★1999年  ★2000年  ★2001年  ★2002年 ★2003年  ★2004年  ★2005年  ★2006年  ★2007年  ★2008年  ☆2009年

2008年地球号を降りたあの人この人、気になる人々

★1999年〜2008年

12/30
■バーニー・ハミルトン(米俳優)ロサンゼルス
30日、心不全のため米ロサンゼルスの病院で死去、80歳。
10代で家出し、オークランド工業高校に通う。70年代テレビドラマ「刑事スタスキー&ハッチ」シリーズで、主役の刑事2人の上司役を演じ、人気を得た。その後音楽プロデューサーに転じる。


12/29
■フレディ・ハバード(米ジャズトランペット奏者)インディアナ州インディアナポリス
29日、心臓発作のため死去、70歳。
58年ニューヨークに移り住み、オーネット・コールマン、エリック・ドルフィー、ソニー・ロリンズらと共演。60年代初頭ブルーノート・レコードで広範な録音を残す。70年ブルーノートにおける初レコーディングが初リーダー作という破格のデビューをはたす。その後70年代ハービー・ハンコック率いるフリー・バップ・バンド「VSOP」のメンバーとなる。

12/25
■ジャスティン・エイラーズ(米総合格闘家)イダホ州ボイズ
25日、アイダホ州キャニオン・カントリーの知人宅で死去、30歳。
口論ののち銃で胸を撃たれた
アイダホ州立大でアメフト選手をしたのち、格闘家ジェンス・パルヴァー(Jens Pulver)と出会い、格闘家に転身。02年MMA(Miletich Martial Arts)デビュー。スピードにあるファイターとして知られた。MMA所属で戦績は19勝7敗1分。185cm、107kg。
12/25
■アーサ・キット(米歌手、女優)サウスカロライナ州ノース
25日、コネティカット州で結腸癌のため死去、81歳。
母は先住民族(インディアン)のチェロキー族系、と父は白人。16歳でロシア系ユダヤ人ダンサーのキャサリン・ダンハムの黒人舞踊団(Katherine Dunham Company)に参加。ダンサーから歌手になり、50年オーソン・ウェルズの映画でデビュー。映画やテレビで活躍。代表曲に「セ・シ・ボン」や「サンタ・ベイビー」など。テレビでは60年代「バットマン」シリーズでキャットウーマン役を務めた。ベトナム戦争への反対発言でも知られた。
12/24
■ハロルド・ピンター(英劇作家、ノーベル文学賞受賞)ロンドン北東部ハックニー
24日、死去、78歳。
ユダヤ系ポルトガル人。51年舞台俳優を始め、57年初戯曲「部屋」を執筆し、劇作家に転身。59年「管理人」で劇作家の地位を確立した。
追い詰められた人間を客観視し、乾いた笑い誘う作風。不条理演劇の大家と評される。代表作に「昔の日々」「誰もいない国」など。映画「フランス軍中尉の女」「スルース」などの脚本も執筆した。05年ノーベル文学賞を受賞。99年北大西洋条約機構(NATO)のユーゴスラビア空爆に抗議。03年イラク戦争開戦にも反対の立場を示す。主導したブッシュ米大統領とブレア英首相(当時)を「戦争犯罪人」と呼び、国際刑事裁判所(ICC)に訴追するよう訴えた
12/23
■早乙女貢(作家)満州(現中国東北部)ハルビン
23日、胃癌のため神奈川県鎌倉市の病院で死去、82歳。
46年九州に引揚げ。48年上京し山本周五郎に師事。慶応大中退。55年「泉の会」に所属し、伊藤桂一、尾崎秀樹らと同人誌「小説会議」を創刊。歴史小説「鬼の骨」「叛臣伝」で直木賞候補。65年有馬頼義主催の「石の会」に参加。69年「僑人の檻」で直木賞。歴史・時代小説作家として、敗者の側から幕末・維新史をとらえ直した作品を発表。会津藩の苦難を描いた「会津士魂」「続会津士魂」は月刊誌の連載が31年間続き、全21巻を数えた。同作幕末編で吉川英治文学賞を受賞。ほかの作品に「わが師山本周五郎」など。
12/21
■デイル・ワッサーマン(米脚本家)ウィスコンシン州
21日、鬱血性心不全のためアリゾナ州パラダイスバレーの自宅で死去、94歳。
ロサンゼルスの高校を中退。19歳から劇場で働く。「ドンキホーテ」の作者セルバンテスを主人公にしたミュージカル「ラ・マンチャの男」の脚本を執筆。65−71年までニューヨークでロングラン公演され、トニー賞を受賞。日本では松本幸四郎が1000回以上の公演を行っている。他の代表作「カッコーの巣の上を」「愛と死の果てるまで」など。

12/20
■ロバート・マリガン(米映画監督)ニューヨーク・ブロンクス
20日、心臓疾患のためコネティカット州ライムの自宅で死去、83歳。
フォーダム大学で学ぶ。第2次大戦中は米海軍に所属。その後ニューヨークタイムズ紙やCBSで働く。
57年監督デビュー。62年作家ハーパー・リーのピュリツァー賞受賞作を映画化した「アラバマ物語」で主演のグレゴリー・ペックがアカデミー主演男優賞を受賞。91年リース・ウィザースプーン初出演の映画「マン・イン・ザ・ムーン/あこがれの人」が最後の作品となった。他の作品に57年「栄光の旅路」、64年「ハイウェイ」、82年「キスミーグッバイ」。
12/19
■翁家さん馬(落語家)群馬県太田市
19日、腎臓癌のため東京都内の自宅で死去、67歳。62年9代目桂文治に弟子入り、前座名は文太。66年二つ目昇進で、文七に改名。79年真打ちに昇進、10代目翁家さん馬を襲名。
12/18
■若杉光夫(演出家で映画監督)大分県
18日、呼吸不全のため神奈川県相模原市の病院で死去、86歳。
京都大学法学部卒。47年大映京都撮影所に入所。本村恵吾監督「痴人の愛」、黒沢明監督「羅生門」、丸根賛太郎監督「月の出の決闘」など20数本の助監督を務める。50年レッド・パージで退社。51年島耕二監督「ある夜の出来事」の助監督を経て、劇団民藝演出部に入団。主な作品に60年映画「ガラスの中の少女」や66年演劇「私のかわいそうなマラート」、84年「白夜」(ドストエフスキー作)など。妻は女優の故南風洋子。
12/17
■飯島 愛(元タレント)東京都江東区
24日、自宅マンションで午後居間でうつぶせに倒れて死亡しているところを知人女性に発見された。36歳。
死後約1週間が経過していた。
警視庁渋谷署は自殺か病死とみて詳しい死因を調べている。
92年AV女優としてデビュー。90年代前半深夜番組「ギルガメッシュないと」で“Tバックの女王”と呼ばれる。93年「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。その後トーク番組等でバラエティタレントとして活躍。00年半自伝的な小説「プラトニック・セックス」を出版、150万部を超すミリオンセラーになった。飯島が口にする「ワタシ(私)的には…」は同年の新語・流行語大賞トップテンに入賞した。07年3月芸能界を引退。08年月宇都宮市でエイズ啓発イベントに出演していた。
12/17
■上田 哲(元社会党衆院議員)東京都
17日、肺炎のため東京都文京区の病院で死去、80歳。
京都大学法学部卒業後、高校非常勤講師(英語科)を経てNHKに入局。社会部記者、日本放送労働組合委員長、全日本マスコミ共闘会議初代議長などを務める。68年参院選全国区で石原慎太郎、青島幸男につづき3位で初当選。79年衆院議員に転じ、5期務めた。93年衆院選で落選した後、小選挙区比例代表並立制を受け入れた社会党の対応を批判し離党。護憲を掲げて新党「あかつき」を結成、委員長に就任。95年東京都知事選に出馬したが落選した。03年医師で作家のなだいなだのバーチャル政党老人党に賛同し、落語家(立川流家元)立川談志・探検家西丸震哉とともに老人党東京を結成した。
12/17
■ジャスティン・レーベンス(米総合格闘家)ペンシルベニア州フィラデルフィア
17日、カリフォルニア州ラグーナニゲルで死去、28歳。
自宅で妻とともに死亡しているところを発見された。銃で撃たれたあとがあり、警察は自殺と他殺の両面から捜査している
04年格闘家としてデビュー。ヘクター・カリロ(Hector Carrilo)に勝利し初戦を飾る。7連勝ののち、07年スコット・スミス(Scott Smith)戦で初の敗北。通算9勝8敗。慎重178cm、体重93kg。
12/14
■アーチボルト・カール・コーチャン(元ロッキード社副会長)ノースダコタ州カーミット
14日、カリフォルニア州パロ・アルトで死去、94歳。
スタンフォード大学卒。41年ロッキード社に入社。76年米上院公聴会でロッキード社の航空機を売り込むため各国の政府関係者に巨額の資金を渡していたと証言。日本の検察当局が事情聴取を求めたが刑事訴追を恐れて拒否。検察が刑事免責を与え、東京地裁が米裁判所に依頼して行われた嘱託尋問で、全日空にトライスター機を売り込むための田中元首相への贈賄工作について詳述した。ロッキード事件の「丸紅ルート」で、故田中角栄元首相が受託収賄罪で起訴されるきっかけとなった。
12/12
■サム・ボトムズ(米俳優)カリフォルニア州サンタバーバラ
16日、脳腫瘍のためロサンゼルスの自宅で死去、53歳。
10歳から演劇学校に通い、夏期レパートリー劇団を卒業。71年俳優の兄ティモシーが主演した映画「ラスト・ショー」でデビュー。79年フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」で元サーファーの兵士役を演じた。
12/12
■宮川一郎(脚本家)岐阜県
12日、急性心不全のため東京都内の病院で死去、83歳。
新東宝、東映を経てフリーとなる。人気時代劇「水戸黄門」をはじめ「銭形平次」「水戸黄門」「大岡越前」、中川信夫監督の映画「地獄」などの脚本を手掛けた。06年に橋田賞の特別賞を受けた。
12/12
■バン・ジョンソン(米映画俳優の)東部ロードアイランド州ニューポート
12日、老衰のためニューヨーク州の介護施設で死去、92歳。
高校卒業後、ブロードウェイの舞台俳優や歌手などをへて映画界入り。40−50年代に多くのハリウッド映画に出演し、青春スターとして人気を博した。代表作に43年「町の人気者」「キュリー夫人」、44年「東京上空30秒」、54年「雨の朝巴里に死す」、55年「情事の終り」などがある。60年代以降は舞台俳優としても活躍、85年ウディ・アレンの映画「カイロの紫のバラ」に出演した。
12/11
■ベティ・ペイジ(米モデルで女優)テネシー州ナッシュビル
11日、肺炎で入院した後、心臓発作を起こし、意識不明の状態だった。米ロサンゼルスで死去、85歳。
50年代肌を露出したボンテージファッションで売り出し、ボンデージ・マグと呼ばれるSM系の雑誌に多く出演したためにボンデージ・モデルの草分け的存在として認知されている。55年雑誌「プレイボーイ」に登場。当時としては刺激的なポーズが男性ファンを魅了。一方で55年一部の州議員が始めたポルノ追放キャンペーンを行ったことで、批判の対象にもなり、失踪し行方不明となった。
70年代の終わりに再評価の機運が高まり、写真集や伝記が発売された。93年メディアに再登場。05年グレッチェン・モル主演の映画「The Notorious Bettie Page」が公開されている。
12/8
■若井はやと(漫談家)大阪市南区
8日、心不全で死去、64歳。
高校の同級生だった阿部龍弥(のちの若井ぼん)とともに、62年若井はんじ・けんじに入門。漫才コンビ「若井ぼん・はやと」として新世界の新花月でデビュー。「しっつれいしました」などのギャグで人気を得た。68年コンビで上方漫才大賞新人賞、77年同大賞奨励賞を受賞。
84年角座閉鎖により活躍の場が失われ、85年コンビ解散。漫談家として活動を続けていた。
12/6
■遠藤実(作曲家、日本作曲家協会会長)東京都
6日、急性心筋梗塞のため東京都中央区の病院で死去、76歳。
戦争中の小学校5年生のとき新潟県に疎開、小学校高等科を卒業し農家を手伝う。49年上京、流しの演歌師をしながら独学で作曲を学んだ。57年藤島桓夫が歌った「お月さん今晩は」のヒットで世に出た。その後、島倉千代子「からたち日記」や舟木一夫「高校三年生」、山本リンダ「こまっちゃうナ」、千昌夫「星影のワルツ」「北国の春」、森昌子「せんせい」、渡哲也「くちなしの花」の流行歌を生んだ。哀調を帯びたメロディーは多くの人の共感を呼ぶ一方、民謡と歌謡曲を融合した「アキラのズンドコ節」など快活なリズム歌謡も得意とした。94年日本レコード大賞功労賞を受賞し、遠藤実歌謡音楽振興財団を設立。新潟市に音楽資料館「実唱館」を開設した。05年から日本作曲家協会会長を務めていた。
12/5
■加藤周一(評論家)東京都
5日、多臓器不全のため東京都世田谷区の病院で死去、89歳。
東京大学医学部(血液学専攻)卒。42年中村真一郎や福永武彦らと新しい詩の運動グループ「マチネ・ポエティク」を結成。戦後に共同出版した「1946・文学的考察」で注目される。58年第2回アジア・アフリカ作家会議参加を機に医師を辞め、評論と創作活動に専念する。日本文化の雑種性を指摘した「雑種文化」や自伝「羊の歌」、共同研究「日本人の死生観」を著す。日本文化の特性を指摘した56年「雑種文化論」は大きな話題を呼んだ。サルトルをはじめ、欧州の知識人との交流も深く、戦後民主主義を代表する日本の知識人として知られた。80年「日本文学史序説」で大佛次郎賞受賞。反戦平和と核兵器廃絶を訴え、04年鶴見俊輔、や大江健三郎らと「九条の会」を結成した。平凡社大百科事典の編集長を務めたほか、上智大教授、東京都立図書館長、立命館大国際平和ミュージアム館長などを歴任。米国などの大学でも教壇に立った。
12/5
■桃山晴衣(音楽家)東京
5日、胸部腫瘍のため愛知県日進市の病院で死去、69歳。
6歳で三味線を始める。19歳の頃から池袋の天才少女と騒がれ、三味線の弾き語りなどで活躍。60年芸と文化を考える「於晴会」を結成、機関誌「桃之天天」を発行。桃山流を創立し家元となる。平安時代の歌謡集「梁塵秘抄」の復刻に取り組み、国内外でコンサートを開くなどして現代によみがえらせた。著書に「梁塵秘抄 うたの旅」など。夫はパーカッショニスト土取利行。
12/4
■フォレスト・アッカーマン(米国sfホラー雑誌編集者)ロサンゼルス
4日、心不全のため米ロサンゼルスの自宅で死去、92歳。
小説「華氏451度」の作家レイ・ブラッドベリを見いだし、ドイツのSFシリーズ「ペリー・ローダン」のアメリカン版権人でもある。5万冊以上のSFやホラー関係の書物の収集家だった。自宅の通称「アッカーマンション」は私設「SF、ホラー博物館」で、世界中のファンが訪れる聖地になっている。58年怪奇映画専門誌「FAMOUS MONSTERS OF FILMLAND」を創刊し、25年間編集長を務めた。SFを意味する「Sci-Fi」という言葉を発案した。
12/4
■寺島幹夫(俳優・声優)福井県
4日、埼玉県所沢市の病院で死去、77歳。
1960年代には、若松孝二監督の作品に多数出演した異能の俳優として知られていた。1970年代より、活躍の場を声優に移す。 テレビアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」のベルクカッツェ役などで声優として活躍したほか、映画「壁の中の秘事」や「日本の夜と霧」などに出演した。
12/2
■オデッタ(米フォーク歌手)ラバマ州バーミングハム
2日、ニューヨーク市内の病院で心臓疾患のため死去、77歳。腎不全で3週間前に入院していた。
ロサンゼルス育ち。クラシック発声法による歌声とギターで50年代から聴衆を魅了。ハリー・ベラフォンテ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズらに大きな影響を与える。黒人や農民、肉体労働者を題材とした歌が多く、ローザ・パークスら公民権運動指導者からも絶賛された。政治的なメッセージを持った最初のアフリカン・アメリカン・フォーク・シンガー。63年アルバム「Odetta Sings Folk Songs」はじめ、グラミー賞3回ノミネート。
11/30
■天野哲夫(著述家)福岡県
30日、肺炎のため東京都内の自宅で死去、82歳。
新潮社に校正者として勤務しながら小説などの著述を続けた。56年から「奇譚クラブ」に連載された戦後最大の奇書「家畜人ヤプー」の著者。82年著者であると名乗り出た。天野哲夫の宣言は虚偽ではないかとの指摘があり、議論は紛糾した。未来の宇宙帝国で日本人男性が家畜として使役されるというSF。著書に「禁じられた青春」「異嗜食的作家論」がある。
11/27
■俵萠子(評論家、エッセイスト)大阪市
27日、肺炎のため東京都渋谷区の病院で死去、77歳。
父は建築家の中野順次郎。大阪外国語大学フランス語学科を卒業。産経新聞社で記者として勤務後、65年退社。77年日本社会党参議院議員田中寿美子・評論家吉武輝子らとともに「政治を変えたい女たちの会」を結成。同年参院選に革新自由連合公認で東京都選挙区から立候補するが落選。81−85年日本初の準公選で東京都中野区教育委員を務めた。01年自らの乳癌体験から乳房をなくした女性らが温泉にいっしょに入浴し、交流を深めるグループを結成。06年全国の癌患者団体で組織する「がん患者団体支援機構」の理事長となる。主な著書に「子どもの世話にならずに死ぬ方法」「俵萠子の教育委員日記」など。
産経新聞時代の同僚・俵孝太郎と結婚し1男1女をもうけたが離婚。戸籍上は旧姓の「中野」に戻したが筆名として「俵」の名字を使用している。
11/30
■樋口宗孝(ミュージシャン)奈良市
30日、肝細胞癌のため大阪市内の病院で死去、49歳。
大阪府立藤井寺高等学校卒。ヘヴィメタルバンド「レイジー」のメンバーとしてデビュー。81年「レイジー」を解散し、ギタリスト高崎晃らとロックバンド「ラウドネス」を結成、リーダー兼ドラマーを務めた。米国でも、アルバムがヒットチャートに入るなど人気を集める。94年「ラウドネス」脱退。二井原実と「SLY」を結成。98年「レイジー」再結成、「ブラッドサーカス」結成。00年「ラウドネス」に再加入した。
11/29
■金子静枝(切り絵作家)兵庫県
29日、肝不全のため東京都武蔵野市の病院で死去、79歳。
52年武蔵野美術学校西洋画科卒。刺繍デザイナーをしながら切り絵を始める。手工芸美術展入賞。日本きりえ協会の創立メンバー。著書に「きりえの想い」「きり絵・スケッチ西から東へ」など。反戦活動家でミニコミ研究家の金子徳好は夫。映画監督の金子修介は長男。脚本家の金子二郎は次男。
11/26
■エドナ・パーカー(世界最高齢の米女性)州中部モンロー郡モーガンカントリーの農家
26日、米中西部インディアナ州シェルビービルの介護施設で死去、115歳7カ月。
フランクリン大学で教師の資格取得。スミスランで2クラスしかない学校の教師を務めた。11年隣家に住むアール・パーカーと結婚、退職。39年夫が死去。その後は1人暮らし。100歳の時に息子に引き取られ、その後は介護施設で暮らしていた。
2人の息子はすでに死去したが、孫5人、曾孫13人、玄孫13人がいるという。
11/25
■ウィリアム・ギブソン(米劇作家)ニューヨーク市
、25日米東部マサチューセッツ州の自宅で死去、94歳。
大学(City College)で創作を学んだ後、小説家として出発、劇作家に転じ、59年ブロードウェーでヘレン・ケラーと女性家庭教師アン・サリバンの交流と葛藤を描いた戯曲「奇跡の人」が大ヒットし、トニー賞作品賞を受賞。62年映画化。
11/25
■小林広司(映画監督・プロデューサー)神奈川県
25日、肺癌のため東京都世田谷区の自宅で死去、51歳。
「J・MOVIE・WARS」シリーズのプロデューサーとして活躍。97年「林檎のうさぎ」で監督デビュー。同年カンヌ国際映画祭で新人賞を受賞した河瀬直美監督「萌の朱雀」を共同製作した。
11/24
■浦岡敬一(映画編集者)静岡県
24日、静岡県内の病院で死去、78歳。
小林正樹監督「人間の条件」「東京裁判」、大島渚監督「青春残酷物語」、深作欣二監督「軍旗はためく下に」、今村昌平「復讐するは我にあり」「ええじゃないか」、杉田成道監督「優駿」などの映画編集を手がける。
日本映画編集協会(現:協同組合日本映画・テレビ編集協会)の初代理事長などの立場で、映画編集者の地位確立に努めた。
11/23
■野口悦男(温泉ジャーナリスト)埼玉県日高
23日、胸部大動脈乖離破裂のため東京都内の自宅で死去、60歳。
国学院大学法学部を中退。山岳やスキーなどのアドベンチャーカメラマンとして活動。世界91カ国を旅し、ヒマラヤのナンダ・デビィ山域で世界初のスキーによる縦走に成功。00年全国3000湯の温泉入湯を果たす。秘湯取材の草分けの1人。水を加えたり、循環させたりしない温泉のことを指す「源泉かけ流し」という呼び方を定着させた。日本温泉遺産を守る会代表。著書に「日本百名湯 源泉の宿」など。
11/22
■松下砂稚子(文学座俳優)神奈川県
22日、胃癌で死去、74歳。
53年文学座研究所に入所。55年「シラノ・ド・ベルジュラック」で初舞台。81年度「一九八一・嫉妬」「三人姉妹」で紀伊国屋演劇賞・個人賞を受賞。「欲望という名の電車」のステラ役など劇団内外の舞台に幅広く出演。91年「薔薇の花束の秘密」で芸術祭賞を受賞。新劇から商業演劇まで舞台を中心に幅広く活躍した。
11/21
■山田 泉(元中学養護教諭)大分県豊後高田
21日、乳癌のため死去、49歳。
79年養護教諭となる。県内の7小・中学校に勤務。00年2月乳癌を発症し休職。左乳房の温存手術等をへて、2年後の02年4月に復職。同市内の中学で「いのちの授業」を始め、ハンセン病回復者ら多彩なゲスト32人を呼び命の大切さを訴えた。05年11月再発。再手術を受け、休職。06年10月復職したが、07年3月退職。その後自宅を「保健室」として開放し、子供の相談にのるほか“人間と性”教育研究協議会会員(豊後高田サークル代表)、オ−ドリーの会(おおいた乳癌患者の会)代表を務めるた。著書に「『いのちの授業』をもう一度」、共著に「ひとりぼっちじゃないよ──はじめての乳癌を生きるための知識とこころ」がある。
11/19
■茶谷正洋(建築家、東京工業大名誉教授)広島
19日、喉頭癌のため東京都渋谷区の病院で死去、74歳。東京・大森育ち。56年東京工業大学を卒業。
大成建設設計部、建設省建築研究所研究員を経て、67年工学博士号取得。69年東京工業大学助教授、77年ワシントン大学客員助教授、80年東京工業大学教授。その後、法政大学や静岡文化芸術大学教授を務めた。有限会社オリガミックアーキテクチャーを設立、同社長となる。81年一枚の紙から建築物や風景、動物などの様々な造形物を表現する「折り紙建築」を考案する。その後「Origamic Architecture」として世界中に広まり、関連書籍なども多く刊行された。
11/12
■ミッチ・ミッチェル(英ドラマー)ロンドン郊外のアーリング
12日、ツアーで訪れていた米オレゴン州ポートランドで死去、61歳。ホテル客室で亡くなっているところを発見された。
幼少時からテレビドラマなどの子役として活動。14歳でドラムを始め、セッション・ドラマーとなる。その後、モッズ・バンド「ライオットスクワッド」に参加。メンバーには後にディープパープルを結成するジョン・ロードがいた。66年米国の伝説的ロックギタリスト、ジミ・ヘンドリックスを中心とした3人編成のバンド「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を英国で結成。ドラムを担当する。デビューシングル「Hey Joe/Stone Free」をリリースし、全英4位のヒットを記録。69年同バンドを解散し、ジミーらと新たに「ジプシー・サンズ&レインボウズ」として活動を開始する。69年8月6人編成でウッドストック・フェスティバルに出演し、音楽史に残る名演「The Star-Spangled Banner」(アメリカ合衆国の国歌)を演奏した。しかし、その後まもなく解散した。04年「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス・オフィシャル・トライビュート・バンド」として初来日。
11/11
■加藤一郎(民法学者、東京大学元学長・同名誉教授)東京都
11日、肺炎のため東京都世田谷区の病院で死去、86歳。
43年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。96年横浜経済専門学校(現:横浜国立大学)講師、48年東京大学法学部助教授、57年同教授、ハーバード大学ロースクール留学を経て、68年東京大学法学部長。68-69年まで東大紛争時に学長代行、学長として収拾に当たった。69-73年まで東大総長。78-83年まで東京大学社会科学研究所教授併任。民法学の権威で、政府の審議会委員を歴任。96年選択的夫婦別姓の導入を法相に答申した法制審議会の民法部会長を務める。成城学園長も務めた。民主党衆院議員小宮山洋子は実娘。元自民党参院議員青木一男は岳父。
11/10
■デイヴ平尾(歌手)横浜市
10日、横浜市の病院で死去、63歳。食道癌のため入院治療中だった。
高校時代からバンドを始める。66年7月4カ月間アメリカ放浪。帰国後「ザ・ゴールデン・カップス」結成し、67年リーダー兼ボーカルとしてデビュー。本格的なリズム&ブルースを演奏するグループサウンズで「長い髪の少女」「愛する君に」「銀色のグラス」などのヒット曲を飛ばした。72年解散。79年コンサート「デイヴ平尾と仲間達」を行い、ミッキー吉野や柳ジョージ等カップスのメンバーも友情出演した。83年アルバム「横浜ルネッサンス」をリリース。82年六本木にライヴハウス「ゴールデン・カップ」を開店。03年「ザ・ゴールデン・カップス」再結成。
11/9
■ミリアム・マケバ(南ア女性歌手)ハネスブルクの黒人居住区
9日、イタリアで公演中に心臓発作で倒れ南部ナポリ近郊の病院で死去、76歳。
地元のマフィア型犯罪組織撲滅に向けたチャリティーコンサートで約30分間歌った後で倒れた。
59年反アパルトヘイトの記録映画に主演。このため南ア政府により市民権剥奪。その後欧米やギニアで音楽活動を続け、アパルトヘイト(人種隔離)政策に抗議する歌を数多く歌い「ママ・アフリカ」と呼ばれた。米国の音楽市場には、スティーブ・アレンの後押しで進出。66年ハリー・ベラフォンテとの共作でグラミー賞を受賞。67年には11年前に南アでレコーディングした「パタ・パタ」がヒットチャート入りした。76年国連で演説し、アパルトヘイトを批判。87年ポール・サイモン主催の「グレースランド・ツアー」に参加、反響を呼ぶ。90年ネルソン・マンデラ元南ア大統領が釈放され、約30年ぶりに帰国を許された。

11/9
■前田竹千代(芸人、チャンバラトリオ)大分県国東半島
9日、胃癌のため大阪市内の病院で死去、55歳。
大分県立高田高校卒業。会社勤めを経て松竹芸能タレント養成所に入る。漫才師の前田五郎に弟子入り。79年漫才コンビ前田竹千代・犬千代を結成。竹千代が笹竹をもってきて神と仰ぐコント風の漫才を演じる。81年NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞。コンビ解散後、チャンバラトリオに山根伸介に弟子入り。94年付き人から正式にチャンバラトリオのメンバーとなる。
11/?
■ジミー・カール・ブラック(米ドラマー)テキサス州エル・パソ
?日、肺癌のためロンドンで死去、70歳。
インディアンの末裔。ロンドンを基点としたフランク・ザッパのバンドに参加。初期マザーズ・オブ・インヴェンションのドラマーとして活躍。
11/7
■筑紫哲也(ュースキャスターで元新聞記者)大分県日田市
7日、肺癌のため死去。73歳。2007年5月TBS報道番組「筑紫哲也 NEWS23」で肺癌を告し、闘病生活を送っていた。
早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。59年朝日新聞社に入社。68年米軍統治下の沖縄特派員として返還交渉を取材。米国ワシントン特派員時代に当時のニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件を取材した。その後外報部次長、編集委員などを歴任。77-82年テレビ朝日系報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」の司会者、84-874年まで雑誌「朝日ジャーナル」編集長を務めた。編集長時代に「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」など連載企画を打ちだし、「新人類」という言葉を生んだ。89年朝日新聞社を退職。TBS系報道番組「NEWS23」のメーンキャスターに抜擢され、07年まで務めた。このほか早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授、立命館大学客員教授を務めた。
11/4
■マイケル・クライトン(米作家)イリノイ州シカゴ
4日、癌のためロサンゼルスで死去、66歳。
ハーバード大学で人類学を専攻、同卒業後に同大ハーバード・メディカルスクールを卒業。65年処女作「殺人グランプリ」を執筆し、67年ジョン・ラング名義で出版。68年ジェフリー・ハドソン名義で医学ミステリー「緊急の場合は」を執筆、米探偵作家クラブ賞を受賞。69年医学博士号を取得。同年マイケル・クライトンの名で出版した「アンドロメダ病原体」がベストセラーとなる(71年星雲賞海外長編賞受賞)。90年「ジュラシック・パーク」を発表。スティーヴン・スピルバーグ監督が映画化し、恐竜ブームを起こした。このほか「ロストワールド」「ターミナルマン」「北人伝説」「ディスクロージャー」「タイムライン」などの作品がある。作品は世界で1億5000万部以上が売れた。このほか映画作品では73年「ウエストワールド」、79年「大列車強盗」、84年「未来警察」を監督・脚本。テレビドラマ「ER 緊急救命室」の制作も手掛けた。
11/3
■佐伯 亮(作曲家・編曲家)東京都
3日、左尿管癌のため東京都文京区の病院で死去、70歳。
明治大学在学中にマンドリン倶楽部で活動。60年卒業後、古賀政男のアシスタントとして作曲活動を開始。61年コロムビア専属となる。62年美空ひばりに提供した「恋の曼珠沙華」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。65年編曲を手がけた美空ひばりの「柔」でレコード大賞受賞。06年同じく氷川きよしの「一剣」でレコード大賞を受賞。ほかに石川さゆり、八代亜紀、都はるみらに曲を提供。佐伯亮と馬場良の2つのネームにより、手がけた作品は5000曲以上にのぼる。
11/3
■ジャン・フルネ(仏指揮者、東京都交響楽団名誉指揮者)仏ルーアン
3日、オランダで死去、95歳。
パリ音楽院首席卒業。指揮及びフルートをフィリップ・ゴベールに師事。36年ルーアンで指揮者デビュー。ドビュッシーやベルリオーズなどを得意とし、正統派の名演を数多く残した。44年フランス国立放送管弦楽団常任指揮者及びパリ・オペラ=コミック座音楽監督。45年からエコール・ノルマル音楽院で指揮を教授。58年に初来日。日本フィルハーモニー交響楽団とドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」を日本初演。61年オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者。現終身指揮者。68―73年ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督。05年12月都響でブラームスの交響曲を振ったのが引退公演で、現役としては92歳の最高齢指揮者だった。
11/2
■ウィリアム・ストール(米ジャーナリスト、ピュリツァー賞受賞)ワイオミング州
2日、米カリフォルニア州サクラメントの自宅で肺疾患の合併症のため死去、71歳。
ワイオミング大学在学中から記者活動を始める。60−75年までAP通信に所属。75年ロサンゼルス・タイムズに移り、以降約30年勤める。南カリフォルニア大学で教鞭もとった。04年シュワルツェネッガー知事が誕生したカリフォルニア州の政治情勢などに関する報道でピュリツァー賞を受賞。
11/1
■林田賢太(映画監督)
1日?、東京都世田谷区の事務所で死去、32歳。病気とみられるが死因は不明。
10月31夜仕事仲間と飲食後、自身が代表を務める映像制作会社の事務所に1人で向かった。5日朝関係者が遺体を発見した。死去したのは11月1日と推測される。
1976年大阪府吹田市生まれ。日本映画学校シナリオコース卒。在学中に監督した作品「東京フリーマーケット」で第4回インディーズ・ ムービーフェスティバルのグランプリを受賞。卒業後は脚本家池端俊策に師事。近親愛を描き劇場映画監督デビューで企画・脚本も担当した作品「ブリュレ」が公開中。シネバイタルパートナーズ代表。
10/31
■ジョン・デイリー(米映画プロデューサー)ロンドン
31日、米ロサンゼルスの病院で死去、71歳。
67年ショービジネスの世界に入る。84年「ターミネーター」、86年「プラトーン」「サルバドル 遥かなる日々」などの映画を製作総指揮。代表を務めた製作会社がプロデュースした13作品がアカデミー作品賞を受賞。
10/31
■スタッズ・ターケル(米作家)ニューヨーク
31日、米シカゴの自宅で死去、96歳。
ロシア系ユダヤ人。8歳で家族とシカゴに移り住む。シカゴ大学で法律を学ぶ。さまざまな職業を経て、ラジオ・パーソナリティやテレビ番組のホストとして活躍。56年初の著書「ジャズの巨人たち」出版。フォークソング、ブルース、オペラなど音楽への造詣の深さで知られた。85年第2次世界大戦を取り上げた著書「よい戦争」でピュリツァー賞を受賞。100人を超える普通の米国人にインタビューした「仕事!」など、オーラル・ヒストリーによる独自のインタビューのスタイルを確立した。他の著書に「インタビューという仕事」「人種問題」「アメリカの分裂」など。
10/30
■上田耕一郎(元参院議員で元共産党副委員長)神奈川県茅ヶ崎
30日、東京都内の病院で死去、81歳。
46年旧制一高在学中に日本共産党に入党。51年東京大学経済学部を卒業。「中野新報」の記者として地域のオルグ活動に取り組む。56年「戦後革命論争史」で左派論壇にデビュー。64年から党中央委員会に勤務。「前衛」編集長や「赤旗」編集局長を歴任。68年から党政策委員長を務める。74年参院選で東京地方区から出馬し当選、連続4期務める。98年参院選には不出馬、議員を引退。その後も党副委員長を続けた。
10/29
■青山光二(作家)神戸市
29日、肺炎のため東京都世田谷区の老人福祉施設で死去、95歳。
旧制三高時代をへて東京帝国大学美術史学科卒業。学生時代に織田作之助、太宰治らと親交を深める。35年織田らと同人誌「海風」を創刊、戦後作家活動に入る。48年「近代文学」の同人に参加し、短編「刃」を発表。56年「法の外へ」で直木賞候補。その後博徒などアウトローの世界を描くようになり、60年任侠ヤクザを描いた「修羅の人」で直木賞候補、小説新潮賞を受賞。76年「竹生島心中」で直木賞候補。80年大正末期の土木業者間の紛争を描いた「戦いの構図」で平林たい子文学賞を受賞。03年90歳で認知症の妻との生活を描いた「吾妹子哀し」で川端康成文学賞を受賞。他の作品に「小説織田作之助」「美よ永遠に」「われらが風狂の師」など。
10/28
■ニコラ・バタイユ(仏舞台演出家で俳優)パリ
28日、癌のためパリで死去、82歳。
50年パリのノクタンビュール座でイヨネスコの不条理劇「禿の女歌手」の初演で演出・出演。57年から有名小劇場ユシェット座に場所を移し、現在まで上演が続く。57年のルイ・マル監督「死刑台のエレベーター」など映画にも出演。日本でも「15の未来派の作品」などを演出。69年紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。NHKテレビのフランス語講座を担当した。
10/27
■フランク永井(歌手)宮城県
27日、肺炎のため東京都内の自宅で死去、76歳。
52年に上京、米軍基地でジャズを歌う。55年日本テレビ「素人のど自慢」の年間ベストワンに選ばれ、ビクターと契約。歌謡曲に転向し、作曲家吉田正に見いだされる。同年「恋人よ我に帰れ」でデビュー。57年、百貨店「そごう」東京店出店のイメージソングとして作られた「有楽町で逢いましょう」が大ヒットした。独特の低音が人気を博し、ムード歌謡を代表する歌手となる。61年「君恋し」で日本レコード大賞、71年芸術選奨文部大臣賞を受賞。NHK紅白歌合戦に26回連続出場。他のヒット曲に「夜霧の第2国道」、松尾和子とのデュエット「東京ナイト・クラブ」、「おまえに」など。85年自宅で自殺未遂、リハビリを続けていた。今夏、風邪で体調を崩し闘病中だった。
10/26
■トニイ・ヒラーマン(米ミステリー作家)オクラホマ州
26日、肺疾患のため死去、83歳。
オクラホマ大学卒業。新聞社勤務をへて、ニューメキシコ州立大学のジャーナリズム学部長に就任。70年リープホーン警部補シリーズ第1長編「祟り」でデビュー。74年同第2長編「死者の舞踏場」で米探偵作家クラブ(MWA)賞の最優秀長編賞を受賞。88年同第7長編「魔力」でアンソニー賞を受賞、 長編「時を盗む者」でマカヴィティ賞を受賞。91年米探偵作家クラブ(MWA)賞の巨匠賞を受賞。一貫して米原住民のインディアン社会をテーマに作品を描き、87年ナヴァホ文化の優れた理解者に与えられる「Special Friend of Dineh Award」を受賞。■
10/25
■ジェラルド・ダミアノ(米ポルノ映画)ニューヨーク・ブロンクス
25日、心疾患による合併症によりフロリダ州フォートマイヤーズの病院で死去、80歳。
17歳から4年間、米海軍の所属。その後ニューヨークで美容院を開く。72年素人ばかりで映画「ディープ・スロート」を制作。性解放の流れに乗って興行的に大ヒットし、73年度興行成績で11位にランキングされた。しかし、「モラルの維持」を掲げるニクソン政権により関係者は一斉逮捕。その詳細は「インサイド・ディープ・スロート」(監督:フェントン・ベイリー,ランディ・バルバート)として映画化された。なお、ディープ・スロートの名は72年発覚のウォーターゲート事件で、ワシントン・ポスト紙の秘密情報源のニックネームにもなった。
10/20
■ジョー・ルーツ(元プロ野球広島監督)アイオワ州
20日、死去、83歳。脳卒中と糖尿病により闘病生活が続いていた。
米大リーグでは、51年セントルイス・ブラウンズで14試合に出場したのみ。72年クリーブランド・インディアンスのコーチとして米アリゾナ州でキャンプを張った広島東洋カープを指導。74年広島の打撃コーチとして来日。75年に監督就任。日本球界では初のメジャーリーグ出身監督となる。オフシーズンからの熱血指導と斬新なチーム改革により「球界の革命児」と呼ばれた。前年まで3年連続最下位だった帽子の色を「紺」から「赤」に変更。衣笠祥雄を1塁から3塁へ、高橋慶彦をスイッチヒッターに転向させたことでも知られる。同年4月27日の阪神戦で審判団と対立、シーズン序盤で帰国。通算成績は6勝8敗1分、勝率4割2分9厘。同年広島はリーグ初優勝。
10/19
■岩本えり子(サザンオールスターズ桑田佳祐の実姉)
19日、癌のため神奈川県内の病院で死去、56歳。
神奈川県茅ケ崎市の海岸の環境問題に取り組む市民団体「はまけい(茅ケ崎・浜景観づくり推進会議)」代表。両親は茅ケ崎市内で映画館や飲食店の経営。1975-96年まで米カリフォルニア州で暮らした。サザンの代表作「いとしのエリー」のモデルといわれる。桑田佳祐の楽曲「波乗りジョニー」「黄昏のサマー・ホリデイ」などで英語歌詞を補作するなど、音楽制作にも参加。05年茅ケ崎市内の「サザンビーチちがさき」として知られる海岸沿いに14階建て高層マンション建設計画が持ち上がった際、反対運動の先頭に立ち、建設計画変更を勝ち取った。
10/18
■ディー・ディー・ワーウィック(米ソウルミュージック歌手)ニュージャージー州ニュワーク
18日、死去、63歳。
60年代初めにディー・ディー・ワーウィックを名乗る。60年代にR&Bの曲「I'm Gonna Make You Love Me」などがヒット。
ディオンヌ・ワーウィックは実姉。
10/19
■塩次伸二(ギタリスト)福岡県
19日、心不全のため栃木県佐野市の病院で死去、57歳。18日ライブ(佐野市)前に体調が急変して病院に運ばれた。
71年同志社大学法学部在学中に京都で永井ホトケ隆、小堀正、山岸潤史、松本照夫と「ウェストロード・ブルースバンド」を結成。72年B.B.キング大阪公演のオープニング・アクトを始めとし、日本のブルースブームの中心的存在となる。75年ウエスト・ロード・ブルース・バンド脱退し、ソロ活動開始。87年初のソロ・シングル「ビッグ・タウン・ブルー」を発表。91年より自身のリーダーズ・セッション「ブルース・オン・ザ・コーナー」をスタート。
10/18
■デイブ・マッケンナ(米ジャズピアニスト)米北東部ロードアイランド州ウーンソケット
18日、肺癌のためペンシルバニア州ステイト・カレッジで死去、78歳。
66年ニューヨークからケープコッドに移り住む。スイングからモダンまで弾きこなし、ソロ演奏を得意とした。

10/17
■レヴィ・スタッブス(米R&B歌手でフォートップスのリードボーカル)デトロイト
17日、デトロイトの自宅で死去、72歳。
54年アブダル・フェイキル、ローレンス ・ペイトン、レナルド・ベイソンの4人組で「フォー・エイムズ」(Four Aims)としてデビュー。のちグループ名を「フォー・トップス」(Four Tops)に改める。64年「I Can’t Help Myself (Sugar Pie, Honey Bunch)」がビルーボード1位獲得し、モータウン・レコードの看板グループとなる。40曲以上がビルーボードのチャート入り。
10/18
■謝晋(中国映画監督)浙江省紹興
18日、中国浙江省紹興市上虞のホテルに宿泊中に呼吸停止して 死去いるのをホテル従業員が見つけた。心臓病を患っていたという。84歳。
南京国立演劇専門学校卒。その後、重慶で舞台活動。上海聨合電影在籍中に「控訴」で監督デビュー。60年「紅色娘子軍」で国内外の賞を獲得。64年「舞台の姉妹」は文化大革命により上映中止となり、自身も「労働改造所」に入れられる。文革後に活動を再開。87年中国文化大革命が地方の町にもたらした悲劇を描いた映画「芙蓉鎮」を監督。その後89年「最後の貴族」、日本人孤児をテーマにした91年「乳泉村の子」、97年「阿片戦争」など、中国の曲折した歴史を題材にした映画で評価を受ける。。94年中国初の私立映画俳優養成所「上海謝晋・恒通スター学校」を設立。黒沢明監督の影響を受けたとされ、80年中国映画代表団として訪日。06年年映画祭参加のため訪日。
10/16
■井上俊夫(詩人)大阪府寝屋川
16日、肺炎のため死去、86歳。
42年徴兵され中国で飛行師団気象部隊に所属。戦後、中国の捕虜収容所で1年過ごし復員。農民運動に参加。54年詩誌「山河」「列島」に参加、詩人の小野十三郎らと交流する。57年詩集「野にかかる虹」でH氏賞を受賞、農民詩人と評された。著書に詩集「従軍慰安婦だったあなたへ」ほか、エッセー「わが淀川」など。著書「八十歳の戦争論」など。06年日本現代詩人会の先達詩人に選ばれた。
10/13
■フランク・ローゼンタール(米カジノ経営者l)イリノイ州シカゴ
13日、心臓発作のためマイアミビーチの自宅で死去、79歳。
スポーツ賭博などでたびたび逮捕起訴される。マイアミを経て、60年代末にラスベガスに移り住む。マフィアがベガスを仕切っていた70年代、世界的に有名な「スターダスト」を含むラスベガスの4つのカジノを経営。「最も偉大なスポーツギャンブルー」と称された。95年映画「カジノ」でロバート・デ・ニーロ演じるカジノ経営者のモデルとなった。
0/13
■ギョーム・ドパルデュー(仏、俳優)パリ
13日、肺炎から起こる合併症のためパリ西郊外の病院で死去、37歳。
父親はフランスを代表する俳優ジェラール・ドパルデュー、母親エリザベート、妹ジュリーも女優。91年父共演した「めぐり逢う朝」で映画デビュー。96年「Les Apprentis(英題:The Apprentices)」でフランスのアカデミー賞に当たるセザール賞最優秀新人賞を受賞。同年バイク事故を起こす。手術後映画界に復帰。99年「ポーラX」、02年「天使の肌」に出演。しかし、バイク事故の後遺症で長年にわたる細菌感染に苦しみ、03年右足を切断。リハビリを経て、07年「ランジェ公爵夫人」などに出演した。
10/11
■小川三喜雄(元歌舞伎役者)東京都
11日、胃癌のため東京都内の自宅で死去、79歳。
歌舞伎俳優の三代目中村時蔵の三男。俳優の萬屋錦之介や中村嘉葎雄は弟に当たる。初代中村獅童を名乗るが早くに廃業。54年東映企画部に入社しプロデューサーとなる。65年「徳川家康」「宮本武蔵 巌流島の決斗」、66年「花と竜 洞海湾の決闘」「沓掛時次郎 遊侠一匹」「丹下左膳 飛燕居合斬り」などを企画・プロデュース。俳優中村獅童(2代目)の父で、引退後は中村獅童事務所会長。
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0/11
■ウィリアム・クラクストン(米写真家)
11日、鬱血性心不全による合併症のためカリフォルニア州ロサンゼルスの病院で死去、80歳。
1927年同州パサデナ生まれ。カリフォルニア大学の学生だった52年写真家として活動を始める。歌手のフランク・シナトラや俳優スティーブ・マックイーンを撮影し、「ライフ」「ヴォーグ」などの雑誌に写真を掲載。ほか60年代ジャズシーンなどの写真で知られる。13冊の写真集を出版。

0/11
■峰岸 徹(俳優)東京都
11日、肺癌のため死去、66歳。
日本大学藝術学部演劇科に在学していた62年峰健二の芸名で東宝映画「高校生と女教師・非情の青春」でデビュー。第2の赤木圭一郎ともいわれ、NHKドラマ「若い季節」や東宝映画に出演。67年大学を中退し俳優座養成所第16期生となる。文学座研究生をへて、70年大映と専属契約。芸名を峰岸隆之介に改める。同年製作者協会新人賞を受賞。75年芸名を峰岸徹とする。その後大林宣彦監督の映画「廃市」「あした」などに出演。同監督の新作「その日のまえに」(11月公開予定)にも出演していた。ほか映画「ゴジラvsビオランテ」の権藤吾郎役、ドラマ「高校教師」のヒロインの父親役などが評価された。
86年投身自殺したアイドル歌手・岡田有希子の交際相手だったとの報道でも話題となった。
0/10
■アルトン・エリス(ジャマイカの歌手)ジャマイカの首都キングストン
10日、リンパ腺癌のため英ロンドンで死去、68歳。
50年代後半にはシンガーとして活躍し始め、多くの賞を獲得。59年エディー・パーキンス(Eddy Perkins)とデュオグループ「Alton & Eddy」結成。その後コクソン・ドッド(Coxsone Dodd)のSTUDIO ONEレーベルや、デューク・リード(Duke Reid)のトレジャー・アイル(Treasure Isle)レーベルで活躍。SKAのリズムを緩やかにしたROCKSTEADYのリズムでジャマイカを代表する歌手になる。70年代以降英国を中心に活動。
10/11
■三浦和義(殺人犯)山梨県
11日、移送先の米ロサンゼルスで
自殺を図り死去、61歳。
幼児期を北海道で過ごし千葉県市川市で育つ。中学卒業後、整備工となる。その後横浜市立戸塚高等学校に進学。66年放火容疑で逮捕され水戸少年刑務所で7年間服役。81年当時の妻がロサンゼルスで銃殺された事件で、84年週刊文春などマスコミが保険金殺人と報道(ロス疑惑)。85年事件の4カ月前に起こった三浦夫人殴打事件での殺人未遂容疑で逮捕され、のちに銃撃事件での殺人罪と詐欺罪で再逮捕された。殴打事件で懲役6年の有罪が確定、銃撃事件の裁判は98年東京高裁で無罪判決を受け、03年最高裁でも無罪判決。この事件に絡み拘置所や刑務所13年間を送る。03年東京都港区赤坂で書籍万引きで現行犯逮捕されたが、不起訴処分。07年神奈川県平塚市のコンビニエンスストアでサプリメントを万引きし逮捕。08年2月旅行中のサイパン島(米国自治領)で米当局に殺人容疑で逮捕された(ロス疑惑)。弁護側は一事不再理を主張して三浦の釈放を求めて争っていた。
10/10
■リーガル秀才(漫才師)東京都
10日、心不全のため東京都杉並区の自宅で死去、81歳。
52年曽我天才・坂東秀才でコンビ結成。56年リーガル千太・万吉から「リーガル」の名を許され現名に。正統派しゃべくり漫才が人気となる。70年放送業界の芸人軽視に抗議しテレビ・ラジオ出演拒否を宣言(10年後宣言解除)。88年第43回 文化庁芸術祭賞、91年紫綬褒章を受章。04年相方の「天才」が亡くなってからは1人で漫談などの活動をしていた。芸能界屈指の将棋の強豪としても知られた。
10/8
■小川隆之(写真家)東京都
8日、肺気腫のため川崎市高津区の病院で死去、72歳。
59年日本大学芸術学部写真学科を卒業。文藝春秋社写真部に入社。65年文藝春秋社を退社。フリーランスとして、雑誌や広告、テレビCMのカメラマンとして活躍。俳優オーソン・ウェルズを撮影した洋酒の宣伝ポスターなどで知られる。68年日本写真批評家協会新人賞を受賞。
10/7
■キム・ジフ(韓国の俳優)6日、自宅で死去、23歳。
7
日午前自殺しているのが見つかった
ソウル放送の番組「真実ゲーム」で芸能界デビュー。ケーブルチャンネルのカミングアウト番組「カミングアウト」にキム・ジョンヒョンという仮名で出演し,同性愛者であることを告白。これによる所属事務所との契約が白紙化。07年には「ソン・ジヒョ・ファッションショー」にモデルとして出演。ほかに文化放送のドラマ「思いっきりハイキック」など出演、俳優として活動していた。
10/6
■山下 肇〈ドイツ文学者〉東京
6日、心不全のため東京都の自宅で死去、88歳。
東京帝国大学独文科を卒業。50年東京大学教養学部ドイツ語助教授となる。ドイツ文学者で東大名誉教授、日本戦没学生記念会〈わだつみ会〉顧問。71-72年教養学部長を務め、81年定年退官。関西大学教授となる。
ユダヤ神秘主義研究、ゲーテ、ヘッセ、カフカなど多くのドイツ文学を翻訳。53年「カフカの世界」、55年「大学の青春・駒場」、61年「学生はどこへいく 」ほか著書多数。わだつみ会で事務局長などを歴任し、学徒出陣した学生の手記をまとめた「きけ わだつみのこえ」出版で中心的な役割を担った。大学生協東京事業連合理事長も務めた。
10/6
■雲英末雄(俳諧研究者、早稲田大教授)愛知県一色町
6日、急性骨髄性白血病のためで神奈川県の自宅で死去、68歳。
早稲田大学国文科を卒業。72年同大学院博士課程中退、同年窪田空穂賞受賞。愛知淑徳短期大学専任講師、大阪女子大学助教授を経て早大教授。
85年芸術選奨文部大臣賞受賞。86年「元禄京都俳壇研究」で早大文学博士。松尾芭蕉や元禄京都俳壇を研究し、著書に「元禄京都俳壇研究」「俳書の話」「芭蕉の孤高蕪村の自在」、編著に「近世文学研究事典」など。
10/5
■緒形拳(俳優)新宿区市ヶ谷
5日病気のため死去、71歳。
57年都立竹早高等学校卒業。58年辰巳柳太郎にあこがれ新国劇入り。60年舞台「遠い一つの道」の主役に抜擢、映画化され銀幕デビュー。65年NHK大河ドラマ「太閤記」で秀吉、66年同「源義経」で弁慶を演じる。新国劇所属の女優・高倉典江と結婚。68年、新国劇を退団しフリーになる。72年ドラマ「必殺仕掛人」に出演し人気を不動に。78年映画「鬼畜」でその年の男優賞を総なめにする。79年「復讐するは我にあり」に主演。83年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞の今村昌平監督「楢山節考」、86年「火宅の人」などに主演、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞も3回受賞した。99年池端俊策監督「あつもの」でフランス・ベノデ映画祭グランプリを受賞。06年モントリオール世界映画祭グランプリ受賞の奥田瑛二監督「長い散歩」で主演。舞台ではベケット作「ゴドーを待ちながら」や「信濃の一茶」、一人芝居「白野―シラノ―」などに出演した。倉本聰脚本のドラマ「風のガーデン」(9日スタート)が最後の出演作となった。長男の幹太、次男の直人も俳優。
10/5
■松林 豊(タイガース初代応援団長)神戸市
15日、癌のため9月死去、83歳。
神戸市役所に勤務する一方でタイガースの応援に熱中。退職後は運送業をしながら全国を回る。77年10数個あった応援グループを統合して結成された私設応援団の初代団長に就任。阪神タイガース私設応援団の初代団長で「ひげの団長」の愛称で親しまれた。85年阪神21年ぶりのリーグ優勝を見届け、87年引退。同年熱狂的な阪神ファン「トラキチ」が「新語・流行語大賞」流行語部門銀賞を受賞し、ファンを代表して賞を受けた。
10/5
■土屋義彦(元埼玉県知事、元参院議長)東京都豊島区
5日、多臓器不全のため埼玉県春日部市の自宅で死去、82歳。
中央大学商学部を卒業。同年叔父の大正製薬社長上原正吉が参議院議員となり、秘書を務める。その後埼玉県議を経て、65年参院議員に初当選。79年第2次大平内閣で環境庁長官に就任し初入閣。88−91年まで参院議長を務めた。92年参議院議員を辞職し、埼玉県知事選に出馬し当選、03年まで知事を務めた。
10/5
■福田和禾子(作曲家)東京都
5日、東京都新宿区の病院で死去、66歳。
東京芸大作曲科を卒業。テレビ局各局の学校・教養畑を歩いた後、NHK「おかあさんといっしょ」の音楽担当に就く。同番組や「みんなのうた」などで数多くの曲を手掛けた。主な作品に「北風小僧の寒太郎」「パジャマでおじゃま」「そうだったらいいのにな」など。父は戦前から戦後にかけて活躍した歌手の故松平晃。
10/3
■チャン・チェウォン(韓国タレント)
3日、ソウルの自宅で死去、27歳。
首つり自殺と見られ、2年前にも自殺を図ったことがある。遺体で発見された日の朝、同居中の男性と別れたという。
トランスジェンダーとして知られる韓国のタレント、07年ソウル放送の芸能番組「真実ゲーム」に出演し、性転換手術を告白し話題を集めた。性転換前の02年にも同番組に出演している。韓国のトランスジェンダーの人気タレントにあやかり、「第二のハ・リス」とも呼ばれた。
10/2
■チェ・ジンシル(韓国の女優)ソウル
2日、ソウルの自宅で死去、39歳。
シャワーブースで首を吊った状態で発見された。自殺とみらる。
88年サムスン電子のテレビCMをきっかけに有名になる。同年「朝鮮王朝 500年」でドラマデビュー、「最後のソウル」で映画デビュー。92年ドラマ「嫉妬」で“チェ・ジンシルシンドローム”といわれるブームが起きる。91年度芸能人高額納税者名簿で5位。90年代を代表するスターとなる。00年にプロ野球選手の趙成?(チョソンミン)と結婚。04年に離婚し活動再開。05年ドラマ「バラ色の人生」が大ヒットした。チェ・ジニョンは実弟。
9/30
■吉田直哉(元NHKディレクター)東京都
30日、肺炎のため東京都武蔵野市の病院で死、77歳。
53年東京大学文学部西洋哲学科卒業後、NHK入局。57年ドキュメンタリーの草分け番組「日本の素顔」シリーズの演出を始める。65年ドラマ制作に転向、大河ドラマ「太閤記」を演出。66年大河ドラマ「源義経」を演出。68年「海外取材 明治百年」により芸術選奨文部大臣賞を受賞。70年大河ドラマ「樅ノ木は残った」を演出など。毎日芸術賞、ギャラクシー賞大賞など放送番組が対象の賞を多数受賞した。87年小説「ジョナリアの噂」にて第98回芥川賞候補となる。90年NHKを退職、武蔵野美術大学の映像学科創設にともない教授職に就く。
9/26
■岩本義行(元プロ野球選手・監督)広島県三次市
26日死去、急性心不全のため広島県三次市の特別養護老人ホームで、96歳。
31年夏の甲子園大会に出場し、準々決勝まで進む。明治大学から大同電力に就職。38年南海の創設とともに入団するが、2年間兵役に服す。40年プロ野球復帰。バットを胸の前に立てる「神主打法」の異名を取った。2リーグ分裂後の50年松竹でセ・リーグ第1号本塁打を放つ。51年1試合4本塁打、18塁打のプロ野球記録を樹立。54年一旦引退しアマチュの・水沢駒形野球倶楽部に所属。56年東映フライヤーズの選手兼監督としてプロ野球復帰。57年8月18日の阪急戦では45歳5カ月で本塁打を打ち、最年長記録となった。同年現役引退。通算成績856試合出場、打率2割7分5厘、123本塁打、487打点。60年まで5年間東映の監督、65−66年近鉄の監督を務めた。81年野球殿堂入り。弟は南海ホークス等で活躍した岩本信一。孫娘は女優の遠野舞子。
9/26
■ポール・ニューマン(米俳優)オハイオ州クリーブランド
26日、癌のため死去、83歳。
少年時代に児童劇団に入る。高校卒業後は定職に就かず百科事典の訪問販売などで暮らす。その後オハイオ大学経済学部に入学するが、第2次世界大戦で海軍入隊。色盲のためパイロットになれず航空機無線手としてハワイなどに配属。45年空母バンカーヒルで沖縄戦参加。終戦後にオハイオ大学復学、その後ケニヨン・カレッジに進むが喧嘩が原因で除名処分。49年に結婚。イェール大学大学院に進み、そこでスカウトされ芸能界入り。52年ジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドとともにアクターズ・スタジオ入学。54年「銀の盃」で映画デビューするも不評。56年「傷だらけの栄光」で評価される。61年「ハスラー」で英国アカデミー賞の男優賞を受賞。69年ロバート・レッドフォードと共演した「明日に向って撃て!」が大ヒット。シドニー・ポワチエ、バーブラ・ストライサンドと共に映画製作会社「ファースト・アーティスツ」を設立した。73年「スティング」でアカデミー作品賞を受賞。74年「タワーリング・インフェルノ」では息子スコット・ニューマンと共演。しかし80年「世界崩壊の序曲」が失敗、83年には息子スコット麻薬で命を落とした。その後85年に長年の功績を称えられアカデミー名誉賞を受賞。86年「ハスラー2」でアカデミー主演男優賞を受賞。このほか、ベトナム戦争に反対するなど政治活動も展開。当時のニクソン大統領から敵視され、73年ホワイトハウスが公表したブラックリストに記載された。80年代食品会社を設立、純利益2億2千万ドルを福祉に寄付するなど事業家としても活動。93年にはその功績に対しアカデミー賞のジーン・ハーショルト友愛賞が贈られた。映画「レーサー」を機に車にのめり込み、44歳でレーサーとしてプロデビュー。77年デイトナ24時間レースで5位、79年ル・マン24時間レースでは2位を記録した。
9/25
■岩田糸子(ガラス工芸家)大連
25日死去、多臓器不全のため東京都新宿区の病院で、86歳。
26-29年までロンドンに暮らす。35年洋画家の有島生馬に師事。49年日本のガラス工芸の先駆者である岩田藤七の長男久利と結婚。58年ガラス制作をはじめる。照明器具を発表し、60年ガラス壁面を制作。75-96年まで岩田工芸硝子の社長を務める。00年コーニング・ザ・スタジオでガラス細工を開始。
9/25
■西郷信綱(国文学者)大分県
25日、急性心不全のため川崎市内の病院で死去、92歳。
東京帝国大学卒業。戦後、清水高等商船教授や鎌倉アカデミア教授を務め、その後横浜市立大学となるが大学闘争で当局を批判し、71年辞職。のち法政大学等の教授。
古代文学を専攻し、46年初の著作「貴族文学としての万葉集」を出版、防人歌や東歌など庶民の歌とされていたものが貴族歌人の仮託にすぎないと論じる。
90年「古事記注釈」で角川源義賞受賞。他の著書に「万葉私記」「日本古代文学史」など。95年文化功労者。
9/25
■ナッピー・ブラウン(米ブルース歌手)ノースカロライナ州シャーロット
20日、呼吸障害のためノースカロライナ州シャーロットで死去、78歳。 6月にニュージャージー州オーガスタの公演後に体調を崩し入院していた。
少年時代から教会でゴスペルを歌う。54年ブルース・シンガーとしてサヴォイ・レコードからデビュー。"Don't Be Angry"がR&Bチャート2位となり、57年"The Right Time"をリリース。60年代以降活動が途絶えたが、83年カムバック。96年来日。
9/19
■ディック・サドハルター(米ジャズトランペッターでジャズ評論家)マサチューセッツ州ボストン
19日、肺炎のため死去、69歳。
12歳でコルネットを吹き始め、程なくプロ級となる。牡馬林大学卒業後、60年ヨーロッパに渡る。その後UPIの記者となり、68年ロシアのプラハ侵攻を取材。78−84年ニューヨークタイムズ紙にジャズ批評を書く。ジャズ関連の書籍も執筆。一方で、ニューヨークを拠点にジャズ・トランペット奏者として活躍。ニューポール・ホワイトマン・バンドやクラシックジャズ・カルテットを結成。レコーディングも行った。

9/19
■川口 厚(元明治座プロデューサー)
19日、2年半前に蜘蛛膜下出血で倒れ、療養していたが脳内出血のため埼玉県所沢市内の病院死去、57歳。
作家の故川口松太郎と女優の故三益愛子の三男で46年芸能界入り俳優として活躍しドラマ「赤い疑惑」などで活躍後、51年結婚し引退。
その後、明治座に入社。堺正章主演の舞台「おしゃべり伝六一番手柄」などを手がける。30年ほど前にテレビ朝日で放送された「川口浩探検隊」シリーズで知られる長兄の浩。次兄の恒ん、姉の晶とともに俳優4兄弟として知られた。
9/19
■アール・パーマー(米ドラマー)米ルイジアナ州ニューオーリンズ
19日、ロサンゼルスの自宅で死去、83歳。
5歳でタップダンサーとして踊り始める。第2次大戦で兵役。セッションドラマーとして、ファッツ・ドミノやティナ・ターナー、トムウェイツら数多くのミュージシャンのレコーディングに参加。ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム(Rock and Roll Hall of Fame)のメンバー。2拍目と4拍目にアクセントを置く、バックビート奏法の開拓者とされる。00年「ロックンロール名誉の殿堂」入りを果たした。
9/19
■市川 準(映画監督/CMディレクター)東京都府中市
19日、東京都渋谷区の病院で死去、59歳。
原宿学校や美学校で映像を学び、75年CM制作会社に入社。81年退社し、フリーのCM演出家として禁煙パイポ、タンスにゴン、エバラ焼肉のたれ、タフマン、デューダ等のユニークなテレビCMを手がける。87年富田靖子主演の映画「BU・SU」で初監督。その後88年ハナ肇とクレージーキャッツ主演「会社物語」、89年いとうせいこう原作の「ノーライフキング」、02年三谷幸喜原作の「竜馬の妻とその夫と愛人」を発表。04年イッセー尾形と宮沢りえで映画化した村上春樹原作「トニー滝谷」がスイス・ロカルノ国際映画祭で審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞を受賞した。
9/17
■ウンベルト・ソラス(キューバの映画監督)キューバの首都ハバナ
17日、ハバナで死去、66歳。
ハバナ大学で歴史を専攻。60年映画制作にかかわり始め、62年共同で初の監督作品を作る。50年代末以降の新ラテン・アメリカ映画の担い手の1人となった。
代表作は、異なった時代を生きた3人の女性の姿を描いた「ルシア」。同作で68年モスクワ国際映画祭で金賞受賞。ほかに86年「成功した男」など。
9/16
■ジェームズ・クラムリー(米推理小説家)テキサス州スリーリヴァーズ
16日、肺疾患による合併症のため米モンタナ州ミズーラの病院で腎臓と死去、68歳。
ジョージア工科大学卒業。58−61年まで兵役につきフィリピンへ。その後テキサス芸術産業大学に通い、ロウワ大学修士号取得。モンタナ大学などで教鞭をとる。69年ベトナム戦争を扱った「我ひとり永遠に行進す」を発表後、計11冊の小説を出版。78年正統派ハードボイルドの傑作とされる「さらば甘き口づけ」などヒットし、邦訳された。
9/15
■阿部克自(写真家)
17日、肺炎のため死去、78歳。
早稲田大学在籍中にジャズギターを始め、米軍キャンプを中心に演奏活動を展開。その後、写真家に転進し、ソニー・ロリンズやデューク・エリントンなどジャズ界の巨匠を撮影。「ジャズ・クローム」と呼ばれる独自の焼き付け処理で数多くの作品を残した。05年日本人として初めてミルト・ヒントン賞を受賞。このほかCDプロデュースやイラストレーションを手がける。写真集に「ジャズ―阿部克自ポスター写真集」、著書に「パーカーの子守唄」など

9/15
■リチャード・ライト(キーボーディスト)英ハッチエンド
15日、癌のため自宅で死去、65歳。
リージェント・ストリート工科建築大学(現:ウェストミンスター大学)で、ロジャー・ウォーターらに出会い、英プログレッシブ・バンド「ピンク・フロイド」のオリジナル・メンバーで65年「ピンク・フロイド」を結成。67年シド・バレット作のシングル「アーノルド・レーン」でデビュー。同年ファースト・アルバム「夜明けの口笛吹き」をリリース。68年シド・バレット脱退。73年アルバム「狂気」が大ヒット。ピンク・フロイド在籍中の78年ファースト・ソロ・アルバム「Wet Dream」を発表。その後ロジャーと対立し、79年発表のアルバム「ザ・ウォール」制作時に脱退(解雇)。87年デヴィッド・ギルモアとニック・メイスンがピンク・フロイドを再始動。アルバム「鬱」制作の後半になってバンド復帰する。
9/14
■リン・コールマン(元ファッションモデルで写真家、ファッションディレクター)ニュージャージー州ティーネック
14日、癌のためニューヨークで日死去、62歳。
60年代後半にモデルとして活動を始め、有名ファッション誌の表紙などを飾る。68年ヴォーグやGQ、グラマーなどのファッション雑誌向けのフォトグラファーとなる。その後、DKNY(Donna Karan New York)のファッションディレクターなどを務めた。02年乳癌が見つかり切除。その後脳腫瘍が見つかった。
9/14
■小島直記(作家)福岡県福島町(現:八女市)
14日、多臓器不全のため死去、89歳。
東京大学経済学部を卒業。海軍で終戦。戦後、郷里の女子高や中学で教える。その後ブリヂストン勤務。在職中に書いた「人間の椅子」などで55年「人間感情」が芥川賞候補となり、文壇デビュー。
66年ブリヂストンを退社。67年「週刊現代」連載の「小説三井物産」が、81年講談社文庫で刊行され上下巻20万部のヒット。この他の著書に「出世を急がぬ男たち」「まかり通る」「異端の言説-石橋湛山」「岡本喜太郎伝」など政財界人の伝記小説で知られた。83年駿河銀行が小島伝記文学館を設立。84年から静岡県三島市に居住。
9/13
■楠田浩之(映画撮影監督)東京
13日、肺気腫と心不全のため東京都大田区の自宅で死去、92歳。
松竹で木下恵介監督とコンビを組み、43年木下監督第1回作品「花咲く港」で同じく第1回撮影担当となる。日本初の劇場用カラー映画「カルメン故郷に帰る」をはじめ、「二十四の瞳」「楢山節考」など42作品を手がけた。55年「野菊の如き君なりき」で毎日映画コンクール撮影賞。57年「喜びも悲しみも幾年月」、58年「楢山節考」で日本映画技術賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。65年松竹を退社後、木下恵介プロダクションの設立に参加。ほかに、小林正樹監督の「壁あつき部屋」、大島渚監督「愛と希望の街」などの撮影監督も務めた。
9/12
■シモン・アンタイ(フランスの画家)ハンガリー
12日、パリの自宅で死去、85歳。
ブダペストの美術学校で学び、徒歩でイタリアへ旅行。49年からパリで活動し、66年仏国籍を取得。作家アンドレ・ブルトンらと親交を結び、シュールレアリスム運動に参加。60年プリーアージュ(pliage)の技法を考案。折りたたんだりしわをつけたりしたキャンバスに描く独自の手法で、20世紀後半を代表する抽象画家といわれた。チェンバロ奏者ピエール・アンタイは息子。
9/12
■デイビッド・フォスター・ウォレス(米作家)ニューヨーク州イサカ
12日、ロサンゼルス郊外クレアモントの自宅で死去、46歳。
自殺とみられる
大学では論理学・数学を専攻。87年2「ヴィトゲンシュタインの箒」で作家デビュー。代表作は「Infinite Jest」、ほかに「奇妙な髪の少女」などの邦訳作品がある。ウィリアム・T・ヴォルマンと並んで、トマス・ピンチョン以降のポストモダン文学の旗手の一人と呼ばれた。カリフォルニア州のポモナ大学の創作コースで教えていた。
9/11
■内田 慶(プロ競輪選手の)栃木県
11日、外傷性蜘蛛膜下出血のため愛知県一宮市内の病院で死去、27歳。
400mのコースを5周回る「一宮市市営一宮競輪」(第51回オールスター競輪)第1日の第7レースで、最終周回第3コーナーにさしかかり他の選手に挟まれた状態となり、
接触して落車。頭などを強く打ち、搬送先の病院で亡くなった。師匠は福田明(引退)。競輪学校で25勝14位の成績を挙げ、02年プロデビュー。現在S級1班に所属。04年アジア自転車選手権日本大会個人追い抜き4000mで1位となったほか、全プロ自転車競技4000m個人追い抜きで6連覇を達成している。180cm、体重80kg。
9/9
■草柳文恵(テレビキャスター)
9日、東京都中央区佃の自宅マンションで死去、54歳。
46階ベランダの支柱を使って
パジャマ姿のまま首をつっているのを同居の母親が発見、病院に搬送されたが、約2時間後に死亡が確認された。室内から遺書のようなものが見つかったことから、警視庁月島署は自殺とみている。昨年5月に持病の手術をし、その後通院。母親に病気の悩みを打ち明けていたという。
1954年神奈川県生まれ。父はジャーナリストで評論家の草柳大蔵。74年青山学院大学フランス文学科在学中に第18回ミス東京コンテスト第1位に選ばれ、その後、東京都の海外親善使節などを務める。76年大学卒業後、ラジオやテレビのリポーターや司会などマスコミで活動した。
9/9
■日野てる子(歌手)愛媛県松山市
9日、肺癌のため死去、63歳。
62年全日本ハワイアンコンテスト優勝をきっかけに、63年上京。バッキー白片、山口銀次らに師事。64年ハワイアン歌手としてデビュー。65−67年までNHK紅白歌合戦に連続出場。代表曲の「夏の日の想い出」はミリオンセラー。ほかに「さいはての湖」「浜辺は夜だった」など。サザンオールスターズの原由子がアルバム「東京タムレ」でカバーしている。夫は作曲家・編曲家の一ノ瀬義孝。
9/8
■ラルフ・プレイステッド(米探検家で北極点到達者)ミネソタ州ブルーノ
8日、老衰のためミネソタ州ワイオミングの自宅で死去、80歳。
保険外交員から探検家に転進。68年3台のスノー・モビルを用いエルズミア島から北極点まで42日間で到達。隊員は12人。氷上をたどっての極点到達は1909年のピアリー以来2隊目だった。
9/8
■エヴァン・タナー(米総合格闘家、元UFCミドル級王者)テキサス州アマリロ
8日、サンディエゴ近郊のザ・パロ・バーディー・マウンテンで死去、37歳。
山中で死亡しているのが発見された
高校時代にグレコローマンレスリングで2度州王者を獲得。97年USWFヘビー級トーナメントで総合デビュー、ヒース・ヒーリングを破ってUSWF世界ヘビー級王座に就く。以降00年にかけて7度の防衛を果たした。98年パンクラスのネオブラッドトーナメントで初来日。外国人として初めての優勝。05年UFC51のUFC世界ミドル級王者決定戦でデビッド・テレルを降し、第3代UFC世界ミドル級王者となる。05年初防衛戦でリッチ・フランクリンに敗れ王座陥落。183cm,93kg。
9/7
■野田 凪(アートディレクターで映像作家)東京
7日、死去、35歳。
女子美術大学芸術学部造形計画デザイン科卒業。広告代理店I&S、大貫デザイン、サン・アドを経て独立。03年創作集団・宇宙カントリーを設立。NIKEやLAFORETの広告をはじめ、プロモーションビデオ、CDジャケットデザインなどを手がける。最近では、HORROR CAFEやハンパンダプロジェクトなども手がけた。99年東京TDC金賞、01年東京ADC賞、02年NY ADC賞銀賞など受賞。
9/7
■グレゴリー・マクドナルド(米推理小説家)マサチューセッツ州シュルーズベリ
7日、米テネシー州プラスキの自宅で死去、71歳。
ハーバード大学卒業。新聞記者としてボストン・グローブ紙に7年在籍。ピューリッツァー賞の候補にもなった。
74年新聞記者が事件を解決する「フレッチ」でMWA(Mystery Writers of America)新人賞を獲得。85年映画化。エドガー・アラン・ポー賞を2度受賞。他の著書に「ブレイブ」「フリン」シリーズなど。
9/6
■アニタ・ペイジ(米女優)ニューヨーク州フラッシング
6日、米ロサンゼルスの自宅で就寝中に死去、98歳。
25年端役で映画出演。26年主役に抜擢。「踊る娘達」でジョーン・クロフォードと初共演し脚光を浴びる。29年アカデミー作品賞に輝いた映画「ブロードウェイ・メロディ」に出演。30年「キートンのエキストラ」で喜劇俳優バスター・キートンと共演した。サイレント映画からトーキーへの過渡期に活躍し、33年引退。長く映画界を離れていたが、96年に復帰し「Sunset After Dark」に出演。サスペンス映画などのほか、08年最後の映画「Frankenstein Rising」に出演を果たした。
9/5
■タクツェル・リンポチェ(チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の長兄)チベット北東部
5日、米インディアナ州の自宅で死去、86歳。
幼少時にダライ・ラマ13世からタクツェル・リンポチェの転生者として認められ、僧侶として修業を始める。新中国成立後の50年代チベットを離れ、米インディアナ大学で教鞭をとる。ダライ・ラマ14世がチベットの高度な自治を求める「中道」政策を取るのに対し、同師はチベットの完全独立を訴えた。また、中国共産党と14世の仲介役を担ったが、最終的に14世に亡命を勧めた。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表も務めたこともある。
9/6
■寺内大吉(直木賞作家、増上寺法主)東京都
6日、心不全のため東京都内の病院で死去、86歳。
45年大正大学宗教学部卒業。在学中に世田谷区の大吉寺住職となる。55年「逢春門」でサンデー毎日大衆文芸賞、56年「黒い旅路」でオール読物新人賞受賞、57年に司馬遼太郎らと同人誌「近代説話」を創刊、60年同誌掲載「はぐれ念仏」で直木賞、83年長編「念仏ひじり三国志」で毎日出版文化賞を受賞する。このほか短篇「すぷりんたあ」は、68年「セックス・チェック−第二の性」として増村保造監督で映画化。「化城の昭和史」は昭和初期の軍事体制下の宗教関連小説の代表作。TBSキックボクシング中継の解説者のほか、野球、ボクシングなどスポーツ評論の分野でも活動。僧侶としても過去に浄土宗宗務総長(91−01年)や佛教大学理事長を歴任するなど、名声を得ていた。「競輪上人随聞記」「法然のことば」の著書もある。
9/5
■ミラ・ショーン(伊ファッション・デザイナー)クロアチア(旧:ユーゴスラビア)
5日、イタリア北部の別荘で死去、91歳。
第2次世界大戦後に共産党から逃れイタリアに移住。50年代からディオールやバレンシアガで活躍する。58年ミラノで洋装店を開く。65年フィレンツェで初のオートクチュール・コレクションを開催し、トップデザイナーとして認められた。71年メンズライン、ミラショーンウォーモを発表。69-72年にかけイタリアの航空会社、アリタリア航空のユニフォームをデザイン。92年バルセロナオリンピックでイタリアのサッカーナショナルチームのユニフォームをデザインした。顧客にケネディ元米大統領のジャクリーン夫人、米国の富豪ロックフェラー一族などがいた。93年日本の伊藤忠商事が買収(後に一部を売却)したが、晩年までデザインの監修を続けた。
9/2
■ビル・メレンデス(アニメーター)メキシコのソノーラ州ヘルモジーリョ
2日、老衰のため米ロサンゼルス郊外のジョン・ヘルスセンターで死去、91歳。
28年母親とともに米アリゾナ州に移住。技術者を志したが不況のため断念。さまざまな職業をへて、38年ウォルト・ディズニー・スタジオに入り、アニメーターの仕事を始め、スヌーピーやチャーリー・ブラウンで知られる人気漫画「ピーナッツ」のアニメ化を手がけた。
当時ヒスパニック系の社会進出が難しかった米国社会において、数少ないプロフェッショナリストとして活躍。「ピノキオ」「ファンタジア」「ジャンボ」などのヒット作品に参加。その後、ロサンゼルスへ移住し、ワーナー・ブラザーズにて「バッグス・バーニー」「ダフィー・ダック」など数々の有名キャラクターをつくる。
スヌーピーの原作者チャールズ・シュルツ(Charles M. Schultz)との出会い、51年よりアニメ「ピーナッツ」でスヌーピーの声優としても活躍。64年にはパートナーのリー・メンデルソンと共同で自社会社を設立。「ピーナッツ」のテレビ版70本、映画版4本、CM100本以上を制作した。65年「A Charlie Brown Christmas 」をはじめエミー賞を8回受賞。71年「A Boy Named Charlie Brown」でアカデミー賞音楽部門にノミネートされた。
9/1
■ジェリー・リード(米カントリー歌手で俳優)ジョージア州アトランタ
1日、肺気腫による合併症のため死去、71歳。
8歳の頃からギターを始める。10代でナイトクラブなどで歌い始め、17歳キャピトルと契約し音楽会入り。60年代テネシー州ナッシュヴィルに移り、ギタリストのチェット・アトキンスらと交流。エルヴィス・プレスリーのレコーディング・セッションにも参加。ヒット曲「ギターマン」などがをプレスリーがカバーしたこともある。トム・ジョーンズやナット・キング・コールらに曲を提供。グラミー賞も数回受賞した。77年カーチェイス映画「トランザム7000」に出演
8/31
■キラー・コワルスキー(元プロレスラー)カナダのオンタリオ州ウィンザー
31日、心臓発作のため米マサチューセッツ州の病院で死、81歳。
ポーランド系カナダ人。47年のプロレスデビュー。現役当時の身長201cm、体重132kg。殺人鬼、死神などの異名をヒールとして、主にアメリカのプロレス団体NWA、AWA、WWWF(現WWE)で活躍。63年ワールドリーグ戦開幕戦でジャイアント馬場の帰国第1戦の相手を務め時間切れ引き分け。決勝で力道山と対戦した。77年引退。
8/29
■五ツ海(元小結)長崎県新上五島町
29日、肺炎で死去、85歳。
1940年春場所に出羽海部屋から初土俵。44年夏場所に新入幕。49年夏場所で技能賞獲得。翌秋場所に小結となる。50年秋場所で引退した。49年秋場所から50年春場所まで21連敗し、現在も幕内最多連敗記録となっている。46年準場所でまわしが外れて負けたこともある。
9/15
■内海カッパ(漫才師)鹿児島県奄美大島
27日、大阪市の病院で8月死去、66歳。
大鉄高等学校卒業後、初代内海突破に師事。63年梅田花月で吉本新喜劇のコメディアンとしてデビュー。その後OSミュージックに移籍。66年今宮エビス(08年1月27日死去)と「内海カッパ・今宮エビス」を結成。エビスの病気療養中に、カッパは高野山で得度した。
8/27
■デル・マーティン(米レズビアン活動家)サンフランシスコ
27日、サンフランシスコで死去、87歳。
カリフォルニア大学バークレー校でジャーナリズムを専攻。19歳で結婚するも4年後に離婚。シアトルの建築業界雑誌で働き、52年生涯のパートナーとなるライオンと出会う。55年全米初のレズビアン組織「ビリティスの娘たち」(D.O.B.)をサンフランシスコに設立。レズビアン運動の開拓者となる。04年2月12日サンフランシスコ市が二人の結婚届けを受理。米国史上初の同性婚カップルとなる。その後、一旦保留になるが08年6月に再度受理された。
8/24
■島村麻里(フリーライター)東京
24日、蜘蛛膜下出血のため東京都杉並区の自宅で死去、51歳。
東京生まれ大阪育ち。上智大学外国語学部卒。メーカー、ラジオ局勤務を経て87年フリーライターに。女性問題や文化などテーマに新聞、 雑誌などに執筆。
著書に「地球の笑い方」「ロマンチックウイルス」「海外旅行のハローワーク」など。
8/25
■深浦加奈子(女優)東京都
25日、S状結腸癌で死去、48歳。
都立日比谷高校、明治大学文学部演劇学科を卒業。大学在学中に
劇団「第三エロチカ」の旗揚げに参加。看板女優として全公演に出演するなど、舞台を中心に活動した。89年退団後は、フリーとして遊園地再生事業団公演「ヒネミ」など舞台を中心に活動。NHK連続テレビ小説「私の青空」のほか、TVドラマ「家なき子」「スウィート・ホーム」や映画映画「恋と花火と観覧車」「狗神」「サトラレ」などに出演。このほかリリィ深浦、六本木ネネの名で昭和歌謡を歌いこなした。5年前に発病し、闘病を続けながらテレビドラマや映画の名脇役として活躍した。
8/21
■イ・オン(韓国の俳優)
21日、ソウルで
バイクを運転中の事故で死去、27歳。
20日夜は放映中のドラマ「必殺最強のチル」の打ち上げパーティーに参加し、その帰りにバイクでガードレールに激突した。死因は頚椎骨折とみられる。
韓国相撲(シルム)の全国大会で優勝した後、188cmの長身をいかし99年プサンでモデルデビュー。その後俳優に転じた。主な出演作品に06年映画「天下の横綱 マドンナ」、07年ドラマ「花咲く春には」「コーヒープリンス1号店」など。
8/15
■華国鋒(元中国共産党主席)中華民国山西省交城県
20日、病気のため北京で日死去、87歳。
40年から山西省交城県で抗日連合会の主任を務め、後に共産党の同県書記となる。華国鋒という名前は、抗日戦争時に彼が属していた「中華救国先鋒隊」から取られた。49年の中華人民共和国成立後は、毛沢東に抜擢され、毛の故郷・湖南省湘潭県で同党書記を務めた。
75年副首相兼公安相に就任。76年周恩来首相の死去を受け、中国共産党第1副主席。78年毛主席の後継者として、党主席兼首相に就任する。文化大革命を推進した江青・毛沢東夫人ら「4人組」の逮捕でも大きな役割を果たした。
77年「両個凡是」(2つの全て)の方針を示し、文化大革命には是々非々の立場を表明。しかし、改革・開放路線を目指す登(登の右に郊のツクリ)小平との党内闘争に敗北。81年主席辞任。02年の引退まで中央委員ポストに就いていたが、政治的影響力はなかった。80年中国首相として初めて日本を公式訪問した。
8/17
■喜久亭寿楽(落語家)
17日、肝硬変のため横浜市鶴見区の自宅で死去、56歳。
1952年横浜市生まれ。69年立川談志に入門し談太。75年二つ目で立川小談志。84年真打ち。92年談志門下より鈴々舎馬風門下へ移籍し、喜久亭寿楽襲名。「薮入り」など人情味のあるネタを得意とした。
8/16
■福岡正信(自然農法を提唱者)愛媛県伊予市
老衰で16日死去、95歳。
岐阜高等農林学校(現:岐阜大学応用生物科学部)卒業。横浜税関植物検査課と高知県農業試験場に勤務した後、37年伊予市に帰郷。一時自然農法を始める。47年自然農法一筋に研究を開始。土を耕さず無肥料・無農薬・無除草で作物を育てることを特徴とする自然農法を確立した。田植えをせずに種籾をじかに地面にまいて米を作り、刈り取る前に麦の種をまくという「不耕起直播」の米麦連続栽培は晩年まで改良を重ねた。
樹木や果樹など約100の種を粘土に混ぜてつくる「粘土団子」を活用し、アジアやアフリカ諸国の砂漠緑化にもかかわった。海外では「現代の老子」とも評され、宗教哲学者として評価されている。著書に「わら一本の革命」など。
88年インド最高栄誉賞デーシコッタム賞、アジアのノーベル賞と言われるラモン・マグサイサイ賞を受賞。97年第1回アース・カウンシル賞受賞。
8/12
■伊藤白潮(俳人)
心筋梗塞のため千葉県船橋市の病院で12日死去、81歳。
1926年千葉県生まれ。48年「鴫(しぎ)」田中午次郎に師事。75年「鴫」復刊主宰。句集に「生きめやも」「在家」「夢幻能」など。
8/15
■ジェリー・ウェクスラー(米音楽プロデューサー)ニューヨーク
15日、心疾患のためフロリダ州サラソタの自宅で死去、91歳。
40年代後半米ビルボード誌で働き始める。Race Musicなどという蔑称というを与えられていた
音楽ジャンルに、「R&B」の名の発案して当てはめる。53年ビルボード誌の記者からアトランティック・レコードに(47年設立)参加。アレサ・フランクリンやレイ・チャールズらの人気を高めるなど、米ポピュラー音楽に貢献した。
8/11
■荒勢(元関脇)高知県伊野町
11日急性心不全のため高知市の病院で死去、59歳。
高知高校3年時に全国高等学校相撲選手権大会で優勝。日本大学在学中、花籠部屋に入門。72年初場所で初土俵、73年新入幕を果たした。がぶり寄りとトレードマークのもみあげで知られた。75年荒瀬から「荒勢永英」に改名。81年秋場所で引退、年寄「間垣」を襲名。通算48場所で351勝367敗2休、殊勲賞1、敢闘賞2、技能賞1、金星2。その後タレントとして活躍した。
8/11
■ジョージ・ファース(米俳優、劇作家)イリノイ州シカゴ
11日カリフォルニア州サンタモニカで死去、75歳。
ノースウェスタン大学卒業。61年ブロードウェーにデビュー。64年映画に初出演。個性的な役柄を演じた。主な出演映画に83年「Dr.デトロイトを探せ!」、83年「2つの頭脳を持つ男」、70年「マイラ」、69年「明日に向って撃て!」など。ほかにトニー賞受賞のミュージカル「カンパニー」の脚本を共同執筆。
8/10
■アイザック・ヘイズ(米黒人ソウル歌)テネシー州コヴィングトン
10日米テネシー州メンフィスの病院で死去、65歳。自宅の寝室で意識不明で倒れているのを発見された。
5歳から教会で歌い始める。フルート、サックス、ピアノなどを独学で学ぶ。
60年代前半から音楽活動を本格的に開始。音楽を担当した71年の米映画「シャフト(邦題・黒いジャガー)」でアカデミー歌曲賞を受賞。バリトンの美声で、ジェームズ・ブラウンなどと並び黒人音楽を代表する存在となった。人気アニメ「サウスパーク」では声優として黒人シェフの役を担当したこともある。
8/9
■バーニー・マック(米コメディアン、俳優)シカゴ
9日肺炎による合併症のためシカゴの病院で死去、50歳。
19歳からコメディアンとして活動。30代になって辛口ジョークのスタンダップ・コメディアンとして人気が定着。01-06年までテレビ番組「バーニー・マック・ショー」が好評を博す。俳優として、01年映画「オーシャンズ11」や07年「トランスフォーマー」などにも出演。
8/8
■竹本綱吉(女義太夫)京都市東山五条
8日老衰のため京都市東山区新瓦町東組の自宅で死去、
103歳
12年7歳で3世竹本綱吉に入門、9歳で初舞台。 18竹本綱昇の芸名を受ける。女義太夫全盛の大正から昭和初期に8年連続で人気投票日本一になる。38年4世綱吉を襲名。48年京都市東山区の安井金比羅宮に竹本綱吉浄瑠璃道場を開設。02年「世界最高齢の弾き語り」としてギネスブックに認定された。

8/6
■水原英子(女優)東京都
6日腎不全のため東京都江東区の病院で死去、65歳。
66年劇団民芸に入る。アーサー・ミラーやシェークスピア作の舞台で活躍。主な出演作に「リア王」「大司教の天井」「二人だけの舞踏会」。
朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ」には85年初演から昨年まで出演。最近は「深川暮色」で第二部の主人公を演じた。
91年「民衆の敵」「大桜剣劇団」などで紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。
8/6
■竹山恭二(映像作家)東京都
6日肺炎のため東京都中野区の病院で死去、77歳。
53年慶応大学法学部政治学科を卒業。TBS(東京放送)でテレビニュース記者、ドキュメンタリー番組制作、映像ライブラリーなどの業務に従事。退職後は記録映像作家、文筆家として活動。
05年郵便局を舞台に日露戦争の実像を描いた「報道電報検閲秘史-丸亀郵便局の日露戦争」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。他の著書に「平左衛門家始末 浜松・竹山一族の物語」。映像作品には国内各コンクールで受賞した「南の国からのメッセージ」「海と風と太陽」「モンバサ国際空港」のシナリオなどがある。
8/4
■河井英里(シンガー・ソングライタ)東京都
4日肝臓がんのため4死去、43歳。
東京芸術大学作曲科を卒業。91年キティレコード主催CSPCオーディション準優勝。TV番組「ワーズワースの冒険」の歌唱をきっかけに造語の作詞を開始。97年オリジナルミニアルバム「青に捧げる」を発表、01年河井英里が中心となったユニット「Erie」としてアルバム「Prayer」を発表。このほか、アニメ「クレヨンしんちゃん」「るろうに剣心」などの主題歌・挿入歌の歌唱や作曲を担当したほか、「ムーニーマン」など数多くのCMソングを手がけた。
8/3
■アレクサンドル・ソルジェニーツィン(ロシアのノーベル文学賞作家)ロシア南部キスロボツク
3日深夜、モスクワの自宅で急性心不全のため死去した。89歳。子息のステパン氏の話としてタス通信が伝えた。
ロストフ大物理・数学科卒業。直後に独ソ戦に召集される。45年スターリン批判の疑いで告発され、欠席裁判で8年間収容所生活を送る。フルシチョフによるスターリン批判の翌57年名誉回復。中部ロシアのリャザンに移り住み,中学校の物理・数学の教師をしながらひそかに文筆活動を始めた。「雪解け」の自由化政策に乗って62年デビュー作「イワン・デニーソビッチの一日」を発表。ソ連の強制収容所の実態を描き、世界的ベストセラーとなる。64年フルシチョフ失脚から暗転。67年ソ連作家同盟大会に書簡を送って検閲の廃止を求め当局と激しく対立。長編「ガン病棟」などの発表は許されなかった。70年ノーベル文学賞を受賞するも、74年2月12日逮捕。国家反逆罪でレフ・トロツキー以来45年ぶりの国外追放処分を受ける。スイスを経て、76年9月米国に移住。この間、73-75年「収容所群島」執筆。米バーモント州に居を構え、20世紀ロシアを扱った歴史小説「赤い車輪」の執筆に打ち込む一方、評論や講演で「合理主義に毒された」西欧世界を激しく批判。76−90年までソ連崩壊を先取りする形でソ連を解体しロシアなどスラブ系3国同盟を提案、激しい議論を巻き起こした。大作「収容所群島」などでソ連の全体主義体制による民衆抑圧を告発した82年9月密かに短期来日。宗教界のノーベル賞とも言える1983年度テンプルトン賞受賞。90年8月ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカでソ連市民権回復。同年9月、94年5月27日20年間の亡命生活を経て帰国。回想録やロシアの作家論などの執筆を続けた。05年TVインタビューで「1917年の革命前と同様、国家と社会の対立が深まっている」と民主主義の現状を批判し反響を呼んだ。07年ロシア文化勲章を受章。
8/2
■金杉太朗(俳優)川崎市
2日、3月に
地下鉄池袋駅で線路に転落して頭を打ち、意識が戻らないまま脳挫傷のため東京都新宿区の病院で死去、33歳。死去した。
劇団日本児童の出身。TBS系ドラマ「3年B組金八先生」「天までとどけ」などに出演。07年日本テレビ系ドラマ「喰いタン2」などにも出演。
8/2
■服部 正(作曲家、国立音楽大名誉教授)東京
2日老衰のため東京都渋谷区の自宅で死去、
100歳。
慶應義塾大学卒業。学生時代はマンドリンクラブに所属。その後、菅原明朗に師事。32年帝国音楽学校講師となる。35年初のオペラ「雁の渡る日」をNHKで発表。36年時事新報主催の音楽コンクールで三部作「旗」の一曲「西風にひらめく旗」が二等入賞。NHKラジオ体操第一の作曲を手がけ、黒沢明監督の映画「素晴らしき日曜日」「わが青春に悔なし」などの音楽を担当した。53年国立音楽大学教授に就任。
8/2
■三村晴彦(映画監督)
2日、動脈閉鎖症で死去、71歳。葬儀は近親者のみで営む。喪主は妻。
 83年、「天城越え」で監督デビュー。主な作品に「彩り河」「瀬戸内少年野球団・青春編/最後の楽園」など。
8/2
■赤塚不二夫(漫画家)
2日16時55分肺炎で死去した。72歳。
 1997年に吐血。その後98年3月に食道癌を発表し摘出手術を行ったが、その後も急性硬膜下血腫や脳内出血などの病気に襲われ、入退院を繰り返していた。
12歳の時に手塚治虫氏の「ロストワールド」に衝撃を受け、中学卒業漫画家を目指して手塚治虫氏をしたって。新 潟から上京。石ノ森章太郎、藤子不二雄Aの各氏らと「トキワ荘」で共同生活をしていた。デビュー作は1956年、貸本少女漫画「嵐をこえて」。同年よ り、石ノ森章太郎、藤子不二雄氏らと共に東京・豊島区のアパート「トキワ 荘」の住人となった。 雑誌デビューは58年「漫画王」(秋田書店)連載の「ナマちゃん」。六つ 子が主人公の「おそ松くん」は、62年から「週刊少年サンデー」(小学館) に連載され、登場人物イヤミの「シェー!」の奇声とポーズ、デカパンやダ ヨーンなど奇人変人のキャラクターが大人気となった。 「これでいいのだ」が口癖のバカボンのパパが活躍する代表作「天才バカボ ン」は、67年、「週刊少年マガジン」(講談社)でスタート。また、同年か ら少年サンデーで始まった「もーれつア太郎」では、言葉をしゃべるネコ、ニャロメが人気を博した。その他のヒット作に「ひみつのアッコちゃん」 「レッツラゴン」など。「バカボン」は3度テレビアニメ化されたほか、94年には自伝「これでいいのだ」がNHKドラマ化された。65年「おそ松くん」で小学館漫画賞。72年「天才バカボン」などで文芸春秋漫画賞。97 年、日本漫画家協会文部大臣賞。98年、紫綬褒章。
 97年暮れに食道がんが判明し、99年に手術で克服。2004年4月に脳内出血で倒れ、闘病生活を続けていたが、2日朝に容体が急変、危篤状態になった。最期はりえ子さんら親族にみとられて亡くなったという
7/27
■ホルスト・シュタイン(独指揮者、NHK交響楽団名誉指揮者)独ラインラント地方のエルバーフェル
27日スイスの自宅で死去、80歳。
ケルン高等音楽院で学び、49年ヴッパタール市立劇場合唱指揮者、51年ハンブルク国立歌劇場指揮者。50年代にバイロイト音楽祭でクナッパーツブッシュやカラヤンのアシスタントを務める。その後ベルリン国立歌劇場を経て、63年にマンハイム国立劇場音楽監督。ワーグナー指揮者として世界的に知られた。70年ウィーン国立歌劇場第一指揮者、72年ハンブルク国立歌劇場音楽総監督を務める。73年初来日して以来、N響とたびたび共演した。80年、スイス・ロマンド管弦楽団音楽監督、85年バンベルク交響楽団首席指揮者。85−89年までザルツブルク音楽祭に出演した。96年病気のためバンベルク響を離任、終身名誉指揮者の地位を贈られる。99年プラハの春音楽祭で再び倒れ、活動休止状態となっていた。
7/27
■ユーセフ・シャヒーン(エジプトの映画監督)
27日、カイロで死去した。82歳。
 ベルリン映画祭銀熊賞を受賞した「アレキサンドリアWHY?」などで、エジプトを代表する映画監督として知られた。ほかに11人の監督が9.11テロを題材に撮影した「セプテンバー11」など。97年に「炎のアンダルシア」でカンヌ映画祭に参加し、功績に対して特別賞が贈られた。
7/27
■越智順子(ジャズ歌手)
27日死去、43歳。葬儀は大阪市北区天神橋の公益社会館天神橋で。喪主は夫。
 関西のライブハウスなどを拠点に活躍した。CDに「I want you」など。

7/25
■ハイラム・ブロック(米ジャズギタリスト)大阪府堺市
25日ニューヨーク・マンハッタンで死去、52歳。昨秋舌癌の告知をうけていた。
70年代後半ニューヨークで「24丁目バンド」結成に加わり、82年本格デビュー。86年初アルバムをリリース。ビリー・ジョエル、スティングらのアルバム制作にも参加。東海岸のミュージック・シーンで「ファースト・コール」のギタリストの地位を不動のものとしていた。ジャズやロック、フュージョン、ポップスなど多彩なジャンルで活躍した。
7/25
■ランディ・パウシュ(カーネギーメロン大教授)メリーランド州ボルチモア
25日、膵臓癌による合併症のため米東部バージニア州の自宅で死去、47歳。
ブラウン大学卒業、カーネギーメロン大学で博士号取得。高校生・大学生のための3Dアニメーション作成システム「Alice」を開発したバーチャルリアリティー(仮想現実)研究の第一人者。
末期癌を告知された後の昨年9月に行った、自分の夢や生きる意味について語った最後の講義がインターネットで話題を呼んだ。この講義は「最後の授業」として出版され、日本など世界各国で翻訳された。授業では自身の病気を明らかにした上で、「子どものころの夢をどう実現するか」をテーマにユーモアあふれる講義を行った。

7/25
■ジョニー・グリフィン(米ジャズサックス奏者) イリノイ州シカゴ(1928年4月24日 - 2008年7月25日)
フランス中西部のモープルヴワールで25日死去、80歳。
10代でライオネル・ハンプトンのジャズバンドに加入。その後、自らバンドを結成し、ピアノのセロニアス・モンク、ドラムのアート・ブレーキー、サックスのジョン・コルトレーンらモダンジャズの主役たちと競演を続け、「ハード・バップ」と呼ばれるスタイルを確立。1950〜60年代のモダンジャズ界でテナーサックス奏者の第一人者となった。パッセージを世界最速で吹く男としても名をはせた

7/24
ノーマン・デロ・ジョイオ(米作曲家)ニューヨーク
24日ニューヨーク州イーストハンプトンの自宅で死去、95歳。
4歳からピアノ奏者の父に学ぶ。その後、名付け親のパトリック大聖堂のオルガン奏者ピエトロ・ヨンに学ぶ。14歳でシティーアイランドの海の星教会のオルガン奏者兼合唱指揮者となる。ジュリアード音楽院、イェール大学で作曲を学び、ベルナルト・ワーヘナールやパウル・ヒンデミットに師事。40年代後半にはアメリカの重要な作曲家の1人とみられるようになった。多様なジャンルの作品を書き、合唱曲がとくに知られる。。吹奏楽ではミシガン州立大学ウィンド・アンサンブルのために書かれた「ハイドンの主題による幻想曲」が知られる。他の作曲作品に「ルーブルからの情景」「振り付け」「弦楽合奏のための3つの踊り」など。44−50年までサラ・ローレンス大学とマンネス音楽学校で教える。その後、ボストン大学で教授と学部長を務めた。78年退任。ロングアイランドに移住し、作曲を続けた。56年にジュリアード音楽院で初演された「知恵の書による瞑想」で、57年ピューリッツァー賞を受賞。このほか受賞多数。
7/22
エステル・ゲティ(米女優)ニューヨーク
22日、米ロサンゼルスの自宅で死去、84歳。認知症で療養生活を送っていた。
78年「チームメイト」で女優生活を開始。85−92年アパートの一室で4人の中高年女性が送る日常生活を描いたNBCテレビのコメディードラマ「ザ・ゴールデン・ガールズ」に出演、人気を得る。92年映画「刑事ジョー ママにお手あげ」で主演シルベスター・スタローンの母親役を演じた。他の出演作に87年「マネキン」、84年「マスク」など。00年健康問題を理由に引退。
7/22
■ジョーベック(米ジャズギタリスト・歌手)フィラデルフィアJoe Beck
22日、肺癌のためコネチカット州ウッドベリーの病院で死去、62歳。
60年代後半から70年代所とにかけロック界で活動。その後ジャズに転向し、80年前後のフュージョン全盛期に第一線で活躍した。
75年サキソフォン奏者のデビッド・サンボーンとのコラボレーションアルバム「Beck & Sanborn」がヒット。このほかフランク・シナトラ、マイルス・デイビス、ジャームスブラウンなどと共演。

7/19
■大野 桂(演芸作家)
19日、東京都板橋区の病院で肺炎のため19日死去、77歳。葬儀は近親者で終えた。喪主は長男。
 新作落語の五代目古今亭今輔のほか、桂米丸や、漫才の内海桂子・好江、星セント・ルイスなどの台本を書いた。著書に「大道芸・寄席芸」
7/18
■高崎武(銀座ルパンバーテンダー)
18日、肺炎のため死去した。82歳。
ルパンは姉の故高崎雪子が1928(昭和3)年に銀座のビルの地下に開業。太宰治。菊池寛、坂口安吾、織田作之助ら文士が集まるようになった。
 51年からバーテンダーをつとめ、姉が病気で店に出られなくなった81年以降、店を支えた。歩くのが困難になった3年ほど前までカウンターに立ち続けた。歌謡曲の作詞も手がけるなど、多才な一面もあった。  坂口安吾の長男で、自らも店に通った写真家の綱男(55)は「『カクテルのゴールデンフィズを(父の安吾は)何度もおかわりした』と、武さんはうれしそうに話していた。歴史の生き証人でした」と話した。
7/10
■ロッキー青木(ベニハナ経営者)東京都
10日、急性肺炎のためニューヨークの病院で死去した。69歳。 
1959年にレスリングの選手団の一員として渡米。その後、米国で始めたアイスクリームの移動販売が当たり、北米を中心に鉄板焼きチェーン店「ベニハナ」など日本料理レストランの経営で成功した64年にベニハナの第1号店を開店させた。客の目の前で、シェフが食材を飛ばしたり、手早く調理したりするパフォーマンスが人気を呼び、店舗を増やし、アメリカンドリームを体現した。
 98年、インサイダー取引に絡みベニハナの会長を辞任。冒険家としても知られ、81年にガス気球で太平洋横断に成功した。ファッションモデルのデボン青木さんは娘。
7/9
■工藤精一郎(ロシア文学研究者)
9日死去、86歳。自宅は札幌市中央区葬儀は近親者で終えた。喪主は妻。
 翻訳書にドストエフスキー「罪と罰」、トルストイ「戦争と平和」など。元関西大教授。
■7/8
石野見幸(ジャズボーカリスト)兵庫
8日、癌性腹膜炎のため神戸市中央区の病院で死去、35歳。
姫路在住の女性ジャズシンガー。幼い頃からジャズに親しむ。古屋さとこ、越智順子、伊藤君子に師事。
癌宣告後の06月12月25日ファーストアルバム「Current」を発売。同月痛み止めを打ちディナーショーに出演。07年7月大阪市内のステージが最後となった。

6/17
■シド・チャリシー(米女優、ダンサー)テキサス
17日、心臓発作のためロサンゼルスの病院で死去、86歳。
 50年代のハリウッド・ミュージカル映画で当時、スターだったフレッド・アステア、ジーン・ケリーらとの共演で有名。 
幼少時からバレエを学び12歳の時にハリウッドのバレエ学校に。バレエ団で活躍後、40年代から女優としてミュージカル映画に出演。脚線美と躍動的なダンスで人気を博し、「雨に唄えば」(52年)でジーン・ケリー、「バンド・ワゴン」(53年)でフレッド・アステアの相手役を務めた。
 私生活では1度離婚後、歌手のトニー・マーティンと再婚した。
6/16
■エスビョルン・スベンソン(スウェーデンのジャズピアニスト)
14日、ストックホルム近くの小島で
スキューバダイビング中に事故死。44歳。
友人とスキューバダイビングに興じていたところ行方不明になり、友人が意識不明のスヴェンソンを海底で発見。病院に運ばれたがそのまま息を引き取った
 90年代、エスビョルン・スベンソン・トリオ(e.s.t.)を結成。ポップ音楽の要素を採り入れたり、照明などロックコンサートのような趣向のライブを行ったりして、若者から大きな支持を得た。欧州だけでなく、米国や日本でも人気を得ていた。1993年に自己のトリオE.S.T.を結成、ドラゴン盤でのデビューをを経て、メジャー・レーベルと契約し米国にも進出、ジャズ雑誌の表紙も飾った

6/15
■スタン・ウィンストン(米映画界を代表する特殊メーキャップアーティスト)バージニア州 
15日、米カリフォルニア州の自宅で骨髄腫のため死去。62歳。
大学卒業後、俳優を志すが挫折し、ウォルトディズニーのスタジオでメーキャップを学ぶ。「ターミネーター」(84年)で注目され、ティム・バートン、スティーブン・スピルバーグらの大物監督の作品に参加、「エイリアン2」(86年)「ジュラシック・パーク」(93年)「ターミネーター2」(91年)でアカデミー特殊効果賞を受けた。ターミネーター2ではアカデミーメーキャップ賞も受賞した。
6/10
■水野晴郎(映画評論家)岡山県
10日午後3時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。76歳。告別式の日取りなどは未定。
 慶応義塾大文学部でアメリカ文学を専攻。映画配給会社の宣伝総支配人として活躍した。72年に独立し、映画評論家として活動。同年から97年まで日本テレビ系「水曜ロードショー」(後に金曜ロードショー)で解説を務め、「いやあ、映画って本当にいいもんですね」という決めぜりふで親しまれた。 映画「シベリア超特急」シリーズでは監督・脚本を手掛けた。内外の警察事情にも詳しく「世界の警察」などの著書もある。
6/7
■飯田寛吉(大相撲の初代立呼出)
7日、腎不全のため死去、77歳。自宅は東京都江東区高橋。告別式は高森地区集会所。喪主は妻。
 1994年7月場所から導入された呼出の格付け制度で、最高位に当たる初代の立呼出に就いた。
6/6
■氷室 冴(作家)
6日、肺がんのため死去、51歳。告別式は東京都新宿区早稲田町77の龍善寺。喪主は姉。
 1977年、「さようならアルルカン」でデビュー。個性的なキャラクターとスピード感あふれる文体で、少女小説の第一人者として活躍。代表作に学園コメディー「クララ白書」、平安時代を舞台にした「ざ・ちぇんじ!」や「なんて素敵にジャパネスク」など。
6/6
■関 光徳(横浜光ボクシングジム会長)
6日、くも膜下出血のため死去、66歳。自宅は横浜市鶴見区下末吉。告別式は東京・増上寺光摂殿。喪主は妻。
 同ジム会長として、世界ミニマム級チャンピオンの新井田豊、元世界ライト級チャンピオンの畑山隆則らを育てた。
6/2
■柳沢 信(写真家)
2日、喉頭がんのため死去、71歳。告別式は5日午前11時から神奈川県逗子市新宿の自宅。喪主は妻。
 1967年日本写真批評家協会新人賞。写真集に「都市の軌跡」など。
6/1
■ボ・ディドリー(ロックンロールの始祖)ミシシッピ州
2日、心不全のため、フロリダ州の自宅で死去した。79歳。
 チャック・ベリーらと共に、50年代にブルースやゴスペル音楽などから新しい音楽スタイルを生み出し、ロックンロールの創設者の一人として知られる。多くの著名ロック・ミュージシャンが影響を受けた。70代になってからも公演活動を続けていたが、昨年、アイオワ州の公演先で脳卒中を起こしていた。
6/1
■イブ・サンローラン(ファッションデザイナー)仏領アルジェリア・オラン
1日深夜(日本時間2日朝)、パリで死去した。71歳。死因は不明だが、長い間、病気を患っていたという。
40年にわたって服飾界をリードし、女性のパンツスタイルを社会的に認知させた。た。パリのファッションデザイン学校に進学。コンクールで最優秀賞を受賞するなど頭角を現し、クリスチャン・ディオールに迎えられる。ディオールが52歳で急逝した後、21歳の若さで後継者に指名された。
 62年に独立。現代芸術をモチーフとした「モンドリアンルック」などを発表して話題をさらった。66年にはプレタポルテ(高級既製服)の分野に進出、「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」のブティックをパリのセーヌ川左岸に設けた。ロングブーツやサファリルック、シースルードレス、パンタロンスーツなどを次々と世に送った。「スモーキンタキシード」は、男性用のタキシードをもとに、女性用のスーツを誕生させたもので、女性をイブニングドレスから解放したと言われる。
 02年1月、パリ・オートクチュール・コレクションを最後に引退。オートクチュール(高級注文服)の部門は閉鎖し、以後はプレタポルテ部門だけが残っていた。 62年に日本に進出、63年に初来日してファッションショーを開いた。60〜70年代の日本のファッションにも大きな影響を与えた。
5/31
■ウガンダ・トラ(タレント)
31日死去、55歳。葬儀は東京都港区南青山の教運寺で。喪主は弟。
 グッチ裕三、モト冬樹らと結成したコミックバンド「ビジーフォー」のドラム担当で人気を集めた。所属事務所によると、体調を崩し、先月半ばから都内の病院に入院していたという。
5/30
■内田 勝(元「少年マガジン」編集長)
30日、肺がんで死去、73歳。葬儀は東京都練馬区小竹町の江古田斎場。喪主は妻。
 65年に週刊「少年マガジン」編集長となり、「巨人の星」「あしたのジョー」などの劇画ヒット作の誕生にかかわった。表紙デザインには横尾忠則氏を起用、斬新な発想で部数を150万部まで押し上げ、同誌の黄金時代を築いた。


5/26
■シドニー・ポラック(米映画監督、俳優)インディアナ
26日、がんのため米ロサンゼルス郊外の自宅で死去、73歳。
 米インディアナ州生まれ。高校卒業後、ニューヨークで俳優として活躍。60年代に西海岸に移り、テレビドラマの監督に転身した。  映画監督としては、不況下のハリウッドを舞台にした「ひとりぼっちの青春」(69年)でアカデミー賞監督賞にノミネートされて名を上げ、ダスティン・ホフマンの女装が話題になった「トッツィー」(82年)には自身も出演。「愛と哀しみの果て」はアカデミー賞の作品賞も受賞、「追憶」(73年)もヒットした。後年になって、「推定無罪」(90年)、「ザ・ファーム 法律事務所」(93年)など、プロデューサーとして多くの社会派映画を手がけた。

5/23
■コーネル・キャパ(米写真家)ブダペスト
23日、米ニューヨークの自宅で死去、90歳。
死因は明らかにされていないが、この数年パーキンソン病で闘病生活を送っていた。
 写真家の故ロバート・キャパ氏の弟。兄の写真の現像処理を担当して写真の道に入り、37年にNYに移住。米空軍の写真情報部隊を経てライフ誌の写真記者になった。 インドシナ戦争の取材中に死去した兄を引き継いで54年、パリの写真家集団マグナムに参加。56年から60年まで代表を務めた後、ライフ誌に戻り、ケネディ大統領の選挙戦やホワイトハウスの生活を撮影した。74年にジャクリーン夫人らの支援を受けてニューヨーク市マンハッタンに国際写真センター(ICP)を創設、94年に引退するまで理事長を務めた。
5/17
■松田光弘(ファッションデザイナー、ニコル創業者)
17日、肝細胞がんのため死去、74歳。連告別式は近親者のみで行う。喪主は妻。
 早大卒業後、文化服装学院で高田賢三氏らとともに学び、1967年にDC(デザイナーズ・アンド・キャラクター)ブランドの草分けとして知られる「ニコル」を創設。ニューヨークや香港など海外に進出し、パリコレクションにも参加した。
5/13
■塚田 茂(放送作家)
13日、脳梗塞のため死去、82歳。お別れの会を行うが日取りなどは未定。
 東宝などを経て日劇でレビューの演出を務めた。放送作家として「8時だョ!全員集合」「夜のヒットスタジオ」などの人気番組を手掛けた。
5/12
■ロバート・ラウシェンバーグ(米ポップアートの巨匠)
12日、フロリダ州で死去した。82歳。
抽象主義風の筆致で塗られたカンバスに、古タイヤなどのオブジェを張り付けた斬新な作品で、ポップアートの先駆者として1960年代以降の美術に大きな影響を与えた。
5/12
■今日泊亜蘭(作家)
12日、肺がんで死去、97歳。葬儀は近親者で営まれた。
 日本のSF小説の先駆者。57年に創刊されたSF同人誌「宇宙塵」に参加。代表作に「光の塔」(62年)。漫画家・水島爾保布(におう)の長男。
5/11
■関 弘子(女優)
11日、肺炎のため死去、78歳。お別れの会を6月30日に行うが場所などは未定。喪主はおいの能楽師、観世銕之丞。
 俳優座養成所の第1期生。1969年に能楽師の観世寿夫と結婚した。「源氏物語」の原文の朗読で知られる。
4/17
■エメ・セゼール(フランスの黒人詩人、政治家)マルティニク
17日、カリブ海のフランス海外県マルティニクの病院で死去、94歳。心臓疾患で9日から入院していた。
 黒人の復権と誇りを主張する「ネグリチュード運動」の代表的詩人。パリの高等師範学校などに在学中、アフリカ生まれの黒人留学生に影響を受け、39年に長編詩「帰郷ノート」を発表。46年に詩集「奇跡の武器」、66年には戯曲「コンゴの一季節」を発表した。 政治家としても活動。45年から01年までマルティニクの政庁所在地フォールドフランス市長。46年から93年まで国民議会(下院)議員。 
フランス政府は国葬を行う方針。
4/15
■辻 清明(陶芸家)東京
15日午前9時52分、肝臓がんのため東京都内の病院で死去。81歳。自宅は東京都多摩市連光寺3。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は妻。
 10代初めから独学で陶芸を習得するかたわら、陶芸家の富本憲吉、板谷波山、浜田庄司らを訪ねて教えを受けた。1940年代から個展、グループ展で作品を発表、伝統に基づく斬新な作風が高く評価され、日本陶磁協会賞などを受賞した。
4/15
■ヘイゼル・コート(ホラー映画女優)英国
15日、心臓発作のため米カリフォルニア、ネバダ両州にまたがるタホー湖近くの自宅で死去、82歳。
 50年代後半に渡米、60年代にかけて英米のホラー映画やテレビで活躍した。主な出演作品に「火星から来たデビルガール」「フランケンシュタインの逆襲」「姦婦の生き埋葬」などがある。
4/14
■森中千香良(元プロ野球投手)奈良市
14日午後4時55分、すい臓がんのため、奈良県大和郡山市の病院で死去。68歳。16日に家族葬が営まれる。喪主は兄。
 奈良・奈良商工(現奈良商)から1958年に南海(現ソフトバンク)にテスト入団。60年に30試合に登板するなどして頭角を現すと、63年に17勝8敗で最優秀勝率を獲得。南海の黄金時代を支えた。67年に大洋に移籍し、いきなり18勝を挙げて63年に続く2度目の球宴出場も果たした。その後72年に東映に移籍。75年に古巣・大洋に戻り、オフに現役を引退した。通算成績は517試合に登板し114勝108敗、防御率3・49。引退後は野球解説者として活躍。中日の2軍投手コーチも務めた。
 またスポニチ本紙の客員も務め、「スポニチ野球教室」では講師として全国を回り、少年野球の普及などにも努めた。
4/11
■加瀬三郎(折り紙作家)
11日、腎不全のため死去。81歳。葬儀は16日、東京都墨田区両国の回向院。自宅は同区石原。喪主は弟。
 10代で失明してから折り紙制作に取り組み、折り紙を通じて世界各国の学校や福祉施設と交流した。76年に点字毎日文化賞を受賞した。
4/8
■小川国夫(作家)静岡県
8日午後1時57分、肺炎のため静岡市内の病院で死去。80歳。告別式の日取りなどは未定。喪主は妻。
 少年時代から病気がちで小学校も結核で2年休学。このころから川端康成らの文学に親しむと同時に、精神的よりどころをキリスト教に求め、19歳で洗礼を受けた。 50年に東大に入学、53年からパリに私費留学。帰国後同人誌「青銅時代」を創刊、留学時に地中海沿岸をオートバイで放浪した経験を「アポロンの島」として57年に発表。同作が島尾敏雄に絶賛され、一躍注目を浴びた。 「或る聖書」(73年)など聖書の世界を基礎とした作品、故郷を舞台にした「試みの岸」(70年)などの作品で、抑制のきいた端正な筆致で人間存在の深い悲しみや喜びを描いた。「内向の世代」の作家の1人ともされる。90年から大阪芸大教授を務めた。98年、「ハシッシ・ギャング」で読売文学賞受賞。2005年、日本芸術院会員に選ばれた。
4/8
■前 登志夫(歌人)
5日、肝硬変のため奈良県下市町広橋の自宅で死去、82歳。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長男。
 奈良の吉野連山で林業に従事するかたわら吉野の風土に根ざした独自の世界を詠んだ。
1993年「鳥獣蟲魚」で斎藤茂吉短歌文学賞。2005年、日本芸術学院賞恩賜賞を受賞した。
3/20
■砂田 弘(児童文学作家)
20日、胃がんのため死去、74歳。日本児童文学者協会会長事務局。告別式は24日正午から千葉市中央区松波日本基督教団西千葉教会。喪主は妻。
 主著に「さらばハイウェイ」「二死満塁」など。
3/19
■小沢重雄(俳優)
20日、脳梗塞のため死去、81歳。告別式は23日さいたま市中央区やすらぎホール埼大通り。喪主は長女。
 「夕鶴」などの舞台に出演、民話の語り部としても活動した。劇団「民衆舞台」の創立メンバー。
3/19
■ポール・スコフィールド(英国の俳優)
19日、英南部の自宅近くの病院で死去、86歳。代理人が明らかにした。白血病の治療を受けていた。
 1966年の「わが命つきるとも」でアカデミー主演男優賞を受賞。英BBC放送によると、40年から舞台活動を始め、シェークスピア劇などで活躍した。
3/19
■A・C・クラーク(英国出身のSF作家)ロイター通信などによると、
19日、心臓発作のため移住先のスリランカで死去、90歳。
 英国南西部マインヘッド生まれ。第2次大戦で、英空軍でレーダー実験に携わり、45年、通信衛星を静止軌道で使う理論を発表。同理論はその後実現した。00年までに人類が月に到達することもこのころ“予言”した。
 46年、小説「太陽系最後の日」でデビュー。スタンリー・キューブリック監督と共同で脚本を書いた映画が大ヒットした「2001年宇宙の旅」(68年)や「幼年期の終わり」(53年)など、宇宙や未来をテーマとした作品を発表した。
 SFの優れた作品に与えられるネビュラ賞やヒューゴー賞を複数回受賞。00年、英国のナイト爵位を授与された。 56年にスリランカに移住。長年、ポリオ後症候群を患い、車いす生活だった。
3/18
■アンソニー・ミンゲラ(映画監督)
18日、がん手術後の合併症のためロンドンの病院で死去。54歳。
 96年の「イングリッシュ・ペイシェント」で米アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞した。
3/7
■上田トシコ(漫画家)
7日、心臓まひのため東京都文京区湯島の自宅で死去、90歳。東京都出身。葬儀は親族で済ませた。喪主は姉。
 51年から「少女ブック」に連載した「ボクちゃん」がヒット。代表作は、生後間もないころから過ごした旧満州(中国東北部)時代の体験を基に描いた「フイチンさん」で、連載開始から半世紀近く後の03年にアニメとなった。
 73年から隔月刊誌「明日の友」に漫画「あこバアチャン」を30年以上連載。60年小学館漫画賞、03年日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞。
3/2
■丸元淑生(作家)
6日、食道がんで死去。74歳。告別式は神奈川県平塚市明石町1サン・ライフ・サカエヤ・ホール。喪主は妻。
 「秋月へ」で芥川賞候補に。栄養学の知識も深く、主な著書に「丸元淑生のシステム料理学」「丸元淑生のクック・ブック」など。
3/2
■柳原和子(ノンフィクション作家)
2日、卵管がんで死去。57歳。告別式は近親者で済ませた。
 86年、タイ・カンボジア国境の難民キャンプでの体験をもとに書いた「カンボジアの24色のクレヨン」でデビュー。97年にがんを発病し、2000年に自身の闘病記録や長期生存者らへの取材をまとめた「がん患者学」を刊行した。その後も患者の目線から著作を発表し続けていた。主な著書に「『在外』日本人」「百万回の永訣」など。
2/29
■高橋達也(ジャズバンドマスター)山形県鶴岡市
29日午後1時5分、膵臓がんのため亡くなった。76歳。告別式は、川崎市高津区下作延かわさき北部斎苑で。喪主は妻。
 1950年代初頭に仙台の米軍キャンプなどでプロ活動を始めた。その後上京し、64年にビッグバンドの東京ユニオンの結成に参加、2年後に4代目のリーダーとなった。77年のアルバム「北欧組曲」が海外でも評判となり、スイスのモントルー、米国のモンタレーなどの名門ジャズ祭にも招かれた。一方でテレビの音楽番組の伴奏でも活躍した。89年に心筋梗塞で倒れ、闘病のために同年、東京ユニオンを解散。翌年に復帰後はソロ活動を続けていた。

2/28
■原田昌樹(映画監督)
28日、心不全のため死去、52歳。告別式は5日正午から東京都府中市浅間町府中の森市民聖苑。喪主は父。
 最新作の裁判員制度・広報映画「審理」、テレビ番組「ウルトラマンダイナ」などを手掛けた。
2/28
■江藤慎一(元プロ野球選手)
28日午後3時38分、肝臓がんのため東京都内の病院で死去した。70歳。告別式は3月5日午前10時から東京都品川区西五反田桐ケ谷斎場。喪主は三女、忍。
 熊本商高を卒業後、社会人チーム日鉄二瀬を経て1959年に中日に入団。64、65年に中日で、移籍したロッテで71年に首位打者を獲得した。プロ野球の中日などで活躍し、史上初めてセ、パ両リーグで首位打者を獲得した 大洋(現横浜)を経て移籍した太平洋(現西武)では兼任監督を務め、76年にロッテで引退。通算成績は打率2割8分7厘、2057安打、367本塁打、1189打点。気迫あふれるプレーから「闘将」と呼ばれた。元巨人コーチの江藤省三は弟。
1/22
■江藤俊哉(バイオリニスト、元桐朋学園大学長)
22日、死去。80歳。
戦後日本を代表するのバイオリニスト。 12歳で音楽コンクール(現日本音楽コンクール)に優勝、「天才少年」と呼ばれた。戦後渡米し、世界各地のコンサートで演奏。帰国後は国際的なバイオリニストの諏訪内晶子さんらを育成。1979年に日本芸術院賞を受賞した。インスタントコーヒーのテレビCMで「違いのわかる男」としても出演した。
1/21
■村木良彦(テレビマンユニオン創業者)
21日、肝不全のため死去、72歳。告別式は29日東京・増上寺光摂殿。喪主は長男。
 TBSプロデューサーを経て、1970年に萩元晴彦さんらとテレビ番組制作会社の草分けとなる同社を設立。関西テレビの情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造問題では、放送倫理検証委員会の委員を務めた。
1/21
■加藤博一(元プロ野球大洋ホエールズ選手)
21日、肺がんのため死去、56歳。告別式は24日神奈川県逗子市逗子延命寺。喪主は妻。
 1970年西鉄に入団。阪神を経て移籍した大洋で85年に48盗塁を記録するなど俊足を生かして活躍、高木豊、屋鋪要両選手と「スーパーカートリオ」と呼ばれた。引退後は野球解説者となり、軽妙な語り口で人気を集めた。
1/18
■南里征典(作家)
18日、膵臓がんのため死去、68歳。自宅は東京都杉並区上高井戸1。告別式は21日静岡県伊東市吉田セレモニーホール白寿。喪主は妻。
 日本農業新聞社を退職後、1980年に作家として独立。冒険小説や官能小説を中心に幅広いジャンルで活躍した。著書に「未完の対局」「獅子は闇にて涙を流す」など。
1/17
■ボビー・フィッシャー(元チェス世界王者)AP通信によると、
17日、アイスランドの首都レイキャビクの病院で死去、64歳。死因は不明。
 1972年、レイキャビクで行われたチェスの世界大会で王者になった。92年、米政府が経済活動を禁止していた旧ユーゴスラビアで賞金をかけた対局に臨んだとして、米当局に起訴された。 2004年7月、成田空港でフィリピンへの出国手続き中、米国から「無効」通知があった旅券を所持していたとして拘束され、約八カ月間収容された後、強制退去。市民権付与を表明したアイスランドに05年移住した。
1/16
■片岡球子(日本画家、文化勲章受章者)札幌市
16日午後9時55分、急性心不全のため神奈川県藤沢市内の病院で死去。
103歳。告別式は近親者のみで行った、喪主、弟の邦三。偲ぶ会を行うが日取りなどは未定。 
女子美術学校(現在の女子美術大学)日本画科卒。日本画家の吉村忠夫、安田靫彦らに師事、52年に日本美術院同人となった。 初めは飾り気のない筆致で人物画、風俗画に腕をふるったが、50歳前後から作風を変え、大胆な筆遣いと極彩色で山岳や人物を描く力強いスタイルを確立した。 代表作は、武将や浮世絵師など男性の肖像を題材にした「面構(つらがまえ)」のシリーズ、富士山を描いた連作など。82年に日本芸術院会員となり、89年、文化勲章を受章した。
1/11
■藤倉修一(元NHKアナウンサー)
11日、心不全のため死去、93歳。告別式は近親者のみで行った。喪主は次男。
 1940年NHK入局。51年の「第1回紅白歌合戦」の司会や、終戦直後のラジオ番組「街頭録音」のインタビュアーを務めた。
1/11
■エドマンド・ヒラリー(世界最高峰エベレストに初登頂した登山家)ニュージーランド北島ツアカウ
11日、オークランド市内の病院で死去。88歳。死因は明らかにされていない。英BBCによると昨年4月のネパール訪問後、体調を崩していた。
 高校時代から登山に興味を持ち、1951年に英国によるエベレスト(中国名・チョモランマ、8848メートル)の偵察遠征隊に初参加。53年、英国の第9次エベレスト遠征隊に参加し、ネパールのシェルパ民族のガイド、テンジン・ノルゲイ氏(故人)とともに5月29日、頂上に到達した。
 下山後、同僚に語った「やつ(エベレスト)をやっつけた」の言葉が有名になった。53年、英国女王からナイトの称号を受けた。
1/10
■長沢勝俊(作曲家)
10日、心不全で死去、84歳。通夜は14日東京都練馬区小竹町江古田斎場で。喪主は妻。
 歌舞伎「ヤマトタケル」などの音楽を手がけた。日本音楽集団の創立に参加し、名誉代表だった。
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■月本 裕(作家)9日、脳出血のため死去、47歳。告別式は13日東京都板橋区板橋1の新板橋駅前ホール。喪主は妻。
 1989年に小説「今日もクジラは元気だよ」で坊っちゃん文学賞大賞。フリーの雑誌編集者としても活躍した。1/9

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■高杉一郎(作家・翻訳家)静岡県
9日午後、急性心不全のため死去した。99歳。告別式は東京都港区南青山青山葬儀所で。喪主は長女。
 東京文理大卒。編集者として改造社に勤務、同社解散後の44年に召集され、戦後4年間、シベリアの捕虜収容所で抑留生活を送った。
 帰国後の50年に「極光のかげに」を発表。スターリン体制の冷酷さとロシア民衆のたくましさ、日本人抑留者の表情を詩情あふれる筆致でリアルに描き、ベストセラーになった。また学生時代からエスペラントを学び、大正期に滞日したロシアの盲目のエスペラント詩人、エロシェンコの全集(全3巻)を編訳、高く評価された。
 著書はほかに「スターリン体験」「シベリアに眠る日本人」など。翻訳ではスメドレー「中国の歌ごえ」、児童文学の傑作といわれるピアス「トムは真夜中の庭で」など。静岡大、和光大の教授を歴任した。
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■小野 満(ベース奏者)
2日、肺炎のため死去、78歳。告別式は近親者のみで行った。喪主は長男。
 1953年にジョージ川口らとジャズバンド「ビッグ・フォー」を結成し、ベース奏者として活躍。美空ひばりらの伴奏も務めた。