12/27
■帆足まり子(ラテン歌手)
27日、肝不全のため死去、71歳。
1952年から17年間続いた文化放送の洋楽紹介番組「S盤アワー」のディスクジョッキーを務め、グレン・ミラー楽団やエルビス・プレスリーらを紹介して人気を集めた。メキシコに渡って歌手になり、三村氏とのデュオ「マリキータ&ジロー」としても活躍した。
12/26
■白井義男(元ボクシング世界チャンピオン)
26日午前9時20分、肺炎のため川崎市の病院で死去した。80歳。
日本人で初めてプロボクシングの世界チャンピオンとなり、敗戦で打ちひしがれた国民を勇気づけた1948年にGHQ(連合国軍総司令部)に勤務するアルビン・カーン博士に認められて指導を受け始め、翌49年に日本タイトルのフライ級、バンタム級の2階級を制覇した。 52年5月、約4万人が集まった後楽園球場でダド・マリノ(米国)と日本初の世界タイトルマッチを戦い、15回判定で世界フライ級の王座を奪取した。54年にパスカル・ペレス(アルゼンチン)に敗れて王座を失うまで4度の防衛に成功。長い手足を武器にしたタイミングのいいカウンターパンチは、カーン博士に「ナチュラル・タイミング」と呼ばれた。
12/19
■ホープ・ラング(米女優)
19日、米カリフォルニア州の病院で腸炎のため死去。70歳。
1957年の映画「ペイトン・プレース」(邦題「青春物語」)など米映画、テレビで活躍した。
3333年、コネティカット州で生まれ、子どものころから舞台などで活躍。「青春物語」でアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされたほか、テレビ・シリーズ「ザ・ゴースト・アンド・ミセス・ミューワー」でエミー賞を受けた。 このほか「若き獅子たち」(58年)、「大都会の女たち」(59年)、「嵐の季節」(61年)などに出演した。
12/6
■ハンス・ホッター(オペラ歌手)
6日、死去。94歳。死因や死去した場所はいずれも不明。
ドイツ出身のバリトン・バスのオペラ歌手。ワーグナーの「さまよえるオランダ人」「ニーベルングの指輪」などで活躍、日本にも度々来日した。1970年からウィーン国立歌劇場の名誉会員だった。
12/8
■ルーベン・ゴンサレス(キューバのピアニスト)
1919年、キューバ中部のサンタクララ生まれ。
8日、心不全のためハバナの自宅で死去、84歳。
41年にハバナで音楽の道に入り、97年に歌手の故コンパイ・セグンドらとともに収録した「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」でグラミー賞(トロピカル・ラテン部門)を受賞。99年に同名の映画に出演して大ヒット、キューバ音楽の世界的ブームをもたらした。2000年に初来日した。
12/5
■バーブ 佐竹(歌手)北海道出身。
5日午前11時50分、多臓器不全のため東京都新宿区の病院で死去、68歳。
1964年「女心の唄」でデビュー。ブルース系の低音の歌声で人気を集め、200万枚以上の売り上げを記録して65年日本レコード大賞新人賞を獲得。NHK紅白歌合戦にも出演した。 「ネオン川」「カクテル小唄」など女心を歌った曲が相次いでヒット。人気テレビドラマ「子連れ狼」の主題歌「ててご橋」でも話題を集めた。
「顔じゃないよ、心だよ」の名せりふで知られ、牧伸二、菅原洋一らと「モスラ会」を結成。映画俳優のほか、作曲も手掛け、自作の「青いゴムゾーリ」が若者の人気を集めた。
12/3
■デビッド・ヘミングス(英俳優)英サリー州生まれ。
3日、ルーマニアで撮影中に倒れ心臓まひで死去、62歳。
幼少時はボーイソプラノとしてオペラに参加。1966年にミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望」に出演し、国際的な名声を得た。続く「キャメロット」や「バーバレラ」でも性的魅力のある美男子として登場。
70年代からは製作・監督も手掛け、73年の「別れのクリスマス」でベルリン映画祭の最優秀監督賞を受賞した。
11/27
■都筑 道夫(推理作家)東京都出身
27日午前10時42分、動脈硬化症による心臓発作のため米ハワイ・ホノルル市内の病院で死去、74歳。
東京で暮らしていたが、昨年妻を亡くし、篠原さんがいるハワイに移り住んでいた。葬儀は近親者のみで営まれた。
1956年に早川書房に入社し「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集長を務めた。退社後、本格的に作家デビュー。「なめくじ長屋」シリーズや「七十五羽の烏」などを次々に発表した。
一方で評論「黄色い部屋はいかに改装されたか?」を出版するなどさまざまな分野で日本の推理小説界を支えた。一昨年は日本推理作家協会賞、昨年は日本ミステリー文学大賞を受賞した。
11/27
■相川 浩(NHKアナウンサー、元東京経済大教授)神奈川県出身。
27日午前10時33分、肝不全のため横浜市の病院で死去、70歳。
1957年にNHK入局。帯広、大阪、東京などの各放送局で勤務した。「思い出のメロディー」の司会を務めたほか、定年退職後も「日本百名山」のナレーションで親しまれた。
11/26
■小林千登勢(女優)旧朝鮮・京城(現ソウル市)生まれ。
26日午前0時27分、心不全のため東京都内の病院で死去した。66歳。
葬儀・告別式は港区南麻布、天真寺。喪主は夫で俳優の山本耕一。
文学座研究生からテレビ草創期のNHKのスターとなり、テレビドラマなどを中心に活躍。1965年には共演がきっかけで知り合った俳優の山本耕一さんと結婚した。 出産、育児後の74年にNHKの連続テレビ小説「鳩子の海」で、ヒロインの育ての母を演じた。 引き揚げ体験をつづったエッセーなども人気を呼び、マルチな才能を発揮。クイズ番組の解答者やワイドショーのコメンテーター、司会者などとして幅広く活躍した。
11/24
■団 令子(女優)京都市出身
24日午前10時5分、心不全のため東京都三鷹市の病院で死去、68歳。
葬儀は親族のみで済ませた。喪主は長男で俳優の団優太。
1957年映画デビュー。加山雄三の「若大将」シリーズなど青春映画で健康美あふれる現代娘を好演、東宝の看板女優の1人。黒沢明監督の「椿三十郎」や、成瀬巳喜男監督、小津安二郎監督らの作品にも出演。近年は芸能活動から遠ざかっていた。
11/24
■ウォーレン・スパーン(米大リーグ歴代6位の363勝をマークした大投手)
24日、オクラホマ州ブローケンアローの自宅で死去。82歳だった。死因は明らかにされていないが、自然死とみられる。 1940年に本拠地がボストン時代のブレーブスと契約。65年にメジャーでのプレーを終えるまで、快速球と鋭いカーブで20勝以上のシーズンが13度、ナ・リーグ最多勝は8度、57年にはサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)を受賞し、73年に野球殿堂入りを果たした。363勝(245敗)は左腕投手で史上最多。 野球に対する情熱は衰えず、65年にメジャーを解雇された後もメキシコやマイナーリーグでプレーし、46歳になった67年にようやく球界から引退した。75年には広島に招かれ、春の日南キャンプで臨時コーチを務めた。
11/17
■ドン・ギブソン(米カントリー歌手、作曲家)ノースカロライナ州シェルビー出身。
17日、米テネシー州ナッシュビルの病院で死去、75歳。病院当局者は死因を老衰としている。
プロのカントリー音楽界に14歳から身を置いた。テネシー州のナイトクラブで歌っていたところを音楽出版社に見いだされ、作詞作曲家兼歌手としてスタート。1955年に発売した「スイート・ドリームズ」がヒットしたのを皮切りに「オー・ロンサム・ミー」「愛さずにはいられない(アイ・キャント・ストップ・ラビング・ユー)」などヒット曲を量産。これらの曲はカウント・ベイシーやレイ・チャールズらもレコーディングした。2001年にカントリー音楽の殿堂入りした。
11/17
■江見 俊太郎(俳優)東京都出身
17日午後11時22分、肺がんのため東京都三鷹市の病院で死去、80歳。
葬儀・告別式は代々幡斎場で。喪主は妻で女優の松風はる美。
戦後東宝から新東宝に移り、映画「東海道四谷怪談」やテレビの時代劇「眠狂四郎」などで人気を集めた。近年は「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」などにも出演した。
11/17
■アーサー・コンレイ(ソウル歌手)米ジョージア州アトランタ生まれ。
17日オランダの自宅で死去、57歳。腸がんを患っていたという。
オーティス・レディングの秘蔵っ子として知られ、1967年に「スイート・ソウル・ミュージック」をヒットさせた。
11/14
■清水 閏(ジャズドラマー)神戸市出身。
14日午後9時42分、脳こうそくによる急性腎不全のため川崎市高津区の病院で死去、75歳。
葬儀・告別式は18日午後1時半から大田区田園調布の日本福音ルーテル田園調布教会で。喪主は妻でジャズ・ボーカリストの高岡けい子。
1949年に結成された日本で最初のビバップ・バンドといわれる「CBナイン」に参加。天才ドラマーと言われ、解散後は秋吉敏子さんや世良譲さんらと共演。90年代まで自分のカルテットやトリオなどで活躍した。
11/9
■アート・カーニー(米俳優)ニューヨーク州出身。
9日米コネティカット州の自宅で病気のため療養中だったが死去。85歳。
1974年に映画「ハリーとトント」で、ニューヨークからシカゴまでネコを連れて旅する老人を演じ、アカデミー主演男優賞を受賞した。56年に始まったテレビのコメディーシリーズ「ハネムーナーズ」にレギュラー出演し、エミー賞を3回受賞。その後、ブロードウェーの舞台や映画に出演した。
11/1
■ジョージ川口(ジャズドラマー)京都市出身。
1日午後10時40分、脳出血のため東京都渋谷区の病院で死去した。76歳。10月31日、自宅で倒れ病院に運ばれていた。
サックス奏者だった父親の影響で幼少からジャズに親しみ、1947年から米軍キャンプで演奏活動を始めた。その後、三木鶏郎楽団を振り出しに、52年、中村八大、松本英彦、小野満と組んだバンド「ビッグ・フォー」で爆発的な人気を得た。当時、旧後楽園球場を超満員にするほどの勢いがあった。 スピード感とパワーにあふれた独特のドラムソロが持ち味で、「ドラムの王様」「嵐を呼ぶ男」の異名をとった。渡辺貞夫、山下洋輔、日野皓正ら多くの日本ジャズ界の俊英を発掘、育てた功績も大きい。 ジャズ界で初めて81年に芸術選奨文部大臣賞を受賞、88年に紫綬褒章、97年には勲四等旭日小授章を受け「海外と日本のジャズ音楽の交流を一層深めたい」とジャズへの飽くなき情熱を語っていた。 小型飛行機のパイロットのライセンスを持ち、スケールの大きいホラばなしの名手としても知られていた。大の巨人ファンで全員G党の5人組バンド「Tokyo Jazz Giants」を結成し、ライブで「闘魂込めて」のジャズバージョンを演奏するなどしていた。70歳を超えても演奏意欲は衰えず、今月3日には宇都宮市でコンサートを行う予定になっていた。
渡辺貞夫(ジャズサクソホン奏者)「若いころから随分とお世話になった。最近も、ジョージさんの話をしていたばかりだったのに、急にこんなニュースでショックを受けている。若いミュージシャンを盛り上げながら、日本のジャズ界を大きく育てた大変な功績。性格そのままに激しいドラムだった。心からごめい福をお祈りしたい」
川口雷二さん(ジョージ川口さんの二男でドラマー)「10月31日夜に自宅で倒れた。それまで精力的にステージをこなし、4日前にも銀座で演奏していた」
10/31
■本郷 かまと(長寿世界一)鹿児島県出身。
31日午後5時10分、肺炎のため鹿児島市の病院で死去、116歳。
1887(明治20)年生まれ。1999年に111歳で国内最高齢になり、02年3月にギネスブックに世界一と認定された。
10/31
■蛯沢 誠治(日本中央競馬会元騎手)
31日午後1時16分、食道がんのため茨城県土浦市の病院で死去、52歳。
1970年騎手デビュー。87年にスズパレードで宝塚記念、タレンティドガールでエリザベス女王杯(ともにG1)を制するなど、2000年春の引退まで887勝(うち重賞42勝)を挙げた。
10/24
■宋 美齢(台湾故蒋介石総統夫人)
24日午後0時17分)、ニューヨークの自宅で死去。105歳。死因は不明。生年には諸説ある。
浙江財閥、宋家の三女で上海生まれ。長姉は国民政府財政相の夫人、2番目の姉は、中国革命の父、孫文夫人の宋慶齢・中国名誉国家主席で「宋三姉妹」として知られ、映画化もされた。姉2人と兄弟3人は既に他界、20世紀の中国近代史を動かした「宋・蒋家王朝」が名実ともに終わった。 米国留学後、1927年に国民党の蒋と結婚。36年12月、抗日のため共産党との内戦停止を求める張学良が蒋を監禁した西安事件では調停に加わり蒋を解放させた。
抗日戦で国民党政権の対米支持獲得工作を担当。42−43年に訪米してルーズベルト大統領と会談、議会演説で抗日戦支援を訴え、成果を挙げた。米英中三首脳が対日処理方針を決めたカイロ会談にも同席。
49年、内戦に敗れた国民党政権とともに台湾へ逃れ、蒋が死去した75年以後は主に米国に滞在。李登輝政権下で進んだ民主化で政治的影響力を失った。
10/24
■中川 三郎(舞踊家)大阪市出身。
24日午後0時50分、脳出血のため東京都大田区の病院で死去、87歳。
1932年渡米、ブロードウェーの劇場に日本人ダンサーとして初めて出演。36年帰国後、タップダンサーとして一時代を築いた。戦後は社交ダンスの大衆化に貢献。全日本職業舞踊家協会会長を務めた。
10/24
■星 玲子(元女優)。東京都出身。
24日午後3時56分、、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で死去、88歳。
「あなたと呼べば」「ウチの女房にゃ髭がある」など戦前の日活現代劇で活躍。大河内伝次郎主演「丹下左膳」シリーズに出演したほか、片岡千恵蔵や嵐寛寿郎とも共演した。夫は故マキノ雅弘監督の弟で元東映専務の故マキノ光雄氏。
10/18
■マヌエル・バスケス・モンタルバン(スペインの推理作家)
航空機の乗り継ぎのため立ち寄ったバンコクの空港で18日死去、64歳。
タイ警察当局によると、心臓発作を起こしたとみられる。
美食家で女性をこよなく愛する探偵を主人公とした推理小説で知られる。作品は各国で翻訳され、映画化もされた。邦訳に「楽園を求めた男−私立探偵カルバイヨ」「死の谷を歩む男」など。
10/16
■塩 まさる(歌手)福島県出身。
16日午前5時32分、老衰のため東京都足立区の病院で死去、95歳。
故人の遺志で葬儀・告別式は行わず、喪主も置かない。後日、お別れの会を開く。
1937年に出した「軍国子守唄」がヒット。軍国歌謡と称された数々の作品を歌って人気を呼んだ。代表曲に「母子船頭唄」(38年)や「上野駅から九段まで」の歌いだしで知られる浪曲調の「九段の母」(39年)など。90歳を越えてもステージに立つことがあった。
10/14
■横山まさみち(漫画家)名古屋市出身。
14日午後7時34分、前立腺がんのため東京都中野区の病院で死去、73歳。
代表作に「あぁ青春」「やる気まんまん」など。艶笑ものや時代ものを得意とした。
10/12
■ビル・シューメーカー(米国の騎手)
12日、カリフォルニア州サンタアニタの自宅で睡眠中の自然死。死去、72歳。
身長約150センチと小柄。1990年に引退するまで、41年間の騎手生活で4万350レースに騎乗。サラブレッド競馬史上歴代2位の8833勝を記録した。伝統のケンタッキー・ダービーを86年に54歳で制したのは史上最高齢記録。
10/8
■田代 照勝(元プロ野球国鉄投手、セ・リーグ審判員)岡山県出身。
8日午前4時22分、心不全のため東京都品川区の病院で死去、69歳。
国鉄に1953年から6年間投手で所属し、通算成績は6勝6敗。現役引退後は59年から68年までセ・リーグ審判員を務めて930試合に出場した。球界を退いた後、うどん屋を開き「手打ちうどん銀座木屋」を展開した。
10/4
■ウイリアム・スタイグ(米絵本作家)ニューヨーク出身
4日夜(米東部時間)、米ボストンの自宅で死去、95歳。死因は明らかになっていない。
30冊以上の絵本を手掛け、人気作家となった。中でも1990年に出版した「みにくいシュレック」は2001年に「シュレック」の題名でアニメ映画化され、02年に新設されたアカデミー賞長編アニメ賞を獲得した。
10/1
■一龍斎貞丈(講談師、前講談協会会長)横浜市出身
1日午後6時52分、急性心不全のため東京都新宿区の病院で死去、75歳。
父親は5代目一龍斎貞丈。1956(昭和31)年に真打ち昇進。父親の死後、69年に6代目貞丈を襲名した。得意演目は「赤穂義士伝」など。
9/28
■エリア・カザン(映画監督)ユダヤ系ギリシャ人トルコ生まれ。
28日、米ニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去した。94歳。死因は明らかにされていない。
ユダヤ系ギリシャ人の息子としてトルコで生まれ幼年期に米国に渡った。第二次大戦中から、ブロードウェーの舞台演出家として頭角を現した。
1940年代後半、映画に進出。ユダヤ人差別をテーマにした「紳士協定」(47年)でアカデミー作品賞・監督賞を受賞。
続いて、かつて舞台で演出した「欲望という名の電車」(51年)を映画化、ビビアン・リーにオスカーをもたらした。
しかし、東西冷戦の激化で吹き荒れた「赤狩り」で、共産党入党の過去を告白。映画界の「同志」の名前を挙げて追放を免れた。以後この事件が、生涯の“汚点”となった。
9/27
■ドナルド・オコナー(米俳優)米シカゴ出身。
27日、心不全のため米カラバサスで死去、78歳。
サーカスの役者からボードビルに転じた芸能一家に生まれ、11歳のとき「二人のメロディ」(1937年)のダンスシーンで映画デビュー。その後「雨に唄えば」(52年)「ショウほど素敵な商売はない」(54年)などのミュージカル映画に出演した。テレビでも活躍、54年にはエミー賞を受賞している。
9/26
■夢路いとし(漫才師)横浜市出身。
25日午前0時35分、肺炎のため神戸市内の病院で死去、78歳。
40年、2歳下の弟喜味こいしさんと「荒川芳博・芳坊」の芸名でデビュー。48年、芸名を「夢路いとし・喜味こいし」に変えた。以来時事問題を取り入れた新鮮な話題と軽妙なしゃべくりで、常に第一線で活躍してきた上方漫才の第一人者。93年に兄弟で紫綬褒章を受章した。
9/26
■ロバート・パーマー(英国のロック歌手)英ヨークシャー出身。
26日、滞在先のパリで心臓まひのため死去、54歳。
バンド活動を経て、1974年に「スニーキン・サリー・スルー・ジ・アリー」でソロデビュー。85年にはデュラン・デュランらとスーパーユニット「パワー・ステーション」を編成し、ボーカリストとして活躍。ソロでは86年の「恋におぼれて」が大ヒットした。89年にはグラミー賞優秀男性ボーカル部門賞に輝いた。 ロンドンで24日にテレビ番組の収録をした後、女友達と共に、パリで2日間の休暇を取っている最中だった。過去16年間、スイスに住んでいた。
9/25
■有馬 秀子(バー「ギルビーA」のママ)東京都出身。
25日午前4時11分、心不全のため東京都品川区の病院で死去、101歳。
東京・浅草の生まれで1948年に46歳の時、銀座に店を開いた。50年以上にわたり現役の「銀座のママ」を続けた。政治家の河野一郎や財界の永野重雄、作家の遠藤周作らが足しげく通った店としても知られた。
9/21
■小此木 啓吾(元日本精神分析学会会長、東京国際大大学院教授、精神分析医学)東京都出身慶応大医学部卒。
21日午前1時、咽頭がんのため東京都内の自宅で死去、73歳。
精神分析医学を幅広く研究、特に家族精神医学にいち早く取り組んだ。70年代後半、豊かな社会に育った若者を規定した“モラトリアム人間”という言葉で有名になった。著書に「モラトリアム人間の時代」「家庭のない家族の時代」など。
9/13
■辻 勲(辻学園学園長)
13日午後8時31分、呼吸不全のため兵庫県西宮市の病院で死去。80歳。
1959年に日本初の調理師学校「日本調理師専門学校」を創立し、校長に就任。また一般向けの料理教室「辻クッキングスクール」を全国で展開した。全国調理師養成施設協会会長などを歴任した。
9/12
■ジョニー・キャッシュ(米カントリー歌手)
12日、糖尿病による合併症のため米テネシー州ナッシュビルの病院で死去、71歳。
1955年にデビューし「クライ・クライ・クライ」などをヒットさせたほか、56年の「アイ・ウォーク・ザ・ライン」や、刑務所生活を描いた「フォルサム・プリズン・ブルース」で人気を不動のものとした。
作品の多くを自作し、労働者の苦悩や、失恋、日常生活を歌うのを得意とした。71年のヒット「マン・イン・ブラック」の歌の通り、好んで黒服を着ることでも知られた。グラミー賞など多数の賞を獲得した。
9/8
■くどう べん(シャンソン歌手)青森県出身。
9日午前3時ごろ、間質性肺炎のため東京都港区芝の自宅で死去、77歳。
津軽弁でシャンソンを歌い、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で長く歌い続けた。
9/8
■レニ・リーフェンシュタール(ドイツの女性映画監督)1902年ベルリン生まれ。
8日夜、ドイツ・バイエルン州の自宅で死去、101歳。
23年にダンサーとしてデビューし、その後女優、監督に転向。34年、ニュルンベルクで開かれたナチス党大会の記録映画「意志の勝利」をヒトラーの要請で撮影。ベルリン五輪の記録映画「美の祭典」(38年)と「民族の祭典」(38年)で、ナチス政権下の映像作家としての不動の地位を確立した。戦後、ナチスに協力した戦犯として4年間収監された後は写真家に転向した。
9/7
■ウォーレン・ジボン(米シンガー・ソングライター)ロシア移民の子としてシカゴで生まれ。
7日、肺がんのためロサンゼルスの自宅で死去。56歳。昨年9月、肺がんで余命数カ月の診断を受けたと公表していた。
1969年に初アルバムをリリース、70年代に人気歌手リンダ・ロンシュタットに提供した「カルメリータ」などで注目された。アルバムに「エキサイタブル・ボーイ」「さすらい」など。
9/6
■ジュールズ・エンゲル(米アニメ作家)ハンガリーのブダペスト出身。
6日、米ロサンゼルス近郊の医療施設で死去、94歳。死因は明らかにされていない。
「ファンタジア」(40年)などディズニーのアニメ映画制作に関わり、人気テレビシリーズ「ローン・レンジャー」をアニメ化した。「イカロス」(62年)でアカデミー賞短編アニメ部門にノミネートされ後進のアニメ作家たちに大きな影響を与えた。
9/5
■青木雄二(元漫画家、エッセイスト)京都府出身。
5日午前2時12分、肺がんのため神戸市中央区の病院で死去、58歳。
人気漫画「ナニワ金融道」の作者。週刊誌での連載終了後、漫画家廃業を宣言し、エッセイストに転じていた。9/4
■福田一郎(洋楽評論家)横浜市出身。
4日午後、東京都内の病院で死去。78歳。故人の遺志で葬儀・告別式は行わない。後日、関係者で「お別れの会」を開く。
ロック、ポップスの魅力を分かりやすく解説し、洋楽評論の草分けとして長年活躍した音楽評論家。1960年代末から70年代にかけ、ビートルズやローリング・ストーンズなどの洋楽を、ラジオのパーソナリティーとして紹介。ポピュラー音楽解説の第一人者として親しまれ、テレビの音楽番組でもご意見番として人気を集めた。 最近では今年2月にWOWOWで放送されたグラミー賞生中継で案内役を務めていた。著書に「世界のロック・グループ」など。
9/2
■笈田敏夫(ジャズ歌手)ベルリン生まれ。
2日正午、腎盂(じんう)がんのため東京都港区の病院で死去。78歳。
慶応大卒。終戦後、ハワイアンバンドを経て、ジャズサックス奏者の渡辺弘がリーダーを務めた楽団・スターダスターズなどの歌手として活躍した、日本のジャズ歌手の草分けである。NHK紅白歌合戦にも計8回出演。ビング・クロスビーやフランク・シナトラのスタンダード曲を、低音を甘く響かせる歌唱法で歌いこなし、幅広い年齢層の人気を集めた。
1958年に映画「嵐を呼ぶ男」で石原裕次郎と共演したほか、ミュージカルやテレビドラマ、音楽番組の司会、ジャズ評論など活動は多方面にわたる。自らの愛称を冠し、81年から始めた「ゲソの気まぐれコンサート」がライフワークで、晩年まで続けた。
9/1
■ジャック・スマイト(米映画監督)米ミネソタ州出身。
1日、がんのため米ロサンゼルス近郊の自宅で死去、78歳。
俳優業を経て、人気テレビシリーズ「トワイライトゾーン」や「ルート66」を手掛けた。ポール・ニューマン主演の映画「動く標的」(66年)「脱走大作戦」(68年)の監督を務めて注目され、担当したパニック映画「エアポート75」(74年)は日本でも大ヒットを記録した。
9/1
■堀切 ミロ(スタイリスト)静岡県出身。
1日、肝不全のため死去、59歳。
1964年、雑誌「平凡パンチ」創刊時から参加、「元祖スタースタイリスト」として知られ、工藤静香ら人気芸能人のスタイリストを務めた。
9/1
■穂積由香里(ベストセラー「積木くずし」のモデル)
1日、心不全のため死去。35歳。葬儀は近親者で済ませた。自宅は公表していない。
俳優の穂積隆信さんの長女。非行少女と家族の対立と和解を描いた同書は1982年に出版。発行部数が280万部のベストセラーになり、テレビドラマや映画になった。
9/1
■ランド・ブルックス(米俳優)ミズーリ州セントルイス出身。
1日、がんのため米カリフォルニア州サンタバーバラ近郊の自宅で死去。84歳。
米国映画の名作「風と共に去りぬ」(1939年)で英女優ビビアン・リーが演じたヒロイン、スカーレット・オハラの最初の夫役を務めたほか、米女優マリリン・モンローが映画の中で初めてキスをした相手役としても知られる。
1950年代の米人気テレビドラマ「名犬リンチンチン」にも出演し、66年に映画界を退いた。
8/30
■チャールズ・ブロンソン(米映画俳優)米ペンシルベニア州の炭鉱町生まれ。
30日、肺炎のため米ロサンゼルス市内の病院で死去。81歳。
さまざまな職業を経て、1946年からフィラデルフィアで演技を学んだ。58年に始まったテレビドラマ「カメラマン・コバック」で注目を集め、60年の映画「荒野の七人」で村を救うガンマンの一人を演じて人気が高まった。 その後も「バルジ大作戦」(65年)などの戦争アクション映画で活躍。「さらば友よ」(68年)や、サスペンス「雨の訪問者」(70年)で、寡黙な中に男の優しさをたたえた役どころが評価され、主役の地位を確立した。
日本では70年代に、男性化粧品「マンダム」のコマーシャルに登場し、知名度もさらに上昇。外国人俳優がCMに起用される先駆けともなった。女優のジル・アイアランドさんとのおしどり夫婦で知られたが、90年に死別した。
8/13
■戸部新十郎(作家)石川県出身。
13日午後2時30分、脳こうそくのため東京都練馬区の病院で死去、77歳。
北國新聞社勤務を経て作家に。重厚で本格的な歴史・時代小説を得意とし、特に剣豪小説には定評があった。代表作に「総司はひとり」「前田利家」「蜂須賀小六」「服部半蔵」などがある。
8/9
■ジャック・ドレー(フランス映画監督、脚本家)フランス・リヨン生まれ。
9日深夜、パリ郊外の自宅で死去、74歳。
俳優から、ルイス・ブニュエル監督らの助監督を経て、1960年に「Le Gigolo」で監督デビューした。アクションやサスペンス映画を多数監督し、フランスのヒチコックと言われた。アラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモンド共演の「ボルサリーノ」(69年)、ドロン主演の「太陽が知っている」(68年)などを撮った。
8/9
■グレゴリー・ハインズ(米俳優、タップダンサー)ニューヨーク出身。
9日、がんのため米ロサンゼルスで死去、57歳。
兄モーリスとタップダンスのチームを組み、5歳の時から芸能活動を開始。1954年にブロードウェーのミュージカルに挑戦し、華麗な踊りでファンをくぎ付けにした映画「ホワイトナイツ/白夜」(85年)や「タップ」(88年)の出演で、米ダンス界の第一人者に躍り出た。92年にはミュージカル「ジェリーズ・ラスト・ジャム」の主演でトニー賞に輝いた。
映画「ブリーディング・ハーツ」(94年)では監督を務め、テレビ番組では軽妙なコメディーも披露。出演した他の映画に「コットンクラブ」(84年)や「ため息つかせて」(95年)などがある。
8/9
■沢 たまき(参院議員、女優)川崎市出身。
9日午前1時、虚血性心不全のため東京都千代田区紀尾井町1-15、参院議員宿舎で死去、66歳。
1956年歌手デビューし「カスバの女」「ベッドで煙草を吸わないで」などがヒット。69年から放送されたテレビドラマ「プレイガール」で女性ばかりの私立探偵チームのリーダーを演じ人気を集めた。98年7月の参院選で公明党から比例代表で初当選し、党の参院国対副委員長、厚生労働部会長代理を務めていた。
伊藤 素道(歌手)東京都出身。
8月7日午後11時11分、腸閉そくのため東京都渋谷区の病院で死去、75歳。
リリオ・リズム・エアーズを率い、西部劇「ローハイド」の主題歌の日本語版をヒットさせた。
8/5
■ツネコ(ホームレス歌人)
5日午前7時半ごろ、最近住んでいた西成区の集合住宅で死去。がんの療養中だった。76歳。
大阪・梅田駅前の“ホームレス歌人”として知られ、その生き様や作品をまとめた本も出版された。自叙伝を出版したリサイクル文化社大阪編集室によると、ツネコさんはハワイに移住した日本人の子として1927年に生まれ、帰国後に家族を亡くし、政治家の秘書の愛人に。ギャンブルで破産し、60代でホームレス生活を始めた。自作の歌を色画用紙に書き、段ボール箱に並べて売った。
その姿を紹介した本「ホームレスの詩」で一躍有名となり、テレビにも出演した。「明日どころか今夜も見えぬ 阪急高架下のわが宿」「我もまた人の子なれば貴女と同じ 家に住みたい着物も着たい」などの歌を残した。
8/1
■マリー・トランティニャン(仏女優)1962年パリ生まれ。
1日午前(日本時間同日夕)、脳浮腫のためパリ郊外の病院で死去、41歳。
映画「セリ・ノワール」(79年)などに出演した。父親のジャンルイ・トランティニャン「男と女」(66年)の主演男優として国際的スターとなり、「Z」(69年)でカンヌ映画祭主演男優賞を受賞した。 マリーはフランス国営テレビの劇映画撮影のため、リトアニアのビリニュスに滞在していた7月26日夜、ホテルで、友人のフランス人ロック歌手ベルトラン・カンタに突き倒されて頭を打ち、意識不明の重体となった。その後家族の希望でフランスに搬送された。
7/30
■サム・フィリップス(プロデューサー)
30日、テネシー州の病院で死去、80歳。死因などは不明。
エルビス・プレスリーを発掘した1952年、米テネシー州メンフィスで「サンレコード」を創設。54年、エルビス・プレスリーが最初にレコーディングした「ザッツ・オール・ライト」「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」などをプロデュースするなどプレスリーのプロデビューに尽力した。86年、長年の功績が認められ、米国の「ロックンロール名誉の殿堂」入りを果たした。
7/27
■ボブ・ホープ(米国の喜劇俳優) 英国ロンドン生まれ
27日、米カリフォルニア州の自宅で肺炎により死去、100歳。
映画「珍道中」シリーズなどで知られ、米国の喜劇王と呼ばれた。
4歳で渡米。チャプリン扮装コンテスト出場がきっかけでボードビルの世界に入る。
1940年、歌手ビング・クロスビー、女優ドロシー・ラムーアと組み「シンガポール珍道中」に出演。以後「珍道中」シリーズで人気者に。
主演作「腰抜け2挺拳銃」(48年)は、主題歌「ボタンとリボン」とともに大当たりした。
米国の繁栄と陽気なライフスタイルを象徴したスターで、アカデミー特別賞や同名誉賞など5回受賞。早口で皮肉な時事ジョークが得意で、長い間「アメリカ1おかしな男」として愛された。
7/27
■花柳武始(新派俳優)大阪府出身。
27日午前10時38分、直腸がんのため東京都新宿区の病院で死去、76歳。
父は新派の名優花柳章太郎。映画デビューの後、父に弟子入りし昭和26年初舞台。「佃の渡し」「京舞」などに出演した。
7/24
■ジョン・シュレシンジャー(米映画監督)ロンドン生まれ。
25日、米カリフォルニア州パームスプリングズの病院で死去、77歳。
オックスフォード大卒。監督を務めた初の長編映画「或る種の愛情」(1962年)がベルリン国際映画祭でいきなり金熊賞を受賞。英国人の冷めた視点で等身大の社会を浮き彫りにするのが得意で、ダスティン・ホフマン主演の「真夜中のカーボーイ」(69年)はアカデミー賞の作品賞を受賞、自らも監督賞に輝いた。
現代人の孤独を主題にした「日曜日は別れの時」(71年)や、ハリウッドの人間模様を描いた「イナゴの日」(75年)を手掛け、「マラソンマン」(76年)ではサスペンスに挑戦した。
高齢になっても創作意欲は衰えず「愛の果てに」(93年)などを撮影。歌手マドンナが主演した「2番目に幸せなこと」(2000年)が最後の作品になった。
7/24
■岩田暁美(元ラジオ日本スポーツキャスター)。横浜市出身
24日午前6時35分、心不全のため東京都港区の病院で死去、41歳。
自宅住所や葬儀・告別式の日時と場所は、故人の遺志と遺族の希望で公表しない。喪主は父。
東海大卒業後、ラジオ日本でフリーのスポーツキャスターとして活躍。プロ野球のダイエーやヤクルトなどの取材を担当した後、1994年から長嶋茂雄前巨人監督の密着リポートを始めた。長い髪と日焼けした顔がトレードマーク。長嶋の辞任後も巨人取材を続けていたが、今年2月から体調を崩し入院した。 著書に「岩田暁美のとなりのチョーさん」がある。
7/22
■鈴木 明(ノンフィクション作家)東京都出身。
22日午後3時4分、虚血性心不全のため東京都目黒区の病院で死去、77歳。
73年、「『南京大虐殺』のまぼろし」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。ほかの著書に「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか」「波 1980-99」など。
7/22
■セルジュ・シルベルマン(映画製作者)ポーランド出身。
22日夜パリで死去、86歳。
ナチスの強制収容所生活を経て、第2次大戦後、パリに移住。ジャック・ベッケル監督「穴」(60年)を手掛けたほか、ルイス・ブニュエル監督の「小間使いの日記」(633年)「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(72年)など一連の映画を製作。85年に黒沢明監督の「乱」、86年に大島渚監督の「マックス、モン・アムール」を製作した。
7/22
■イボンヌ・サンソン(伊 女優)ギリシャ生まれ
22日、動脈りゅうのためイタリア・ボローニャで死去、77歳。
第2次大戦後、ローマで多くの映画に出演。イタリアを代表する女優の1人で、1970年代に引退。出演作は「怒りの荒野」(67年)やベルナルド・ベルトルッチ監督「暗殺の森」(70年)など。
7/20
■ニコラス・フリーリング(英作家)ロンドン生まれ。
20日にフランスで死去、76歳。死因は不詳。
1940年代後半、英空軍で兵役に就いた後、フランスでコックとなり、レストランの副料理長も務めた。窃盗容疑で逮捕された経験をもとに「アムステルダムの恋」(62年)で独特な警察小説の手法を確立。その後、オランダ人警部ファン・デル・ファルクを主人公とするシリーズで名声を博した。主要作品に「猫たちの夜」(63年)「雨の国の王者」(66年)など。
7/16
■キャロル・シールズ(カナダの小説家)米イリノイ州オークパーク生まれ。
16日、乳がんのためカナダのブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアで死去、68歳。
ある女性の人生を通し、愛と孤独を描いた小説「ストーン・ダイアリー」で1995年に米ピュリツァー賞受賞。98年にがんと診断された後も作家活動を続けていた。
7/16
■セリア・クルース(サルサ歌手)キューバのハバナ生まれ。
16日午後、米ニュージャージー州フォートリー市の自宅で脳腫瘍手術のあと療養中だったが、合併症のため死去。77歳。
1950年代にラテンバンドのボーカルとして人気を集めた。キューバ革命を機に60年、米国に亡命。サルサ歌手として米国を中心に活躍し、“サルサの女王”と呼ばれ、70枚以上のアルバムを発表。昨年と今年のグラミー賞を2年連続で受賞した。
7/13
■坂口祐三郎(俳優)福岡県出身。
13日午後2時20分、脳幹出血のため福岡県久留米市の病院で死去、61歳。
1967年からテレビで放送された特撮時代劇「仮面の忍者赤影」で主役の赤影を演じた。
7/11
■小松方正(俳優)長野県松本市出身。
11日午前9時10分、敗血症のため東京都新宿区の病院で死去。76歳。
1959(昭和34)年、映画デビュー。敵役を中心に活躍した。「神々の深き欲望」「心中天網島」などの映画で渋い演技を見せたほか、大島渚監督と親しく「無理心中・日本の夏」「絞死刑」など数多くの大島作品に出演した。
テレビのバラエティー番組や、洋画の吹き替えでも活躍した。
7/9
■谷 恒生(作家)東京都出身。
9日午後1時25分、食道がんのため東京都文京区の病院で死去、57歳。
航海士を務めながら創作を始め77年に「喜望峰」でデビュー。「マラッカ海峡」「ホーン岬」などを次々に発表し、海洋冒険小説の旗手として注目された。「魍魎伝説」「髑髏伝」などSF伝奇小説分野にも進出した。
さらに「慶長水滸伝」など時代小説や「警視ムラマサ」シリーズなど犯罪バイオレンス、「超大本営・戦艦大和」シリーズなど仮想戦記ものと幅広い作品を残した。
7/8
■稲田悦子(女子フィギュア元五輪代表)大阪府出身。
8日午後7時20分、胃がんのため千葉市美浜区の病院で死去、79歳。
36年ガルミッシュパルテンキルヘン冬季五輪のフィギュアスケート女子シングルに日本の五輪史上最年少の12歳で出場。
日本の女子フィギュア界の草分け。ドイツで行われた36年五輪は小学6年生で冬季五輪の日本女子初の代表となり、出場26選手中、10位と健闘した。全日本選手権は35年に女子が初めて実施されたときに優勝したのを含め、7度優勝。インストラクターとしても活躍し、福原美和選手らを五輪代表に育てた。
7/8
■石井 武(三里塚・芝山連合空港反対同盟熱田派世話人)千葉県出身。
8日午後7時10分、耳下腺がんのため千葉県成田市の病院で死去、78歳。自宅は成田市東峰109
成田空港の隣接地に住み、国が空港建設を決めた66年、反対同盟に参加。78年の開港阻止闘争では横堀要さいに立てこもり逮捕された。 平行滑走路建設予定地内に畑を所有し、新東京国際空港公団への売却は一貫して拒否した。
7/7
■池谷 朗(写真家)東京都出身。
7日午前2時47分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、69歳。
7/6
■バディ・エブセン氏(米国の俳優)イリノイ州出身。
6日、病気のため米カリフォルニア州の病院で死去、95歳。
1962-71年まで米CBSテレビで放映された連続ホームコメディー「ビバリー・ヒルビリーズ」で、成り金の楽天的な家長役を演じて人気を集めた。映画や舞台でも活躍し61年映画「ティファニーで朝食を」ではオードリー・ヘプバーンの夫役を演じた。
7/5
■桜内義雄(元衆院議長、元自民党衆院議員)東京都出身。
5日午後10時17分、呼吸不全のため東京都渋谷区の病院で死去、91歳。
1947年総選挙で旧東京1区から初当選。2期目からは旧島根全県区に転じ通算当選18回。この間参院議員も1年7カ月務めた。 池田勇人内閣の通産相をはじめ、農相、建設相、外相を歴任。大平正芳内閣当時、自民党幹事長を務め、80年の初の衆参同日選挙で、大平首相急逝後、「弔い合戦」の陣頭指揮を執り、自民党を大勝に導いた。
90年2月から93年6月まで衆院議長。国連平和維持活動(PKO)協力法が成立した92年6月の本会議では、社会党議員らの徹底した牛歩戦術や、集団議員辞職届提出の中で採決にこぎ着けた。2000年6月の総選挙に出馬せず、政界を引退した。
7/4
■バリー・ホワイト(米国ソウル歌手)米テキサス州出身。
4日、米ロサンゼルスの病院で死去した。58歳。死因は明らかではないが、腎不全を患い、今年5月に脳卒中に見舞われ。
十代で教会の聖歌隊に参加した後、エルビス・プレスリーにあこがれ、音楽家の道を目指した。感情を込めて歌い上げる低音の魅力と弦楽器を効果的に使った音楽制作が脚光を浴び、1970年代のソウル界で不動の地位を確立。オーケストラを率いて73年に発表した「愛のテーマ」はディスコブームに乗り、世界で大ヒットを記録した。 これまでに制作、発表したアルバムは40枚以上に上り、2000年にはグラミー賞の2部門を受賞。ヒット曲には愛をテーマにした「あふれる愛を」や「愛のステップ」「つのりゆく愛」などがある。
7/4
■ニカウ(ブッシュマン)
4日までにアフリカ南部ナミビアで死去。59歳見当。
1日にまきを拾いに出たが戻らず、捜しに出た家族が草原で死んでいるのを見つけたという。
ニカウはカラハリ砂漠に住むサン人(ブッシュマンは蔑称)で、出演した映画「ブッシュマン」シリーズは人種差別的との批判もあったが、ニカウの天衣無縫さがうけ、世界的に大ヒット。1981年の第1作から93年の第4作まで作られたが、90年代初頭アフリカ南部の故郷に帰っていた。
7/1
■ハービー・マン(米ジャズ演奏家)ニューヨーク生まれ。
1日、米ニューメキシコ州サンタフェの自宅で死去、73歳。1997年以来、前立腺がんで療養中だった。
ジャズのフルート、サックス奏者、作曲家として、アフリカ、ブラジル、日本などを訪問。世界各地の音楽を取り入れ、ワールドミュージック、フュージョンという新しい分野を切り開いた。60年代には世界的なボサノバブームを先導した。
6/30
■バディ・ハケット(米喜劇俳優)ニューヨーク出身
30日、米ロサンゼルス近郊の自宅で死去、78歳。死因は明らかにされていない。
ブロードウェーの舞台などを経て、1950年代にテレビ界に進出。まくし立てるコメディーが得意で、バラエティー番組の人気者になった。映画「おかしな・おかしな・おかしな世界」(63年)や「ラブバッグ」(69年)に出演したほか、ディズニーのアニメ映画「リトル・マーメイド」(89年)では声優に挑戦した。
6/29
■小金井芦州(講談師、元講談協会会長)東京都出身。
29日午前10時7分、肺炎のため東京都北区の病院で死去、76歳。
1942年、4代目芦州に入門。65年に6代目芦州を襲名した。「清水次郎長」「天保水滸伝」など侠客物を得意とした。
6/29
■キャサリン・ヘプバーン(米女優)コネティカット州生まれ、
29日コネティカット州の自宅で死去、96歳。
ブロードウェーで舞台に立ち、1932年スクリーンにデビュー。翌年の「勝利の朝」で早くもアカデミー主演女優賞を獲得。その後も、「アフリカの女王」(51年)、「旅情」(55年)などでさまざまな女性像を描き出した。
「招かれざる客」、「冬のライオン」で67,68年と2年連続オスカーに輝き、81年にヘンリー・フォンダと共演した「黄昏」でも受賞し、アカデミー主演女優賞で4回受賞に輝いた。
6/28
■岸田理生(劇作家・演出家)長野県出身。
28日午前8時38分、大腸がんのため長野県岡谷市の病院で死去、57歳。
寺山修司の演劇実験室・天井桟敷に参加し、演劇活動を始めた。代表作に「糸地獄」(1984年岸田国士戯曲賞)、「終の棲家 仮の宿」(88年紀伊国屋演劇賞)など。女性の劇的な心理を繊細に描く作風で知られ、アジアとの演劇交流でも活躍した。
6/26
■デービッド・ニューマン(米脚本家)ニューヨーク出身。
26日、脳卒中のためニューヨークの病院で死去、66歳。
大学卒業後、雑誌エスクワイアの編集スタッフをしながら、同僚のロバート・ベントンと共同で執筆した脚本が映画「俺たちに明日はない」(1967年)となり、大ヒット。この作品で2人はニューヨーク映画批評家協会賞を受賞、アカデミー脚本賞候補にもノミネートされた。「大脱獄」(70年)「おかしなおかしな大追跡」(72年)「スーパーマン」(78年)なども共作。
6/24
■名古屋章(俳優)
24日午前8時35分、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去。72歳。告別式は中野区宝仙寺
NHK放送劇団在籍中の1952年、ラジオドラマ「ぼたもち」に主演、同年の芸術祭賞受賞。55年、「ノンちゃん雲にのる」で映画デビュー。「天国と地獄」「麻雀放浪記」などに出演した。テレビのホームドラマでは、中年の軽快な役どころが多く、出演作品に「スクールウォーズ」「八代将軍吉宗」「HOTEL」などがある。
6/24
■山根赤鬼(漫画家)
24日、大腸がんのため死去、67歳。
1949年、富山県の地元紙に双子の兄とともに作品を発表。「のらくろ」の田河水泡氏に見いだされ、56年から「少年クラブ」に「よたろうくん」を13年間にわたり連載。兄は漫画家の山根青鬼。
6/24
■小島貞二(演芸、相撲評論家)
24日、脳内出血のため死去、84最。喪主は長男で音楽プロデューサーの豊美。
いったん角界に入った後、東京日日新聞(現毎日新聞)記者などを経て放送作家に。コロムビア・トップ・ライトをはじめ多くの演芸家に台本を書き、「末広演芸会」(テレビ朝日)の落語解説も好評を博した。著書は「志ん生の忘れもの」「漫才世相史」など二百冊余に上り、相撲、プロレスの評論などでも知られた。
6/21
■レオン・ユリス(米作家)米メリーランド州ボルティモア生まれ。
米ニューヨーク州東部のシェルター島の自宅で21日、老衰のため死去、78歳。
1958年、キプロス島のユダヤ人を描いた長編小説「エクソダス(栄光への脱出)」が世界的なベストセラーとなった。精力的な取材、執筆活動で知られる半面、同作品の人物描写をめぐる英国での名誉棄損訴訟で敗訴。またスパイ小説「トパーズ」の映画化をめぐり、監督だった故アルフレッド・ヒチコックと対立したこともあった。
6/21
■松本弘子(元ファッションモデル)
20日夜(日本時間21日午前)、パリ市内の病院で死去、67歳。死因は明らかにされていない。
親族によると、数年前に病気になり入院。以来、闘病生活を送っていたという。
日本人初のパリコレクションのモデルとして有名でパリ在住だった。1960年、ピエール・カルダンに招かれてフランスに渡り、67年、出産を機にモデル業をやめ、ファッション雑誌の編集などをしていた。
6/16
■春風亭柳昇(落語家)東京都出身。
16日午前2時10分、胃がんのため東京都清瀬市の病院で死去、82歳。自宅は東京都武蔵野市関前。
葬儀・告別式は武蔵野市八幡町延命寺で。葬儀委員長は落語芸術協会会長の桂文治
落語芸術協会理事長、日本演芸家連合会長などを歴任。90年に勲4等瑞宝章を受章している。
6/10
■ドナルド・リーガン(元米財務長官)米マサチューセッツ州生まれ
10日、がんのため死去、84歳。
米大手証券メリル・リンチの会長を務めた後、81年にレーガン政権で財務長官に就任。85年に大統領首席補佐官に転身したが、イラン・ニカラグア秘密工作事件に絡み、87年に辞任に追い込まれた。
6/2
■エブゲニー・コロボフ(ロシアの指揮者)
15日、モスクワの自宅で心臓発作のため死去、57歳。
1981年にサンクトペテルブルク(当時レニングラード)のマリンスキー劇場(当時キーロフ劇場)指揮者に就任。モスクワのスタニスラフスキー音楽劇場の音楽監督などを歴任。91年にノーバヤ・オペラ劇場をモスクワに設立、伝統作品を斬新な手法で演出し、日本や欧米でも公演した。
6/12
■グレゴリー・ペック(米俳優)カリフォルニア州出身
12日未明、ロサンゼルスの自宅で死去した。87歳。死因は明らかにされていない。
「栄光の日々」(1944年)で映画デビュー後、端正な容姿と上品な身のこなしで脚光を浴び、「アラバマ物語」(62年)のフィンチ弁護士役でアカデミー賞主演男優賞に輝いた。「王国の鍵」(44年)と「子鹿物語」(46年)「紳士協定」(47年)「頭上の敵機」(49年)の熱演でいずれも同主演男優賞にノミネートされた。
永遠の妖精オードリー・ヘプバーンと共演した「ローマの休日」(53年)で世界の映画界で不動の地位を確立。「白鯨」(56年)や「ナバロンの要塞」(61年)ではダイナミックな演技に挑戦。「ブラジルから来た少年」(78年)で初めて悪役を演じ、話題をさらった。
6/2
■フレッド・ブラッシー(米国人プロレスラー)米ミズーリ州セントルイス生まれ。
2日夜、ニューヨーク郊外の病院で死去、85歳。
数度にわたって来日、力道山やジャイアント馬場らと闘った。かみつき攻撃で相手を血に染め「銀髪鬼」「吸血鬼」の異名を取った。
6/2
■小鶴 誠(元プロ野球選手)
2日、心室細動のため死去、80歳。
八幡製鉄から1942年に名古屋に入団後、中日、大映などを経て50年に松竹に移籍。ゴルフスイングと呼ばれた豪快な打法で同年に51本塁打を記録し、プロ野球史上初めて50号を超えた。この年は打点王(161打点=日本記録)も獲得、MVPに輝いた。米大リーグ・ヤンキースのスター選手になぞらえ「和製ディマジオ」の異名をとった。80年に野球殿堂入り。
5/30
■藤田康雄(俳優)
30日、肝不全のため死去、71歳。
名古屋市内の中学教諭として勤務しながら、NHK名古屋放送局制作の「中学生日記」の先生役として1972年から2001年まで出演した。
5/28
■スローン・ウィルソン(米作家)コネティカット州出身。
25日、米バージニア州で死去、83歳。死因は明らかにされていないが、アルツハイマー病を患っていた。
1955年に発表した小説「灰色の服を着た男」がベストセラーを記録、56年にグレゴリー・ペックの主演で映画化された。58年の小説「避暑地の出来事」も59年に映画化され、主題曲「夏の日の恋」とともにヒットした。
5/28
■マーサ・スコット(米女優) 米ミズーリ州出身。
28日、米ロサンゼルスの病院で死去、90歳。死因は明らかにされていない。
「我等の町」(40年)で映画デビューし、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。「必死の逃亡者」(55年)のほか「十戒」(56年)「ベン・ハー」(59年)など20本以上の映画に出演した。
5/26
■草間時彦(俳人)
26日、腎不全のため死去、83歳。
会社勤めの経験を生かし、サラリーマンの哀歓を詠んだ作品を多く発表した。1999年に「盆点前」で詩歌文学館賞、2003年に「瀧の音」で蛇笏賞を受賞。78年から93年まで俳人協会理事長を務めた。
5/22
■堤 幸子(作家)
22日、腎不全のため死去、70歳。
1980年ごろから上田加代子と「桐生操」のペンネームで共同執筆を開始。著書「本当は恐ろしいグリム童話」など。
5/14
■ロバート・スタック(米俳優)
14日、米ロサンゼルスの自宅で心臓発作のため死去。84歳。
テレビ番組シリーズ「アンタッチャブル」で、シカゴのギャング一味と対決する連邦捜査局(FBI)のエリオット・ネス隊長役で出演、日本でも人気があり、エミー賞を受賞。映画でも「風と共に散る」(56年)でアカデミー助演男優賞候補となった。「東京暗黒街・竹の家」(55年)など多くの作品に出演した。
5/12
■井上一夫(翻訳家)東京都出身。
12日午後7時23分、肝硬変のため東京都目黒区の病院で死去、80歳。日本推理作家協会会員。
イアン・フレミングの「007」シリーズや、エド・マクベインの「87分署」シリーズなどの翻訳を手掛けた。
5/10
■レオナルド・マイケルズ(米作家、脚本家)ニューヨーク出身。
10日、リンパ腫による合併症のためサンフランシスコ近郊の病院で死去、70歳。
紳士7人が酔いにまかせて女性体験を語る異色の小説「ザ・メンズ・クラブ」を1981年に出版。86年には映画化(邦題「メンズクラブ−真夜中の情事」)され、脚本を担当した。他の代表的な小説に「シルビア」や「ア・キャット」などがある。
5/6
■宜保愛子(霊能者)横浜市出身。
6日午前10時28分、胃がんのため死去、71歳。葬儀・告別式は近親者のみ。
霊能者としてテレビなどに登場して話題を呼び、「宜保愛子の死後の世界」などの著作はベストセラーとなった。
5/5
■ウォルター・シスル(南アフリカの反アパルトヘイト闘争指導者) 南アのトランスカイ(現東ケープ州)出身。
5日、心臓に疾患を抱え長く闘病生活を送っていたが、ヨハネスブルクの自宅で死去、90歳。
旧白人政権下で、マンデラ前大統領と同様、反逆罪裁判で終身刑の判決を受け、26年間の獄中生活を送った。
名実ともにマンデラ氏の盟友として、アパルトヘイト打破と黒人主導政権の誕生に貢献した。
金鉱労働者として労働運動を指導。1940年にアフリカ民族会議(ANC)に参加し49-54年、ANC書記長。ANCが非合法化された後、地下活動に入ったが63年に逮捕、翌年終身刑を言い渡され89年まで収監された。
91年からANC副議長。マンデラ氏の大統領就任を見届けた後、94年に引退した。
5/3
■スージー・パーカー(米モデル、女優)テキサス州出身。
3日、米カリフォルニア州サンタバーバラ近郊の自宅で死去、69歳。死因は明らかにされていない。
1950年代に米国を代表するモデルとして脚光を浴び、シャネルのショーなどで活躍。
57年に映画「パリの恋人」で女優デビューを果たし、「秘めたる情事」(58年)でゲーリー・クーパーと共演。日米合作映画「あしやからの飛行」(64年)の熱演で日本の映画ファンの注目を集めた。
5/2
■ジョージ・ワイル(米ポピュラー音楽の作詞作曲家) ニューヨーク出身。
2日、白血病のため米ロサンゼルス近郊の病院で死去、87歳。
アンディ・ウィリアムスがヒットさせたクリスマス曲「ザ・モースト・ワンダフル・タイム・オブ・ジ・イヤー」など4百曲以上の作詞作曲を手掛け、ウィリアムスやドリス・デイらの音楽監督を務めた。
5/2
■宮崎尚志(作曲家、多摩美術大客員教授)東京都出身。
2日午後8時44分、肺がんのため横浜市金沢区の病院で死去、68歳。
CM音楽の作曲家として有名で、主な作品に「スカッとさわやかコカコーラ」「ライオネスコーヒーキャンディー」など。広島カープの応援歌「それ行けカープ」を作曲したほか、大林宣彦監督の映画「瞳の中の訪問者」「ふりむけば愛」などで音楽を手掛けた。妻は中野慶子の名前でNHK幼児番組に出演し「うたのおねえさん」として活躍した。
5/1
■吉田憲二(映画監督)福井市出身。
1日午後11時30分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去、71歳。
日大芸術学部を卒業後、日活に入社。少年院生活を送った少女とポリオ(小児まひ)の子どもの交流を描いた。
1966年のデビュー作「私は泣かない」など、堅実な演出で各賞を受賞。76年にフリーになり、戦時下の日本人牧師とカナダ人医師一家と交流を描いた「想い出のアン」、人気アニメ「宇宙皇子(うつのみこ)」などのほか、テレビの長時間ドラマも多数手掛けた。
4/30
■美坂哲男(温泉紀行作家)鹿児島県出身。
30日午前2時25分、脳こうそくによる多臓器不全のため死去、82歳。
全国の温泉を紹介し「秘湯ブーム」を巻き起こした。著書に「いで湯行脚三千湯」など
4/26
■ピーター・ストーン(米劇作家)
26日ニューヨークの病院で肺線維症のため死去。73歳。
ブロードウェー・ミュージカルや映画など幅広い劇作家として活躍。ブロードウェー作品「1776年」(1969年)「ミズ」(81年)「タイタニック」(97年)でトニー賞を受賞、映画「がちょうのおやじ」(64年)でアカデミー・オリジナル脚本賞を共同受賞した。ケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンの共演でヒットした映画「シャレード」(63年)の脚本も代表作の一つ。
4/24
■飯田三郎(作曲家)北海道出身。
24日、心筋こうそくのため死去、90歳。密葬。
作詞家の故高橋掬太郎とのコンビで「啼(な)くな小鳩よ」や大津美子が歌った「ここに幸あり」など数々のヒット曲を作曲した。
4/24
■三枝 和子(作家)神戸市出身。
24日午前2時35分、亜急性小脳変性症のため東京都大田区の病院で死去、74歳。
関西学院大を経て同大大学院を中退。関西で中学教師を続けた後、作家生活に入った。65年から文芸誌の編集に携わりながら、反リアリズム的な小説を発表。70年に「処刑が行なわれている」で田村俊子賞を受賞。83年には戦争を人間の業としてとらえた「鬼どもの夜は深い」で泉鏡花賞を受けた。夫は文芸評論家の森川達也。
4/21
■ニーナ・シモン(米ジャズ歌手)米ノースカロライナ州出身
21日、フランスの自宅で死去、70歳。死因と自宅の所在地は明らかにされていない。
。ジュリアード音楽院でピアノを学んだ後、ナイトクラブの弾き語りで注目され、1959年にアルバム「リトル・ガール・ブルー」でレコードデビュー。編曲や作曲も手掛け、アルバム収録の「アイ・ラブズ・ユー・ポーギー」が大ヒットした。カーネギーホール出演やニューポート・ジャズ・フェステイバル参加など精力的に活動。陰影のある甘美な歌唱力に支えられ、米国のほかフランスや英国でも人気が高かった。
公民権運動に目覚め、アラバマ州で黒人少女4人が死亡した63年の教会爆破事件に触発され「ミシシッピ・ガッダム」などを作曲。黒人の熱い心を歌った「アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー」は映画「ゴースト オブ ミシシッピー」(96年)の音楽に使われた。
4/20
■テディ・エドワーズ(米ジャズテナー奏者)米ミシシッピ州出身。
20日、米ロサンゼルスで死去、78歳。死因は明らかにされていないが、前立腺がんを患っていた。
1947年にアルバム録音した「ブルース・イン・テディズ・フラット」で注目され、ベニー・カーターらジャズ界の巨匠と共演。64年にはベニー・グッドマンの活動に参加し、76年にはミルト・ジャクソンらとともに来日、スリリングな演奏を披露した。代表的なアルバムに「タンゴ・イン・ハーレム」などがある。
4/14
■ジョン・ポール・ゲッティ2世(米国出身の大富豪、慈善事業家)
14日、ロンドンの病院で胸部炎症のため死去、70歳。
英保守党や英国立美術館への巨額の寄付で有名。 米国で生まれ石油で富を築いたが、麻薬中毒などを経て隠居生活に。英国を愛し30年近く居住。1998年英国籍取得。英国の映画やクリケットなどにも寄付し、寄付総額は計2億ドル(240億円)以上。慈善活動によって86年には英国で中級勲爵士の称号を与えられたが、当時は英国籍でなかったため「サー」とは呼ばれなかった。
4/13
■アレン・イーガー(米ジャズサックス奏者)
13日、肝臓がんのためフロリダ州で死去、76歳。
スタン・ゲッツ、アル・コーンなどとともに40−50年代のビバップ時代を代表するテナーサックス奏者。軽快で自然なスイングが持ち味で、ニューヨークのクラブで活躍した。白人奏者としては珍しく、チャーリー・パーカーら黒人奏者が率いるバンドで働き、自らもバンドを結成。パーカーの死去をきっかけに引退した。その後、パリに移住しスキーやカーレースに身を転じ、82年に復活アルバムを発表した。
4/10
■セシル・ド・ブリュノフ(絵本作家)
関係者によると、10日までにパリで死去。99歳。
人気絵本「ぞうのババール」のフランス人原作者。ハンターに母親を殺され町に逃げた子象のババールが、成長して象の国の王様となって活躍する絵本シリーズの原作者。
1931年、画家の夫が絵を描いて出版。夫の死後、長男が描き継ぎ約30冊を出した。日本でも多くのファンを獲得。世界約20カ国で翻訳されて、数百万部を出版した。アニメでも人気を呼んだ。
4/6
■小坂秀二(相撲評論家、元NHK、TBSアナウンサー)
6日、胃がんのため死去。85歳。 「柏鵬時代」の命名者。相撲実況で活躍した。
4/4
■アンソニー・カルーソ(米俳優)インディアナ州出身。
4日、米サンフランシスコ近郊の自宅で死去。86歳。死因は明らかにされていない。
悪役で知られ、50年代の人気テレビシリーズ「快傑ゾロ」や「ララミー牧場」に出演。映画「アスファルト・ジャングル」(50年)や「ゼブラ軍団」(75年)などでも活躍した。
4/4
■桜井昌一(漫画出版社経営)大阪市出身
4日午後4時50分、心不全のため埼玉県毛呂山町の病院で死去、70歳。
55年に貸本漫画家としてデビュー。さいとう・たかを、佐藤まさあき氏、実弟の辰巳ヨシヒロ氏らと「劇画工房」を結成し、劇画の発展に寄与した。60年代に入ってから出版社「東考社」を設立し、若手漫画家を育てた。著書に「僕は劇画の仕掛人だった」など。
4/2
■マイケル・ウェイン(米国の映画製作者)ロサンゼルス出身。
2日、心不全のため米ロサンゼルス郊外の病院で死去、68歳。
父親の故ジョン・ウェインが主演した映画「グリーン・ベレー」(68年)や「大列車強盗」(72年)などをプロデュース。「ブラニガン」(75年)では製作を総指揮した
3/30
■マイケル・ジェター(米俳優)テネシー州出身。
3月30日、ロサンゼルスの自宅で死んでいた。詳しい死亡日時や死因は明らかにされていない。50歳。
1997年にエイズウイルス(HIV)の感染を公表していた。
幼児向け人気番組「セサミストリート」のミスターヌードル役で知られ、90年のヒットミュージカル「グランド・ホテル」の熱演でトニー賞を受賞。92年にテレビドラマ「イブニング・シェイド」の演技でエミー賞に輝き、映画「天使にラブ・ソングを2」(93年)や「グリーンマイル」(99年)「ジュラシック・パーク3」(2001年)などで名脇役を演じた。
3/24
■フィリップ・ヨーダン(米国の脚本家、映画製作者)シカゴ出身。
3月24日、膵臓がんのため米カリフォルニア州サンディエゴの病院で死去、88歳。
映画「探偵物語」(51年)の脚本で注目され、アカデミー賞にノミネートされた。西部劇の名画「折れた槍」(54年)の原作で同賞を受賞。「バルジ大作戦」(65年)では脚本と製作を担当した。
3/23
■天本英世(俳優)
23日午前7時38分、急性肺炎のため北九州市の病院で死去。77歳。
東大法学部中退。俳優座同人会、劇団四季などを経てフリーになり、舞台やミュージカルで活躍。人気テレビ番組「仮面ライダー」の死神博士役で全国に顔を知られ、映画では岡本喜八監督「暗黒街の対決」の殺し屋役をはじめ、ほとんどの岡本作品に出演。「平成教育委員会」などバラエティー番組でも活躍した。
スペイン通としても有名で、長年スペインの詩人ロルカの詩を舞台で朗読した。著書に「スペイン巡礼」など。
3/19
■小野 正一(元プロ野球投手)福島県出身。
19日午後5時55分、胃がんのため東京都千代田区の病院で死去、69歳。
福島・磐城高出身。社会人野球を経て1956年に毎日(現ロッテ)に入団。60年には33勝を挙げて最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率の3冠に輝き、リーグ優勝に貢献した。大洋(現横浜)、中日でも活躍した。通算184勝(155敗)をマークした。
3/19
■藤 拾郎(詩人中原中也の実弟)山口市出身。
6人兄弟だった中也の末弟。日本ハーモニカ芸術協会理事も務めた。
3/22
■島比呂志(作家)
22日午前4時13分、多臓器不全のため北九州市内の病院で死去。84歳。
ハンセン病患者の立場から国の強制隔離政策を告発する作品を執筆、国賠訴訟を提起するきっかけを作った作家。
1947年に香川県庵治町の国立療養所大島青松園に入所し、翌年に鹿児島県鹿屋市の星塚敬愛園に転園した。同人誌「火山地帯」を主宰し、小説集「奇妙な国」など多くの著書を通じ、強制隔離による人権侵害を訴え続けた。
95年には九州弁護士会連合会あてに、それまで人権侵害に無関心だった法曹界を痛烈に批判する手紙を出した。これを機に弁護士会がハンセン病患者が収容された療養所の実態を調査、98年の国賠訴訟提訴につながった。
2001年5月同訴訟で全面勝訴を勝ち取ったが、最近は体調を崩し、入退院を繰り返していた。
3/14
■鈴木真砂女(俳人、銀座の小料理屋「卯波店主」)千葉県出身。
14日午後6時34分、老衰のため東京都江戸川区の老人保健施設で死去。96歳。
房総の老舗旅館に生まれた。日本女子商業(現・嘉悦学園)卒。俳句は30歳の時、姉の遺句集作りをきっかけに、本格的に始めた。戦後、久保田万太郎に認められて句誌「春燈」に参加。後に安住敦に師事した。
夫の蒸発、再婚、出奔と、起伏の激しい人生を経験。さらに1957年に上京し、小料理屋「卯波」の切り盛りを始めてからは、食材の季節感や生活感あふれる句をよく詠んだ。代表句に「羅(うすもの)や人悲します恋をして」など。 76年、句集「夕蛍」で俳人協会賞、95年「都鳥」で読売文学賞、99「紫木蓮」で蛇笏賞。著書に「お稲荷さんの路地」など。
3/7
■黒岩重吾(作家)大阪市出身。
7日午後1時20分、肝不全のため兵庫県西宮市の病院で死去。79歳。
61年、大阪・あいりん地区(釜ケ崎)の診療所を舞台にした「背徳のメス」で直木賞を受賞。一方で戦中、戦後の体験を反映した作品や、風俗性の強い「西成山王ホテル」などでも多くの読者を獲得した。80年には壬申の乱を背景にした「天の川の太陽」で吉川英治文学賞を受賞。額田王を描いた「茜に燃ゆ」や「白鳥の王子 ヤマトタケル」などの歴史小説を発表した。91年、紫綬褒章、92年には菊池寛賞を受賞。
3/5
■長尾正士(ジャズ演奏家)東京都出身。
5日午後1時29分、心不全のため横浜市港北区の病院で死去、90歳。
戦前からアルトサックス奏者としてジャズバンドを結成、自動車会社勤務のかたわら演奏活動を続けた。
3/2
■ハンク・バラード(R&Bシンガー)
2日、ロサンゼルスの自宅で死去。1990年代後半にがんを患い、体調は思わしくなかったが、死因は不明。
最期を看取った友人によると75歳だった。ただ、66歳だったとの情報もある。
50年代にハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズ(当初はロイヤルズ)のボーカルとして活躍。「Work
With Me Annie」「Annie Had a
Baby」など“Annie”シリーズをヒットさせ、ロックの殿堂入りを果たした。
チャビー・チェッカーが60年代に一大ブームを巻き起こした「ザ・ツイスト」のオリジナル作曲者、ダンス創始者として知られた。
3/3
■ホルスト・ブッフホルツ(独俳優)
3日、肺炎のためベルリン市内の病院で死亡。69歳。
ブッフホルツは西部劇の名作「荒野の七人」で知られる。反抗的な若者役でドイツ版ジェームズ・ディーンといわれ、最近ではロベルト・ベニーニ監督のアカデミー賞受賞作品「ライフ・イズ・ビューティフル」にナチスの医師役で出演していた。このほかの出演作では、ビリー・ワイルダー監督のコメディー「ワン・ツー・スリー ラブ・ハント作戦」などがある。
3/2
■生島治郎(作家)中国・上海生まれ。
2日午後11時44分、肺炎のため都内の病院で死去。70歳。
日本のハードボイルド小説の草分けとして人気を集めた作家の
2/27
■ジーン・サリバン(米女優)米ユタ州出身。
米ロサンゼルス近郊の病院で死去、79歳。死因は明らかにされていない。
映画「砂漠の逃亡」(1945年)や「スクワーム」(76年)などに出演。得意のフラメンコを生かしテレビのバラエティー番組でも活躍した。
2/28
■井上 瑤(声優)東京都出身。
2月28日午前9時29分、肺水しゅのため東京都目黒区の病院で死去、56歳。
アニメ「機動戦士ガンダム」の「セイラ・マス」役のほか、「うる星やつら」などのアニメや海外ドラマの吹き替えで活躍した。
2/26
■宮脇俊三(作家)埼玉県出身。
2月26日午前8時3分、肺炎のため東京都港区の病院で死去。76歳。
東大文学部卒。雑誌「中央公論」編集長などを務めて、78年に紀行作家に転身しユーモアを漂わせた鉄道紀行文で知られた。鉄道好きで、その体験をつづった「時刻表2万キロ」は日本ノンフィクション賞などを受賞、のベストセラーになった。99年に菊池寛賞。
2/26
■桑原 潤(ヤクルト本社前社長、ヤクルト球団のオーナー)熊本県出身。
26日午後2時24分、肝不全のため東京都渋谷区の自宅で死去。72歳。
88年4月から同社社長、96年6月から会長。98年に同社がデリバティブ(金融派生商品)取引など財テクの失敗で損失を出したため引責辞任した。球団オーナーは91年3月から98年6月まで務め、この間、ヤクルトはセ・リーグで4回優勝、うち3回日本一になった。
2/25
■アルベルト・ソルディ(伊国民的喜劇俳優)
気管支炎のためローマ市内の自宅で死亡。82歳。 ソルディはここ半年間、がんで闘病生活を送っていた。
60年のキャリアを誇るソルディは、生涯で150本近い映画に出演。出世作はフェデリコ・フェリーニ監督の「白い酋長」(1951年)。このほか「素晴らしきヒコーキ野郎」(65年)などに出演。72年には「未決囚」でベルリン映画祭男優賞、95年にはベネチア映画祭で特別功労賞を授与されていた。
葬儀はローマ市内の大聖堂で執り行われ、約25万人の参列者が名優に最後の別れを告げた。ソルディの棺が到着すると、群衆の間から故人に敬意を表する歓声と拍手が沸き起こった。 葬儀であいさつに立った枢機卿は、「愛する者がこの世を去る時、残された者の胸には思い出と感情の波が押し寄せる。アルベルト・ソルディがこの世を去ってから、こうしたことが町中で、全国で起きている」と語り、参列者らの共感を誘った。 葬儀のもようは、大聖堂の外に詰めかけた大勢の参列者のために巨大スクリーンで放映されたほか、国営テレビでも中継された。
2/25
■ホウイー・エプスタイン(ロック・べーシスト)
23日夜、ニューメキシコ州の病院で亡くなっていた。47歳。
死因は今のところ不明だが、エプスタインをサンタフェの病院に搬送した女性が当局に明らかにしたところによると、エプスタインはヘロインのほか、処方薬の抗生物質を摂取していた。
2001年にロックの殿堂入りした大御所バンド、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズに参加。バンド側は「ホウイーが死去したとの知らせを受け、かなりショックを受けている。我々がどれほど彼のことを好きで、そして、これからどれほど寂しくなるかは、言葉にするのが困難だ」との声明を発表した。
2/15
■吉村道明(元プロレスラー)
15日午前6時35分、呼吸不全のため神戸市北区の病院で死去。76歳。
近大相撲部の時代に学生横綱となり、卒業後プロレス入り。「火の玉」「闘将」「突貫小僧」の呼び名でファンに愛された。力道山やジャイアント馬場と一時代を築き、芸術的な「回転エビ固め」で人気を集めた。73年引退後は母校近大相撲部の指導にも当たっていた。
2/6
■宮下富実夫(音楽家)
6日午前2時26分、肺がんのため長野市の病院で死去、54歳。
70年代にロックグループ「ファーイーストファミリーバンド」のリーダーとして、喜多郎らとともに活躍。移住した米国でヒーリング音楽に関心を持ち、帰国後、売り上げ60万枚の「瞑想」など多くの作品を発表。映画「天河伝説殺人事件」の音楽を担当した。
2/5
■大倉芳郎(作詞家)
5日午前9時、前立腺がんのため東京都内の病院で死去、87歳。
代表作に伊藤久男さんの「山の煙」や春日八郎さんの「赤いランプの終列車」など。
1/25
■ノーマン・パナマ(米・映画監督、脚本家)米シカゴ出身。
13日、パーキンソン病による合併症のため米ロサンゼルスの病院で死去、88歳。
映画「アラスカ珍道中」(1946年)のギャグが連発する脚本で注目され、アカデミー賞にノミネートされた。ビング・クロスビーとダニー・ケイが共演した「ホワイト・クリスマス」(54年)などの脚本を手掛ける一方、コメディー映画「すてきな気持」(56年)の製作と監督、脚本を担当。「ダイアン・キートン/可愛い女」(75年)でも監督と脚本を務めた。
1/23
■ネル・カーター(米女優・歌手)
23日、ロサンゼルス郊外ビバリーヒルズの自宅で死去、54歳。過去に脳動脈瘤)の手術を受けたほか、糖尿病を患っていた。
ブロードウェー・ミュージカル「エイント・ミスビヘイビン」に出演し、78年トニー賞、同作品のテレビ放映で82年エミー賞をそれぞれ受賞した。舞台を中心に活躍したが、米国では80年代のテレビコメディー「ギミアブレーク」のレギュラー出演で親しまれた。「ヘアー」(79年)「スーパー念力マン」(81年)など映画にも出演している。
1/20
■ラス・デービッド(米・ジャズ演奏家)米中西部セントルイス
21日死去、89歳。
15歳で河川を往来する定期船のバンドのピアノ奏者に。1953年から79年にかけ地元ラジオ局のライブ番組に出演し人気を集めた。 ジョンソン元大統領の就任式で演奏するなど、歴代米大統領のために演奏活動を行った。
1/20
■安原 顕(編集者)。東京都出身。
20日午後5時27分、肺がんのため東京都内で死去。63歳。
早稲田大仏文科中退。中央公論社(現中央公論新社)の雑誌「海」「マリ・クレール」などの編集者として多くの作家を発掘したほか、思想、文芸に特色ある雑誌作りを担当し話題になった。出版界では「ヤスケン」「スーパーエディター」と呼ばれた。
同社退社後は書評誌「リテレール」編集長などを務めた。多彩な分野で歯に衣(きぬ)着せぬ辛口批評で知られた。最近はオンライン書店のホームページに書評と日記を連載、自らががんに侵されていることを公表した。
主な著書に「ふざけんな!」「まだ死ねずにいる文学のために」など。
1/20
■アルバート・ハーシュフェルド(米風刺漫画家)
20日、ニューヨークの自宅で死去、99歳。
マルクス兄弟からバーブラ・ストライサンドまで、ブロードウェーのスターを題材にした風刺漫画で知られる。作品は約70年にわたりニューヨーク・タイムズ紙の劇評欄に採用され、メトロポリタン美術館などに収蔵されている。舞台芸術を表彰するトニー賞の特別賞を1975年に受賞。娘ニーナの名前を漫画の中に隠すことでも有名で、国防総省がその名前探しをパイロットの訓練に利用したとの逸話も伝えられる。
1/20
■松田 定次(映画監督)
20日、老衰のため死去、96歳。
父は「日本映画の父」といわれた牧野省三氏。戦前、嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗」シリーズを手がけた、戦後は「旗本退屈男」や「新吾十番勝負」などの時代劇シリーズを監督した。
1/19
■田中明夫(俳優)
19日午後2時30分、肝不全のため神奈川県横須賀市の病院で死去。76歳。
16日、自宅で入浴中に意識不明となり、救急車で病院に運ばれていた。
57年に劇団四季に入り、舞台やドラマで存在感ある演技をみせた。
1/18
■ギャビン・ライアル(英国の冒険小説家)英国のバーミンガム
18日ロンドンで死去。70歳。
新聞記者、テレビディレクターなどを経て、1961年に作家デビュー。65年に刊行された冒険小説「深夜プラス1」で知られる。その他の著書に「もっとも危険なゲーム」や「影の護衛」「スパイの誇り」などがある。
1/17
■リチャード・クレンナ(米映画俳優)
17日、膵臓(すいぞう)がんのため死去、76歳。
映画「ランボー」シリーズの主人公の元上官役などで知られる。
オードリー・ヘプバーン主演の「暗くなるまで待って」(1967年)やマット・ディロン主演の「フラミンゴ・キッド」(84年)などに出演。85年にテレビ映画「犯られた刑事」でエミー賞を受賞した。
1/17
■関沢幸吉(ジャズ・トランペット奏者)東京都出身
17日午後1時10分、心不全のため東京都板橋区の病院で死去、88歳。
戦前、コミック・ジャズバンド「ハット・ボンボンズ」のリーダーとして人気を集め、戦後は「ジミー原田とオールド・ボーイズ」など有名バンドで活躍。日本のジャズ・トランペット奏者の草分け的存在。
1/16
■榎本滋民(劇作家)
16日夜、東京都調布市柴崎1で全焼した住宅の焼け跡から見つかった遺体は、警視庁調布署の調べで17日夕、、榎本滋民さん(72)と確認された。死因は全身やけどによる焼死で、同署で出火原因を調べている。
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警視庁調布署などの調べでは、榎本さんが行方不明になっており、亡くなったのは榎本さんではないかとみて身元の確認を急いでいる。榎本さんは妻と2人暮らし。出火当時、妻は買い物で外出中だった。
榎本さんは61年に新派の「花の吉原百人斬り」でデビュー。代表作に山田五十鈴のために書いた「たぬき―浮世節立花家橘之助」(74年)がある。大ヒットした「同期の桜」(67年)を新国劇に書く一方、新派にも「寺田屋お登勢」を提供。新作歌舞伎脚本にも「大江山鬼紙草紙」(75年)などがある。昨年秋、歌舞伎座の「上意討ち」も榎本さんの作品。古典落語にも造詣が深く、テレビ解説などを行うほか「鑑賞古典落語」「長屋歳時記」など著書多数。 榎本さんは日本演劇協会理事。戯曲「愛染め高尾」で77年度芸術祭大賞、同「鶴賀松千歳泰平」で98年に第27回大谷竹次郎賞を受賞した。[毎日新聞1月17日]
16日夜、東京都調布市柴崎1で全焼した住宅の焼け跡から見つかった遺体は、警視庁調布署の調べで17日夕、劇作家、榎本滋民さん(72)と確認された。死因は全身やけどによる焼死で、同署で出火原因を調べている。
1/16
■秋山庄太郎(写真家)東京都出身
16日、この日、林忠彦賞の審査中に倒れ
午後7時56分、東京都内の病院で死去、82歳。
原節子らのスターを撮影し、女性の優れた肖像写真で“女性専科の秋山”として知られた。人物、風景のほか、40歳ごろからは花を精力的に撮影。写真集は「花・女」「作家の風貌−159人」など多数。
1/15
■ドリス・フィッシャー(米・ポピュラー音楽の作曲家)ニューヨーク出身。
15日、米ロサンゼルス郊外の病院で死去、87歳。死因は明らかにされていない。
映画「ギルダ」(1946年)で主演のリタ・ヘイワースが歌った名曲「みんな彼女のせいにしな」の作曲で知られ、40年代半ばに「ジュークボックスの女王」といわれた。他のヒット曲にミルス・ブラザーズの「あなたはいつも」や「ブルースへの誘い」などがあり、エラ・フィッツジェラルドやビング・クロスビーらにも曲を提供した。
1/14
■ポール・モナシュ(米国の映画製作者、脚本家) ニューヨーク出身。
14日、米ロサンゼルスの自宅で死去、85歳。死因は明らかにされていない。映画「ザ・アンタッチャブル」(1959年)の脚本で注目され、「明日に向って撃て!」(69年)の製作総指揮を担当した。アクション映画「エディ・コイルの友人たち」(73年)では製作と脚本を手掛け、その後も「キャリー」(76年)や「ゴーストハンターズ」(86年)の製作陣に加わった。
1/14
■横須賀功光(写真家)横浜市出身
14日未明、脳出血のため東京都港区の事務所で死去、65歳。
60(昭和35)年に日大芸術学部を卒業。前田美波里をモデルにした資生堂のポスターなどで注目され、写真集に「射」「小夜子」「木村拓哉」などがある。
1/12
■深作欣二(映画監督)水戸市出身。
12日午前1時、前立腺がんのため東京都中央区の病院で死去、72歳。妻は女優の中原早苗。
1953(昭和28)年、東映に入社。73年から「仁義なき戦い」シリーズを手掛け、実録路線を開拓。作品の評価は高く興行的にも成功した。その後も「蒲田行進曲」(82年)で映画製作の舞台裏を映し出し、数多くの映画賞を受賞した。2000年の「バトル・ロワイアル」では中学生同士の殺し合いをリアルに描いて物議を醸したが、これが遺作となった。96年から日本映画監督協会理事長。97年に紫綬褒章を受章した。
昨年9月、がんに侵されていることを公表、新作「バトル・ロワイアル2」の製作に臨んだが、
1/11
■ミッキー・フィン(英ロックミュージシャン)
11日、ロンドン南部の病院で死去、55歳。死因は腎臓と肝臓の疾患とみられる。
1970年代前半に人気があったグラムロックのバンド「T・レックス」でボンゴ奏者としてボーカルのマーク・ボランとともに活躍した。
1/11
■モーリス・ギブ(米ビー・ジーズのメンバー)英国出身。
11日、米フロリダ州マイアミの病院で死去、9日に腸閉塞の手術を受けた後、容体が急変した53歳。
双子のロビンと兄のバリーの3兄弟でビー・ジーズを結成。1960年代前半から本格的に活動を開始し、「マサチューセッツ」(67年)がヒットした。 人気映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(77年)の挿入歌「愛はきらめきの中に」などを集めた、映画と同名のアルバムを発表。当時のディスコ・ブームに乗り世界中で大ヒットし、グラミー賞に輝いたほか、ロックンロールの名誉の殿堂入りを果たした。 他の代表的なアルバムに、映画「小さな恋のメロディ」(70年)の主題歌「メロディ・フェア」を収めた「オデッサ」や「スティル・ウォーターズ」などがある。
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■澤 蘭子(女優)仙台市出身。
11日午後11時55分、老衰のため京都市下京区の病院で死去、99歳。
宝塚歌劇団出身で、大正時代から帝国キネマなどで活躍。ヒロインを演じた1924年の映画「籠の鳥」は「会いたさ見たさに怖さを忘れ…」の歌とともに大ヒットを記録した。
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■森下直人(総合格闘技「PRIDE」社長)
9日午前零時45分ごろ、新宿区西新宿6丁目のホテルの客室内で首をつって死亡しているのが見つかった。42歳。 警視庁新宿署は自殺とみており、詳しい死因や動機を調べている。
PRIDEは、K−1とともに現在の格闘技人気のけん引役。ルールは、キックボクシングスタイルのK−1に対し、かみつきや目つぶし、急所攻撃を除く、ほぼ何でもありの「バーリ・トゥード」と呼ばれる総合格闘技。第1回大会「PRIDE・1」は1997年10月に東京ドームで開催。昨年暮れに引退した高田延彦、桜庭和志や、ヒクソン・グレイシーを頂点とするブラジルの「グレイシー一族」など、数々の強豪、スターを次々に参戦させ、驚異的な観客動員数を誇っている
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■ロン・グッドウィン(英作曲家)
8日夜、ロンドン西方レディング近郊の自宅で死去。77歳。死因は明らかにされていないが長年喘息を患っていた。 1960年代を中心に約60本の映画で音楽を手掛けた。「素晴らしきヒコーキ野郎」「荒鷲の要塞」「フレンジー」などが代表作。楽団を率いて多くのアルバムを発表したほか、指揮者としても活躍した。
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■村上兵衛(評論家、作家)島根県出身。
6日午前8時26分、肝不全のため東京都文京区の病院で死去、79歳。
自宅は東京都中野区東中野3の16の18の908。
陸軍士官学校、東大卒。三浦朱門氏らと第15次「新思潮」同人となって作家生活に入る。1956年に発表した論文「戦中派はこう考える」「天皇の戦争責任」で戦中派世代の旗手として注目され、以後評論分野で活躍した。著書に「桜と剣」「繁栄日本への疑問」など。
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■ジーン・カー(米国の作家、脚本家) 米ペンシルベニア州出身。
5日、肺炎のためニューヨーク郊外の病院で死去、79歳。
1957年に出版したエッセー「ひな菊を食べないで」がベストセラーを記録、60年にはドリス・デイ主演で映画化された。脚本を担当した演劇「メアリー、メアリー」は61年から64年にかけブロードウェーで上演され大ヒットした。
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