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1999年から2011年に【地球号を降りた あの人この人、気になる人々

50音順

7/19
■原田芳雄(俳優)足立区
19日、腸閉塞と誤嚥性肺炎を併発して闘病中、東京都内の病院で死去、71歳。。
194本所工業高校を経て俳優座養成所を卒業。俳優座座員となる。67年TVドラマ「天下の青年」』でデビュー。68年映画「復讐の歌が聞える」で映画初出演。71 年俳優座の体質を批判し市原悦子、菅貫太郎、中村敦夫らと退座。75年映画「祭りの準備」でキネマ旬報助演男優賞、92年「寝盗られ宗介」で同主演男優賞など、受賞多数。松田優作に演技などで大きな影響を与える。鉄道ファンとしても知られた。


7/17
■TAIJI(現:X JAPAN)千葉県市川
17日、元ベースシストこと沢田泰司、米自治領サイパン島で死去、45歳。
11日成田からサイパン島へ向かう航空機内で暴れ逮捕。14日拘束中に自殺を図り、集中治療室で治療を受けていた。
1966年市生まれ。千葉明徳高校を中退。いくつかのバンドを渡り歩く。86年Xに正式加入。89年Xがメジャーデビュー。92年脱退。92年LOUDNESSに加入。芸名をTAIJIから本名の沢田泰司に改める。93年脱退。94年Dirty Trash RoadやCloud Nine、TAIJI withHEAVEN'Sなどのバンドを結成し活動した。

7/14
■貞永方久(映画監督)満州国新京
14日、心不全のため横浜市の病院で死去、 79歳。
56年九州大学法学部を卒業。松竹京都撮影所演出部に入社。助監督のほか、TVドキュメンタリー番組の演出を手がける。65年京都撮影所の閉鎖で、大船に移籍。68年助監督職のまま山根成之との共同監督で「復讐の歌が聞える」で監督デビュー。71年「黒の斜面」で監督に昇進。その後も「嫉妬」「影の爪」「夜が崩れた」などを監督。TVドラマ「必殺シリーズ」「大空港」「赤かぶ検事奮闘気」なども手がけた。
7/12
■宮尾すすむ(タレント)旧満州
12日、肺炎のため東京都内の病院で死去、77歳。
鹿児島県阿久根市育ち。漫談家の宮尾たか志に師事。TV番組の司会・リポーターとして活躍。「ハイ!」と叫びながら登場する独特のポーズで人気を集めた。

7/9
■田中秀(映画監督)岐阜県
9日、胃癌のため埼玉県狭山市の病院で死去、 78歳。
56年愛知大学法経学部を卒業。東宝映画撮影 所に入所。山本嘉次郎監督に師事。東映テレビプロに移籍し、TVドラマの助監督を務める。65年「特別機動捜査隊」で監督デビュー。その後、「スケバン刑事」「宇宙刑事」シリーズなど多くのTVドラマを担当。あわせて劇場版なども手掛けた。
7/8
■青葉益輝(グラフィックデザイナー)東京都
9日、食道癌のため東京都内の病院で死去、71歳。
桑沢デザイン研究所卒。広告代理店勤務を経て、 69年A&A青葉益輝広告制作室を設立。広告業界の第一線で活躍するとともに、平和や環境保護をテーマにした社会性が強い作品を発表。長野五輪の公式第1号のポスターなどを手がけた。
7/8
■大町正人(ボニージャックス」)満州(現:中国・大連市)
8日、肝臓癌のため横浜市の自宅で死去、73歳。
1937年生まれ。早稲田大学法学部を卒業。早大グリークラブ出身の4人(西脇久夫、鹿島武臣、玉田元康)で、58年男声重唱団「ボニージャックス」(BONNY JACKS)結成。アマチュア時代にラジオ番組「青春ジャズ大学」出演し、その後プロデビュー。愛称は"アッちゃん"。長年セカンドテナーをつとめていたが、45周年公演を目前に肝硬変で倒れ、03年メーバーから脱退。ボニージャックスはレパートリーの幅広さでは他の追随を許さず、その数5000曲以上にのぼる。童謡「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」などで知られ、「歌の伝道師」との異名をとった。
7/5
■和田慎二(漫画家)広島県呉市
5日、死去、61歳。
1年東海大学在学時に「パパ!」 が「別冊マーガレット」に掲載されデビュー。76−82年まで「スケバン刑事」が「花とゆめ」に連載され、人気を呼ぶ。
他の代表作に「超少女明日香」シリーズをはじめ、「忍者飛翔」「ピグマリオ」「怪盗アマリリス」「少女鮫」など。
6/26
■井上和男(映画監督)神奈川県
26日、肺気腫のため東京都板橋区の病院で死去、86歳。
松竹大船撮影所に入り、小津安二郎に師事。「東京物語」の製作に携わった。その後、今村昌平監督の「復讐するは我にあり」の製作もに携わる。監督としては「喜劇・各駅停車」「新事件記者・殺意の丘」「無宿人別帳」「予科練物語 紺碧の空遠く」などを手がけた。
6/28
■セーラ・ロウエル(タレント〉
28日、子宮頸がんで死去、50歳。
 1970〜80年代、化粧品会社のCMなどでモデルとして活躍する一方、テレビ番組「11PM」「なるほど!ザ・ワールド」などに出演した。
■クラレンス・クレモンズ(Clarence Anicholas Clemons, Jr米サックス奏者)バージニア州ノーフォーク
18日、脳卒中の合併症のためフロリダ州パームビーチの病院で死去、69歳。
9歳でサックスを始める。メリーランド州立大学に通う。72年からブルース・スプリングスティーンの「Eストリート・バンド」のサックス奏者として活動。
身長190cm、体重100kgを超える巨漢で、学生時代はバス ケットボール選手として知られた。
6/17
■橋本信一(映画監督)
愛知県瀬戸市17日、神奈川県川崎市の自宅で死去、49歳。
横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)を卒業。TVプロダクションに入り、ディレクターとして記録映画やTVドキュメンタリーを演出。92年日本映画学校専任 講師。
97年「ドキュメンタリー人間劇場みちのくのサリバン先生」で全日本テレビ番組製作者連盟ATP賞奨励賞受賞。03年監督作「掘るまいか 手掘り中山隧道の記録」で第1回文化庁文化記録映画優秀賞、土木学会映画賞、新潟日報文化賞を受賞。05年「水色のしずく」で東京ビデオフェスティバル佳作入選。他の作品にドキュメンタリー映画「1000年の山古志」など。
6/12
■カール・ガード ナー(リードテナーCarl Gardner)テキサス州タイラー
12日、鬱血性心不全のためフロリダ州セント ルーシーで死去、82歳。
ヴォーカルグループ「コースターズ」リードテナー。50年代初頭にロサンゼルスの グループ「ロビンズ」に参加。分離独立し4人グループ「コースターズ」を結成。56年「ダウン・イン・メキシコ」でシングルデ ビュー。59年「Charlie Brown」が全米2位。ほかに「Searchin'」「Young Blood」「Yakety Yak」などのヒット曲がある。
6/12
■平田隆夫(バンマス)年京都府
12日、94年直腸癌が見つかり摘出。その後癌がが再発し、入退院を繰り返した。肺癌のためさいたま市内の病院で死去、72歳。
平田隆夫とセルスターズ」のリーダー。武蔵野音楽大学卒業。65年ジャズバンド「ダン池田とアフロキューバンオーケストラ」に加入。68年セルスターズを結成。 71年作詞作曲したデビュー曲「悪魔がにくい」、72年作曲した「ハチのムサシは死んだのさ」が大ヒットした。同年日本レコード大賞編曲賞を受賞した。77年解散。メンバーでギタリストの菊谷英紀と埼玉県に音楽パブ「ハチのムサシ」をオープン。93年女性ヴォーカリスト2人を迎え、18年ぶりにセルスターズ復活。直後に癌が見つかり、活動は年に1-2回程度だった。
6/9
■川上とも子(声優)東京都
9日、死去、41歳。
桐朋学園大学短期大学部芸術学科を卒業。94 年大学在学中にTVアニメ「メタルファイターMIKU」で声優 デビュー。95年「ふしぎ遊戯」、97年「少女革命ウテナ」 などに出演。代表作に「ヒカルの碁」「ケロロ軍曹」「AIR」「遙かなる時空 の中で」「史上最強の弟子ケンイチ」など。08年夏に亭主の浮気を知り体調を崩し緊急入院した
6/3
■アンドリュー・ゴールド米シンガーソングライター)年カリフォルニア州バーバンク
3日、睡眠中にカリフォルニア州エンシコの自宅で死去癌の治療中だった。 59歳。
73年歌手リンダ・ロ ンシュタットのバンドに参加し、脚光を浴びる。75年ソロアルバ ムを発表し、ソロ活動を開始。ヒット曲「ロンリー・ボーイ」「気の合 う二人」で知られるアカデミー賞作曲賞受賞の作曲家アーネスト・ゴールドは父に、歌手の マーニ・ニクソンは母。
6/3
■ジェームズ・アーネス(米俳優)ミネソタ州ミネアポリス
3日、老衰のため死去、88歳。
44年兵役中にイタリア・アンツィオで右足負傷、パープルハート勲章を授与された。48年映画「ミネソタの娘」でデビュー。俳優で映画プロデューサーの ジョン・ウェインの映画製作会社に入社。「男の叫び」「ホンドー」 「男の魂」などの映画製作に携わる。51年高身長を生かしSFホラー映画「遊星からの物体X」に出演。55−75年まで20年間TVシリーズ「ガンスモーク」に 出演するなど、TVの連続ドラマで活躍した。
6/2

■レイ・ブライアント(米ジャズ・ピアニストRay Bryant)ペンシルベニア州フィラデルフィア
2日、死去、79歳。
6歳でピアノを始め、10代からプロとして活動。マイルス・デイヴィスやソニー・ロリンズ、コールマン・ホーキンスらと共演。50年代後半にトリオを結成。作曲家としても「Cubano Chant」「The Madison Time」「Little Susie」などを作曲した。

5/30
■清水 昶(詩人)東京都
30日、心筋梗塞のため東京都武蔵野市の自宅で死去、70歳。
同志社大学法学部卒。在学中から「現代詩手帖」に投稿。64年「暗視の中を疾走する朝」を発表、65年正津勉と詩誌「首」を創刊。66年現代詩手帖賞を受賞。初期の代表作「少年」は大学紛争期の学生らに支持された。評論、エッセー、俳句も書いた。詩集に「楽符の家族」「泰子先生の海」「さ迷える日本人」「荒城の月」、評論集に「石原吉郎」など。詩人の清水哲男は兄。
5/19
■藤間哲郎(作詞家)東京都
19日、慢性閉塞性肺疾患のため死去。86歳。
51年キングレコードの専属作詞家となる。キング時代には三橋美智也の「おんな船頭唄」をはじめ、大津美子「東京 アンナ」、春日八郎「別れの波止場」などを手がけた。56年東芝レコードに移籍。松山恵子の「お別れ公衆電話」を作詞し大ヒットし た。58年キングに戻り「東京の灯よさようなら」などを作詞した。日本作詞家協会理事長、日本音楽著作権協会監事などを歴任。
5/21
■長門裕之(俳優)京都市
21日、東京都内の病院で死去、77歳。
40年「続清水港」で映画初出演し、子役として知られた。立命館大学文学部中退。戦後、日活に入社。56年 太陽族映画の第1作「太陽の季節」に主演。58年今村昌平 監督の第1作「盗まれた欲情」に出演後、同監督の「にあんちゃ ん」「豚と軍艦」に主演。61年女優の南田洋子と結婚。62年日活を退社してフリーとなる。 65−81年まで音楽番組「ミュージックフェア」の司会を夫婦で務 めた。85年「洋子へ」を出版。実弟は俳優の津川雅彦、父は沢村国太郎、母はマキノ智子、叔父に加東 大介、叔母に沢村貞子、祖父に牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、姪に女優の真由子をもつという芸能一家。
3/5

■日向明子(女優)愛媛
月 5日、3急性骨髄性白血病のため死去、56歳。本人の遺志により葬儀は行わなかった。
79年日活ロマンポルノ「白いふくらみ」でデ > ビュー。にっかつのアイドル女優として人気を集めた。> その後、TVドラマ「はぐれ刑事純情派」「3年B組金> 八先生」などで活躍。このほか映画「孤高のメス」「白夜行」などに出> 演した。


5/16
■児玉清(俳優、TV司会者)東京都
16日、胃癌のため東京都内の病院で死去、77歳。
学習院大学ドイツ文学科に入学し、演劇部に所属。卒業後、東宝ニューフェースに合格。61年「別れていきるときも」で司葉子の相手役に抜擢。その後、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」などに出演。一方で、テレビ俳優としても活躍。「ありがとう」「白い巨塔」「HERO」「トップキャスター」など数々の人気連続ドラマに出演した。読書家としても知られ、NHK「週刊ブックレビュー」の司会などを務めた。
75年テレビ朝日系で始まったクイズ番組「パネルクイズ アタック25」の司会を担当し、30年以上務めた。
5/16
■ボブ・フラニガン(米ジャズ歌手Bob Flanigan)インディアナ州グリーンキャッスル
16日、鬱血性心不全のためラスベガスの自宅で死去、84歳
。インディアナ州の大学生だった48年に男声ジャズボーカルグループ「フォー・フレッシュメン」を創設。リードボーカルを務めた。独特のハーモニーで、世界のボーカルグループに影響を与えた。

5/15
■サムエル・ワンジル(北京五輪男子マラソン金メダリスト)、ニャフルル
15日、ケニア・ニャフルルの自宅でバルコニーから転落し死去、24歳。自殺の可能性もあると見て警察が調べている。
貧困のため小学校を中退するが、当時から陸上の才能は抜きんでていた。陸上長距離選手で08年北京五輪男子マラソン金メダリストの02年宮城仙台育英高校に留学し全国高校駅伝で3年連続区間賞などの活躍をみせる。
5/12
■上原美優(タレント)鹿児島県種子島
12日、東京都目黒区の
マンションで首をつって死去、22歳。遺書のようなものが残され、自殺を図ったとみられる。
同日午前2時ごろ、訪ねてきた知人男性が部屋のドア付近にベルトとスカーフをかけて首をつっているのを発見。約1時間半後に搬送先の病院で死亡が確認された。
鹿児島高校を中退。上京。20歳のとき睡眠薬自殺を図る。06年レースクイーンとなるが、チームの撤退で活動終了。08年夏からTVバラエティ番組にも多数出演し、「種子島出身の貧乏アイドル」として人気に火がつく。グラビアなどでも活躍した。09年自叙伝「10人兄弟貧乏アイドル☆―私、イケナイ少女だったんでしょうか?」を出版。10人兄姉の末っ子として生まれ、働きながら高校に通うが、壮絶なイジメで中退、レイプ体験、薬物による自殺未遂などを物語った。
5/10
■ワウテル・ウェイラント(ベルギーの自転車競技(ロードレース)選手)ベルギー
10日、ジロ・デ・イタリア第3ステージのボッコ峠からの下りで落車事故で死去、26歳。
05年クイックステップ・ダヴィタモンと契約しプロ転向。07年ロンド・ファン・ヘット・フルヌ・ハルトの初代優勝者となる。主要レースでは、08年ブエルタ・ア・エスパーニャ第17ステージ区間勝利。10年ジロ・デ・イタリア第3ステージ区間勝利。11年チーム・レオパード・トレックに移籍。
5/9
■岡田茂(映画プロデューサー、東映名誉会長)広島県西条
9日、肺炎のため東京都内の病院で死、87歳。
44年東京帝国大学経済学部に入学するが、学徒出陣。戦後復学。47年東映の前身である東横映画に入社。50年「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」を初プロデュース。60年代以後は深作欣二、降旗康男ら若手監督を起用。任侠路線の「人生劇場・飛車角」を皮切りに、「網走番外地」「不良番長」「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズなどをヒットさせた。経営者としては東映の経営合理化に着手。TV番組制作にも力を入れ、「銭形平次」などを手がけた。75年京都撮影所内に東映太秦映画村をオープン、テーマパークの先駆けとなった。71年社長、93年会長に就任。06年から名誉会長。78−95まで年日本映画製作者連盟の会長を務めた。長男は東映社長の裕介。
5/8
■コーネル・デュプリー(米ギタリストCornell Dupree)フォート・ワース
8日、。肺気腫を患っていたがテキサス州フォートワースで死去、68歳
キング・カーティスに認められ、「ザ・キングピンズ」に参加。同バンドにジミ・ヘンドリックスが加入し、2人でギターを担当。その後、セッション・ミュージシャンとなり、67-76年までアレサ・フランクリンのバンドなどで活動。このほかポール・サイモン、ハリー・ベラフォンテ、マライア・キャリーなど多数のミュージシャンと共演した。73年初のソロアルバム「Teasin'」をリシース。88年発表の「Coast to Coast」でグラミー賞にノミネートされた。

5/8
■ライオネル・ローズ(元プロボクシング世界王者)オーストラリア
8日、死去、62歳。
68年東京でファイティング原田を破り、世界バンタム級王座を獲得。オーストラリアの先住民アボリジニとして初のボクシング世界王者になったメルボルンで行われた凱旋パレードには、数十万人が集まった。
69年4度目の防衛戦で5回KO負け。71年引退。通算成績は53戦42勝11敗だった。
5/6
■団鬼六(作家)滋賀県彦根市
6日、胸部食道癌のため死去、79歳。
中学から大阪で暮らす。関西学院大学を卒業後、上京。バー経営や中学校代用教員など職を転々とする。56年「親子丼」でオール読物新人杯に入選。当初は純文学を書いたが、変名で雑誌「奇譚クラブ」に投稿した官能小説「花と蛇」が評判となり、その後官能小説の第一人者となる。89年休筆宣言。将棋好きが高じて、将棋雑誌のオーナーを引き受け、多額の負債を負う。95年小説「真剣師・小池重明」で執筆活動を再開。主な著書に「花と蛇」「夕顔夫人」「真剣師小池重明」など。
5/3
■ジャッキー・クーパー(米俳優)ロサンゼルス
3日、病気のためカリフォルニア州ロサンゼルスで死去、89歳。
。3歳で映画デビュー。子役として人気を博し、叔父のノーマン・タウログ監督作品「スピキイ」でアカデミー主演男優賞候補。成人後は役がつかなくなり、60年代はTVなどに出演、カムバックを狙う。70年からTV製作・監督を多数手がける。映画「スーパーマン」シリーズでデイリープラネット社編集長役を演じる。
5/1
■ヘンリー・クーパー(元ボクシング欧州ヘビー級王者)ロンドン
1日、病気のためイングランド南東部のサリーで死去、76歳。
163年元世界ヘビー級王者のモハメド・アリから初のダウンを奪った。ノンタイトルマッチで試合には負けた。66年世界王座をかけアリと再戦したが、敗れた。71年退。00年ナイトの爵位を贈られた。
5/1
■ウサマ・ビンラディン(アルカイダ指導者)サウジアラビアのリヤド
1日、パキスタンの首都イスラマバード郊外のアボタバードで米特殊部隊により銃撃戦の末に殺害され死去、遺体は米当局によって収容された。54歳。
ジッダのキング・アブドゥルアズィーズ大学在学中に、ムスリム同胞団に加入。大学で学位取得後、クルアーンの規定の遵守を監督するシャリーア警察に勤務。旧ソ連のアフガニスタン侵攻後、旧ソ連軍と戦うことを決意しパキスタンに向う。駐アフガニスタン・サウジ王国公式代表に任命され、アフガンゲリラ諸派とともにムジャーヒディーンとなる。ソ連撤退後、湾岸戦争でサウジが米軍駐留を認めたことへの反発から反米闘争を始めた。ユーゴスラビア紛争に積極的に関与し、イスラム勢力を支援。98年ユダヤ・十字軍に対する聖戦のための「国際イスラム戦線」を結成。01年米同時多発テロ事件の発生で、米ブッシュ政権は首謀者をウサマ・ビンラディンとアル・カーイダであると断定。ブッシュ前米大統領はアフガニスタンのタリバーン政権に対し、国内に潜伏しているとされた同容疑者の引き渡しを要求したが、タリバーン側が拒否。これを受けて米英軍はアフガン攻撃に踏み切った。
4/26
■フィービ・スノウ(米シンガーソング・ライターPhoebe Snow)ニューヨーク
6日、昨年1月に脳卒中を起こし、闘病生活を送っていた。ニュージャージー州エジソンの病院で2死去、58歳。
74年初アルバム「Phoebe Snow」(邦題:サンフランシスコ・ベイ・ブルース/ブルースの妖精フィービ・スノウ)をリリース。この中の曲「Poetry Man」が大ヒットし、グラミー賞の最優秀新人女性歌手に選ばれた。フォーク・ジャズに内省的世界観をもちこむ。このほかのアルバムに「Second Childhood」「Never Letting Go」など。

4/26
■宇野誠一郎(作曲家)兵庫県
26日、心不全のため4月死去、82歳。
早稲田大学仏文科を卒業。在学中に管弦樂法などを平尾貴四男に師事。
「ひょっこりひょうたん島」「ムーミン」「一休さん」など人形劇やTVアニメ、映画で音楽を担当。「紙屋町さくらホテル」「國語元」など井上ひさし演劇作品の作曲を数多く手がけた。
68年毎日映画コンクール音楽賞、89年紀伊国屋演劇賞を受賞した。
4/25
■田中 実(俳優)大田区
25日、自宅マンションで死去、44歳
。首をつって死亡していた。自殺とみられる。
東京都立雪谷高校を卒業後。仲代達矢主宰の無名塾に入塾。90年NHKの連続TV小説「凛々と」で主人公を演じる。以降「温泉へ行こう」や映画「草の乱」「出口のない海」ほか、2時間ドラマなどに出演した。
4/24
■高橋江紀(オートバイレーサー)埼玉県出身
24日、
23日桶川スポーツランドで東日本大震災チャリティイベントに参加した帰し、自宅に戻る途中の24日未明に埼玉県東松山市で運転していた乗用車がトラックと衝突。搬送先の病院で死去。23歳。
6歳からポケットバイに乗る。97年ポケバイ全日本選手権で優勝。98年ミニバイクに転向し、その後125ccを経て、05年全日本ロードレース選手権GP250クラスに参戦。デビュー戦を優勝で飾り、年間ランキングで3位に入った。同年ロードレース世界選手権第12戦日本GP250ccクラスにワイルドカード枠で参戦し、グランプリデビュー。07年ST600クラスに移る。10年新たに始まったJ-GP2クラスに参戦し、年間ランキング4位。
4/24
■サティヤ・サイババ(インドの霊能者、宗教指導者)プッタパルティ
24日、アンドラプラデシュ州プッタパルティの病院で死去、84歳。3月下旬に入院し、ここ数日間は危篤状態だった。
14歳で特別な能力を自覚。聖者シルディ・サイババの生まれ変わりで、、シヴァとシャクティのアヴァター(化身)だと宣言。以来サティア・サイババと名乗る。
40年家を出て説法を始め、不治の病を治すとしてその名が広がり、60年代末には海外にも知られるようになる。インドの歴代大統領をはじめ、世界の著名人にも信奉者が広がり、その数は世界中に数百万人以上ともいわれる。莫大な資産家としての顔もある。寄付・献金によるもので、資産は4000億ルピー(約8000億円)以上との見方もある。貧困層のための無料病院や教育施設、水インフラ整備など、国内外の慈善事業にも使われてきた。独身で子供がいないため、莫大な資産の行方に注目が集まっている。
4/23
■上野尊子(ジャズシンガー)横浜市
4月23日、多発性骨髄腫の ため死去、75歳。
戦後米軍キャンプで歌手デビュー。70年から約2年間渡米。サンフランシスコを拠点に全米で活動を展開。代表作は「ゲッティング・トゥ・ノウ・ユー」「イッツ・デ・ラブリー」。
4/22
■マイケル・サラザン(米俳優)ナダのケベックシティ
、癌のためカナダ・モントリオールの病院で死去、70歳。
モントリオール育ち。高校中退後、舞台やTVに出演。
65年ユニバーサル・スタジオと契約を結ぶ。67年「早撃ちガンマン」で映画デビュー。69年シドニ・ポラック監督の映画「ひとりぼっちの青春」でジェーン・フォンダと共演し、英国アカデミー賞新人賞にノミネートされた。このほか映画「黄金の指」「リーインカーネーション」「激走!5000キロ」などに出演。
4/21
■成田文男(ロ野球元ロッテ投手)東京都
21日、肝不全のため岐阜市内の病院で死去、64歳。
幼少期は秋田県で過ごす。東京・修徳高から、65年東京オリオンズ(現ロッテ)入団。2年目に8勝、翌年は14勝、4年目から3年連続20勝以上をマークした。69年8月16日の阪急戦(西宮球場)で球団初のノーヒットノーランを達成。70年に25勝8敗の成績で最多勝のタイトルを獲得し、リーグ優勝に貢献した。73年に21勝10敗で再び最多勝。入団2年目の66年からオールスター戦に8年連続で出場した。
80年日本ハムへ移籍。82年引退。プロ17年間で通算534試合に登板、175勝129敗8セーブ、1657奪三振、防御率3.20。投手ながら通算15本塁打を放った。
引退後、岐阜県山県市で喫茶店を経営しながら少年野球のコーチなどを務めた。4/21
■田中好子(元「キャンディーズ」メンバーで女優)東京都足立
21日、乳癌のため東京都内の病院で死去、55歳。
東京成徳短期大学を卒業。69年渡辺プロダクション経営の東京音楽学院に入学し、スクールメイツのメンバーに選抜される。72年NHKの歌番組オーディションに伊藤蘭、藤村美樹とともに合格。
73年アイドルグループ「キャンディーズ」としてシングル「あなたに夢中」でデビュー。4曲目の「なみだの季節」までセンター位置でリードボーカルを担当。スーちゃんの愛称で親しまれ、その後キャンディーズは「年下の男の子」や「春一番」など数多くのヒット曲をだした。78年グループ解散。引退後に復帰し、女優に転身。89年映画「黒い雨」で原爆に見舞われた主人公を演じ、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞やブルーリボン賞主演女優賞など多くの賞を受賞。TVドラマでも活躍し、01年NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」ではヒロインの母親役を演じた。91年女優の故夏目雅子の兄で、プロゴルファー・実業家の小達一雄と結婚。
4/20
■クリス・ホンドロス(米報道写真家)年米ニューヨーク
20日、リビア西部ミスラタで砲撃を受け死去、40歳。
90年代からコソボ、アフガニスタン、パレスチナ、イラクなど世界各国の紛争・戦争を取材。ニューズウィーク誌、ワシントン・ポスト紙など新聞・雑誌に寄稿。
04年ピュリツァー賞報道写真部門にノミネート、06年ロバート・キャパ賞を受賞。このほか受賞多数。米通信社ゲッティ・イメージズに所属。
4/20
■ティム・ヘザリントン(英映像ディレクター、報道写真家 )英リバプール
20日、イラク西部ミスラタで砲撃を受け死去、40歳。
オクスフォード大学で文学と報道写真を専攻。アフガニスタンなどの紛争取材を中心に取材活動を行う。07年「戦場近くの壕で休息をとる米軍兵」で世界報道写真大賞を受賞。アフガニスタン戦争を取材したドキュメンタリー映画を共同監督し、11年米アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。ニューヨークを拠点に活動していた。
4/19
■グレテ・ワイツ(女子マラソン五輪銀メダリスト)オスロ
19日、癌のためノルウェーのオスロ市内の病院死去、57歳。
女子マラソンの草分け的存在で72年ミュンヘン五輪に1500m代表で出場。75年3000mで2度の世界記録を樹立。76年モントリオール五輪に再び1500mで出場。
中距離ランナーからマラソンに転向。初マラソンとなった78年ニューヨークシティーマラソンで、2時間32分30秒の世界最高記録(当時)で優勝。83年第1回世界選手権ヘルシンキ大会女子マラソンで優勝。女子マラソンが初めて五輪に採用された84年ロス五輪で銀メダルを獲得した。ニューヨークシティーマラソンは9回優勝した。
4/11
■ビリー・バング (Billy Bang, 米ジャズ・バイオリニスト) アラバマ州
11日、肺癌の合併症のためニューヨークで死去、63歳。
子供の頃にニューヨーク・ブロンクスに移住。ベトナム戦争から帰還後、アルコール依存症に苦しむ。70年代にジャズ・バイオリンの活動をはじめ、77年ニューヨークでトリオ(String Trio of New York)結成、評価される。86年トリオを離れ、ソロで活動を開始。90年代にカナダのレーベルからベトナム時代をアルバムにするよう提案され、「VIETNAM THE AFTERMATH」を発表。その後、第2弾「VIETNAM REFLECTIONS」を発表するなどして評価された。

4/9
■シドニー・ルメット(米映画監督)ペンシルベニア州フィラデルフィ
9日、リンパ腫のためニューヨーク市内の自宅で死去、86歳。
10代から子役としてブロードウェイの舞台に立つ。39年映画に出演。42年コロンビア大学に入学するが、第二次世界大戦に従軍した。終戦後はオフ・ブロードウェイでユル・ブリンナーたちと俳優グループを結成。50年代に演出家に転向。57年「十二人の怒れる男」でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。ニューヨークを舞台にした社会派サスペンスで知られる。他の監督作品に73年「セルピコ」、74年「オリエント急行殺人事件」、82年「評決」(82年)など。
4/7
■岸田衿子(童話作家、詩人)東京都
7日、髄膜腫のため神奈川県小田原市内の病院で死去、82歳。
東京芸術大油絵科を卒業。結核療養中に創作活動を始める。詩人の川崎洋や茨木のり子が創刊した詩誌「櫂」に参加。55年詩集「忘れた秋」が評価される。57年中谷千代子の絵で絵本「かばくん」を出版。群馬県浅間山麓に暮らし、詩集「あかるい日の歌」「ソナチネの木」などを発表した。童話や絵本も数多く「ジオジオのかんむり」など出版。アニメ「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」などの主題歌も作詞した。
劇作家の岸田国士は父。女優の岸田今日子は妹。詩人の谷川俊太郎、田村隆一は元夫。
4/4
■クレイグ・トーマス(英作家)英ウェールズ
4日、肺炎のため死去、68歳
カーディフ大学卒業。学校の教師をしながら、ラジオドラマを執筆。76年「ラット・トラップ」で小説家デビュー。77年「ファイアフォックス」を出版し、翌年クリント・イーストウッドにより映画化された。元ベトナム戦争パイロットが登場する「ミッチェル・ガント・シリーズ」で知られた。
3/31
■いいだもも(作家、評論家)東京都
31日、老衰のため3月死去、85歳。
47年東京大学法学部を首席卒業、日本銀行に入行。まもなく結核のため退職。
茨城県で療養中に新日本文学会などに参加。61年処女作「斥候よ夜はなお長きや」を発表。農民運動などを展開。65年共産党を除名されたのち、新左翼運動の代表的知識人として知られた。ベ平連運動にもかかわった。67年共産主義労働者党書記長に就任し議長となるが、69年辞任。79年雑誌「季刊クライシス」を創刊、編集代表を務める。92年成立の国連平和維持活動(PKO)協力法に反対し、発起人として「自衛官110番」を開設。文明や資本主義、世界的不況などに関する著作活動をした。
3/23
■野間佐和子(講談社6代目社長)東京都
30日、心不全のため死去、67歳。
4代目社長・野間省一の一人娘。64年清泉女子大学英文科を中退。
87年夫の惟道が急死し、6代目社長に就任。以降24年間務めた。村上春樹著「ノルウェイの森」など数々のベストセラーを世に出した。90年代後半には売上高2000億円超まで伸ばしたが、02年度戦後初の赤字決算を経験。4月に社長職を省伸さんに譲り、会長に就任する予定だった。日本雑誌広告協会理事長、読書推進運動協議会会長、日本出版クラブ会長、国際文化フォーラム会長でもある。
3/23
■ファーリー・グレンジャー(米俳優)
27日、老衰のためニューヨーク市内の自宅で死去、85歳。
1925年カリフォルニア州サンノゼ生まれ。43年「北極星」で映画デビュー。ヒチコック監督の48年「ロープ」、51年「見知らぬ乗客」、ヴィスコンティ監督の54年「夏の嵐」などに出演した。
3/23
■新村礼子(女優)東京
23日、慢性閉塞性肺疾患のため岡山市の病院で死去、83歳。
文学座、劇団雲を経て、夫の内田稔らとともに劇団昴を創立。舞台を中心に活動。舞台「セールスマンの死」で92年度文化庁芸術祭賞、紀伊国屋演劇賞を受賞。他の舞台作品に「どん底」など。TVドラマ「岸辺のアルバム」「時間ですよ」「雑居時代」などにも出演した。
3/23
■佐藤忠良(彫刻家)宮城県舞野村
30日、老衰のため東京都杉並区の自宅で死去、98歳。
6歳で父親を亡し、母弟と北海道夕張町に移住。東京美術学校(現:東京藝術大学)彫刻科を卒業。新制作派協会彫刻部創設に参加し、以後そこを主舞台にして人体像を発表。
ロダンやマイヨールなど、フランス近代彫刻に強い影響を受ける。第2次大戦で応召。シベリアでの抑留生活を終えて48年帰国。60年「群馬の人」をはじめとする一連の日本人の顔の作品で第3回高村光太郎賞受賞。その後、73年度芸術選奨文部大臣賞、74年芸術選奨文部大臣賞、75年中原悌二郎賞、89年朝日賞など受賞多数。66年創設に参加した東京造形大学の教授を務める。81年パリの国立ロダン美術館で個展を開催。
日本人の体つきや内面をリアルに追究した。代表作に「帽子・あぐら」「帽子・夏」「若い女の像」など。90年仙台市の宮城県美術館内に佐藤忠良記念館が開館。女優佐藤オリヱは娘。
3/23
■ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(英ファンタジー作家)ロンドン
26日、死去、76歳。
オックスフォード大学セント・アンヌ・カレッジで英文学を専攻。J.R.R.トールキンやC.S.ルイスに師事。。宮崎駿監督の映画「ハウルの動く城」の原作者として知られる。魔法をテーマとした子ども向けのファンタジー小説を得意とする。他の作品に「大魔法使いクレストマンシー」「デイルマーク王国史」シリーズなど。
3/23
■エリザベス・テイラー(米女優)英ロンドン
23日、カリフォルニア州ロサンゼルス市内の病院で鬱血性心不全のため死去、79歳。
9年米カリフォルニア州ビバリーヒルズに移住。10歳で子役として映画デビュー。その後49年「若草物語」、50年「花嫁の父」などでスターの座を獲得。60年「バタフィールド8」で初のアカデミー主演女優賞を受賞。66年「バージニア・ウルフなんかこわくない」で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞した。こんほかの代表作に56年「ジャイアンツ」、63年「クレオパトラ」、65年「いそしぎ」など。

私生活では俳優リチャード・バートンとの2度の結構生活を含め、8度の結婚と7回の離婚を経験した。


3/21
■パイントップ・パーキンス(米ブルース・ピアニスト)ミシシッピー州ベルゾナ
21日、テキサス州オースティンの自宅で死去、97歳。
30年代からミュージシャンとして活動を始める。40年代ロバート・ナイトホークともコンビを組む。69年オーティす・スパンがマディ・ウォーターズ・バンド( Muddy Waters band)を去り、かわって同バンドにピアニストとして参加。同バンドで活動し、70年代以降広く知られるようになる。70年代中頃からソロ作品をリリース。デルタ・ブルースからシカゴ・スタイルまで幅広いピアノ・プレイが特徴。
3/17
■マイケル・ガフ(英俳優)マレー半島
17日、死去、97歳。
47年「情炎(Blanche Fury)」で映画デビュー。TVドラマ「ドクター・フー」シリーズなどに出演。89年「バットマン」などシリーズ4本で、執事アルフレッドを演じた。
ブロードウェイでミュージカルにも多く出演し、79年「Bedroom Farce」でトニー賞のミュージカル助演男優賞を受賞した。
3/15
■瀬木慎一(美術評論家)東京都
15日、肺炎のため死去、80歳。
中央大学法学部卒業。50年代から花田清輝、岡本太郎らの前衛芸術運動「夜の会」に参加し、美術評論を始める。ピカソ、北斎、写楽らの作家研究を深め、多くの展覧会を企画。総合美術研究所を設立。国内の美術市場を継続して調査した。東京芸術大学でも美術論や芸術史の講義をした。TV番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても知られる。著書に「名画の値段」「日本美術事件簿」など。
3/12

■ジョー・モレロ(米ジャズ・ドラマーJoe Morello)マサチューセッツ州スプリングフィールド
12日、ニュージャージー州アービングトンの自宅で死去、82歳。
55年デイヴ・ブルーベック・バンドとともに公演ツアーに参加。その後10年余りバンドにとどまる。なかでも同バンドの曲「Take Five」でのドラムソロで知られる。

3/10
■坂上二郎(コメディアン)鹿児島市
10日、栃木県内の病院で死去、76歳。
中学校卒業後、百貨店に勤務。52年「NHKのど自慢」で鹿児島県代表に選ばれ優勝。歌手を目指して上京。漫才コンビ「安藤ロック・ロール」ををへて、浅草フランス座で萩本欽一と出会い、66年コンビ「コント55号」を結成。「飛びます、飛びます」といった軽快アクションで人気を博した。74年スタートのTVドラマ「夜明けの刑事」シリーズで主役の人情刑事役を演じ76年コント55号を解消し俳優に転身。 03年脳梗塞に倒れたが復帰。
3/9
■トシコ・タカエズ(日系アメリカ人陶芸家)ハワイ州ペケーケオ
9日、米ハワイ州ホノルルで死去、88歳。
両親は旧具志川市出身の県系2世。ホオルル美術学校やハワイ大学で学ぶ。50年代にミシガン州へ単身移住。陶芸や彫刻などを学ぶ。67−92年までプリンストン大学教授を務めた。87年ハワイで人間国宝賞を受賞。
陶芸の技法で彫刻に発展させた先駆者。米国で「現代陶芸のクイーン」と称され、世界各地の美術館、博物館に作品がコレクションされている。代表作に「さくら」「紫式部」など。
3/8
■谷沢永一(近代文学研究者、関西大学名誉教授)大阪市
8日、心不全のため兵庫県伊丹市の病院で死去、81歳。
関西大学在学中の50年同人雑誌「えんぴつ」を創刊。開高健や向井敏らが参加した。57年関西大学大学院博士課程修了。55年から同大学に勤務し、91年退職。
62年初の著作「大正期の文芸評論」を出版。書評コラム集「紙つぶて」でサントリー学芸賞。森鴎外と坪内逍遥の論争を論じた「文豪たちの大喧嘩 鴎外・逍遥・樗牛」で読売文学賞研究・翻訳賞を受賞。
 専門は書物の出版経緯を探り文献目録などを作成する書誌学。深い教養に支えられた近現代の文学・評論などを研究した。62年に広津和郎や佐藤春夫を論じた「大正期の文芸評論」を刊行。書物をめぐるコラムを集めた「完本紙つぶて」で80年にサントリー学芸賞、「文豪たちの大喧嘩」で04年に読売文学賞、「紙つぶて 自作自注最終版」で06年に毎日書評賞を受賞した。
3/7
■村野守美(漫画家、イラストレーター)満洲大連
7日、心不全のため東京都府中市の病院で死去、69歳。
60年「弾丸ロンキー」でデビュー。のちに虫プロダクションに入社し,手塚治虫に師事。アニメーターとしては「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「佐武と市捕り物控」「クレオパトラ」などに参加。漫画家としての代表作は「草笛の季節」「キャメラマン」「ほえろブンブン」「オサムとタエ」など。
3/6
■尾藤  公(元箕島高野球部監督)和歌山
6日、膀胱移行上皮癌のため和歌山市内の病院で死去、68歳。
日本高等学校野球連盟常任理事。和歌山県立箕島高校で4番で捕手を務める。近畿大学中退後、銀行員となる。66年箕島高校監督に就任。東尾修投手を擁し、69年春に初の甲子園出場。70年春の甲子園で初優勝。79年甲子園春夏連覇など、春3度、夏1度の甲子園大会を制覇した(出場は春8度、夏6度)。79年夏の石川・星稜高校との延長18回の死闘は高校野球史に残る名勝負。
3/5
■アルベルト・グラナド(チェ・ゲバラの友人)ルゼンチン・コルドバ
日、キューバで老衰のため5死去、88歳。
52年医学生時代にゲバラと南米各地をオートバイで旅行した。旅で目にした貧困が、ゲバラのキューバ革命に身を投じる動機となった。
2人が残した日記を基に04年映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」が製作された。ベネズエラでハンセン病院に勤務していたが、61年ゲバラの招きでキューバに移住。ハバナ大学で生化学を教えた。
3/4
■ジョニー・プレストン(米カントリー系ポップ歌手)テキサス州ポートアーサー
4日、心不全のためテキサス州ボーモントで死去、71歳。
自身で作詞作曲したデビュー曲「悲しきインディアン Running bear」が60年3週間全米1位の大ヒット。その後「恋のゆりかご Cradle of love」などの曲をリリース。
3/3
■東郷晴子(女優)東京都
3日、呼吸不全のため横浜市の病院で死去、90歳。
桜蔭高等女学校(現:桜蔭中学校・高等学校)卒業。37年宝塚歌劇団に入団、雪組組長を務める。55年退団。その後、黒沢明監督の「生きものの記録」「乱」、森繁久弥さん主演の「社長シリーズ」などの映画に出演。舞台やテレビでも活躍した。
3/3
■中原佑介(美術評論家連盟会長)神戸市
3日午前11時52分、胆嚢癌のため自宅で死去、79歳。
京都大学大学院理学研究科修了。大学院では湯川秀樹研究室で理論物理学を専攻した。その一方で、在学中の55年に美術雑誌の公募に論文が入賞し、美術評論に転向。70年日本初の本格的な国際美術展「東京ビエンナーレ」のコミッショナーを務める。68年雑誌「フィルム」、72年「芸術倶楽部」を共同発行。先端的な現代美術作品を紹介し、美術界に大きな影響を与えた。東野芳明、針生一郎とともに「美術評論の御三家」と呼ばれた。79年京都精華大学学長、88年水戸芸術館総監督、兵庫県立美術館 館長にそれぞれ就任。パリ、サンパウロ、ヴェネツィアなどの国際美術展のコミッショナーをはじめ、ソウル・オリンピック美術展国際委員などを歴任。近年では上海、ハバナ・ビエンナーレの国際審査員を務めた。「ナンセンスの美学」「見ることの神話」など著書多数。
2/28
■与那嶺要(元プロ野球選手、元中日監督)ハワイ・マウイ
28日、前立腺癌のため米ハワイ州ホノルル市内で死去、85歳。
1日系2世で、47年米プロフットボールの49nersに入団。50年野球に転向、マイナーリーグのサンフランシスコ・シールズ傘下のC級ソルトレイクシティ・ビーズに入団。51年シーズン途中から巨人に入団。走攻守に優れた中堅手で首位打者を3度獲得し、57年最優秀選手に選ばれた。61年中日に移籍。62年現役引退。通算で1219試合出場、打率.311、81本塁打、482打点。ホームスチール11回は日本プロ野球歴代1位。引退後はロッテのコーチを務めた後、中日の監督に就任。74年巨人の10連覇を阻止した。その後西武などのコーチを務め、94年に野球殿堂入り。
2/27
■エディ・カークランド(米ブルースギタリスト・歌手)ジャマイカ
27日、ハイウェイ98号線を走行中にグレイハウンド長距離バスと衝突交通事故。搬送先の病院で死亡が確認され、公演先のフロリダ州タンパで死去、87歳。
生後すぐ米アラバマに移住。48年デトロイトに移り、ジョン・リー・フッカーのサイド・ギタリストとして活動。ソロでの活動のほか、
リトル・リチャードやベンE・キング、オーティス・レディングらとの共演でも知られる。
2/27
■ゲイリー・ウィニック(映画監督)ニューヨーク・マンハッタン
27日、脳腫瘍のためニューヨークで死去、49歳。
タフツ大学卒業後、テキサス大学などで映画製作を学ぶ。メジャー作品に加えて、19本のインディペンデント作品を手掛けた。02年「Tadpole」を製作・監督し、サンダンス映画祭で評価される。03年「エイプリルの七面鳥」をプロデュース。04年「13ラブ30」を監督。06年ベストセラー文学「シャーロットのおくりもの」を映画化した。主な作品に「ブライダル・ウォーズ」「ジュリエットからの手紙」など。
2/24
■スーズ・ロトロ(米アーティスト)ューヨーク・ブルックリン
24日、死去、67歳。
中高生の頃からグリニッジ・ヴィレッジ周辺のフォーク・ソング復興運動に参加。61年17歳のときに無名だったボブ・ディランと知り合い恋人になる。初期のディランにインスピレーションを与えたとされる。72年国連の映像編集者エンゾ・バートッチオーリ(Enzo Bartoccioli)と結婚。05年ディランのドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」にインタビュー出演。ディランらを含むフォーク・ミュージシャンたちの群像を回想した著書「グリニッチヴィレッジの青春」を出版。
2/23
■マイケル・マーラ(米国日本文学研究家、UCLA教授)イタリア・トリノ
23日、胃癌のためロサンゼルス近郊の自宅で死去、54歳。
川端康成をめぐる研究によりトリノ大学で博士号を取得。筑波大学に留学。米ワシントン大学やプリンストン大学などで日本文学研究を続ける。83年大阪外語大学の客員教授となり、その後東京大学や京都大学でも客員教授などを務めた。著書に「詩による古都案内―会津八一と奈良」「日本の詩における四季と情景―俳句・和歌入門」など。
2/
■ジェーン・ラッセル(米女優)ミネソタ
、呼吸不全のためカリフォルニア州サンタマリアの自宅死去、89歳。
カリフォルニア州サンフェルナンド・ヴァレー育ち。40年歯医者の受付をしていたところスカウトされる。43年ハワード・ヒューズ監督の映画「ならず者」のヒロイン役でデビュー。グラマー女優として米軍兵士のピンナップガールとなった。53年「紳士は金髪がお好き」でマリリン・モンローと共演し、ハリウッドで地位を固めた。他の出演作に「腰抜け二挺拳銃」「フランス航路」など。
熱心なキリスト教徒。3度結婚し、1度の離婚と2度の死別を経験。虐待児童らの養子縁組支援活動にも熱心に取り組んだ。
2/28
■アニー・ジラルド(フランス女優)パリ
28日、パリ市内の病院で死去、79歳。
パリのフランス国立高等演劇学校 (コンセルヴァトワール)を卒業。54年コメディ・フランセーズの舞台に立つ。55年映画デビュー60年ルキノ・ビスコンティ監督「若者のすべて」、67年クロード・ルルーシュ監督「パリのめぐり逢い」などに出演。フランス映画のアカデミー賞に当たる「セザール賞」を3度受賞。他の出演作に「パリのめぐり逢い」「ル・ジタン」「ピアニスト」など。

2/20
■ペリー・ムーア(映画プロデューサー)バージニア州リッチモンド
20日、マンハッタンの自宅の浴室で鎮痛剤の過剰摂取のためニューヨークの自宅で意識不明のところを発見され、配送先の病院で死亡が確認された。
自殺とみられる。39歳。
94年バージニア大学卒業。「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」を含む「ナルニア」全3作を手がけた。同性愛者を描いた小説「Hero」も執筆。
2/20
■杵島 隆(写真家)米カリフォルニア
20日、敗血症のため東京都新宿区の病院で死去、90歳。
23年帰国し、鳥取県大篠津村(現:米子市)で育つ。日本大学芸術学部映画科で学ぶ。戦後、植田正治に師事。50年写真家集団エタン派結成。53年上京し、ライトパブリシティ入社。56年キジマスタジオ設立。広告写真などの分野で活躍した。76年日本写真協会年度賞を受賞。代表作に写真集「蘭」。
2/17
■小幡欣治(劇作家、演出家)東京都
17日、肺癌のため東京都目黒区の病院で死去、82歳。
東京都立京橋化学工業卒。50年「悲劇喜劇戯曲研究会」に入会。新劇や商業演劇で活躍。作品に「あかさたな」「浅草物語」「熊楠の家」「「明石原人」」など。有吉佐和子の小説を舞台化した池内淳子主演「三婆」は400回以上の上演を記録。56年「畸型児」で新劇戯曲賞(現:岸田国士戯曲賞)を受賞。10年「神戸北ホテル」で鶴屋南北戯曲賞を受賞。日本演劇協会常任理事などを務めた。
著書に「評伝菊田一夫」「浅草物語 戯曲集」など。
2/16
■桂円枝(落語家)香川県
16日、腹膜炎のため東京都文京区の病院で死去、79歳。
52年桂三木助師に入門、前座名は三多蔵。69年に真打ちに昇進し、3代目桂円枝を襲名した
2/14
■和田寿郎(札幌医科大学名誉教授)札幌市
14日、肺炎のため東京都豊島区の自宅で死去、88歳。国内初の心臓移植手術を執刀
44年北海道帝国大(現:北海道大学)医学部を首席で卒業。50年米ミネソタ大に留学。54年帰国し、札幌医大の助教授となる。58年新設の胸部外科(現:第二外科)の初代教授に就任。
68年小樽市の海岸で溺れた21歳の男子大学生の心臓を、心臓弁膜症で入院中の18歳男性に移植。南アフリカのバーナード博士による世界初の心臓移植から8カ月後で、世界30例目だった。当初は称賛の声が大きかったが、移植を受けた男性が手術から83日目に死亡。その後批判が噴出し、同年大阪の漢方医らから殺人容疑で告発された。70嫌疑不十分で不起訴となったが、日本の移植医療はその後長く停滞した。
77年東京女子医科教授に就任、87年定年退職。その後、和田寿郎記念心臓肺研究所を開設し所長となる。88年国際心臓胸部外科学会会頭に就任した。
2/13
■浦里はる美(女優)横浜市
13日、脳梗塞のため死去、76歳。
53年劇団新派に入り。竹村才与子の名で初舞台を踏むが、翌年退団。55年東映に入社。片岡千恵蔵主演の映画「喧嘩奉公」でデビュー。その後130本の作品に出演する。89年近代和装風俗編纂質を設立。
2/14
ジョージ・シアリング(ジャズピアニストGeorge Shearing)ロンドン
14日、鬱血性心不全のためニューヨークで死去、91歳。
生まれつき目が見えなかった。3歳からピアノを始め、37年プロ活動開始。パブでピアノを弾くなどしたのち、英国で人気ピアニストとなる。
47年米国に移住。49年「九月の雨」が大ヒット。クール・ジャズの第一人者として活動し、「バードランドの子守唄」などの作曲も手がけた。56年米国に帰化。

2/5
■永田洋子(元連合赤軍最高幹部死刑囚)東京
5日、脳腫瘍と診断され、八王子医療刑務所で治療を受けていたが、その後東京拘置所に戻され東京拘置所で死去、65歳。
63年共立薬科大学に入学。在学中の64年社学同ML派に加盟。67年大学卒業後、大学の薬局を転々とする。日本共産党革命左派神奈川県委員会の創設メンバーとなる。69年革命左派(京浜安保共闘)結成とともに正式党員となり、170年最高指導者となる。上赤塚交番襲撃事件や真岡銃砲店襲撃事件に関与。71年過激な武装革命路線を掲げた共産主義者同盟赤軍派との連携を指導し、両派合同による「連合赤軍」(当初は「統一赤軍」)を結成。同年赤軍派と「新党」を結成し、副委員長に就任。委員長の森恒夫につぐナンバー2となる。同年から翌72年の「山岳アジト」と呼ばれた山中での活動の過程で、「同志大量リンチ殺人事件」や「あさま山荘銃撃事件」などを起こした。一連の事件でメンバー14人と警官2人、民間人1人が犠牲となった。72年逮捕。
82年一審東京地裁で殺人や死体遺棄などの罪に問われ死刑判決、86年二審東京高裁は控訴を棄却。93年最高裁で死刑確定。
2/4
■トゥラ・サターナ(米女優)北海道
4日、心臓疾患のためネバダ州リノで死去、72歳。
父は日本とフィリピンの血を引くサイレント映画俳優、母はアメリカインディアン(シャイアン族)とスコットランド系アイルランド人の血を引くサーカス芸人。15歳でロサンゼルスに行き、ブルース歌手やホステスなどさまざまな仕事を転々とする。60年代初頭からTVや映画に端役として出演。65年ラス・メイヤー監督の映画「ファスター・プシィキャット!キル!キル!」で主役を務め、映画史上最もセクシーで極悪な女性キャラといわれた。その後「The Astro-Zombies」「The Doll Squad」「Mark of the Astro-Zombies」など、主にカルト映画の監督テッド・マイクルズの作品に出演した。
エルビス・プレスリーからのプロポーズを断った女優として知られ、クエンティン・タランティーノ監督は「キル・ビル」シリーズでオサターナにオマージュを捧げている。

2/3
■マリア・シュナイダー(仏女優)パリ
3日、パリで死去、58歳。長く闘病生活を送っていたという
父は俳優ダニエル・ジェラン。モデルを経て、17歳で映画デビュー。72年ベルナルド・ベルトルッチ監督「ラストタンゴ・イン・パリ」でマーロン・ブランドと共演し、過激な性描写が話題となる。
主な出演作に75年「危険なめぐり逢い」)、79年「夜よ、さようなら」など。84年黒井和男監督「ヨーロッパ特急」にも出演した。
1/30
■ジョン・バリー(英映画音楽作曲家)英ヨーク
30日、心臓発作のため]ニューヨークで死去、77歳。
ロンドンの音楽学校で作曲と楽器法を学ぶが、1年で中退。ジャズ・バンドや軍隊でのバンド演奏を経て、作曲中心の活動に移行。「007/ジェームズ・ボンド」シリーズで作曲家としての地位を確立した。「愛と哀しみの果て」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」などで、映画にマッチした壮大な曲想が絶賛された。ゴールデングローブ賞とアカデミー賞を5回受賞している。

1/26
■池田敏春(映画監督)山形市
昨年12月26日三重県志摩市の大王崎沖80mの海上に浮いているのを観光客が発見。自殺と見られる。死去、58歳。
早稲田大学第一文学部を卒業。在学中から石原プロモーションで助監督を務め、74年日活に入社。80年「スケバンマフィア・肉刑」で監督デビュー。「天使のはらわた赤い陰画」を最後に、82年日活を退社。若手監督集団「ディレクターズ・カンパニー」の設立に参加。三重県でロケを行った84年「人魚伝説」でヨコハマ映画祭監督賞を受賞。08年「秋深き」を監督。他の監督作品に「ひと夏の体験 青い珊瑚礁」「人魚伝説」「ハサミ男」など。
1/26
■グラディス・ホートン(米女性ヴォーカリスト)
26日、脳卒中で倒れて療養中だったがロサンゼルスの療養施設で死去、66歳。
1945年フロリダ州ゲインズビル生まれ。15歳でグリークラブの仲間と「マーヴェレッツ」を結成。61年「プリーズ・ミスター・ポストマン」が大ヒットした。ほかに「プレイボーイ」「恋のビーチウッド」などのヒットを飛ばした。67年脱退。
1/26
■花柳小菊(女優)東京市京橋区
26日、心不全のため東京都内の病院で死去、89歳。
築土尋常小学校を卒業。神楽坂の芸妓の半玉となる。
マキノ正博にスカウトされ、日活映画「恋愛人名簿」で映画デビュー。37年阪東妻三郎や片岡千恵蔵の相手役として時代劇などに出演。40年日活退社。56年東映専属となるが、63年に退社。
68年東映「忍びの卍」を最後に映画界を引退。その後TVドラマや舞台で活躍した。
12/3
■丸山浩路(手話パフォーマー)潟県長岡市
昨年12月3日、心筋梗塞のため神奈川県相模原市の北里大学病院で死去、69歳。
心理と言語治療カウンセラーを経て、66年日本初のプロ手話通訳者を宣言。83年から全国各地の学校などを巡り、手話パフォーマーとしてステージで手話表現をしながら文化・教育・人権問題などさまざまなテーマで講演した。NHK「聴力障害者の時間」で10年間メインキャスターを務めた。
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■ベルント・アイヒンガー(独映画プロデューサー、監督)ドイツ・バイエルン
24日、心筋梗塞のため米ロサンゼルスで死去、61歳。
ムニッチ・テレビ映画大学で学ぶ。70年代半ばから約70本の映画を製作。84年ファンタジー小説を映画化した「ネバーエンディング・ストリー」ほか、86年「薔薇の名前」、04年「ヒトラー〜最期の12日間」、01年「バイオハザード」などに携わった。
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■喜味こいし(漫才師)埼玉県川越市
23日、肺癌のため大阪市内の病院で死去、83歳。
旅回り一座の家庭に育つ。37年兄の夢路いとしと上方漫才の草分け荒川芳丸に入門し、荒川芳博・芳坊の名で子供漫才を始めた。戦争中は志願兵として陸軍入隊。45年広島の兵舎で被爆する。戦後、漫才作家の秋田實に師事し「夢路いと志・喜味こい志」にコンビ名を改めて漫才を再開。48年「夢路いとし・喜味こいし」と改名し、「いとこい」として親しまれた。上方お笑い大賞、上方漫才大賞、文部省芸術祭奨励賞など受賞多数。TV番組「がっちり買いまショウ」の司会でも知られた。03年に兄いとしが亡くなる。その後、上方漫才界のご意見番としてコメンテーターを務めていた。
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■セオニ・アルドリッジ (衣裳デザイナー)ギリシアのセロニカ
21日、死去、78歳。
アテネと米シカゴの学校で学ぶ。59年米ブロードウェイの舞台衣裳をはじめて手がけ、その後長く舞台衣装に携わる。トニー賞を3回受賞、ノミネート12回。74年「華麗なるギャツビー」でアカデミー衣裳デザイン賞を受賞。このほか「ゴーストバスターズ」「チャンプ」「アダムスファミリー2」などの衣装デザインを担当した。
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■ミルトン・ロゴビン(米写真家)ニューヨーク市
18日、ニューヨーク州バファローの自宅で死去、
101歳。
31年コロンビア大学卒。38年州西北端部のバッファローに移住バファローに移住。第2次大戦中に陸軍勤務後、バファローに戻って検眼業を営む。そのかたわら政治活動や組合運動に従事。57年米下院非米活動委員会に喚問され、検眼業を続けることが困難になり、写真家となった。社会派のドキュメンタリー写真家として、貧困者や労働者など「忘れ去られた人々」の写真を撮り続けた。

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■和田 勉(元NHKディレクター、演出家)三重県松阪市
14日、食道上皮癌のため川崎市内の高齢者福祉施設で死去、80歳。
鹿児島県鹿屋市育ち。早稲田大学第一文学部演劇科を卒業。53年NHKに入局。俳優のクローズアップ多用など独自の演出や心理描写で評価を得た。78年「天城越え」で芸術祭大賞受賞。他の作品に「けものみち」「阿修羅のごとく」「ザ・商社」「心中宵庚申」など。87年NHKを定年退職。その後、映画「ハリマオ」「完全なる飼育」を監督したほか、舞台演出を務めた。「笑っていいとも!」など民放バラエティー番組に出演し、「ガハハおじさん」として親しまれた。夫人は衣装デザイナーのワダ・エミ。


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■トリッシュ・キーナン(英ポップ歌手)
14日、肺炎による合併症のため死去、42歳。
95年バーミンガムにてベースのジェイムズ・カーギルら計5人でポップユニット「ブロードキャスト」を結成。同年シングル「Accidentals」を発表。最大時は6人編成だったが、最終的にはカーギルとの男女デュオとなった。初期にはサイケデリック・サウンドでカルト的人気を集めた。00年「The Noise Made by People」を発表した。

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■スザンナ・ヨーク(英女優)ロンドン
、骨髄癌のため死去、72歳。
王立演劇学校で演劇を学ぶ。60年映画デビュー。69年ジェーン・フォンダと共演した「ひとりぼっちの青春」で米アカデミー賞助演女優賞にノミネート。72年自ら原作を書いた映画「ロバート・アルトマンのイメージズ」で精神病を患った人妻を演じ、カンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞した。このほか「トム・ジョーンズの華麗な冒険」「甘い抱擁」「スーパーマン」シリーズなどに出演した。
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■細川俊之(俳優)福岡県小倉市
14日、12日自宅の居間で転倒し頭部を打撲、急性硬膜下血腫のため東京都内の病院で死去、70歳。
山口県下関市育ち。学習院大学政経学部を中退。俳優座養成所第13期生卒業。63年、同期生の石立鉄男らと劇団文学座研究生となる。71年文学座を退団し、フリーになる。
二枚目俳優として映画「ラヂオの時間」、大河ドラマ「葵・徳川三代」など数多くの作品に出演。声優としても劇場版アニメ「あしたのジョー」で力石徹役を演じた。73年アラン・ドロンとダリダのヒット曲「あまい囁き」の日本語版をカバー。74年から木の実ナナと共演したミュージカル「ショーガール」は15年間、FMラジオ番組「ワールド・オブ・エレガンス」は16年半続いた。このほか映画「夜逃げ屋本舗2」「ラヂオの時間」「少年時代」などに出演。04年から大阪芸術大学芸術学部の教授を務めていた。67年当時文学座の女優だった小川眞由美と結婚、73年離婚。74年宝塚歌劇団卒業生の藤本典江と再婚。

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■エレン・スチュワート(芸術監督)イリノイ州シカゴ
13日、心臓疾患のためニューヨーク・マンハッタンで死去、91歳。
アーカンサス州立大学で学ぶ。50年ニューヨークに移る。さまざまな職業を経験したのち、62年オフ・オフ・ブロードウェイの草分け的な実験劇場「ラ・ママ」を創設。
06年トニー賞優秀演劇名誉賞、07年高松宮殿下記念世界文化賞を受賞
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■ポール・ピサーニ(米俳優)ニューヨーク・クイーンズ
12日、心臓発作のためカリフォルニア州の自宅で死去、88歳。
米空軍に所属。戦後、端役で映画に出演。その後、ロサンゼルスのロヨラ・メアリーモント大学を卒業。60年代の人気TVシリーズ「アンタッチャブル」に出演。このほか映画「ポセイドン・アドベンチャー2」「大空港」などに出演した。

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■古沢良治郎(ジャズドラマー)仙台市
12日、虚血性心不全のため死去、65歳。
国立音楽大学打楽器科卒業。69年本田竹廣トリオに参加。70年自身のグループを結成。一方で山下洋輔、渡辺貞夫、向井滋春、忌野清志郎らと共演。作曲も行った。「百鬼人形芝居どんどろ」「劇団1980」など異なったジャンルとのコラボレーションもに行った。
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■ジョー・ゴアズ(米推理小説作家)ミネソタ州ロチェスター
10日、潰瘍出血による合併症のためカリフォルニア州で死去、79歳。
インディアナ州ノートルダム大学、カリフォルニア州スタンフォード大学卒業。トラック運転手やジムのトレーナーなどを経て、55年から数年間サンフランシスコで探偵事務所に勤めた。
69年長編小説「野獣の血」でデビューし、翌年エドガー・アラン・ポー賞新人賞を受賞。他の作品に「赤いキャデラック」「マンハンター」など。TVドラマ「刑事コジャック」などの脚本も手掛けた。

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■鳴門海(元幕内力士)兵庫県
昨年6月、心不全のため死去、84歳。
42年夏場所に春日野部屋から初土俵。身長183cm、体重87kgの軽量だったが横綱鏡里に3連勝するなど活躍。「こま犬型」と呼ばれた独特の仕切りで人気を博す。47年11月場所に十両昇進。最高位は前頭筆頭で幕内在位44場所。殊勲賞、技能賞各1回。61年現役引退。引退後は年寄・竹縄を襲名し、新弟子教習などに当たった。90年日本相撲協会を定年退職後、慶応大學相撲部で指導した。

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■エレノア・コア(:米作家)カナダ西部サスカチワン州カムサック
昨年11月22日、米ニュージャージー州で死去していたことが死去、88歳。
米メリーランド大学で修士号取得。戦後、新聞記者として広島を訪問し、原爆による惨状を取材。その後再訪し、被爆10年後に12歳で白血病に倒れた佐々木禎子を知り、77年「サダコと千羽鶴」を出版。米国やカナダの小学校で副読本として読まれた。

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■マーガレット・ホワイティング(米ジャズ・ポップ歌手Margaret Whiting)ミシガン州デトロイト
10日、ニュージャージー州イングルウッドで死去、86歳。
幼少時から作曲家の父リチャード・ホワイティングに歌やピアノを学ぶ。元曲の歌詞と味わいを生かして、シンプルに爽やかに歌うのが得意であり、1940〜50年代にもっとも活躍したポピュラー・シンガーの一人。
女性シンガー(ジャズ・カントリー・ポピュラー)としてジャンルを超えて活動、40年代から60年にかけて20年以上米国チャートで活躍。また父親は作曲家の[Richard Whiting]で、母方の伯母にコメディ女優・歌手のMargaret Youngがいる。1942年にキャピトル・レコードと契約し45年途中までキャピトルのオーケストラと共に活動。43年「Freddie Slack」にフィーチャーされ「That Old Black Magic]」米国旧チャートで10位、45年に「Paul Weston]」のコラボクレジットで「It Might As Well Be Spring」が6位を記録。1945年途中からソロシンガーとして活動し47年に「Guilty」が米国旧チャート6位とソロでの初ヒット。1950年まで連続ヒットを続け全盛時代を築き、50年代後半,60年代後半にもチャートヒットを記録している。

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■ピーター・イエーツ(英映画監督)オルダーショット
9日、ロンドンで死去、81歳。
ロンドンの王立演劇アカデミーを卒業。俳優をへて、63年「太陽と遊ぼう」で監督デビュー。
67年英国の列車強盗事件から着想を得た映画「大列車強盗団」、68年スティーブ・マックィーン主演の米映画「ブリット」ほか、72年「マーフィの戦い」、81年「目撃者」、83年「ドレッサー」などを監督。ハリウッド黄金期を支えた。80年「ヤング・ゼネレーション」、84年「ドレッサー」でアカデミー監督賞にノミネートされた。
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■高見沢宏(歌手)静岡県
7日、心不全のため神奈川県藤沢市の自宅で死去、77歳。
慶応大学経済学部の男声合唱団「ワグネル・ソサィエティー」のメンバーだった佐々木行(マンガさん)、喜早哲(ゲタさん)、遠山一(ゾウさん)が51年「ダークダックス」を結成。52年同グループにテノールとして参加。「パクさん」の愛称で親しまれた。57年ロシア民謡「ともしび」をヒットさせ脚光を浴びる。このほか「雪山讃歌」「北上夜曲」「山男の歌」などがヒットし、TVやCMでも親しまれた。
82年年芸術選奨文部大臣賞、93年紫綬褒章をグループとして受章。俳優の萬屋錦之介は義兄(妻の兄)、中村嘉葎雄は義弟(妻の弟)、中村獅童は甥。
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■山下敬二郎(ロカビリー歌手)東京都
5日、胆管癌による腎不全のため東京都町田市の病院で死去、71歳。
ウィリー沖山の弟子を経て、初期ドリフターズ(サンズ・オブ・ドリフターズ)でメインボーカルを務める。創立間もない渡辺プロダクションの専属になり、58年第1回日劇ウエスタン・カーニバルで人気を博す。ポール・アンカの「ダイアナ」をカバーし大ヒット。平尾昌晃、ミッキー・カーチスとともに「ロカビリー三人男」と呼ばれた。08年第50回日本レコード大賞功労賞を受賞。
落語家の柳家金語楼は父、作家で演出家の山下武は異母兄、女優の有崎由見子は実妹、三遊亭金勝は祖父、先代昔々亭桃太郎は叔父。
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■ディック・キング・スミス(英児童文学作家)西部グロスターシャ
4日、英バースの自宅で死去、88歳。
約20年間農業をしたのち、小学校教師となる。50代で初めて本を出版。動物を題材にした作品が多く、映画「ベイブ」の原作「子ブタ シープピッグ」や「ソフィーとカタツムリ」「魔法のスリッパ」など100冊以上の児童書を出版。84年ガーディアン賞を受賞。10年大英帝国勲章を受勲。
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■ミック・カーン(英ミュージシャン)ギリシャ(現:キプロス)のキプロス島・ニコシア
4日、癌のためロンドンの自宅で死去、52歳。
74年高校時代にデヴィッド・シルヴィアンらとバンド「ジャパン」を結成。79年シングル「Life in Tokyo」を機にエレクトリック路線へ移行。ニューウェーヴ/ポストパンク期に「孤独な影」「錻力の太鼓」などのヒット曲で知られた。グラムロックを意識した化粧も注目される。82年ジャパン解散後、ソロ活動に入る。フレットレス・ベース奏者として評価が高い。
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■猿谷要(米国史家で東京女子大学名誉教授)東京都
3日、前立腺癌のため死去、87歳。
48年東京大学西洋史学科を卒業。56年同大学院博士課程単位取得。太平洋戦争の経験から米国への関心を強め、黒人史を軸に幅広く米国史を研究。ハーバード大学、ハワイ大学、コロンビア大学の客員研究員を経て、71年東京女子大教授に就任。東京女子大学や駒沢女子大学などの教授を歴任した。92年東京女子大を定年退職、駒沢女子大学教授となる。
著書に「アメリカ黒人解放史」「西部開拓史」「ハワイ王朝最後の女王」など。
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■吉村光夫(元TBSアナウンサー)横浜
3日、急性心不全のため死去、84歳。
慶応大学卒業。48年鹿児島放送局(現:NHK鹿児島放送局)を経て、51年ラジオ東京(現:TBS)の第1期アナウンサーとして入社。「ロングおじさん」の愛称で親しまれ、子供向け番組「夕やけロンちゃん」「まんがはじめて物語」などで活躍した。81年TBSを定年退職。鉄道ファンとして知られており、鉄道友の会の理事や特定非営利活動法人「日本鉄道模型の会」の会長を務めた。
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■中村富十郎(歌舞伎立ち役)東京
3日、直腸癌のため東京都内の病院で死去、81歳。
関西歌舞伎で活躍した女形の四代目中村富十郎と、舞踊家で吾妻流家元の吾妻徳穂の長男。43年坂東鶴之助を名のり、大阪・中座「鏡獅子」の胡蝶で初舞台。その後、演劇評論家の武智鉄二主宰の実験公演「武智歌舞伎」で人気を博す。当時は中村扇雀を名のっていた坂田藤十郎とともに「扇鶴時代」を築いた。
東京に拠点を移し、64年歌舞伎座で六代目市村竹之丞を襲名。72年同座で「逆櫓」の樋口、「京鹿子娘道成寺」の花子で五代目富十郎を襲名。「加賀鳶」の道玄、「天下茶屋聚」の元右衛門、「勧進帳」の弁慶、「頼朝の死」の畠山重保、「忠臣蔵」の師直と平右衛門、舞踊の「船弁慶」「鏡獅子」「うかれ坊主」、中村雀右衛門と踊った「二人椀久」などあたり役は多い。74年NHK大河ドラマ「勝海舟」、80年「獅子の時代」にも出演。勉強会「矢車会」を主宰し、09年史上最高齢の79歳で「勧進帳」の弁慶をつとめ、「連獅子」を当時10歳の長男鷹之資と踊った。10年11月新橋演舞場公演「吉例顔見世大歌舞伎」の「逆櫓」の畠山重忠が最後の舞台になった。屋号は天王寺屋。定紋は鷹の羽八ツ矢車。85年眞山青果賞大賞、86年日本芸術院賞、94年人間国宝、96年芸術院会員、08年文化功労者に認定された。96年33歳年下で元女優の橋爪正恵と結婚。■
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■アン・フランシス(米女優)ニューヨーク州オシニング
2日、膵臓癌の合併症のためカリフォルニア州サンタバーバラの高齢者施設で死去、80歳。
少女時代からラジオや舞台に出演。47年映画デビュー、56年SF映画「禁断の惑星」、68年「ファニー・ガール」などに出演。60年代に主演したTV探偵ドラマシリーズ「ハニーにおまかせ」は日本でも放映された。同作品でゴールデン・グローブ賞受賞。ほかTVドラマ「刑事コロンボ/死の方程式」などに出演した。
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■ピート・ポスルスウェイト(英俳優)英チェシャー州()
2日、英シュロプシャー州の病院で死去、64歳。
1945年生まれ。舞台俳優として活動開始。「ロイヤル・シェークスピア・カンパニー」に所属。75年映画デビュー。93年「父の祈りを」で米アカデミー賞助演男優賞にノミネート。「ブラス!」では指揮者を演じた。このほか「ユージュアル・サスペクツ」「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」「エイリアン3」などに出演。04年名誉大英勲章第四位(OBE)を贈られた。