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★1999年〜2007年
1999年【地球号を降りたあの人この人、気になる人々

12/31
渡辺はま子(歌手)横浜出身。
31日午後7時15分、脳梗塞のため横浜市中区山手町 の自宅で死去。89歳。昭和8年、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音大)を卒業後、オペラ歌手8を目指したが、ビクターと専属契約し歌謡曲の世界へ。十一年にヒッ8トした「忘れちゃいやヨ」は歌い方が官能的過ぎるということで発売 禁止になった。その後日本コロムビアに移ってからは国民歌謡「愛国の花」、日中戦争下の大陸ブームに乗った「支那の夜」「何日君再来」などエキゾチックな名曲を立て続けに発表、上海など戦地への慰 問も数多く行った。戦後は戦犯の釈放に尽力したり、施設などへの慰問や寄付を積極的にする一方、「あゝモンテンルパの夜は更けて」「桑港(サンフランシスコ)のチャイナ街(タウン)」のヒット曲を出した。生涯に吹き込んだ曲の総数は約千八百曲に上るという日本歌謡曲史に残る歌手の一人だった。四十八年、紫綬褒章、五十六年に勲四等宝冠章を受章。


12/31
村田正雄(俳優)東京都出身。
31日午後5時52分、肝不全のため埼玉県川口市の市立 医療センターで死去、81歳。戦前、新派や少年歌舞伎などに出演。戦後、軽演劇を経て、テレビドラマ「台風家族」「はぐれ刑事純情派」や、舞台「たぬき」「鶴八 鶴次郎」などで名わき役として活躍した。
12/30
小林与三次(読売新聞社の代表取締役名誉会長で日本テレビ放送網会長)富山県出身。30日午後1時45分、がん性腹膜 炎のため文京区の東京医科歯科大病院で死去。86歳。前読売新聞社社主の故正力松太郎氏の女婿。昭和11年に東大法学部卒業後、旧内務省に入省。昭和33年に44歳で自治事務次官になり、住宅金融公庫副総裁を経て昭和40年、役員待遇で読売新聞社に入社。昭和56年に社長、平成3年会長、9年名誉会長。また、昭和四十五年に日本テレビ放送網社長となり56年から同会長。この間、日本新聞協会会長、日本民間放送連盟会長、選挙制度審議会会長などを務めた。平成6年に勲一等旭日大綬章受章。
12/29
シッピー(国内最高齢のワニ)
岡山市京山の池田動物園(池田隆政園長)で飼育されていたミシシッピワニのシッピーがこのほど、老衰のため死んだ。26日夕、オリの中で水から上がったままの状態で死んでいるのが見つかった。推定年齢は75歳(人間なら約102歳)で、国内最高齢。大きさも体長三・三メートル、胴回り一・三メートルと国内最大だった。シッピーは昭和5年ごろ、米国から日本初のワニとして輸入され、大分県別府市の温泉で飼育されていた。戦時中、国内の大型動物はほとんど処分されたが、シッピーは生き延び、昭和二十八年に同動物園の開園祝いに贈られた。同動物園ではシッピーをはく製にして保存したいとしている。
12/28
クレイトン・ムーア(米国の俳優)シカゴ出身。
28日、心臓発作のため、米ロサ ンゼルス近郊の病院で死去。85歳。  
サーカス団の空中ブランコ芸人やモデルを経て、1938年にハリウッド映画界に入った。50年代に一世を風靡(ふうび)した米ABCテレビの西部劇映画「ローン・レンジャー」の主演俳優。黒マスクのロ ーン・レンジャーが白い愛馬シルバーを疾駆させるシーンは当時の子 供たちを夢中にさせた。「レンジャーを演じることで、私はよりいい人間になった」と語り、引退後も子供たちに銃やアルコール、薬物などの害を説く道徳伝 道を続けた。「ローン・レンジャー」は日本でも放送され、人気を集めた。
12/26
カーティス・メイフィールド(米ソウル歌手・ギタリスト)シカゴ生まれ。
26日、 米ジョージア州ロズウェルの病院で死去、57歳。死因は不明。1957年にゴスペル・ソウル・グループ「インプレッションズ」を結成し、「ジプシー・ウーマン」(61年)をはじめ多くのヒット曲を放った。70年にソロ活動を開始、アルバム「スーパーフライ」(72年)は大ヒットとなった。プロデューサーとしても活躍し、アレサ・フランクリンらのアルバムをプロデュースした。90年にニューヨークのコンサート会場で起きた事故で脊髄を損傷、首から下がまひする状態となり音楽活動を停止していたが、96年に新作アルバムを発表していた。

12/25
池田貴族(ロック歌手)名古屋市出身。
25日午前3時35分、肝細胞がんのため名古屋市内の病院で死去。36歳。
東京・原宿の歩行者天国で活動したロックバンドのボーカルとして人気を集め、平成二年プロデビュー。四年に解散後、心霊やサッカー、エイズ問題などの評論家として活躍した。八年十一月、 自らが肝臓がんであることを告白。手術を受けて退院したが、再発によって手術を繰り返した。十一年に初のソロアルバムを出すなど音楽活動を続け、闘病記などを出版した。

12/24
■菅原謙次(新派俳優)東京都出身。
24日午前10時55分、急性肺炎のため東京都千代田区の病院で死去。73歳。俳優座養成所を経て、昭和25年、大映入社、翌年デビュー。36年からはフリーとなり、二枚目俳優としてテレビドラマで活躍。代表作となった「七人の刑事」では杉山刑事役で人気となった。42年、新派に客演して以来、舞台に立ち、四十八年に正式に新派入り。きりっとした渋い演技で大矢市次郎の役どころを受け継ぎ、「仮名屋小梅」の峯吉、「明治一代女」の箱屋巳之吉、「婦系図」の酒井先生など新派十八番物を当たり役にした。水谷八重子亡き後は、水谷良重、波乃久里子、安井昌二とともに新派の四本柱だった。先月の新橋演舞場が最後の舞台となった。その後、風邪をひいたため入院していた。スペイン舞踊家の小松原庸子さんは実妹。
12/21
■大川慶次郎(競馬評論家)
21日午前9時15分、高血圧性脳出血のため茨城県阿見町の病院で死去。70歳。
大川氏は今月15日、茨城県美浦村の美浦トレーニングセンターでの競馬調教を取材した後、阿見町のすし店で競馬関係者と懇談中に脳内出血で倒れて病院に運ばれ、入院後もこん睡状態が続いていた。
12/18
■ロベール・ブレッソン(仏映画監督)
18日死去、98歳。死因や死亡場所など詳細は不明。
1901年、フランス軍人の家に生まれる。画家を目指したが、映画界に入り、34年「架空の独裁者の3日間」で監督としてデビュー。50年「ジュルナル・ダン・キュレ・ド・カンパーニュ」(田舎司祭の日記)でフランス最優秀映画賞、ベネチア国際映画祭批評家大賞などを受賞。後「スリ」(59年)、「ジャンヌ・ダルク裁判」(62年)、「バルタザールどこへ行く」(66年)などの作品を残した。無名の俳優を使い、映像や音楽も叙情的なものを避けるなど、純粋な映画づくりを目指す独特の手法を用いたことで知られる。
12/17
■ハンク・スノー(米カントリー歌手)
ナッシュビルの自宅にて死去。85歳。カントリーミュージックの大御所。
12/17
■グローバー・ワシントン・ジュニア(米ジャズ・サックス奏者 )ニューヨーク州バファロー出身。
17日夜、NYのCBSテレビで演奏の録画どりの最中に 倒れ、病院に運ばれたが死亡、56歳。
サックス奏者だった父の影響で幼くしてサ ックスになじみ、10代でバンドを結成。70年、ジョニー・ハモンド・スミ スと「ブレイクアウト」で共演したころから本格的な演奏活動を展開、ジャズ とソウルを融合させた「ジャズ・ファンク」音楽を演奏し始めた最初の音楽家の1人とされている。
「ワインライト」「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」などのヒット曲で知られるほか、93年にはホワイトハウスで演奏、96年、ニューヨークで 行われたクリントン大統領の50歳の誕生パーティーでも演奏した。
12/10
ジョーゼフ・ヘラー(米作家)NYブルックリン出身。
12日、心臓発作のためNY郊外イーストハンプトンの自宅で死去、76歳。
第2次大戦に空軍の爆撃手として参加。1961年、従軍経験を基に戦争の恐ろしさや社会の不条理をブラックユーモアで鋭く風刺した長編小説「キャッチ−22」を発 表、1000万部を超える大ベストセラーになった。この小説にちなんで「キャッチ−22」は八方ふさがりの状況やジレンマを意味する言葉として各種英語辞書に収められている。このほかの作品に「サムシング・ハプンド」(74年)、「グッド・ア ズ・ゴールド」(79年)、「ゴッド・ノウズ」(84年)などがある。

12/10
■リック・ダンコ(米ロックグループ「ザ・バンド」のメンバー)カナダ出身。
10日、米ニューヨーク州マーブルタウンの自宅で死去、56歳。死因は不明。
14歳で学校をやめて音楽活動を始め、ロニー・ホーキンズ、ボブ・ディランの伴奏を務めた仲間とザ・バンドを結成。ボーカル兼ベーシストとして1968年、アルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」でデビュー。「ザ・ウェイト」をはじめ、カントリーやゴスペル音楽の要素も加えた曲で米ロック界最高の人気を集めた。76年、映画にもなった「ラスト・ワルツ」コンサートを行い解散したが、83年、93年に再結成。97年には別のグループの公演のため来日中、麻薬密輸で逮捕され有罪判決を受けた。
12/10
■わち さんぺい(漫画家)広島県出 身。
いん頭がんのため埼玉県富士見市の病院で死去、73歳。
ほのぼのとしたギャグ漫画で知られ、代表作に「ナガシマくん」「火星ちゃん」など。漫画家の故谷岡ヤスジ氏の師だった。
12/6
■佐藤 勝(映画音楽監督)北海道出身。
死去。71歳。
「蜘蛛巣城」「用心棒」「赤ひげ」「赤ひげ」「椿三十郎」「天国と地獄」など、故黒澤明監督作品のほとんどの音楽を担当した。来年公開の「雨あがる」が遺作となった。勲四等旭日小綬章叙勲パーティー席上、気分が悪くなり病院に運ばれたが、まもなく死亡した。ブルーリボン賞、日本アカデミー賞など多数の映画音楽賞を受賞、平成五年・芸術選奨文部大臣賞、五年には紫綬褒章受章。
12/4
■大翔鳳 昌巳(大相撲親方、元小 結)日大相撲部出身。
4日午前10時47分、膵臓癌のため東京都新宿区の病院で死去、32歳。立浪部屋に入門し、平成2年、初場所 初土俵。大翔鳳のしこ名で幕内を34場所務め、敢闘賞を2回獲得 した。十両だった今年五月の夏場所を全休して引退、日 本相撲協会に二年間残れる準年寄「大翔鳳」となった。十月三日の断髪式で臓がん闘病中であることを公表した。十両に落ちた平成11年5月の夏場所 (全休)を最後に引退し、日本相撲協会に2年間残れる準年寄「大翔 鳳」となった。
阿佐ヶ谷に、この人の店【大翔鳳】(経営は日大関係の人)があり、よく見かけた。色白で彫りの深い顔をした綺麗なお相撲さんで、親しみのわく人だった。合掌
12/3
■マデリーン・カーン(米女優)
卵巣癌のためニュー ヨークの病院で死去、57歳。
オペラ歌手出身、 ミュージカルで活躍。映画は1973年「ペーパー・ムーン」、74年「ブレージングサドル」で 米アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。他には「ヤング・フランケンシュタイン」「メ ル・ブルックス 新サイコ」「ニクソン」がある。93年、ブロードウ ェー舞台の功績でトニー賞の演劇主演女優賞。 近年はテレビドラマ「コスビー」で活躍していた。

12/3
■チャーリー・バード(米ジャズギタリスト)バージニア州出身
12月2日、がんのため米メリーランド州アナポリスの自宅で 死去、74歳。
10歳でギターを本格的に勉強、1950年 にワシントンでクラシックギターによるリサイタルを開催し注目さ れた。その後英国やサウジアラビアなどでも演奏し、世界的な名声 を得た。ジャズにラテン音楽やクラシックの要素を取り込んだことで知ら れ、サックス奏者のスタン・ゲッツらと制作したアルバム「ジャズ ・サンバ」(62年)で60年代の米国にボサノバを流行させ、人 気を決定的にした。長年がんを患いながら、死の直前まで演奏を続けていた。

11/30
■キノトール(放送作家で脚本・演出家)東京都出身。
29日午前10時18分、肺炎のため山梨県一宮町の一宮温泉 病院で死去。77歳。
妻は医事 評論家のドクトル・チエコ。三木鶏郎の冗談工房で放送台本の執筆を開始。NHKの「日曜娯楽版」で一躍、売れっ子ラジオ作家となった。テレビでは「光子の窓」「ゲバゲバ90分」など多くのコント、バラエティー番組を手掛けた。劇団「テアトル・エコー」の脚本家、演出家としても活躍した。
11/195
山村正夫(作家、元日本推理作家協会理事長)名古屋市出身。
19日午後11時15分、多臓器不全のため東京都世田谷区の古畑病院 で死去、68歳。
昭和24年、「二重密室の謎」でデビュー。伝奇的推理から本格、怪奇、ユーモア推理まで幅広い作風で活躍した。52年「わが懐旧的探偵作家論」で日本推理作家協会賞、55年「湯殿山麓呪い村」で角川小説 賞受賞。56年から60年まで日本推理作家協会理事長を務めた。
11/5
イアン・バネン(英俳優)スコットランド生まれ。
3日、英スコットランドのネス湖近くで 自動車事故のため死去、71歳。
1947年にダブリンの劇場で演劇俳優としてデビュー。英国の典型的な渋いわき役俳優として映画、テレビに活 躍した。65年の「飛べ!フェニックス」でアカデミー助演男優賞の候補となった。「ゴーリキー・パーク」(83年)「ブレイブハート」(95 年)などに出演、「針の眼」(81年)の中世史研究家役は印象深い。昨年、主役を演じた喜劇映画「ウェイクアップ!ネッド」(邦題)が英米で大ヒットした。
10/3
佐治敬三(サントリー会長)
3日午前6時31分、肺炎のため大阪府吹田市の大阪大学 医学部付属病院で死去。80歳。大正8年、寿屋(現サントリー)の創業者、鳥井信治郎氏の二男とし て大阪市で生まれた。大阪帝国大学理学部を卒業、昭和二十年、寿屋 に入社。36年から約29年間にわたって社長を務め、平成二年三月、会長に就任した。
11/02 
■千秋実(俳優)
11月2日、午後0時12分、急性心肺不全のため死去。享年82歳。
新聞紙上を<最後の「七人の侍」>の文字が踊り、TVでは、三船敏郎の葬儀の際の千秋実のコメント<あぁそうか、オレだけが残ってしまったのか・・寂しいね〜!>を繰り返し流している。『七人の侍』関係者が一人一人消えてゆく度に、この映画はこの国の宝物のような気がしてくる。それにつけても、作家の荻史郎氏が口癖のように言っている言葉が気に掛かる「矢野ちゃんは、将来、千秋実状態になるよ・・・だって顔がそっくりだものな」どういう意味だ!長生きして、みんなを看取って死ぬということかな?平八は死んだが『七人の侍』は映画の中で生き続けていくのだ。
10/29
■ビジュ(絶滅危惧種のニシローランドゴリラ。オス、12歳)
28日午前、死んだことを発表した。死因は不明。
ビジュは、昭和62年7月28日、イギリス・ハウレッツ動物園生まれ。平成9年12月に、上野動物園に来園した。動物園では「今日の早朝まで元気だったので、非常に残念」と話し ている。ビジュは、7月に千葉市動物公園から来園したモモコ(16歳)らと 仲が良く、ジュニアの期待がかかっていた。一方、絶滅の危機にひんしている種の存続事業の一環で実施されている上野動物園と国内動物園のゴリラ交換事業で京都市動物園から平 成九年三月、上野動物園にやってきた元気(メス、13歳)は、最近ビジュとの仲が良くなく、その影響からか食べ物を嘔吐するなど体の状態が悪いため、母親のいる京都市動物園に29九日、一時里帰りすることになった。
10/26
■ホイト・アクストン(米シンガー・ソングライター、俳優)1938年オクラホマ州出身。26日、モンタナ州の自宅で死去、61歳。死因は不明。
母親が友人と共に作曲したエルビス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」のヒットに刺激されて自分でも作曲を始め、キングストン・トリオが歌った「グリーンバッ ク・ダラー」(63年)やスリー・ドッグ・ナイトの「喜びの世界」(71年)がヒット。ジョン・デンバーやリンゴ・スター、リンダ・ロンシュタットらの曲も作った。作曲業の傍ら俳優業もこなし、映画「イージー・ライダー」(69年)や「グレムリン」(84年)などに出演した。
10/7
■アマリア・ロドリゲス(ポルトガル・ファド歌手)リスボン生まれ。
若い頃、今は無き阿佐ヶ谷のBAR 「ランボオ」で初めて聞いてショックを受けた音楽で、ダミアの「暗い日曜日」と双璧にある忘れがたいアマリア・ロドリゲス。一枚のレコードをきっかりかけて、ひとり一人にテーマソングがあったこのランボオ。ロドリゲスも確か常連のテーマソングだったと記憶しているが誰っだたのか忘れてしまった。マカオで聞いたファドはそれはそれで良かったが、エライ違いのだ・・・もう一つ、ビリー・ホリデイの「ストレンジ・フルーツ」を加えるとオレの三大歌曲だ・・・。
ポルトガル民謡「ファド」の女王が6日、リスボンの自宅で死亡、享年79歳。
158センチの小柄な体に豊かな声量・・・切々と情感溢れる歌いかたで日本でも大人気。84年にニューヨークのホテルで肺がんを苦に自殺しようとしたが、部屋で見ていたフレッド・アステアの映画に勇気付けられて立ち直ったという話が伝わっている。1998年リスボン万博に出たのが最後の舞台となった。
国を代表する歌手の死を悼んでポルトガルでは3日間の服喪を発表したそうだ。

10/9 またひとつ巨星が落ちた
■ミルト・ジャクソン(ジャズ・ビブラホン奏者)1923年1月1日デトロイト出身。
10月9日、肝臓がんのためNY市内の病院で死去、76歳。
1945年に出身地デトロイトから、ガレスピーに見いだされジャズの本場ニューヨークに進出してビバップ・ジャズの第一人者として黄金時代を築いた。52年にがレスピー楽団でリズムセクションを担当していたジョン・ルイス、パーシー・ヒース(当初はレイ・ブラウン)、ケ二一・クラークと共にモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)を結成。60年代後半からは自己のグループ活動も展開。
ヴァグスことミルト・ジャクソンの歴史すなわちジャズなのだ。名盤中の名盤「ヴァグス・グルーヴ」(マイルス・デイビス)の、長〜いタイトル曲<ヴァグス・グルーヴ>は彼の作った名曲なのだ。グッと口をへの字に結び奥歯を噛み締め、哲学的な顔で演奏する、彼のあの軽やかなマレット捌きはもう見られない。


1999年9月

9.17
市川右太衛門こと旗本退屈男・早乙女主水之助
花のお江戸で悪が栄えた試しはない、この眉間の三日月傷が全て見通しだからじゃ!
ぶはっ、ぶわっ、ぶわっはっはっは拙者、直参旗本早乙女主水之助、諸派流青眼崩し一差し舞うて見せようか・・・御歳91才・・・生涯、ヒーローのまま大往生物差しとお袋のハデ目の着物を引っぱり出し、ぷはっ、ぷわっと見得を切りると、オレは完璧な退屈男。ぶわっはっはっはで振り向くと、そこにはおっかない顔をしたお袋が仁王立ち、名セリフ<悪が栄えた試しはない>と物差しで思い切りぶったたかれ、ばあさんのところに
逃げ込む・・・そんな子供時代のヒーローだった。合掌

9/24
■ジョージ・C・スコット(米映画俳優)1927年、米バージニア出身。
22日、 ロサンゼルス近郊の自宅で死去、71歳。死因は不明。
「縛り首の木」で映画デビュー。61年ロバート・ロッセン監督の「ハスラー」でアカデミー助演男優賞にノミネートされたが拒否。結果的には受賞しなかったが当時センセーショナルな話題になった。そして、70年のフランクリン・J・シャフナー監督「パットン戦車軍団」で主演男優賞に選ばれたが、またもオスカーを拒否。反権指向の強い姿勢を貫きハリウッド一のひねくれ者の名を誇った。その後はアルコール依存症にかかったりして仕事に恵まれなかった。代表作はキューブリック作品「博士の異常な愛情」(64)、マイク・ニコルズの「イルカの日」(73)「モルグ街の殺人」(86)「冷たい月を抱く女」(93)「どんな時でも」(95)など。ハスラーを10月に入ってBS で再観したが、彼のふてぶてしくもどこか線の弱さを見せる演技には感心させられた・・・時代が過ぎ、またひとり骨太の男が逝ってしまった。合掌。

9/25
■ 淡谷のり子(歌手)青森市出 身。
22日午前4時半、東京 都大田区上池台2−18−8の自宅で死去。92歳。
1929(昭和4)年、東洋音楽学校(現東京音大)卒。46年日本レコード大賞特別賞、47年紫綬褒章、54年勲四等宝冠章受賞。著書『老いてこそ人生は花で』『私のいいふりこき人生』。
ブルースの女王と呼ばれた彼女が歌う<窓を開ければ港が見える>この文句は、<トンネルを抜けるとそこは雪だった>に匹敵するほどの名文句なのだ。この人も反骨の人だった。合掌

1999年8月

8/3
■高島 茂(俳人 居酒屋ぼるが店主 )享年79歳。
新宿では昔からの名物居酒屋だったが、東京都庁の新宿進出と共に、ダークグレーの背広族がはびこりだし、実にくだらん連中が店の趨勢を占めるに至り、だんだん足が遠のいてしまった。

8/7
■宮川一夫 (映画カメラマン)京都市出身。
7日午前零時56分、急性腎(じ ん)不全のため京都市北区の病院で死去した。91歳。
1926(大正15)年、日活京都撮影所に入社。助手を経て、黒沢明監督の「羅生門」、溝口健二監督「雨月物語」など日本映 画の数々の名作を撮影した。「映画監督とカメラマンは夫婦(めおと)の関係」が持論。純粋 で情熱的な人柄が多くの人に愛され、九二年第十回川喜多賞贈呈式 では“夫”の一人、黒沢監督が会場に駆け付け「自分が賞をもらっ た時よりうれしい」と祝福した。作品にはこのほか「千羽鶴」「朱雀門」「浮草」「東京オリンピ ック」(164人のカメラマンのうち唯一の劇映画出身)「はな れ瞽女(ごぜ)おり」など。89年の篠田正浩監督「舞姫」が最 後の作品となった。紫綬褒章などを受章

8/11
■ビクター・マチュア(米映画俳優)
米カリフォルニア州サンディエゴ郡の検視官が9日確認したところによると、4日、がんのためサンディエゴで死去、86歳。
ジョン・フォード監督の西部劇名作「荒野の決闘」(1946年)でのニヒルなドク・ホリデー役やセシル・B・デミル監督の聖書劇大作「サムソンとデリラ」(49年)でのサムソン役など、幅広い役柄で40年代から50年代にかけてハリウッドの代表的な男優として活躍した。ロサンゼルス郊外のパサディナ・プレイハウスで俳優として出発し、ブロードウェーの舞台を経て、第二次世界大戦後にフォード監督に起用されて一躍スターとなり、その肉体美から「聖衣」(53年)などの聖書劇で主役を演じた。(時事)

1999年7月

7/3
■シルビア・シドニー(米女優)ニューヨーク出身。
1日、喉頭癌のため米ニューヨークの病院で死去88歳。
10歳代でブロードウェーの舞台に立ち、1920年代末に映画デビュー、「市街」(31年)でゲーリー・クーパーと共演。アルフレド・ヒチコック監督の「サボタージュ」(36年)、ハンフリー・ボガートの相手役を務めた「デッド・エンド」(37年)などで人気を集めた。「サマー・ウィッシズ、ウインター・ドリームズ」(73年)でアカデミー賞助演女優賞候補に挙がった。最近も映画「マーズ・アタック」(96年)やテレビドラマで活躍していた。

7/4
■エドワード・ドミトリク(米映画監督)
1日、心臓・じん臓機能不全のため、ロサンゼルスの自宅で死去、90歳。
ウクライナ移民の子としてカナダで生まれ、パラマウント映画のメッセンジャー、映画編集者を経て1935年に監督デビュー。ハリウッド映画として初めて正面から反ユダヤ主義を取り上げた「十字砲火」 (47年)でアカデミー監督賞にノミネートされ、社会派監督としての地位を確立した。 しかし、40年代末の「赤狩り」に巻き込まれ、下院非米活動委員会喚 問で証言を拒否し、禁固刑を受けて服役。出獄寸前に共産党員だったことを認めた後、英国で監督活動を続けた。51年に非米活動委で党員時代の仲間の名前を証言して本格的に転向、ブラックリストから外れた。これが一部では「裏切り行為」と批判された。ハリウッド復帰後は、大物監督として一時代を画した。(時事)

7/4
■マリオ・プーゾ(米作家)
2日、心不全のため米ニューヨーク州ロングアイランドの自宅で死去、78歳。
読み書きのできないイタリア移民の子としてニューヨークに生まれ、第二次大戦に従軍後、小説を書き始めた。1969年、米国のイタ リア系マフィアの内幕を描いた「ゴッドファーザー」を出版、世界で二千万冊以上を売る大ベストセラーになった。プーゾ氏自身とフランシス・コッポラ監督の共同脚本で映画シリーズ化もされ、72年の第一 作と74年の第二作でアカデミー賞脚色賞を受けた。(共同)

7/5
■ガイ・ミッチェル(米ポピュラー歌手)デトロイト出身。
1日、手術後の合併症によ り米ネバダ州ラスベガスの病院で死去、72歳。
海軍での兵役の後、ニューヨークでピアニストのカーメン・キャバレロ率いるバンドに加わり、本格的な歌手活動 を開始。1950年フランク・シナトラの代役として急きょミッチ・ミラー楽団と組んで録音した「マイ・ハート・クライズ・フォー・ユー」などで人気が出た。50年代には同楽団との共演で数々のヒット曲を生み、「ブルースを歌おう」は記録的なヒットとなった。(時事)

7/6
■三遊亭小円馬(落語家、落語芸術協会常任理事)東 京都出身。
5日午前8時、悪性リンパしゅのため東京都中野区本町の自宅で死去、73歳。
昭和23年に四代目三遊亭円馬に弟子入りし、25年に四代目小円馬 を襲名。一時はラジオやテレビにレギュラー番組を持ち人気者に。“呼び出しの小円馬”と呼ばれるほどの大声でも知られた。

7.7
■ホアキン・ロドリーゴ(スペインの世界的ギター奏者で作曲家)
6日、スペイン・マドリード の自宅で老衰のため死去した。97歳。
「アランフェス協奏曲」世界的ギター奏者ギターの名曲「アランフェス協奏曲」で知られる。ロドリーゴ氏はスペイン東部バレシア県サグイトの裕福な家庭に生まれ、3歳の時にジフテリア の後遺症で失明。八歳で音楽学校に入り、ピアノ、バイオリンを習うと同時に作曲を学んだ。26歳でパリに留学。モーリス・ラベルらの影響を受けた。ギターと管弦楽の名曲「アランフェス協奏曲」はスペインに帰国後の1939年に発表。ギターという楽器の特徴を十二分に生かしたフラメンコなどの影響の強い独特のロマンチックな旋律で世界的な名声 を博し、ギター奏法にも大きな影響を与えた。また、モダンジャズの マイルス・デイビスがトランペットで演奏するなど、二十世紀の代表的な作品として多くの演奏家に愛された。トルコ人のピアニスト、ビクトリア夫人が点字で、夫の創作活動を助けたほかに「アンダルシア協奏曲」「スペイン舞曲」など。昭和48年に来日して好評を博した

7/8
■光瀬 龍(SF作家)東京都出身。
7日午後4時38分、食道がんのため東京都文京区の都立駒込病院で死去、71歳。
SF同人誌「宇宙塵」に参加。壮大なスケールのSF小説で知られ、時代小説の分野でも活躍した。代表作に「ロン先生の虫眼鏡」「百億の昼と千億の夜」など。

7/11
ジェームズ・ファーマー(米黒人公民権運動指導者)
9日、バージニア州フレデリクスバーグの病院で死去、79歳。
最近数年間、糖尿病などで健康を損ねていたという。1950年代から60年代にかけて公民権運動の指導者として活躍。インド独立運動指導者マハトマ・ガンジーの信奉者で、人種差別に非暴力主義で抗議した。マーチン・ルーサー・キング、ロイ・ウィルキンズ、ホイットニー・ヤング3氏(いずれも故人)とともに公民権運動の「4巨頭」の1人に数えられ、昨年文民の最高勲章である自由勲章を授けられた。

7/12
■牛島秀彦(ノンフィクション作家、東海女子大教授)
12日午後3時47分、多臓器不全のため死去。64歳。
「もう一つの昭和史」「ノンフィクション 天皇明仁」などの著作がある。いとこで、特攻隊員として戦死したプロ野球・名古屋軍(現中日ドラゴンズ)の石丸進一投手を描いた「消えた春」は「人間の翼」の題で映画化された。

7/15
■ヘレン・フォレスト(米ポピュラー歌手)
7月11日、心不全のためロサンゼルスの病院で死去、82歳。
1940年代のビッグバンド時代を代表する歌手の一人で、アーティー・ショー、ベニー・グッドマン、ハリー・ジェームズの各楽団と共演、42年には女性トップ歌手にランクされた。「アイブ・ハード・ザット・ソング・ビフォア」などの大ヒットがあり、90年代初めまで活動を続けた。黒人公民権運動への理解者としても知られ、40年には白人として初めて、ライオネル・ハンプトンの率いる黒人バンドと共演した。

7/22
■江藤 淳(大正大学教授、文芸評論家)
神奈川県鎌倉市西御門の自宅で自殺しているのが発見された。66歳。
鎌倉署によると、同日午後8時ごろ、自宅浴室で手首を切って倒れているのをお手伝いさんが発見し、119番した。同署では室内に遺書があることから自殺の可能性があるとみて調べている。遺書は書斎の机の上に置いてあり、400字詰めのB4の原稿用紙一枚に「妻が死んでしまった。自分も病気があって体が思うように行かない」などの趣旨の内容が516行分、書かれてあったという。升目が一字一字、万年筆のしっかりとした字で埋められていたが、あて名はなかった。B4判の400字詰め原稿用紙に万年筆で書かれていた。文語調で83文字。「心身の不自由は進み」と、妻の死に悲観する気持ちと、脳梗塞(こうそく)に倒れた病の苦しみから書き出し、心身もに思うように任せない自らを「江藤淳は形骸に過ぎず」と表現。「自ら処決(覚悟を決める)」と覚悟の自殺であることを明らかにし、「乞う、諸君よ、これを諒とせられよ」と多くの人に理解を求め結んでいる。遺書の全文は次の通り。心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。 平成11年7月21日江藤 淳
このほか、別の部屋にはお手伝いさんと、江藤さん宅に出入りしている植木職人にあてた「大変お世話になりました」などと書かれた書面があった。江藤さんは今月初め、慶子さんの看病記を『妻と私』として出版したばかりで、自身も脳梗塞(こうそく)を患っていた。鎌倉署などのこれまでの調べによると、同日午後八時ごろ、自宅を訪れたお手伝いさんが、水を張った浴槽の中で江藤さんを発見、119九番した。救急隊が駆けつけたときにはすでに死亡していた。江藤さんは下着姿で、左手首に一カ所切り傷があり、浴室に文化包丁が落ちていたという。

1999年6月

6/29
■志摩 夕起夫氏(音楽評論家)東京都出身。
27日午後6時58分、食道癌の合併症による肺炎のため鎌倉市の清川病院で死去、76歳。自宅は鎌倉市稲村ガ崎1の17の23。昭和27年、開局直後のラジオ東京(現TBSラジオ)の嘱託となり、深夜番組「イングリッシュ・アワー」などを担当。日本でのディスクジョッキーの草分けとして、音楽と自由なおしゃべりで進行するラジオ番組の原型を作り上げた。コンサートの司会としても人気を集めた。

6/25
■別所毅彦(プロ野球評論家、元サンケイ(現ヤクルト)監督)兵庫県出身。
24日午前7時35分、心不全のため東京都目黒区駒 場の自宅で死去した。76歳。
昭和17年、南海(現ダイエー)に入団し、24年にライバルの巨 人へ移籍。豪速球を武器に川上哲治氏、故青田昇氏らと巨人の第二期黄金時代を支えた。実働17シーズンでの通算勝利数は歴代五位の310勝。主なタイトルは最多勝(三回)、最優秀防御率(一回)、最高殊勲選手(現最優秀選手、二度)、ベストナイン(六度)、沢村賞(二回)など。昭和三十五年に現役引退後は、巨人、大洋(現横浜)のコーチ、サンケイ・ヤクルトの 監督を歴任。54年に野球殿堂入りした。剛球投手として活躍し、「球界のご意見番」で現役時代はマウンド上にまさに仁王立ちして、けた外れの豪速球を繰り出し、解説者になってからは歯にきぬ着せぬ独特の語り口と豪快な笑いで、プロ野球ファンの人気を呼んだ。変化球でかわすことなく、直球勝負にこだわった野球人生。関係者からは、野球を心から愛し、豪気さと繊細さを併せ持っていた別所さんの死を惜しむ声が相次いだ。長女の道子さん(五〇)によると、別 所さんは23日夜、テレビで中日−巨人戦を観戦中、巨人が負けていたことで「今日はだめだな」と言って午後9時すぎに休んだという。そして24日午前7時ごろ、別所さんが背中の 痛みを訴えたため、道子さんがさすっていたところ、「もういいよ」と言ったのを最後に、眠るように息を引き取ったという。別所さんは4月13日の「プロ野球ニュース」(フジテレビ系)の解説後、肺炎のため一時入院。その後、のどを痛めて思うように声が出ず、仕事を休んでいた。「オールスター明けには現場にカムバックできるかな」と語って いたという。

6/5
■メル・トーメ(Mel Torme jazz vo.ds.p)1925.9.13~1999.6.5 
ロサンゼルスの病院で死去。享年73歳。
ベルベット・フォグの愛称で、あの一世を風靡した名曲「カミン・ホーム・ベイビー」で知られ、現ジャズ・ボーカルの最高峰に君臨していたメル・トーメが亡くなった。映画俳優としてもシナトラと共演した「ハイヤー・アンド・ハイヤー」「非情の青春」などの映画にも出演した粋な才人。作詞家、アレンジヤーとしても沢山のスコアを提供、色々な人に歌い継がれる、有名なクリスマス・ソングも彼の作曲だ。ボーカルをあまりかけなかったジャズ喫茶でも、彼の「カミン・ホーム・ベイビー」は、ごりごりのインスト・オンリー・ジャズファンにも無条件に受け入れられていた。俺の時代の一ページを飾るジャズ・ミュージシャンであるメル・トーメに合掌!
まろやかな歌声で人気を呼び、長年にわたって第一線で活躍してきた米国のジャズ歌手、メル・トーメさんが5日未明(日本時間同日午後)、米ロサンゼルスのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学病院で脳卒中による合併症で死去。73歳だった。四歳の時、ラジオ番組で早くも歌を披露するという文字通りの天才歌手で、1996年8月に脳卒中で倒れるまで、米国の実力派ジャズ・ポピュラー歌手のナンバーワンとして活動。作曲家としても知られ、スタンダード・ナンバーの「クリスマス・ソング」など約300曲を生み出した。25年9月、シカゴ生まれ。十代で喜劇グループ、マルクス兄弟の一人、チコ・マルクスのバンドと全米を演奏旅行し、ボーカルグループ「メル・トーンズ」を結成したが、その後ソロ活動を開始。編曲やピアノも担当するなど多芸ぶりを発揮した。映画やテレビショーにも出演し、56年にはテレビドラマ「コメディアン」で、エミー賞助演男優賞にノミネートされた。82年と83年には連続してグラミー賞を受賞。クラブやコンサートなどでの即興的な歌唱は有名で、米国のポピュラー音楽界の大御所的存在だった。

6/5
■アーニー・ウィルキンス(Ernie Wilkins jazz as.ts.ss)
1922.7.20~1999.6.5 享年79歳 コペンハーゲン脳卒中のためで死去
51年からカウント・ベーシー楽団に数々のスコアを提供、作編曲者として評価を得る。55年フリーになりベイシー、ドーシー楽団などにアレンジを書く。58年〜60年ハリー・ジェームズ楽団。66年麻薬治療で入院、70年からクラーク・テリー楽団。その後、80年コペンハーゲンに移り、自己の楽団オールモスト・ビッグバンドを結成。代表作として「オールモスト・ビッグ・バンド」(storyvill)などがある。
人間歳をとれば必ず死ぬものだとは解っていても、今月に入ってから訃報続きで悲しい。

5/14
トコちゃんの特集を企画していた、元某大学のジャズ研会長だったTVディレクターの桜田からメールが入った
<昨晩11時40分、病院でお亡くなりになりました。非常に残念です(仕事関係なく)本日ニュースステーションの最後ボードニュースで放送させてもらいます>
おいかけるように訃報のFAXが届いた・・・。以下は文面のまま
■このたびジャズドラマーの日野元彦(享年53歳)が、かねてから病気療養中のところ入院中の順天堂医院にて
平成11年5月13日午後11時40分、肝不全のためご逝去されました。
ここに心より慎んでご冥福を祈り、ご連絡申し上げます

日時 お通夜:平成11年5月16日(日)18:00〜19:00
   ご葬儀:平成11年5月17日(月)13:00〜14:00
   告別式:平成11年5月17日(月)14:00〜15:00
場所:円融寺 示真殿 住所:目黒区碑文谷1−22−22 (03-3712-2098)
喪主:日野泰子(容子) 親戚代表:日野皓正 慎んでご冥福をお祈りいたします

4/27
■アル・ハート (Al Hirt 、 tp) 1922~1999.4.27 享年76歳
肝機能障害のため米ルイジアナ州ニューオリンズの自宅で死去。、ビア樽のような巨漢とヒゲでニューオリンズの名物男アル。60年RCAの専属となり、同年の10月ラスベガスのラウンジ・ショーでアン・マーグレットと競演した。その縁で、62〜63年に競演盤「美女とペット/アンマーグレットとアル・ハート」を録音。64年にはミリオン・セラーになった「ジャバ」(RCA)でグラミー賞を受賞した。

4/6 JAZZ史に残る巨人がまた一人墜ちた
■レッド・ノーヴォ( Red Norvo jazz vib.xyl)
1908年~1999/4/6 (91歳)米カリフォルニア州サンタモニカ市の養老院で死去。30年代初頭に結婚した歌手のミルドレッド・ベイリーと組み数々のヒットを飛ばす。40年代半ばにはベニー・グッドマン楽団に参加。45年にはディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカーを加えた画期的な録音を行う。後に西海岸に移りタル・ファーロー、チャーリー・ミンガスと室内楽的ビ・バップ・サウンドなドラムレス・トリオで人気を博す。またノーヴォはギタリストの使い方が上手くタルをはじめ、映画音楽で活躍したマンデル・ロウをはじめジミー・レイニーなど達者なギタリストがノーヴォのバンドで活躍している。80年代はヨーロッパ楽旅で元気なところを見せていたが、さすが高齢には勝てなかったか・・・晩年は養老院生活だったようだ。合掌!

1999年5月

5/2
■オリバー・リード(英国の映画俳優)英国出身。
中海の島国マルタの午後、酒場で倒れ病院に運ばれる途中で急死。61歳。
叔父の故キャロ ル・リード監督の勧めで映画界に入り、61年「吸血狼男」の主演で好評を博し、「オリバー!」「恋する女たち」「ジョーカー野郎」「肉体の悪魔」「三銃士」など五十本以上の映画に出演した。マルタにはスピルバーグ監督の映画「グラディエーター(剣闘士)」 の撮影で来ていた。


5/4
■長洲一二(前神奈川県知事)東京都出身。
午後8時すぎ、入院先の横浜市西区の病院で死亡。79歳。
地方の時代」を提唱して故美濃部亮吉元東京都知事らとともに革 新自治体ブームを支えた。
5/6
■東山魁夷(日本画家、文化勲章受章者)横浜市出身
6日午後8時、老衰のため東京都中央区の聖路加国際病院で死去。90歳。
5/8
■ダーク・ボガード(英国の俳優)
78歳。
5/13
■ソール・スタインバーグ(米イラストレーター、漫画家)1914年ルーマニア生まれ。
12日、ニューヨークの自宅で死去、84歳。死因は不明。
5/20
■由利 徹(コメディアン)宮城県出身。
20日午後9時半、肝臓がんのため東京都世田谷区の病院で死去。78歳。
5/30
■ポール・ニューマン(米漫画原作者)ニューヨーク出身。
心臓まひのため米メリーランド州で死去、75歳。1947年から漫画の原作を書き始め、「スーパーマン」「ローンレンジャー」をはじめ4100以上の作品を書いた。

1999年4月

4/1
■坂東三津五郎(歌舞伎俳優、日本舞踊の坂東流家元)東京都出身。
1日午前1時51分、肝細胞がんのため東京都豊島区の癌研究会付属病院で死去。69歳。


4/1
■ジェシー・ストーン(米作曲家)
1日、米フロリダ州の病院で死去、97歳。詳しい死因は不明だが、腎臓(じんぞう)や心臓に疾患を抱えていたという。1940−50年代に米アトランティック・レコードで作曲家、編曲 家、プロデューサーとして、レイ・チャールズやジョー・ターナー、ドリフターズ、クローバーズらのアーティストと組んで活躍、ロック音楽の発展に大きな影響を与えた。代表作に「シェイク・ラトル・アンド・ロール」(54年)、「マニー・ハニー」(53年)などがある。
4/3
■菊村 到(芥川賞作家)神奈川県出身。
3日午後1時、心筋梗塞のため神奈川県秦野市の鶴巻温泉病院で死去。73歳。
32年「不法所持」で第3回文学界新人賞受賞、同年「硫黄島」で第37回芥川賞を受賞し、以後、推理小説を中心とした文筆活動に専念した。晩年は「隠れ刑事シリーズ」など官能サスペンスを主に執筆した。
政治評論家の故戸川猪佐武氏は兄、父の故戸川貞雄氏は元神奈川県平塚市長で作家。
4.10
■サム・ショー(米写真家、映画プロデューサー)
5日、米ニュージャージー州ウェストウッドの病院で死去、87歳。死因は不明。
1950−60年代にライフ誌などの表紙を担当。ビリー・ワイルダー 監督、マリリン・モンロー主演の映画「七年目の浮気」(55年)でのモ ンローのスカートが舞い上がる写真が有名。映画プロデューサーとしてはジョン・カサベテス監督の「グロリア」(80年)、「ラブ・ストリームス」(84年)などの作品がある。
4.13
■畦地 梅太郎(版画家)愛媛県出 身。
12日午前3時38分、肺炎のため東京都町田市の多摩丘陵病院で死去、96歳。
山岳風景や山男を描いた色刷り木版で知られ、ユーモアと滋味ある世界を構築。画文集に「とぼとぼ六十年」などがある。
4.14
■曽我廼家明蝶(俳優)兵庫県出身。
13日午後1時44分、呼吸不全のため、大阪府堺市の病院で死去。90歳。 
戦前、戦後を通じて上方喜劇界で活躍したベテラン俳優で、53年、紫綬褒章、58年、勲4等旭日小綬章などを受賞している。
4/16
■別当 薫(元プロ野球監督)三重県出身。
16日午後7時40分、心不全のため東京都港区の慈恵医科大病院で死去。78歳 。
本塁打王 監督歴任、巨人監督の長嶋茂雄らとともに63年、野球殿堂入りしている。
99/4/19
■桂 枝雀(落語家)
3月13日、自宅で首をつって自殺を図り同センターに運ばれ、意識不明の状態が続いていた。19日午前3時1分、心不全のため大阪府吹田市の大阪府立千里救命救急センターで死去。59歳。
昭和58年に芸術選奨文部大臣新人賞、62年に上方お笑い大賞を受賞。得意のネタは「宿替え」「船弁慶」「くやみ」など。

4/21
■いソノてルヲ(ジャズ評論家)東京都出身。
21日午後0時36分、前立せんがんのため千代田区の駿河台日本大学病院で死去、68歳。慶応大在学中からジャズに熱中し、卒業後、ジャズ評論家として活躍した。米国の放送音楽番組を制作し、日本でのディスクジョッキーの草分け的存在でもあった。
4/18
■三岸節子(洋画家、文化功労者)愛知県出身。
18日午前3時43分、急性心不全のため神奈川県大磯町の東海大大磯病院で死去していたことが22日、分かった。94歳
女子美術学校を卒業し、画家の三岸好太郎氏と結婚。20歳の時「自画像」などの作品でデビューした。以来、独立展、新制作展などに出品。夫と死別後も、3人の子を育てつつ制作を続け、装飾的な室 内画に個性を発揮した。平成元年、20年以上にわたったフランス生活を終えて帰国。3年、米ワシントン女性芸術美術館で回顧展が開かれ、6年、文化功労者に選ばれた。
4/19
■谷 洋子(仏映画などで活躍した日本人女優)
70歳。マルセル・カルネに見いだされてフランス映画に「ヨーコ・タニ」の名で出演。東洋のエキゾチックな美女として人気を博し た。日本人として外国映画で活躍する草分け的存在となった。
4/28
■ロデリック・ソープ(米作家、映画「ダイ・ハード」の原作者)
4月28日、心臓まひのためロサンゼルス西方のオクスナードで死去、62歳。
66年の「刑事」(フランク・シナトラ主演で映画化)を皮切りに一連の刑事物、探偵小説で人気を博した。「ナッシング・ラスツ・フォーエバー(永遠のものはない)」(88年の再版で「ダイ・ハード」と改題)はブルース・ウィリス主演で映画化され、大ヒットした。
99/4/23
■大泉 滉(俳優)
午前11時13分、肺がんのため東京都立川市の立川相互病院で死去。73歳。

99/4/23
■門恵美子(女子プロレスラー)
9日午前9時35分試合中の事故により死亡。。23歳。
 デビューわずか1ヵ月半で3月31日福岡での試合中に昏倒。

1999年3月

3/2
■ダスティ・スプリングフィールド(英国の女性歌手)
2日夜、乳がんのためロンドン郊外の自宅で死去。59歳。
1960年代に「プリーチャー・マン」「ウィッ シン・アンド・ホーピン」など相次いでヒットを飛ばし、英ポップミュージック界のスターに。“黒人の心を歌う白人ソウルシンガー”とも評され、ハスキーな声で歌った「この胸のときめきを」は世界的大ヒットとなった。


3.3
■チャールズ・ラング(米映画カメラマン)
肺炎のため米ロサンゼルス近郊の病院で死去していたことが21日分かった。96歳
3/3
■藤原弘達(辛口の政治評論で知られた元明治大学教授)広島県出身。
3日午前2時32分、肺炎のため東京都世田谷区内の病院で死去していたことが5日分かった。77歳。
3/4
■桜井長一郎(声帯模写の第一人者で東京演芸協会会長)
4日午前零時、くも膜下出血のため東京都八王子市の自宅で死去した。81歳。
3/6
■浜谷 浩(写真家)東京都出身。
6日午後2時57分、肺炎のため神奈川県平塚市の杏雲堂平塚病院で死去した。83歳。
3/8
■ジョー・ディマジオ(元ニューヨーク・ヤンキース野球選手)
8日早朝、フロリダ州ハリウッドの病院で死去。84歳。
54年にマリリン・モンローと結婚し、一緒に来日したが、9カ月で離婚した。
3/12
■ユーディ・メニューイン(世界的なバイオリニストで指揮者)
12日、心不全のためベルリン市内の病院で死亡した。82歳
3/17
■ローウェル・フルソン(米国のブルース歌手、ギター奏者)オクラホマ州出身。
17日、肺炎と腎不全のため米カリフォルニア州ロングビーチ市の病院で死去、77歳。
1930年代にブルース歌手テキサス・アレキサンダーと、50年代には先駆的な黒人歌手レイ・チャールズと共にバンドを組んだ。54年にヒットした「リコンシダー・ベイビー」は、後にエルビス・プレスリーが歌いアルバムに収録。他のヒット曲も、エリック・クラプトンやジミー・マクラクリンら著名な歌手のアルバムに収録された。
3/17
■稲葉 明雄(翻訳家)大阪府出身。
17日午前2時、脳出血のため東京都東村山市恩多町の自宅で死去、65歳。
3/17
■アーネスト・ゴールド(米国の映画音楽作曲家)オーストリア出身。
17日、脳卒中のため米カリフォルニア州サンタモニカの療養所で死去、77歳。
「栄光への脱 出」(60年)でアカデミー賞音楽賞を受賞。このほか「おかしな・おかしな・おかしな世界」(63年)、「渚にて」(59年)、「サンタ・ビットリアの秘密」(69年)の三つの映画の作曲でアカデミー賞音楽賞にノミ ネートされた。グラミー賞も二回受賞した。
3/23
■水島 道太郎(俳優)東京都出身。
23日午前11時22分、老衰のため東京都稲城市の病院で死去、87歳。
3/23
■高橋 和枝(声優)栃木県出身。
23日午後5時、骨髄異形成症候群のため東京都文京区の東大付属病院で死去、70歳。
昭和44年に放送が始まった「サザエさん」では、スタート直後から約28年間、カツオ役を務めた。
3/25
■上月 晃(宝塚出身のミュージカル女優)熊本県出身。
25日午前4時半、大腸がんのため東京都中央区の聖路加国際病院で死去。58歳。
3/27
■沖田浩之(俳優)
27日午前11時40分ごろ、川崎市高津区梶ケ谷の自宅二階自室で、寝間着のひもで首をつり自殺をはかり死去。36歳。
3/30
■杉田 恭子(末広亭席亭)東京都出身。
午後7時1分、肺炎のため東京都板橋区の東京都老人医療センターで死去、80歳。
3/29
■ジョー・ウイリアムズ(米ジャズ歌手)
入院中のラスベガスの病院から姿を消し、自宅近くの路上で死亡しているのを発見された。80歳。
1930年代に歌手としてデビュー。50年代に米ジャズ界の大御所だったカウント・ベーシー率いるバンドのメンバーとなり、「エブリデー・アイ・ハブ・ザ・ブルース」がヒット。バリトンの歌声が人気を呼び、ジャズの伝説的な歌手の一人として知られる。

3/31
■林 美一(時代考証家)大阪府出身。 
午後11時5分、パーキンソン病のため神奈川県逗子の病院で死去、77歳。
大映京都撮影所を経て昭和35年、江戸文芸研究家として独立。映画「天平の甍(いらか)」「ええじゃないか」「写楽」などの時代考証を担当し、テレビ、演劇界でも活躍した。江戸時代の艶(えん)本の研究でも知られ、「江戸艶本を読む」などの著書もある。
3/17
■リンダ・マッカートニー(元ビートルズ、ポール・マッカートニーの妻) 
乳がんのため米カリフォルニア州サンタバーバラで死去、56歳。
■稲葉義男(俳優)千葉県出身。
0日午後8時半、心筋こうそくのため、東京都杉並区の病院で死去していたことが22日分かった。77歳。

1999年2月

2/9
久野 収(反戦運動家で哲学者、評論家)大阪府堺市出身。
9日午前9時2分、入院先の静岡県伊豆長岡町内の病院で肺炎のため死去した。88歳。


2/11
郡司信夫(ボクシング評論家)栃木県出身。
11日午後5時32分、腎不全のため東村山市の多摩老人医療センターで死去。90歳。
2/14
■村田文一(ジャズ評論家、スイングジャーナル編集長)。東京都出身。
14日午前3時30分、心筋梗塞の為三鷹市の杏林大学医学部付属病院で死去、51歳。
自宅は東京都杉並区桃井1の29の19。平成5年6月から、ジャズ雑誌「スイングジャーナル」の編集長を務めていた。

2/15
■山岡久乃(女優)東京都出身。
5午後10時2分、胆管癌による心不全のため、川崎市高津区の帝京大学医学部付属溝口病院で死去。72歳。
2/21
■糸川英夫(国産ロケットの生みの親、元東大教授、航空・システム工学)東京都出身。21日午前3時15分、多発性脳梗塞(こうそく)のため長野県丸子町の丸子中央総合病院で死去した。86歳。

1999年1月

9/1/5
■武藤 英司(俳優)岐阜県出身。
5日午前3時35分、肺炎のため東京都調布市の病院で死去、81歳。


99/1/7
■東けんじ(漫才師)栃木県出身。
7日午前2時11分、肝不全のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去。75歳。昭和30年に故玉川良一さんと漫才コンビ「Wコント」を結成。故三波伸介さんを加えた「おとぼけトリオ」を経て36年、宮城けんじさんと組み、「Wけんじ」となった。NHK漫才コンクールで一位受賞(38年)など映画、テレビで活躍した。
99/1/9
■芦田伸介(俳優)島根県松江市出身。
9日午後8時12分、肝臓がんのため死去。81歳。
■カール・パーキンス(米作曲家、歌手)
脳卒中による合併症のため、19日米テネシー州ジャクソンの病院で死去、65歳。
1950年代半ば、南部テネシー州で黒人音楽やリズム・アンド・ブルースを基に、テンポが速く、リズム感のあるロカビリー音楽を創出、自ら歌った「ブルー・スエード・シューズ」が大ヒットし、「ロックンロールの創始者」と呼ばれた。その後交通事故などで歌手としては大成しなかったが、エルビス・プレスリーやビートルズ、ボブ・ディランらに大きな影響を与えた。
99/1/14
■レイモン・ペイネ(世界的人気の仏漫画家)90歳、
ほのぼのとした恋人たちのデッサンで、平和の象徴として日本をはじめ世界的な人気を得たフランスの漫画家。
99/1/16
■大屋政子(実業家)大阪市出身。
胃がんのため死去。78歳。
 故・大屋晋三・帝人社長の妻で、夫を「おとーちゃん」と呼ぶなどユニークな言動で知られたタレント
99/1/18
■土居まさる(アナウンサー)
18日午前7時10分、すい頭部がんのため自宅で死去、58歳。
99/1/19
■芳の里 淳三(元プロレスラー、大相撲の元幕内芳ノ里)千葉県出身。
19日午前8時8分、多臓器不全のため横浜市青葉区の横浜総合病院で死去、70歳。
99/1/21
■垂水 悟郎(俳優)岡山県出身。
21日午後5時55分、くも膜下出血のため狛江市の慈恵医大付属第三病院で死去、74歳。
98/1/25
■三木のり平(俳優)74歳。
25日午前8時46分、肝腫瘍のため東京都新宿区の林外科病院で死去。東京都出身。
99/1/24
■土井垣 武(元阪神タイガース捕手)鳥取県出身。
24日午後8時54分、肺炎のため京都市の病院で死去、77歳。
99/1/25
■森 純(作家)
25日午後6時半、肝不全のため東京都新宿区の慶応病院で死去、48歳。
99/1/24
■夏川静枝(俳優)
24日午前11時、腸閉塞(へいそく)のため東京都世田谷区の至誠会第二病院で死去していたことが30日分かった。89歳。
99/1/31
■ジャイアント馬場(レスラー、全日本プロレス社長)新潟県出身。
31日午後4時4分、肝不全のため東京都新宿区の東京医大病院で死去。61歳。