★1999年  ★2000年  ★2001年  ★2002年 ★2003年  ★2004年  ★2005年  ★2006年  ★2007年  ★2008年  ☆2009年 ☆2010年

2009年地球号を降りたあの人この人、気になる人々

★1999年〜2010年


12/30
■白柳誠一(カトリック枢機卿)東京都八王子
30日、心筋梗塞のため静養先の東京都練馬区の修道院で死去、81歳。
51年上智大学哲学科卒業。54年上智大学神学科修了し司祭叙階。60年ウルバノ大学(ローマ)大学院教会法専攻修了、カノン法法学博士取得。70年東京大司教に就任。82年国連軍縮特別総会に際し、国内約43万人分の署名を集めて提出するなど積極的な社会活動を展開。94年10月に前法王ヨハネ・パウロ2世から日本人として4人目の枢機卿に任命された。第2次世界大戦における日本教会の戦争責任を初めて公式に謝罪。世界宗教者平和会議日本委員会の理事長を務めるなど、宗派を超えて国際社会の平和実現に尽力した。
12/29
■ジミー竹内(ジャズドラマー)東京都
29日、肺炎のため東京都北区の病院で死去、79歳。
14歳のとき進駐軍のクラブでデビュー。その後、原信夫と一緒に日本の代表的なビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」をはじめ、自身のバンド「セブンスターズ」で活動。スイングからモダンまであらゆるスタイルのドラミングを得意とした。02年引退。

12/24
■喜納昌永(沖縄民謡歌手)沖縄県
24日、梨状陥凹癌のため沖縄県西原町の病院で死去、88歳。
戦後の沖縄民謡の草分け的存在として活躍。演奏と歌で伝承されてきた沖縄民謡を琉球古典音楽の楽譜「工工四(くんくんしー)」に採譜するなど、沖縄民謡の普及に尽力した。
ミュージシャンの喜納昌吉民主党参院議員は四男。
12/22
■田辺一鶴(講談師雄)東京
22日、肺炎のため東京都内の病院で死去、80歳。
54年十二代田辺南鶴の内弟子となる。69年NHK「ステージ101」レギュラーとなり、舞台やCMなどで活躍。高座で跳び上がるなどのパフォーマンスで人気を博す。
51年第1回放送演芸選奨受賞。94年講談「平成米騒動」で民間放送連盟番組娯楽部門1位賞受賞。本好きで知られ、東京都内に芸能古書の「イッカク書店」を開いた。
12/20
■ジェームズ・ガーリー(米ギタリスト)ミシガン州デトロイト
20日、心臓発作のため米カリフォルニア州南部パームスプリングズの病院で死去、69歳。誕生日の2日前だった。
牧師になるための学校に通う。62年サンフランシスコに移る。60年代に結成され、ジャニス・ジョプリンが所属していたバンド「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」のギタリストだった。81年ニューウェーブ・バンド「レッドリボン&ウァームズ」を結成し、ベースを担当。
12/20
■ブリタニー・マーフィ(米女優)ジョージア州アトランタ
20日、自宅のシャワーで心肺停止状態で倒れているのを母親が発見し、救急搬送されたがロサンゼルスの病院で死去、32歳。
幼少期はニュージャージー州エディソンで過ごす。9歳から子役として芸能活動を始め、13歳の時にカリフォルニア州バーバンクに引っ越す。
93年「家族の祈り」で映画デビュー、95年青春コメディー映画「クルーレス」で注目を集めた。09年日本公開のハリウッド映画「ラーメンガール」で西田敏行らと共演。シリアスドラマからコメディーまで幅広い役を演じた。他に「17歳のカルテ」「8 Mile」などの出演作がある。
12/17
■ダン・オバノン(米脚本家、映画監督、俳優)ミズーリ州セントルイス
17日、ロサンゼルス市内で死去、63歳。
71年南カリフォルニア大学の映画学科に在籍中のにジョン・カーペンターと短編作品「ダーク・スター」を共同制作。
同作品の長編リメイク化で76年度サターン賞最優秀特殊効果賞受賞)を受賞する。79年リドリー・スコット監督の「エイリアン」の脚本を担当。85年スプラッター映画「バタリア」で初監督。
12/17
■ジェニファー・ジョーンズ(米女優)オクラホマ州タルサ
17日、米ロサンゼルス郊外の自宅で死去、90歳。
舞台俳優だった両親の下で幼少時から舞台に立つ。ノースウェスタン大学とニューヨークのアメリカ演劇アカデミーで学ぶ。43年「聖処女」で映画デビューし、アカデミー主演女優賞を受賞。46年「白昼の決闘」でグレゴリー・ペックと共演。このほか「終着駅」「慕情」などに出演し、40−50年代を代表するハリウッド女優だった。74年「タワーリング・インフェルノ」にも出演した。この間19歳の時に俳優の卵だったロバート・ウォーカーと結婚。44年離婚。49年映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックと再婚。
12/3
■リチャード・トッド(英俳優)アイルランド・ダブリン
3日、英東部リンカーンシャー州の自宅で死去、90歳。
少年期をインドで過ごす。37年俳優デビュー。ダンディー・レパートリー・シアターの創設メンバーの一員となる。第2次大戦のフランス・ノルマンディー上陸作戦で初めて半島上陸を果たした落下傘部隊の一員だった。
戦後、劇団に戻り49年映画デビュー。同年米映画「命ある限り」でスコットランド負傷兵を演じアカデミー主演男優賞にノミネートされた。55年「暁の出撃」に主演。62年同作戦を描いた「史上最大の作戦」に軍人役で出演。このほかディズニー映画「ロビン・フッド」などに主演。
12/2
■平山郁夫(日本画家、元東京芸術大学学長)広島県瀬戸田
2日、脳梗塞のため東京都内の病院でで死去、79歳。
広島市の修道中学3年のとき被爆。以後、高熱やめまいなど放射能の後遺症で苦しんだ。東京美術学校(現:東京芸大)日本画科に進学し、前田青邨に師事す卒業制作「三人姉妹」は同校買い上げとなった。52年卒業とともに同校助手となる。
53年「家路」が院展初入選。59年玄奘三蔵をテーマとした「仏教伝来」が院展入選。61年「入涅槃幻想」が日本美術院賞・大観賞を受賞。中東や中央アジアを旅行し、シルクロードをテーマにした作品の制作を続けた。67−68年まで法隆寺金堂壁画再現事業、73−74年まで高松塚古墳壁画模写事業に参加。76年一連のシルクロード作品で日本芸術大賞を受賞。
この間73年東京芸術大学教授に就任。
89年東京芸術大学学長に就任し、95年まで務める。01年再び東京芸術大学学長に就任し、05年まで務める。遺跡の保護や美術品の修復などにも尽力し、96年フランスのレジオン・ドヌール勲章を受章、98年文化勲章を受章、このほか受賞多数。日本美術院理事長、ユネスコ親善大使、文化財保護・芸術研究助成財団理事長などを歴任。97年故郷の広島県瀬戸田町に町立の平山郁夫美術館が開館した。05年東京国立博物館特任館長に就任。
12/1
■ポール・ナッシー(俳優P)マドリッド
1日、癌のためスペイン・マドリッドで死去、75歳。
67年「吸血鬼ドラキュラ対狼男」に出演。70年代を通じ狼男バルデマル・ダニンスキーに扮した狼男映画シリーズで人気を博す。その後ホラーを中心に90本を超えるジャンル映画に出演した。本名のハシント・モリーナ名義で監督や脚本も手がけた。主な出演作に「ワルプルギスの夜/ウルフVSヴァンパイア」「女の館」「ターミネーター2018」など。
11/29
■ロバート・ホールドストック(英SF作家)英南部ケント
29日、ロンドンで死去、61歳。
幼少期はロムニー湿地で過ごす。68年最初の本を出版。9年間ノース・ウェールズ大学やロンドン熱帯衛生医科大学などで動物学を専攻した後、75年から作家活動に専念する。
異質な世界に出会い変容していく人間たちを描いたSF「ミサゴの森」や「アースウィンド」「リードワールド」のほか、ロバート・フォールコン(Robert Faulcon)名義で「ナイトハンター」シリーズなどの著書がある。
11/29
■川崎展宏(国文学者、俳人)広島県呉市
29日、肺癌のため東京都内の病院で、82歳。
東京大学文学部卒業。在学中から加藤楸邨に師事、「寒雷」に参加。70年森澄雄の「杉」創刊に参加。80年「貂」を創刊し、代表を務める。国文学者として明治大学教授を務めた。
91年句集「夏」で読売文学賞受賞。「秋」で詩歌文学館賞。ほかに評論集「虚子から虚子へ」などがある。94−06年まで「朝日俳壇」選者を担当した。
11/28
■梶原武雄(退役囲碁棋士九段)新潟県畑野町(現:佐渡市)
28日、急性腎不全のため東京都中央区の病院で死去、86歳。
一家で上京後、11歳で関山利一に入門。37年入段。44年応召、中国戦線に出征。復員後の47年8棋士で囲碁新社を結成し、日本棋院を脱退するが翌年復帰。この頃、藤沢秀行、山部俊郎と並び「戦後三羽烏」「アプレゲール三羽烏」などと呼ばれた。65年九段。NHK杯などの解説では歯切れのいい「梶原節」が人気を呼んだ。愛称は森の石松から取った「イシ」。00年引退。
79年棋道賞勝率第1位賞、93年大倉賞。通算成績595勝458敗11ジゴ。武田みさを五段は姉。
11/28
■斎藤耕一(映画監督)東京八王子
28日、肺炎のため東京都日野市の病院で死去、80歳。
立教大学中退後、東京写真工業専門学校(現:東京工芸大学)に入学。卒業後の49年太泉映画(現:東映東京撮影所)にスチルマンとして入社。今井正監督「ひめゆりの塔」でキネマ旬報スチールコンテスト1位入賞。54年日活に引き抜かれ中平康、今村昌平、市川崑など多くの作品のスチルを担当したほか、石原裕次郎デビュー直後に初の写真集「海とトランペット」を出版。中平康監督「月曜日のユカ」などの脚本も手がける。
67年「斎藤プロダクション」を設立し、「囁きのジョー」で監督デビュー。72年岸惠子扮と萩原健一主演の「約束」を監督。「旅の重さ」でキネマ旬報ベストワンを獲得。「津軽じょんがら節」など日本の風土を背景にした作品を撮り評価を高める。99年「日本一荒れた学校」と報道された「稚内南中学校」が全国民謡民舞大会で日本一になった実話をもとに作られた「稚内発・学び座」が大反響を呼ぶ。74年芸術選奨文部大臣賞、83年ベネチア世界映画祭の短編部門で金・銀獅子賞を同時受賞。94年紫綬褒章受章。

11/27
■ボブ・キーン(米音楽プロデューサー、ジャズクラリネット奏者Bob Keane)カリフォルニア州マンハッタン・ビーチ
27日、腎不全のため死去、87歳。
17歳のときビッグ・バンドのクラリネット奏者として舞台に立つ。その後ウエスト・コーストのモダン・ビッグ・バンドに新風を吹き込む。58年ハリウッドで「デル・ファイ・レコード」(Del-Fi)を設立し、リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)らの新人発掘などウェスト・コーストの音楽シーンを彩った。

11/27
■ジャック・バラティエ(仏映画監督・脚本家)フランス
27日、死去、91歳。
49年短編ドキュメンタリー映画「D?sordre(無秩序)」でデビュー。58年オマー・シャリフ主演の「GOHA」でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。
68年中篇映画「罠」を発表、精神分析家ジャック・ラカンに賞賛された。他の作品に67年「想い出のサンジェルマン」、73年「新・個人教授」など。
07年カンヌ国際映画祭で上映されたジェーン・バーキン監督作「Boxes」に出演。
11/27
■根来広光(元プロ野球捕手)広島県府中
27日、胃癌のため神奈川県藤沢市内の病院で死去、73歳。
県立府中高校をへて、55年東京鉄道管理局に入り、翌年熊谷組へ。57年国鉄(現:ヤクルト)に入団し、投手から捕手に転向。最盛期の金田正一とバッテリーを組んだ
。67年阪急ブレーブスに移籍し、68年現役を引退。現役引退後はヤクルトやオリックスなどでコーチや2軍監督を務めた。
111/24
■丘灯至夫(作詞家)福島県小野
24日、腎不全のため東京都千代田区の病院で死去、92歳。
郡山商工学校商業科を卒業。詩人西条八十に師事。41年日本放送協会(NHK)郡山放送局に入局。42年東京の毎日新聞社に入社、福島支局記者となる。48年同東京本社出版局に転勤。新聞社に籍を置きながら、49年日本コロムビアの専属作詞家となり「高原列車は行く」「長崎の雨」「東京のバスガール」などのヒット作を発表した。
作曲家の古関裕而や遠藤実とのコンビで活躍。63年には舟木一夫が歌った「高校三年生」で日本レコード大賞作詩賞を受賞。藤山一郎、歌謡曲のほか、「みなしごハッチ」「ハクション大魔王」「ガッチャマンファイター」などアニメ主題歌、童謡も手がけた。72年毎日新聞社を定年退職。88年勲四等瑞宝章を受章。故郷の福島県小野町に記念館がある。
11/22
千原しのぶ(女優)岡山県
22日、肺癌のため京都市中京区の病院で死去、78歳。
片岡千恵蔵の紹介で、52年に東映に入社。千恵蔵主演の映画「忠治旅日記 逢初道中」でデビュー。53年「大菩薩峠 甲賀一刀」に披擢され、シリーズに出演。54 - 56年まで60本の映画に出演する。74年那覇市で呉服店開店。のちに京都市で高級オリジナル呉服「しのぶ好み」を経営。
93年相米慎二監督「お引越し」、95年トニー・オウ監督「南京の基督」にも出演した。全日本書芸学院副理事も務めた。

11/20
■飯野知彦(コーラスグループ「デューク・エイセス」元メンバー)群馬県
20日、胃癌のため埼玉県所沢市内で死去、56歳。
東京芸術大学卒業。トップ・テナー。同グループのトップ・テナーだった谷口安正が90年急逝し、後任の打診を受け、91年イタリア留学を止めて帰国しグループ加入。トップテナーを担当する。09年夏に退団、闘病生活を送っていた。
※デューク・エイセス(Duke Aces):男声4人からなるボーカルグループ。1955年結成。ダークダックス、ボニー・ジャックスと並ぶ日本3大コーラスグループと称され「いい湯だな」「女ひとり」「遠くへ行きたい」などヒット曲を歌ってきた。
11/19
■キム・ダウル(韓国人トップモデル)ソウル
19日、パリのの自宅アパートで遺書が残され
、自殺とみられる。首をつって死去、20歳。
13歳でモデルを始め、06年韓国版Vogueで「シャネル(Chanel)」のモデルとしてデビュー。07年海外に進出し、07年秋冬シーズンコレクションからファッションショーのモデルとして活躍した。シャネルなど有名ブランドのモデルを務め、米誌「ニューヨーク・マガジン」で「注目すべきトップモデル10人」の1人に選ばれたこともあり、パリを中心に世界舞台で活動していた。
11/18
■ジャンヌ=クロード・ド・ギユボン(米芸術家)モロッコのカサブランカ
18日、動脈k瘤破裂による合併症のためニューヨークの病院で死去、74歳。
フランスとスイスで学校に通ったのち、チュニス大学を卒業。58年パリで夫となるクリストと出会い共同制作に取り組む。64年渡米。69年オーストラリア・シドニーで海岸線を白い布で覆う「梱包された海岸」を制作。「ラッピング」の概念を中心とする巨大アートを創作し、「クリスト&ジャンヌクロード」の名で知られた。
主要作は85年「包まれたポンヌフ」、95年「包まれた議事堂」、05年「ザ・ゲーツ」など。91年茨城県北部の国道沿いと米ロサンゼルス郊外の高速道路沿いに、同時にそれぞれ1000本以上の巨大な傘を並べる「アンブレラ」を手掛けた。
11/16
■水の江滝子(元女優、映画プロデューサー)北海道小樽区
16日、老衰のため神奈川県内で死去、94歳。
幼時に東京へ転居。28年東京松竹楽劇部(のちの松竹少女歌劇団)に第1期生として入団する。断髪に男装姿が人気になり「男装の麗人」の異名をとり、「ターキー」の愛称で親しまれた。
第二次世界大戦中は「松竹女子挺身隊」の一員として兵士を慰問。42年松竹少女歌劇団を退団、43年から劇団たんぽぽを主宰する。
52年俳優の鶴田浩二が興した新生プロに所属。55−70年まで日活の映画プロデューサーとなり、76本の映画を企画・制作。浅丘ルリ子や石原裕次郎らを世に送り出した。NHKテレビの娯楽番組「ジェスチャー」にもレギュラー出演し、親しまれた。53年・57年のNHK紅白歌合戦で紅組司会を務めた。93年森繁久弥を発起人(葬儀委員長)とする「生前葬」を開き、芸能関係者ら約500人を集めて話題になった。
11/16
■エドワード・ウッドワード(英俳優,)年ロンドン
16日、肺炎のため英コーンウォールの病院で死去、79歳。
王立ドラマアカデミーで学ぶ。46年舞台デビュー。54年ロンドンに進出。
テレビドラマ「ザ・シークレット・ハンター」、映画「ウィッカーマン」「キング・ダビデ/愛と闘いの伝説」などに出演した。
11/14
■大浦みずき(女優)東京都中野区
14日、肺癌のため東京都内の病院で死去、53歳。
小説家阪田寛夫の次女。74年宝塚歌劇団に入団。88年から花組男役トップスターとなり、「ダンスの花組」と呼ばれる一時代を築いた。「会議は踊る」「ベルサイユのばら」などに出演。91年退団後は、舞台を中心に女優として活動。05年ミュージカル「ナイン」で菊田一夫演劇賞を受賞。
11/13
■田 英夫(元社会党参院議員)東京・世田谷
13日、呼吸不全のため東京都港区の病院で死去、86歳。
43年学徒出陣し、45年海軍震洋特攻隊員で終戦。
47年東京大学経済学部卒業、共同通信社入社。社会部長などをへて、62年TBSニュースキャスター第1号となる 。64年共同通信社を退社し、TBS入社。68年自民党の圧力でニュースキャスターを解任される。70年TBSを退職し、日本社会党に入党。71年参議院全国区でトップ当選。75年「新しい流れの会」を結成、77年離党。78年社会民主連合を結成し、代表となる。97年土井たか子党首の社会民主党に復帰。01年議員引退。当時の土井たか子党首らの説得を受け入れて比例代表から出馬したが落選し、03年繰り上げ当選。07年参院選には立候補せず引退。
11/10
■森繁久彌(俳優)大阪府枚方
10日、7月22日から風邪のため入院していたが東京都内の病院で老衰のため日死去、96歳。
7歳の時に母方の祖父の姓を継いで「森繁」姓となる。34年早稲田大学商学部に入学し、演劇部で活動。36年軍事教練を拒否して大学を中退し、東京宝塚(現:東宝)新劇団に入団。その後は数々の劇団を渡り歩く。39年NHKアナウンサー試験に合格し、満州電信電話の放送局に勤務。敗戦でソ連軍に連行されるが、46年帰国。
47年衣笠貞之助監督「女優」に端役で映画初出演。50年新東宝の「腰抜け二刀流」で映画初主演。その後、東宝の「社長シリーズ」「駅前シリーズ」などで主役を務め、人気を博した。55年豊田四郎監督「夫婦善哉」で、名演技が認められる。テレビでも草創期から活躍しドラマ「七人の孫」「だいこんの花」などに出演。59−65年までNHK紅白歌合戦に歌手として7年連続出場した。59年「森繁劇団」を結成し、持続的に演劇活動を行う。ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」は900回に渡りユダヤ人・テヴィエ役を演じ、代表作となった。
82年日本俳優連合の理事長に就任。86年早稲田大学から卒業証書を受け、正式に卒業を認められた。91年大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章。04年正月放送「向田邦子の恋文」が最後の俳優活動となった。07年日本俳優連合の名誉会長となる。
11/7
■奥山 融(元松竹社長)京都市
7日、肺炎のため東京都港区の病院で死去、85歳。
47年京都大学法学部を卒業。証券会社を経て、51年松竹入社。84年「上海バンスキング」や86年「キネマの天地」で製作総指揮を担当。
91年社長就任。テーマパーク「鎌倉シネマワールド」開設や、シネマコンプレックス展開、CS放送など映像部門で積極的な事業多角化を図る。
98年業績不振を理由に、映画プロデューサーで同社専務だった次男・和由とともに解任された。
11/3
■三村敏之(プロ野球元広島監督)島県海田町
3日、仙台市の病院で死去、61歳。
67年広島商業高校からドラフト2位で広島入り。攻守に堅実なプレーで主に2番遊撃手として活躍。75年古葉竹識監督のもと球団初のリーグ優勝に貢献。79年カムバック賞受賞。79・80年の連続日本一など山本浩二、衣笠祥雄らとともに黄金時代を築いた。ベストナイン3度。83年引退。通算1567試合出場、1245安打、149本塁打、490打点、打率2割5分5厘。
84年二軍守備走塁コーチに就任、86年一軍昇格。91年二軍監督に就任、94−98年まで一軍監督を務める。07年楽天編成部長に就任。
10/29
■佐川美代太郎(漫画家・絵本作家で元日本漫画家協会常務理事、京都精華大名誉教授)茨城県
30日、老衰のため東京都内の自宅で死去、85歳。
56−64年まで日経新聞に「ホイキタ君」(のち「へいきの平ちゃん」)などのナンセンスマンガを連載。40歳を過ぎて東洋大学大学院の聴講生となる。
72年「ぐろう」で日本漫画家協会賞奨励賞、99年「絵で読む阿弥陀経」で日本漫画家協会賞大賞を受賞。代表作に「財界対面交通」「望郷の舞」など。
10/29
■立川文都(落語家)大阪市
29日、胃癌のため死去、49歳。
84年立川談志に入門し、立川関西と名乗る。88年二つ目昇進、立川談坊に改名。89年米コロラド大学で「落語とは、日本人とは」を講演し、全米横断落語会を実施。98年真打ち昇進、6代目立川文都を襲名する。
10/29
■5代目三遊亭円楽(落語家)東京市浅草
29日、肺癌のため死去、76歳。
埼玉県立杉戸農業高校を卒業。55年6代目三遊亭円生に入門。全生を名乗り、58年二つ目、62年真打ちに昇進し円楽を襲名。
60年代の演芸ブームで立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵と「寄席四天王」と呼ばれた。78年真打ち制度の在り方をめぐり円生とともに落語協会を脱退、その後円楽一門会総帥として活動を続けた。日本テレビ系の園芸番組「笑点」は初回から参加。77年タレント廃業宣言を行い、一時番組を降りる。その後復帰し82−06年まで「笑点」司会を務めた。
07年落語家を引退。得意演目は「中村仲蔵」「藪入り」など。円生さんとともに落語協会を脱退。円生さん死後は弟子たちを率いた。

10/27
■ロイ・デッカレイヴァ(米写真家)ニューヨーカ・ハーレム
27日、ニューヨーク・マンハッタンで死去、89歳。
ジャマイカ移民の母子家庭に育つ。クーパー・ユニオン美術学校に通うが白人の迫害を受け、ハーレムの美術学校に移る。戦時中、米陸軍で兵役を務める。戦後、写真を撮り始め、ハーレムの日常を写した作品が評価される。55年詩人ラングストン・ヒューズとの共著「The Sweet Flypaper of Life」で知られる。このほか著名なジャズ・ミュージシャンを撮影。黒人写真家として初のグッゲンハイム・フェローシップを受ける。

10/21
■室伏哲郎(評論家)神奈川県
26日、急性肺炎のため神奈川県藤沢市の自宅で死去、79歳。
東京大学文学部を中退。雑誌記者などを経て評論家となる。汚職問題に詳しく、「構造汚職」という言葉を生んだことで知られる。政治から社会問題、美術まで幅広い評論活動を行い、テレビ番組「女のひろば」の司会やコメンテーターなどを務めた。拓殖大学で客員教授を務めたこともある。近年はパチンコ依存症問題などにも取り組み、日本カジノ学会理事長も務めた。
著書に「汚職の構造」「実録 日本汚職」など。
10/26
■村木与四郎(映画美術監督)東京都
26日、心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去、85歳。
東宝撮影所に美術助手として入社。48年黒沢明監督の「酔いどれ天使」に美術助手として参加。同監督の「生きる」「七人の侍」などの作品にかかわった後、美術監督に昇進。55年の「生きものの記録」以降、「生きものの記録」「用心棒」「赤ひげ」など「デルス・ウザーラ」を除くすべての黒沢作品で美術監督を務めた。綿密な時代考証と大胆な美術が評価されている。カンヌ国際映画祭の最高賞を受賞した「影武者」や「乱」で米アカデミー賞美術賞にノミネートされた。02年小泉堯史監の「阿弥陀堂だより」が遺作となった。他の担当作品に「日本沈没」「四十七人の刺客」「雨あがる」など。
10/21
■南田洋子(女優)東京市芝区
21日、蜘蛛膜下出血のため東京都内の病院で死去、76歳。
茨城県土浦第一高女(現:つくば国際大学高校)卒業。水谷八重子に弟子入り。ニューフェイスとして大映に入社し、「美女と盗賊」で映画デビュー。53年若尾文子と共演した「十代の性典」が大ヒットする。55年日活に移籍。56年石原真太郎原作の映画「太陽の季節」に長門裕之とともに主演し、日活の看板スターとなる。61年長門と結婚。63年「サムライの子」でブルーリボン助演女優賞を受賞。64年長門とともに「人間プロダクション」設立。65年NHKドラマ「紀ノ川」で日本放送作家協会賞女性演技賞を受賞。65年から16年間TV「ミュージックフェア」の司会を夫婦で務める。98年舅の沢村國太郎の介護の経験を綴った「介護のあのとき」を出版。04年頃から認知症の症状があらわれ、06年芸能活動を引退。08年長門の介護をうける様子を捉えたTV「報道発 ドキュメンタリ宣言」が話題となった。
10/17
■森 聖二(ロスプリモス歌手)大阪府堺
18日、心不全のため東京都新宿区の病院で死去、70歳。
「ジョージ山下とドライボンズ」「森ヨシコとそのグループ」を経て、65年歌謡グループ「黒沢明とロス・プリモス」(80年「ロス・プリモス」に改名)にボーカルとして参加。66年「ラブユー東京」が大ヒット。「雨の銀座」「たそがれの銀座」などの銀座シリーズでも知られ、ムード歌謡界を盛り上げた。
10/17
■ナット・フィンケルシュタイン(米写真家)ニューヨーク・ブルックリン
17日、結核による合併症のためニューヨーク州シャンデイケンで死去、76歳。
50年スタイヴサント高校卒業。52年ブルクリン・カレッジで写真を学ぶ。雑誌「ハーパース・バザー」アートディレクターのアレクセイ・ブロドビッチ(Alexey Brodovitch)に師事。60年代に写真エージェント「PIX and Black Star」に所属し、フォトジャーナリズムの分野で活動。64−67年までアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)のファクトリーに出入りし、89年「Andy Warhol THE FACTORY YEARS 1964-1967」を出版する。
10/17
■加藤和彦(音楽プロデューサー)京都市伏見区
、17日長野県軽井沢町のホテルの浴室内で首をつって死亡しているのが見つかった。客室には2通の遺書が残され自殺とみられる。62歳。
生後すぐ神奈川県鎌倉市に移る。65年龍谷大在学中に京都府立医科大生だった北山修らとクルセダーズを結成。「帰って来たヨッパライ」へのリクエストがラジオ局に殺到し、1年限りとの約束でプロデビュー。同曲は280万枚を超える大ヒットで、日本レコード大賞特別賞を受賞。しかし、シングル2曲目に予定していた 「イムジン河」が南北朝鮮分断問題による政治的配慮から発売中止になる。その後、当時の妻・福井ミカをボーカルにサディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)を結成。離婚をきっかけに75年解散。この間69年にソロ活動を始め、77年作詞家の安井かずみと再婚。同バンドは89年新ヴォーカルに桐島かれんを迎え再結成(Sadistic Mica Band)。00年オペラ歌手の中丸三千絵と結婚、05年離婚。06年3代目ボーカルとして木村カエラを迎え再々結成(Sadistic Mikaela Band)。このほか坂崎幸之助と「和幸」結成、市川猿之助のスーパー歌舞伎の音楽、吉田拓郎や竹内まりやら多くの歌手にも曲を提供など、多彩な音楽活動を展開した。主な曲に「悲しくてやりきれない」「あの素晴しい愛をもう一度」「家をつくるなら」など。 
10/15
■浜田寅彦(俳優劇団俳優座代表)高知県
15日、心筋梗塞のため東京都文京区の病院で死去、90歳。
早稲田大学卒業。46年俳優座に入団し、映画「壁あつき部屋」で主演。このほか映画「狗神」「復讐するは我にあり」やテレビドラマ「水戸黄門」など多くの作品に出演した。「足摺岬」「十二人の怒れる男たち」などの舞台で評価された。00年俳優座代表に就任。
10/10
■江畑謙介(軍事問題評論家)千葉県銚子
10日、呼吸不全のため千葉県木更津市内の病院で死去、60歳。
上智大理工学部卒。83−01年英国の防衛専門誌日本特派員を務めた。兵器システムなど軍事戦略や日本の安全保障問題に詳しく、91年湾岸戦争や01年からの米アフガニスタン攻撃、03年からのイラク戦争などをテレビで解説。05年拓殖大海外事情研究所客員教授に就任。「世界の紛争 日本の防衛」「安全保障とは何か」など軍事や安全保障関連の著書、訳書多数。
10/7
■アービング・ペン(米写真家)ニュージャージー州ペインフィール
7日、ニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去、92歳。
30年代後半フィラデルフィア美術大学でハーパース・バザーのアートディレクターとして有名なアレクセイ・ブロドヴィッチに学ぶ。ニューヨークの百貨店の広告デザイン部長などを経て、42年画家をめざしメキシコに渡る。帰国後、43年ファッション誌「ヴォーグ」で写真家デビュー。47年トップ・モデルのリサ・フォンサグリーブスと結婚。50年パリ・コレクションの写真がファッション写真の頂点として高く評価される。単純な背景でモデルを際立たせる手法により、ファッション写真に新境地を開いた。ファッション以外にもペルー、ネパール、モロッコなど世界中を旅行し、各民族の写真を仮設スタジオ内の単純な背景で撮影。その後、肖像写真などの分野でも活躍した。
10/4
■横山涼一(ジャズベーシスト)東京浅草
4日、肺癌のため東京都杉並区の病院で死去、57歳。
法政大学卒。在学中に大野三平トリオでプロデビュー。同時に小原重徳&ニューオオタニジョイフルオーケストラに参加。その後増田一郎カルテットで活躍。92年小野リサ ボサノバグループに参加。94年世良譲トリオに参加。このほか多くのミュージシャンと共演した。

10/4
■大隅俊平(刀匠人間国宝)太田市
4日、病気のため群馬県太田市由良町の自宅で死去、77歳。
52年宮入昭平の門弟となり、日本刀鍛錬技法の修得に専念。60年独立。73年伊勢神宮の式年遷宮で神宝刀剣3振を鍛錬奉納。日本刀のうち、刃文が真っすぐ整った「直刃」の刀鍛冶。
3度に及ぶ新作名刀展の最高賞・正宗賞受賞をはじめ文化庁長官賞、毎日新聞社賞などを受賞。97年人間国宝に認定。01年愛子さまのお守り刀を製作。07年旭日中綬章を受章。
10/4
■メルセデス・ソーサ(アルゼンチンの女性歌手)北西部のトゥクマン
4日、ブエノスアイレスの病院で多臓器不全のため死去、74歳。
生家は貧しい労働者階級の家庭。15歳でラジオ局のコンテストに優勝。ブエノス・アイレスにでて、職を転々とする。60年代半ば30歳頃に歌手デビュー。73年作詞家フェリックス・ルナ、作曲家アリエル・ラミレスと組んでアルバム「アルヘンティーナの女(Mujeres argentinas)」を発表、フォルクローレ(民族音楽に基礎をおいた大衆音楽)史上に不朽の名を残す。70年代後半から80年代にかけての軍事政権下で「左翼狩り」により大勢の市民が殺された時期にも、人権について歌い続けた。その影響力を恐れた独裁政権がレコーディングを禁止。拷問で夫を失い、自らも投獄された後に欧州(フランスとスペイン)に亡命。その後も歌声でアルゼンチン国民を励まし続けた。「人生よ、ありがとう」などのヒット曲がある。中南米の「民衆の心の代弁者」とも呼ばれた代表的なフォルクローレの歌手で、歌による社会変革を目指した「新しい歌運動」の第一人者。82年アルゼンチンの民政復帰と前後して帰国。
10/4
■中川昭一(元財務・金融担当相)東京都渋谷
4日、東京都世田谷区の自宅で死去、56歳
自宅2階の寝室のベッドでポロシャツと短パン姿でうつぶせに倒れ死亡しているのを妻が見つけ119番した。ベッドに吐いた跡があった。寝室の机のうえには睡眠薬とみられる錠剤があったが、目立った外傷はなく、事件や自殺の可能性は低いとみられる。
父一郎は元農林水産相。慶応大学経済学部を卒業、東京大学法学部を卒業。日本興業銀行に入行。83年衆院議員だった父の自殺後、日本興業銀行を退職し、父の地盤だった旧北海道5区から衆院選に出馬し初当選。経済産業相、農相、内閣府特命担当大臣(金融担当)、自民党政調会長などを歴任。08年財務・金融担当相に就任。09年ローマで開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後に呂律の回らない「もうろう会見」で批判を受け、辞任に追い込まれた。同年衆院選で9選をめざすが落選した。
9/25
■土井正三(元プロ野球巨人選手)神戸市
、25日死去、67歳。
立教大学から65年巨人に入団。バントの名手として知られ、同年から始まったV9の主力選手(二塁手)として活躍した。78年ダイヤモンドグラブ賞を獲得しながらも現役引退。
通算1586試合出場、打率.263、本塁打65本。引退後は巨人コーチ、オリックス監督などを務めた。
9/23
■まつ乃屋まりこ(大井芸者)
23日、0時55分
9/22
■ルーシー・ボーデン(モデル)英ウェイブリッジ
22日、免疫疾患のためロンドンの病院で死去、46歳。
ビートルズの故ジョン・レノンの息子ジュリアン・レノンの保育園時代の友人。66年当時4歳のジュリアンがルーシーを絵を描き、これを父ジョンに見せ「ルーシーがダイヤモンドを持って空にいるんだ」と説明。そこから着想を得て、ビートルズの名曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」制作のきっかけとなった絵のモデルだった英国人の曲のアイデアを膨らませ。10代のころ友人らに同曲のルーシーは自分のことと話したが、友人らはドラッグの曲だとして取り合ってくれなかったという。同曲は発表当時、曲名の頭文字などから幻覚剤「LSD」を暗示しているとの説が流れた。ジョンはこれを否定していた。
9/21
■庄野潤三(作家)大阪市
21日、老衰のため川崎市多摩区の自宅で死去、88歳。
41年大阪外国語学校(現:大阪大学外国語学部)英語科卒業後、九州帝国大学法文学部卒業。海軍予備学生として出征。終戦後、教員を経て朝日放送に入社。55年「プールサイド小景」で芥川賞。「第三の新人」の一人とされた。57年から1年間の滞米生活を「ガンビア滞在記」として発表。60年「静物」で新潮社文学賞、65年「夕べの雲」で読売文学賞、69年「紺野機業場」で芸術選奨文部大臣賞、71年「絵合せ」で野間文芸賞、72年「明夫と良二」で毎日出版文化賞、73年日本芸術院賞受賞、78年日本芸術院会員。父は帝塚山学院初代学院長の庄野貞一、兄は児童文学者・帝塚山学院長の庄野英二。なお弟の庄野至は織田作之助賞受賞者。
9/19
■臼井儀人(漫画家)静岡市
19日、群馬と長野県境にある荒船山崖下で滑落して死亡した可能性が高い男性について本人と確認した。。19日遺体で発見死去、51歳。
77年県立春日部工業高校を卒業。デザイン専門学校を中退し、広告関係の会社で働く。87年「だらくやストア物語」が双葉社・週刊Weekly漫画アクション新人賞佳作入賞し漫画家デビュー。90年「クレヨンしんちゃん」連載開始。92年アニメ化され、大ブームとなる。09年9月11日荒船山へ単身で日帰り登山に行くと言ったまま帰宅せず、連絡が取れなくなる。
9/16
■マリー・トラヴァース(米歌手)ケンタッキー州ルイビル
16日、白血病のためコネティカット州ダンベリーの病院で死去、72歳。
61年ピーター・ヤーロウ(Peter Yarrow)、ノエル・ポール・ストゥーキー(Noel Paul Stookey )とのトリオ「ピーター・ポール&マリー」を結成。「花はどこへ行った」「パフ」などが世界的に大ヒットし、60年代のフォークソングブームを巻き起こした。ベトナム戦争に真っ向から反対した音楽グループとしても知られる。
70年解散。78年原発反対運動の支援コンサートのために再結成。
9/15
■南野佳代子(タウン誌「ザ・淀川」編集長)大阪府堺
15日、多臓器不全のため死去、64歳。
商社勤務ののち、ヨーロッパ、アメリカに3年半滞在。81年大阪市淀川区のタウン誌「ザ・淀川」を創刊。NTT全国タウン誌フェスティバルで「タウン誌大賞奨励賞」受賞。99年大阪市「きらめき賞」受賞。経営難で休館したミニシアター「第七藝術劇場」の復活のため市民出資を募るなどし、02年同劇場再開に貢献した。このほか「ザ・おおさか」編集長も務めた。
9/7
■柳亭痴楽(落語家)
7日、05年脳幹出血で倒れ療養していたが、腎不全のため東京都北区の自宅で死去、57歳。
1951年北海道当別町生まれ。68年4代目柳亭痴楽に入門。83年真打ち。96年5代目痴楽を襲名した。高座のほかテレビでも活躍。
01年から落語芸術協会理事、04年から同協会常任理事を務めた。
9/1
■チャン・ジニョン(韓国の女優)ソウル
1日、ソウル市内の病院で死去、35歳。胃癌で闘病中だった。
ミス忠南・真受賞をきっかけに、93年女優デビュー。01年初主演映画「鳥肌」、02年「オーバー・ザ・レインボー」、03年「シングルス」などに出演し人気を得る。その後も05年「青燕」、06年「恋愛、その耐えられない軽さ」に出演。07年「ロビイスト」など多くのTVドラマにも出演した。03年映画「菊花の香り」では胃癌と戦い懸命に生きる女性を演じた。
8/31
■深緑夏代(シャンソン歌手)京城
31日、肺炎のため静岡県熱海市の病院で死去、87歳。
34年単身帰国し、対馬高等女学校へ入学。35年宝塚音楽学校へ入団。36年深緑夏子の芸名で宝塚歌劇団の初舞台を踏む。46年戦後第1回の公演「カルメン」で主役のカルメンを演じた。47年以降越路吹雪(51年退団)とのコンビで知られた。55年宝塚を退団。以降はシャンソン歌手として活動。66−77年まで宝塚歌劇団のシャンソン講師を務め、鳳蘭や麻実れいら後進を指導。東京でシャンソン酒場を経営した。立教大の学生だったなかにし礼の才能を見抜きシャンソンの訳詞を依頼したことでも知られる。
8/29
■クリス・コナー(Chris Connor米ジャズ歌手)ズーリ州カンザスシティ
29日、死去、81歳。
幼いころからクラリネットを学ぶ。48年ニューヨークに転居。ビッグバンドに所属して歌う。52-53年にかけスタン・ケントン(Stan Kenton)楽団で歌い、ケントン・ガールの1人として人気を得る。50年代から60年にかけクールジャズを支えた1人。代表曲に「バードランドの子守唄」(Lullaby of Birdland)など。

8/25
■エドワード・ケネディ(米上院議員)マサチューセッツ州ボストン
25日、脳腫瘍のため死去、77歳。
民主党リベラル派大物で暗殺されたジョン・ケネディ元大統領やロバート・ケネディ元司法長官の実弟。ケネディ兄弟は9人で、63年暗殺された元大統領は次男。3男の元司法長官も68年大統領選予備選の選挙運動中に暗殺された。ケネディ上院議員は4男。50年ハーバード大学に入学。米陸軍に2年間所属し、パリの欧州連合軍最高司令部に任命される。その後復学し56年卒業。ハーグ国際法アカデミー、バージニア大学などでも学んだ。兄ジョンが大統領在任中の62年に上院選で初当選(マサチューセッツ州選出)。80年大統領予備選に出馬するが、現職カーターに敗れた。米政界に長年強い影響力を持ち続け、イラク戦争反対の急先鋒でもあった。昨年の大統領選民主党予備選ではオバマ氏支持を表明し、指名獲得に貢献した。
69年自身が運転中の車が海中に転落し、同乗の女性秘書が溺死。すぐに警察に通報しなかったことが問題となった(チャパキディック事件)。
8/25
■細川隆一郎(政治評論家,元毎日新聞記者)熊本県
25日、老衰のため死去、90歳。
早稲田大学政治経済学部を卒業。42年毎日新聞社に入社。67年に連載「日本政治への提言」で新聞協会賞を受賞。80年大平正芳首相死去のスクープで文化放送社長賞を受賞。政治部長、中部本社編集局長などを歴任し、83年退社その後、政治評論家として多くのテレビ番組に出演した。86年著書「岸信介伝」「政争・ニューリーダー論」で第6回日本文芸大賞特別賞を受賞した。
8/24
■トニー・ザイラー(オーストリアの元スキー選手)オーストリア・キッツビュール
24日、死去、73歳。
アルペンスキーがまだ滑降、大回転、回転で実施されていた56年イタリアのコルティナダンペッツォ冬季五輪で、3種目とも金メダルを獲得し、初の3冠王となった。58年オーストリアのバド・ガスタイン世界選手権でも3種目で金、1種目で銀を獲得。59年引退。58年「黒い稲妻」、59年「白銀は招くよ!」などの映画にも出演した。85年国際オリンピック委員会(IOC)からオリンピック勲章授与。スキー場・スキーコース設計もてがけ、日本にもシャトレーゼリゾート八ヶ岳(旧称・八ヶ岳ザイラーバレースキー場)や白山瀬女高原スキー場(石川県白山市)や安比高原スキー場(一部)がある。安比高原スキー場にはの名にちなんで「ザイラーゲレンデ」がある。
8/24
■ジョー・マネリ(Joe Maneri 米作曲家、s,cl奏者)ニューヨーク・ブルックリン
24日、心臓疾患のためボストンで死去、82歳。
イタリア移民の一家で育つ。ジョン・ゾーンとの共演やフリージャズ界隈で活躍。70年代からニュー・イングランド音楽院で教鞭をとる。79年開始のマイクロトーナル作曲理論による独自の教育で、数多くの音楽家を輩出。演奏家としては90年代に作品が次々とリリース。ヴァイオリン奏者のマット・マネリは息子。

8/15
■松林宗恵(映画監督)島根県江津市
15日、心不全のため東京都内の病院で死去、89歳。
龍谷大学専門部を卒業。日本大学芸術学部に移り、在学中に東宝撮影所の助監部に入る。海軍第三期兵科予備学生となり、44年海軍少尉に任官。戦後復員して東宝に復職。
52年上原謙主演「東京のえくぼ」で監督デビュー。森繁久彌主演「社長シリーズ」をはじめ、喜劇や戦争映画など68本を監督した。8/14

■難波昭二郎(プロ野球巨人、西鉄内野手)大阪府
14日、心不全のため横浜市の病院で死去、74歳。
関西大時代、関西六大学リーグで三塁手として通算8本塁打を放つ。東京六大学で通算8本塁打の立教大・長嶋茂雄と同期で「東の長嶋、西の難波」といわれた。
58年長嶋とともに巨人入団。62年西鉄(現:西武)へ移籍。63年引退。通算179試合、打率.212、7本塁打、25打点。
その後は音楽ソフト制作大手のワーナーパイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)で取締役などを務めた。
8/13
■海老沢泰久(直木賞作家)茨城県
13日、十二指腸癌のため東京都内の病院で1死去、59歳。
国学院大学文学部卒。同大学の折口博士記念古代研究所に勤める。74年「乱」で小説新潮新人賞を受けデビュー。79年ヤクルト監督だった広岡達朗氏をモデルにした小説「監督」が初の単行本。88年ホンダのF1挑戦を扱った「F1地上の夢」で新田次郎文学賞を受ける。全日本F2選手権を題材とした小説「F2グランプリ」、中嶋悟のF1デビュー年を追ったノンフィクション「F1走る魂」など、スポーツライターとして人気を集めた。趣味のゴルフに関する著作も多い。短編小説の評価も高く、94年F1エンジン技術者を描いた短編小説集「帰郷」で直木賞受賞。近年は「青い空」など時代小説も手がけていた。
8/13
■レス・ポール(Les Paulギタリスト)ウィスコンシン州ウォカシャー
13日、肺炎による合併症のためニューヨーク州の病院で死去、94歳。
30年代初期サニー・ジョー&ルバーブレッド(レス・ポールのステージ名)のコンビを結成し、シカゴ中心に人気を得る。33年解散。36年ジム・アトキンスとアーニー・ニュートンとトリオを組み、初のレコードを発表。49−62年まで妻で歌手だったメリー・フォードとデュエットを組み、50年代「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」「バヤ・コン・ディオス」など数々のヒット曲を出した。76年チェット・アトキンスと作成した「チェスター&レスター」で、77年グラミー賞を受賞。計5度グラミー賞を受賞した。88年ロックの殿堂「アーリー・インフルエンス部門」に殿堂入り。 音楽活動のかたわら、41年新しいエレキギター「THE LOG」を作成。52年ギブソン社初のソリッドギター「レス・ポール」を開発し、ジミー・ペイジら著名ギタリストに愛用された。

8/12
■山城新伍(俳優)京都市
12日、糖尿病を患い、1年半ほど前から老人ホームで暮らしていたが、嚥下性障害による肺炎のため東京都町田市の特別養護老人ホームで死去、70歳。
京都府立山城高校卒業後、東映第4期ニューフェースに合格。60年テレビの子供向け時代劇「白馬童子」に主演し、アイドル的存在になった。「仁義なき戦い」などの映画に出演する一方、70年代半ばから「独占!男の時間」「クイズ 世界はSHOW BY ショーバイ!!」などのTVバラエティー番組に登場、軽妙なトークと歯にきぬ着せぬ発言で人気が再燃。「チョメチョメ」は流行語になった。監督としては、にっかつロマンポルノ「女猫」「双子座の女」のほか、「せんせい」「やくざ道入門」「本日またまた休診なり」などの作品がある。
私生活では女優の花園ひろみとの結婚と離婚を繰り返した。
8/11
■ユニス・ケネディ・シュライバー(故ケネディ米大統領の妹)マサチューセッツ
11日、マサチューセッツ州内の病院で死去、88歳。
知的障害者のスポーツ大会「スペシャルオリンピックス」(SO)創設者にケネディ家9人兄妹の3女。43年スタンフォード大を卒業。民主党の政治家となったサージェント・シュライーバーと結婚。夫は72年大統領選で副大統領候補に指名されたこともある。姉ローズマリーが知的障害者だったこともあり、62年自宅の庭を開放して35人の知的発達障害者らを招いてデイキャンプを実施。これがきっかけとなり、68年知的障害者のスポーツ祭典「スペシャルオリンピックス」を創設。88年国際オリンピック委員会(IOC)とオリンピックの名称使用について認める議定書を交わす。現在、ユニスの息子ティモシー・ペリー・シュライバーが会長を務める。エドワード・ケネディ上院議員の姉カリフォルニア州のシュワルツェネッガー知事の妻マリア・シュライバーさんの母。夫のサージェント・シュライバーは元駐仏大使で、72年の大統領選で民主党の副大統領候補だった。
7/28
■川村カオリ(歌手)モスクワ
28日、乳癌の再発で闘病中し東京都内の病院で死去、38歳。
父は日本人、母はロシア人。11歳でモスクワから千葉県に移住。英国四天王寺学園(四天王寺大学)高等部卒業。
88年辻仁成プロデュースで「川村かおり」名でシングル「ZOO」および同名アルバムでデビュー。90年「神様が降りてくる夜」が「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のテーマ曲となりヒット。91年「翼をください」がヒットし、映画「東京の休日」で主演を務める。92年エッセイ集「volume―僕の手の中」を発表。
93年活動休止し、ニューヨーク等で生活。95年シングル「Big Beat」を発表。96年のテレビドラマ「新宿鮫」に出演。97年「新宿鮫・毒猿」に出演。98年ソロプロジェクト「SORROW」を開始し、クラブイベントでのDJとしても活動する。このころ「川村カオリ」に改名。99年「SOBUT」ギタリストのMOTOAKIと結婚、一子をもうける。01年ドキュメンタリー映画「696 TRAVELING HIGH」を発表。
04年乳癌が発覚。治療で左胸を失う。05年に芸能活動を再開するが、07年「SORROW」の活動休止を発表。MOTOAKIと離婚。08年癌再発を発表。09年13年ぶりのフルアルバム「K」を発売。
7/27
■ジョージ・ラッセル(George Russell米ジャズ作曲家)オハイオ州シンシナティ
27日、アルツハイマー病が悪化していたが、マサチューセッツ州ボストンで死去、86歳。
ボーイスカウトでドラム演奏に目覚める。ウィルバーフォース大学に進学後、OBのべニー・カーターのグループに起用され44年ニューヨーク進出。ドラマーから作曲・編曲へと転向。ギル・エヴァンやマイルス・デイビススらと交流を深め、ポスト・ビバップの音楽を創造。47年初のラテン・リズムとジャズの融合「Cubano Be / Cubano Bop」で作・編曲を担当し、注目を浴びた。53年「リディアン・クロマティック・コンセプト・オブ・トーナル・オーガニゼーション」を発表。50年代半ば6人編成のグループを結成し、「The Jazz Workshop」「New York, New York」などの問題作を発表。64年スカンジナビア半島に渡り、ノルウェーやスウェーデンで活動。69年帰国し、ニュー・イングランド・コンサーヴァトリーのジャズ科で教鞭をとり、14人編成のビッグバンドを結成する。

7/26
■山田辰夫(俳優)富山市
26日、胃癌のため東京都あきる野市の病院で死去、53歳。
富山県立高岡商業高等学校卒業。75年劇団「GAYA」創立に参加。80年石井聰亙監督「狂い咲きサンダーロード」に主演し映画デビュー。同作品で日本アカデミー賞・報知映画賞・ヨコハマ映画祭の各新人賞を受賞。84年大森一樹監督「すかんぴんウォーク」で大阪映画祭最優秀助演男優賞を受賞。その後「植村直己物語」横浜BJブルース」「オン・ザ・ロード」「凶弾」などに100本以上の映画に出演した。このほか映画は若松節朗監督「ホワイトアウト」、滝田洋二郎監督「壬生義士伝」「陰陽師」、大林宣彦監督「理由」など、テレビは「教師夏休み物語」「あぶない刑事」「必殺仕事人2009」などに出演した。 
7/21
■ハインズ・エデルマン(独デザイナー)チェコスロバキア
21日、シュツットガルトで死去、75歳。
デュッセルドルの美術学校で学び、58年フリーのデザイナーとして独立。68年ジョージ・ダニング監督、ビートルズの「イエローサブマリン」のアート・ディレクターを務める。
70年まで同地で映画のほか広告ポスター、本の装丁などを手がけた。86−96年までシュツットガルトの美術アカデミー教授としてイラストレーションを教える。その後、オランダに移住。
7/19
■ゴードン・ウォーラー(歌手)英スコットランド
19日、死去、64歳。
63年ピーター・アッシャーと英ポップデュオ「ピーター&ゴードン」を結成。ピーターの妹で女優のジェーン・アッシャーがポール・マッカートニーと交際したことで、マッカートニーの未発表曲を入手し、64年「愛なき世界」(A World Without Love)が全米1位のヒットを記録する。このほか数曲の提供を受ける。主なヒット曲に「Nobody I Know」「True Love Ways」「I Go To Pieces」など。68年頃まで活動し解散。ソロとして活動を継続するがヒット曲には恵まれなかった。
7/19
■フランク・マコート(米ピュリツァー賞作家)ニューヨーク
19日、悪性黒色腫のためニューヨークの医療機関で死去、78歳。
4歳で両親の郷里アイルランドに戻り、リムリックで幼少期を過ごす。父が出奔し、貧困のなかで7人兄弟の内3人が死んだ。49年米国に渡り、ホテルや港湾労働者などとして働く。米軍に入隊し3年間南ドイツの米軍基地で勤務。その間タイピストとしての訓練を受け、退役後はニューヨーク大学で学び、高校の英語教師として30年近く勤めた。
96年子供時代の記憶を綴った物語「アンジェラの灰」でピューリッツァー賞とナショナルブックアウォードを受賞。、アラン・パーカー監督により映画化された。続編「アンジェラの祈り」も出版。ゲイの権利についての擁護者でもある。弟マラキ・マコートも著述家として活躍している。
7/17
■ウォルター・クロンカイト(元キャスター)ミズーリ州
17日、脳血管障害のためニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去、92歳。
テキサス大学を中退。地方紙勤務を経て、37年UP通信の記者となり、第2次大戦の欧州戦線を取材した。
50年CBS入社。62年からイブニング・ニュースのキャスターとしてケネディ大統領暗殺、ベトナム戦争、公民権運動、ウォーターゲート事件などを伝え、TVニュース台頭期にキャスター(アンカー)という地位を確立させた。69年アポロ11号月面初着陸では27時間半中継の実況を務める。72年世論調査ではニクソン大統領(当時)らをしのぎ「米国で最も信頼されている男」とされ、「アメリカの良心」とも呼ばれた。80年同番組からの降板を発表し、約1年後の81年降板した。エンディングの「And that's the way it is.(今日はこんなところです)」は名セリフとして知られ、筑紫哲也がこれを真似た。
7/9
■平岡正明(評論家)東京都文京区
9日、脳梗塞のため横浜市の病院で死去、68歳。
早稲田大学露文在学中にブント一員として60年安保闘争に参加し、大学中退。政治結社「犯罪者同盟」を結成し、63年同盟機関誌の単行本「赤い風船あるいは牝狼の夜」を刊行。64年「韃靼人宣言」を刊行し、評論家デビュー
67年著書「ジャズ宣言」からジャズ評論の分野にも進出。70年ごろから太田竜や竹中労らと世界革命浪人(ゲバリスタ)を名乗り、新左翼系文化人として注目を集めた。79年著書「山口百恵は菩薩である」が話題になる。90年「大歌謡論」で大衆文学研究賞、93年「浪曲的」で斎藤緑雨賞を受賞。近年は落語論も手がけた。横浜・野毛を活動の拠点に、大道芸や寄席の企画にもかかわった。 ジャズや歌謡曲などの音楽、映画、文学と幅広い分野で評論活動を展開した。主な他の著書に「筒井康隆はこう読め」「マイルス・デヴィスの芸術」「シュルレアリスム落語宣言」など。 
7/8
■小泉 時(小泉八雲の孫、随筆家)東京都
8日、敗血症のため死去、84歳。
小泉八雲の長男である一雄の長男。官立無線電信講習所(現:国立電気通信大学)を卒業。山下汽船、三井船舶、GHQに勤務。
52年在日米軍司令部報道部に転職。退職後、八雲に関する資料整理や執筆を手がけた。著書に「へるんと私」など。
7/7
■勝野七奈美(ジュエリーデザイナー、元モデル)東京都
7日、今年2月から闘病生活を送っていたが、肺癌のため東京都内の病院で死去、29歳。
俳優・勝野洋とタレント・キャシー中島の長女。08年11月ヒップホップダンサーと結婚。妹の勝野雅奈恵は女優でフラダンサー、弟の勝野洋輔は俳優。
7/6
■ロバート・マクナマラ(元国防長官)カリフォルニア州サンフランシスコ
6日、死去、93歳。
37年カリフォルニア大学バークレー校で経済学専攻。39年ハーバード大学ビジネススクールでMBA取得。企業に勤めたのち40年ハーバード大学で教鞭をとる。43年陸軍航空隊に入隊。対日戦略爆撃にB-29の大量投入を提案するが、東京大空襲の無差別爆撃では上官に抗議。46年経営難だった世界第2位の自動車会社フォード・モータース入社。60年フォード家以外から初めて社長就任。その5週間後、61年44歳で国防長官としてジョン・F・ケネディ政権に入る。国防情報局(DIA)と国防調達庁(DSA)を設立。ケネディ、ジョンソン両政権で国防長官を務めた。ベトナム戦争を独自の分析や計画立案によって指揮し、「マクナマラの戦争」とも呼ばれた。68年戦局の悪化、ジョンソン大統領との軋轢により辞任。その後68年-81年まで世界銀行総裁を務める。95年回顧録を出版し、自らが泥沼化のきっかけをつくったベトナム戦争は間違いだったと指摘し、大きな反響を呼んだ。03年長時間インタビュー「フォッグ・オブ・ウォー」がアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を受賞。
7/6
■マシュー・モンクール(仏テニス選手)
6日、パリの自宅マンションで死去、24歳。
世界ランキング119位だった。09年全仏オープンの男子シングルスでは2回戦で敗退。
05年36の大会で他人の試合に192ドル(約1万9200円)を賭けた罪で、5週間の出場停止と1万2000ドルの罰金を受けることになった。出場停止は今年7月6日からスタートだった。
7/3
■宮脇白夜(俳人)広島
3日、肺炎のため死去、83歳。
50年慶応義塾大学経済学部卒業。46年中村草田男主宰の「万緑」に入会。慶大俳句研究会に入会。大患のため長期中断。66年「万緑」復帰。新人賞、万緑賞を受ける。90年「万緑」編集長となる。91年「万緑」を退会し、「方舟」を創刊する。慶大俳句丘の会会長。著書に「中村草田男論 詩作と求道」、句集に「寝園」「天使」「魚紋」など。60−85年の約25年間ニッポン放送、フジテレビに勤務した。
7/1
■矢尾板賢吉(漫画家)東京都
5日、胃癌のため死去、69歳。
日本美術学校油絵科卒。湾岸戦争など社会問題を題材に一コママンガを多数手がけた。97年森田拳次さんらと結成したマンガ家集団「JAPUNCH(ジャパンチ)」で文化庁メディア芸術祭・マンガ部門優秀賞などを受賞。このほか 読売国際漫画大賞(近藤日出造賞)、中日漫画大賞などを受賞。
7/4
■アレン・クライン(音楽マネジャー)米ニュージャージー州ニューワク
4日、米ニューヨークの自宅で死去、77歳。アルツハイマー病を患っていた。
ビートルズやローリング・ストーンズの元マネジャー。アップセイラ大学卒業。会計士としての知識を生かして著名なアーティストと契約を結ぶことで音楽界に参入。最初は英国の新興グループをマネージメントしていたが、。65年ストーンズのマネージャーとなる。70年ストーンズの契約を解除される。ストーンズから訴訟され、72年示談となる。
69年ビートルズのマネージメントを始める。この契約も後に訴訟に発展。ファンからは、ビートルズ解散の原因となったとの批判もある。60年代のポップス業界に大きな影響を与えたが、強引なビジネス手法でも知られた。
7/1
■カール・マルデン(米俳優)イリノイ州シカゴ
1日、ロサンゼルスの自宅で死去、97歳。就寝中に亡くなった。
父親はセルビア系で、母親はチェコ系。38年ニューヨークで舞台俳優としてデビュー。40年映画に初出演。第2次世界大戦では米陸軍に入隊。51年エリア・カザン監督の映画「欲望という名の電車」でマーロン・ブランドと共演し、米アカデミー賞助演男優賞を受賞。54年「波止場」で同助演男優賞にノミネートされた。89−92年アカデミー賞を主催する米映画芸術科学アカデミーの会長を務めた。他の代表作に47年「死の接吻」、70年「パットン大戦車軍団」、83年「スティング2」など。
6/30
■時佩璞(京劇俳優、スパイ)
30日、パリの自宅で6月死去、70歳。
フランスの外交機密を盗んだ中国人スパイ。64年北京の仏大使館勤務だった外交官ベルナール・ブルシコ(Bernard Bouriscot)と出会い、女性と思わせて愛人関係に持ち込む。65年子供が生まれたと信じ込ませるなどして、外交機密文書を流させ続けた。83年パリでブルシコとともに逮捕。男だったとが判明。86年有罪判決を受ける。87年ミッテラン大統領(当時)によって恩赦された。88年トニー賞を受賞したデイヴィット・ヘンリー・ファン(David Henry Hwang)の戯曲や92年デビッド・クローネンバーグ(David Paul Cronenberg)監督による映画「エム・バタフライ」の題材となったことでも知られる。
6/28
■トム・ウィルクス(米アートディレクター)リフォルニア州ロングビーチ
28日、長年にわたり筋萎縮性側索硬化症で闘病生活を送っていたが、心臓発作のためカリフォルニア州パイオニアタウンの病院で死去、69歳。
UCLAなどでデザインを学ぶ。ストーンズをはじめジャニス・ジョプリン、ジョー・コカージョージ・ハリスン、エリック・クラプトンらのアルバム・ジャケットのデザインで知られる。このほか67-69年までモントレー・ロック・フェスティバルのポスターデザインを手がけた。74年ロンドウ交響楽団のレコードジャケットでグラミー賞を受賞。
6/25
■マイケル・ジャクソン(米ポップ歌手)年インディアナ州ゲーリー
25日、ロサンゼルスのカリフォルニア大ロサンゼルス校付属病院に救急搬送され死去、50歳。救急隊が自宅に到着した際、呼吸をしていない状態だった。
10人兄弟姉妹の8番目。兄弟5人で「ジャクソン・ファイブ」を結成し、69年リードボーカルとして「帰ってほしいの(I want you back)」でメジャーデビュー。71年シングル「Got To Be There」でソロデビュー。その後、ソロ活動を始め80年代以降、大ヒットを連発し世界的スターとなった。「King of Pop」と称された。82年アルバム「スリラー (Thriller)」は1億400万枚の世界最高枚数の売り上げ記録。2006年10月末現在でアルバム、シングル、ビデオの世界総売上げは7億5000万枚以上。私生活では94年エルビス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーと結婚したが、96年に離婚。同年に再婚したが約3年で破局した。3人の子供がいる。03年カリフォルニア州サンタバーバラ郊外の邸宅「ネバーランド」で、少年への性的虐待容疑で逮捕され、05年無罪評決を勝ち取った。
6/25
■ファラ・フォーセット(米女優)テキサス州コープス・クリスティ
25日、ロサンゼルス郊外サンタモニカの病院で死去、62歳。06年肛門癌と診断され、闘病生活を送っていた。97年には肝臓への癌転移が見つかっていた。
60年代後半からコマーシャルやテレビ番組にゲスト出演。69年クロード・ルルーシュ監督「あの愛をふたたび」で映画デビュー。76年TVドラマシリーズ「チャーリーズ・エンジェル」に女性探偵3人の一員として出演し人気を得る。84年のTV映画「The Burning Bed」虐待される妻役を演じ、エミー賞3部門にノミネート。86年レイプ被害者を演じた映画「レイプ・殺意のエンジェル (別題「リベンジャー・殺意の女」)」が評価される。89年TVシリーズ「Small Sacrifices」でエミー賞ノミネート。04年「The Guardian」でエミー賞ノミネート。95年発行のプレイボーイ誌でヌードを披露し、同号は世界で4000万部を売り上げた。00年映画「Dr.Tと女たち」でフルヌードを披露している。私生活では、73年リー・メジャースと結婚。芸名もファラ・フォーセット・メジャース(Farrah Fawcett-Majors)としたが、79年別居し82年離婚。80年からライアン・オニールと同棲し、85年息子レドモンドが誕生。結婚しないまま17年同棲生活を送りいったん破局。その後も友人関係を続け、最近になって結婚することが明らかになったばかりだった。
6/23
■砂守勝巳(写真家)沖縄本島
23日、胃癌で2死去、57歳。
奄美大島で少年時代を送り、15歳で大阪へ。プロ・ボクサーを経て、75年大阪写真専門学院卒業。写真家となる。
84年大阪・釜ヶ崎のドキュメント・フォト集「大阪流転 」で月刊プレイボーイ誌ドキュメント・ファイル大賞奨励賞を受賞。96年写真集「漂う島 とまる水」で土門拳賞及び日本写真協会新人賞を受賞。著書に「オキナワ紀聞」「沖縄シャウト」「カマ・ティダ――大阪西成」など。
6/22
■金子きみ(作家、歌人)北海道湧別町
23日、肺炎のため奈良県大和郡山市内の病院で死去、94歳。
上芭露小学校を卒業し農業に従事。自由律の新短歌をつくり、17歳で歌集「草」を刊行。戦後、長編小説「裏山」で懸賞小説に当選。
81年論文「一粒の自負」が宇都宮軍縮研究室募集の「軍縮への提言」で一席に。83年小説「東京のロビンソン」で平林たい子文学賞を受賞。このほか北海道開拓農家をテーマにした小説も発表した。自由律短歌の歌人としても知られる。著書に「東京のロビンソン」「わたしの骨にとまる蝶」、歌集「草の分際」など。
6/22
■眞木 準(コピーライター)愛知県知多市
22日、急性心筋梗塞のため東京都渋谷区の病院で死去、60歳。
慶應義塾大学経済学部を卒業。71年博報堂に入社。制作室クリエイティブチームで、全日空やソニー、サントリー、キヤノンなどの広告コピーを担当した。
83年に独立し、眞木準企画室を主宰。伊勢丹や資生堂、三陽商会などの企業、雑誌「AERA」や政党の「新生党」のネーミングなどを手掛けた。98年から朝日広告賞審査委員を務めた。TCCクラブ賞やADC最高賞、朝日広告賞など受賞。代表作に「でっかいどお。北海道」(全日空)、「カンビールの空カンと破れた恋は、お近くの屑カゴへ。」(サントリー)など。著書に「一語一絵」「ひとつ上のプレゼン。」「胸からジャック。」「広告制作にかかわる仕事」などがある。
6/14
■長谷部安春(映画監督)年東京都
14日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去、77歳。
早稲田大学仏文科卒業。松浦健郎に師事し、雑誌編集者を経て58年日活入社。66年「俺にさわると危ないぜ」で監督デビュー。「野良猫ロック」シリーズなどで、澤田幸弘や小澤啓一とともに「日活ニューアクション」路線を支える。80年独立し、87年映画「あぶない刑事」ほかテレビドラマ「相棒」などを手掛けた。

6/16
■チャーリー・マリアーノ(米ジャズ・サキソフォン奏者)マサチューセッツ州ボストン
16日、ドイツのホスピスで死去、85歳。
アルト・サックスの巨匠。スタン・ケントン楽団、シェリー・マンらと共演。秋吉敏子と出会い結婚(のち離婚)し、カルテットを結成した。2年間の日本滞在で渡辺貞夫らに影響を与えた。代表作に「チャーリー・マリアーノ・プレイズ」など。

6/14
■ボブ・ボーグル(ベーシスト)米オクラホマ州ワグナー
14日、死去、75歳。
妻は93年に結婚した日本人女性。現役最長ロックバンド「ザ・ベンチャーズ」のオリジナルメンバーでベーシスト。
少年期に家族でウェストコーストに移住。レンガ職人などの職業をへて、59年中古車販売をしていたギタリストのドン・ウィルソンと出会い、ベンチャーズ結成。ドラムにホーウィー・ジョンソン、ベースにノーキー・エドワーズを迎え4人のバンドに発展。その後ホーウィー・ジョンソンが交通事故で脱退、メル・テイラーに交代した。西海岸のサーフィン・サウンドの元祖となり、日本のエレキブームに大きな影響をあたえた。05年1月の日本公演以降、腰痛が悪化しライブ活動が困難になった。バンドは結成50周年を迎え、あす17日EMIミュージックからアルバム「ベンチャーズ・プレイ 加山雄三」「ベンチャーズ・プレイ サザンオールスターズ」の発売を控えていた。
6/13
■山下 武(作家、演出家)年東京都
13日、虚血性心疾患のため東京都内で死去、83歳。
落語家・柳家金語楼の長男。日劇の舞台監督やNET(現:テレビ朝日)の演芸番組「大正テレビ寄席」のプロデューサーとディレクターを務めた。椎名麟三に師事し、作家として活動。愛書家で、古書にまつわる著作でも知られた。異母弟にロカビリー歌手の山下敬二郎、異母妹に女優・声優の有崎由見子がいる。

6/13
■三沢光晴(プロレスラー)北海道夕張市
13日、試合中に倒れ心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送され死去、46歳。
広島県立総合体育館で開かれたノア広島大会で、
対戦相手の齋藤彰俊のバックドロップを浴びた際、頭から落ちて動けなくなった。医師だという観客の男性によりリング上でAED(自動体外式除細動器)で蘇生措置を施されたが、病院搬送後に死亡が確認された。
足利工業大学附属高校を卒業。81年全日本プロレスに入門し、越中詩郎を相手にプロレスデビュー。82年プロレス大賞・新人賞獲得。84年メキシコ遠征をへて、2代目タイガーマスクに変身。88年結婚と同時にタイガーマスクの正体を公表する。92年ハンセンの持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦し、第10代王者となる。99年ジャイアント馬場が逝去、ジャンボ鶴田が引退。全日本社長に就任する。00年全日本に退団届を郵送。「株式会社プロレスリング・ノア」を立ち上げる。06年グローバル・レスリング連盟初代会長に就任。新日本プロレスの蝶野正洋、全日本プロレスの武藤敬司とともに、日本の男子プロレス界の頂点に君臨する■
6/11
■純恋(すみれ モデル)岩手県
11日、脳出血のため自宅マンションで死去、21歳。
5月に自身の公式ブログで
たびたび頭痛を訴え、下旬からブログ更新が停滞していた。
今年3月に宮城県仙台市から上京し、ギャル系ファッション雑誌「小悪魔ageha」のモデル活動を本格化させた。6月10日に発売されたGacktのニューシングル「小悪魔ヘヴン」では、荒木さやか、早川沙世ら人気age嬢とともにジャケット撮影に参加していた。
6/10
■ヒューイ・ロング(米ジャズギタリス)テキサス州シーリー
10日、テキサス州ヒューストンの養護施設で死去、
105歳
20年代からバンジョーを演奏、フランク・デイヴィスの「ルイジアナ・バンド」で活躍。35年−45年までリチャード・M・ジョーンズ、エディ・ロックジョウ・デイヴィスらの録音に参加。45年歌手ビル・ケニーに誘われ「ジ・インク・スポッツ」に参加。このほかチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーとの共演。20年代から90年代まで70年以上に渡って演奏活動を続けた

6/7
■ヒュー・ホッパー(英ベーシスト)ケント州カンタベリー
7日、白血病のためケント州で死去、64歳。
64年プログレッシブ系のカンタベリー・ミュージックの原点ともされるバンド「ワイルド・フラワーズ」の創設メンバーとなる。その後68年バンド「ソフトマシーン」の正式メンバーとなりベースを担当。73年「six」発表後に脱退。実験的な初のソロアルバム「1984」を発表。03年元ソフトマシーンのメンバーらと「ソフトワークス」を結成。
6/7
■ケニー・ランキン(米歌手)ューヨーク
7日、肺癌による合併症のためロサンゼルスの病院で死去、69歳。
ボブ・ディランのバックバンドを務める。ジャズからポップスまで幅広くカバーし、自然で優しい歌声が人気だった。代表曲に「ピースフル」「ハブント・ウィ・メット」など。
6/4
■シー・キエン(香港俳優)広東省
4日、死去、96歳。
幼少時から武術を学んだ北派少林拳の達人。39年京劇のメイクアップ師として映画界入り。40年「血海花」で俳優デビュー。以来「黄飛鴻」シリーズや「射?英雄傳」の悪役で、香港映画界に地位を築く。73年「燃えよドラゴン」では敵役の“鉄の爪ハン”を演じ、香港映画史上最凶の悪党としてその名を馳せた。79年「Mr.Boo!ミスター・ブー」では間の抜けた盗賊団の首領を軽妙に演じた。この頃からテレビに活躍の場を映す。93年俳優引退を宣言。
6/4
■永井淳(翻訳家)秋田市
4日、間質性肺炎で死去、74歳。
埼玉大学卒業。編集者を経て翻訳家となる。大久保康雄に師事。アーサー・ヘイリー、スティーヴン・キング、ジェフリー・アーチャー、キンセラなど英語の娯楽作品の翻訳で知られる。
6/4
■デビッド・キャラダイン(米俳優)カリフォルニア
4日、タイ・バンコクのホテルで室内のカーテンのひもで首と性器に黒いロープを巻き付け
自慰行為の最中に死亡。72歳。
ロサンゼルス在住。映画撮影のためバンコクに滞在していた。
1936年州ハリウッド生まれ。サンフランシスコ州立大学でドラマ専攻。60-62年まで海兵隊に所属。連続テレビドラマ「シェーン」に出演。その後70年代にクワイ・チャン・ケイン役で主演を演じた「燃えよ !カンフー」で有名となる(同役は当初ブルース・リーが演じる話もあった)。その後、独自に中国拳法などを学ぶ。クエンティン・タランティーノ監督「キル・ビル」シリーズでビル役を演じた。合計100本以上の作品に出演。父は「駅馬車」に出演した俳優のジョン・キャラダイン。キース・キャラダインおよびロバート・キャラダインとは異母兄弟。
6/3
■ココ・テーラー(米ブルース歌手)テネシー州メンフィス
3日、消化器官治療のため先月手術をし入院中だったがシカゴ市内の病院で死去、80歳。
シカゴ・ブルース界のベテラン女性歌手の一人であり、「クイーン・オブ・ザ・ブルース」の愛称で知られている。
53年トラック運転手のロバート・テイラーと結婚し、シカゴに移住。メイドの傍らクラブで歌手として活動。63年シングル「Honky Tonky」をリリース。64年名門チェスと契約し「Wang Dang Doodle」をリリースし、R&Bチャート4位を記録するヒット。75年チェス倒産。同年シカゴのインディー系ブルース・レーベルのアリゲーター・レコードと契約し、「I Got What It Takes」をリリースした。84年グラミー賞を受賞。
5/31
■ミルヴィーナ・ディーン(客船タイタニック号最後の生存者)ロンドン
31日、英サザンプトンの介護施設で死去、97歳。同地はタイタニック号が出航した港でもある。
米カンザス州に移住し、タバコや経営を志してタイタニック号の3等客室に乗船。同年4月14日のタイタニック号沈没の際、705人の生存者中最も年少の9カ月だった。母親と2歳の兄も救助されニューヨークへ。しかし父親を失った家族は英国に帰国。サザンプトンの小さなオフィスで秘書兼助手を務め、一生独身だった。
5/29
■黒田恭一(音楽評論家)東京都
29日、多臓器不全のため東京都練馬区の病院で死去、71歳。
早稲田大学教育学部卒業。在学中からクラシック音楽評を雑誌などに書いた。99年東京・東急Bunkamuraオーチャードホールのプロデューサーに就任。NHK-FMの「20世紀の名演奏」も担当。著書に「はじめてのクラシック」「オペラへの招待」など。
5/27
■石本美由起(作詞家)広島県大竹
27日、病気のため死去、85歳。幼少期から喘息を患う。
「長崎のザボン売り」という詩を歌謡同人誌に投稿。作曲家江口夜詩の目にとまり、48年小畑実の歌でレコード発売され大ヒット。50年上京し、キングレコード専属の作詞家となる。51年コロムビアレコードに移籍。美空ひばり、島倉千代子、都はるみらの楽曲を作詞し、美空ひばり「ひばりのマドロスさん」「哀愁波止場」「悲しい酒」「人生一路」などが大ヒット。こまどり姉妹のデビュー「浅草姉妹」なども手がけた。
5/26
■栗本薫(作家、評論家。別名:中島梓、本名:今岡純代)東京都葛飾区
26日、膵臓癌のため死去。56歳。
中島梓の筆名で評論などでも活躍した。早稲田大学文学部文芸科を卒業。76年 評論「パロディの起源と進化」で商業誌デビュー。76年栗本名の「都筑道夫の生活と推理」で幻影城新人賞評論部門佳作。77年中島名の「文学の輪郭」で群像新人賞評論部門を受賞した。
78年栗本名の「ぼくらの時代」で江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。TV世代の新しい感覚で描いたミステリーが話題になった。SFファンタジー「グイン・サーガ」は126巻(他に外伝21巻)に及ぶ世界一の長編小説。81年「絃の聖域」で吉川英治文学新人賞を受賞。他に「魔界水滸伝」、伊集院大介シリーズなどがある。
5/26
■マーカ・テンドー(奇術師,本名:藪下隆男)名古屋市
26日、喉頭癌と食道癌を患っていたが呼吸不全のため東京都中野区の病院で死去、49歳。
師匠はMr.マリック。83年イタリア国際奇術大会グランプリ、85年FISMマドリード大会で2位、92年モンテカルロマジック大会グランプリ、98年ベスト・テクニック・マジシャン・オブザイヤーなどを受賞。185cmの長身と甘いマスクで人気を呼んだ。
5/23
■盧武鉉(韓国前大統領ノムヒョン)慶尚南道金海市
23日、韓国南部の慶尚南道金海市郊外の自宅近くの山から転落し死去、62歳。家族あての短い遺書が残されており、
飛び降り自殺を図ったようだ。
66年釜山商業高校卒。68−71年陸軍で兵役に就く。75年司法試験合格。大田地方法院判事をへて、78年弁護士開業。87年統領直接選挙制を求める6月抗争を主導。88年総選挙で当選。92年総選挙で落選。95年釜山市長選で落選。96年総選挙で落選。98年補欠選挙で当選。00年総選挙で落選。
5/22
■三遊亭生之助(落語家)東京都足立区
22日、肝不全のため東京都豊島区の病院で死去、73歳。
出囃子は「いやとび」。59年6代目三遊亭圓生に入門。前座名は六生。62年 二つ目昇進、生之助に改名。73年真打昇進。78年師匠圓生とともに落語協会脱退。80年落語協会復帰。
5/21
■ルーシー・ゴードン(英女優)クスフォード
21日、パリの自宅アパート
で首をつって死去、28歳。自殺とみられる。翌22日は29歳の誕生日だった。
01年「パフューム」でデビュー。などに出演した。05年「ロシアン・ドールズ」や07年「スパイダーマン3」など映画約15本に出演。
最近撮影が終了したフランスの歌手セルジュ・ゲンズブールの生涯を描いた映画「セルジュ・ゲンズブール(英雄的生涯)」にも、元妻の英女優ジェーン・バーキン役で出演していた。
5/19
■太田 竜(評論家、社会運動家)樺太
19日、腹膜炎のため東京都豊島区の病院で死去、78歳。
東京理科大学中退。45年日本青年共産同盟(のち日本民主青年同盟)に加盟。47年日本共産党党員となるが、53年離党。57年黒田寛一らとともに革命的共産主義者同盟(革共同)を結成する。58年革共同から分裂し、トロツキスト同志会(トロ同)を結成。同年12月国際主義共産党(ICP)へと発展解消。60年ICPから「非組織的な挑発者」として除名されが、63年に再び「指導者」として迎え入れられる。その後、日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)委員長を務めた。70年はじめからアイヌ解放やエコロジーなど独自の社会運動や評論活動を続けた。86年参院選で日本みどりの連合公認で比例区から出馬するが落選。87年東京都知事選で落選。90年総選挙で東京1区から立候補し落選。93年総選挙で東京5区から立候補し落選。
5/18
■ダラー(米ラッパー)ジョージア州アトランタ
18日、米ロサンゼルスのショッピングモール付近で銃撃を受けて死去、21歳。
友人のショッピングに来ていたところ、
2人組とトラブルになり、頭を撃たれた。逃走した容疑者は逮捕され、取り調べを受けている。
1ラッパーとして同地を中心に活動。03年所属グループ「Da Razkalz Cru」がシングル「So Fly」をリリース。06年映画「Step Up」のサントラにソロ曲「Feelin' Myself」を提供し、広く世間に知られる。07年シングル「Who the Fuck Is That?」を発表。デビュー・アルバム「Dollar And A Dream」の発売に向け、レコーディングの最中だった。
5/17
■頼近美津子(元アナウンサー)広島市
17日、心不全のため千葉県柏市の病院で死去、53歳。
父親は広島市の日米合同研究施設「原爆傷害調査委員会(通称:ABCC)」(現:放射線影響研究所)に勤務した日系アメリカ人2世。
東京外国語大学卒業。78年NHK入局。ニュース番組のキャスターなどを務めた。81年フジテレビに移籍し「小川宏ショー」などに出演。
84年フジテレビ副社長(当時)の鹿内春雄と結婚、引退。88年夫と死別。90年2人の息子と渡米し、米ワシントンD.C.に居住。93年NHKの音楽番組司会者として復帰。クラシックコンサートの司会も務めた。96年NHK大河ドラマ「秀吉」に出演。
5/15
■ウェイマン・ティスデイル(米NBLバスケットボール選手,ジャズ・ベーシスト)テキサス州フォートウァース
15日、癌のため死去、44歳。
オクラホマ大学でバスケットボール選手として活躍。背番号23が永久欠番。84年ロサンゼルス五輪でマイケル・ジョーダンらとともにバスケットボール金メダル獲得。85年ペイサーズにドラフト2位指名を受け、NBA入り。その後キングス、サンズで活躍。97年サンズでのプレーオフ1stラウンド敗退を最後に引退。NBA引退により、よりベーシストとしての活動が本格化させる。スムース・ジャズ系のベーシストとして複数のソロアルバムをリリース。07年癌のため右足切断。
5/14
■バディー・モンゴメリー(米ジャズ・ビブラフォニスト、ピアニスト)インディアナポリス
14日、心臓発作のためカリフォルニア州パームでイルの自宅で死去、79歳。
モンゴメリー3兄弟の末弟。48年からプロとして活動。49年ブルースシンガーのビッグ・ジョー・ジョーターナーとともに活動。その後次兄モンクとバディで活動していたが、60年長兄でギタリストのウェスが参加。モンゴメリ−・ブラザ−ズとして約3年の活動をした。68年ウェス死去。69年ミルウォーキーに転居しジャズを教える。82年オークランドに転居。

5/13
■フランク・アレッター(米俳優)ニューヨーク
13日、癌のためロサンゼルス郊外の自宅で死去、83歳。
50年代に「ベルズ・アー・リンギング」などのブロードウェー・ミュージカルで人気を博す。60年代以降はテレビのコメディー番組を中心に活躍。70年映画「トラ・トラ・トラ!」などの映画にも出演した。
5/12
■ロジェ・プランション(仏俳優で映画監督)フランス中部サンシャモン
12日、心臓疾患のためパリで死去、77歳。
50年代から脚本家・演出家として活躍。57年ビルバンに国立大衆劇場を設立し、モリエール、ラシーヌ、イヨネスコらの作品を上演する。一方で、78年アリアーヌ・ムヌーシュキン監督の映画「モリエール」、82年アンジェイ・ワイダ監督の映画「ダントン」に出演。映画監督としても知られ、主な監督作品に93年「ルイ、少年王」、98年「葡萄酒色の人生 ロートレック」など。
5/11
■三木たかし(作曲家)東京都
11日、06年咽頭癌の手術で声帯の半分を切除していたが、岡山県内の病院で死去、64歳。
独学で作曲を学び、60年代に作曲家デビュー。77年石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」が大ヒット。その後作詞家荒木とよひさとのコンビで、テレサ・テン「愛人」「時の流れに身をまかせ」、坂本冬美「夜桜お七」などを作曲。映画や舞台の音楽にも積極的に取り組み、91年「李香蘭」、01年「異国の丘」など、劇団四季の舞台音楽を多数担当した。人気アニメ「アンパンマン」のテーマソングも手掛けた。05年紫綬褒章受章。代表曲は、ほかに「めだかの兄妹」「追憶」「夜桜お七」など。日本作曲家協会理事長を務めていた。歌手の黛ジュンは妹。
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■ジェイムズ・カーカップ(英詩人)サウス・シールズ
10日、アンドラで死去、91歳。
ダーハム大学で学ぶ。47年処女詩集「he Drowned Sailor」を出版。のちに東北大学、日本女子大学、名古屋大学などで教壇に立った。
英語俳句を手がけ、「日本人と英米人」など著書も多い。
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■大原まゆ(作家)北海道
9日、乳癌のため札幌市の病院で死去、26歳。
札幌市教委に勤務していた03年21歳で乳癌が見つかる。翌年闘病生活をつづったブログを開設。闘病体験を基に癌検診の重要性を訴えた。
05年闘病記「おっぱいの詩」を出版。07年「Mayu(まゆ)-ココロの星-」として映画化。06年再発、その後も治療のかたわら講演活動など、乳癌撲滅を訴えるピンクリボン運動を続けた。
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■藤沢秀行(囲碁棋士,名誉棋聖)横浜
8日、誤嚥性肺炎のため東京都内の病院で死去、83歳。
34年日本棋院の院生となる。福田正義門下。40年初段。豪快、華麗な棋風で頭角を現した。48年青年選手権優勝。山部俊郎、梶原武雄とともに「戦後三羽烏」「アプレゲール三羽烏」と称された。77年 第1期棋聖戦で初代棋聖位を獲得。以後6連覇により名誉棋聖の称号を得る。タイトル獲得・棋戦優勝は計23。98年10月13日引退。通算成績1509局852勝649敗8持碁。藤沢一就は実子、また藤沢朋斎は年上ながら甥。研究会「秀行塾」は有名で、藤沢門下に天野雅文、高尾紳路、森田道博、三村智保、倉橋正行らがいる。
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■宮 操子(現代舞踊家)岩手県盛岡市
7日、肺炎のため東京都目黒区の病院で死去、102歳。
高田雅夫に師事。31年夫の江口隆哉とともにドイツ留学し、ウィグマン舞踏学校でモダンダンスを学ぶ。
帰国後、江口・宮舞踊研究所を設立し、洋舞界に新風をもたらす。50年芸術祭に参加し、作品「プロメテの火」が文部大臣賞受賞。翌年舞踊理論について文部大臣賞を受賞。学校教育に創作舞踊を導入し貢献する。日大芸術科講師を経て現在に至る。■
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■ドナルド“イアン”エヴァンス(ベーシスト)
6日、08年に癌と診断され闘病生活を続けていたが米ミシシッピー州コロンバスの自宅で死去、48歳。
1960年ジョージア州アトランタ生まれ。スタジオ・ミュージシャンなどを経て、01年レオン・ウィルクソンの死を受けサザン・ロックの代表的バンド「レーナード・スキナード」のベーシストとして加入。同バンドは77年全盛期のツアー中に飛行機の燃料切れで墜落、主要メンバーを含む4人が死亡する惨事に見舞われたが、87年再結成し活動を続けている。
また自身でバンド「NOON(ヌーン)」を作りギターやボーカルなどを担当していた
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■宮腰太郎(放送作家)東京
6日、気管支肺炎のため東京都町田市の病院で死去、81歳。
東京教育大学文学部中退。編集者、映画脚本家、コピーライターなどを経て、フリーライターに。79年から約30年間にわたり、ラジオの長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の構成などを担当した。・滋養豊富・元気の素 小沢昭一的こころ (新潮文庫)
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■やまだ紫(漫画家,京都精華大教授)東京都
5日、京都市左京区の病院で死去、60歳。
66年私立富士見ヶ丘(現:学園)高校を卒業。詩の同人会「しちにん」に参加。67年デザイン事務所に勤めながら、虫プロ商事(手塚治虫主宰)の漫画雑誌『COM』へ漫画作品の投稿を始める。69年「COM」誌上でデビュー。「COM」廃刊後、71年「ガロ」(青林堂発行の漫画誌)に発表の場を移す。80年代から女性詩人・吉原幸子主宰の「現代詩ラ・メール」に詩画連載。「樹のうえで猫がみている」を発表し、詩壇からも注目された。また詩人の井坂洋子と合作『夢の迷子たち』などを刊行し、高い評価を受ける。代表作は「性悪猫」「しんきらり」など。89年参院選に「ちきゅうクラブ」から立候補した。夫は元「ガロ」副編集長の白取千夏雄。
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■高 英男(歌手、俳優)樺太
4日、肺炎のため千葉市の病院で死去、90歳。
11歳で勉学のために単身上京。中学卒業後、武蔵野音楽学校へ進学。1年後日本大学へ転学。42年卒業。この間の36年初舞台でソロ3曲を歌う。コーラスグループ「コーロエーコー」に入団。
51年渡仏、ソルボンヌ大学に学ぶ。翌年帰国し「枯葉」でレコードデビュー。日本人男性初のシャンソン歌手といわれた。「雪の降る町を」などをヒットさせ、シャンソンを大衆音楽として定着させた。58年再びパリへ。その後73年頃まではパリと日本を行き来する。91年日本シャンソン協会設立時に淡谷のり子と共に名誉顧問就任。92年フランス文化勲章シュバリエ章受章。95年勲四等旭日小綬章受章。
5/3
■中村テル(日本山岳会名誉会員)北海道
3日、老衰のため死去、
104歳
桜井女塾を卒業後、商事会社に就職。10代から本格的な登山を始めた。27年女性初の冬季富士山登頂に成功。61年ニュージーランドに日本女子親善隊を率いた。
88年日本山岳会婦人部インドヒマラヤ・マウントシーヴァ遠征隊参加。女性登山者の草分けである。
5/2
■マリリン・フレンチ(米作家)ニューヨーク
2日、ニューヨーク市の病院で心臓疾患のためのため死去、79歳。
ホフストラ大学に通うが、50年結婚で中退(67年離婚)。72年ハーバード大学で博士号取得、その後ホフストら大学で教鞭をとる。
フェミニズムの小説家として知られ、同時代の個性あふれる女たちを描いた。主な著作に「背く女」や「ブリーディング・ハート」など。
5/2
■忌野清志郎(ロックシンガー)東京都中野区
2日、癌性リンパ管症のため東京都内の病院で死去、58歳。
都立日野高等学校を卒業。70年アコースティック編成のバンド「RCサクセション」でデビュー。シングルデビュー曲は「宝くじは買わない」。その後R&Bの色合いを強め「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」「スローバラード」などがヒット。85年RCサクセションとして独立事務所「うむ」を設立。87年初のソロアルバム「RAZOR SHARP」をリリース。
91年RC無期限活動休止し、個人事務所「ベイビィズ」を設立。93年プライベートスタジオ「ロックンロール研究所」を設立した。
95年映画「119」の音楽担当として日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。同年インディーズレーベル「SWIM RECORDS」設立。
その活動は「キング・オブ・ロック」の称号で讃えられた。音楽活動のほか、俳優活動、絵本の執筆など活動は多岐に渡る。自転車愛好家としても知られた。
反原発の楽曲を含むアルバム「カバーズ」、パンク風に編曲した「君が代」を収録したアルバム「冬の十字架」がともに発売中止になり物議を醸す。「北朝鮮に行きたい」と歌うなど、社会問題を果敢に曲に取り込むことでも知られた。しかし、運動の象徴となることは拒否してきた。
06年喉頭癌治療のための休業宣言、その後復活ライブ。08年左腸骨への転移が見つかり、ライブ活動をキャンセルし通院治療していた。
4/29
■久保田進(吉本興業タレント)香川県
29日、肝不全のため神戸市の病院で死去、68歳。
62年なんば花月でデビュー、72年上純一、北海太郎と「トリオ・ザ・ミミック」を結成。94年9吉本興業に移籍し、上純一と漫才コンビ「サウンドコピー」として活動してきた。
4/22
■粟津 潔(グラフィックデザイナー)東京都目黒区
28日、肺炎のため川崎市の病院で死去、80歳。
法政大学専門部中退。独学で絵画・デザインを学ぶ。54年独立映画社宣伝部の嘱託となり、チラシやポスターの制作に携わる。
55年漁民による米軍基地反対をテーマとしたポスター「海を返せ」で日本宣伝美術会賞を受賞。以後、映画や演劇のポスターを数多く制作。60年新陳代謝する都市像を提唱する「メタボリズム」を建築家たちと結成。大阪万博、つくば科学博などの基本設計を担当した。69年「心中天網島」の映画美術が伊藤熹朔賞。70年ワルシャワ国際ポスタービエンナーレで「心中天網島」「ANTI WAR」が銀賞・特別賞。73年「装幀コンクール」で通産大臣賞。寺山修司監督「田園に死す」の美術を担当。80年篠田正浩監督「夜叉ヶ池」の美術で日本アカデミー賞受賞。90年紫綬褒章。武蔵野美大助教授、京都造形芸大教授などを歴任。著書に「デザインの発見」など。
4/25
■ベアトリス・アーサー(米女優)ニューヨーク
25日、ロサンゼルスの自宅死去、86歳。
40年代後半から舞台やテレビを中心に活躍。66年ブロードウェーミュージカル「メイム」でトニー賞を受賞。4人の中高年女性の日常生活を描いた人気コメディードラマ「ザ・ゴールデン・ガールズ」(85-92年)などでエミー賞獲得。
4/23
■中丸忠雄(俳優)東京都足立区
23日、胸部動脈瘤破裂で死去、76歳。
53年東京芸術大学洋画科を中退。55年「東宝ニューフェース」に合格。同年「ゴジラの逆襲」などに端役で出演し、57年「別れの茶摘歌姉妹編 お姉さんと呼んだ人」で本格デビュー。59年岡本喜八監督「独立愚連隊」で注目を浴びる。主な出演映画に映画「独立愚連隊」「電送人間」「日本のいちばん長い日」など。68年東宝を退社し、その後は主にテレビや舞台で活動。ドラマ「キイハンター」「Gメン'75」などに出演した。
■ケン・アナキン(英映画監督)英ヨークシャー州ビヴァリ
22日、2月に心臓発作と脳卒中で倒れ米ロサンゼルス・ビバリーヒルズの自宅で死去、94歳。
ドキュメンタリー制作経験を経て、47年にランク・オーガニゼイションで監督デビュー。ゲインズボロー・ピクチャーズへ移籍し、「ザ・ハジェッツ」シリーズを監督。ディズニー映画シリーズ「ロビン・フッド」「剣と薔薇」「南海漂流」なども手がけた。米プロデューサーのダリル・F・ザナックと親しく、ザナック製作の「史上最大の作戦」のイギリス編を監督、アナキン監督の「素晴らしきヒコーキ野郎」を20世紀フォックス幹部としてザナックが支援した。ジョージ・ルーカス監督「スター・ウォーズ」に登場するアナキン・スカイウォーカーの名前はケン・アナキンからとったもの。88年映画「長くつ下ピッピの冒険物語」を最後に監督引退
4/21
■清水由貴子(元タレント)年東京都
21日、
静岡県小山町大御神の富士霊園で硫化水素を発生させて自殺死去、49歳。
近くに遺書のようなものがあった。近くでは80代の母親がは意識不明の状態で、車椅子に座っていた。
76年NTV「スター誕生!」で合格。77年「お元気ですか」で歌手デビュー。日本テレビ音楽祭新人賞、FNS歌謡祭優秀新人賞など各賞を獲得。同期の高田みづえ、榊原郁恵と「フレッシュ三人娘」と呼ばれた。萩本欽一の欽ちゃんファミリーのメンバーとしても活躍し、バラエティー「 欽ちゃんの週刊欽曜日」ほか、ドラマ「花よめは16歳」などに出演した。06年実母の介護を理由に芸能界を引退。
4/19
■J・G・バラード(英SF作家)上海
19日、死去、78歳。
第2次世界大戦開戦後、一家は日本軍の捕虜収容所に収容される。46年ひとりで英国に帰国。ケンブリッジ大学で医学を学ぶが、途中でロンドン大学に移籍し文学を専攻。同大も中退し、カナダ空軍飛行訓練生となり、その後英国で広告会社に入社。56年短編「プリマ・ベラドンナ」(のちに短編集「ヴァーミリオン・サンズ」にまとめられるシリーズ)で作家デビュー。60年代「ニューワールズ」誌を中心に「思弁小説(スペキュラティブ・フィクション)」と呼ばれる新しいSFの形式を呼びかけ、ニュー・ウェーブSFの中心人物のひとりとなる。破滅3部作「沈んだ世界」「燃える世界」「結晶世界」は日本でも人気を呼ぶ。70年代はテクノロジー3部作「クラッシュ」「コンクリート・アイランド」「ハイ-ライズ」で科学技術の人間との関係を追求した。その後上海での少年時代を描いた自伝的小説「太陽の帝国」を発表し、S.スピルバーグ監督が映画化した。
4/19
■岡本 信(グループサウンズ「ザ・ジャガーズ」元ボーカル)神奈川県
19日、東京都北区の自宅マンションで浴槽で死去、59歳。知人女性が発見し110番した。
67年「ザ・ジャガーズ」結成。デビュー曲「君に会いたい」が大ヒットし人気を得る。71年解散後はソロとして活動。その他の代表曲として「ダンシングロンリーナイト」「マドモアゼルブルース」「キサナドゥの伝説」など。
4/15
■南風カオル(俳優)東京都
15日、肝不全のため月死去、78歳。
女剣劇・中野弘子一座で育つ。3歳のとき初舞台、5歳で「中野チンピラ劇団」の座長になる。39年吉本興業と専属契約を結び、剣劇を織り交ぜたコント集団「南風カオルとマゲチョンズ」を結成し、関西方面で活躍。55年南風カオル劇団を旗揚げ。その後花登筺の命名で「南風カオルと座・にっぽんず」に改称。解散後、大衆演劇や商業演劇、小劇場での一人芝居、テレビドラマなどで幅広く活躍した。タップダンスの中野ブラザーズは実弟たち。
4/14
■上坂冬子(ノンフィクション作家で社会評論家)東京都
14日、死去、78歳。
愛知県豊田市育ち。愛知県立豊田東高等学校卒業後、49年トヨタ自動車工業に入社。
59年社内の出来事をつづった「職場の群像」でで第一回中央公論社思想の科学新人賞を受賞し、評論家デビュー。62年執筆活動に専念。初期には婦人問題に関する評論を手がけ、のち戦争犯罪や従軍慰安婦など戦後史を扱ったノンフィクションを執筆。主な作品に「生体解剖−九州大学医学部事件」「巣鴨プリズン13号鉄扉」「宰相夫人の昭和史」「慶州ナザレ園−忘れられた日本人妻たち」「男装の麗人・川島芳子伝」など。93年菊池寛賞、正論大賞。保守派の論客としても活躍した。
4/6
■阿桑(台湾、女性歌手)
6日、乳癌のため台北の病院で死去、34歳。
父親の賭博と暴力で家庭崩壊。歌手デビューし、ドラマ「薔薇之恋(薔薇にために)」の主題歌「葉子」で知名度を上げる。清冽な歌声は実力派としての評価が高い。05年セカンドアルバム「寂寞在唱歌」をリリース
4/2
■長尾 靖(報道写真家)東京都
、静岡県南伊豆町の自宅アパートで死去、78歳。同アパートを訪ねた男性知人により2日、パジャマ姿でトイレで倒れているのを発見された。病死とみられる。
53年千葉大学工学部を卒業し、写真記者として毎日新聞社に入社。60年10月12日日比谷公会堂で起きた山口二矢による浅沼稲次郎社会党委員長の刺殺の瞬間を撮影。カメラの最後に残っていたフィルム1枚での撮影だったことで知られる。この写真で、61年日本人初のピューリッツァー賞を受賞。62年毎日新聞社を退社しフリーとなる。
3/27
■金田龍之介(俳優)東京都
31日、慢性腎不全のため埼玉県草加市の病院で死去、80歳。
33年子役として大阪天満八千代座にて初舞台。関西で新劇活動を続けた。56年上京し、劇団新派に入団。68年「悪名十八番」で映画デビュー。大きな目と体格を生かし、悪役から善人まで幅広い脇役をこなした。69年「極楽夫婦」で放送作家協会賞、01年文化庁長官賞、04年松尾芸能賞優秀賞を受賞。舞台の代表作は一人芝居の「円空」、蜷川幸雄演出「王女メディア」、スーパー歌舞伎「新・三国志」シリーズ、麻実れいとの二人芝居「サラ」。テレビは大河ドラマ「国盗り物語」「秀吉」をはじめ「君の名は」「あすか」など多数。映画は「悪名十八番」「スーパーの女」「ぼくらの七日間戦争 」などに出演した。
3/30
■大木 実(俳優)大阪府堺市
30日、膵臓癌のため東京都大田区の病院で死去、85歳。
日活多摩川撮影所で照明係として10年間働いたのち、スカウトで俳優に。51年「ああ青春」でデビュー。50年代に松竹の二枚目スターとして映画「あなた買います」「張込み」などに出演。以後、東映の仁侠映画やテレビドラマ「水戸黄門」、必殺シリーズなどに数多く出演した。他の代表作に映画「黒蜥蜴」「忘れられぬ人々」など。
3/30
■村上アヤメ(バスガイド)大分県
30日、老衰ため大分県別府市の病院で死去、98歳。
別府温泉を巡る遊覧バスに乗車していた日本初の「少女車掌」の1人。当時の基準である「十六歳以上二十歳未満、未婚で高等女学校卒業程度、体格、音声、素行、容姿等」の条件を満たし活躍した。28−33年までスカートに革帽子姿で名所を巡り、七五調の名調子で案内た。33年レコード化された。
3/30
■露の五郎兵衛(落語家、前上方落語協会会長)京都
30日、多臓器不全のため兵庫県西宮市の病院で死去、77歳。
中国から引き揚げ、47年二代目桂春団治に入門。桂春坊、桂小春団治を経て、68年二代目露の五郎を名乗る。05年落語家の祖とされる露の五郎兵衛の二代目を襲名、約300年途絶えていた名跡を復活させた。艶噺や怪談などを得意とした。94−03年まで上方落語協会会長。85年文化庁芸術祭賞、00年紫綬褒章、07年旭日小綬章受章。著書に「上方落語夜話」「上方落語のはなし」など。
3/27
■土屋耕一(コピーライター)東京市麻布区
27日、肝細胞癌のため東京都千代田区の病院で死去、78歳。
東京都立九段高等学校を中退。資生堂宣伝文化部に嘱託社員となり、山名文夫や水野卓史などのデザイナーのもとでコピーライターとして働く。60年日本初の広告制作プロダクション・ライトパブリシティに入社。76年ライトパブリシティ退社後、フリーとなる。東京コピーライターズクラブ会長を務めた。代表的なキャッチコピーに資生堂「A面で恋をして。」「君のひとみは10000ボルト」など。
3/27
■早川良雄(グラフィックデザイナー)大阪
28日、肺炎のため神奈川県鎌倉市の病院で、92歳。
大阪市立工芸学校(現:大阪市立工芸高校)図案科を卒業。近鉄百貨店勤務などを経て、54年早川良雄デザイン事務所を開設。70年日本万国博覧会で色彩計画の設計に参加。女性の顔を淡い色調で描いたポスターなどで知られた。グラフィックデザイン界の草分け的存在で、イラストレーターとして現在も活躍した。毎日デザイン賞、講談社出版文化賞など受賞多数。82年紫綬褒章を受章。 
3/27
■藤間 紫(日本舞踊紫派藤間流家元、女優)東京
7日、肝硬変で2死去、85歳。
元日本医科大学学長河野勝斎の長女。30年から日本舞踊を始め、35年藤間流六代目・藤間勘十郎に入門。41年名取になり、藤間紫を名乗る。48年舞踊家では珍しく舞踊劇「淀君」を発表。95年舞台「西太后」で新しい西太后像を作り反響を呼ぶ。92年菊田一夫演劇賞演劇大賞、93年文化庁長官賞など受賞。23歳年上の師匠・藤間勘十郎と戦時中に結婚するが、流派運営などをめぐり対立。85年勘十郎と離婚。87年自ら紫派藤間流を創設。00年16歳年下の三代目市川猿之助と再婚した。
3/26
■尾形 仂(国文学者)東京
26日、多臓器不全のため横浜市青葉区の病院で死去、89歳。
松尾芭蕉や与謝蕪村の実証的研究で知られる俳諧研究の第一人者。東京文理科大学国語国文学科卒。東京教育大教授、成城大教授を歴任。75年「蕪村自筆句帳」で読売文学賞を受賞。「蕪村全集」では編集委員代表を務めた。08年恩師・潁原退蔵の遺稿をまとめた「江戸時代語辞典」を刊行。他の著書に「座の文学」「鴎外の歴史小説」「俳諧史論考」など。
3/25
■アレン・ネルソン(平和運動家)ニューヨーク
25日、09年1月多発性骨髄腫であることがわかりニューヨーク市内の病院で死去、61歳。
アフリカ系アメリカ人。18歳で海兵隊に入隊。66年から約1年海兵隊員としてベトナム戦争に従軍。帰還後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだ。70年除隊。高卒の資格を取り、ニューヨークの大学に進む。ニュージャージー州カムデン市で「カムデン青少年センター」を開設。ボランティア活動で貧困世帯の若者の相談や就職の世話などに取り組む。95年米兵による沖縄少女暴行事件をきっかけに、翌年から日本国内の市民グループの招きで毎年来日し、反戦・平和について講演を続けた。「沖縄駐留米軍をアメリカに連れ戻すネットワーク」の呼びかけ人の一人。
3/25
■遠藤幸雄(体操五輪金メダリスト)秋田
25日、食道癌のため東京都千代田区の病院で死去、72歳。
体操の五輪、世界選手権男子団体総合10連覇など「体操ニッポン」栄光の時代の中心選手で、中学2年生で体操を始める。秋田工業高校、東京教育大学(現:筑波大学)を経て、日本大学を卒業。同大助手となる。60年ローマ五輪で日本初の団体総合優勝。64年東京五輪の個人総合で日本選手初の金メダリストとなった。東京五輪では団体総合、個人総合、種目別平行棒で金メダルに輝いた。68年メキシコ五輪で日本選手団の旗手を務め、団体総合3連覇。五輪3大会に出場し金5、銀2の計7個のメダルを獲得した。日本大学文理学部教授を務め、日本オリンピック委員会理事、日本体操協会の専務理事、副会長を歴任した。96年紫綬褒章を受章、99年国際殿堂入りし、08年旭日中綬章受章。
3/24
■モーリス・ジャール(作曲家)フランス・リヨン
24日、米ロサンゼルスで死去、84歳。
ソルボンヌ大学で工学を学ぶが、中退してパリ・コンセルバトワールで作曲などを学ぶ。60年代に米国に移住。ハリウッド映画音楽などの150以上の映画で作曲を手掛けた。62年「アラビアのロレンス」、65年「ドクトル・ジバゴ」、84年「インドへの道」でアカデミー賞を3回受賞(ノミネートは9回)。他のの作品に「史上最大の作戦」「ライアンの娘」「ゴースト ニューヨークの幻」など。結婚4回。テクノ音楽の先駆者でフランスのキーボード奏者ジャン・ミシェル・ジャールは息子
3/24
■辻 昌建(プロボクサー)広島市
24日、東京都内の病院にで死去、30歳。09年3月同タイトル戦でKO負け。直後リング上で意識不明となり、急性硬膜下血腫の診断で開頭手術を受けた。
崇徳高校を経て、法政大学卒業。帝拳ボクシングジム所属。02年10月プロデビュー。08年10月日本タイトル挑戦権獲得トーナメントミニマム級決勝で優勝、挑戦権を獲得。で日本ミニマム級級1位.通算成績12勝(3KO)2敗2分け。
3/24
■井上 良(ジャズ歌手)東京都
24日、胆嚢癌のため東京都内の病院で死去、72歳。
19歳、大学1年でハワイアンの外山肇バンドに参加し、米軍クラブでジャズ歌手として活動開始。ホテルのショーなどライブを中心に活躍。歌手の早見優は長女。

3/22
■伊藤計劃(SF作家)東京都
22日、癌のため東京都文京区の病院で死去、34歳。
武蔵野美術大学映像科卒。07年長編「虐殺器官」が第7回小松左京賞最終候補となり、早川書房から刊行され作家デビュー。同作は「SFが読みたい!2008年版」1位、月刊プレイボーイミステリー大賞1位、第28回日本SF大賞候補となる。昨年末に第3作の「ハーモニー」を刊行した。
3/19
■山際素男(作家、翻訳家)三重県
19日、間質性肺炎のため東京都東大和市の病院で死去、79歳。
法政大学文学部日本文学科を卒業。インドに留学し、インド国立パトナ大学、ビスババラティ大学で学ぶ。カースト制度の実態を日本に紹介。朝日新聞東京本社、世界労連東京事務所勤務を経て文筆活動に入る。ダライ・ラマ自伝ほかチベット関連書を翻訳。84年吉行和子、岸田今日子らとインド旅行し、「脳みそカレー味 岸田今日子・吉行和子とのインド旅日記」としてまとめた。小説家の色川武大とは親密な交際があった。代表作に81年「不可触民 もうひとつのインド」。古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」(全9巻)で98年度日本翻訳出版文化賞を受賞。
3/18
■ナターシャ・リチャードソン(女優)年ロンドン
1
8日、カナダのスキー場で初心者向けレッスン中に転倒して頭を打ち、同病院で治療を受けていたが、米ニューヨークの病院で死去、45歳。
父親は映画監督の故トニー・リチャードソン、母親のバネッサ・レッドグレーブや妹のジョエリー・リチャードソンも女優。夫は俳優のリーアム・ニーソン。ロンドンのセントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマで学ぶ。88年映画「テロリズムの夜」などに出演、「夏の夜の夢」「ハムレット」の舞台やミュージカルでも活躍。98年「キャバレー」でトニー賞を受賞。
3/15
■ロン・シルバー(米俳優)
15日、ニューヨークで死去、62歳
セント・ジョンズ大学で中国の修士号取得。76年「トンネル・ビジョン」で映画デビュー。以降、舞台・TVで活躍。88年劇作家デビッド・マメットの演劇「スピード・ザ・プラウ」でトニー賞を受賞。ドラマ「ザ・ホワイトハウス」で選挙参謀役を演じた。主な出演作に「アリ」など。民主党支持者だったが、米中枢同時テロを機に共和党のブッシュ前米大統領支持を表明し、話題となった。
3/14
■アラン・バシュン(仏、歌手)パリ
14日、肺癌のためパリ市内の病院で死去、62歳。
77年ファーストアルバム発表、80年「Gaby, oh Gaby」が大ヒットし広く世間に知られる。09年1月レジオンドヌール勲章を授与。同2月ヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュージックで男性歌手部門賞を受賞。シャンソンとフレンチ・ロックを代表する歌手で、作詞作曲家も手がけた。代表曲に「La Nuit Je Mens」「R?sidents de la R?publique」など。
3/13
■ジェームズ・パーディ(米作家・詩人)オハイオ州ヒックスビル
13日、ニュージャージー州イングルウッドの病院で1死去、94歳。
シカゴ大学、プエブラ大学で学ぶ。暴力や性衝動、疎外などをテーマにした作品は怪奇幻想小説風とも評された。代表作に「マルコムの遍歴」「アルマの甥」
3/12
■中里逢庵(陶芸家、13代中里太郎右衛門)佐賀県唐津
12日、慢性骨髄性白血病のため佐賀県唐津市の病院で死去、85歳。
生家は旧唐津藩御用窯の伝統を受け継ぐ家。43年東京高等工芸学校(現:千葉大学工学部)工芸図案科を卒業。51年日展初入選、56年北斗賞、65年特選を受賞。69年中里太郎右衛門を襲名。人間国宝の12代が再興した古唐津の「叩き技法」に取り組む。02年長男に名跡を譲り得度、逢庵と名乗った。唐津焼の歴史や技法を研究。その論文で04年京都造形芸術大学大学院で博士号を取得。07年日本芸術院会員。
3/9
■近木圭之介(俳人)金沢
9日、呼吸疾患で死去、97歳。
旧号黎々火。32年荻原井泉水が主宰する自由律俳句誌「層雲」に参加。山口県防府市出身の漂泊の俳人、種田山頭火と交流があり、山頭火の後ろ姿を路上で撮影した写真は様々な雑誌や本に引用された。
3/8
■伊藤隆大(俳優・声優)千葉県船橋
8日、神奈川県相模原市の石材会社敷地内に駐車中の
乗用車内で死去、21歳。
乗用車の後部座席にもたれかかっているのを同社従業員が発見。警察が到着した際にはすでに死亡していた。後部座席に練炭が置かれ、車内から家族あての手紙も見つかっている。自殺とみられる。
千葉県立国府台高等学校卒業。法政大学キャリアデザイン学部在学中。兄は「電車男」などに出演した俳優の伊藤淳史。幼少時から子役としてテレビドラマや映画に出演。05年TVドラマ「電車男」とNHK大河ドラマ「義経」で兄淳史との共演した。 ドラマ「のだめカンタービレ」で瀬川悠人役を演じ、ピアノの腕前を披露した。他の出演作に「10minutes diary「愛の日記」」「容疑者Xの献身」など。
3/4
■ホートン・フート(米脚本家)テキサス州ワートン
4日、コネティカット州ハートフォードで死去、92歳。
当初は俳優を目指していた。2年グレゴリー・ペックが主演した映画「アラバマ物語」や82年「テンダー・マーシー」でアカデミー賞脚色賞などを受賞。95年「アトランタから来た若者」でピュリツァー賞演劇部門受賞。小さな町での憧憬や葛藤を描いたことで知られる。
3/4
■サルバトーレ・サンペリ(伊・映画監督)タリア北部パドバ
4日、ローマ郊外の自宅で死去、64歳。
パドバ大学で文学と哲学を専攻するが中退。20代から映画監督を始める。代表作は73年「青い体験」「続・青い体験」82年「禁断のインモラル」など。
3/3
■シドニー・チャプリン(米・俳優)ロサンジェルス
3日、米カリフォルニア州南部ランチョミラージュの自宅で死去、82歳。
チャールズ・チャプリンと、その2番目の妻で女優のリタ・グレイの次男。52年父の「ライムライト」で映画デビュー。舞台でも活躍し、56年ブロードウェー・ミュージカル「ベルズ・アー・リンギング」でトニー賞を受賞した。主な出演作に「チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート」「悪魔のチアリーダーズ」「シシリアン」「新・荒野の用心棒」など。

2/24
■田口八重(元仲居)岐阜県中津川市
24日、老衰のため京都市山科区の病院で死去、99歳。
37年28歳で京都の老舗旅館「柊家」の仲居となる。仲居頭、女将代行などを務め、69年接客業で初の黄綬褒章を受章。仲居人生は約60年におよび、宇野千代や林芙美子らも担当した。ノーベル賞作家川端康成や三島由紀夫、チャプリンら泊まり客との思い出をまとめ、00年「おこしやす」を出版。ベストセラーとなり、女優森光子の朗読でCD化され
2/21
■柳瀬観(映画監督)東京
21日、前立腺癌のため2月死去、77歳。
54年早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。56年まで同大学院文科映画専攻に在籍。この間54年日活撮影所に助監督で入社。63年映画「探偵事務所23・銭と女に弱い男」で監督デビュー。テレビドラマの監督も多く務めた。監督作品に和泉雅子主演の「若い港」や宍戸錠主演の「砂丘の決斗」、舟木一夫主演の「北国の街」など。
2/26
■佐竹明夫(俳優)東京都
26日、剥離性大動脈破裂のため死去、83歳。
早稲田大学理工学部建築科を卒業。三菱電機大船工場に勤務。電車中でスカウトされ、51年東宝に入社。映画「死の断崖」でデビュー。劇団俳優座養成所第に2期生として入団。劇団俳優座、松竹を経てフリーに。出演作にTV時代劇「水戸黄門」など。
2/25
■稲越功一(写真家)岐阜県高山
25日、肺癌のため東京都中央区の病院で死去、68歳。
武蔵野美術大学中退。65年モス・アドバタイジングにグラフィックデザイナーとして入社。70年イエローを設立、フリー写真家として活動を開始。80年「男の肖像」で講談社出版文化賞を受賞。写真集に「女の肖像」「百一人の肖像」など。著書に「まだ見ぬ中国」などがある。東京・銀座のライカ銀座店サロンで写真展「芭蕉景」を開催中だった。
2/24
■平木 収(写真評論家、九州産業大教授)京都府
24日、食道癌のため死去、59歳。
早稲田大学文学部卒業。80年ごろから評論活動を始め、「アサヒカメラ」「日本カメラ」などの写真雑誌に執筆。87年川崎市市民ミュージアムの設立に参画し、88年の設立後94年まで同ミュージアムの写真担当学芸員を務めた。独立後「ピュリツァー賞写真展」など数多くの写真展を企画・監修し、写真文化の紹介に努めた。81年より東京綜合写真専門学校で写真史、91年より武蔵野美術大学、95年より京都造形芸術大学、大阪OVC専門学校で写真論などの講座を持つ。85年「つくば写真美術館」キュレーター。
2/22
■ハワード・ジーフ(米映画監督)イリノイ州シカゴ
22日、パーキンソン病のため米ロサンゼルスで死去、81歳。
ロサンゼルス・シティ・カレッジ中退。米海軍に入隊し、写真を学ぶ。「ポラロイド」「フォルクスワーゲン」などの広告を手がけ、60年代を代表する広告カメラマンとして知られた。スチール写真撮影からムービー撮影、ディレクションまでを担当。80年「プライベート・ベンジャミン」や91年「マイ・ガール」などの映画作品を監督。
2/19
■阿部完市(俳人)東京都
19日、心不全のためさいたま市桜区の病院で死去、81歳。
精神科医。「海程」同人。言葉の意味を排除し、無意識性に立脚した句を作る。70年現代俳句協会賞を受賞。09年現代俳句大賞に決まり、3月に贈呈式が行われる予定だった。句集に「絵本の空」「春日朝歌」「地動説」「軽のやまめ」、評論集に「絶対本質の俳句論」などがある。
2/19
■中村又五郎(歌舞伎俳優)東京都
21日、老衰のため東京都内の自宅で死去、94歳。
20年2代目中村又五郎を襲名して初舞台。初代中村吉右衛門の下で名子役として活躍。吉右衛門劇団の幹部俳優として女形から、若衆、老け役、三枚目と幅広い役柄を演じた。61年東宝に移籍。商業演劇、テレビなどにも出演し名脇役ぶりを発揮した。国立劇場の俳優養成事業の主任講師として、数多くの歌舞伎俳優を育てた。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章などを受章。97年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。屋号は播磨屋。俳名は紫琴。
2/19
■松井由利夫(作詞家、日本作詩家協会常任顧問)東京都文京区
19日、膀胱癌のため東京都内の自宅で死去、83歳。
14年間の小学校教員生活をへて、58年松山惠子歌唱の「だから云ったじゃないの」』のヒットを機に、作詞家に転向。自ら発掘した氷川きよしの「きよしのズンドコ節」「箱根八里の半次郎」をはじめ、坂本冬美の「男の情話」、神野美伽らの作品など50年代から現在まで多数を手がけた。95年日本レコード大賞功労賞を受賞。97年勲四等瑞宝章を受章した。前日本音楽著作家連合会長でもある。
2/5
■前田 隣(コメディアン)東京都品川
19日、肝硬変のため死去、72歳。
56年東京池袋アヴァンギャルド(後に池袋アバン座に名称変更)でデビュー。コロムビア・トップ・ライトの門下。漫才「青空あれや・これや」で活躍。64年「ナンセンストリオ」に加入。「親亀の背中に子亀を乗せて〜」「赤上げて! 白下げて!」などのギャグで知られた。トリオ解散後、ひとりで活動していた。
2/17
■今井寿恵(写真家)東京
17日、急性心不全のため死去、77歳。
52年文化学院美術科卒業。英3冠馬ニジンスキーに魅せられ、ファッション写真家から競走馬の写真家に転身。サラブレッドの写真を中心に撮り続け、主な写真集に「シンボリルドルフ」「夢を駆ける−トウカイテイオー」など。59年日本写真批評家協会新人賞受賞。60年カメラ芸術・芸術賞受賞。78年「通りすぎるとき−馬の世界を詩う−」で日本写真協会年度賞を受賞。04年写真を通じて競馬の普及に大きな貢献があったとして、日本中央競馬会から特別表彰された。
2/14
■ルイ・ベルソン(米ジャズドラマー)イリノイ州ロックフォールズ
死去、14日、84歳。
3歳でドラムを始める。10代から才能を開花させ、ベニー・グッドマンの楽団などで演奏。43−52年にかけデューク・エリントンら大物ミュージシャンと共演。バディ・リッチとともに米2大ビッグバンド・ドラマーの一人とされる。

2/9
■オルランド・ロペス(キューバのベース奏者)ハバナ
9日、ヘルニアなどの手術を受けた後、腎不全を併発しハバナで死去、76歳。
音楽家一家に育つ。父からベースを学ぶ。叔父も著名なベース奏者だった。
10代からバンドに参加し、その後ジャズバンドや交響楽団で活動。97年ライ・クーダーや歌手コンパイ・セグンドらと収録した「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」がヒット、世界的なキューバ音楽ブームを巻き起こした。01年アルバム「Cachaito」をリリース。

2/7
■ブロッサム・ディアリー(ピアニスト、米ジャズ歌手)ニューヨーク州イースト・ダーハム
7日、ニューヨークの自宅で死去、82歳。
高校卒業後、ニューヨーク市に出て音楽活動を始める。52年パリに移り、ボーカルグループ「ブルースターズ」結成。54年フランス語の曲「Lullaby of Birdland」がヒット。帰国後、キュートな声をいかしたアルバムを作成。60年代以降は、ニューヨークのクラブシーンで人気を呼んだ。

2/6
■ジェームズ・ホイットモア(米俳優)ニューヨーク州ホワイト・プレインズ
6日、米ロサンゼルス郊外の自宅で死去、87歳。
イェール大学卒業。第2次対戦中は米海軍に所属。40年代後半ブロードウェーの舞台に立ち、48年トニー賞を受賞。68年「猿の惑星」、70年「トラ・トラ・トラ!」、94年「ショーシャンクの空に」などの映画に出演。このほかトルーマン元米大統領に扮した一人芝居、テレビドラマなどで活躍した。

2/6
■ラックス・インテリア(米パンクロック・ミュージシャン)オハイオ州ストウ
6日、心臓疾患のためカリフォルニア州グランデールの病院で4日死去、62歳。
72年サクラメントでクリスティ・ウォレス(Kristy Wallace,芸名:Poison Ivy)と出会い結婚。ラックスがヴォーカル、ポイズン・アイビーがギターを担当しバンド「ザ・クランプス」(The Cramps)を結成。73年オハイオからカリフォルニアに転居。75年ニューヨークへ転居し。ラモーンズなどと共にロック・シーンで活躍。危険なムードをもった音楽性で、パンク誕生に貢献した。メンバー・チェンジを繰り返しながら、30年以上活動を継続。最新作は04年「How To Make a Monste」。
2/5
■渥美国泰(俳優)東京市四谷区三光町
5日、脳腫瘍のため東京都世田谷区の病院で死去、76歳。
51年都立九段高等学校を卒業。俳優座附属俳優養成所を経て、劇団新人会の創立に参加。劇団を転々としたのち、65年劇団雲に入団するが、75年脱退。演劇集団円の創立に参加するも、79年退団しアクト青山ドラマティック・スクールを主宰する。TVドラマ「ザ・ガードマン」や映画「踊る大捜査線 The Movie」、NHK大河ドラマ「赤穂浪士」などに出演した。
2/3
■泡坂妻夫(作家)東京都
3日、死去、75歳。
家業はは神田で「松葉屋」の屋号を持つ紋章上絵師。都立九段高校を卒業。会社勤めを経て、家業を継ぐ。
75年「DL2号機事件」で第1回幻影城新人賞に佳作入選。40歳を過ぎて作家に転進する。探偵「亜愛一郎」が登場する本格推理で読者を獲得した。
78年「乱れからくり」で日本推理作家協会賞、88年「折鶴」で泉鏡花文学賞、90年紋章上絵師を主人公にした「蔭桔梗」で直木賞を受賞した。
奇術師の顔も持ち、68年第2回石田天海賞を受賞。自身の名を冠した奇術賞に厚川昌男賞がある。直木賞の受賞記者会見では奇術を披露した。

2/2
■大木康子(シャンソン歌手)東京都中央区
2日、肺癌のため東京都目黒区の病院で死去、66歳。
深緑夏代に師事。62年ジャズグループ「平岡精二クインテット」の専属歌手としてデビュー。64年NHKオーディション合格。「踊り明かそう/君住む街角」でレコードデビュー。シャンソンのほか、ポップスやカンツォーネ、CMソングも歌った。代表曲に「誰もいない海」「愛はダイアモンド」など。
2/2
■山内一弘(元プロ野球ロッテ及び中日監督)愛知県一宮
2日、肝不全のため東京都内の病院で死去、76歳。
愛知・起工高から川島紡績を経て、52年毎日(現:ロッテ)入団。「ミサイル打線」の中軸として活躍。60年塁打32本を放ち、本塁打王と打点王を獲得、パ・リーグMVPを受賞。小山正明との「世紀のトレード」で阪神に移籍。65年プロ野球史上初の300本塁打、67年川上哲治に次ぐ2人目の2000本安打を達成する。68年広島に移籍したのち引退。19年間の通算成績は打率0.295、396本塁打、1286打点。首位打者1回、本塁打王2回、打点王は4回獲得。ベストナイン10回受賞。引退後は巨人(71-73)、阪神の打撃コーチ(75-77))を経て、ロッテ(79-81)と中日(84-86)で監督を務める。02年野球殿堂入りした。
1/29
■ハンク・クロフォード(米ジャズ・サックス奏者)テネシー州メンフィス
29日、心臓疾患のためメンフィスの自宅で死去、74歳。
少年期よりピアノを学び、その後のサックスに転向。テネシー州立大学で作曲を学んだ後、49年−58年までB.B.キング楽団で活動。58年からレイ・チャールズ楽団にバリトン・サックス奏者として参加。アルト・サックスに転向し、音楽監督も務める。63年独立し、自らの7重奏楽団でデビュー。ニュー・ソウル、ブラック・ファンクの波に乗り注目を浴びる。

1/28
■エリオ・グレイシー(ラジル発祥のグレイシー柔術創始者)ブラジル
29日、リオデジャネイロ郊外の病院で死去、95歳。
講道館で柔道を学び、普及のために世界武者修行した前田光世の影響を受けて、他流試合用にアレンジしたグレイシー柔術を考案したとされる。ブラジリアン柔術十段(赤帯)。「グレイシー柔術アカデミー」総裁を務め、30年代からバーリ・トゥードを戦い始め、約20年間無敗を誇りブラジルスポーツ界の英雄となる。
51年リオデジャネイロ市で加藤幸夫とブラジリアン柔術ルールで対戦し引き分け。同年再戦しエリオの一本勝ち。同年同市で木村政彦と対戦し敗れた。43歳で弟子のヴァウデマー・サンターナと3時間以上の激闘の末敗れ、現役引退。「400戦無敗」とされる三男のヒクソン・グレイシーら多くの息子や孫を柔術家として育てた。08年ヒクソンを会長とする全日本柔術連盟(JJFJ)の相談役に就任した。
1/28
■青山孝史(アイドルグループ)佐賀県高木瀬町
28日、肝臓癌のため東京都内の病院で死去、57歳。
横浜市と渋谷区で育つ。日本大学芸術学部演劇学科中退。67年江木俊夫、おりも政夫、北公次の4人でフォーリーブスを結成。「オリビアの調べ」でデビュー。歌って踊る人気グループの先駆けとなり、70年から7年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。旧芸名は青山孝、02年現芸名に改称。※フォーリーブスは1967年4月1日ジャニーズの曲「太陽のあいつ」のバックダンサーとしてグループ結成。結成。同年10月結成メンバーの永田英二が当時小学生だったため、スクールメイツ出身の青山孝と交替。68年9月5日レコードデビュー、70年プロマイドの売上が男性歌手部門の1位となった。78年8月31日解散。2002年再結成。
1/27
■ジョン・アップダイク(米小説家)ペンシルベニア州シリングトン
27日、肺癌のためマサチューセッツ州ボストン郊外のホスピスで死去、76歳。
ハーバード大学卒業後、英国の美術学校に通う。帰国後、雑誌「ニューヨーカー」の常連寄稿者となる。
59年「プアハウス・フェア」でデビュー。戦後米国の郊外における世俗的な生活を主題とし、中産階級の男性を主人公にした「走れウサギ」「帰ってきたウサギ」「金持になったウサギ」「さようならウサギ」のウサギ4部作で高い評価を受けた。映画やミュージカルにもなった「イーストウィックの魔女たち」など、話題作も多い。
81年「金持になったウサギ」でピュリツァー賞、90年「さようならウサギ」で2度目のピュリツァー賞と全米批評家協会賞、63年「ケンタウロス」で全米図書批評家協会賞を受賞。ほか数々の文学賞を受けた。今年出版予定の遺作を含め著作は61冊。
1/27
■柿沢弘治(元外相)東京都中央区
27日、東京都内の病院で死去、75歳。
江戸時代創業の葛籠屋「柿澤常次郎商店」店主柿澤常次郎の長男。東京大学経済学部を卒業し、大蔵省に入省。
77年参院選に新自由クラブから出馬して初当選。80年衆院選に当選し、03年まで7期務めた。途中自民党に入党、94年離党し非自民連立の羽田内閣で外相に就任した。95年自民党に復党。99年東京都知事選に出馬し落選した。03年衆院選で落選、政界を引退した。
1/25
■大口広司(俳優、ドラマー)埼玉県
25日、肝臓癌のため東京都千代田区の病院で死去、58歳。
60年代「ザ・テンプターズ」のドラマーとして活躍。解散後は井上堯之、大野克夫、萩原健一、岸部一徳、沢田研二と「PYG」というグループに籍を置きドラムスを担当する。その後「時間ですよ」で俳優デビュー。ドラマ「前略おふくろ様」「悪魔のようなあいつ」などに出演した。
私生活では83年女優の真行寺君枝と結婚。84年大麻所持容疑で逮捕起訴。05年離婚。
1/24
■笹井宏之(歌人)
24日、心臓麻痺で死去、26歳。
04年インターネット上で作歌をはじめる。05年「数えてゆけば会えます」で第4回歌葉新人賞、07年未来賞を受賞。08年第1歌集「ひとさらい」を刊行。角川「短歌年鑑」平成21年版で同歌集が「今年の秀歌集10冊」に選ばれた。佐賀県有田町在住だった。
1/20
■デービッド・ニューマン(米ジャズ・サックス奏者)テキサス州ダラス
20日、米東部ニューヨーク州キングストンの病院で膵臓癌のため死去、75歳。
奨学金を受け、ジャービス・クリスチャン大学に通う。54年レイ・チャールズ・バンドのオリジナルメンバーとしてデビュー。バスター・スミスらの楽団に参加した後、50−60年代に「ソウルの神様」と呼ばれたレイ・チャールズ楽団のソリストとして活躍、人気を博した。

1/17
■エドモンド・ド・ロスチャイルド(英銀行家で英国ロスチャイルド家第6代)ロンドン
17日、ロンドンの自宅で死去、93歳。
父はN・M・ロスチャイルド・アンド・サンズ。幼少時より帝王学を学ぶ。ケンブリッジ大学ハロウ&トリニティー校卒業。その後、世界各地を回る大旅行(グランドツァー)を経験。その後、銀行家として各国を相手にビジネスを展開し、70年からロスチャイルドグループの銀行の会長を務めた。一方で、ユダヤ人難民問題に積極的に取り組んだ。資金提供などで戦後日本の復興にも貢献、勲一等瑞宝章を受けた。自宅庭園を一般に公開し、園芸家としても知られる。
63年結婚。夫人は中学卒業後工員、モデル、ダンサー、女優などの験したナディーヌ(Nadine De Rothschild)。
1/16
■ジョン・モーティマー(英作家)ロンドン
16日、ロンドン郊外の自宅で死去、85歳。
オックスフォード大学を卒業、法学院に進む。48年法廷弁護士の資格を取得。66年王室の勅撰弁護士となり、75年所属するインナー・テンプル法学院の評議員も務めりうなど、弁護士・バリスターとしてイギリスの法曹界でよく知られた。文筆家としては40年代から脚本の仕事をはじめ、78年「ランポール弁護士」を主人公にしたテレビドラマシリーズの脚本を書き、英BBCなどで放送され人気を得た。これにより84年作家専業となる。小説「ランポール弁護に立つ」などは日本語訳も出版された。60年代に英作家ロレンスの小説「チャタレイ夫人の恋人」が猥褻だとして訴えられた際は出版社の弁護をするなど、言論の自由を守る活動でも知られた。
1/16
■アンドリュー・ワイエス(米画家)ペンシルベニア州チャッズ・フォード
16日、米ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外の自宅で死去、91歳。
9歳で挿絵画家の父N.C.ワイエスから水彩画を習い始める。虚弱なためほとんど学校教育を受けず、家庭教師から読み書きを習った。
37年にニューヨークで初の個展を開催。23歳で最年少で米水彩画協会会員に選ばれた。40年結婚。終生チャッズ・フォードと別荘のあるメーン州クッシング以外にはほとんど旅行もせず、両地の風景と人々を描き続けた。詩情あふれる水彩やテンペラ画でアメリカン・リアリズムの代表的画家となった。代表作に「1946年の冬」「クリスティーナの世界」や「ヘルガ」シリーズなど。63年大統領自由勲章と全米芸術賞を受ける。07年ブッシュ大統領から芸術勲章を授与された。
1/14
■リカルド・モンタルバン(メキシコ出身の俳優)メキシコシティ
14日、米ロサンゼルスの自宅で死去、88歳。
41年メキシコ映画界でデビュー。46年米国に進出、「闘牛の女王」でハリウッドデビュー。ラテン系の二枚目俳優として活躍した。57年日本が舞台の映画「サヨナラ」で歌舞伎役者を演じ、SFドラマ「スター・トレック」シリーズの敵役カーンで人気を博す。
1/11
■福田繁雄(グラフィックデザイナー)東京
11日、蜘蛛膜下出血で死去、76歳。
56年岩手県立福岡高等学校を経て、東京芸術大学図案科を卒業。味の素広報部などを経て、58年独立。
67年大阪万博の公式ポスターを作成。75年ポーランドのワルシャワ国際ポスタービエンナーレで金賞、85年ユネスコ国際ポスター展グランプリ・サピニャック賞など受賞多数。だまし絵的な要素をポスターに取り込み、広く親しまれる作品を描いた。平面から立体、公共彫刻まで幅広く手がけた。00年から日本グラフィックデザイナー協会長を務めた。81年東京芸術大学助教授に就任。ほか86年毎日芸術賞、97年紫綬褒章を受けた。「視覚の魔術師」「日本のエッシャー」とも称される。
1/8
■牟田悌三(俳優)東京都
8日、自宅で入浴中に倒れ、搬送された病院で死去、80歳。
麻布高校から北海道大学農学部に進学。在学中にNHK札幌放送劇団に入る。卒業後、ラジオやテレビなどに出演。劇団テアトル・エコーの創設メンバーの一人。
70年代テレビドラマ「ケンちゃんシリーズ」の父親役で人気を集めた。ホームドラマなどに出演する一方、ドキュメンタリー番組などのナレーションにも定評があった。主な出演作に「3年B組金八先生」「大地の子」など。00年世田谷ボランティア協会での活動が評価され、吉川英治文化賞を受賞。99年子どもの電話相談を受けつけるNPO法人「チャイルドライン支援センター」を設立、代表理事を務めた。チェルノブイリ原発事故の被災者への支援など国際的な活動にも携わった。
1/4
■ジゼール・サランディ(女子プロボクサー)トリニダード・トバゴのシパリア
4日、ポートオブスペインでの
自動車事故により死去、21歳。
11歳でボクシングをはじめ、00年13歳でプロデビュー。04年ポアラ・ロハス(Paola Rojas)に判定勝ち、WIBAイベリア・アメリカ王座獲得。06年エリザベス・ムーニー(Elizabeth Mooney)を7ラウンドTKOで倒し、WBC・WBA女子スーパーウェルター級世界王座を争い2冠獲得。同年Miriam Brakacheに判定勝ち、IWBF・NABC・WBE・IWBA王座を獲得、同時にWBC・WBA王座初防衛。07年イボンヌ・レイズ(Yvonne Reis)に判定勝ち、WIBA王座を獲得。08年WBC・WBA暫定王者カロリナ・ルカシク(Karolina Lukasik)に判定勝ち、WBC王座統一とともにWIBF王座を獲得。通算成績17戦17勝(うち6KO勝ち)。デビュー以来、無敗を誇った。
1/3
■パット・ヒングル(米俳優)コロラド州デンバー
3日、ノース・キャロライナ州死去、84歳。60年ニューヨークの自宅アパートでエレベーター事故に遭遇。復帰に1年を要した。
41年米海軍に入る。戦後テキサス大学を卒業。89年「バットマン」に始まる4本のシリーズで、ゴードン総監役を演じる。権威的存在を演ずることが多い。他の出演作に61年「草原の輝き」、66年「ネバダ・スミス」、77年「ガントレット」など。

1/3
■永田寿康(元民主党衆院議員)名古屋市
3日、福岡県北九州市八幡西区の11階建てマンションの駐車場で3死去、39歳。
午後6時半ごろ同地で倒れているのを住民が発見。病院搬送されたが死亡が確認された。
飛び降り自殺を図ったとみられる。10階と11階の間の踊り場に遺書があったという。福岡県警によると、08年11月中旬にも療養中の福岡県宗像市の保養施設を抜け出し、手首を切って自殺未遂を起こした。
93年東京大学工学部物理工学科を卒業。同年大蔵省に入省。99年大蔵省を辞職し、古川元久衆院議員の公設秘書となる。00年衆院選で千葉2区から出馬して初当選。以降当選3回。06年衆院予算委員会で、ライブドアの堀江貴文社長(当時)が自民党幹事長の次男への送金を指示したとするメールを取り上げたが、メールは偽物と判明。民主党から半年間の党員資格停止処分を受け、同党の前原誠司代表(当時)らが引責辞任。自身も同年議員辞職した。08年には05年8月の国政報告会で創価学会が不正な選挙活動をしたとの偽った発言をしたとし、千葉簡裁から名誉棄損罪で罰金30万円の略式命令を受けていた。
1/2
■マリア・デ・ジェズス(世界最高齢)
2日、同国中部トマール近くの自宅で体調を崩し、病院に運ばれる途中死去、115歳。
1893年ポルトガル中部ウルキエラの貧困農家に生まれる。12歳から畑を耕した。結婚してコルージョに転居。6人の子に恵まれたが、57歳で夫と死別。学校に通ったことがなく、100歳の誕生祝いで「読み書きを習いたい」と抱負を語ったが、実現できなかった。
1/1
■野口 恭(野口ボクシングジム元会長、元日本フライ級王者)
1日、心不全のため死去、69歳。
61年日本フライ級タイトルを獲得し、第12代王者となる。父の進(ライオン野口)は日本ウエルター級王者で、親子チャンピオンは日本初。兄の修はキックボクシング創始者。62年世界フライ級王座にも挑戦したが、判定で敗れた。同年斎藤清作(のちのたこ八郎)に破れ日本フライ級タイトルを失う。通算成績52戦38勝(6KO)10敗4分。