)東京都出身。
4日午前5時37分、肝臓がんのため豊島区の病院で死去、67歳。
1947年、14歳で浪曲師わかの浦弧舟に入門。その後2代目玉川勝太郎門下に移り、64年、3代目を襲名。主な演目は「天保水滸伝」「忠治山形屋」「細川の茶碗屋敷」など。ラジオの浪曲番組のほか、テレビにもレギュラー出演し人気を集めた。

9/30
■メアリー・フランシス(英国のミステリー作家、ディック・フランシス妻)
9月30日、心臓発作のため英領ケイマン諸島の自宅で死去、76歳。
「本命」や「奪回」など競馬界に題材を求めたミステリー小説で人気を得たディック・フランシスの妻メアリーは長年に渡り、夫の著作活動に大きく貢献した。ディック・フランシスは「彼女が死んだ今となっては、次の作品が書けるかどうか疑わしい」と話しているという。

9/29
■ミッチー・サハラ(酒井道枝)(ジャズ歌手)東京都出身。
27 日、心臓発作のためロサンゼルス市内の自宅で死去、53歳。
13歳で歌手デビュー。16歳で自分で作詞・作曲したLPレコード「聞 いてよお願い」を発表。1960年代、文化放送ラジオの深夜番組のパーソナリティーを5年間務めた。69年に渡米、カナダや米国各地をツアーしたほかジャズ・クラブで活躍した。
9/26
■バーデン・パウエル(ブラジルのボサノバ奏者・作曲家)
9月26日、ブラジル・リオデジャネイロの病院で肺炎合併症による多臓器不全のため死去、享年63歳。作曲家・アントニオ・カルロス・ジョビンらとの活動を通して、官能的なメロディを生み、ブラジルで50年代末に登場したボサノバの魅力を世界に伝えた。そのギタ演奏は天才とも評された。66年以降は世界のステージでジャズの巨人セロニアス・モンク、スタン・ゲッツらとも共演した。「サンバ・デ・ベンサン」は、フランス映画「男と女」に採り入れられ、甘いボサノバのテーマ曲として広く知られた。代表作に「ビリンバウ」「ディシャ」などがある。

9/25
■浪越徳次郎(指圧師・浪越学園理事長)香川県出身。
25日午前3時7分、肺炎のため、東京都内の病院で死去。94歳。
「指圧の心は母心」で人気を集めた指圧の第一人者浪越氏は少年時代にリューマチだった母親を指圧してきたことをきっかけに一家で北海道へ移 転した後、室蘭で指圧治療院を開業。昭和8年に東京進出、15年に日本指圧学院を設立。29 年には、来日したマリリン・モンローに指圧したことで話題になり、43年からはワイドショー「桂小金治アフタヌーンショー」(テレビ朝日系)に出演し、お茶の間の人気者となった。
9/23
■工藤栄一(映画監督)北海道出身。
23日午前10時30分、脳幹出血の為京都市内の病院で死去。71歳。  慶応大学法学部を卒業後の昭和27年、東映に入社。34年、「富嶽秘帖」で初監督。38年 の「十三人の刺客」、翌年の「大殺陣」など集団時代劇の秀作で注目され、「その後の仁義なき戦い」(54年)など実録やくざものも手がけた。また、テレビ時代劇の演出でも活躍し、「必 殺仕事人」シリーズや「傷だらけの天使」にも参加した。
9/21
■ジャンルー・シエフ(仏・写真家)パリ出身。
21日、パリの病院で死去。66歳。死因は不明だが、病気で長期入院中だった。
17歳で写真家となり、女性誌エルやヴォーグでパリ、ニュ-ヨークなどの最新モードを発表するファッション写真の第一人者となった。女優やダンサーのヌード写真でも定評があり、多くの写真集を出版している。
9/20
■ゲルマン・チトフ(ロシア下院議員、元宇宙飛行士)
20日夜、モスクワの自宅でサウナに入浴中に死去。一酸化炭素中毒らしい。65歳。  ソ連のガガーリンが1961年4月に人類初の宇宙飛行をしたのに続き、同年8月地球を17周し、史上2人目の宇宙飛行士になった。宇宙を約25時間飛ぶ長時間飛行を達成、無重力での宇宙生活が可能であることを立証した。95年には下院議員に当選。99年末の下院選でも3期連続当選した。共産党会派に所属。(モスクワ共同)
9/20
■徳間康快(徳間書店社長)新潟県出身。
20日午後6時17分、東京都内の病院で死去した。78歳。
読売新聞記者、印刷会社社長を経て、昭和29年から徳間書店社長。倒産した大映の社長に74年に就任して再建したほか、宮崎駿のアニメ「となりのトトロ」「もののけ姫」などの製作者として知られ、宮崎アニメの製作会社「スタジオジブリ」の社長も務めた。
9/15
■三国一郎(司会者)名古屋出身。
15日午後10時46分、文京区の東大医学部付属病院で死去。79歳。昭和18年、東大を繰り上げ卒業して戦地へ。戦後、朝日麦酒に入社。営業部社員のかたわら放送界に入り、日本テレビ「何でもやりまショー」の司会者として、知的な語り口で親しまれた。俳優、エッセイストとしても活躍した。
9/3
■青木義朗(俳優)東京都出身。
3日午前1時、食道静脈瘤破裂の為埼玉県川越市の病院で死去、70歳。昭和34年、映画「人間の条件」(小林正樹監督)でデビュー。個性派わき役として松田優作主演の映画「野獣死すべし」やテレビドラマ「特別 機動捜査隊」など多くの作品に出演した。
9/3
■エドワード・アーンハールト(米の脚本家)ニューヨーク州出身。
3日、癌の為ロサンゼルスの自宅で死去、86歳。
映画「暗黒の恐怖」(1950年)と「ベケット」(64年)でアカデミー賞の脚本賞受賞。エルビス・プレスリー主演の「ガ ール、ガール、ガール!」(62年)、ロバート・レッドフォード主演の「大いなる勇者」(72年)などの脚本でも知られる。
9/2
■ジーン・スピーグル・ハワード(米女優、映画監督ロン・ハワードの母)
オクラホマ州出身。2日、ロサンゼルス郊外で死去、73歳。
亭主のランスが俳優兼脚本家、倅のロン・ハワードは映画監督、もう1人の息子クリントも俳優という芸能一家。
主な出演作はハワード監督「コクーン」(1985年)、「アポロ13」(95年)。
8/30
■おのざわ さんいち(漫画家)東京都出身。
8月30日午後3時1分、急性肺炎のため文京区の病院で死去、82歳。戦後、社会風俗を描き続けた。昭和58年「絵で見る日本ストリップ史」で日本漫画家協会賞大賞を受賞した。一時期、雑誌<話の特集>で、この人をかなりピックアップしていた時期があった事を思い出した。
8/25
■古川泰龍(生命山シュバイツァー寺住職)佐賀県出身。
25日午後9時12分、癌性胸膜炎のため熊本赤十字病院で死去、80歳。
無宗派寺院の住職。教戒師を務め冤罪罪死刑囚の再審請求運動で知られる。作家佐木隆三の小説「復讐するは我にあり」に登場する住職のモデル。5人連続殺人事件の指名手配容疑者が昭和39年弁護士を装って寺に泊まった際、容疑者と見破り事件解決に貢献した。著書に「叫びたし寒満月の割れるほど」。
8/24
■アンディ・フグ(K−1格闘家)スイス出身。
24日午後6時21分、医大病院で急性前骨髄球性白血病死去。35歳。
日本医大病院内で記者会見したK−1事務局(東京)や医師団によると、フグさんは19日に高熱のため同病院に運ばれ、急性前骨髄球性白血病と診断され入院。今週初めにいったん体調が回復、「僕の病名を公表し同じ病気で苦しむ患者といっしょに闘いたい」とK−1(主催会社)の石井和義社長に語っていた。しかし23日になって病状が急変。呼吸困難となり、危篤状態に陥いり急死した。
8/17
■E・H・エリック(タレント)フランス出身。
ハワイ時間17日午後9時15分(日本時間18日午後4時15分)、パーキンソン病のため米ハワイ・マウイ島の自宅で死去、71歳。
俳優岡田真澄氏の兄英語、フランス語を使った司会や、NHK「夢であいましょう」などのバラエティー番組、ドラマでの軽妙な演技で親しまれた。
8/15
■本郷淳(俳優)
15日午後5時半ごろ、ダイビング中に死亡。67歳。
1954年、俳優座養成所同期生と劇団三期会を結成。58年から63年まで続いたNHKドラマ「バス通り裏」では哲役として親しまれ、66年のTBSの「ウルトラQ」にも出演した。趣味のダイビングでは指導員も務めていたという。串木野海上保安部によると、本郷さんは15日朝、知人の船で甑島を出発。 同日昼ごろから鹿児島県枕崎市の西沖約80キロの無人島、宇治島近海でダイビングを始め、午後3時ごろ、死んでいるのが見つかり、知人が午後8時ごろ遺体を船で串木野港に運び警察を通じて串木野海上保安部に届け出た。同海上保安部が行った検視の結果、死因は水死と分かった。
8/12
■ロレッタ・ヤング(米国女優)米ユタ州ソルトレークシティー出身。

12日、卵巣がんのため死去、87歳。1927年から53年にかけ88本の映画に出演し、強い意志を持つヒロイン役を数多く演じた。47年「ミネソタの娘」でアカデミー主演女優賞を受賞。53年から63年にかけて は、日本でも放映されたテレビ番組「ロレッタ・ヤング・ショー」で人気を集めた。その後は、86年にテレビ映画に出演したのを除き、チャリティー活動などに専念した。
8/6
■秋山登(プロ野球、大洋〈現横浜〉元監督)岡山市出身。
12日未明、死去。66歳。
56年に大洋に入団、25勝して新人王を獲得。60年には21勝を挙げて、前年、最下位だった大洋の初優勝の原動力となって最優秀選手に選ばれた。
67年引退。75〜76年大洋の監督。選手通算成績は、12年で639試合に登板して、193勝171敗で、防御率は2・60だった。
8/6
■谷村昌彦(喜劇俳優)山形市出身。
6日午後6時11分、すい臓癌のため、板橋区の病院で死去、73歳。
日本喜劇人協会の理事。43年に森川信劇団に入団。柳家金語楼のアチャラカ喜劇の3枚目役で人気を得た。
8/5
アレック・ギネス(英・俳優)1914年4月、ロンドンで私生児として出生。
5日、死因などは明らかにされていないが、英南部の病院で死去。86歳。
46年、デビッド・リーン監督の「大いなる遺産」などで本格的にデビュー。57年の「戦場にかける橋」で日本軍の捕虜収容所長と対峙する英軍大佐を好演して英米のアカデミー主演男優賞を受賞。
「アラビアのロレンス」(62年)「インドへの道」(84年)「スター・ウォー ズ」(77年)「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」(80年)「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」などにも宇宙の共和国の騎士オビワン・ケノービの役で出演した。

8/3
■マッスル北村( 元タレント・ボディービルダー)
3日に急性心不全のため埼玉県内の病院で死去していたことが9日判明。39歳。
関係者によると、今月末に米で開催されるボディービル世界選手権に向け体づくりと 節制に励んでいたという。東大理科2類時代にボディービルの学生王者となるなど注目され、バラエティー番組などで一時人気を得ていた。すでに都内で密葬。

7/26
■川端民生(ジャズ・ベーシスト、愛称パタ)札幌出身。
26日午前3時25分、多臓器不全のため東京港区の病院で死去、53歳。70年にプロ活動を開始。古沢良治郎のグループや、ネイティブサン、渋谷毅オーケストラなどで活躍したほか、数多いセッションで頼られる存在だった。

7/22
■ クロード・ソーテ(フランス映画監督、脚本家)1924年パリ近郊セーヌ県生。
22日、肝臓がんのためパリで死去、76歳。
「夕なぎ セザールとロザリー」(72年)でフランス・ シネマ大賞を受賞したほか、多くの作品で高い評価を受けた。アラン・ドロン とジャンポール・ベルモンドが共演したマフィア映画「ボルサリーノ」(69年)で脚本もてがけた。
7/23
■ 小倉遊亀(女性日本画家の最長老)大津市出身。
23日午後11時11分、急性呼吸不全のため中央区聖路加国際病院で死去。105歳。31歳で院展初入選。1932(昭和7)年、女性で初の日本美術院同人となった。80年、女性画家としては上村松園に続いて2人目の文化勲章受章者となった。日本芸術院会員。日本美術院名誉理事長。
7/23
■黒田 清(ジャーナリスト)大阪市出身。
23日午前2時25分、膵臓癌ため大阪府摂津市の病院で死去。69歳。元読売新聞大阪本社社会部長、編集局次長を歴任。「黒田軍団」の異名を取った大阪社会部は大阪府警警官汚職事件などをスクープ、同部と共著の「警官汚職」で84年、日本ノンフィクション大賞受賞。長期連載「戦争」も85年、菊池寛賞を受賞した。退社後、「黒田ジャーナル」を創設。草の根ジャーナリストとして、テレビなどでも社会的不正や人権抑圧、戦争を批判し続けた。著書に「新聞記者の現場」などがある。  
7/22
■ クロード・ソーテ(フランス映画監督、脚本家)1924年パリ近郊セーヌ県出身。22日、肝臓がんのためパリで死去、76歳。
「夕なぎ セザールとロザリー」(72年)でフランス・ シネマ大賞を受賞したほか、多くの作品で高い評価を受けた。アラン・ドロン とジャンポール・ベルモンドが共演したマフィア映画「ボルサリーノ」(69年)で脚本もてがけた。
7/22

■真木洋子(女優)東京都出身。
22日、急性骨髄性白血病のため川崎市の病院で死去。51歳。
1972年、NHKの朝の連続テレビ小説「藍より青く」のヒロインを演じ、同番組は平均視聴率約四七%を記録した。最近もサスペンスドラマなどで活躍。今年5月から入院し闘病生活を続けていた。

7/17
■パスカル・オドレ(フランス女優)
17日、フランス南部コレーズ県で交通事故に遭い死去、63歳。
57年の舞台演劇「アンネの 日記」で主役アンネ・フランクを演じ人気を博した。
ルイス・ブニュエル監督 の映画「自由の幻想」(74年)など多数にも出演した。
7/9
■ 斎藤栄三郎(元参院議員、元科学技術庁長官)東京都出身。
9日午前2時7分、腎不全のため川崎市の病院で死去、87歳。
昭和11年、早稲田大商学部卒業後、日本経済新聞社、NHK解説委員などを経て、経済評論家としてTBSの「時事放談」などで活躍。74年の参院選に自民党から全国区で初当選し、以後参院議員三期。89年8月から90年2月まで海部俊樹内閣の科学技術庁長官を務めた。
7/6
■宮沢 昭(テナーサックス奏者)松本市出身。
6日、急性肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去、72歳。
7月28日になってやっと、新聞紙上で発表された。1950年代に秋吉敏子さんや渡辺貞夫さんとプレー、日本のモダンジャズ 発展に貢献した。80年代にアルバム「マイ・ピッコロ」「グリーン・ドルフィン」「ラウンド・ミッドナイト」で日本ジャズ賞を3度受賞した。1年前から入退院を繰り返していた。釣りが大好きだった宮沢さんは、「イワナ」などの自己のアルバムがある。

7/5
■たかもち げん(漫画家)
7月5日、癌のため東京都大田区の病院で死去、51歳。
主な作品に「代打屋トーゴー」「祝福王」「百年の祭り」など。「週刊モーニング」に「警察署長」を連載中だった。
7/2
■青江三奈(歌手)東京都出身。
2日午後11時40分、膵臓癌ため東京都港区の病院で死去、54歳。99年、すい炎のため入院して手術。以後、入退院を繰り返していた。
1966年「恍惚のブルース」でデビュー。68年「伊勢佐木町ブルース」が大ヒット日本レコード大賞歌唱賞などを受賞。「池袋の夜」「長崎ブルース」などのヒット曲があり、ハスキーな歌声でジャズを歌わせたら絶品で、本場アメリカ有名jズ・ミュージシャンをバックにアルバムも残した。
 
7/2
■服部 哲治(俳優)東京都出身。
2日午前11時、脳出血のため東京都新宿区の病院で死去、63歳。
葬儀は杉並区南荻窪3−31−23、願泉寺
映画「竜馬がゆく」「細腕繁盛記」、テレビドラマ「月曜日の男」などに出演。
7/1
■石井花子(旧ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲの恋人とされた)岡山県出身。
1日午前9時35分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去。89歳。
7/1
ウォルター・マッソー(米・俳優)
1日未明、心臓麻痺のため米カリフォルニア州サンタモニカの病院で死去、79歳。66年コメディー「恋人よ帰れ!わが胸に」の弁護士役でアカデミー助演男優賞受賞。テレビや舞台俳優としても活躍し、91年「ブレーメンの出来事」でエミー賞受賞。  主な出演作「おかしな二人」、「コッチおじさん」など。
7/1
宇都宮徳馬(元参院議員)東京出身。
1日午前7時14分、神奈川県相模原市の東芝林間病院で肺炎のため死去。93歳。1952年に衆院初当選。保守合同後は自民党に属し連続10回当選したが、76年にロッキード事件や金大 中、拉致事件の党対応に反発して離党。79年衆院選で落選したが、80年の参院選で国会に返り咲き、92年に政界を引退した。月刊誌「軍縮問題資料」を私費を投じて発行するなど一貫して軍縮を訴え続けてきた。 
6/30
■アンリ菅野(ジャズ歌手)東京出身。
30日、午後9時33分、癌のため川崎市中原区の病院で死去した。51歳。中本マリ、阿川泰子と並び、昭和45年から55年にかけ女性ジャズボーカルブームにおける中心的存在だった。陶芸の世界にも精通し、自身のがん体験を記した「女ひとりがんと闘う」なども出版した。

6/29
ビットリオ・ガスマン(イタリア俳優)
ローマの自宅で29日、心臓発作のため死去。77歳。
幅広い演技で知られる国際的俳優。75年「女のにおい」でカンヌ映画祭の主演男優賞46年に映画初出演、48年「にがい米」でスターに。女優シェリー・ウインターズと結婚するが、54年に離婚して帰国。50年代前半ハリウッド進出、53年「マンボ」。その後、喜劇に新境地を見出し63年「追い越し野郎」など多くの作品に出演した。
6/29
三尾公三(洋画家、京都造形芸術大客員教授)名古屋市出身。
29日午前7時40分大腸癌のため京都市伏見区の病院で死去。76歳。アクリル絵の具とエアブラシを使い、虚実が交錯する幻想的な作風を築い た。写真週刊誌「フォーカス」の表紙を1981年の創刊から昨年末まで描いた。
97年に芸術選奨文部大臣賞を受賞。
6/28
ジャンボー(東京・上野動物園の最長寿、雌のアジアゾウ)。推定56歳。
昭和26年にタイから来園。28日、老衰のため死亡。
27日に後ろ脚を痛めて立てなくなってから脱力状態となり、28日午前1時半ごろ息を引き取った。人間で言えば80歳以上で大往生だそうだ。
6/23
■ジェローム・リチャードソン(米のジャズサクソホン・フルート奏者)カリフォルニア州生。23日、ニュージャージー州イングルウッドの病院で死去、79歳。死因は明らかにされていない。14歳の時にライオネル・ハンプトン楽団との共演でプロデビュー。1965年には「サド・ジョーンズ−メル・ルイス楽団」結成に参加した。フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルドらともレコード共演、生涯に4000回以上のレコード録音に参 加した。

6/22
■滝沢修(劇団民芸創設新劇最古参の俳優)東京都出身。
22日午前11時51分、肺炎の為東京都三鷹市の病院で死去。93歳。 戦後の47年、宇野重吉、森雅之らと民衆芸術劇場(第一次民芸)を結成、50年に現在の劇団民芸を発足させた。代表作は「炎の人」「セールスマンの死」「どん底」「かもめ」など。紫綬褒章、勲三等瑞宝章を受章している。
6/19
■飯田徳治(元プロ野球選手)
19日午後1時56分、心筋梗塞の為横浜市泉区の国際親善総合病院で死亡。76歳。1947年、南海に入団。好守、強打、俊足の名一塁手として南海の黄金時代を築き、51、52年に打点王、55年には最高殊勲選手賞に輝いた。国鉄に移籍した57年には盗塁王、ベストナインには5度選ばれた。この間、48年から58年まで1246試合に連続出場、広島の衣笠祥雄内野手に破られるまではプロ野球記録だった。
現役引退後はサンケイ、南海の監督を歴任。81年に野球殿堂入りした。通算成績は1965試合に出場し、打率2割8分4厘で183本塁打、969打点、390盗塁をマークした。
6/19
■グリーングラス(牡、競走馬)
十二日に右前脚骨折などの重傷を負い、経過観察中だったが、19深夜、余生を送っていた佐賀県内の牧場で死んだ。28歳。
昭和51年の菊花賞を制するなどテンポイント、トウショウボーイとともに昭和50年代初期の競馬界を彩った名馬、グリーングラスは51年1月デビュー。同年のクラシック競走では、さつき賞、ダービーに出走できなかったが、菊花賞ではトウショウボーイ、テンポイントらの人気馬を抑えて快勝した。53年の天皇賞(春)、54年の有馬記念優勝。
6/19
■竹下登(元首相・前衆議院議員)島根県。
19日午前零時53分、呼吸不全のため、東京都内の病院で死去した。76歳。島根県議を経て58年、34歳で島根全県区から衆院議員に初当選。以来連続14回当選を重ねた。1987年11月、第74代首相に就任。直前まで元気な口調で話し、いつも通りのリハビリに励んでいたという。
6/16
■皇太后陛下
16日午後4時46分、老衰のため皇居・吹上大宮御所で崩御。97歳。
歴代皇后・皇太后としては最長寿だった。
6/15
■松鶴家千代若(漫才師、漫才協団相談役)栃木県出身。
15日午前3時50分、肺炎による呼吸不全のため東京都荒川区の磯病院で死去、91歳。昭和初期に妻の松鶴家千代菊と漫才コンビを組んで以来、「もうかえろうよ」などのギャグで会場を湧かし長年にわたって一線で活躍。紫綬褒章、勲四等瑞宝章を受章した
6/7
■名和太郎(プロダクション社長)東京都出身。
7日午後3時、急性心不全のため東京都豊島区の病院で死去、81歳。
腹話術師を経て、美空ひばりや江利チエミらの公演の司会を務めた。
6/6
■フレデリック・ダール(フランス推理作家)
8日付フランス紙フィガロによると、6日、心臓病のため、スイス中西部ボンヌフォンテーヌの自宅で死去、78歳。
サン・アントニオのペンネームで同名の警部が活 躍する推理シリーズを発表。本名で書いた小説と合わせ計約300冊が延べ2億部も売れた流行小説の大家。代表作は「甦る旋律」フランス推理小説大賞を受賞。
6/6
■梶山静六(元官房長官)茨城県出身。
6日午後3時45分、閉塞性黄疸のため入院先の東京都内の病院で死去。74歳。1月末に交通事故に遭い、その後遺症による硬膜下血腫の取り除き手術のため、2月19日から入院。その後も回復が思わしくなく4月25日に政界引退を表明していた。
6/1
■ティト・プエンテ(米ラテン音楽家)プエルトリコ系ニューヨーク生。
心臓の不整脈のため5月にプエルトリコの病院で入院治療を受けていたが、1日、ニューヨーク市内のニューヨーク大メディカルセンターで死去、77歳。50年代のマンボ・ブームに 乗り、ラテン打楽器奏者として活躍。多くのジャズ奏者と共演して「ラテン・ジャズ」のジャンルを確立するとともに、カルロス・サンタナなどのロック奏者とも共演。2000年2月、5回目のグラミー賞受賞。日本へも公演のためしばしば訪れた。ニューヨークから一時帰国した佐藤学の情報によると、半年前にニューヨークにサルサ専門の店<ティト・プエンテ>をオープンしたとのこと。

5/31
■ジョー・ピューマ(米ジャズギタリスト)ニューヨーク出身。
5月31日、癌のためニューヨークの病院で死去、72歳。
父や兄弟もギタリスト。独学でギターを学び、1940 年代からプロとして活躍。
トニー・ベネットらと共演したほか、70年代には チャック・ウェインとギターデュオを組んだ。アルバムに「ワイルド・キッチン」など。

5/28
■ロバート・フライアー(米演劇プロデューサー)
28日、パーキンソン病などの合併症のため米ロサンゼルスで 死去、79歳。
映画化もされた「メイム」や今も再演中の「シカゴ」など次々にヒットを放ち、ワンダフル・タウン」「赤毛」「スウィニー・トッド」の3作で米演劇界の栄誉トニー賞を受けた。映画でも「絞殺魔」「ミス・ブロディの青春」など話題作を手掛けた。
5/30
■井上忠夫(作曲家・元ブルーコメッツ)
30日午前3時ごろ、自宅階段で首をつり自殺。享年58歳。
グループサウンズの元ブルーコメッツのメンバーで作曲家の井上忠夫さん(58)方で、井上さんが階段で首をつって死んでいるのを妻(50)が見つけ、110番通報した。麻布署員が駆けつけたところ、井上さんは階段にガウンのひもをかけて首をつっており、自殺とみられる。調べによると、自宅から家族あての遺書とみられるメモ書きも見つかった。井上さんは網膜はく離を患っていたことから、同署では自殺の動機との関連を調べている。昭和35年にブルーコメッツに参加。サックスとフルートを担当し、42年、自ら作曲した「ブルーシャトウ」で日本レコード大賞を受賞し、グループサウンズとしては初めて紅白に出場を果たした。「新聞記事より」
5/30
池真理子(歌手)京都市出身。
28日、都内のホテルで開かれたパーティーで、「センチメンタル・ジャーニー」を歌い終わった直後に倒れ、病院に運ばれたが、30日午後10時28分、くも膜下出血のため東京都新宿区の病院で死去、83歳。
戦前、宝塚歌劇団に入り、後に日本コロムビア専属歌手に。46年、「愛のスウィング」がヒットし、スイングの女王と呼ばれた。「ボタンとリボン」のカバーや歌謡曲、ジャズ、ラテンなど幅広いレパートリーで知られた。

5/29
■長岡鉄男(オーディオ評論家)東京都出身。
29日午後4時6分、肺炎のため埼玉県三郷市の病院で死去、74歳。
クイズ作家、コント作家を経て、オーディオ評論家に。ステレオやレコードに関する著書を多く残した。
5/28
■ロバート・フライアー(米演劇プロデューサー)
28日、パーキンソン病などの合併症のため米ロサンゼルスで 死去、79歳。
映画化もされた「メイム」や今も再演中の「シカゴ」など次々にヒットを放ち、ワンダフル・タウン」「赤毛」「スウィニー・トッド」の3作で米演劇界の栄誉トニー賞を受けた。映画でも「絞殺魔」「ミス・ブロディの青春」など話題作を手掛けた。
5/26
■サミュエル・テーラー(米脚本家)
26日、米メーン州ブルーヒルの自宅で死去、87歳。
ラジオドラ マの脚本家として活動。53年、ブロードウェーの劇「麗しのサブリナ」で人気を集め、オードリー・ヘプバーン主演の映画版の脚本も担当した。映画ではアルフレド・ヒチコック監督の「めまい」「トパーズ」を手掛けたほか、「愛情物語」などでも知られる。
5/26
■山村聡(俳優)奈良県出身。
26日午後4時40分、急性心筋梗塞の為杉並区の病院で死亡、90歳。1935年、東大独文科卒。デビュー作、東宝映画「命ある限り」、翌年の作品「女優須磨子の恋」で脚光を浴びた。後、小津作品「宗方姉妹」「東京物語」「早春」、溝口健二「雪夫人絵図」などに出演。 52年「現代ぷろだくしょん」を設立。翌年、小林多喜二原作の「蟹工船」を製作、初めて演出を手掛け、以後自ら主演した「黒い潮」などで映画監督としての力量も発揮した。他には、「傷だらけの山河」、「トラ・トラ・トラ!」など数ある。テレビ作品も多く、NHK大河ドラマ「春の坂道」の家康役、「華麗なる一族」、「必殺仕掛人」。77年、紫綬褒章を受章。近親者のみで密葬。

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■小田切秀雄(文芸評論家、法政大名誉教授)東京都出身
24日午前11時26分、食道癌のため東京都品川区の病院で死去83歳。戦後、新日本文学会の設立に参加、同人誌「近代文学」の創刊にも加わった。文学者の戦争責任を追及、「内向の世代」の命名者としても知られる。主な著書に「現代文学史」「私の見た昭和の思想と文学の五十年」(毎日出版文化賞)など。
5/22
■吉岡たすく(児童文化研究家)大阪市出身。
22日午後9時37分、肺癌のため大阪府泉大津市の病院で死去、85歳。
小学校教諭、校長を務めた後、幼児教育、児童文化の研究活動に。著書に「子どもと育つ」などがある。子を持つ親として、この先生のTV講演を何度となく拝見し、痛く感動した時代があった。
5/21
■ジョン・ギールグッド(シェークスピア俳優)1904年、ロンドン生まれ。
21日、 老衰のため、ロンドン北西エールズベリの自宅で死去した。96歳。
英国を代表するシェークスピア俳優で、「サー」の称号を持ち、平成6年には高松宮殿下記念世界文化賞 の演劇映像部門受賞。
「リア王」「マクベス」などシェークスピア劇の大役をこなし、同世代のローレンス・オリビエ(故人)と実力、人気を二分する「当代最高のハムレット役者」と称された。
映画出演でも「ミスター・アーサー」(81年)の執事役で、アカデミー助演男優賞を受賞。ほかに「炎のランナー」「プロスペローの本」など。91年に「サ ー・ジョン・ギールグッド賞」が設けられ、仲代達矢、松本幸四郎が受賞した。
5/21
■バーバラ・カートランド(英国の作家)バーミンガム出身。
21日、病気のため英南部ファーフォード州の自宅で死去、98歳。21歳で作家デビューし、恋愛小説を中心に723作の作品の作品を発表。恋愛小説の女王」と呼ばれた。「王様のキス」(75年)「竜と真珠」(77年)など。娘のレイヌさんは故ダ イアナ元皇太子妃の継母。
5/14
■小渕恵三(54人目、第84代首相)群馬県出身。

14日、午後4時7分、脳梗塞のため、順天堂大医学部付属順天堂医院で死去。62歳。首相在任中の4月2日午前1時ごろ、首相公邸で体の不調を訴えて順天堂医院に運ばれ、脳こうそくと診断されて緊急入院した。その後、こん睡状態に陥り、今月12日には危篤状態になっていた。
5/14
■ジャンボ鶴田(全日本プロレスラー) 山梨県出身。
14日未明、死去した。死因などは不明。49歳。
大学4年の72年、ミュンヘン五輪日本代表となり、同年、ジャイアント馬場選の全日本プロレス入り、馬場の後継者といわれながら73年デビュー。96年から慶応大、桐蔭学園横浜大で非常勤講師、オレゴン州立ポートランド大教授として、運動生理学とトレーニング理論の研究を続けていた。
5/14
■ 三浦洋一(俳優)愛知県出身。
14日午後0時7分、食道癌の為死去、46歳。
早稲田大在学中に演劇の道を選び、78年に映画「星空のマリオネット」で主役を射止め注目された。テレビドラマでは「池中玄太80キロ」「夢暦長崎奉行」「さすらい刑事旅情編」など。99年9月に食道癌にかかり治療を続けていた。
5/13
■ポール・バーテル(米国の映画監督)
13日、肝臓がんのためニューヨーク市で死去、61歳。
作品としては、処女作品 「プライベート・パーツ」(’72)、無名のシルベスター・スタローンを使った「デス・レース2000年」(’75)、「爆走!キャノンボール」(76年)などで、アメリカ、カルト映画の監督として知られるなど。
5/10
■クレイグ・スティーブンス(米・俳優)
10日、癌のため米ロサンゼルス市内の病院で死去、81歳。
1941年に映画界入り。53年からはテレビドラマに進出し、ラロ・シフリンのスコアでジャズ界でもヒットした「ピーター・ガン」(58年)は彼の代表作になった。その映画版「銃口」(67年)でも主役を演じた。このほか「フランス航路」(54年)、「S・O・B」(81年)などがある。
5/10
■塩沢兼人(声優)東京都出身。
9日午後、自宅で階段から転落、脳挫傷のため10日午前0時54分、死去。46歳。アニメ「名探偵コナン」の白鳥刑事役、アニメ「クレヨンしんちゃん」のぶりぶりざえもん役など。
5/9
■峰隆一郎(作家)長崎県出身。
9日午前9時12分、肺炎のため死去。68歳。
時代小説やミステリーなど幅広く活躍。代表作は「人斬り弥介」シリーズ、「流れ灌頂」「柳生十兵衛」
5/7
■ダグラス・フェアバンクス・ジュニア(米・俳優)
CNNテレビなどによると、7日、死去、90歳。死因は不明。
無声映画時代の人気俳優ダグラス・フェアバンクスの御曹司。「ゼンダ城の虜(とりこ)」(1937年)、「船乗りシンバッドの冒険」(47年)など数多くの作品で、二枚目スターとして活躍した。第二次大戦には米軍将校として従軍、初めて英国の小艦隊を指揮。英王室とも親交を結び、49年には当時の英国王ジョージ六世から名誉ナイトの爵位を授与された。女優の故ジョーン・クロフ ォードは元妻。
5/4
■ハイセイコー(競争馬)
4日午後1時半頃,放牧場に倒れているのを牧場の職員が発見,直ちに獣医師により診断されたが,心臓麻痺により死亡していた.牡31歳。「元祖アイドルホース」とも言うべき存在で,馬券を買わない女性や子供も彼の名前を知らない者はいないと言われ,競走馬としては史上初めて少年雑誌の表紙を飾った.同馬引退後に主戦の松沢末夫騎手(現調教師)が歌った「さらばハイセイコー」も大ヒットを記録.
5/3
■中田喜直(作曲家)東京都出身。
3日午前2時40分、直腸癌のため東京都新宿区の病院で死去。76歳。日本童謡協会会長「雪のふるまちを」「夏の思い出」「めだかの学校」などの作曲者。
5/1
■中山あい子(作家)東京都出身。
1日午前7時10分、心筋梗塞(こうそく)のため東京都内で死去した。78歳。 故人の遺志により葬儀は近親者だけで1日に終えた。喪主は長女の女優中山マリ。
主な作品は「春の岬」「優しい女」(第1回小説現代新人賞)「昭和娼婦伝」「奥山相姦」「私の東京物語」「浅き夢 新宿『まえだ』物語」。
5/1
■スティーブ・リーブス(俳優)
1日、リンパ腫(しゅ)からの合併症のためカリフォルニア州サンディエゴ近郊の病院で死去、74歳。  
「ミスター・アメリカ」や「ミスター・ワールド」などのボディービルコン テストで優勝。「ヘラクレス」(57年)が大ヒット、イタリアの人気スターになったが、43歳で映画界から引退。主な作品に「ヘラクレスの逆襲」(59年)「闘将スパルタカス」(62年)「地獄の一匹狼」(68年)

4/24
■杉浦茂(漫画家)東京都出身。
23日午後7時、腹膜炎のため東京都三鷹市の杏林大病院で死去した。92歳。田河水泡の内弟子デビュー。戦後の50年代から60年代初 めにかけ、少年雑誌に連載した「猿飛佐助」「ドロンちび丸」「少年児雷也」「コロッケ五円の助」頭、病気などでしばらく仕事から遠ざかったが、80年代 に、再び注目されるようになった。
4/20
■東由多加(劇作家・劇団「東京キッドブラザース」の主宰者)長崎県出身。
20日午後10時51分、食道がんのため江東区の昭和大学付属豊洲病院で死去。54歳。 早稲田大を中退後、故・寺山修司さんの劇団「天井桟敷」を経て、 昭和44年に東京キッドブラザースを結成、「東京キッド」を上演し、若い観客の喝さいを受けた。翌年には「黄金バット」をニューヨ ークで、四十六年には「南総里見八犬伝」のアムステルダム公演を成 功させた。他の代表作「冬のシンガポール」「哀しみのキッチン」などがある
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■クレア・トレバー(米国女優)
9日、カリフォルニア州ニューポートビーチの病院で死去。91歳。
ジョン・ウェインと共演した39年の「駅馬車」で酒場女 を演じて有名となり、「キー・ラーゴ」(1948年)ではギャングの愛人役でアカデミー助演女優賞 を受けた。「デッド・エンド」(37年)「紅の翼」(54年)でもアカデミ ー賞候補に名前が挙がった。ニューヨーク生まれで、演劇から映画に転じた。何でも演じられる器用な女優で、若いころは「B級映画の女王」とも呼ばれた。
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■潮万太郎(俳優)東京都出身。
8日午後5時18分、脳内出血のため東京都世田谷区の病院で死去、 91歳。自宅は東京都世田谷区南烏山1−9−29。
戦前は日活、戦中・戦後は大映に所属し、溝口健二監督作品など多くの映画に脇役として出演した。
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■河盛好蔵(フランス文学者)大阪府出身。
27日午前5時28分、肺がんのため東京都内の病院で死去、97歳。
自宅は東京都杉並区天沼2−14−5
京大卒。モーロワ、モーパッサン、ジード、コクトーらの作品を数多く翻 訳。「エスプリとユーモア」などフランス小話を紹介したエッセーでも親しまれた。62年「フランス文壇史」で読売文学賞、79年「パリの憂愁」で大仏次郎 賞、85年には長年の業績で菊池寛賞を受けた。日本芸術院会員。86年文化 功労者。88年に文化勲章を受章した
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■平仲信敏(元日本チャンプ)  
23日午後11時40分ごろ、享年31歳。
練習後帰宅する途中だった平中は沖縄県浦添市前田の県道で、軽乗用車を運転中道路左側の電柱に衝突、頭どを強く打って間もなく死亡した。浦添署の調べによると、現場は見通しのよい緩やかなカーブ。事故当時、強い雨が降っており、ハンドル操作を誤ったらしい。。平仲さんは元世界ジュニアウエルター級チャンピオン、平仲信明さ んの実弟で、元日本フェザー級チャンピオン。世界戦にも二度挑んだ。
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■永井道雄(元文相、教育社会学者) 東京都出身。
17日午後11時37分、呼吸不全のため東京都港区の慈恵医大病院で死去した。77歳。  国連大学協力会理事長。東京工業大教授などを歴任し1974年から2年 間、三木内閣の文相を務め、共通一次試験導入などに取り組んだ。
3/15
■粟津 號(俳優)秋田県出身。
15日午後2時51分、胃癌のため千葉県浦安市美浜2の1の502の自宅で死去、54歳。脇役として「大都会」や「太陽にほえろ」などのテレビドラマや映画に出演した。
3/10
■ジミー時田(カントリー歌手、時田圭介)東京都出身。
10日午前7時35分、肺炎のため東京都杉並区の病院で死去、63歳。
自宅は杉並区阿佐谷北6−29−22。葬儀委員長は立川談志
57(昭和32)年に「マウンテンプレイボーイズ」を結成。いかりや長介さんや寺内タケシさんがメンバーだ ったこともあった。カントリー・アンド・ウエスタン音楽のパイオニアだった。

3/7
■ピーウィー・キング(米作曲家、歌手)
米 ケンタッキー州ルイビルで死去、86歳。2月末から心臓発作で入院し ていた。
1947年、カントリーウエスタンのバンド仲間、レッド・スチュワートとともに名曲「テネシー・ワルツ」を作曲、パティ・ページが歌っ たレコードが大ヒット、売り上げ6500万枚の超ミリオンセラーとなった。74年、カントリー音楽の殿堂入り。

3/7
■鶴岡一人(元プロ野球選手)広島県出身。
7日午前5時5分、大阪市福島区の関西電力病院で死去した。83歳。
46年に29歳の若さで南海(現ダイエー)の選手兼監督となり、球団史上初の優勝を果たして最高殊勲選手にも選ばれ、48年、51年も最高殊勲選手として、ホークス黄金時代を築き上げた。選手引退後評論家、91年、スポーツ功労者顕彰、勲四等旭日小綬章を受けた。65年に野球殿堂入り。人情味あふれる性格で選手から「親分」と呼ばれて慕われた。
3/6
■真家ひろみ(元「ジャニーズ」のメンバー)東京都出身。
6日午後2時55分、心筋こうそくのため東京都新宿区の病院で死去、53歳。妻は声楽家の白河かほる。
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■松本英彦(ジャズサックス奏者)
29日午前10時33分、多臓器不全のため東京都多摩市の多摩南部地域病院で死去73歳。日本を代表するスリーピーの愛称で親しまれ、日本を代表するジャズサックス奏者。昭和24年にCBナインというバンドに参加し、新しい感覚の演奏で一躍頭角を現した。28年にドラム奏者のジョージ川口、ピアノの中村八大らと四人組の「ビッグ・フォー」を結成し、今でいうアイドルグループ並みの人気を博した。目を閉じて楽器を吹く姿が、眠っているようだということでつけられた愛称がスリーピー。平成9年に肺がんの手術を受けた後、意識障害に。翌10年から大阪市内の病院で音楽運動療法を受けていた。芸術祭賞大賞(昭和54年)、芸術選奨文部大臣賞(63年)、紫綬褒章(平成3年)など受賞多数。代表作は「海の誘い」(昭和53年)など。

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■田中小実昌(直木賞作家).東京都出身。
日本時間27日、肝不全のため滞在先の米ロサンゼルス市内の南カリフォルニア大メディカルセンターで死去。享年74歳。
ロス市内にある日本人街「リトル・トーキョー」を気に入り、頻繁に訪米していた。「コミさん」の愛称で親しまれた田中さんは昭和22年、東京大学哲学科に入学、在学中にストリップ劇場の演出助手を務めた。中退後もバーテンなどさまざまな職業を経験。チャンドラーなどの推理小説の翻訳で有名になり、映画やテレビにも出演した。小説にも本格的に取り組み、54年には「浪曲師朝日丸の話」「ミミのこと」で第81回直木賞を受賞、「ポロポロ」で谷崎潤一郎賞を受賞した。人生の悲哀をユーモアを交えて描き、代表作に「アメン父」「ふらふら日記」など。
6/26
■高原駿雄(俳優)東京都出身。
26日午前2時半、心不全のため東京都目黒区の三宿病院で死去、享年76歳。昭和17年、文学座に研究生として入り、舞台俳優として活躍するかたわら、映画「七人の侍」(29年)、「二十四の瞳」(同)でわき役を演じ、テレビドラマ「日真名氏飛び出す」(30年)で人気を得た。
■2/12
橋本 功(俳優)千葉県出身。
12日午後9時18分、食道がんのため、千葉県松戸市の松戸市立病院で死去、58歳。俳優座を経て、フジテレビ系のドラマ「若者たち」に出演、人気を獲得。「江戸の旋風」などのテレビドラマ「曽根崎心中」などの映画のほか舞台でも渋いわき役として活躍した。
2/12
■チャールズ・シュルツ(漫画家・スヌーピー生みの親)ミネソタ州出身。
12日夜、死去した。77歳。
米国漫画家協会会員。80年に米国「漫画家の殿堂」入り。「米国最優秀漫画賞」(55年)など数々の賞を受賞、アニメーション「チャーリー・ブラウンのクリスマス」ではエミー賞。40年間、仕事場としていたサンタローザ市で、博物館「スヌーピー館」の建設が決まっている。
ビーグル犬のスヌーピーや丸顔のチャーリー・ブラウンらが登場する米国の人気漫画「ピーナッツ」の作者。 昨年11月、大腸がんが発見されたため、治療に専念したいとして現役引退を表明。米紙の日曜版への作品掲載は、くしくも今月13日付が最後だった。「ピーナッツ」は1950年10月2日に新聞の連載漫画として登場、99年11月に50周年を祝った。約半世紀の間に描いたエピソードは1万8000話以上。75カ国の2600以上の新聞に掲載され、21カ国語に翻訳されている。 
2/11
■ロジェ・バディム(フランス映画監督)フランス出身
11日、がんのため、パリで死去した。72 歳
映画「素直な悪女」監督デビュー、「危険な関係」「輪舞」「血とバラ」などで知られ、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーブ、ジェーン・フォンダを妻にした。28年パリのロシア人外交官の家に生まれ、44年から舞台俳優。脚本家や雑誌記者を経て映画監督になった。58年に結婚したアネット・ストロイベルを起用した「危険な関係」(59年)が世界的なヒット、その後もドヌーブ主演の「悪徳の栄 え」(63年)、フォンダさん主演の「バーバレラ」(67年)と自身の妻が 演じる映画を撮った。90年に女優マリークリスチーヌ・バローを5人目の妻として後は、テレビ映画を撮ることが多く、近年は闘病生活を続けていたという。
著書に「我が妻バルドー、ドヌーブ、J・フォンダ」(86年)。
2/9
■荒井注(元ザ・ドリフターズのメンバ)。東京都出身。
9日午前、静岡県伊東市富戸の自宅で死去。71歳  1964年、ザ・ドリフターズに参加。TBSテレビ系の「8時だヨ!全員集合」などで活躍。74年にグループを離れたが、以後、テレビドラマなどに出演し、2000年の年のフジカラーの七福神CFの毘沙門天役が最後となった。
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■クロード・オータンララ(フランスの映画監督)
5日、南仏アンティーブで死去。98歳。
大戦中に製作した「肉体の悪魔」「乙女の星」で評価を獲得した。晩年は政治に興味を持ち、89年の欧州議会選挙(比例代表制)では右翼の名簿で出馬して当選したがすぐ辞任した。

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■F・グルダ(ピアニスト)ウィーン出身
27日心不全のためオーストリアのザルツブルク近郊の自宅で死去。69歳。べートーベン演奏家として世界最高のピアニストの一人といわれた。1946年に十代でジュネーブ国際音楽コンクールで優勝して脚光を浴びた。モーツァルト、ベートーベンなどの作品演奏を得意とし、伝統に根 ざしながらも自由な演奏スタイルで多くの聴衆を魅了。ジャズにも傾倒、ジャンルの壁を超えて活躍、作曲も手がけた。昨年春には雑誌で遺言書を公開、直後に通信社に自ら死亡通知のファクスを流し報道 機関を慌てさせた

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成田きん(長寿双子の姉)
23日午前11時3分、心不全のため名古屋市南区鶴里町の自宅で死去。107歳。
1892(明治25)年、8月1日生まれ。数え年で百歳の1991年の敬老の日を前に妹、蟹江ぎんさんとのコンビが全国に紹介され、一躍゛国民的アイドル″になった。家族によると、きんさんは数日前から風邪で寝たり起きたりの生活だった。23日はふだん通り起床、仏壇に手を合わせた後、再び床に入った。午前10時半ごろ声を掛けても返事がないなど様子がおかしいため、かかりつけの医師を呼んだが 間もなく死亡を確認した
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■牧羊子(詩人・作家、故開高健さんの妻)大阪市出身。
19日午後7時35分ごろ、神奈川県茅ケ崎市東海岸の自宅で死去。
昭和27年に開高健氏と結婚。作品には、詩集「コルシカの薔薇(ばら)」など詩集やエッセーなど。また料理好きとしても知られテレビの料理番組にも出演していた。
牧羊子=宅を訪れた都内の出版社社員が正月から電話をしているが、いつも話し中でおかしい」と茅ケ崎署管内の駐在所に届け出た。同署員が同日午後八時四十分ごろ、自宅を訪れたところ、初子さんが一階の脱衣所前で倒れているのを見つけた。初子さんはすでに死亡していた。調べでは、初子さんは一人暮らしで、外傷はなく、争った形跡などもなかった。二十日に行政解剖して死因などを調べるが、同署は病死とみている。  
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■小島剛夕(劇画家)三重県出身。 
5日午後5時4分、腹部大動脈りゅう破裂の為東京都小平市の昭和病院で死去、71歳。昭和32年に劇画家としてデビュー。その後、白土三平さんのアシスタントとして「カムイ伝」の制作を手伝い、漫画アクションに連載した「子連れ狼」は全14巻の単行本になり、ロングセラーとなった。

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■ナット・アダレイ(米のジャズ・コルネット奏者、作曲家)米フロリダ州出身。
2日、米フロリダ州レークランドの自宅で糖尿病のため死去、68歳。同州タンパ生まれ。アルトサクソホン奏者の兄キャノンボール・アダレイらに音楽を学び、1950年代から兄との共演で人気を博した。兄の死後、自らの楽団、アダレイ・ブラザーフッドを結成した。作曲家としても知られる。代表作は「ワーク・ソング」など。

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■高橋文子(矢野和子祖母)
1日午後4時、千葉市茂原の自宅にて老衰のため死亡、享年93歳。

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■堀口栄子(矢野正博叔母)