★1999年  ★2000年  ★2001年  ★2002年 ★2003年  ★2004年  ★2005年  ★2006年  ★2007年  ★2008年  ☆2009年 ☆2010年 ★2011年

2010年地球号を降りたあの人この人、気になる人々

★1999年〜2011年


12/28
■高峰秀子(女優)年函館
28日、肺がんのため東京都内の病院で死去。86歳。葬儀は近親者だけで行った。喪主は夫の映画監督松山善三。
5歳で松竹蒲田撮影所に入社し、野村芳亭監督「母」でデビュー。五所平之助監督「大東京の一角」、小津安二郎監督「東京の合唱」などに出演し、一躍子役スターとなった。
37年、PCL(現・東宝)に移籍。翌年、山本嘉次郎監督「綴方教室」で貧しいながら明るく生きるヒロインを演じた。戦後、新東宝を経てフリーになり、50年代の日本映画黄金期に、木下恵介や成瀬巳喜男といった巨匠監督の作品に次々に主演。「デコちゃん」の愛称で日本を代表する女優として活躍した。
 当時の代表作には、日本初の本格的カラー映画「カルメン故郷に帰る」(51年)、島の分校の女性教師を演じた「二十四の瞳」(54年)、男と女の深い業を重厚に描いた「浮雲」(55年)、灯台守夫婦の物語「喜びも悲しみも幾歳月」(57年)などがある。
 55年、当時助監督だった松山善三と結婚。61年には松山さんの初監督作「名もなく貧しく美しく」で、ろう者の夫婦を小林桂樹とともに感動的に演じた。「華岡青洲の妻」「恍惚の人」などに出演の後、79年の「衝動殺人 息子よ」を最後に女優業を引退した。
 文才や画才にも恵まれており、近年は文筆業に専念していた。女優引退前の76年には、エッセー「わたしの渡世日記」で日本エッセイスト・クラブ賞を受けている。


12/28
■ビリー・テイラー(米ジャズピアニストBilly Taylor)ノースキャロライナ州グリーンヴィル
28日、心不全のためニューヨーク・マンハッタンの病院で死去、89歳。
バージニア州立大学で音楽を学び、43年ニューヨークに移る。49年からバードランドの専属ピアニストとして活動。51年トリオを結成。65年子供の教育用にハーレム・ベースド・コンサート・グループを結成。69年TV番組「デヴィット・フロスト・ショウ」で黒人初の音楽監督を務めた。クラシックを取り入れたスタイルで知られる。代表的な曲に「I Wish」を生み出しているが、残念ながらジャズ・ファン以外には、テイラー本人はあまり知られていない。

12/28
■竜鉄也(演歌歌)奈良県
28日、蜘蛛膜下出血のため岐阜県高山市の病院で死去、74歳。
幼少時に岐阜県上宝村(現:高山市)に転居。中学2年で失明。手術を受け視力回復に務める。61年26歳で再び失明。その頃より音楽の勉強を始め、演歌師として出発する。奥飛騨地方を中心に演歌師を続ける。80年デビュー曲「奥飛騨慕情」がヒットし、翌年NHK紅白歌合戦に出場。約10年前に蜘蛛膜下出血で倒れ、療養していた。
12/26
■ティーナ・マリー(米歌手)カリフォルニア州サンタモニカ
26日、心臓発作のためカリフォルニア州の自宅で死去、54歳。
モータウンでデビュー。白人の女性ソウル歌手として広く支持され「レディ・ティー」(Lady T(ee))の名で知られる。ヒット曲に「ラブガール」「スクエア・ビズ」「ポルトガルの恋」など。
12/25
■バド・グリーンスパン(米映画監督)ニューヨーク
25日、パーキンソン病のためニューヨークの自宅で死去、84歳。
ラジオ局で働きながら、ニューヨーク大学に通う。第2次大戦中は米軍で諜報活動に従事。戦後ラジオ局でスポーツ番組のディレクターとなる。50年代から記録映画などを発表。その後、長野冬季五輪の公式記録映画「名誉と栄光の物語」をはじめ、84年ロサンゼルス五輪など記録映画・番組を数多く製作。エミー賞を8回受賞した。85年IOCのサマランチ会長からオリンピック勲章が贈られた。映画会社キャピー・プロダクション社長。
12/22
■野上正義(俳優)、心不全のため東京都港区の自宅で22日死去、70歳。北海道白糠町
1俳優座スタジオ劇団「世代」創立に参加。舞台活動を中心にTVにも数多く出演。若松孝二監督の映画「鉛の墓標」に主演。このほか西原儀一、武智徹二などピンク映画創生期の大物監督作品に多数出演。 約1000本の映画に主演または準主演した。
12/20
■スティーヴ・ランデスバーグ(米俳優)ニューヨーク
20日、癌のため死去、65歳。75年から7年間放送されたTVドラマ「バーニー・ミラー」の刑事役で知られた。同役でエミー賞に3度ノミネート。映画「寝取られ男のラブ♂バカンス」「団塊ボーイズ」などに出演。
12/18
■ブレイク・エドワーズ(米脚本家、映画監督)オクラホマ州タルサ
18日、肺炎の合併症のためカリフォルニア州サンタモニカの病院で死去、88歳。
ハリウッドで育つ。俳優として映画デビューしたが、脚本家・監督に転じる。61年オードリー・ヘプバーン主演「ティファニーで朝食を」、62年「酒とバラの日々」、66年「地上最大の脱出作戦」ほか「ピンク・パンサー」シリーズなどの監督として知られる。04アカデミー名誉賞を受賞。女優ジュリー・アンドリュースは妻。
12/17
■リナ・ロメイ(米歌手、女優Lina Romay)ブルックリン
17日、死去、91歳。
0年代初頭からビア・クガート楽団のリードシンガーとして活動。42年映画「晴れて今宵は」に出演。「姉妹と水兵」「冒険」「大車輪」「どたばたハネムーン」などに出演するが、53年「銃の後に立つ男」を最後に映画を引退。70年代後半から80年代はスペイン語ラジオ局のアナウンサーとして活動する。
12/10

■ジェームズ・ムーディー(米サックス奏者James Moody)ジョージア州サバンナ
9日、膵臓癌を患っていた。米カリフォルニア州サンディエゴのホスピスで死去、85歳。
16歳アルトサックス、その後テナーサックスを演奏。46年米軍を除隊後、ディジー・ガレスピー楽団に参加しビバップを演奏。49年欧州に渡る。代表作「ムーディーズ・ムード・フォー・ラブ」を録音。52年米国に戻り、演奏や録音活動を続けた。60年代に再びガレスビー楽団に参加した。ライオネル・ハンプトンやクインシー・ジョーンズら、米ジャズ界などの大物とも共演した。

12/10
■漫才コンビ「正司敏江・玲児」の正司玲児(漫才師)大分県
10日、成人T細胞白血病リンパ腫のため大阪府内の病院で死去、71歳。
62年松竹芸能に入る。63年中井次郎(のち池乃めだか)らと本名で音楽ショウ「ピスボーイ」を結成し初舞台。64年漫才師だった敏江(本名:及川キミコ)と結婚。夫婦であることを隠して兄妹漫才コンビとして出発。のち夫婦漫才であることを公表。舞台上で体当たりや跳びげりをする夫婦の“どつき漫才”で知られる。約10年で離婚するが、漫才コンビは続けた。

12/1
■マリオ・モニチェリ(伊、映画監督)トスカーナ州ヴィアレッジョ
29日、前立腺の腫瘍で入院中のローマの病院のベランダから落ちて死去、自殺とみられる。95歳。
高校卒業後に映画の世界にはいる。34年初のショートフィルムを作る。49年監督デビュー。「イタリア式コメディー」と呼ばれる喜劇を中心に、60本以上の作品を手掛ける。ベルリン国際映画祭監督賞、ベネチア国際映画祭金獅子賞などを受賞。代表作に58年「いつもの見知らぬ男たち」、59年「戦争 はだかの兵隊」、62年「ボッカチオ'70」など。
11/29
■レスリー・ニールセン(米俳優)カナダサスカチュワン州レジャイナ
29日、肺炎による合併症のためフロリダ州・フォートラウンダーデーの自宅近くの病院で死去、84歳。
第二次世界大戦中にカナダ空軍で銃手として訓練を受け、退役後はトロントの演劇学校で学ぶ。ラジオのDJを経て米国に渡る。映画「禁断の惑星」「ポセイドン・アドベンチャー」などで二枚目俳優として活動。80年コメディ映画「フライングハイ」に出演。88年コメディー映画「裸の銃(ガン)を持つ男」でLA市警のフランク・ドレビン警部役で主演を務め、シリーズ作がヒット。コメディー俳優として人気を獲得。その後も多くのコメディー映画に出演した。
11/28
■シルヴィア(」女性ボーカリスト)大阪府
28日、昨年肺癌を患っていることが判明し、闘病中だった。死去、52歳。
「ロス・インディオス&シルヴィア。実業団のバレーボール選手をへて、79年大阪のクラブで歌っているところをスカウトされる。ロス・インディオスに初代女性ボーカリストとして参加。同年リリースのデビュー曲「別れても好きな人」がミリオンセールスを記録。80年の日本レコード大賞ロング・セラー賞を受賞。同年からNHK紅白歌合戦に4年連続出場した。82年菅原洋一とデュエットした「アマン」が話題となる。83年からソロ歌手として活動。07年「東京の男が好きなんか」を発売。
11/27
■アーウィン・カーシュナー(映画監督)フィラデルフィア
27日、長期療養中だったがロサンゼルスの自宅で死去、87歳。
テンプル大学タイラー芸術学校で音楽などを学ぶ。ニューヨークを経て、ロサンザルスに移住。南カリフォルニア大学を卒業。その後、中東で米国務省のドキュメンタリー映画作成に携わる。58年映画監督デビュー。80年「スター・ウォーズ」シリーズの第2作「帝国の逆襲」、83年スパイ映画「007」シリーズの「ネバーセイ・ネバーアゲイン」、90年「ロボコップ2」などの監督を務めた。


11/23
■イングリッド・ピット(女優ホラー映画の女王)ポーランド
23日、心臓疾患を抱えていたが英ロンドンで死去、73歳。
第2次世界大戦時はナチスドイツにより強制収容所へ入れられた。60年代初頭に劇団ベルリナー・アンサンブルに参加。65年「ドクトル・ジバゴ」で映画デビューする。68年クリント・イーストウッドやリチャード・バートンと共演した映画「荒鷹の要塞」に出演し、評価を得る。以降、映画「鮮血の処女狩り」「ブラッド・ゾーン」など英ホラースタジオのハマー・フィルムの人気女優となった。他の出演作に「バンパイア・ラヴァーズ」「ウィッカーマン」など。
11/22
■深町純(作曲家、キーボード奏者)東京
22日、心嚢血腫のため東京都内の自宅で死去、64歳。
東京芸術大学作曲科を中退。71年アルバム「ある若者の肖像」デビュー。73年井上陽水のアルバム「氷の世界」に参加。その後、日本のフュージョン音楽の代表的アーティストとなる。テレビ番組のテーマ曲やCMソングを作曲。89年洗足学園大学(現:洗足学園音楽大学)音楽学部教授に就任。日本初のシンセサイザー専攻科を設立した。
11/19
■林秀彦(脚本家)東京
で19日、肺炎のため福岡県久留米市の病院死去、76歳。
学習院高等科を卒業。その後、独ザール大学、仏モンペリエ大学に留学し、哲学を専攻。
帰国後、松山善三に師事し、映画やTVの脚本を執筆。NHK連続テレビ小説「鳩子の海」ほか、「七人の刑事」「新十郎捕物帖・快刀乱麻」などを手掛けた。74年女優の冨士真奈美と結婚したが、84年離婚。88年−05年までオーストラリアに居住。帰国後、大分県九重町で暮らした。著書に「失われた日本語、失われた日本」「非婚のすすめ」など。
11/17
■北小路敏(過激派「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)最高幹部)
13日、敗血症のため死去、74歳。
54年日本共産党に入党。56年京都大学経済学部入学。第1次安保闘争では、共産主義者同盟(ブント)に参加。全学連委員長代理を務める。60年東大生の樺美智子が死亡した6・15国会突入デモで学生側の最高責任者を務めた。63年に結成された中核派に参加、政治局員として活動。65年東京都議選に立候補したが落選。
11/7
■星野哲郎(作詞家、日本作詩家協会名誉会長)山口県周防
15日、死去、85歳。
官立清水高等商船学校(現:東京海洋大学)を卒業。47年日魯漁業(現:マルハニチロ食品)に入社。
53年雑誌「平凡」の懸賞詞に入選し作詞家としてスタート。作曲家船村徹とコンビで北島三郎の「函館の女」「風雪ながれ旅」、美空ひばりの「みだれ髪」、鳥羽一郎の「兄弟船」などの曲を作りヒット。このほか都はるみの「アンコ椿は恋の花」、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」、小林旭の「昔の名前で出ています」、渥美清主演の映画「男はつらいよ」シリーズの主題歌などで知られた。91年北島三郎の「北の大地」でレコード大賞を受賞。日本音楽著作権協会会長も務めた。
11/15
■松本友里(元女優、俳優・松平健の妻)東京都
15日、東京都目黒区の自宅で自室のドアノブで首をつって死去。
自殺とみられる。42歳。
堀越高等学校卒業。84年「過剰にオンリー・ユー」でアイドル歌手としてデビュー。「飛んで火にいる恋の虫」などの歌をリリース。90年NHK「おはようサンデー」のキャスターも務めた。その後俳優業に転向し舞台を中心に活動。05年松平健と結婚。06年男児を出産した。
11/13
■ディノ・デラウレンティス(伊映画プロデューサー)ナポリ
11日、米ロサンゼルス・ビバリーヒルズの自宅で死去、91歳。
ローマで映画制作を学ぶ。第2次大戦に従軍したのち、本格的に映画制作を開始。当初はイタリアで活動していたが。70年代に渡米。代表作に54年「道」、76年「キングコング」、77年「オルカ」、01年「ハンニバル」など。03年ベネチア国際映画祭功労賞を授与された。
11/7
■西崎義展(アニメ・プロデューサー)東京
7日、東京都小笠原村父島扇浦沖で停泊していた汽船YAMATOから
転落し死去、76歳。
ウエットスーツ姿で、遊泳するため甲板から下りる途中に誤って転落したとみられる。同船は試験航海中だった。
日本大学芸術学部を卒業。音楽制作プロデューサーとして63年オフィス・アカデミーを設立。虫プロ商事をへて、72年アニメーション・スタッフ・ルームを設立しTVアニメ「海のトリトン」を製作。74年オフィス・アカデミーで「宇宙戦艦ヤマト」を製作。84年映画の製作、ビデオの製作・販売を行なうジャパン・オーディオ・ビジュアル・ネットワークを設立するが、91年倒産。98年覚醒剤取締法違反などで逮捕。99年保釈中に同罪などで再逮捕。09年劇場用アニメーション映画「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」を公開。
11/5
■佐野洋子(絵本作家)中国・北京
5日、乳癌のため死去、72歳。
武蔵野美術大学デザイン学科を卒業。67年から1年間ベルリン造形大学でリトグラフを学ぶ。帰国後、デザイン、イラストレーションの仕事を手がけながら、「やぎさんのひっこし」で絵本作家としてデビュー。絵本、童話、エッセー、翻訳などで幅広く活動。77年出版の「100万回生きたねこ」は、170万部を超えるロングセラーとして親しまれている。晩年は老いをテーマにシニカルなエッセーを発表。他の絵本に「わたしのぼうし」「ねえ とうさん」「わたしいる」など。エッセー集に「神も仏もありませぬ」「シズコさん」など。08年巌谷小波文芸賞を受賞。
詩人の谷川俊太郎は元夫。
11/4
■立川談大(立川流落語家)
4日、蜘蛛膜下出血のため東京都内の病院で死去、36歳。
10月27日師匠の立川談志を羽田空港まで車で送り、帰る時に頭痛を訴えた。その夜自宅アパートで倒れて病院に搬送され、意識が戻らなかった。
茨城県出身。97立川談志に入門。02年一度破門となるが、04年前座として一門復帰。07年二つ目に昇進した。

10/26
■コロムビア・ライト(漫談家)東京都港区
26日、死去、83歳。
声帯模写漫談家柳家三亀松の弟子柳家亀次としてデビュー。49年コロムビア・トップと漫才コンビ「青空トップ・ライト」を結成。52年「コロムビア・トップ・ライト」と改名。63年文部省・芸術祭奨励賞を受賞。74年トップの議員転出にともないコンビ解消。その後も漫談や声帯模写、司会などで活躍した。91年喉頭癌のため声帯を切除。腹式発声を身につけ、同じ手術を受けた高田真快と漫才コンビ「ガンファイターズ」を組んだ。社団法人あゆみの箱常務理事。
10/25
■牧野田彩(元歌手、AV女優)大阪府枚方市出身
25日、東京都内の自宅マンションから転落し死去、30歳。
飛び降り自殺と見られる。
96年TV番組「ASAYAN」で期間限定ユニット「L☆IS」のメンバーとしてCDデビュー。ユニット解散後、タレントやレースクイーンなどで活動。08年ヌード写真集を発売。09年AYAとして「FIRST IMPRESSION 42」でAVデビューした。
10/25
■グレゴリー・アイザックス(レゲエ歌手)ジャマイカの首都キングストン
25日、肺癌を患っていたが療養先のロンドンの自宅で死去、59歳。
10代からレゲエ音楽界で活動。68年ウィンストン・シンクレアとの共作「Another Heartache」でレコードデビュー。ラブソングを得意とし、「All I Have Is Love」「Love Is Overdue」などの曲で70年代に人気を集めた。82年のアルバム「Night Nurse」が世界的に大ヒットし、その地位を確立する。これまでに500枚以上のアルバムを発表し、レゲエ・シーンの大御所シンガーとして知られる。
10/22
■坂田栄男(棋士23世本因坊)東京都
22日、胸部大動脈瘤破裂のため東京都渋谷区の病院で死去、90歳。
29年増淵辰子八段門下となる。35年入段。43年「棋道」新鋭三羽烏勝抜争覇戦で優勝。47年日本棋院に不満を訴え、前田陳爾七段、梶原武雄五段ら8棋士で囲碁新社を結成して日本棋院を脱退するが、49年全棋士が日本棋院に復帰。55年九段となる。61年本因坊戦で高川秀格本因坊の10連覇を阻み、67年まで7連覇。63年藤沢秀行名人に勝ってタイトル戦史上初の「名人・本因坊」を獲得。64年29連勝を記録するなど、7タイトルを獲得した。全盛期は「カミソリ坂田」などの異名を取った。通算成績1032勝641敗10ジゴ。00年に引退。通算獲得タイトル数は史上2位の64。78−86年まで日本棋院理事長を務め、92年囲碁界初の文化功労者に選出された。
10/20
■ボブ・グッチオーネ(米誌ペントハウス創刊者)ニューヨーク市ブルックリン
20日、テキサス州ダラス郊外の病院で死去、79歳。
40年代終盤から12年間画家を志して欧州、北アフリカを放浪。60年英ロンドンに居を定め、ドライクリーニングの店を始める。
65年英国でペントハウス誌を創刊。フェミニスト運動が盛んにだった69年米国でも発刊。「セックス、政治、抗議の雑誌」と称し大衆記事とヌード写真で構成、すぐにプレイボーイ誌と並ぶ人気となった。莫大な資産を手にしたが、投資の失敗などで大半を失った。晩年は絵画を制作、作品がニューヨークの美術館などに展示された。


10/18
マリオン・ブラウン(米前衛ジャズのアルト・サックス奏者Marion Brown)トランタ
18日、フロリダ州フォート・ローダーデイルののホスピスで死去、79歳。
高校卒業後、兵役を経てハワード大学で学ぶ。62年ニューヨークに移り、音楽活動を開始する。60年代から70年代のフリージャズ黄金期に活躍。70年代はボーディン大学でアフロ・アメリカン音楽などを教えた。その後自らもウェスリヤン大学で民族音楽を学ぶ。

10/9
■長岡輝子(女優、演出家)盛岡市
18日、老衰のため東京都内の自宅で死去
、102歳
東洋英和女学校卒業。築地小劇場研究生だった28年パリに留学し演劇を学ぶ。帰国後、夫で演出家の金杉惇郎らと劇団テアトル・コメディを結成し、フランス近代劇を紹介した。同劇団解散後の39年文学座に入団。演出家としても活躍した。64年演出・主演したウェスカー作「大麦入りのチキンスープ」で芸術祭賞を受賞。このほか欧米の現代劇や、三島由紀夫、福田恒存など多数の作品を手掛けた。主な舞台出演作は、「ガラスの動物園」「メテオール」「ハロルドとモード」など。演出作は「シラノ・ド・ベルジュラック」「花咲くチェリー」など。71年文学座を退団し座友となる。このほか映画「東京物語」「早春」などに出演、NHK連続テレビ小説「おしん」で、主人公おしんの奉公先の大奥さま役を演じ、83年NHK放送文化賞を受賞した。晩年は、宮沢賢治の童話と詩を岩手の方言で読む朗読会を続け、03年菊池寛賞を受賞。著書に「父からの贈りもの」「老いてなお、こころ愉しく美しく」など。
10/9
■みやわき心太郎(漫画家)兵庫県尼崎市
9日、心筋梗塞のため埼玉県新座市の病院で死去、67歳。
59年貸本誌「街」の新人コンクールに「顔」「兄妹」「尼ケ崎家の女中」「石ころ」などの作品でつぎつぎ入選しデビュー。雑誌「COM」に貸本時代から描き続けた「ハート・コレクション」シリーズを発表。著作に「ハートコレクション」シリーズや「牌の音 STORIES」など。

10/8
■池部良(俳優)東京都大田区
8日、敗血症のため東京都内の病院で死去、92歳。
画家で漫画家の池部鈞の長男。立教大学在学中に東宝シナリオ研究所に通い、監督を目指した。
41年東宝に入社するが、島津保次郎監督に俳優としての資質を見いだされ、同年「闘魚」で脇役デビュー。42年「緑の大地」のクランク・アップの翌日に陸軍召集。その後、5年間南方などで軍隊生活を送る。抑留を経て、46年帰還。48年女優の羽鳥敏子と結婚したが離婚。49年東宝映画「青い山脈」に出演。50年「暁の脱走」にも主演し、トップスターの座を確立。
「坊っちゃん」「雪国」「暗夜行路」などの多くの文芸作品で翳のある青年を好演。
55年池部プロダクションを設立。
64年篠田正浩監督「乾いた花」の主演でヤクザ役が評判となる。「昭和残侠伝」では高倉健の兄貴分として登場。出演作は200本以上に上る。日本映画俳優協会の理事長も務めた。
ユーモアと確かな観察力を感じさせるエッセーも手掛け、「風が吹いたら」「そよ風ときにはつむじ風」など風シリーズで知られた。
10/7
■ソロモン・バーク (米ソウル・シンガー)ペンシルベニア州フィラデルフィア
10日、オランダ・アムステルダムのスキポール空港で死去、70歳。ロサンジェルスからで同空港に到着後、機内で死亡しているのが発見された。
10代からラジオ番組を持ち、ゴスペルを歌っていた。50年代半ばからレコードを発表。61年「ジャスト・アウト・オブ・リーチ」が初めてヒット。68年アーサー・コンレイ、ドン・コヴェイ、ベン・E・キング、ジョー・テックスとともにユニット「ソウル・クラン」を結成し、シングル「ソウル・ミーティング」を発表。69年カバー曲「プラウド・メアリー」がヒットするが、70年代はヒットから遠ざかる。81年ニューヨークで「ソウル・クラン」再結成。ミック・ジャガーやヴァン・モリソン等のロック・ミュージシャンにも大きな影響を与えた。
01年「ロックの殿堂」入りした。02年「ドント・ギブアップ・ウン・ミー」がグラミー最優秀コンテンポラリー・ブルース部門など数々の賞を授賞。
10/7
■大沢啓二(元野球監督、野球評論家)神奈川県藤沢
7日、胆嚢癌のため死去、78歳。
神奈川商工高のエースとして夏の甲子園に出場。立教大学で外野手として活躍。56年南海(現:ソフトバンク)に入団。リーグ優勝3度(うち日本一2度)。60年東京(現:千葉ロッテ)に移籍。通算打率2割4分1厘、17本塁打。71年途中から72年までロッテ監督。76年から日本ハム監督となり、81年球団初のリーグ優勝を果たし、83年退任。その後、85−92年まで日本ハム球団常務を務める。93年監督に復帰し、2年間指揮を執った。監督通算725勝723敗99分。
全国野球振興会名誉会長、理事長を歴任。「大沢親分」の愛称で親しまれ、TV番組「朝ズバッ」「サンデーモーニング」でコメンテーターを務めて人気を博した。タレントの大沢あかねは孫。
10/3
■榊莫山(書家)三重県上
3日、急性心不全のため死去、84歳。
書を松永楳園に、油絵を佐々木三郎に師事。京都大学文学部卒業。戦後、辻本史邑に書を学び、篆刻を梅舒適に師事。20代で日本書芸院の推薦一席を2年連続、前衛書の奎星会で最高賞を3年連続で受賞。日本書芸院、奎星会の審査員となるなど、若くして書壇に認められる。58年32歳で書壇を退き、大阪八尾から地元伊賀に転居。62年自作の詩と水墨画を交えた「詩書画三絶」の独自の世界を切り開くなど、前衛的作風で知られた。
宝酒造「よかいち」のTVCMほか、商品ロゴなども手掛ける。バラエティ番組などTVにも多数出演。「書百話」「莫山歳時記」など著書多数。

9/30
■スティーブン・ジョセフ・キャネル(米脚本家・小説家)カリフォルニア州ロサンゼルス
9月30日、メラノーマのためカリフォルニア州パサデアナで死去、69歳。
64年オレゴン大学を卒業。68年「スパイのライセンス」の脚本で認められ、ユニバーサルスタジオのテレビ番組制作部門に参加。「特捜隊アダム12」シリーズの脚本を手がけたのち、フリーランスとなる。「鬼警部アイアンサイド」「刑事コロンボ」などの脚本を執筆。犯罪ものを中心に約40作品、1500話以上の製作に携わった。俳優として「反逆のヒーローレネゲイド」やスティーブン・セガール主演「DAKKAN 奪還 -アルカトラズ-」に出演。79年スティーブン・J・キャネル・プロダクションを設立。96年から小説家としても活動。
9/29
■ジョー・マンテル(米俳優)ニューヨーク・ブルックリン
29日、肺炎の合併症のためカリフォルニア州タルザーナで死去、94歳。
第2次大戦で米陸軍に所属。49年映画デビュー。55年「マーティ」でアカデミー助演男優賞にノミネート。56年「ストーム・・センター」に出演。
74年ロマン・ポランスキー監督の映画「チャイナタウン」に出演した。
9/28
■アーサー・ペン(米映画監督)ペンシルベニア州フィラデルフィア
28日、鬱血性心不全のためニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去、88歳。
第2次世界大戦で従軍。部隊内で劇団を組織し、除隊後イタリアに留学し演劇を学ぶ。帰国後はNBCに入社。50年代にTVドラマ、60年代にブロードウェーで活躍。
映画監督としては、57年に「左きゝの拳銃」で監督デビュー。67年大恐慌の30年代に銀行強盗を繰り返す男女を描いた「俺たちに明日はない」が話題を呼ぶ。アメリカン・ニューシネマの先駆けとなった。他の作品に62年「奇跡の人」、70年「小さな巨人」、76年「ミズーリブレイク」など。
60年大統領選TV討論で、ニクソンと対峙したジョン・F・ケネディに「カメラを真っすぐに見据え、答えを短く」とアドバイスし、政治に映像の影響力を写真家のアーヴィング・ペンは兄。
9/28
■古今亭志ん五(落語家)東京・浅草
28日、上行結腸癌のため東京都内の病院で死去、61歳。
高校在学中に五代目古今亭志ん朝の最初の弟子として入門。高助の名で前座修行。68年初高座。71年二ツ目に昇進し、志ん三を名乗る。
82年真打ちに昇進、志ん五に改名。古典落語を得意とした。落語協会常任理事。
9/27
■小林 司(精神科医で日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰)青森県
27日、骨髄異形成症候群のため東京都杉並区の病院で死去、81歳。
東京大学大学院博士課程修了。上智大学カウンセリング研究所教授をへて、メンタル・ヘルス国際情報センター所長。
77年ホームズ愛好家の交流団体「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」を設立。妻の東山あかねとの共著で「シャーロック・ホームズの醜聞」など関連書を多数出版。
ジグムント・フロイト研究でも知られるほか、日本エスペラント学会顧問でもあった。作家で漫画家の小林エリカさんは娘。
9/26
■池内淳子(女優)東京都墨田区
26日、肺腺癌のため死去、76歳。
52年に十文字高校卒業。東京・日本橋の三越デパート勤務から、雑誌モデルに転身。
55年新東宝に入社し、映画「皇太子の花嫁」でデビュー。56年「新妻鏡」で初主演。久保菜穂子、三ツ矢歌子とともに新東宝現代劇の女優三羽烏として脚光を浴びる。その間、俳優の柳沢真一と結婚し、57年一時芸能界を引退。翌年離婚して復帰。60年昼のテレビドラマ「日日の背信」で既婚男性との恋に悩むヒロインを演じて注目された。61年新東宝を退社。その後、映画やTVドラマで活躍。東宝映画「駅前」「社長」シリーズなどで人気を集める。TVドラマ「女と味噌汁」シリーズほか「花影」「けものみち」「つくし誰の子」、NHK朝のテレビ小説「ひらり」などに出演。かっぽう着姿が似合うおかみさん役などで広く親しまれた。日本舞踊水木流家元栗島すみ子の弟子で、名取「水木紅澄」でもある。
9/25
■トニー・カーティス(米俳優)ニューヨーク・ブロンクス
25日、心不全のためネバダ州ラスベガスの自宅で死去、85歳。
貧困から非行に走るが、海軍に入隊。除隊後に演技を学び、48年ユニバーサル映画と契約し「裏切りの街角」の端役で俳優デビュー。
58年「手錠のまゝの脱獄」でアカデミー主演男優賞にノミネートされる。59年「お熱いのがお好き」でマリリン・モンローと共演。78年「がんばれ!ベアーズ 大旋風」で若山富三郎らと共演。05年クエンティン・タランティーノ監督「CSI:科学捜査班5」のシーズン・フィナーレに特別出演。これまでに100本以上の映画に出演した。
画家としても知られ、作品は主要な画廊でも展示。51年女優ジャネット・リーと結婚したが、63年離婚。娘2人はいずれも女優。生涯に5度結婚した。
9/22
■小池要之助(映画監督)口県下関
22日、気管癌のため神奈川県川崎市宮前区の病院で死去、68歳。
TVドラマ「太陽にほえろ! 」や「鬼平犯科帳」、映画「蘇える金狼」などで長年助監督を務めたのち、監督デビュー。映画「かげろう 俊のヤクザな毎日」のほか、TVドラマ「探偵物語」や「プロハンター」などを監督した。

9/22
■エディ・フィッシャー(米歌手)ペンシルヴェニア州フィラデルフィア
22、カリフォルニア州バークリーの自宅で日死去、82歳。
50年代初頭に「シンキング・オブ・ユー」「オー・マイ・パパ」などヒット曲をだして一躍スターになる。55年女優デビー・レイノルズと結婚するが、死亡した親友の妻エリザベス・テーラーと親密になり、レイノルズと離婚。59年テーラーと結婚するが、5年後に離婚。生涯に5回結婚した。主演映画に「バタフィールド8」「イヴの総て」など。
映画「スターウォーズ」でレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーはデビー・レイノルズとの間に生まれた娘。
9/19

■バディ・コレット(米ジャズ・サキソフォン奏者Buddy" Collette)カリフォルニア州ロサンゼルス
19日、呼吸器疾患のためカリフォルニア州ロサンゼルスで死去、89歳。
12歳であると・サックスを始め、17歳でプロ活動にはいる。第2次大戦中は米海軍に所属。50年代初頭は主にスタジオミュージシャンとして活動。55年チコ・ハミルトン・カルテットの創設メンバーとなる。ロスにとどまって演奏を続け、後進の指導に当たる。作曲・編曲もこなし、マルチリード奏者として知られた。

9/17
■矢野 宣(俳優)福岡県
17日、食道癌のため東京都文京区の病院で死去、82歳。
56年映画「真昼の暗黒」でデビュー。劇団俳優座に所属。75年映画「新幹線大爆破」ほか、95年NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」、舞台「野火」などに出演した。
57年日本共産党に入党。俳優座女優阿部百合子は妻。
9/16
■小林桂樹(俳優)群馬県高崎市
16日、心不全のため東京都港区の病院で死去、86歳。
日本大学専門部芸術科(現:日本大学芸術学部)中退。日活へ入社し、日活演技研究所の研究生となる。42年「微笑の国」の工員役でデビュー。43年日活の製作部門が新興キネマ、大都映画と合併し大日本映画製作となり、「菊池千本桜」で主演。同年徴兵。終戦復員し、46年「君かと思ひて」に出演。56年−71年森繁久弥主演の「社長シリーズ」全作品に出演。55年今井正監督の「ここに泉あり」で毎日映画コンクール助演男優賞を受賞。58年「裸の大将」で画家山下清を演じ、同映画コンクール主演男優賞を受賞。60年「黒い画集・あるサラリーマンの証言」でキネマ旬報男優賞、ブルーリボン大衆賞、毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。63年岡本喜八監督「江分利満氏の優雅な生活」で戦中派の中年サラリーマンを演じ、毎日映画コンクール主演男優賞、日本映画記者会賞最優秀男優賞を受賞した。他の出演作に映画「日本沈没」「マルサの女」、大河ドラマ「竜馬がゆく」「徳川家康」など。99年山路ふみ子映画賞功労賞を受賞。
9/12
■山元清多(脚本家・演出家)東京都
12日、肺癌のため東京都新宿区の病院で死去、71歳。
東京大学教育学部を卒業。劇団黒テントの創立メンバーで、座付き作家・演出家を務める。83年「比置野ジャンバラヤ」で岸田国士戯曲賞を受賞。テレビドラマ「ムー一族」「はいすくーる落書」や映画「佐賀のがばいばあちゃん」などの脚本も手掛けた。
9/12
■クロード・シャブロル(仏・映画監督)パリ
12日、死去、80歳。
53年「カイエ・デュ・シネマ」誌で映画評を書き始める。56年製作会社「AJYMフィルム」を設立。57年エリック・ロメールとの共著「ヒッチコック」を出版]。
57年初の監督作品「美しきセルジュ」がヌーベル・ヴァーグ派による長編第1作となった。59年「いとこ同志」で第9回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。映画監督ヒチコックの影響を受け、多くのサスペンス映画も撮った。フランソワ・トリュフォー、ジャンリュック・ゴダールらとともに50年代フランス映画界で起きた即興演出・同時録音・ロケ中心などの手法を重視。ヌーベル・ヴァーグの旗手と呼ばれた。50年以上にわたり80以上の映画・TV映画を製作。05年アカデミー・フランセーズからルネ・クレール賞を受けた。
9/11
■谷啓(俳優・コメディアン)大田区
11日、三鷹市の自宅階段でつまづき顔や頭を強打、脳挫傷のため東京都内の病院に運ばれ死去、78歳。
生後すぐ広島に転居。5歳ころ東京に戻り、横浜で育つ。旧制逗子開成中学時代にトロンボーンを始める。
関東学院大学経済学部に入学するが、中央大学経済学部に転学。在学中に「原信夫とシャープス&フラッツ」に参加。53年「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」に参加。大学は中退。
56年ハナ肇の「キューバン・キャッツ」に移籍。のちにバンド名を「クレージーキャッツ」に変更。59年「おとなの漫画」以降、コメディアンとして多くのTV番組に出演し、「ガチョーン」「谷だァ!」などのギャグで人気を博す。60年以降は映画「無責任」シリーズや「社長繁盛記」などに出演、ハナ肇、植木等に続いてお茶の間の人気者になる。64年「図々しい奴」で映画初主演。88年から「釣りバカ日誌」シリーズ全22作に出演した。芸名の由来は米コメディアンのダニー・ケイをもじったもの。写真家の吉田ルイ子は従姉妹。
9/12
■ケビン・マッカーシー(K米俳優)ワシントン州シアトル
11日、マサチューセッツ州ケープコッドの病院で死去、96歳。
18年インフルエンザ大流行で両親を亡くす。当初は外交官をめざしたが、役者志願に転換。ミネソタ大学で英文学を学ぶ。38年ニューヨーク・ブロードウェーにデビュー。51年映画「セールスマンの死」でゴールデン・グローブ賞受賞、アカデミー賞助演男優賞の候補となる。56年SF映画「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」で主人公の医師役を演じる。脇役の名優として数多くの映画に出演した。主な出演映画に「トワイライトゾーン/超次元の体験」「インナースペース」「理由」「悪魔たち、天使たち」など。 作家のメアリー・マッカーシーは姉。
9/4
■ポール・コンラッド(米風刺漫画家)アイオワ州シーダーラピッズ
4日、老衰のためロサンゼルス近郊の自宅で死去、86歳。
アイオワ大学に在学中からデイリー・アイオワ紙に漫画を発表。第2次大戦中は技術者として米陸軍に所属。50年大学卒業。デンバー・ポスト紙で14年間務める。64-93年までロサンゼルス・タイムズ紙で歴代大統領らを風刺する政治漫画を描いた。64年・71年・84年にピュリツァー賞を3回受賞した。
9/1
真弓田一夫(俳優)長野市
1日、慢性腎不全のため東京都大田区の病院で死去、90歳。
日本大学中退。NHK東京放送劇団などを経て、78年に劇団NLT入団。舞台やTVドラマへの出演のほか、朗読ボランティアの養成にも携わった。
出演TV番組に「わが家の日曜日記」「赤穂から来た浪人」、出演映画に「刑事物語」など。

9/1
■花田勝治(元大相撲横綱、元日本相撲協会理事長)青森県弘前
1日、東京都内の病院で死去、82歳。
46年二所ノ関部屋に入門し、秋場所初土俵。53年花籠部屋の独立とともに移籍。55年秋場所後に大関、58年初場所後に横綱に昇進した。上手投げを得意とし、横綱栃錦と「栃若時代」を築き、「土俵の鬼」と呼ばれた。優勝10回。62年夏場所前に引退。身長179cm、体重107kgで、戦後最軽量の横綱。593勝253敗70休4分。
引退後、二子山部屋を創設。二代目若乃花、隆の里の両横綱や弟の貴ノ花ら2大関を育てた。88年相撲協会理事長に就任し、2期4年務めた。定年退職後、96年相撲博物館長に辞任。
8/31
■ローラン・フィニョン(フランスの元自転車競技選手)フランス・パリ
31日、癌のためパリ市内の病院で死去、50歳。
15歳からロードレースに参加し、アマチュアとして50賞以上をあげる。
82年よりプロ自転車競技選手として本格的スタート。ベルナール・イノーをエースとするルノー・ジタンに所属。83年ツール・ド・フランス初出場で総合優勝。84年イノーが新チームを立ち上げ、ルノーを離脱。フィニョンがルノーのエースとなる。同年ツール・ド・フランスで2連覇の快挙。86年システムUに移籍し、フレッシュ・ワロンヌ優勝。89年スーパーUでジロ・デ・イタリア総合優勝。同年ツール・ド・フランスで米グレッグ・レモンと接戦を展開し、史上最小の8秒差で敗れた。ブロンドのポニーテールに丸眼鏡をかけた風貌と、バカロレア資格を有することで「教授」のニックネームで呼ばれた。
8/31
■アラン・コルノー(フランスの映画監督)ロワレ県マン=シュル=ロワール
31日、パリの病院で死去、67歳。
コスタ=ガヴラスの助監督を務める。74年「フランス・アソシエ・アノニム」で監督デビュー。その後「フィルム・ノワール」と呼ばれる犯罪ものを何作か発表。
84年サハラ砂漠を舞台とした人間ドラマ「フォート・サガン」を制作。92年「めぐりあう朝」でセザール賞の最優秀作品賞を受賞。
主な作品に「インド夜想曲」「リュミエールの子供たち」「ワーズ・イン・ブルー」など。04年ルネ・クレール賞を授与。10年8月最新作「愛の犯罪」が封切られたばかりだった。
8/29
■三浦哲郎(作家)青森県八戸
29日、鬱血性心不全のため東京都内の病院で死去、79歳。
6人兄弟の末弟。49年早稲田大学政経学部に入学するが、50年次兄失踪。20歳までに2人の姉が自殺、2人の兄が失跡した。大学を休学し、郷里で中学校で助教諭となる。53年早稲田大学第一文学部仏文学専修へ再入学。井伏鱒二に師事。在学中の55年新潮同人雑誌賞を受賞。卒業後は作家活動に入る。61年「忍ぶ川」で芥川賞を受賞。
65年NHK連続TV小説「繭子ひとり」の原作を書く。71年児童文学「ユタとふしぎな仲間たち」を発表、NHKでドラマ化や劇団四季でミュージカル化された。76年「拳銃と十五の短編」で野間文芸賞、83年「少年讃歌」で日本文学大賞、85年「白夜を旅する人々」で大佛次郎賞、90年「じねんじょ」で川端康成文学賞、91年「みちづれ」で伊藤整文学賞(小説部門)を受賞。
84年−03年まで芥川賞選考委員を務めた。
8/23
■川本喜八郎(人形美術家)東京
23日、肺炎のため死去、85歳。
旧制横浜高等工業学校(現:横浜国立大学工学部)建築学科を卒業。46年東宝撮影所美術部に入社。50年フリーになる。53年飯沢匡らと「人形芸術プロダクション」(NGプロ)を設立。58年人形を利用した制作会社「シバプロダクション」設立、常務取締役に就任。62年シパプロダクションを退社、63年チェコスロバキアに渡りトルンカに師事する。
この間、72年メルボルン国際映画祭特別賞の「鬼」や、80年バルナ国際アニメーション映画祭グランプリの「火宅」ど多くの人形アニメーションを制作。NHK連続人形劇「三国志」も手掛けた。96年から日本アニメーション協会会長を務めた。
8/23
■ジョージ・デビッド・ワイス(米作詞・作曲家)ューヨーク
23日、老衰のため米ニュージャージー州の自宅で死去、89歳。
ジュリアード音楽院を卒業。ビッグバンドのアレンジャーとして活動。61年エルビス・プレスリーの「好きにならずにいられない」、67年ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」、66年「ステイ・ウィズ・ミー」などのヒット曲の共作者として知られる。
8/24
■今 敏(アニメーション映画監督)北海道釧路市
24日、膵臓癌のため死去、46歳。
武蔵野美術大学卒業。在学中の84年「虜−とりこ−」で「週刊ヤングマガジン」のちばてつや賞を受賞し、漫画家デビュー。「海帰線」「ワールドアパートメントホラー」などを発表。
97年発表の初監督作「パーフェクト・ブルー」がベルリン国際映画祭招待作品となる。「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」で02年・03年の文化庁メディア芸術祭大賞などを受賞。
06年筒井康隆原作の「パプリカ」でアニメーション神戸作品賞を受賞し、ベネチア映画祭のコンペティション部門出品。
「大人が楽しめるアニメーション」を作風としてきたが、近年、初めて「子供が楽しめるアニメーション」として「夢みる機械」を企画し、製作中だった。
8/21
■梨元 勝(芸能リポーター)東京
21日、肺癌のため東京都内の病院で死去、65歳。
埼玉県与野市育ち。法政大学社会学部卒業。68年講談社の雑誌「ヤングレディ」の取材記者となる。76年テレビ朝日系「アフタヌーンショー」のリポーターに転身。「恐縮です!」と直撃取材するスタイルが人気となり、芸能リポーターの先駆けとなった。80年フリーとなり、オフィス梨元を設立。00年函館大学客員教授に就任。テレビ局による芸能取材の自主規制などを批判して出演番組は減ったが、ブログや携帯電話サイトなどで情報発信を継続していた。
8/14
■ハーマン・レナード(米写真家)ペンシルベニア州アレンタウン
14日、ロサンゼルスの病院で死去、87歳。
オハイオ大学で写真を学ぶ。48年からニューヨークのジャズクラブなどでチャーリー・パーカーやマイルス・デイビス、ディジー・ガレスイビーらを撮影。広く知られるようになる。56年俳優マーロン・ブランド専属の写真家として、極東旅行のドキュメント写真を撮影。80−88年までパリやイビザ島などに暮らす。92年から南部ルイジアナ州ニューオーリンズに暮らしていたが、05年ハリケーン「カトリーナ」で自宅が被害を受ける。これを機にロサンゼルスに移り住んだ。
8/14
■アビー・リンカーン(米ジャズ歌手Abbey Lincoln)イリノイ州シカゴ
14日、ニューヨーク・マンハッタンで死去、80歳。
51年カリフォルニア州に移って歌手活動を開始。ハワイ州に渡った後、カリフォルニア州に戻る。56年奴隷解放で知られるリンカーン元米大統領にちなんだ芸名に改名(出生名はAnna Marie Wooldridge)。同年レコードデビューし、映画「女はそれを我慢できない」に出演。その後、人種問題を取り上げたアルバムを次々に発表し注目された。力強い歌声の黒人女性歌手として長く活躍、60年代には公民権運動の闘士としても知られた。伝説的女性歌手ビリー・ホリデーの強い影響を受け、自ら作曲・作詞も行った。代表作は59年「アビー・イズ・ブルー」など。

8/8
■パトリシア・ニール(米女優)ケンタッキー州
8日、肺癌のためマサチューセッツ州の自宅で死去、84歳。
ノースウェスタン大学でスピーチと演技を学び、ブロードウェイの舞台で活躍。47年「Another Part of the Forest」でトニー賞を受賞。48年映画デビュー作で当時俳優だったレーガン元米大統領と共演。49年「摩天楼」でゲイリー・クーパーと共演。アカデミー主演女優賞を受賞。劇作家リリアン・ヘルマンの紹介で、53年英作家ロアルド・ダールと結婚したが、後に離婚した。59年妊娠中に脳卒中に見舞われる。62年西部劇映画「ハッド」でポール・ニューマンと共演し、アカデミー主演女優賞を受賞した。83年ダールと離婚。
8/7
■ブリュノ・クレメール(フランスの俳優)パリ郊外サンマンデ
7日、癌のためパリ市内の病院で死去、80歳。
フランス国立高等演劇学校にて演劇を学ぶ。52年「女が事件にからむ時」でデビュー。主に舞台や映画に出演。インドシナ戦争を描いた65年「317部隊」が評価される。91年からはTVドラマ「メグレ警視」シリーズで主人公のジュール・メグレを演じ人気を博した。主な出演映画に57年「異邦人」、66年「パリは燃えているか」、01年「まぼろし」など。
8/6
■南美江(女優)広島市
6日、肺炎のため横浜市の病院で死去、94歳。
横浜市育ち。横浜第一高等女学校(現:神奈川県立横浜平沼校)を卒業。宝塚音楽歌劇学校に入る。美空暁子の名で男役として活躍。41年退団し、42年文学座研究生となる。以後NLTなどを経て、50年演劇集団円の設立に参加。64年「バージニア・ウルフなんかこわくない」で芸術祭奨励賞。多くの三島由紀夫作品に出演し、83年「サド侯爵夫人」で紀伊国屋演劇賞。「黒蜥蜴」など歌舞伎俳優坂東玉三郎さん演出の舞台、NHK連続TV小説「ノンちゃんの夢」や「ムー」などTVドラマ、映画で活躍した。
8/4
■大麒麟(元大関)佐賀
4日、膵臓癌のため死去、68歳。
58年二所ノ関部屋から初土俵を踏み、63年新入幕、70年大関に昇進した。74年現役引退。大関在位は25場所、通算成績は710勝 507敗 69休み。
75年二所ノ関部屋の後継者争いにからみ、内弟子を連れて分家独立を宣言。その後押尾川部屋を創設し、益荒雄(現:阿武松親方)らの幕内力士を育てた。相撲協会理事として審判部長なども歴任した。
8/2
■今野雄二(映画・音楽評論家)北海道室蘭市
2日、東京都渋谷区の自宅マンションで首をつって死去、66歳。関係者が発見した。自殺とみられる。
国際基督教大学教養学部語学科を卒業。平凡出版(現:マガジンハウス)に入社後、雑誌「平凡パンチ」「アンアン」の編集部を経て独立。
ソフトで洒脱な語り口が人気を集め、映画や音楽の評論家として「11PM」などのTV番組で活躍。「コンちゃん」の愛称で親しまれた。音楽評論家としては、ミッシェル・ポルナレフのLPレコードのライナーノーツなど多数を担当。英ミュージシャンのブライアン・フェリーの詩集翻訳や、TVドラマ主題歌としてヒットした「CHA-CHA-CHA」の訳詞も手がけた。89年初の小説「きれいな病気」を発表。
7/30
■ミッチ・ミラー(米指揮者兼プロデューサー)ニューヨーク州ロチェスター
31日、ニューヨーク市内で死去、99歳。
15歳のときオーボエ奏者としてシラキューズ・オーケストラに参加。32年イーストマン音楽学校卒業。ロチェスター交響楽団で演奏。その後、レコード業界に入り、音楽プロヂュースを手がける。歌手トニー・ベネットらの売り出しに貢献し、61年NBC「ミッチと歌おう」でその髭面や男声合唱団を指揮する姿で人気を呼ぶ。同番組は63年からNHKでも毎週日曜に放映された。このほか57年映画「戦場にかける橋」の音楽「クワイ河マーチ」などの演奏で知られた。
7/27
■モーリー・チェイキン(米俳優)カナダ
27日、感染症による合併症のためカナダのトロントで死去、61歳。
米ニューヨーク・ブルックリン育ち。バッファローニアルニューヨーク州立大学で演劇を学ぶ。学時代に友人と演劇グループを結成、公演で世界を回る。出演映画に「ウォー・ゲーム」「ツインズ」「イングリッシュマンinニューヨーク 」「ダンス・ウィズ・ウルブズ 」「カミーラ/あなたといた夏 」など。
7/27
■園佳也子(女優)東京都
27日、心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去、75歳。
大阪市天王寺区にて育った。神戸女学院大学文学部卒。高校在学中の53年NHK放送劇団の聴講生になる。同年テレビドラマ「ボーナス」で女優デビュー。60年「水戸黄門 天下の大騒動?」で映画デビュー。その後映画や舞台に進出。愛嬌のある個性を生かし、数々の作品に脇役として出演した。代表作にドラマ「細うで繁盛記」「ありがとう」、舞台「細雪」「三婆」、映画「どですかでん」など。 
7/27
■山本真純(日本テレビアナウンサー)東京都杉並区
27日、宮城県仙台市青葉区内のマンションから転落し死去、34歳。
警察は飛び降り自殺とみて調べている。
学習院大学理学部を卒業。99年日本テレビに入社。報道番組やバラエティーなど多方面で活躍。「独占!!スポーツ情報」「THE独占サンデー」などを担当した。09年般男性と結婚。
7/24
■森 毅(数学者、京都大学名誉教授)東京都
24日、敗血症性ショックのため大阪府寝屋川市内の病院で死去、82歳。
大阪府豊中市育ち。50年東京大学理学部数学科を卒業。専攻は関数空間の解析の位相的研究。51年北海道大学理学部助手となる。57年京都大学教養部(現:総合人間学部)助教授となり、71年同教授に就任。40代半ばから一般向けの数学の本を執筆し、81年「数学受験術指南」はロングセラーとなった。
91年退官し、京都大学名誉教授となる。時事問題を鋭い視点と、独特の語り口で論評し、テレビなどでも幅広く活躍。「ものぐさのすすめ」や「チャランポラン数学のすすめ」などユニークな著書をはじめ、文学や芸術にも造詣が深く、文学集や哲学集の編集にも携わった。著書に「ぼちぼちいこか」「数学と人間の風景」「ボクの京大物語」「一刀斎の人生相談」など。
7/22
村崎百郎(作家)シベリア
22日、東京都練馬区の自宅で腹部などを刺され死去、48歳。横浜市に住む32歳無職の男が現行犯逮捕された
「23日午後5時50分ごろ、東京都練馬区羽沢2、作家、村崎百郎=本名・黒田一郎=さん(48)方から、男の声で「人を殺しました。捕まえてください」と110番があった。警視庁練馬署員が駆け付けたところ、村崎さんが1階リビングで血を流して倒れており、搬送先の病院で死亡が確認された。同署は現場にいた横浜市の無職の男(32)が容疑を認めたため、殺人容疑で現行犯逮捕した。 同署によると、男は「(村崎さんの)本にだまされたことが分かり、ずっと恨みを持っていた。自宅住所はインターネットで調べた」などと供述しているという。調べでは、男には精神科の通院歴があるといい、動機や刑事責任能力を慎重に調べている。」

7/20
■早乙女愛(元女優)鹿児島
20日、多臓器不全のため米シアトルの病院で死去、51歳。
梶原一騎原作の漫画を映画化するにあたり、主演の西城秀樹の相手役が公募され、4万人の応募者から選ばれる。74年映画「愛と誠」で、役名と同じ芸名でデビュー。一躍人気女優となる。清純派女優として活躍を続けたのち、83年山城新伍監督の日活ロマンポルノ「女猫」に主演。
80年代半ばに実業家と結婚、出産。「はるちゃん」出演中に病気で降板。00年新・仁義なき戦いを最後に、芸能界を引退。02年頃より米国在住。
他の出演作に「港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ」「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」「オレンジロード急行」「北の蛍」など。
7/21
■セシル・オーブリー(仏映画女優、作家)
19日、肺癌のためパリ郊外で死去、80歳。
48年映画「黒ばら」、50年「情婦マノン」に出演し、50年雑誌ライフの表紙を飾った。51年「青ひげ」で国際的な女優としての地位を確立。のちに結婚して女優を引退。児童文学の作家に転身。自作「アルプスの犬と少年」「ぼくらのポリー」のシリーズを原作に、フランスで連続テレビドラマを製作。自ら脚本を執筆し、何本かのエピソードでは監督を務めた。主役はオーぶりーの息子が演じた。62年NHKが「ぼくらのポリー」を放映、81−82年まで「アルプスの犬と少年は」は「名犬ジョリィ」のタイトルに変えHKででアニメーション化された。
7/21
■長谷川裕見子(元女優)東京都
27日、転移性肺癌のため神奈川県湯河原町の病院で死去、85歳。
旧制・白百合高等女学校(現:白百合女子大学)を卒業。48年長谷川一夫主演「遊侠の群れ」で映画デビュー。57−59年「大菩薩峠」シリーズなどに出演。50年代から60年代にかけ東映の時代劇映画を中心に活躍。58年俳優・船越英二と結婚。俳優・船越英一郎は長男。引退後は湯河原町で旅館の女将となり、経営に携わる。
7/21
■枝川 弘(映画監督)大阪
10日、肺癌のため死去、93歳。
54年「五ツ木の子守唄」で監督デビュー。若尾文子主演の映画「荒城の月」や「講道館四天王」「恋と金」「サラリーマンどんと節・気楽な稼業と来たもんだ」などの映画を手掛け、TVドラマ「図々しい奴」「泣いてたまるか」「おくさまは18歳」などを演出した。
7/21
■松尾昭典(映画監督)大阪市
12日、肺炎のため死去、81歳。
京都大学を卒業。松竹京都撮影所に入社。55年映画製作を再開した日活に移籍。56年織田作之助原作の「わが町」の助監督を務め、58年「未練の波止場」で監督デビュー。
日本映画の黄金時代に活躍し、石原裕次郎主演の「二人の世界」「夜霧の慕情」、吉永小百合主演の「私、違っているかしら」、高橋英樹主演「男の紋章」シリーズ、「打倒(ノックダウン)」「人間狩り」「夕陽の丘」など日活アクション映画の全盛期を支えた。71年フリーランすとなる。テレビでも「大江戸捜査網」など数多くの作品を演出した。
7/17
■石井好子(シャンソン歌手)東京
17日、肝不全のため死去、87歳。
副総理や衆院議長などを務めた石井光次郎の次女。42年東京音楽学校声楽専攻を卒業。学生時代は主にドイツ歌曲を学んだが、終戦後ャズ歌手に転向。50年米国に留学。52年にフランスに渡り、シャンソンを学んでパリでデビュー。ヨーロッパ各地で歌い、54年帰国。日本のシャンソン界の第一人者として活躍を続けた。61年石井音楽事務所を設立し、63年から東京都内で「パリ祭」のイベントを企画。岸洋子、加藤登紀子、田代美代子ら後進を育てる一方、イベット・ジローら外国人アーティスト招聘に力を注いだ。77年事務所を閉鎖し、歌手活動を再開。90年パリのオランピア劇場で日本人として初のリサイタル。91年日本シャンソン協会を設立して、会長を務めた。
「巴里の空の下 オムレツのにおいは流れる」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。92年フランス芸術文化勲章コマンドール賞など受賞多数。87年マスターズ水泳選手権大会(台湾)50m平泳ぎで大会新記録を打ち立て優勝した。
7/17
■ベルナール・ジロドー(仏映画俳優・監督)仏ラロシェル
17日、癌のためパリの病院で死去、63歳。
15歳で海軍に志願し、5年間従軍。帰国後、広告代理店勤務などを経て、パリで演劇を学ぶ。73年「暗黒街のふたり」で映画デビュー。「パッション・ダモーレ」「ヘカテ」「キリング・タイム」「ル・ジタン」「ビリティス」などに主演。監督としても95年「川のうつろい」などを製作。10冊以上の小説も執筆した。
7/16
■ジェームズ・ギャモン(米俳優)イリノイ州ニューマン
16日、癌のため死去、70歳。
67年ポール・ニューマン主演の「暴力脱獄」で映画デビュー。その後西部劇映画やテレビシリーズなどに出演。人気TVシリーズ「刑事ナッシュ・ブリッジス」出演や、スポーツコメディ「メジャーリーグ」シリーズのクリーブランド・インディアンスの監督役などで知られる。出演作品は130本を超える。他の出演作に「コールドマウンテン」「ペインテッド・デザート」など。
7/13
■ジョージ・スタインブレナー(米大リーグのニューヨーク・ヤンキースオーナー )オハイオ州ロッキーリバー
13日、心臓発作のため搬送先のフロリダ州の病院で死去、80歳。
船舶製造会社経営者となる。73年43歳で3大ネットワークの一つCBSから、当時1000万ドルでヤンキースを買収。キャットフィッシュ・ハンターやレジー・ジャクソンら有力選手を、財力による強引なトレードで獲得。年俸の高騰化を招いた。3年松井秀喜外野手を獲得した。07年実質的経営を2人の息子に委ねる。最近は療養のためフロリダ州タンパの自宅に滞在していた。
7/13
■玉城 徹(歌人)仙台市
13日、肺炎のため静岡市内の病院で死去、86歳。
39年歌誌「多磨」に参加。北原白秋や巽聖歌に師事。東京大学を卒業。東京で高校教員となる。そのかたわら、戦後「新樹」同人となり、正岡子規や白秋らを研究。「多磨」の解散後はどの結社とも一線を画す。独自の形而上的世界を構し、主体の発言としての短歌をめざした。78年歌誌「うた」を創刊し主宰。歌集「樛木」で読売文学賞)、「われら地上に」で迢空賞、「香貫」で現代短歌大賞を受賞。評論集に「北原白秋」「近代短歌の様式」「素描・二十世紀短歌」など。
7/12
■ハービー・ピーカー(米漫画原作者)クリーブランド
12日、米オハイオ州クリーブランドの自宅で死去、70歳。
76年病院の文書係あった自身の日常生活をシナリオ化、友人でアンダーグラウンド・コミックス作家のロバート・クラムらが漫画にした短編連作集「アメリカン・スプレンダー」(American Splendor)の出版を開始。同作品は映画化され、本人選曲のジャズが盛り沢山に挿入され04年日本公開。ジャズ・コレクター評論家としても知られた。

7/10
■つかこうへい(劇作家・小説家、本名:金峰雄、日本の通名:金原峰雄)福岡県
10日、今年1月肺癌の告知を受け、抗癌剤投与の治療を受けていることを公表。その後闘病生活を送っていたが、肺癌のため千葉県内の病院で死去、62歳。
在日韓国人2世。慶応大学文学部在学中から戯曲を書き、早稲田大学の学生劇団に参加。アングラ演劇第二世代の劇作家、演出家として活動を開始。大学は中退する。
「戦争で死ねなかったお父さんのために」「初級革命講座 飛龍伝」などを演出し、74年「熱海殺人事件」は49年に岸田國士戯曲賞を受賞。同年、劇団つかこうへい事務所を設立。台本なしの口立て稽古や、装置のない裸舞台などが若い層の支持を得る。70年代から1980年代にかけて演劇界に"つかブーム"を巻き起こした。
82年「蒲田行進曲」の小説版が直木賞を受賞、深作欣二監督による映画も大ヒットした。劇団からは風間杜夫、平田満、三浦洋一ら多くの俳優を輩出したが、事務所はその後解散した。
94年東京都北区と協力し、「★☆北区つかこうへい劇団」を創設。日本初の行政によるバックアップを受けた劇団として関心を集めた。96年大分市と協力し「大分市つかこうへい劇団を創設」(00年12月解散)。98年北海道北広島市に「つかこうへい北海道演劇人育成セミナー」を開設し、地方文化の発信と演劇の育成に尽力した。
●1973年、岸田國士戯曲賞を、当時最年少の25歳で受賞 (戯曲『熱海殺人事件』)
●1976年、第14回ゴールデン・アロー賞演劇賞受賞 (舞台『ストリッパー物語』、『熱海殺人事件』)
●1980年、第15回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞 (舞台・つかこうへい三部作『弟よ!』、『いつも心に太陽を』、『蒲田行進曲』)
●1982年、第86回直木賞受賞 (小説『蒲田行進曲』。同作は深作欣二監督で映画化)
●1983年、日本アカデミー賞最優秀脚本賞受賞(映画『蒲田行進曲』)
●1990年、第42回読売文学賞受賞(小説『飛龍伝'90 殺戮の秋』)
●2007年、紫綬褒章受章
7/6
■ハーベイ・フクア(米シンガー・ソングライター)ケンタッキー州ルイビル
6日、米デトロイトの病院で心臓発作のため死去、80歳。
R&Bグループ「ムーングロウズ」(Moonglows)を結成。54年「シンシアリー」(Sincerely)がヒット。58年ソウル歌手のマービン・ゲイらを加えてグループを再編成し、「テン・コマンデオメンツ・オブ・ラブ」(Ten Commandments of Love)がヒットした。のちにレコードレーベル「モータウン」でプロデューサーとして働いた。
7/3
■梅棹忠夫(民族学者、国立民族学博物館初代館長)京都市
3日、老衰のため大阪府内の自宅で死去、90歳。
京都大学理学部で動物学を専攻。今西錦司に師事。モンゴルや東アフリカなどでの調査を通じて独自の文明論を展開。57年「文明の生態史観序説」が大きな反響を呼び論争を巻き起こした。し、日本における文化人類学のパイオニアとなる。69年情報の処理法を説いた「知的生産の技術」がベストセラーになる。「情報産業」という言葉の名づけ親でもある。また、日本語のローマ字論者(ローマ字化推進論者)で、社団法人日本ローマ字会会長でもある。70年大阪万博の「基本理念」を起草し、理論面から支えた。国立民族学博物館(大阪府吹田市)の設立に尽力し、74年創設と同時に館長就任。86年視力のほとんどを失うが、その後も精力的に著述・講演活動を行った。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授。
7/2
■飯田裕久(元警視庁刑事、作家)千葉県
2日、脳出血のため東京都練馬区の病院で死去、46歳。
高校卒業後、82年警視庁入庁。轄刑事を経て92年警視庁捜査第一課に配属。07年警部補で退職。芸能プロダクションへ。警察ドラマ・映画の演技指導などに携わる一方、ノンフィクションや小説も執筆。公開中の映画「ロストクライム 閃光」やドラマ「ゴンゾウ」などの警察監修を担当した。著書に「警視庁捜査一課刑事」「検挙票」など。
6/30
■パク・ヨンハ(韓国俳優)ソウル
30日、ソウル市江南区内の自宅で電気製品のコードで首をくくり死亡しているところを、母親に発見され死去。警察は自殺とみて調べている。32歳。
胃癌末期患者の父親の世話などで精神的に疲れていたという。
94年韓国でドラマ「テーマ劇場」でデビュー。その後、「パリ公園の朝」「スタート」「雪花」など多数のドラマに出演し、03年「オールイン」の主題歌を覆面歌手として歌ったことでも話題になる。日本でも大ヒットした韓国ドラマ「冬のソナタ」(02年)に出演した韓流スターとして広く知られた。04年フジテレビのドラマ「東京湾景」に出演。その後、主に日本で歌手として活動したが、08年に主演ドラマが放送され5年ぶりに俳優復帰。
08年、日本ゴールドディスク大賞「シングル・オブ・ザ・イヤー(洋楽)」「ザ・ベスト・エイジアン・アーティスト」を受賞した。主な映画出演作に「クリスマスに雪が降れば」「憎くても、もう一度」など。中央大学校芸術学部演劇科在学中だった。
6/28
■佃公彦(漫画家)東京都
6月28、肺炎のため東京都内の病院で日死去、80歳。
徳島県育ち。海軍兵学校卒業。55年文春漫画読本に掲載された「ほのぼの君日記」で漫画家デビュー。56年から東京新聞に「ほのぼの君」連載開始。「ちびっこ紳士」のタイトルでの掲載分を含め、最終回となった07年3月8日まで、新聞漫画では国内最長の15451回連載された。子供たちを温かいタッチで描き、4コマ分のスペースを3コマに割る手法を考案した。連載中に中日、北海道、西日本、中国、徳島の各紙でも連載がスタート。河北、神戸の両紙にも一時連載された。04年に日本漫画家協会賞大賞受賞。

6/26
■ニコラス・ハイエク(スウォッチ・グループの創業者)
28日、心不全のためスイスのビールで執務中に死去、82歳。スイスの時計最大手スウォッチ・グループの創業者で会長の
1928年レバノン・ベイルート生まれ。日本のデジタル時計の大量生産に押され、80年代にスイス伝統の時計産業の立て直しのためコンサルタントとして参入。伝統の機械式時計ではなく、斬新なデザインで安価なクオーツ時計の「スウォッチ」が販売。プラスティック製のボディに多彩なデザインのファッションウォッチとして世界的に大ヒットした。
83年同グループの前身となるSMH社を創業。98年社名をスウォッチ・グループに改めた。傘下に「オメガ」「ブレゲ」などの高級時計ブランドも擁し、スイス時計産業を危機から救った。
96年スイスのノイチャテル大学から、98年イタリアのボローニャ大学からそれぞれ博士号を授与された。

6/27
■コリー・アレン(米俳優、映画監督)オハイオ州クリーブランド
27日、老衰のためカリフォルニア州ハリウッドで死去、75歳。
55年映画「理由なき反抗」に出演。主演のジェームズ・ディーンが演じるジムとのチキン・レースで死亡するバズ・ガンダーソン役を演じた。5月にデニス・ホッパーが死去し、同映画の主要キャスト最後の生存者だった。のちに監督としてテレビシリーズ「スター・トレック」などを手掛けた。84年警察ドラマ「Hill Street Blues」でエミー賞受賞。

6/24
■フレッド・アンダーソン(米ジャズ・サキソフォン奏者)ルイジアナ州モンロー
24日、心臓発作のためイリノイ州エバンストンの病院で死去、81歳。
少年時代に母親とシカゴに移転。テナー奏者で、シカゴのフリージャズの先駆的存在。AACM(Association for the Advancement of Creative Musicians)の設立メンバーのひとり。クラブ「バード・ハウス」を経営。閉店後の82年フリージャズ系クラブ「ヴェルヴェット・ラウンジ」をオープンさせ、その運営にあたった。

6/23
■ピート・クウェイフ(英ロックベーシスト)イングランドのテイヴィストク
23日、腎不全のためデンマークの病院で死去、66歳。
60年デイヴ・デイヴィスとともにキンクスの前身「レイヴンズ」(The Ravens)結成。その後兄レイが参加し、63年バンド名をキンクスと改名。「You Really Got Me」「All Day and All of the Night」「Waterloo Sunset」などでベースとバック・ヴォーカルを担当。69年脱退。その後音楽活動を離れ、バンド活動以前に携わったデザインの仕事に従事する。
6/18
■山口太一(漫画家)福島
18日午後2時7分、肺炎のため東京都東大和市の病院で死去、74歳。葬儀・告別式は24日午前調布市八雲台国領総合斎場。喪主は長女佐枝千夏、次女山口ルーポ早苗。
主に子ども向け学習漫画で活躍。代表作に「名探偵 荒馬宗介」など。6/18
6/18
■ロナルド・ニーム(英、映画監督)ロンドン
18日、米ロサンゼルスの病院で死去、99歳。
29年ヒチコック監督の「恐喝」の撮影助手として映画界に入る。デヴィッド・リーンらと映画会社を設立。撮影監督、脚本家、プロデューサーを経て、47年監督としてデビュー。その後、68年「ミス・ブロディの青春」、72年「ポセイドン・アドベンチャー」、79年「メテオ」などを監督した。
6/17
■矢野しじみ
17日、昨年発症したガン細胞の侵略により阿佐ヶ谷住宅にて死去、14歳34日。
6/16
■ゲイリー・シャイダー(ファンクミュージシャン)ニュージャージー州プレインフィールド
16日、脳及び肺の癌のためメリーランド州の病院で死去、56歳。
10代でジョージ・クリントンのファンク・グループ「パーラメンツ」に加入。16歳でカナダに移り住みファンク・バンド「ユナイテッド・ソウル」を結成。その後、クリントンの再結成した「パーラメント/ファンカデリック」にギタリストとして加入し、70年代に多くのヒット曲をだす。80年代にバンドは解散。その後は「Pファンク・オールスターズ」の音楽ディレクターなどを務めた。

6/15
■ビル・ディクソン(米ジャズ・ミュージシャンBill Dixon)マサチューセッツ州ナンタケット
15日、死去、84歳。
戦時中は米陸軍で兵役につきドイツへ従軍。戦後、ニューヨークの音楽学校やボストン大学で絵を学ぶ。84年「ジャズの十月革命」を主導し、ジャズ・コンポーザーズ・ギルド結成で重要な役割を担った。60年代のフリー・ジャズ界を牽引した伝説的なトランペット奏者で、作曲なども手がけた。

6/13
■ジミー・ディーン(米カントリー歌手)テキサス州プレインビュー
13日、バージニア州の自宅で死去、81歳。
61年「ビッグ・バッド・ジョン」が全米チャート1位となり、グラミー賞も受賞。64年TV番組「ジミー・ディーン・ショー」、71年映画「007 ダイヤモンドは永遠に」に出演。カントリー音楽の殿堂入り。近年は実業家としても活躍していた。
6/11
■池田駿介(俳優)神奈川県川崎市
11日、胃癌のため千葉県内の病院で死去、69歳。
法政大学卒業。劇団文化座の研究生を経て、東映ニューフェイス第10期生となる。63年映画「白い熱球」の野球部員・篠原役で本格的デビュー。71年「帰ってきたウルトラマン」の南隊員役、73年テレビ番組「キカイダー01」の主人公イチロー役を演じる。
6/5
■キャピー原田(元米軍人)カリフォルニア州サンタマリア
5日、心不全のため米カリフォルニア州の病院で死去、88歳。
日系2世。戦後の日米球界の橋渡し役を担った。戦争中は連合国軍総司令部(GHQ)に所属し、49年サンフランシスコ・シールズ(Sanfrancisco Seals)と日本プロ野球の親善試合の実現などに貢献した]。退役後は読売ジャイアンツの国際担当として与那嶺要などの日系アメリカ人選手を獲得。64年サンフランシスコ・ジャイアンツの極東スカウト担当として日本人初の米大リーガーとなった村上雅則投手(当時:南海)獲得にかかわった。
6/1
■牧田吉明(元活動家)静岡市
1日、岐阜市内の自宅アパートで死去、63歳。死亡しているところを1日発見された。病死と見られる。
かつて「爆弾屋」の通称を持つアナーキスト、新左翼活動家として知られた。成蹊大学文学部に進学後、自治会執行委員として大学側と衝突。
65年国鉄運賃値上げ反対集会で逮捕。66年無期停学、67年除籍。その後、活動を続ける。新宿ピース缶爆弾事件など一連の爆弾テロ事件の容疑者として、73年極左活動家18人が起訴される。 公判継続中の82年真犯人として牧田自らが名乗り出る。しかし、爆弾製造の公訴時効成立後だった。牧田与一郎・元三菱重工社長の四男。
6/1
■大野一雄(舞踏家)北海道函館市
1日、呼吸不全のため横浜市保土ケ谷区の病院で死去、103歳。
日本体育会体操学校(現:日本体育大学)に学ぶ。29年スペインの舞踊家ラ・アルヘンチーナ(アントニア・メルセ)の来日公演に刺激を受け、舞踏家を志す。横浜の捜真女学校で体育教師として勤務するかたわら、石井漠に師事しモダンダンスを修行。36年ドイツでマリー・ウィグマンにノイエタンツを学ぶ。帰国後、江口・宮舞踊研究所に入所。38年召集を受け、ニューギニアに出征。戦後復員し、49年第1回目リサイタルを開く。
60年代に土方巽と出会い、 暗黒舞踏の土方巽と共演を重ね、日本独自の「舞踏」を確立。白塗りの化粧と緩やかな動きで、人間の内面を表現した。77年独舞踏「ラ・アルヘンチーナ頌」を発表し、注目を集める。同年舞踏批評家協会賞受賞。80年捜真女学校を退職。同年フランスの第14回ナンシー国際演劇祭に出演。99年イタリアで第1回「ミケランジェロ・ アントニオーニ賞」受賞。01年ボローニャ大学内に大野一雄研究室が開設された。
100歳を越えてない舞台に立ち続け、「BUTOH」の第一人者として世界的な評価を受けた。門人に笠井叡や上杉満代らがいる。息子の大野慶人も舞踏家。
代表作に「ラ・アルヘンチーナ頌」「わたしのお母さん」「死海」「睡蓮」など。
6/1
■アンドレイ・ボズネセンスキー(ロシアの詩人)モスクワ
1日、モスクワの自宅で死去、77歳。
14歳で作家パステルナークに自作の詩を送る。57年建築大学を卒業。64年「反世界」などの詩集を発表。スターリン死後に自由な芸術活動が許された「雪解け」時代を代表する詩人として絶大な人気を博した。前衛的作風がソ連当局の批判を浴びたが反権力の姿勢を貫き、ゴルバチョフ時代のペレストロイカ(改革)政策を支持した。
83年ロシアの国民的歌手アーラ・プガチョワが歌いヒットした「百万本のバラ」の作詞者としても知られる。加藤登紀子が日本語でもカバーした。
5/30
■アリ・オリ・ウッドソン(米ソウル歌手)ミシガン州デトロイト
30日、癌のためカリフォルニア州南部で死去、58歳。
60年代結成された黒人コーラスグループ「テンプテーションズ」に84年加入。同年発表の「Treat Her Like A Lady」はR&Bチャート2位を記録するヒット。グループのリードボーカルを務め、グループの人気を再び高めた。96年脱退。その後はソロや自らグループを結成して活動。テンプテーションズ時代からたびたび来日公演を行った。東京都渋谷区には名前を冠したバーもある。
5/28
■デニス・ホッパー(米俳優)カンザス州ドッジシティ
29日、昨年10月に前立腺癌であることを公表。今年1月転移が見つかり、余命わずかと友人に話していたが、カリフォルニアの自宅で死去、74歳。
55年ワーナー・ブラザースと専属契約しTVドラマ「メディック」でデビュー。「理由なき反抗」「ジャイアンツ」でジェームス・ディーンと共演。ディーンの死後(55年)、ハリウッドからニューヨークに活動の場を移す。69年監督・脚本・主演した「イージー・ライダー」が世界中で大ヒットし、アメリカン・ニューシネマの代表作となる。70年代はアルコールとドラッグに溺れるが、86年デヴィッド・リンチ監督「ブルーベルベット」で復帰。その後、映画「スピード 」「ウォーターワールド」「スーパーマリオ/魔界帝国の女神」「バスキア」、TVドラマ「24 TWENTY FOUR (シーズン I)」「crash クラッシュ」などに出演した。画家としては、アブストラクト・インプレッションニズムからフォトリアリズムまで幅広い分野で活動。写真家、彫刻家としても多くの作品を残した。私生活では5回結婚。癌公表後、結婚14年になる現在の妻との離婚を申請したが、協議が進展せず闘病生活をしながら離婚劇が繰り広げられた。
5/28
■ゲーリー・コールマン(米俳優)イリノイ7州ザイオン
28日、26日脳出血のため自宅で倒れ入院後、意識不明となり生命維持装置が外されユタ州ソルトレークシティー郊外の病院で死去、42歳。
78−80年TVコメディードラマ「アーノルド坊やは人気者」で、裕福な白人男性の養子となったジョーク好きの黒人少年アーノルド・ジャクソンを演じ、子役スターとなった。日本でも放送され、吹き替えの「冗談は顔だけにしろよ」という決めぜりふが人気だった。その後はヒット作に恵まれず、
03年カリフォルニア州知事選に出馬するも落選。幼少時の腎臓の病気が原因で身長は142cm、73年と84年の2度腎移植を受けた。
5/26
■針生一郎(評論家、前美術評論家連盟会長)仙台市
26日、急性心不全のため川崎市宮前区の病院で死去、84歳。
48年東北大学を卒業。東京大学大学院で美学を学ぶ。花田清輝や岡本太郎らと芸術グループ「夜の会」で活動。「日本浪漫派」の保田與重郎に強い影響を受け、和歌などの詩作を通して、万葉集、古事記の世界に魅入られる。53年共産党入党。54年同大学院を修了。
美術界の旧弊を批判して前衛美術評論の草分けとして活躍、文学・社会など幅広い評論も展開。60年安保闘争で共産党指導部を批判し除名される。
66年ベニス・ビエンナーレ、77年サンパウロ・ビエンナーレ日本側コミッショナー。00年光州ビエンナーレ特別展「芸術と人権」展のディレクターも務める。02年大浦信行監督「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男。」が公開され、話題となった。新日本文学会代表世話人も務めた。
和光大学、多摩美術大学、岡山県立大学の教授を歴任。原爆の図丸木美術館(埼玉)、金津創作の森(福井)の館長に就いていた。著書に「戦後美術盛衰史」「わが愛憎の画家たち」など。
5/24
■ポール・グレイ(ヘビメタ、ベーシスト)ロサンゼルス
24日、アイオワ州デモイン郊外のホテルの部屋で死去犯罪性はないとみられる。38歳。
95年デモイン出身者らで「Slipknot」を結成。メンバー全員がグロテスクなマスクをかぶって演奏することで知られる9人組のバンド。96年に自主制作アルバム「Mate.Feed.Kill.Repeat.」を制作。99年1stアルバム「スリップノット」がヒット。06年シングル「Before I Forget」でグラミー賞「Best Metal Performance」賞を受賞。ドラマーのジョーイ・ジョーディソンとともに、ソングライティングの大半を担った。 グレイはインディーズ時代はヴォーカルを担当したがベースに転向。当初ブタ型のマスクを被ったが、セカンド・アルバムからジェイソンマスクなどに変化。各マスクはスクリーミング・マッド・ジョージ(日本人のアーティスト/デザイナー)が特注製作。03年車との衝突事故以降、麻薬所持や交通違反容疑で逮捕されたこともある。
5/24
■ラッシャー木村(元プロレスラー)北海道
24日、腎不全による誤嚥性肺炎のため死去、67歳。
天塩高校を卒業後、大相撲の宮城野部屋に入門し、58年3月初土俵。四股名は木ノ村、最高位は幕下20枚目。64年廃業。
日本プロレスに入門。東京プロレスから国際プロレスに移籍。国際プロレス時代は過激なデスマッチで名を上げ「金網の鬼」の異名を取り、75年IWA世界ヘビー級王座を獲得した。
国際プロレスの解散後は新日本プロレスに参戦。前田日明らと第1次UWFにも参加したが離脱。その後、全日本プロレスに移籍し、ジャイアント馬場とタッグを組み人気が高まった。マイクパフォーマンスは有名で、数多くの名文句を生み出した。試合後、観客からマイク・パフォーマンスを求めるコールが起こるほどだった。馬場没後の00年、全日本のエースだった三沢光晴が立ち上げたノアに参戦。前座試合で人気を博す。03年日本武道館大会を最後に体調不良により長期休養に入る。同年ノアの終身名誉選手会長に就任0。7年ビデオレターで引退を表明。
5/23
■楠原映二(在英、日本人俳優)東京
23日、癌のため4月死去、63歳。
北海道育ち。岩見沢東高卒業後、多摩美術大学で演劇を学ぶ。東京キッドブラザースに入団。73年ツトム・ヤマシタのレッドブッダシアターに参加、欧州と米国を巡演。75年英国に移住し、前衛劇団「ルミエール アンド サン」に所属。ロイヤルシェークスピア劇団などでも活動、英国で活躍する日本人俳優の草分け的存在になる。81−85年英BBC放映の日本占領下のシンガポールを舞台にしたドラマで、残忍な日本軍中尉を演じ一躍有名になる。英バラエティー番組の司会でも人気を博した。映画「エレファント・マン」「アイズ・ワイド・シャット」など、欧米の多くの映画やドラマに出演した。
5/23
■サイモン・モンジャック(英脚本家)
23日、米ロサンゼルスの自宅で死去、39歳。
ハリウッド・ヒルズの自宅寝室で意識を失っているのをブリタニーの実母が発見。救急隊で病院に搬送された。死因は心臓発作と思われる。
昨年12月に急死した女優ブリタニー・マーフィの夫。
1970年ロンドン郊外ヒリングドン生まれ。07年ブリタニーと出会い、2度目の結婚。しかし09年マーフィーが自宅浴室で心不全のため急死。複数の薬剤服用が原因の偶発死と発表された。
5/23
■ホセ・リマ(米大リーグ元投手)ドミニカ共和国
23日、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊の自宅で夫人が異変に気づき、救急車で病院に搬送されたが心臓発作のため死去、37歳。
94年タイガースで初昇格。99年アストロズで21勝10敗の成績をあげた。メジャー通算成績は13年で89勝102敗、防御率5.26。04年ドジャースで野茂英雄、現西武の石井一久と先発ローテーションを組んだ。昨季は独立リーグのゴールデン・ベースボール・リーグで伊良部秀輝のチームメートだった。このほか大リーグ、ロイヤルズ、メッツで所属した。
5/19
■荒川修作(美術家)名古屋市
19日、ニューヨーク市内の病院で死去、73歳。
愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校中退。58年読売アンデパンダン展に初出品。60年前衛芸術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。
61年渡米し、以降ニューヨークで暮らす。記号や文字を使った観念的な作風を確立して国際的注目を集めた。71年パートナーで詩人のマドリン・ギンズとの共著「意味のメカニズム」で高い評価を得た。94年岡山県奈義町に磯崎新と「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」を共同制作。岐阜県養老町にテーマパーク「養老天命反転地」をギンズと共同制作し、95年開園。この他の作品に「三鷹天命反転住宅〜In Memory of Helen Keller〜」「バイオスクリーブ・ハウス」など。86年フランス文芸シュヴァリエ勲章、96年芸術大賞、03年紫綬褒章。

5/16
■ハンク・ジョーンズ(米ジャズピアニストHenry "Hank" Jones)ミシシッピ州ビックスバーグ
16日、ニューヨーク・マンハッタンのホスピスで死去、91歳。
ミシガン州ポンティアックで育つ。音楽一家で、10代からピアノを演奏。47年初のリーダーアルバム「Urbanity」を録音。40−50年代には人気ピアニストとしてエラ・フィッツジェラルド、チャーリー・パーカーらと共演。58年「Somethin' Else」でキャノンボール・アダレイ、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキーらと共演した。
89年NEAジャズマスター、08年米国民芸術勲章授与。最近まで日本を含む海外演奏を続けていた。

5/14
■鈴木俊一(元東京都知事)東京
14日、死去、99歳。
33年東京帝国大学法学部を卒業。旧内務省に入る。43年当時の東京府と東京市を一本化する「都制度」の創設に携わる。50年地方自治庁次長(在任中に自治事務次官に改称)を8年間務める。地方自治法、公職選挙法の制定、「昭和の大合併」を手がける。
59年東龍太郎都知事のもとで副知事に就任。東京五輪開催に向けた基盤整備など、戦後復興期の東京で大規模プロジェクトを次々に完成させた。67年副知事退任、その後、日本万国博覧会協会の事務総長として70年大阪万博を成功させた。71年都高速道路公団理事長に就任、78年自治次官時代に自ら設置した金融公庫の総裁に就任。
79年美濃部亮吉都知事の引退を受け、都知事選に出馬し、初当選。95年退任まで4期務める。
在任中は破綻寸前だった都財政を再建し、臨海副都心開発を進めた。「世界都市博覧会」の開催を96年に予定していたが、後任の青島幸男知事が中止を決断し波紋を呼んだ。
知事退任後は、東京国際交流財団(現:東京国際フォーラム)会長、日本倶楽部会長を務めた。
5/9
■レナ・ホーン(米ジャズ歌手 Lena Horne)ニューヨーク・ブルックリン
9日、ニューヨークの病院で死去、92歳。
19世紀の政治家ジョン・カルフーンを先祖に持つ。3歳のとき父が蒸発、母はアフリカ系の舞台女優。
33年コットン・クラブの舞台に立つ。その後ジャズ楽団と地方公演。38年ミュージカル映画「The Duke is Tops」でジャズ歌手としてデビュー。43年「Stormy Weather」がヒット。公民権運動に参加するほど政治意識が高く、エレノア・ルーズベルトとともに反リンチ法案可決のため運動した。50年代にハリウッドを去り、ナイトクラブでの歌手活動に注力。
47年夫でジャズ・アーティストのレニー・ヘイトンとともに渡仏。71年夫の死後、ブロードウェイで舞台に立つな。58年トニー賞の最優秀ミュージカル女優賞にノミネート。
81年グラミー賞最優秀ポップス・パフォーマンス賞を獲得。89年グラミー賞の功労賞を獲得。95年「An Evening with Lena Horne」でグラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞受賞。

5/8
■島野 修(元プロ野球投手)神奈川県
8日、脳出血のため兵庫県西宮市の病院で死去、59歳。
武相高校時代の67年・68年に夏の甲子園出場。69年巨人にドラフト1位で入団。76年阪急ブレーブスに移籍。その後在籍3年間で1軍登板はなく、78年現役を引退。
通算24試合登板、1勝4敗、防御率5.05。在籍10年、実働4年。81−98年の17年間に渡り阪急及びオリックスのマスコット「ブレービー」「ネッピー」のスーツアクターとして活躍した。その後オリックス球団職員として勤務。04年病気療養のため退職した。
5/5
■田宮謙次郎(元プロ野球選手)城県下館市
5日、脳内出血のため茨城県筑西市の病院で死去、82歳。
茨城県立下館商業学校(現:下館一高)から日本大学へ。大学を中退し、49年投手として阪神に入団。52年野手に転向。58年打率3割2分で首位打者を獲得。巨人・長嶋茂雄の新人三冠王を阻止した。59年大毎に移籍し、60年のリーグ優勝に貢献した。63年現役引退。プロ15年間で通算1488試合に出場、打率2割9分7厘、106本塁打、597打点。引退後は東映、日拓(現:日本ハム)で監督。94年から2年間台湾プロ野球で監督として指揮した。阪神OB会長や茨城県下館市議も務め、02年野球殿堂入り。
5/2
■佐藤 慶(俳優)福島県会津若松
2日、肺炎のため死去、81歳。
福島県立会津工業学校を卒業し、会津若松市役所に勤務。そのかたわら劇団を結成。上京後の52年俳優座養成所の4期生となる。59年小林正樹監督の「人間の條件/第三・四部」で映画デビュー。大島渚監督の「青春残酷物語」「日本の夜と霧」「白昼の通り魔」などに出演。71年大島監督の「儀式」でキネマ旬報主演男優賞、新藤兼人監督の「鬼婆」でパナマ国際映画祭最優秀男優賞を受賞した。81年武智鉄二監督の「白日夢」で女優の愛染恭子と本番行為を行い、話題を呼ぶ。舞台では80年「イーハトーボの劇列車」で紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。テレビではNHK大河ドラマ「太閤記」で明智光秀役、「徳川家康」で武田信玄役を演じた。このほかの出演作に映画「白昼の死角」「竹山ひとり旅」「課長島耕作」、TVドラマ「夕暮れて」「天城越え」など。
5/2
■リン・レッドグレイヴ(英女優)ロンドン
2日、死去、67歳。
両親、兄コリン、姉ヴァネッサも俳優。ロンドンで演劇を学び、57年10代で舞台に出演。63年映画デビュー。66年「ジョージー・ガール」でアカデミー賞主演女優賞候補。
72年米ブロードウェーにデビュー。映画のほか、テレビ出演も多い。米国市民権を取得。
アカデミー賞2回ノミネート、トニー賞2回ノミネート。出演映画に「トム・ジョーンズの華麗な冒険」「シャイン」「スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする」など。
4/27
■北林谷栄(女優)東京・銀座
4月27日、肺炎のため東京都内の病院で死去、98歳。
31年創作座の研究生になり、36年新協劇団に入団し、築地小劇場の「どん底」で初舞台。42年宇野重吉らとともに移動劇団・瑞穂劇団を結成。戦時中は「帝大新聞」編集、少女雑誌記者を経験。45年画家・河原冬蔵と結婚。47年宇野重吉や滝沢修らと民衆芸術劇場を設立。50年劇団民藝創立に参加し、舞台「泰山木の木の下で」など中心俳優として活躍。
30代から映画などの老け役で定評があった。紀伊國屋演劇賞、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞など受賞多数。
78年紫綬褒章受章。主な出演作に映画「破壊」「原爆の子」「キューポラのある街」ほか、声優として「となりのトトロ」など。
4/26
■柳家紫朝(音曲師)東京都中央区
26日、慢性腎不全のため千葉県我孫子市の病院で死去、80歳。
37年祖父の元で新内の修行を始める。48年4世鶴賀喜代太夫を襲名。52年8代目桂文楽に入門、文喜を名乗る。
56年桂二三夫と改名。69年 2代目紫朝を襲名。新内、粋曲、音曲、都々逸など三味線の弾きうたいで活躍した。
4/25
■ドロシー・プロヴァイン(米女優)サウスダコタ州デッドウッド
で25日、肺気腫のためワシントン州ブリマートン死去、73歳。
50年代半ばワシントン大学で演技を学ぶ。ローカル局でクイズ番組アシスタントなどを経て、57年ハリウッドに移り住む。58年端役で映画出演。60年代に多くの映画に出演する。主な出演作に58年「鉛の弾丸をぶちかませ」、63年「おかしなおかしなおかしな世界」64年「ちょっとご主人貸して」、65年「グレートレース」、66年「0011ナポレオン・ソロ 地獄へ道づれ」、66年「殺しのビジネス」など。
4/25
■アラン・シリトー(英国作家)英ノッティンガム
25日、ロンドンの病院で死去、82歳。
14歳で学業を離れ、4年間工場で働く。その後、英空軍に入隊し、マレーシアで無線技師として勤務。帰国後、結核で1年余り入院生活を送る。その後7年間に渡りフランスやスペインで過ごす。58年「土曜の夜と日曜の朝」を出版。59年「長距離走者の孤独」でホーソーンデン賞を受賞。2作品はともに映画化された。50年代の「怒れる若者たち」(Angry Young Men)のひとりと称され、若者たちのやり場のない怒りや反抗などを描いた。他の作品に「屑屋の娘」「燃える樹」「華麗なる門出」など。
4/23
■ナタリア・ラブロワ(ロシアの新体操元五輪金メダリスト)ソ連ペンザ
23日、交通事故にためモスクワ南東のペンザ死去、25歳。
地元のダイナモ・クラブでオルガ・ステベノワに師事。98年ロシアの代表チームに参加。00年と04年の五輪の新体操の女子団体で金メダルを獲得。後ダイナモ・クラブのコーチを務めていた。
4/21
■フアン・アントニオ・サマランチ(前国際オリンピック委員会(IOC)会長)バルセロナ
21日、心臓及び呼吸機能不全のためスペインのバルセロナの病院で死去、89歳。
66年にフランコ独裁政権のもとでスポーツ長官に就任、同年IOC委員となる。74−78年までIOC副会長。77−80年までスペインの駐ソ連・駐モンゴル大使を務める。この間の80年第7代IOC会長に就任。01年退任し、終身名誉会長となる。五輪スポンサー制度の導入やテレビ放送権料により巨額資金を確保し、IOCの財政基盤を確立。バスケットボールやテニスなどプロ選手へも五輪出場を主導した。一方で独裁的かつ密室政治の文化への批判も大きかった。
4/17
■ソティギ・クヤテ(仏俳優)ブルキナ・ファソ首都バマコ
17日、死去、73歳。
66年まで同国サッカーチームで活躍。その後俳優として活動を始める。アフリカから新大陸に奴隷を運ぶ拠点となったセネガルのゴレ島から旅にでて、ニューヨークでその子孫の女性に出会う映画「リトル・セネガル」や小川洋子原作でベルトラン監督作品「薬指の標本」、「ゲート・トゥ・ヘヴン」「パリ空港の人々」などに出演した。

4/16
■ヴェルナー・シュローター(独、映画監督)独チューリンゲン
16日、癌のため独ヘッセン州カッセルの病院で死去、65歳。
マンハイム大学中退。69年最初の長編映画「エリカ・カタッパ」でマンハイム映画祭のシュターンベルク賞受賞。70年代初めに歌手マリア・カラスを主題にした数本の映画を撮影。80年舞踊家の大野一雄やピナ・バウシュら参加したナンシーフェスティバルのドキュメンタリー映画「ドレス・リハーサル」を監督。06年日本を舞台にした「TWO LOVE [二つの愛の物語]」を監督。08年ヴェネツィア国際映画祭で生涯功労賞を受賞。主な監督作品に「犬の夜」「マリーナ」「薔薇の王国」「愚か者の日」など。

4/16
ドロシー・ハイト(米公民権運動家)バージニア州リッチモンド
20日、老衰のため首都ワシントンの大学病院で死去、98歳。
幼い頃家族とペンシルベニア州ランキンに移り住む。ニューヨーク大学で教育学を学び、同大学院で心理学修士取得。その後ハーレムYMCAなどで働く。57−97年まで全米黒人女性会議議長を務め、黒人女性の権利拡大や地位向上に尽力。キング牧師らとともに公民権運動を主導した。94年大統領自由勲章、04年議会金メダルを受賞した。

4/16
■堀多恵子(文筆家、作家)静岡県
16日、肺炎のため長野県軽井沢町の自宅で死去、96歳。
38年堀辰雄と結婚。軽井沢町にある堀辰雄文学記念館の名誉館長を務めた。山室静佐久文化賞の特別賞を受賞。
著作に随筆「堀辰雄の周辺」「山ぼうしの咲く庭で」「野ばらの匂う散歩みち」など。
4/11
■福田陽一郎(演出家・脚本家)東京
11日、膵臓癌のため東京都世田谷区の自宅で死去、77歳。
東京大学文学部フランス文学科を卒業。日本テレビに入社。ディレクター・脚本家としてドラマ「男嫌い」やバラエティー番組などを手がける。
73年フリーとなる。「離婚ともだち」などの脚本のほか、木の実ナナと細川俊之の共演舞台「ショーガール」を手がけた。他の舞台にタップダンサーを集めた公演「シューズ・オン!」など。伊奈洸のペンネームももつ。
4/9
■ばばこういち(放送ジャーナリスト)山形県
9日、心不全のため東京都渋谷区の病院で死去、77歳。
東北大学経済学部を卒業、大和證券に入社。その後、文化放送、フジテレビ、東京12チャンネル(現:テレビ東京)に勤務。66年フリーの放送ジャーナリストとなる。
ラジオ番組「青春インタビュー」やTV番組「アフタヌーンショー」「長谷川肇モーニングショー」などに出演。77年中山千夏らと革新自由連合を結成、参議院選に出馬するが落選。著書に「されどテレビ半世紀」など。ジャーナリストの堤未果は娘、川田龍平は娘婿。
4/9
■井上ひさし(作家・劇作家)山形県小松町
9日、肺癌のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去、75歳。
カトリック修道会ラ・サール会の孤児院(現;児童養護施設)「光が丘天使園」で育ち、洗礼を受ける。上智大学文学部ドイツ語学科に入学するが、その後休学し岩手県の国立釜石療養所の事務職員となる。フランス語に専攻を変えて復学し卒業。在学中から浅草のストリップ劇場フランス座などで台本を書く。卒業後、山元護久とともにTV人形劇「ひょっこりひょうたん島」を書く。72年戯曲「道元の冒険」で岸田国士戯曲賞、小説「手鎖心中」で直木賞受賞。84年自作戯曲を上演する「こまつ座」を旗揚げする。代表作に戯曲「父と暮せば」「人間合格」、小説「吉里吉里人」(日本SF大賞) 「四千万歩の男」など。04年大江健三郎や梅原猛らとともに護憲を訴える「九条の会」を結成。戦争責任や平和、農業など多岐にわたる発言で知られた。闘病中も沖縄戦を取り上げた戯曲「木の上の軍隊」を準備していた。04年文化功労者、09年日本芸術院会員。読売文学賞、吉川英治文学賞、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞、菊池寛賞、講談社エッセイ賞など受賞多数。日本ペンクラブ会長も務めた。
4/8
■マルコム・マクラーレン(セックス・ピストルズ元マネジャー)ロンドン
8日、中皮腫のためスイスの病院で死去、64歳。
ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ卒業。71年ファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドとロンドンで洋服店「Let It Rock」を開店。渡米し「ニューヨーク・ドールズ」をプロモートするが、バンド解散。
帰国後、70年代パンクロックムーブメントを牽引したセックス・ピストルズをプロモートし、マネジャーを務めた。83年自身の音楽アルバムを発表。

4/7
■木村拓也(プロ野球巨人コーチ)宮崎市
7日、2日の広島戦(マツダスタジアム)の試合前のシートノック中に突然倒れ、意識不明のまま蜘蛛膜下出血のため広島市の病院で死去、37歳。
県立宮崎南高校1年で夏の甲子園、3年で春の甲子園に出場。90年ドラフト外で日本ハム入団。94年オフに広島に移籍。06年シーズン中に巨人に移籍。09年現役を引退。10年巨人の内野守備走塁コーチに就任。現役18年間で1523試合出場、通算成績は打率.262、本塁打53本。04年アテネ五輪で野球日本代表に選出。

4/6
■屋良文雄(ジャズピアニストで沖縄ジャズ協会会長)
6日、那覇市前立腺癌のため那覇市の病院で死去、70歳。
62年琉球大在学中に米軍キャンプでピアニストとして活動開始。75年屋良文雄トリオを結成する。那覇市でライブハウス「寓話」を営み、沖縄のジャズ界を尽くした。
83年デビューアルバム「南風」を発表。89年県芸術祭奨励賞受賞した。
4/6
■西河克己(映画監督)鳥取県智頭町
6日、肺炎のため東京都大田区の病院で死去、91歳。
39年日本大学芸術学部を卒業し、松竹大船撮影所に入社。40年出征し、46年復員。松竹に復職。
52年「伊豆の艶歌師」で監督デビュー。54年日活に移籍。吉永小百合主演の映画「青い山脈」「伊豆の踊子」のほか、石原裕次郎や高橋英樹の主演作品などを多く手がける。69年日活退職。
70代には山口百恵主演の「潮騒」「春琴抄」など監督した。79年から日本大学芸術学部の教壇に立つ。01年智頭町に西河克己映画記念館が設立された。4/3

■渡邉泰憲(元ラグビー日本代表選手)北海道千歳
3日、JR横須賀線鎌倉駅で
ホームから線路に転落し、電車にはねられ死去、35歳。
東京都育ち。保善高校でラグビーを始め、高校日本代表に選出されイングランド遠征に参加。日本体育大学3年で関東大学対抗戦優勝。96年同大4年で日本代表に選出される。大学卒業後、東芝に入社。ナンバーエイトからフランカーにコンバートされ優勝に貢献。99年W杯代表に選出され、以降3大会連続で出場。身長192cm、体重104kg。

4/2
■山内鉄也(映画監督・脚本家)広島市
2日、心不全のため死去、75歳。
57年中央大学経済学部を卒業し、東映に入社。京都撮影所の助監督を経て、64年「忍者狩り」で監督デビュー。66年特撮映画「怪竜大決戦」を監督、67年TV番組「仮面の忍者 赤影」を演出。68年フリーとなり、TV番組「水戸黄門」「大岡越前」などを撮った。

4/1
■ジョン・フォーサイス(米俳優)ニュージャージー州ペンズ・グローブ
1日、肺炎による合併症のため米カリフォルニア州サンタイネズの自宅で死去、92歳。
ニューヨーク・ブルックリン育ち。47年アクタースタジオに参加し、マーロン・ブランドらと知り合う。55年ヒッチコック監督の映画「ハリーの災難」に出演。50年代にダンディーな二枚目俳優として活躍。その後80年代の米TVドラマ「ダイナスティ」で富豪役を演じた。ドラマシリーズ「チャーリーズ・エンジェル」では女性探偵3人に指示を出す所長チャーリーの声を担当した

4/1
■第28代木村庄之助(大相撲元立行司)山形県鶴岡
1日、千葉市稲毛区の自宅で死去、81歳。
。38年夏場所、9歳で出羽海部屋から初土俵。「豆行司」と呼ばれて人気を博す。74年先輩行司を抜いて三役格に昇格。84年序列上位の式守伊三郎を抜き第25代式守伊之助に昇格し、40場所を務める。91年行司の最高位の第28代木村庄之助襲名、18場所を務める。93年定年退職。

3/30
■ジョン・バンチ(米ジャズピアニストJohn Bunch)インディアナ州ティプトン
30日、悪性黒色腫のためニューヨーク市内の病院で死去、88歳。
11歳からピアノを始め、翌年地元のクラブで演奏。ジョージ・ジョンソンに師事。第2次大戦中は空軍に所属。撃墜されナチの捕虜となる。56年ロサンゼルスに移り、ウディ・ハーマン・オーケストラに参加。58年ニューヨークに移り、エディー・コンドンの楽団やベニー・グッドマンの楽団と演奏。最近はトリオ「ニューヨーク・スイング」を結成し、現役で演奏活動を続けていた。

3/29
■高須シヅ(美容外科医)
29日、転移性肺癌のため死去、65歳。
69年昭和大学医学部を卒業。高須クリニック院長高須克弥とは昭和大学医学部時代からの同級生。同大学病院産婦人科勤務を経て、74年夫の克弥と高須クリニック創設。日本有数の美容企業に成長させた。99年日本で初めて肌の若返り手術「ハードケミカルピール」を成功させる。同手術は劇薬で熱傷を作って再生させるもので、有色人種には不可能とされていたが、夫の克弥の顔を使って実験した。夫考案の美容外科技術実験にも多く協力した。

3/26
■ハーブ・エリス(米ジャズ・ギタリストHerb Ellis)テキサス州ファーマーズヴィル
28日、アルツハイマー病のためロサンゼルスの自宅で死去、88歳。
ノーステキサス師範学校で学ぶ。47年ジャズバンド「ソフト・ウィンド」を結成。50年代にはオスカー・ピーターソン・トリオのギタリストも務める。その後バンドを離れ、58−62年までエラ・フィッツジェラルドとのレコーディングなどで評価を得る。60年代はスタジオ・ミュージシャンとして過ごし、73年にジャズに復帰。

3/26
■出羽嵐(元大相撲幕内力士)長崎県対馬市
30日、心筋梗塞のため埼玉県川口市の病院で死去、39歳。
高校卒業後に出羽海部屋に入門。89年春場所で初土俵、98年名古屋場所で新入幕。幕内には2場所在位し、最高位は西前頭14枚目(98年7月場所)。00年九州場所を最後に現役引退。現役時代は身長184cm、体重188kg。
引退後は境川部屋のマネジャーを務めた。09年体調を崩し辞めた。05年ロブ・マーシャル監督の映画「SAYURI」に相撲レスラーの役で出演した。
3/27
■しばたはつみ(歌手)東京都
27日、急性心筋梗塞のため静岡県伊東市の自宅で死去、57歳。
9歳のころから米軍キャンプの将校クラブで歌い始め、丸善石油「OH! モーレツ」やレナウン「レナウン娘」などのCMソングを担当。世良譲に師事し、74年「合鍵」でレコードデビュー。「マイ・ラグジュアリー・ナイト」がヒットし、NHK紅白歌合戦に出場。68年新宿音楽祭金賞、96年日本ジャズヴォーカル賞大賞を受賞。このほか多くのCMソングを歌い、米国などでも活動した。

3/26
■金嬉老(元受刑者)静岡市出身。在日韓国人2世
26日、前立腺癌のため韓国南部釜山市内の病院で死去、81歳。
68年2月静岡県清水市(当時)で借金返済を迫った暴力団員2人を射殺した(寸又峡事件)で在日韓国・朝鮮人差別を訴えた)後、同県寸又峡温泉の旅館に13人を人質に4日間立てこもり、日本初の劇場型犯罪ともいわれた。
99年9月仮釈放後、釜山市に住民登録。一時は在日韓国・朝鮮人差別と戦った民族の英雄扱いされたが、00年9月内縁関係にある女性の夫にけがを負わせ、殺人未遂容疑などで地元警察に逮捕され、韓国で再び服役。03年出所した。
3/25
■大森実(で元毎日新聞記者)神戸市
25日、肺炎のため米カリフォルニア州南部ミッションビエホ市の病院で死去。88歳。
ベトナム戦争報道などで知られたジャーナリスト。
旧制兵庫県立神戸経済専門学校(現:兵庫県立大学)卒。日本窒素肥料(現:チッソ)に入社。終戦を機に45年毎日新聞に入社。大阪社会部からワシントン特派員となり、同支局長、外信部長を歴任。60年度のボーン国際記者賞(現:ボーン・上田記念国際記者賞)を受賞。ベトナム戦争を現地で取材した連載記事「泥と炎のインドシナ」で65年度新聞協会賞を受賞したが、米軍北ベトナム空爆の報道が共産主義寄りの宣伝的報道だとライシャワー駐日米大使に非難された。
66年退社後、ジャーナリスト活動を続けた。76年からカリフォルニア州在住。カリフォルニア大学アーバイン校歴史学部の教授を務めた。著書に「戦後秘史」全10巻、「人物現代史」全13巻、「ザ・アメリカ勝者の歴史」全10巻など。
3/14
■ジム・マーシャル(米写真家)シカゴ
、ニューヨークのホテルで死去、74歳。
59年ライカカメラを購入、60年ジョン・コルトレーンとの出会いをきっかけに本格的に撮影を始めた。その後、ビートルズやジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、ボブ・ディランなど、60−70年代にかけて活躍したロック・ミュージシャンの写真を撮り続け、「キング・オブ・ロックンロール・フォトグラファー」とも呼ばれた。

3/14
■木村威夫(映画美術監督)東京都
21日、間質性肺炎のため東京都世田谷区の病院で21日死去、91歳。
伊藤熹朔に師事。41年日活に入社。「海の呼ぶ声」で美術監督としてデビュー。戦後は日活、独立プロなどで、映画美術を担当。63年「悪太郎」をきっかけに鈴木清順監督作品の美術を担当。「ツィゴイネルワイゼン」「けんかえれじい」「東京流れ者」など鈴木作品で魅力的な映像を作り出した。72年にフリーとなり、以降は林海象など若手監督の作品にも積極的に参加。代表作に熊井啓監督「忍ぶ川」、林海象監督「夢みるように眠りたい」のほか「雁」「或る女」「少年時代」など。
91年「式部物語」でモントリオール世界映画祭で最優秀美術貢献賞を受賞。04年自身初の監督作品となる短編映画「夢幻彷徨」を公開。08年長編映画「夢のまにまに」を公開。長編映画監督デビューとしては世界最高齢の90歳だった。
3/14
■ロバート・カルプ(米俳優)カリフォルニア州バークレイ
14日、ロサンゼルスの病院で心臓発作のため2死去、79歳。自宅近くで散歩中に倒れた。
57年TV西部劇シリーズ「トラックダウン」でデビュー。65年に始まったTVドラマ「アイ・スパイ」で黒人俳優のビル・コスビーと共演、テニス選手を装った米中央情報局(CIA)のスパイを演じて人気だった。「刑事コロンボ」シリーズでも犯人役で登場するなどした。
3/14
■清水一行(作家)東京
15日、死去、79歳。
早稲田大学法学部中退。週刊誌記者を経て、66年証券業界の内幕を描いた「小説 兜町」で作家デビュー。74年「動脈列島」で第28回日本推理作家協会賞を受賞。実在の企業や人物をモデルにした経済小説などを数多く発表した。著書に「系列」「女帝」「一瞬の寵児」「世襲企業」など。

3/14
■ピーター・グレイブス(米俳優)ミネソタ州ミネアポリス
14日、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊パシフィック・パリセーズの自宅で死去、83歳。心臓発作とみられる。
米空軍を除隊した後、ミネソタ大学で演技を学ぶ。50年映画でデビュー。66年からTVドラマ「スパイ大作戦」で、特務機関リーダーのフェルプス役を演じた。
71年同役によりゴールデングローブ賞の最優秀テレビ俳優賞を受賞。 出演作に80年映画「フライング・ハイ」、02年映画「メン・イン・ブラック2」など。
3/13
■ジェリー・アドラー(米ハーモニカ奏者)メリーランド州ボルティモア
13日、前立腺癌のためフロリダ州サラソタの自宅で死去、91歳。
15歳で地元紙「ボルチモア・イブニング・サン」のハーモニカコンクールで優勝し、プロとしての演奏活動を開始。40−60年代まで映画「シェーン」「ティファニーで朝食を」「メリー・ポピンズ」などで音楽録音や出演・演奏にたずさわった。72−95年まで世界各地を巡る豪華クルーズ船で演奏。05年自伝を出版。01年死去の兄ラリーも世界的なハーモニカ奏者として知られた。
3/11
■マーリン・オルセン(米元アメリカンフットボール選手で俳優)ユタ州ローガン
11日、カリフォルニア州デュアルトの病院で死去、69歳。
ユタ州立大学を経て、62-76年までNFLのロサンゼルス・ラムズ(現セントルイス・ラムズ)でディフェンスのスター選手として活躍した。現役15年間のうち14年連続でプロボウルに出場し、82年プロフットボール殿堂入り。現役引退後のフットボール解説者となる。俳優としても活動し、「大草原の小さな家」などに出演。
3/10
■コリー・ハイム(カナダの俳優)カナダのオンタリオ州トロント
10日、米カリフォルニア州バーバンクの病院で死去、38歳。
死因は薬物の過剰摂取と思われる
82年放送開始のTVドラマシリーズ「The Edison Twins」に出演。その後アイドル的存在としてハリウッド映画にも出演する。86年映画「ルーカスの初恋メモリー」でメジャーデビュー。他の主な出演映画「ロストボーイ」「ドリーム・ドリーム」など。
3/9
■ウィリー・デービス(元米プロ野球選手)アーカンソー州
9日、ロサンゼルス郊外の自宅で死去、69歳。
10代のころロサンゼルスに転居。高校卒業後、ロサンゼルス・ドジャースに入団。60年メジャーデビュー。71-73年までオールスターに出場。73年以降、モントリオール・エクスポズ、テキサス・レンジャーズ、セントルイス・カージナルス、サンディエゴ・パドレスに移籍。
77年中日ドラゴンズ、787年クラウンライターライオンズに所属し活躍。日本での通算成績は199試合で打率.297、本塁打43本。
79年カリフォルニア・エンゼルスと契約。メジャーに復帰したが1年で引退した。96年カリフォルニア州に住む両親に日本刀などで現金を要求したとして逮捕された。
3/4
■ナン・マーティン(米女優)イリノイ州ディケイター
4日、肺気腫による合併症のためカリフォルニア州マリブで死去、82歳。
カリフォルニア州サンタモニカ育ち。アクターズ・スタジオの第1期生。50年ブロードウェイで舞台デビュー。60年代舞台「J.B.」に出演し、トニー賞を獲得。その後シェイクスピアの舞台で主役を務める。その後、TVドラマ「トワイライト・ゾーン」「逃亡者」「アンタッチャブル」などに出演。76年ブロードウェイに復帰。主な映画サ出演作に「愛しのローズマリー」「さよならコロンバス」「エルム街の悪夢3/惨劇の館」など。

3/3
■はやし家林蔵(落語家)
3日、心筋梗塞のため千葉県富里市の自宅で死去、67歳。
1942年千葉県富里市出身。61年3代目三遊亭金馬に入門。64年師匠金馬が死去、65年8代目林家正蔵門下に移籍。75年真打ちに昇進、はやし家林蔵を襲名した。
3/3
■西島 大(劇作家、本名:西嶋大)大阪府
3日、肝細胞癌のため東京都渋谷区の病院で死去、82歳。
54年創立された劇団「青年座」に入り、同劇団座付き作家として「昭和の子供」「神々の死」などの脚本、「無法松の一生」の脚色を担当。石原裕次郎主演の映画「嵐を呼ぶ男」やTVドラマ「あねいもうと」「Gメン’75」などの脚本も担当した。
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■高橋重行(元プロ野球大洋投手)千葉県旭市
千葉商業高校を中退し、62年大洋ホエールズ(現:横浜)に入団。64年17勝を挙げ新人王を獲得。翌年も21勝するなど活躍。72年サンフランシスコ・ジャイアンツの3Aに野球留学し、1勝3敗。73年大洋に復帰。30km/h台の超スローボールが話題になった。通算16年で121勝135敗、防御率3.41。
80年現役引退。その後阪神タイガースで投手コーチや編成部企画調査担当を務めた。

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■南方英二(チャンバラトリオ)和歌山
26日、肝硬変のため大阪府の病院で死去、77歳。
和歌山県立田辺高校卒業。東映に入社後、東映京都撮影所で時代劇の斬られ役をこなす。63年お笑いグループ「チャンバラトリオ」を結成し、「かしら」の愛称で親しまれた。大きな扇子で顔をはたくハリセンギャグなど時代劇風のコントが人気を博した。76年上方お笑い大賞金賞、上方漫才大賞などを受賞。映画「ソナチネ」「天国はまだ遠く」などで俳優としても活躍した。
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■ジェイミー・ギリス(米ポルノ男優)ニューヨーク
19日、癌のためニューヨークで死去、66歳。
72−83年までのポルノ黄金時代に主演男優として活躍。主演作品に「ミスティ・ベートーベン」「スーパーラブマシーン・ジョアンナ」「U.S.A.セックスマシーン (The Ecstasy Girls)」「テクニシャン/貴婦人 (Amanda By Night)」など多数。ビデオ時代になっても「ニュー・ウェイブ・フッカーズ/序章・禁じられた果実 (New Wave Hookers)」などに出演。81年B級映画「ヘル・オブ・ザ・リビングデッド」や「ナイトホークス」、89年「バットマン Buttman 」などにも出演した。彼は(性行為抜きであるが)『The Underboss 』(1998年) や『Power Play 』(1997年)
2/19
■ライオネル・ジェフリーズ(英俳優、映画監督)ロンドン
19日、英南部プールで死去、83歳。
第2次大戦でビルマ(現:ミャンマー)などに従軍。戦後、舞台俳優を経て、50年映画デビュー。低音の声と口ひげをトレードマークに個性的な演技で知られた。ファンタジーミュージカル「チキ・チキ・バン・バン」や「キャメロット」に出演。監督作として「若草の祈り」などがある。
2/18
■瀬川康男(絵本画家)愛知県岡崎市
18日、直腸癌のため長野県小布施町の病院で死去、77歳。
ほとんど独学で絵を学ぶ。60年初の絵本「きつねのよめいり」を出版。67年児童文学者の松谷みよ子と「いないいないばあ」を出版し、400万部を超えるロングセラーになった。同年チェコスロバキアで開かれた世界絵本原画展でグランプリを受賞。73年「かちかち山のすぐそばで」、92年「絵巻平家物語」でそれぞれ産経児童出版文化賞大賞を受賞。
このほか88年国際アンデルセン賞画家賞第2位。89年「ふしぎなたけのこ」で世界絵本原画展BIB金のりんご賞など国内外で数多くの賞を受け、100冊を超える絵本を出版した。
他の作品に「やまんばのにしき」「ぼうし」「いいおかお」「もうねんね」など。
2/17
■キャスリン・グレイソン(米女優)ノースカロライナ州
17日、ロサンゼルスの自宅で死去、88歳。
映画「サウザンズ・チアー」でジーン・ケリーの恋人を演じた。ほかに「ショウ・ボート」「キス・ミー・ケイト」「錨を上げて」「嘘つきお嬢さん」「下町天国」などに出演。舞台では「ラ・マンチャの男」「キャメロット」、オペラでは「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」などに出演している。
2/17
■藤田まこと(俳優)東京都豊島区
17日、大動脈瘤破裂のため大阪府吹田市の病院で死去、76歳。
父は無声映画時代のスター俳優、藤間林太郎。京都市立堀川高校卒業。歌手として芸能界入り。62年コメディードラマ「てなもんや三度笠」に白木みのるとのコンビで主人公を出演し、「当たり前田のクラッカー!」のギャグで人気を博す。
73年必殺シリーズ第2弾「必殺仕置人」に中村主水役で出演。09年までシリーズ全31作中16作に出演した。88年からテレビドラマ「はぐれ刑事純情派」に出演。ほかに映画「積木くずし」「明日への遺言」、ドラマ「けったいな人々」「剣客商売」、舞台「その男ゾルバ」など。08年食道癌で舞台の出演を取りやめた後、テレビ時代劇「必殺仕事人2009」で復帰した。
2/14
■浅倉久志(翻訳家)大阪府
14日、心不全のため横浜市内の病院で死去、79歳。
大阪外事専門学校(現:大阪外国語大学)卒業。浜松市の織物会社に就職。60年当時高校生だった伊藤典夫と知りあう。伊藤の紹介で、62年フレデリック・ポール「蟻か人か」の翻訳でデビュー。その後退職し、翻訳に専念する。
SF作品の翻訳で知られ、特にカート・ヴォネガットやフィリップ・K・ディック作品を多く手がける。翻訳家となった伊藤典夫と共に、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミスなど異色作家を日本に紹介。主な訳書にカート・ヴォネガット「タイタンの妖女」、フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、マイクル・クライトン「アンドロメダ病原体」など。深谷節、沢ゆり子、牟礼一郎、大谷圭二といった多くの別名がある。
2/14
■ディック・フランシス(英作家)ウェールズ
14日、カリブ海の英領ケイマン諸島の死去、89歳。
第2次世界大戦中は英空軍で整備兵・パイロットとして従軍。46年除隊。障害競走馬のアマチュア障害騎手となり、48年プロ騎手に転向。53−54年シーズンで英障害競馬でリーディングジョッキーになる。53−57年までクイーンマザー(エリザベス王太后)の専属騎手を務める。通算350勝以上をあげた。
57年騎手引退し、ロンドン・サンデー・エクスプレス紙で競馬欄担当の新聞記者となり、16年間勤めた。
57年自伝「女王陛下の騎手」を発表。62年初の長編「本命」で作家デビュー。英国推理作家協会賞を受け、同協会長も務めた。米国のエドガー賞なども受賞している。
00年執筆に協力していた妻メアリーの死去後、しばらくは作品を出さなかっ。06年次男フェリックスの力を得て85歳で「再起」を発表。10年1月父子の共著「拮抗」の日本語訳が刊行された。70年「罰金」で米探偵作家クラブ賞(MWA賞)、エドガー賞長編賞、79年「利腕」で英国推理作家協会賞(CWA賞)、ゴールデンダガー賞)、96年「敵手」でMWA賞エドガー賞長編賞 など受賞多数。約40冊のベストセラーは世界20カ国語に翻訳され、6000万部が売れた。73-74年まで英国推理作家協会の会長を務めた。
2/12
■piyo(「我羇道」のボーカル♂)東京都
12日、ライブ活動で大阪から名古屋へ向かう途中にワンボックスカーが滋賀県甲賀市信楽町の新名神高速道路上り線で
交通事故のため横転し車から放り出され頭部を強打し死亡。28歳。
ビジュアル系バンド「我羇道」は韓国語を取り入れたバンドで、メンバーは6人で3ボーカルスタイル。
2/11
■井上梅次(映画監督)京都市下京区
11日、脳出血のため死去、86歳。
47年慶應義塾大学経済学部卒業後、新東宝に入社。52年「恋の応援団長」で監督デビュー。55年日活に移籍。石原裕次郎主演の映画「嵐を呼ぶ男」が大ヒット。60年フリーになり、新東宝、日活以外の邦画4社で活躍。ショウ・ブラザーズに呼ばれ、香港でも映画を撮る。このほか天知茂主演の「明智小五郎シリーズ」などテレビドラマの監督も多数務めた。83年近藤真彦主演で「嵐を呼ぶ男」のリメイクも手がけた。
2/11
■玉置宏(司会者)川崎市
11日、脳幹出血のため神奈川県内の病院で死去、76歳。
56年明治大学商学部卒業後、文化放送に入社しアナウンサーとなる。58年独立し司会者として活躍した。「ロッテ歌のアルバム」「象印スターものまね大合戦」で人気を博し、「1週間のごぶさたでした」の名調子が有名。このほかテレビ「にっぽんの歌」「昭和歌謡大全集」、ラジオ「玉置宏の芸能伝説」「ラジオ名人寄席」などの長寿番組を担当した。
86年メガロポリス歌謡祭特別賞受賞、04年横浜文化賞、07年林家彦六特別賞などを受賞。02年大衆芸能専門館「横浜にぎわい座」館長に就任して、演芸イベントでも活躍。日本司会芸能協会名誉会長も務めた。
2/8

■立松和平(作家)宇都宮市
8日、東京都内の病院で死去、62歳。
早稲田大学政治経済学部在学中に、「自転車」で第1回早稲田文学新人賞を受賞。市役所などに勤務したあと文筆活動入り、80年「遠雷」で野間文芸新人賞(81年映画化)。93年「卵洗い」で第8回坪田譲治文学賞。97年「毒−風聞・田中正造」で毎日出版文化賞などを受けた。02年歌舞伎座上演「道元の月」の台本で第31回大谷竹次郎賞受賞。07年「道元禅師」で第35回泉鏡花文学賞を受賞。テレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」の出演で有名に。パリ・ダカールラリーに出場するなど行動派として知られ、最近は環境問題などに積極的に取り組んでいた。
2/7
飯島祐輔(漫画家)
7日、幕張メッセで開催されたワンダーフェスティバルに向かう途中、
京葉線の車内で昏倒。救急隊の到着時にはすでに亡くなっていたという。52歳。
1957年生まれ。戦艦と美少女が登場する漫画で知られる。代表作に「新・旭日の艦隊」「新海底軍艦 巨鋼のドラゴンフォース」など。
2/6

■ジョン・ダンクワース(John Dankworth英ジャズマン)エセックス州ウッドフォード
6日、老衰のためバークシャ−州ウィンザーで死去、82歳。
クラリネット奏者としてジャズバンドで活動を始める。44年ナショナル・ダンスバンド大会でソリスト賞獲得。50年代からビッグバンド・ジャズでサックス奏者として活動する。60年代からは映画音楽も手がけた。ジョセフ・ロージー監督とのコンビで知られ60年「コンクリート・ジャングル」、80年「召使」などの作品を担当した、66年モニカ・ヴィッティ主演の「唇からナイフ」も人気が高い。

2/5
■チカップ美恵子(アイヌ文様刺繍家)釧路
5日、急性骨髄性白血病のため札幌市北区の病院で死去、61歳。
幼少からアイヌ文化に慣れ親しむ。アイヌ民族の女性として自由に生きたいと、アイヌ語で鳥を意味する「チカップ」を名乗る。油彩画やアニメーション彩色を経て、アイヌ文様を用いた独創的な刺繍作品を作るようになる。同時に、民族の文化や精神世界の伝承に尽力し、先住民族の国際会議にも数多く出席するなど復権運動を牽引した。02年第6回女性文化賞受賞。
85年研究書に自身の写真を無断掲載した出版社などを相手に「肖像権訴訟」を起こし、被告側が謝罪して和解成立。
2/5
■小瀬浩之(プロ野球オリックス)大阪府大東市
5日、スプリングキャンプで滞在していた
沖縄県宮古島市のホテルで転落死したと見られ、飛び降り自殺の可能性が高い。24歳。
香川の尽誠学園高から近畿大学に進み、2年時に日米大学野球日本代表、3年時に世界大学野球日本代表に選出された。07年大学・社会人ドラフト3巡目で入団。09年規定打席には達しなかったが、78試合出場で打率3割3厘の記録を残した。背番号41、右投げ左打ち。
1/28

■J・D・サリンジャー(米作家)ニューヨーク・マンハッタン
28日ニューハンプシャー州コーニシュの自宅で死去、91歳。
39年コロンビア大学の聴講生となる。40年雑誌「ストーリー」に処女作「若者たち」を発表する。42年太平洋戦争勃発で志願し米軍入隊。45年除隊。
51年「ライ麦畑でつかまえて」を出版。攻撃的な表現や性に関連した言葉遣いが賛否両論を巻き起こし、ロングセラーとなった。他の代表作に「ナイン・ストーリーズ」「フラニーとゾーイ」など。65年「ハプワース16、1924年」を発表して以降、完全に沈黙する。晩年はニューハンプシャー州に隠棲した。
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■夏 夕介(俳優)熊本県荒尾市
27日、胃癌のため東京都内の病院で死去、59歳。
69年高校卒業後、大阪でバンド「グランプリズ」にオルガニストとして参加。同年田浦幸の芸名でグループサウンズ「オックス」に加入。70年夏夕介として俳優業に転出し、「野良猫ロック・ワイルド・ジャンボ」で映画デビューする。72年オックス解散後、テレビドラマに数多く出演した。「純愛山河 愛と誠」の太賀誠役や、「特捜最前線」の刑事役で人気を集めた。ほかの出演作にドラマ「赤い絆」、映画「花の降る午後」など。
1/22

■ジーン・シモンズ(女優)英ロンドン
22日、カリフォルニア州サンタモニカの自宅で死去、80歳。
44年映画デビュー。48年ローレンス・オリビエの映画「ハムレット」でオフィーリア役を演じ、ヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞。53年歴史劇「聖衣」や58年「大いなる西部」、60年「スパルタカス」などに出演し、50−60年代にかけて活躍した。03年大英帝国勲章を授与。04年アニメ「ハウルの動く城」の英語版吹き替えを行う
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■ロバート・B・パーカー(米作家)マサチューセッツ州スプリングフィールド
19日、マサチューセッツ州ケンブリッジの自宅で死去、77歳。
54年メイン州のコルビー大学卒業。朝鮮戦争時に兵役についた後、ボストン大学で修士・博士号を取得。同大学やノースイースタン大学で教鞭をとった。
73年私立探偵スペンサーを主人公としたハードボイルド小説「ゴッドウルフの行方(The Godwulf Manuscript)」でデビュー。スペンサーシリーズを中心に、ジェッシィ・ストーンシリーズ、サニー・ランドルシリーズなどを出版。60を超えるミステリー作品を手掛け、その多くが地元ボストンを舞台に描かれた。76年スペンサーシリーズ第4作目「約束の地(Promised Land)」でMWA賞最優秀長編賞を受賞。日本では82年第7作「初秋(Early Autumn)」で多くのファンを獲得。
1/18

■ミッキー安川(タレント)横浜市
18日、肺炎のため横浜市南区の病院で死去、76歳。
横浜高校を経て、52年単身渡米。シンシナティ大学に入学するが自主退学。イーストテネシー州立大学、サンディエゴ市立大学などに通う。
56年帰国。貿易商社勤務を経て、日劇ミュージックホールでコメディアンとしてデビュー。ラジオのパーソナリティーや俳優、司会者などをこなすマルチタレントとして活躍、突撃インタビューや辛口コメントなどで知られた。著書に18歳で単身渡米した体験をまとめた「ふうらい坊留学記」など。■
1/17
■エリック・シーガル(米作家)ニューヨーク・ブルックリン
17日、長年パーキンソン病を患っていたが心臓発作のためロンドンの自宅で死去、72歳。
ハーヴァード大学卒業。修士・博士課程に進む。イェール大学で比較文学を教えるかたわら、67年ビートルズのアニメ映画「イエロー・サブマリン」の脚本を書く。70年純愛小説「ラブ・ストーリィ」を発表しベストセラーになる。映画化され(邦題は「ある愛の詩」)世界的にヒットした。
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■郷里大輔(声優)東京
17日、東京都中野区内の路上で死去、57歳。手首から血を流し、家族あての遺書を所持していることから、自殺とみられる。
テレビタレントセンター東京校出身。73年「キューティーハニー」のナレーターを務める。テレビアニメ「キン肉マン」でロビンマスク役をはじめ、「ゲゲゲの鬼太郎シリーズ」「ドラゴンボール シリーズ 」「北斗の拳」で声優を務めた。08年山田洋次監督「母べぇ」に出演。
1/17

■浅川マキ(歌手)石川県美川町(現:白山市)
17日、急性心不全のため滞在先の名古屋市で死去、67歳。ホテルで倒れているのが見つかり、死亡が確認された。
1942年石川県美川町(現:白山市)生まれ。石川県立金沢二水高等学校卒。町役場に就職するがまもなく上京。米軍キャンプやキャバレーなどで歌い始める。
67年EP「東京挽歌 / アーメン・ジロー」を発表。68年寺山修司演出の新宿「蠍座」の一人舞台で注目を集めた。69年「夜が明けたら / かもめ」で正式にレコード・デビュー。70年アルバム「浅川マキの世界」を発売。ヒット曲「かもめ」など、当時「アングラ」と呼ばれる前衛的表現の代表的な担い手として団塊世代を中心に支持された。
CDに自選集「ダークネス」、著書に「こんな風に過ぎて行くのなら」など。

1/17

■小林 繁(元プロ野球投手)鳥取県赤碕
17日、心不全のため福井市の病院で死去、57歳。
由良育英高校(現:鳥取中央育英高校)から社会人野球の全大丸(大丸神戸店勤務)を経て、71年にドラフト6位で読売ジャイアンツ(巨人)に入団。サイドスロー投手として76・77年連続して18勝を挙げてリーグ優勝に貢献。77年には沢村賞を受賞した。79年江川卓投手との交換トレードで阪神に移籍。同年22勝で最多勝を獲得し、再び沢村賞に選ばれた。実働11年間で通算374試合に登板、139勝95敗17セーブ、防御率3.18を記録。現役引退後は84−96年まで野球解説者を務め、97−01年まで近鉄の投手コーチ、2007年、韓国・SKワイバーンズで2軍投手コーチを務めた。同年日本酒メーカー「黄桜」のCMで江川と対談。08年日本ハム2軍投手コーチに就任し、10年同1軍投手コーチに就任したばかりだった。


1/17

■武宮敏明(元プロ野球巨人捕手、2軍監督)熊本市
15日、急性膵炎のため東京都三鷹市の病院で死去、88歳。
熊本工業高校からノンプロの奉天満鉄倶楽部、門司鉄道局熊本、九州産業交通を経て、47年東京巨人軍に入団。48年レギュラーとなる。52年引退。53年2軍監督、コーチに就任。同時に川崎市中原区の巨人軍合宿所「多摩川寮」寮長となる。ここから王、柴田、堀内ら主力選手を輩出。75年から寮長職に専念する。86年巨人軍寮長を引退、郷里の熊本に帰った。
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■田の中勇(声優)東京都
13日、心筋梗塞のため死去、77歳。
68年からテレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじ役を一貫して担当。映画「スターウォーズエピソードI・II」ではジャー・ジャー・ビンクス役を吹き替えるなど、アニメや映画で幅広く活躍した。ほかの声優活動に「天才バカボン」「悪魔くん」「Dr.スランプ アラレちゃん」など。
1/13
■ディ・ペンダーグラス(米ソウル歌手)南カリフォルニア州キングスツリー
13日、結腸癌のためペンシルベニア州フィラデルフィア郊外の病院で死去、59歳。
70年代前半にソウル・グループ「ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ」のリードボーカルとして、「ウェイクアップ・エブリバディ」などのヒットを飛ばす。76年ソロに転じ「クローズ・ザ・ドア」などの曲をヒットさせた。82年交通事故で半身不随になったが療養後に演奏活動に復帰した。
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■春風亭 栄橋(落語家 東京都秋川市
12日、パーキンソン病のため東京都港区の病院で死去、70歳。
東京都立国立高等学校卒業。3代目桂三木助に入門。前座名は桂木久夫。60年6代目春風亭柳橋一門に移籍、春風亭柳夫に改名。61年二つ目に昇進、栄橋に改名。69年7代目立川談志によって笑点のレギュラーメンバーに抜擢された。73年真打昇進。80年文化庁芸術祭優秀賞。闘病生活を送りながら高座に上がり、話題になった。
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■エリック・ロメール(フランスの映画監督)フランス中部チュール
11日、パリで死去、89歳。
大学で文学を専攻、42年文学教師の資格を得て、パリのリセで教鞭をとる。その後新聞記者のかたわら映画評論を執筆するほか、50年雑誌「ラ・ガゼット・デュ・シネマ」を編集発行し、「カイエ・デュ・シネマ」創刊に参加。
59年長編第1作「獅子座」を監督し63年発表。ゴダールやトリュフォーらとともにフランス映画界を席巻した屋外撮影・同時録音・即興演出を特徴とする「ヌーベルバーグ」の代表的存在となった。62年連作「六つの教訓話」を撮り始める。若い男女の恋愛や心理の描写に定評があり、主な作品に85年「緑の光線」(ベネチア国際映画祭金獅子賞)など。01年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・特別功労賞を受賞。05年アカデミー・フランセーズよりルネ・クレール賞が贈られる。

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■東恵美子(劇団青年座俳優)年東京都
8日、午後9時ごろ、急性心不全のため東京都板橋区の自宅で死去、85歳。
関東節の浪曲師・東武蔵の次女。日本女子神学専門学校卒。NHK東京放送劇団を経て、48年劇団俳優座に入団。54年山岡久乃、初井言榮らと俳優座を脱退して劇団青年座を創立。「写楽考」で71年度文化庁芸術祭優秀賞、「黄昏」で95年度読売演劇大賞優秀女優賞・97年度芸術選奨文部大臣賞を受賞。夫で社会心理学者の南博との別居結婚も話題となり「自由結婚」「日本のサルトルとボーヴォワール」などと呼ばれた。
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■角田房子(作家)東京
1月1日、死去、95歳。
福岡女学校(現:福岡女学院中学校・高等学校)専攻科卒業。ソルボンヌ大学へ留学。第2次世界大戦勃発で帰国。戦後に夫の転勤で再度渡仏。60年代から執筆活動を始める。
61年「東独のヒルダ」で文藝春秋読者賞、64年「風の鳴る国境」で婦人公論読者賞、85年「責任 ラバウルの将軍今村均」で新田次郎文学賞、日本公使が介在した朝鮮王妃暗殺事件を描いた「閔妃暗殺」で新潮学芸賞を受賞。甘粕正彦らの軍人や満蒙開拓団、ブラジル日系移民などをテーマに作品を発表した。他著書「悲しみの島サハリン」「一死、大罪を謝す、「甘粕大尉」など。