12/30
■加藤正夫(囲碁棋士・財団法人日本棋院理事長)福岡県出身
30日午後零時33分、脳こうそくのため亡くなった。57歳。
1979年、本因坊、十段、天元、王座、鶴聖の5冠。攻めの碁風で「殺し屋」とも呼ばれ力強い碁で数々のビッグタイトルを獲得た。
生涯成績は1253勝664敗2分け。通算タイトル獲得数は歴代5位の47。 2002年7月、赤字が続くなどした棋院の改革を訴えて副理事長に就任。2年後、理事長となり、財政立て直しや棋戦の近代化などの改革に先頭に立って取り組み、棋院改革を推し進めている途上だった。
12/30
アーティ・ショー(米ジャズクラリネット奏者)ニューヨークで生まれ
30日死去、94歳。死因は不明。
高校でサックスを習ったが、その後クラリネットに転向。38年に録音した「ビギン・ザ・ビギン」の大ヒットで一躍人気を集め、スイングの代表的存在となった。代表曲はほかに「スターダスト」「ムーングロウ」など。
54年には、自分が望む芸術的水準に達しなくなったとしてクラリネット演奏を中断。長い音楽活動休止を経て80年代初めにバンドを再結成したが、自らクラリネットを演奏することはなかった。 故エバ・ガードナーや故ラナ・ターナーなどの有名女優らと結婚、離婚を繰り返し、私生活でも話題を提供した。
12/28
■ジェリー・オーバック(米国気俳優)1935年10月、ニューヨーク・ブロンクス区出身。
28日夜(日本時間29日午前)、前立腺がんのためニューヨーク市内の病院で死去、69歳。
現在も放映中の米人気テレビドラマ「ロー・アンド・オーダー」に刑事役として長年出演した。 イリノイ大学とノース・ウエスタン大学で学んだ後、ニューヨークに戻り演技や歌の指導を受けた。69年、ミュージカル「プロミセス、プロミセス」でトニー賞男優賞。81年、米映画「プリンス・オブ・シティ」に出演以後、刑事役や父親役などで人気を博した。今月初めから入院していた。
12/28
■スーザン・ソンタグ(米国の女性作家、批評家)
28日、ニューヨーク・マンハッタンのがんセンターで死去。71歳。死因は発表されていない。
ニューヨークでユダヤ系の家庭に生まれた。1963年長編小説「恩人」でメリット賞を受賞し、66年には「反解釈」で評論家としての活動も開始。ベトナム戦争などを通じリベラルな立場から米国を批判し、フェミニズム運動の論客としても知られた。01年の米同時テロを受けたブッシュ政権の外交政策を鋭く批判した。
12/27
■ハンク・ガーランド(米ギタリスト)
27日、米フロリダ州の病院で感染症のため死去、74歳。
6歳でギター演奏を始め、19歳でカントリーの「シュガー・フット・ラグ」が大ヒット、人気を集めた。1957年から61年にかけて故エルビス・プレスリーの公演に参加。カントリーやジャズの伝説的ギタリストとして知られた。
12/26
■石垣 りん(詩人)
6月ごろから脳こうそくで入退院を繰り返していたが、26日午前5時35分、東京都杉並区の病院で死去、84歳。
告別式は本人の遺志で行わず、「さよならの会」を開くが、日取りなどは未定。連絡先は杉並区和泉3の25の1、出版社「童話屋」。
旧日本興業銀行に定年まで勤務する傍ら詩を発表。働く女性の視点から、平易な表現で戦後社会を鋭く見つめた作品を発表した。69年「表札など」でH氏賞、72年に「石垣りん詩集」で田村俊子賞を受賞した。
12/25
■ゲンナジー・ストレカロフ(ロシアの元宇宙飛行士)
25日、モスクワで死去、64歳。死因は不明。
1980年以降、数回の宇宙飛行に成功。1990年12月、宇宙科学ステーション「ミール」に機関士として滞在中には、日本人初の宇宙飛行に成功した秋山豊寛が乗り組んだソ連のソユーズ宇宙船とのドッキングに成功、ミールに乗り移った秋山と抱き合った。
12/24
■金城次郎(陶芸家、人間国宝)那覇市出身
24日午後10時45分、心筋梗塞のため沖縄県北中城村の病院で死去、92歳。
琉球王朝時代から続く壺屋焼に独自の境地を開いた。白化粧土に針金などで描く技法で魚、エビなど海の題材を取り上げ、「魚を笑わせる男」とおおらかな作風が評された。1977年「現代の名工」として労働大臣表彰、85年に人間国宝に指定された。
12/24
■ジョン・オーツ(大リーグ監督)
24日、脳しゅようのため死去した。58歳。
91年途中からオリオールズを4シーズン率いた。95年にレンジャーズの監督に就任。2001年のシーズン途中に辞任するまで、チームを3度ポストシーズンに導き、96年にはア・リーグの最優秀監督に選出された。監督としての通算成績は、797勝746敗。
12/22
■光岡 明(直木賞作家)
22日、肺がんのため死去、72歳。 熊本日日新聞在職中の1982年、「機雷」で直木賞を受賞した。
12/22
■リーガル天才(漫才師)東京都出身
22日午後4時40分、パーキンソン症候群のため千葉県我孫子市の病院で死去、80歳。
黒縁メガネをトレードマークに、リーガル秀才さんとのコンビで女性問題や時事ネタで活躍。1970年には芸に対する放送業界の扱いを不満としてテレビ・ラジオに出演拒否を宣言、話題となった。 93年から98年まで漫才師の組織「漫才協団」会長。紫綬褒章などを受章した。
12/21
■今西祐行(児童文学作家)大阪府出身
21日午前6時20分、心不全のため神奈川県城山町の病院で死去、81歳。
早稲田大在学中に坪田譲治に師事。学徒出陣し、戦後は歴史小説や戦争児童文学を中心に創作を続けた。原爆投下直後の広島に救援隊で入った経験を基に「あるハンノキの話」などを発表。主な作品に「肥後の石工」「浦上の旅人たち」(野間児童文芸賞)や、小学校の国語教科書に掲載されている「一つの花」など。
12/19
■レナータ・テバルディ(イタリアのソプラノ歌手)イタリアで生まれ
19日、イタリア中部サンマリノ共和国の自宅で死去。82歳。
1944年にデビュー。46年トスカニーニに認められスカラ座で歌い、その後、世界各地のオペラハウスで活躍。往年の名オペラ歌手マリア・カラスと人気を二分した。
12/18
■高松宮妃喜久子(天皇陛下の叔母)
18日4時24分、敗血症のため入院先の東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられた。92歳。
本葬にあたる「斂葬の儀」は故高松宮宣仁さまが眠る皇族墓地「豊島岡墓地」(文京区大塚)で営まれる予定。
ご夫妻にお子さまはなく、終戦直後の皇籍離脱で残った三直宮家は、秩父宮家に続き、高松宮家も途絶えることになる。
喜久子さまは、今年8月、血液中の酸素濃度が低下したため同病院に入院。10月に腎機能が低下したため、腹膜に管を挿入して老廃物を除去する人工透析をうけていた。2月に乳がんの摘出手術を受けられるなど、ここ数年は入退院を繰り返していた。
喜久子さまは1911年(明治44年)12月26日、徳川慶久氏と有栖川宮家出身の実枝子さんの二女として東京・小石川で誕生。江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の孫にあたる。29年に女子学習院本科を卒業、18歳の30年2月4日に大正天皇の三男、高松宮さまと結婚された。
12/17
■トム・ウェッセルマン(米ポップアート画家)
17日、ニューヨークの病院で心臓手術の後、死去、73歳。
米国ポップアートを代表する画家。ニューヨークを拠点に1960年代初頭から活躍、特に女性のヌードをテーマにしたコラージュで知られた。
12/14
■フェルナンド・ポー・ジュニア(フィリピン映画スター、元大統領候補)
14日、マニラ首都圏の病院で脳こうそくのために死去、65歳。
11日にパーティーの最中に目まいと後頭部の頭痛を訴えて入院、昏睡状態が続いていた。
1950年代以降、フィリピンを代表するアクション映画スターとして、200本以上の作品に出演し「映画王」と呼ばれた。庶民の絶大な人気を当て込んだ野党がことし5月の大統領選挙に担ぎ出したが、政策論争などは一切できないまま、現職のアロヨ氏に敗れた。
12/6
■山路ふみ子(元女優、山路ふみ子文化財団会長)神戸市出身
6日午前9時10分、心不全のため東京都中央区の病院で死去、92歳。
1930(昭和5)年、ミス神戸から映画界入り、溝口健二監督作品など100本以上に主演。戦後に映画界を引退、63年に私財を投じて山路ふみ子自然科学振興財団を設立。76年には代わって、山路ふみ子文化財団をスタートさせ、映画振興のため毎年映画賞、映画功労賞などを贈った。
11/26
■フィリップ・ドブロカ(フランスの映画監督)1933年、パリに生まれ
26日死去、71歳。死因などは不明。
写真映画学校を卒業。クロード・シャブロル、フランソワ・トリュフォー両監督などの助監督を務めた後に監督デビュー、「リオの男」(63年)や「まぼろしの市街戦」(66年)などのユーモアあふれる映画を制作した
11/26
■島田正吾(俳優)横浜市出身
26日午前445分、脳こうそくのため東京都目黒区の自宅で死去、98歳。故人の遺志で葬儀・告別式は親族だけで行う。2002年8月に軽い脳こうそくを起こし入院していた。
故辰巳柳太郎とともに新国劇の両輪として活躍。「一本刀土俵入」「関の弥太っぺ」「瞼(まぶた)の母」など舞台のほか、「王将一代」「八甲田山」など映画にも多く出演した。1987年に新国劇が解散した後も、一人芝居の「白野弁十郎」公演や、NHK連続テレビ小説「ひらり」出演など90歳をすぎても精力的に活動し、新国劇入団以来の俳優生活は80年に及んだ。
11/24
■アーサー・ヘイリー(カナダの作家)英国生まれ
24日、バハマのニュープロビデンス島にある自宅で死去、84歳。死因は心臓発作とみられる。
代表作に「大空港」「自動車」「マネーチェンジャーズ」「エネルギー」「ストロング・メディスン」「ニュースキャスター」「ホテル」など。ストーリーテラーとして知られ、作品は次々ベストセラーとなり、多くが映画化された。第2次大戦中に英空軍パイロットを務めた後、1947年にカナダに移住、テレビ番組の脚本を手掛けるようになった。59年に作家デビュー。69年からバハマ在住。数回訪日している。
11/19
■テリー・メルチャー(米音楽プロデューサー兼作曲家)
19日、米ロサンゼルス・ビバリーヒルズの自宅でがんのため死去、62歳。
女優兼歌手ドリス・デイと最初の夫との間に生まれた。コロンビア・レコードで多くの曲をプロデュースし、1960年代に、後にビーチボーイズのメンバーとなるブルース・ジョンストンと組んで、歌手としても活躍。またビーチボーイズの大ヒット曲で、88年のゴールデン・グローブ賞にノミネートされた映画「カクテル」の挿入歌「ココモ」の曲づくりにも携わった。
11/18
■新田昌玄(俳優)徳島県出身
18日午前11時18分、食道がんのため東京都渋谷区の病院で死去、70歳。
劇団文化座を経て、1960年から劇団民芸に所属。主な出演舞台にアーサー・ミラー作「るつぼ」「大司教の天井」、斎藤憐作「グレイクリスマス」など。
11/18
■サイ・コールマン(米作曲家)
18日、心臓病のためニューヨークの病院で死去、75歳。
ジャズ・ピアニストとして注目を浴びたほか、1953年からはニューヨークの劇場街ブロードウェーのミュージカル向けに作曲活動を開始。「山猫」(60年)や「リトル・ミー」(62年)のほか、後に映画化もされた「スイート・チャリティ」(66年)で人気を決定的にした。
11/18
■市川春代(女優)長野県出身
18日午後11時51分、老衰のため神奈川県鎌倉市の病院で死去、91歳
10代前半で映画界入りし、戦前から戦後の全盛期まで長く映画界を支えた。石坂洋次郎原作「若い人」(1937年、豊田四郎監督)での演技が名高い。時代劇、現代劇をまたいで幅広い役柄で活躍した。60年代後半に引退していた。
11/14
■ミシェル・コロンビエ(フランスの映画音楽家)
米カリフォルニア州サンタモニカの自宅で14日、がんのため死去、65歳。
パリでピアノを学んだ後、映画音楽の世界に入る。米人気歌手マドンナが主演した「スウェプト・アウェイ」(2002年)などの映画のほかバレエの音楽も担当。クラシックからジャズ、ロックの要素を自由に組み合わせた独自の曲調で多くのファンを魅了した。100以上の映画やテレビ番組で音楽を手掛けた。
11/13
■ラッセル・ジョーンズ(芸名オール・ダーティー・バスタード、ODB=米国の人気ラッパー)
13日、ニューヨーク・マンハッタンのスタジオで急死、35歳。死因は不明。所属事務所の発表では、直前に胸の痛みを訴えていたという。
1990年代初期に結成された9人組みのラップグループ「ウータン・クラン」の創立時のメンバー。2001年に麻薬不法所持罪で禁固2~4年の実刑判決を受けて服役した。昨年、出所しレコード会社と契約、音楽活動を再開していた。
11/13
■カルロ・ルスティケリ(伊映画音楽作曲家)
13日、ローマの自宅で死去、87歳。死因は不明だが、長年闘病生活を送っていた。
ボローニャの音楽学校などでピアノや作曲を学んだ後、1930年代後半から映画音楽の作曲を手掛けた。マルチェロ・マストロヤンニ主演で、62年のアカデミー賞脚本賞を受賞したイタリア映画「イタリア式離婚狂想曲」のほか「鉄道員」(56年)「祖国は誰のものぞ」(62年)など数百本の映画で作品を残した。
11/11
■ヤセル・アラファト(パレスチナ最高議長)
11日午前3時半(日本時間同午前11時半)、パリ郊外のペルシー軍病院で死去。75歳。
死因は明らかにされていないが、脳出血を起こしていた。葬儀は12日、エジプトのカイロで営まれ、同日中にヨルダン川西岸ラマラの議長府に埋葬される。自治政府としては、イスラエルとの和平合意後に遺体をエルサレムのイスラム教聖地に移したい意向だ。
権力を独占していたアラファト議長は後継指名をしておらず、後継争いも懸念される。「カリスマ」と言われた議長の死は、中東情勢の混迷に拍車をかけそうだ。ブッシュ米大統領は11日、「議長の死はパレスチナの歴史の重大な局面」とする談話を発表した。
アラファト議長は2001年12月以降、イスラエルからラマラの議長府に事実上の軟禁状態に置かれていた。先月上旬に容体が悪化。29日に議長府からパリに移送された。今月3日には昏睡状態に陥っていた。 死後は後継者選びが最大の焦点となる。自治政府議長は、パレスチナ立法評議会のファトゥーハ議長が暫定的に就任する見込みだが、後継者の本命は存在しない。 候補はマフムード・アッバス・パレスチナ解放機構(PLO)執行委員会事務局長、アハメド・クレイ首相、ガザ地区で治安組織を掌握するモハメド・ダラハン元治安担当相ら。いずれも人気、実力、武装勢力の掌握などの面で欠けている。 アラファト議長を「和平の障害」としてきた米国などが後継者選びに介入する可能性も高いが、パレスチナにはイスラエル寄りの米国に対する嫌悪感は強い。いずれにせよ、後継者問題が今後のパレスチナ情勢の重大なカギを握る。
11/11
■荻島真一(俳優)東京都出身
11日午前1時50分、胆管がんのため東京都内の自宅で死去、58歳。
劇団四季を経てNHK「おていちゃん」、「あした天気になあれ」、TBS系「隠密剣士」などテレビドラマの二枚目として活躍。フジテレビ系「スター千一夜」の司会者なども務めた。 昨年秋から、がん治療を受けていた。
11/10
■南條範夫(作家、経済学者)東京都出身
30日午前4時、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去、96歳。
東大卒。1956(昭和31)年、遣唐使の悲劇を描いた「燈台鬼」で直木賞。「細香日記」(吉川英治文学賞)、映画化された「武士道残酷物語」、NHK大河ドラマの原作「元禄太平記」、テレビドラマにもなった「月影兵庫」シリーズなどで親しまれた。
経済学者として国学院大教授も務めた。75年に紫綬褒章受章。
11/7
■ハワード・キール(米ミュージカル俳優)米イリノイ州生まれ。
7日大腸がんのため死去、85歳。死去の場所は不明。
自動車修理工などを経て、ロサンゼルスでコンサートを聞いたのをきっかけに声楽を志し、その後ニューヨークでミュージカルに出演するようになった。
ブロードウェーのミュージカルを映画化した「アニーよ銃をとれ」(50年)や「ショウ・ボート」(51年)、「キス・ミー・ケイト」(53年)などの作品に出演。その後は78年から始まった人気テレビシリーズ「ダラス」に出演、注目を集めた。
11/3
■ジョー・ブシュキン(米ジャズピアニスト)ニューヨーク生まれ
3日、米カリフォルニア州サンタバーバラの自宅で肺炎のため死去、87歳。
10歳からピアノを始めクラブなどで演奏、ファッツ・ウォーラー、エディ・コンドンら著名なジャズ演奏者と共演した。1960年代に事実上引退し、サンタバーバラの農場で暮らしていたが、時折ニューヨークで演奏をしていた。
11/1
■白井浩司(慶応大名誉教授、フランス文学者)東京都出身
1日午後0時20分、肺炎のため東京都世田谷区の病院で死去、87歳。
フランスの哲学者サルトル研究の第一人者として知られ「嘔吐」「汚れた手」などを翻訳、日本に実存主義を広めた。1974年、日本ペンクラブ理事として訪韓した際「詩人の金芝河氏は、韓国政府に弾圧されたとはみなせない」と発言し、論議を呼んだ。
京都外大教授、三田文学会理事長などを歴任。劇団四季顧問を務めていた。
10/31
■春風亭柳橋(落語家、落語芸術協会副会長)東京都出身
31日午後0時50分、消化管間葉系しゅようのため東京都千代田区の病院で死去、69歳。
葬儀・告別式は3日午前11時から文京区白山4の37の30、寂円寺。喪主は弟栗原正治氏。葬儀委員長は落語芸術協会会長、桂歌丸氏。
52(昭和27)年、3代目桂三木助に入門、桂木久夫を名乗る。59年8代目柳橋門下に移り愛橋と改名、64年に真打ちに昇進し82年に7代目柳橋を襲名した。今年2月から同協会副会長。7月以降、入院していた。得意ネタは「芝浜」「化物使い」「錦の袈裟」など。
10/30
■南條範夫(作家、経済学者)東京都出身
30日午前4時、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去、96歳。
東大卒。1956(昭和31)年、遣唐使の悲劇を描いた「燈台鬼」で直木賞。「細香日記」(吉川英治文学賞)、映画化された「武士道残酷物語」、NHK大河ドラマの原作「元禄太平記」、テレビドラマにもなった「月影兵庫」シリーズなどで親しまれた。
経済学者として国学院大教授も務めた。75年に紫綬褒章受章。
10/26
■原 卓也(ロシア文学者、元東京外国語大学長)東京都出身
26日午前7時10分、心不全のため東京都文京区の病院で死去、74歳。
父はロシア文学者の原久一郎氏。東京外語大卒業後、父とショーロホフ「静かなドン」を共訳、さらにチェーホフ全集の翻訳に参加した。 東京外語大助教授だった1960年代末の学園紛争時、大学に辞表を提出して“造反教官”と呼ばれた。その後、教授を経て89年から95年まで学長。ドストエフスキーなどロシア文学の翻訳、紹介で多くの業績を挙げた。
10/24
■岡本愛彦(演出家、映画監督)鳥取県出身
24日、前立腺がんのため神戸市西区の病院で死去、79歳。
旧陸軍航空士官学校在学中に敗戦を迎え、慶応大卒。1950年にNHKに入り、記者からディレクターに転身。57年にTBSに移籍し、戦争犯罪裁判の不条理を描いたテレビドラマ「私は貝になりたい」(58年)、企業倒産を題材にした同「いろはにほへと」(59年)を演出し、芸術祭賞大賞を連続受賞。 その後、フリーの監督として活躍。映画「津軽絶唱」「愛の化石」などでメガホンをとったほか、テレビの社会派ドキュメンタリー番組を手掛け、映像メディアの側から戦争犯罪や公害などの社会問題に一貫して取り組んだ。著書に「日本人への遺書」「テレビよ、驕るなかれ」など。
10/23
■ロバート・メリル(米国のオペラ歌手)
23日、ニューヨーク市の自宅で死去、85歳。
1944年に歌手デビューし、45年にニューヨークの名門、メトロポリタン歌劇場と契約。「カルメン」や「セビリアの理髪師」などで好演。「同歌劇場史上、最も偉大なバリトン歌手の一人」と評され人気を博し、76年に引退した。野球ファンで、米大リーグ、ヤンキースの本拠地での開幕戦で30年間にわたり国歌を斉唱した。
10/21
■川崎 洋(詩人)。東京都出身
21日午前10時40分、腎不全のため神奈川県横須賀市の病院で死去、74歳。
1953年に茨木のり子さんと詩の同人誌「櫂)」を創刊。同人として谷川俊太郎さん、大岡信さんらが参加した。55年に第11詩集「はくちょう」を刊行。主な詩集に「ビスケットの空カン」「言葉遊びうた」など、著書に「感じる日本語」「方言自慢」など。
10/13
■矢野 徹(作家、翻訳家)松山市出身
13日午前7時58分、大腸がんのため東京都内の自宅で死去、81歳。
戦後いち早く海外SF小説を日本に紹介、ハインライン「宇宙の戦士」、ハーバート「デューン 砂の惑星」、スタージョン「人間以上」などの名作群を翻訳。また、作家として時代冒険小説「カムイの剣」や「折紙宇宙船の伝説」などのSFを発表した。ミステリーの翻訳も多く、訳書は約200冊に及ぶ。1963年、日本SF作家クラブの設立に参加、78年から79年まで同クラブ会長を務めた。
10/12
■山平和彦(発禁フォーク歌手)秋田県出身
12日午後8時30分ごろ、足立区西竹の塚1の横断歩道で車にはねられ、全身を強ち病院に搬送後、約5時間後に死亡した。52歳。
警視庁竹の塚署は、業務上過失致死、道路交通法違反(ひき逃げ)の容疑で、逃げたとみられる白っぽいワゴン車の行方を追っている。
1970年代にフォーク歌手として活躍し、72年には、社会批判を込めた「放送禁止歌」を発表。直後に発売禁止となった。76年に引退したが、2001年から活動を復活させていた。
10/10
■クリストファー・リーブ(米俳優)1952年ニューヨーク生まれ
10日、心不全のためニューヨークの病院で死去、52歳。
78年の人気映画「スーパーマン」の主役に抜てきされ、大スターの仲間入り。「スーパーマン」は87年の第4作までシリーズ化された。
95年、バージニア州で落馬して脊髄を損傷し首から下が不随になったが、懸命にリハビリを続け、車いすで外出できるまで回復。
98年にはヒチコック映画「裏窓」をリメークしたテレビ映画を製作、出演した。障害者の権利向上などに尽力し、最近は「脊髄再生の道が開かれる」として胚性幹細胞(ES細胞)の研究推進の運動にもかかわった。
10/10
■ケン・カミニティ(元米大リーグ選手)
10日、ニューヨークの病院で41歳の若さで死去した。代理人によると、死因は心臓発作。
カミニティ米大リーグ、パドレスなどで強打の三塁手として活躍し、1996年にはナ・リーグの最優秀選手(MVP)に選ばれた。
引退後の2002年、MVPに輝いたシーズンに筋肉増強効果のあるステロイドを使用していたことを告白しており、最近も保護観察中のコカイン使用が発覚した。11日に検視解剖が予定されている。
10/7
■鳴海四郎(英米演劇研究家)新潟県出身
7日午前10時20分、肺炎のため東京都練馬区の病院で死去、87歳。
「欲望という名の電車」「ガラスの動物園」などのテネシー・ウィリアムズ作品や、ニール・サイモン作品など、英米現代劇の戯曲翻訳を多く手掛けた。主な翻訳に「テネシー・ウィリアムズ戯曲選集」「エドワード・オールビー全集」。立教大、東京国際大教授も務めた。
10/5
■ロドニー・デンジャーフィールド(米コメディアン)ニューヨーク州生まれ
5日、ロサンゼルス市内の病院で死去した。82歳。今年8月に心臓発作を起こし、入院中だった。
幼少のころから路上でアイスクリームを売るなど貧しい家計を助けながら、独学でコメディーを学び19歳で舞台に立った。
「生まれたときにゃ、おれがあんまり不細工なんで医者がおふくろを殴ったもんさ」など、自虐的なギャグで人気を集め、1970年代からは映画にも出演、81年にはコメディー・レコード「ノー・リスペクト」でグラミー賞を受けた。
10/3
■バーノン・アレー(米ジャズ・ベーシスト)ネバダ州生まれ
3日サンフランシスコの老人ホームで死去、89歳。2002年8月以来、健康状態が悪化していた。
生後間もなく両親とともにサンフランシスコへ移り、高校時代にジャズを始めた。1940年代にはニューヨークでライオネル・ハンプトンやカウント・ベーシー楽団で演奏するなど、ジャズの黄金時代を支えた名プレーヤーの一人。その後サンフランシスコに戻り、地元のジャズ・クラブを中心に活動した。
10/3
■風間
清(元ボクシング日本ライト級チャンピオン)東京都出身
3日午前8時32分、心不全のため東京都足立区の病院で死去、54歳。
74(昭和49)年にプロデビューし、「バトルホーク風間」のリングネームで活躍。79年に日本ライト級王者になり、4度の防衛に成功した。プロの戦績は30戦18勝(7KO)8敗4分け。
10/1
■星 吉昭=姫神(シンセサイザー奏者)宮城県出身
1日午前1時21分、心不全のため岩手県内の病院で死去した。58歳。
岩手県東和町在住。今年夏に体調が悪化、ライブの予定をキャンセルして療養していた。
1971年、電子オルガンの全国コンクールで優勝。「姫神」のユニット名で活躍した。80年「姫神せんせいしょん」を結成しデビューし、東北の伝統芸能や民謡に触発されて作った独創的なニューエージ音楽で話題になった。84年「姫神」に改名。自らの音楽を「北人霊歌」と名付け、奥州藤原氏をテーマにした平泉追想シリーズなど東北の風土に根差した作風で人気を得た。幻想的な野外ライブは評価が高く、青森県の三内丸山遺跡やエジプトのピラミッド前などで演奏した。
10/1
■金久美子(女優)長野県出身
1日午後7時58分、胃がんのため東京都多摩市の病院で死去、45歳。告別式は5日中野区中央、宝仙寺大師堂で。喪主は父二徳氏。
在日韓国人3世で、劇団68/71黒色テント、劇団新宿梁山泊を中心に演劇活動が長く「千年の孤独」「映像都市」などが代表作。映画、テレビなどでも活躍。映画では「全身小説家」「笑う蛙」などのほか韓国映画にも出演した。
10/1
■リチャード・アベドン(米写真家)ニューヨーク生まれ。
1日、脳内出血のため米テキサス州サンアントニオ市内の病院で死去、81歳。
1945年から65年までハーパース・バザー誌の専属カメラマンとして活躍、ポートレートやドキュメンタリーなどの手法を取り入れた革新的なファッション写真で注目された。66年から90年までヴォーグ誌、92年からはニューヨーカー誌のカメラマンとして活躍。ナオミ・キャンベルなどスーパーモデルの撮影で知られ、99年には日本の人気歌手、宇多田ヒカルのCDジャケットの撮影も手掛けた。
オードリー・ヘプバーン主演の米映画「パリの恋人」でフレッド・アステアが演じた写真家のモデルとされる。
9/29
ハインツ・ワルベルク(ドイツの著名な指揮者)ドイツ出身
29日、ドイツで死去、81歳。死因や死亡場所は明らかにされていない。
ドルトムント音楽院などで指揮を学び、ヘッセン州立劇場の音楽監督やウィーン国立歌劇場の常任客演指揮者などを歴任。堅実な演奏で好評を博し、1966年以来、これまで160回以上にわたりNHK交響楽団を指揮。親日家としても知られた。
9/29
■リシャール・サンク(フランスの二輪ライダー)
29日、エジプトで行われているファラオ・ラリーでレース中に事故を起こして死去、34歳。
パリ・ダカの通称で知られるラリーの二輪部門で1999、2000、03年の3度も優勝した。
9/28
■森村 桂(作家)東京都出身
27日午前10時51分、長野県内の病院で死去した。64歳。 長野県警は自殺とみている。
学習院大卒業後、出版社に勤務。1964年にニューカレドニアに渡り、その体験を基に「天国にいちばん近い島」を執筆。明朗な文章が人気を呼んでベストセラーになり、映画化、舞台化された。その後もエッセーを意欲的に発表した。NHK朝の連続テレビ小説「あしたこそ」の原作も書いた。画家としても活動し、阪神大震災の犠牲者を悼んだ「人魚の涙」が神戸市役所に飾られている。父は作家の故豊田三郎。
9/24
■フランソワーズ・サガン(仏作家)南部ロート県生まれ。
24日夜(日本時間25日未明)、心臓疾患のため同国ノルマンディー地方オンフルールの病院で死去、69歳。
18歳のときに書いたデビュー作「悲しみよこんにちは」(1954年)は、父親の再婚をめぐる少女の傷つきやすく残酷な心を描いたベストセラー小説。驚きと高い評価で迎えられ、一躍スター作家になった。その後も「ある微笑」「ブラームスはお好き」などで人気を得た。
作家サルトルに共感し、フェミニズム運動にも協力するなど、社会的な発言で注目された。スポーツカーでの事故、賭博、麻薬など、奔放な振る舞いでも話題を集めた。
9/19
■エリス・マルサリス(米国の公民権運動支援者)
19日、米ルイジアナ州ニューオーリンズの病院で死去、96歳。
養鶏農家をしていた1943年にニューオーリンズのミシシッピ川近くでモテルを開業。人種差別のためホテルに宿泊できなかった黒人を中心に人気を集め、黒人公民権運動指導者の故キング牧師らが愛用したことで知られた。
ジャズ音楽家一家の家長としても知られ、息子にピアニストのエリス・ジュニア氏、孫にはトランペット奏者のウィントン氏、サックス奏者ブランフォード氏らがいる。
9/18
■ラス・メイヤー(米映画監督)カリフォルニア州オークランド生まれ。
18日、ロサンゼルス市内の自宅で、肺炎に伴う合併症のため死去、82歳。
1952年、ストリップショーの舞台をそのまま映した「ピープショー」を制作。成人向け映画の草分けとなり、「女豹ビクセン」(68年)、「ワイルド・パーティー」(70年)など多くの映画を制作、後の映画監督に影響を与えた。
9/19
■スキーター・デイヴィス(米ポップス歌手)
19日、同州ナッシュビルの医療施設で乳がんのため、死去。72歳。
1950年代に女性デュエット、デイヴィス・シスターズとしてデビューし、53年からソロ活動に入った。63年に大ヒットした「エンド・オブ・ザ・ワールド」のほか、「偽りの心」などヒット曲多数。プレスリーやローリング・ストーンズともツアーを行った。
9/11
■ジョニー・ラモーン(米パンクロック・バンド「ラモーンズ」ギタリスト)
15日、前立腺がんのためロサンゼルスの自宅で死去、55歳。
1974年のラモーンズ結成以来のメンバー。ラモーンズはスピード感に満ちたリズムと反抗的な歌詞で、パンクロックの原型をつくった。
9/15
■島田修二(歌人) 神奈川県出身
15日夜、川崎市多摩区登戸の自宅で死去しているのを訪ねてきた長男が発見、神奈川県警多摩署に届けた。同署によると、死因は脳出血で病死とみられる。76歳。
海軍兵学校を経て東大卒。歌人宮柊二に師事し、歌誌「コスモス」に入会。全国紙の記者のかたわら歌人として活躍。歌誌「草木」を主宰、宮中歌会始の選者などを務めた歌壇の中心の一人だった。 歌集に「渚の日日」(迢空賞)、「草木国土」(詩歌文学館賞)など。
9/11
■フレッド・エブ(米ミュージカル作詞家) ニューヨーク市生まれ
11日、心臓発作のためニューヨーク市の自宅で死去、76歳。
60年代から作曲家ジョン・カンダー氏とコンビを組み「キャバレー」「シカゴ」「蜘蛛(くも)女のキス」「ニューヨーク・ニューヨーク」などニューヨーク・ブロードウェーの名作ミュージカルの作詞を手掛けた。ニューヨーク大学とコロンビア大学を卒業後、舞台芸術向けの作詞家として活動。日本でも多くが翻訳上演され、98年には日本のミュージカルの発展に貢献した米演劇人を表彰する「日本ミュージカル賞」をカンダーとともに受賞した。
9/9
■アーニー・ボール(米国のギター弦製作者)
9日、持病のため米カリフォルニア州サンルイスオビスポの自宅で死去、74歳。
1958年、同州でギター弦の製作、販売を始め、ローリングストーンズやB・B・キングなどをはじめとするスターミュージシャンが製品を使用。年商4千万ドル(約44億円)を売り上げるまでになり、現在、製品は70カ国以上に輸出されている。
9/8
■水上 勉(作家)福井県出身
8日午前7時16分、肺炎のため長野県東御市の仕事場で死去、85歳。
幼少時に京都・相国寺に預けられるが、修行のつらさから脱走。立命館大を退学、職を転々としながら1946年、自ら創刊した「新文芸」誌をきっかけに宇野浩二氏に師事。48年出版の「フライパンの歌」がベストセラーになる。
その後、共産党トラック部隊を描いた「霧と影」、水俣病を扱った「海の牙」などを続けて発表、社会派推理作家の花形作家になった。
61年、相国寺での体験を基にした「雁の寺」で直木賞受賞。62年から週刊誌に「飢餓海峡」を連載。「五番町夕霧楼」「越後つついし親不知」「越前竹人形」などの代表作を相次いで発表。貧困に苦しむ庶民の姿を叙情的に描き、戦後日本の代表的な人気作家の一人となった。
88年、日本芸術院会員。98年文化功労者に選ばれた。
9/3
■山口 猛(映画・演劇評論家)仙台市出身。
3日午後3時30分、急性心不全のため東京都内の病院で死去、54歳。
編著に「『天皇』と呼ばれた男 撮影監督宮島義勇の昭和回想録」「松田優作 炎静かに」など。東京芸大講師。
8/29
■種村季弘(ドイツ文学者)
29日、胃がんのため死去、71歳。 体調を崩し、1カ月ほど前から入院していた。
魔術や吸血鬼など欧州の異端の文化や美術を日本に紹介。渋澤龍彦らとともに幻想文学というジャンルの確立に貢献した。国学院大教授も務め、エッセイストとしても知られた。著書に「吸血鬼幻想」「ビンゲンのヒルデガルトの世界」など多数。著作集「種村季弘のネオ・ラビリントス」で泉鏡花文学賞を受賞した。
8/28
■新宮正春(作家)和歌山県出身。
28日午前0時50分、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去、69歳。
元報知新聞記者。長嶋茂雄氏を取材したノンフィクション「知られざる長嶋茂雄」など。時代小説家としても活躍。がんで闘病中だった。
8/26
■ローラ・ブラニガン(米ポップ歌手)
26日、脳動脈りゅうのためニューヨーク州の自宅で死去、47歳。
1980年代に活躍し、7枚のアルバムを発表。代表曲「グロリア」は全米で大ヒット、グラミー賞候補になった。
96年に夫が死亡後、一時音楽活動を停止していたが、01年から再開していた。
8/18
■エルマー・バーンスタイン(米国の映画音楽作曲家)
18日、カリフォルニア州の自宅で死去、82歳。死因は不明。
ピアノの才能に恵まれ、ニューヨークで作曲を学んだ後に1950年ハリウッドに移り、映画音楽の道に。67年の「モダン・ミリー」でアカデミー音楽賞を受賞した。 「黄金の腕」(55年)「十戒」(56年)「荒野の七人」(60年)「アラバマ物語」(62年)「大脱走」(63年)など多数の作品の作曲を手掛けた。
8/17
■徳永善也(ポップス・グループ、チェッカーズのドラマー)
17日、舌がんで死去した。40歳。告別式は近親者だけで行い、後日、送る会が開かれる予定。
1983年のデビューから92年の解散までチェッカーズの一員として活動し、「クロベー」の愛称で親しまれた。
8/15
■根本光晴(CMディレクター)
15日、脳こうそくで死去。64歳。
「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」(丸大食品)など約1300本のテレビCMを手がけた。また、楽人(らくじん)の名で書家としても活躍した。
8/10
■林健太郎(歴史学者、東京大学長)
10日、心不全のため、東京都内の自宅で死亡していたことが分かった。91歳。
戦時中は反ファシズム論を展開。終戦の前年に召集され一等水兵として敗戦を迎えた。東大文学部長だった68年、東大紛争の際、学生と170時間に及ぶ団交を行い、学生側の要求を拒み通した。73〜77年に東大学長を務め、83年に自民党から参院選比例代表区に出馬し、1期務めた。
8/14
■木島 始(元法政大教授、詩人)京都市出身。
14日午後9時37分、悪性リンパ腫のため東京都文京区の病院で死去、76歳。
詩誌「列島」を発行。英米文学者としてホイットマンやラングストン・ヒューズ黒人文学など多くを翻訳。
詩作品は合唱曲としても親しまれた。
8/13
■田原節子(ジャーナリスト。田原総一朗氏の妻)東京都出身。
13日午前9時5分、多臓器不全のため東京都中央区の病院で死去、67歳。
1959年から87年まで日本テレビのアナウンサー、プロデューサーとして活躍。退社後は田原事務所の社長を務め、自身のがんの闘病経験をもとに執筆、講演活動をしていた。著書に夫総一朗氏と共著の「私たちの愛」など。
8/9
■角川照子(俳人、角川書店創業者の故角川源義の妻)東京都出身。
9日朝、東京都杉並区荻窪3の14の22の自宅で亡くなっているのが見つかった。遺族によると、病死という。75歳。
俳人で「河」主宰。作家で歌人の辺見じゅんさんは長女、角川ホールディングス社長兼CEOの歴彦氏は二男。
8/8
■フェイ・レイ(米女優)カナダ生まれ。
8日ニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去、96歳。
幼少時に米国に移住した後、10代で女優として活動を開始。1933年の映画「キング・コング」では、ニューヨークのエンパイアステートビルでキング・コングにさらわれ、手の中で絶望的に泣き叫ぶシーンで一躍有名となり「叫び声の女王」などと称された。結婚を機に42年引退したが、50年代に復帰し、テレビドラマなどに出演した。
8/7
■吉村瑠太(相撲の三段目力士)名古屋市南区出身、田子ノ浦部屋 7日午後6時56分、多臓器不全のため福岡市内の病院で死去。17歳。
大相撲の三段目力士が死去
将来を期待された17歳。現役力士の死去は昨年7月の番付外の前田以来。
吉村瑠太は2002年春場所初土俵。名古屋場所は東三段目57枚目で4勝3敗と勝ち越したが、福岡市で合宿していた7月下旬に頭痛を訴え、髄膜炎と診断されて入院していた。師匠の田子ノ浦親方(元幕内久島海)は「いろんな親方たちからも将来を期待されていただけに、本当に残念です」と話した。
8/7
■イスマエル・ロドリゲス(メキシコの映画監督)1917年、メキシコ市生まれ。
7日、呼吸器不全などのためメキシコ市内の病院で死去、86歳。
俳優などを経て42年に長編監督デビュー。主な作品に、メキシコ革命で活躍した女闘士ラ・クカラチャを描いた「サン・ブラスの動乱 大砂塵の女」(59年)、「原始怪獣ドラゴドン」(共同監督、56年)など。「価値ある男」(61年)では三船敏郎が主演した。生涯に60作以上を監督した。
8/6
■リック・ジェームス(米人気歌手)米ニューヨーク州生まれ。
6日ロサンゼルスの自宅で死亡しているのが見つかった。56歳。詳しい死因は不明だが自然死とみられる。
ニール・ヤングなどとのバンド活動を経てソロ活動に入り、1970年代後半から81年代初めにかけ「ユー・アンド・アイ」や「スーパー・フリーク」がヒット、ファンクとラップを組み合わせた独特な歌で人気を呼んだ。90年にはラップ歌手、MCハマーが「スーパー・フリーク」のカバー曲を大ヒットさせた。 麻薬中毒に苦しみ、93年コカイン使用時の暴行事件などで有罪判決を受けて服役。97年にはコンサート中に発作を起こし入院するなど健康問題を抱えていた。
8/5
■市川猿十郎(歌舞伎俳優)鹿児島市出身
5日午前5時40分、肝臓がんのため東京都新宿区の病院で死去、49歳。
76年4月に初舞台。翌年市川猿之助さんに入門、4代目市川猿十郎を名乗った。
8/4
■渡辺文雄(俳優) 東京都出身
4日、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死亡。
東京大経済学部卒業後、広告代理店の電通に勤務するが、小林正樹監督に見いだされ、映画「泉」に出演。1956年松竹と契約し、俳優の道に。大島監督作品「日本の夜と霧」「絞死刑」「少年」「儀式」などで好演した。また、たくさんの「インテリやくざ」役を演じ、新しいタイプの悪人像を構築した。テレビのバラエティー分野でも活躍し、NHK「連想ゲーム」のレギュラー、フジテレビ系「くいしんぼう!万才」初代リポーター、日本テレビ系の旅番組「遠くへ行きたい」の案内役などで親しまれた。 主な著書に、「美味は海にあり」「渡辺文雄のおいしい魚の話」などがある。
8/3
■アンリ・カルティエブレッソン(フランスの報道写真家)
3日、フランス南部の自宅で死去、95歳。死因は明らかにされていない。
ロバート・キャパらと写真家集団「マグナム」を設立したことや、写真集「決定的瞬間」で知られる。
1908年、同国ノルマンディー地方生まれ。絵画や映画を学んだ後、30年代から小型カメラのライカを持って世界各地を旅して人々の日常生活を記録。スナップショットでルポルタージュの分野を開拓、拡大し、現実感あふれる作品を残した。47年にマグナムを結成、60年代までのフォト・ジャーナリズムの全盛期を支えた。 著書、写真集多数。フランス芸術文化勲章コマンドール受章。
7/31
■朱里エイコ(歌手)東京生まれ
31日に急死していたことが2日分かった。行政解剖の結果、死因は虚血性心不全。
警視庁竹の塚署の調べによると、朱里さんは1946年3月19日生まれの58歳。
31日午後1時半ごろ、同居の男性からの通報を受けて署員が東京都足立区の自宅に駆けつけたところ、布団の上で死亡していた。肝臓の持病を患っており、病死とみられる
644年に田辺エイコの名前で歌手デビュー。同年、歌の勉強のため渡米し、帰国後の67年に朱里エイコとして再デビュー。72年に「北国行きで」がヒットし、紅白歌合戦に初出場した。「恋の衝撃」「ジェット最終便」などのヒット曲のほか、レナウンのCMソング「イエ・イエ」も歌っていた。 力強い歌唱とミニスカートからすらりと伸びた脚が人気を集め、「100万ドルの脚線美」などと脚光を浴びた。01年に芸名を「朱理エイ子」に変えていた。
7/31
■ラウラ・ベッティ(イタリアの女優)北部ボローニャ生まれ
31日死去、70歳。死因は明らかにされていない。
ジャズ歌手としてデビューし、映画界入り。ピエル・パオロ・パゾリーニ監督と親しく、「カンタベリー物語」など同監督の一連の作品に出演。ベルナルド・ベルトルッチ監督の「1900年」「ラストタンゴ・イン・パリ」にも出演した。 パゾリーニ監督の「テオレマ」では、1968年ベネチア映画祭の主演女優賞を受けた。他に「肉体と財産」「宮廷円舞曲」「かぼちゃ大王」など。
7/26
■坂高麗左衛門(萩焼宗家・坂家第十二代当主)
26日、脳挫傷で死去。54歳。
23日朝、自宅勝手口横の地面に倒れているのを訪ねてきた友人が見つけ、萩市内の病院に運ばれていた。二階から転落した可能性があると見られている。
東京芸大大学院絵画科を修了。先代の三女と結婚して陶芸を始め、1988年に十二代を襲名した。専門の日本画の絵付けをする陶彩技法を編み出し、萩焼界に新風を吹き込んだ。日本工芸会正会員。2001年に同県文化功労賞。坂家は朝鮮から渡来した初代の助八(すけはち、李敬=りけい)以来、約400年の伝統があり、長州藩の御用窯を務めた。
7/25
■下条正巳(俳優)長崎県出身
25日午後3時55分、すい臓がんのため東京都世田谷区の自宅で死去、88歳。長男は俳優の下条アトム。
1974(昭和49)年の「男はつらいよ」シリーズ第14作「寅次郎子守唄」から、渥美清さんが演じる車寅次郎の叔父で「おいちゃん」と呼ばれる車竜造役を務め、シリーズ最終となった95年の第48作「寅次郎紅の花」まで出演した。ひょうひょうとした演技で、おばちゃん役を演じた三崎千恵子さんらと並んで、シリーズを支えた。 主な映画出演作は他に「キネマの天地」「キッズ・リターン」など。
7/23
■中島 らも(作家)兵庫県出身
26日午前8時16分、脳挫傷による外傷性脳内血腫のため神戸市内の病院で死去、52歳。
神戸市内で16日未明、酔って階段から転落し頭部を負傷した。。葬儀は近親者で済ませ、後日「追悼ライブ」を開く予定。
大阪芸大放送学科を卒業後、コピーライターに。新聞で読者の相談に肩の力を抜いて軽妙に答えるキャラクターが人気を集めた。劇団の主宰や、テレビ番組の構成、ラジオのパーソナリティー、エッセイスト、ミュージシャンとしても活躍。酒好きが高じてアルコール性肝炎で入院した経験を生かして書いた「今夜、すべてのバーで」で1992年に吉川英治文学新人賞を受けた。94年、「ガダラの豚」で日本推理作家協会賞を受賞。 2003年に大麻取締法違反などで逮捕され、懲役10月、執行猶予3年の判決を受けた。
7/23
■ピエロ・ピッチオーニ(イタリアの作曲家)北イタリア・トリノに生まれ
23日、ローマの自宅で死、82歳。死因は明らかにされていない。
1930年代後半にピアニストとしてデビュー。50年代から映画音楽を手掛け、監督のロベルト・ロッセリーニやルキノ・ビスコンティらと活躍。ブリジット・バルドーが出演したジャンリュック・ゴダール監督の映画「軽蔑」(63年)などの音楽を担当した。
7/22
■セルジュ・レジアニ(フランスの俳優・歌手)1922年イタリアで生まれ
22日夜から23日朝にかけて、心不全のためパリの自宅で死去、82歳。
8才の時に家族でフランスに移住。コクトーやサルトルの演劇に出演後、映画俳優に。ジャック・ベッケル監督の映画「肉体の冠」(52年)で女優のシモーヌ・シニョレと共演して、不動の人気を獲得。ビスコンティ監督の「山猫」(62年)など十数本の映画に出演した。シャンソン歌手としても「マ・リベルテ」「レ・ルー」「脱走兵」などのヒット曲で知られる。
7/22
■イリノイ・ジャケー(米サックス奏者)
22日、心臓発作のためニューヨークの自宅で死去、81歳。
ジャズのテナーサックス奏者として活躍、ライオネル・ハンプトン、カウント・べイシー、ルイ・アームストロングらジャズ界の巨匠の大半と共演し、自らの楽団も持った。1993年1月のクリントン前大統領の就任祝賀パーティーでは前大統領とサックスを競演した。
7/22
■星 セント(漫才師)
22日、肺がんのため死去、56歳。
1972年、星ルイスと漫才コンビ「セントルイス」を結成。セントが繰り出す早口のギャグで人気を博し、「田園調布に家が建つ」などが流行した。
7/21
■ジェリー・ゴールドスミス(米作曲家)
21日、がんのためロサンゼルスの自宅で死去、75歳。
1929年ロサンゼルス生まれ。ピアニストを目指したが、ヒチコック監督の作品で映画音楽に感銘を受け作曲家に転身。米CBSテレビの事務員を経て本格的な作曲活動を始めた。 76年「オーメン」でアカデミー賞作曲賞を受賞したほかエミー賞を5回受賞。音楽を担当した主な映画は「猿の惑星」「風とライオン」などで、近年も「エアフォース・ワン」「ハムナプトラ」などを手掛けた。
7/20
■アントニオ・ガデス(スペインのフラメンコダンサー、俳優)
20日、がんのためマドリードで死去、67歳。
フラメンコのダンサー兼振付師として活躍し、巨匠カルロス・サウラ監督の映画「血の婚礼」(1981年)や「カルメン」(83年)、「恋は魔術師」(85年)などに主演し世界的に有名になった。映画の脚本も書いた。
7/20
■鈴木善幸(元首相)1911年岩手県下閉伊(しもへい)郡生まれ
19日午後9時15分、肺炎のため東京・新宿の国立国際医療センターで死去。93歳。
戦後2回目の47年衆院選で、旧岩手1区に社会党から出馬し初当選。以後、連続16回当選した。49年の衆院選で民主自由党(のち保守合同で自民党)に移り、60年に発足した第一次池田内閣で郵政相として初入閣。官房長官、厚相、党総務会長、農相などを歴任した。 80年6月の衆参同日選のさなかに大平正芳首相が急逝したことを受け、大平派の大幹部だった鈴木氏が急きょ首相に就任。激しい党内抗争が続く中で「和の政治」「話し合いの政治」を掲げて党内融和に尽くした。
7/17
■鈴木義司(漫画家)
17日午後2時45分、悪性リンパ腫のため東京都港区の病院で死去。75歳。
雑誌への投稿で頭角を現し、1953年から夕刊紙に連載を開始。66年からは読売新聞夕刊に「サンワリ君」を連載。38年間にわたって庶民の視点から世相を描き続けたが、今月2日の11240回を最後に休載していた。
ほかの作品に「キザッペ」「ケロリ子ちゃん」など。2002年日本漫画家協会賞大賞。
7/17
■北御門二郎(トルストイ翻訳家/反戦思想家)1913年、熊本県生まれ。
17日午前2時25分、肺炎のため熊本県相良村の病院で亡くなった。91歳。
東京帝大在学中にトルストイの「絶対非暴力」の思想に感銘を受け、ロシア語を学ぶため旧満州(中国東北部)ハルビンに渡ったが、8年後に大病を患い帰国。故郷の同県球磨郡に帰り農業に従事しながら、トルストイの研究を続け、先行する翻訳の誤訳を次々に指摘、ロシア文学界に論争を起こしたが、50歳を過ぎてから本格的に翻訳に取り組み「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」などで高い評価を受けた。1938年には、非暴力を貫き、徴兵検査を拒否した。
7/16
■中野孝次(作家)
16日午後3時、肺炎のため神奈川県鎌倉市内の病院で死去。79歳。
1950年東大独文科卒。カフカやノサックらの独文学の翻訳書を刊行したほか、文芸評論やエッセーを数多く執筆した。簡素な生き方としての「清貧」を提唱し日本人の生き方を問い直した「清貧の思想」はベストセラーになった。
「ブリューゲルへの旅」で日本エッセイスト・クラブ賞、自伝の「麦熱るる日に」で平林たい子文学賞、「暗殺者」で芸術選奨文部大臣賞をそれぞれ受賞。2004年には芸術印象恩賜賞を受賞した。愛犬との出会いと別れをつづった「ハラスのいた日々」(新田次郎文学賞)も愛読者が多い。80年代には中心になって文学者の反核声明の署名を訴え反響を呼んだ。
7/14
■湯浅 憲明(映画監督)
14日、脳こうそくのため死去、70歳。
大映に入社し1965年の「大怪獣ガメラ」など「ガメラ」シリーズを担当。「コメットさん」(78年)などテレビの人気ドラマも手掛けた。
7/13
■カルロス・クライバー(指揮者)
氏が13日に母親の出身地のスロベニアで死去していたことが19日判明。病死だが、死因は不明。74歳。クライバーの母親が明らかにした。 カラヤン、バーンスタインなど大物指揮者死去後はカリスマ性を備えた最後の巨匠だったクライバーは1930年、オペラ指揮の巨匠、エーリヒ・クライバーの息子としてベルリンで生まれた。父親がナチスに抗議したため、35年にアルゼンチンに脱出。54年にドイツ・ポツダムで指揮者デビュー。ドイツやスイスの歌劇場で活躍し、流麗で劇的な指揮で名声を確立した。
その後は特定の地位につかずに、バイエルン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など名門歌劇場やオーケストラと共演。ワーグナーやR・シュトラウスの歌劇を得意としたほか、ベートーベンやブラームスの全交響曲の録音も有名。
70年代からたびたび来日。94年のウィーン国立歌劇場との歌劇「ばらの騎士」の共演は歴史に残る名演とされ、日本にファンも多い。
90年代後半からはほとんど姿を見せなくなり、存命の指揮者としては伝説的な存在となっていた。最近はスロベニアで療養していた。
7/11
■原田泰夫(将棋九段、元日本将棋連盟会長)新潟県出身
11日午前3時48分、間質性肺炎のため自宅で死去、81歳。
44(昭和19)年にプロ棋士となり、61年から6年間日本将棋連盟会長を務め、82年に現役を引退。97年から連盟顧問。
7/8
■ジャン・ルフェーブル(フランスの俳優)フランス北部バランシエンヌ生まれ。
8日、心臓発作のためモロッコ中部マラケシュの自宅で死去。84歳。
パリのキャバレーなどで活躍し、ニューヨーク・ブロードウェーの舞台にも立った後、主に助演男優として「素直な悪女」(1956年)など多くのフランス映画に出演した。
7/6
■エリック・ダグラス(米俳優)
6日、ニューヨーク・マンハッタンのアパートで死亡しているのが発見された。46歳。
警察によると事件性はないが、遺体を解剖し死因を調べる予定。
俳優カーク・ダグラスが再婚後にもうけた息子の一人。俳優マイケル・ダグラスは異母兄。映画「デルタフォース3」(1991年)などに脇役で出演したが、俳優活動は80年代から90年代初めまでで、薬物中毒などで逮捕されたことで知られていた。
7/1
■マーロン・ブランド(俳優)米ネブラスカ州生まれ。
1日、ロサンゼルスの病院で死亡。80歳。 弁護士は「同氏はプライバシーを大切にする人物だった」として死因は明らかにしていない。 ニューヨーク・ブロードウェーでエリア・カザン演出の「欲望という名の電車」に出演し俳優として注目されるようになった。アカデミー賞を2度受賞。アル・パチーノやロバート・デ・ニーロなどの後輩男優の演技スタイルにも大きな影響を与えた。
俳優活動のかたわら、アメリカ先住民の支援活動も推進。73年には、「ゴッドファーザー」でのアカデミー賞授賞式に代理の女性を出席させ、ハリウッドのアメリカ先住民対応を批判させるなどして受賞を拒否した。
私生活では、90年に息子が娘の友人の殺害で有罪判決を受け、娘も5年後に自殺するなど、悲劇に見舞われた。
1951年の「欲望という名の電車」でのスクリーン登場は、衝撃的だった。ハリウッドの伝統的な二枚目スターとは一線を画し、整った顔立ちに頑強な肉体を誇示し、その態度はふてぶてしく、尊大。絵に描いたような美男子が行儀のよく分かりやすい芝居をするのが主流だったハリウッドで、体臭を感じさせるような生々しい演技で一気に注目を集める。役の内面を探究し、なりきって演じるメソッド演技を指導するアクターズ・スタジオで学び、ブランドさんの登場で、ハリウッドのスター像は大きく変わった。
恵まれない家庭に育ち、少年時代には非行に走ったこともあった。女優志望の姉の影響で、俳優学校に入学する。20代前半でブロードウェイの舞台に立ち、映画も監督したエリア・カザン演出の「欲望という名の電車」で評価を固め、映画に進出。「革命児サパタ」(52年)、「ジュリアス・シーザー」(53年)などに出演し、54年の「波止場」で最初のアカデミー賞を受賞する。
その後も次々と作品に出演するが、次第にハリウッドと距離を保つようになっていく。72年「ゴッドファーザー」で2度目のアカデミー賞主演男優賞を受けた際には、「インディアンを差別している」と受け取りを拒否した。役柄と同様、ハリウッドの反逆児、孤高のイメージを強めていった。72年の「ラスト・タンゴ・イン・パリ」、さらには79年の「地獄の黙示録」で演じた、ベトナム戦争の狂気に捕らわれたカーツ大佐の鬼気迫る演技で名優の評価を揺るぎないものにした。
晩年は肥満に悩んだり、気難しいイメージで見られたりもしたが、「白く渇いた季節」(89年)でアカデミー助演男優賞候補に挙がり、「ドンファン」(95年)、ロバート・デ・ニーロと共演した「スコア」(01年)などに出演し、演技には最後まで執念を見せていた。
6/28
■四元義隆(政界のご意見番)鹿児島県出身。
28日、神奈川県内の病院で、老衰のため、死去したことが6日、分かった。96歳。
戦後の政界に黒幕的な存在として大きな影響を与えた元三幸建設工業社長。
国粋主義者が起こした昭和7年の血盟団事件に連座。恩赦で出獄後、近衛文麿元首相の書生を務め、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作ら歴代首相と親交を持ち、戦後政界の黒幕的な存在として知られた。中曽根康弘元首相の「ご意見番」と呼ばれ、現役首相時代も一緒に座禅を組むなどした。 また、平成6年に退陣した細川護煕元首相に対し、辞任を進言したとされる。
6/28
■野沢 尚(小説家・脚本家)
28日午後2時30分ごろ、東京都目黒区八雲3のマンションで首吊り自殺。44歳。
4階にある事務所でひものようなもので首をつっているのを野沢の妻が見つけ、119番通報した。
警視庁碑文谷署の調べによると、同日午後、訪ねてきた妻が事務所のある部屋の呼び鈴を押したが応答がなく、鍵業者を呼んでドアを開けて室内に入ったところ死亡している野沢さんを見つけたという。検視の結果などから、亡くなったのは27日深夜から28日未明とみられる。
同署は、遺書が室内にあったほか、部屋が荒らされていないことなどから自殺とみている。
野沢事務所に代わって対応窓口になったフジテレビ広報部によると、通夜、告別式の日程は未定という。
調べによると、野沢さんの妻が午後に事務所を訪れた際に施錠されており、錠を壊して入ったところ、野沢さんが首をつっているのを見つけた。27日深夜から28日未明にかけて死亡したとみられる。
野沢さんは名古屋市出身で、日大芸術学部を卒業。1983年にシナリオ作家の卵らに贈られる城戸賞の入選を機に本格デビューした。人気テレビドラマ「親愛なる者へ」「この愛に生きて」「青い鳥」などの脚本を担当。 99年に「眠れる森」で向田邦子賞を、2002年には「反乱のボヤージュ」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。「その男、凶暴につき」「ラストソング」など映画の脚本も手掛けた。小説の執筆にも取り組み、97年には「破線のマリス」で江戸川乱歩賞を受賞。「深紅」など意欲的に発表を続けるマルチぶりを発揮していた。06年からNHKで放送予定のスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」の脚本も任されていたが、野沢さんの取材に時間がかかり、07年以降に放送が延期されていた。
6/21
■広岡敬一(風俗ライターの草分け)
21日午後7時55分、肺がんのため、都内の病院で死去していたことが2日分かった82歳。故人の遺志で遺体は献体された。
大正10年、中国・長春生まれ。陸軍特攻隊写真班として中国で終戦を迎え、昭和23年から、東京・吉原の赤線で働く女性を対象にした写真館を開業。その後、ラジオ東京(現TBS)などの属託カメラマンを経て、フリーライターとなり、53年には『トルコロジー』を上梓。ソープランドで働く女性の実像を初めて描き、ベストセラーとなった。滋賀県のソープ街・雄琴を舞台にした『ちろりん村顛末記』は59年、『トルコ行進曲 夢の城』(日活)として映画化された。
70歳を過ぎても現役として活躍。『浅草行進曲』や、貴重な古い風俗写真を収めた『戦後性風俗大系』など多くの著書を残した。
6/20
■早坂茂三(故田中角栄元首相秘書、政治評論家)
20日、死去した。73歳。
早大卒業後、東京タイムズ社に入社し、社会部、政治部などを担当。1962年、田中蔵相時代に大臣秘書官を務め、その後、約23年間、元首相の政務担当の秘書。85年の元首相入院を機に秘書を辞め、政治評論家として独立した。
田中元首相の秘話などを紹介した「オヤジとわたし」「政治家 田中角栄」など多数の著書がある。
6/14
■八木柊一郎(劇作家)横浜市出身
14日午前0時25分、直腸がんのため神奈川県茅ケ崎市の病院で死去、75歳。
新劇、商業演劇、ミュージカル、テレビドラマで多数の作品を発表し、岸田国士戯曲賞、芸術選奨文部大臣賞などを受賞した。主な作品に「コンベヤーは止まらない」「空巣」「国境のある家」「メリー・ウィドウへの旅」など
6/17
■峰 純子(ジャズ歌手)山形県出身。
17日午後0時45分、肺がんのため東京都新宿区の病院で死去、58歳。葬儀・告別式は未定。喪主は長男石塚信孝氏。
99年度の日本ジャズヴォーカル大賞受賞。CDアルバムに「ジュンコ・シングス・ジョージ・ガーシュイン」など。
6/12
■柳家つば女(落語家)山梨県出身
12日午後2時3分、肝硬変のため東京都文京区の病院で死去、65歳。
1958(昭和33)年、故柳家小さんさんに入門。小助から小きんとなり73年真打ち昇進。
80年六代目つば女を襲名。長男は落語家柳家小きん。
6/10
■冨田浩太郎(俳優)熊本県出身
10日午前6時27分、肺炎のため東京都西東京市の病院で死去、79歳。
劇団民芸を経て、映画、テレビ、舞台で活躍。主な作品に映画「原爆の子」「ここに泉あり」、テレビドラマ「少年探偵団」「ウルトラマン」など。俳優指導にも取り組み、著書に「俳優の音声訓練」などがある。
6/10
■野村万之丞(和泉流狂言師、総合芸術家)東京都出身
10日午前8時20分、神経内分泌がんのため東京都渋谷区の病院で死去、44歳。
和泉流野村万蔵家に生まれ、祖父は六世万蔵、父は萬(いずれも人間国宝)。3歳で初舞台。万之丞は五世で、来年1月には八世野村万蔵を襲名する予定だった。野村萬斎はいとこ。新劇舞台への出演など幅広く活躍し「狂言界の風雲児」と呼ばれた。長野パラリンピック閉会式のプロデュースを手掛けたほか、NHK大河ドラマ「利家とまつ」の芸能考証も担当した。 能楽協会理事や、京都造形芸術大特任教授を務め、2001年にフランス政府から「芸術文化勲章シュバリエ」を受章。今年4月、北朝鮮で仮面楽劇を上演。その後体調を崩し入院していた。
6/8
■コロムビア・トップ(漫才師、元参院議員)東京都出身
7日午後8時31分、肺がんの治療中だったが呼吸不全のため東京都内の病院で死去。82歳。
政治の話題を取り入れた辛口の社会時評で知られるの1950年代に、声帯模写をしていた鳥屋二郎さんと組んだ「コロムビア・トップ・ライト」が人気を集め、60年代にはテレビやラジオで売れっ子だった。74年、参院選で初当選。75年に二院クラブに入った。
80年の選挙では落選。83三年の選挙では、野坂昭如が衆院選出馬のために辞職したことで、繰り上げ当選。続く89年にも名簿一位で当選し、参院議員を通算三期務めた。
6/5
■ロナルド・レーガン (米第40代大統)イリノイ州生まれ
5日午後(日本時間6日未明)、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外の自宅で肺炎のため死去。93歳。
94年にアルツハイマー病に侵されていることを自ら公表、米国民にあてた書簡で「この病気に対する世間の認識を促したい」と訴え、療養生活を続けていた。
1911年2月6日。地方ラジオ局のアナウンサーを経て、37年、ハリウッド映画俳優に。その後、政界に転身、66年、カリフォルニア州知事に当選。80年には、共和党大統領候補に指名され、81年1月、史上最高齢の69歳で第40代大統領に就任し、2期8年を務めた。 旧ソ連を「悪の帝国」と呼び、共産主義との対決姿勢を強めるが、改革派のゴルバチョフ政権が誕生すると対話を推進、冷戦終結へ道を開いた。経済政策では大型減税と財政支出削減を柱とする「レーガノミックス」政策を実施した。訪欧中のブッシュ大統領は6日未明、「偉大な人生が終焉を迎えた」との声明を発表。米メディアは国葬が11日、ワシントンで行われる予定と報じた。レーガン氏は「強い米国の再生」を掲げ、大幅減税と歳出削減による「レーガノミクス」を推進。外交面では対ソ強硬、軍備拡大路線を貫き、後のソ連崩壊・冷戦終結を導いた。当時の中曽根康弘首相と「ロン・ヤス関係」と呼ばれた首脳外交を展開し、日米関係の強化にも努めた。
6/4
■スティーブ・レイシー(米サックス奏者)ニューヨークで生まれ
4日ボストンの病院でがんのため死去。69歳。
ピアノやクラリネット演奏を経てソプラノサックス演奏に専念、1950年代から第一人者として注目を集めた。本来は伝統派のジャズを得意としたが、フリージャズ・ピアノの鬼才セシル・テイラーと出会いフリージャズに転向、60年代以降はフランスなど欧州を拠点に活躍した。
5/19
■金田一春彦(国語学者)
19日午前11時10分、くも膜下出血のため甲府市内の病院で死去。91歳。
自宅は東京都杉並区松庵2ノ8ノ25。告別式は22日午後零時30分から東京・青山葬儀所。喪主は妻、珠江。
言語学者の金田一京助氏の長男として生まれ方言やアクセント研究、国語辞典の編さんなどで知られる。東大国文科卒。「現代新国語辞典」など多くの辞典の編さんも手掛けた。岩波新書の「日本語」は昭和30年代以降、長く読み継がれ、日本語ブームの原点となった。
東京外語大教授、上智大教授などを歴任。国立国語研究所研究員、国語学会代表理事も務めた。
1963年の吉展ちゃん誘拐事件では、電話の声から犯人の出身地を分析するなど捜査に協力。テレビ番組にも多数出演し軽妙な語り口で親しまれた。「平家物語」を琵琶の伴奏で語る平曲にも造詣が深い。
5/18
■エルビン・ジョーンズ(米ジャズドラム奏者)ミシガン州出身。
18日、米ニュージャージー州の病院で心臓病のため死去、76歳。
1960年代にジョン・コルトレーンのカルテットに加わり人気を獲得。うねるような独特の奏法を編み出し、ジャズファンからは「ドラムの神様」と呼ばれた。親日家で妻のケイコ・ジョーンズは長崎県出身。来日公演も数多い。
5/15
■三橋 達(俳優)
15日午前0時29分、急性心筋こうそくのため東京都中央区の病院で死去。80歳。
戦後、シベリア抑留生活を経て1951年、「ああ青春」で本格的に映画デビュー。代表作に「悪い奴ほどよく眠る」「天国と地獄」など。近年では北野武監督の「Dolls(ドールズ)」やNHK連続テレビ小説「まんてん」、現在公開中の映画「CASSHERN(キャシャーン)」に出演している。故黒沢明監督の作品やテレビなどで幅広く活躍した
5/12
■高見沢潤子(随筆家)
12日、老衰のため死去、99歳。
文芸評論家の故小林秀雄の実妹で、夫は漫画家の故田河水泡。代表作は「兄小林秀雄」「のらくろ一代記」など。
5/6
■バーニー・ケッセル(米ジャズギタリスト)オクラホマ州生まれ。
6日、脳しゅようのため米カリフォルニア州サンディエゴの自宅で死去、80歳。
歌手ビリー・ホリデイやサックス奏者チャーリー・パーカーら有名ミュージシャンと数多く共演した。
カーター政権で「音楽大使」に任命された。
5/4
■新治伸治(元プロ野球大洋投手)東京都出身
4日午前、東京都小金井市緑町3の2の28の自宅で死去、62歳。
東大野球部で活躍後、大洋漁業(現マルハ)に入社、出向の形で1965年に大洋(現横浜)に入団。東大出身で初めてプロ野球選手となった。通算9勝6敗の成績を残して68年に退団。大洋漁業に復帰した。
5/1
■戸川幸夫(作家)佐賀県出身
1日午前8時36分、急性腎不全のため東京都港区の病院で死去、92歳。
旧制山形高中退。55(昭和30)年「高安犬物語」で直木賞受賞。動物への愛情に満ちた小説を書き続け、主な作品に「牙王物語」「咬ませ犬」など。国の天然記念物になったイリオモテヤマネコの発見者としても知られる。日本動物愛護協会顧問。
4/29
■小鹿 番 (俳優)
29日午前1時15分、急性腎不全のため都内の病院で急死した。71歳。
小鹿さんは、森光子主演の「放浪記」で、61年の初演から菊田一夫役を演じ続けた。今年3月の名古屋・中日劇場公演で通算上演1731回となったが、中盤から「胸のあたりが痛い」と訴え、体もだるそうだった。公演後の4月上旬、検査のため病院へ行ったが、東宝の臼杵吉春プロデューサーは「奥さまの話では『通院するのがしんどいので入院して検査をしている』というので心配していた」と話した。初期の検査で肝臓に陰が見られ、その治療中に腎不全を起こしたという。
東宝重役で劇作家の故菊田一夫に仕込まれた小鹿さんが、最初に名を上げたのが菊田役。「放浪記」以外にも2作品で演じた。丸メガネ、チョビひげでひょこひょこ歩くそっくりぶりは、菊田さんの死後、晶子夫人が「主人に会いたくなったら芸術座に来ます」と言ったほど。もう1つの当たり役「ラ・マンチャ−」の軽妙なサンチョ・パンサやNHKテレビ小説「虹」の気さくな魚屋の主人など、人柄の良い小鹿さんそのままの役柄だった。 脇役としての地位が固まった74年「もう二枚目みたいな敦という名は似合わない」と、「子鹿のバンビ」から付いたニックネーム「バンちゃん」をそのまま芸名にした。鉄道ストの時、大宮市の自宅から東京・有楽町の芸術座まで三十数キロを自転車で通い周囲をびっくりさせたこともあった。
4/25
■三塚 博(元自民党衆院議員)
25日午後7時45分、都内の聖路加国際病院で死去。76歳。
早大卒業後、宮城県議を経て1972年に旧宮城1区から衆院初当選し、連続当選10回。運輸畑を歩み、85年に中曽根内閣で運輸相として初入閣し、旧国鉄の分割・民営化に尽力した。以後、通産相、外相、蔵相など重要閣僚を歴任したほか、党内では政調会長、幹事長などを務めた。 91年の安倍晋太郎元外相の死去を受け、三塚派として派閥を継承。同年の総裁選に名乗りを上げたが、宮沢喜一に敗れた。98年に領袖の座を森喜朗前首相に禅譲した。橋本内閣での蔵相時代には大蔵官僚の接待汚職事件の責任を取って辞任に追い込まれた。
昨年の衆院選に出馬せず、政界を引退した。
4/21
■藤田 田(日本マクドナルド
創業者・元社長・元会長) 大阪市出身
21日、心不全のため死去した。78歳。
東大在学中に高級雑貨輸出入業の藤田商店を創業し、後に株式会社化して社長、会長に。1971年、日本マクドナルドの設立と同時に社長に就任。順調に店舗数を増やし、82年には外食産業で売上高トップに立った。
2000年2月からは平日にハンバーガーを半額で販売するなどの新戦略を展開。デフレ下でも業績を伸ばし、01年7月には店頭(ジャスダック)上場を果たした。
だがBSE(牛海綿状脳症)騒動や半額セールの打ち切りで業績が下降。02年3月に会長兼CEOに就くが、同年12月期には連結最終損益が赤字に転落し、03年3月に退任した。86年藍綬褒章。主な著書に「ユダヤの商法」「頭の悪い奴は損をする」「勝てば官軍」などがある。
4/15
■横山光輝(漫画家)神戸市出身
15日午後10時29分、自宅で起きた火災で全身をやけどし東京都板橋区の病院で死去、69歳。
1956年から11年間、雑誌「少年」に連載された「鉄人28号」が爆発的にヒット。その後発表された「伊賀の影丸」「魔法使いサリー」などで人気が定着した。70年代以降は、全60作に及ぶ「三国志」や「徳川家康」など歴史物が評判になった。91年「三国志」で日本漫画家協会賞優秀賞。
97年に心臓病、肺がんにかかり、3年前には足を骨折するなど闘病生活が続いたが、その後は自宅療養しながら一部仕事を再開していた。 今月から「鉄人28号」のテレビアニメの新作が、テレビ東京系で放送開始。事故直前の15日未明には第2回が放送された。また、実写版映画の製作も進んでいる。
4/14
■桂 喜丸(落語家)。兵庫県出身
14日午後7時15分、脳出血のため大阪市生野区の病院で死去、47歳。
1981年、桂朝丸(現ざこば)に入門。85年、ABC漫才落語新人コンクール最優秀賞受賞。
4/11
■鷺沢 萠(作家)東京都出身
11日、心不全のため東京都内の自宅で死去、35歳。
自宅は公表しない。鷺沢さんは一人暮らしで、知人が12日に自宅で亡くなっているのを発見した。1987年、高校3年生で書いた「川べりの道」で文学界新人賞を18歳で受賞して作家デビュー。透明感のある柔らかな文体でつづる作品が人気を集めた。20歳の時、祖母が韓国人であることを知り、24で韓国に留学した。92年「駆ける少年」で泉鏡花文学賞。作品に「葉桜の日」「君はこの国を好きか」など。
4/7
■芦屋雁之助(俳優)京都市出身
7日午後1時ごろ、うっ血性心不全のため京都市上京区の病院で死去、72歳。
戦後、弟の芦屋小雁さんと漫才コンビを組んだがコメディアンに転身。テレビの喜劇「番頭はんと丁稚どん」の番頭役で人気を得た。
その後、舞台や映画にも活躍の場を広げ、1979(昭和54)年には森光子さんと共演した舞台「おもろい女」で芸術祭大賞を受賞した。
80年に始まったテレビドラマ「裸の大将放浪記」シリーズでは、放浪の天才画家山下清を演じて当たり役に。山下清そっくりの風ぼうと、本人になりきった独特のセリフ回しや身ぶりで親しまれた。また84年に歌った「娘よ」が大ヒットした。
映画の主な出演作は「泥の河」「男はつらいよ・浪花の恋の寅次郎」など。
4/6
■三遊亭歌奴(落語家)東京都出身
6日午前10時7分、肝臓がんのため、さいたま市見沼区の病院で死去、63歳。
1958年に二代目三遊亭歌奴(現・円歌)に入門し、73年に真打ちに昇進。75年に三代目歌奴を襲名した。
4/3
■石田 智(元バンド「ダニー飯田とパラダイスキング」のベーシスト)群馬県出身
3日午前10時3分、肺がんのため東京都清瀬市の病院で死去、76歳。
1956年のバンド創設時からのメンバー。バンドは「ステキなタイミング」などのヒット曲を出し、パラキンの愛称で親しまれた。60年代には坂本九さんや九重佑三子さんがボーカルに起用された。
3/28
■ピーター・ユスチノフ(英国の男優)ロンドン生まれ。
28日、心臓疾患のためスイス・ジュネーブ近郊の病院で死去、82歳。
10代から舞台俳優として活躍。1960年の「スパルタカス」と64年の「トプカピ」でアカデミー助演男優賞。その後、アガサ・クリスティ原作の「ナイル殺人事件」「死海殺人事件」などで演じた名探偵エルキュール・ポワロが当たり役となった。71年から国連児童基金(ユニセフ)親善大使を務め、90年には英国でナイトの称号を受けた。
3/26
■ジャン・ベリー(米ロック歌手)
26日、ロサンゼルス郊外の病院で死去、62歳。詳しい死因は不明だが、家族によると、1966年に遭った交通事故の後遺症に苦しんでいた。
大学時代の友人と「ジャン&ディーン」を結成、“サーファー音楽”で人気を集め、63年に「サーフシティ」で全米チャートのトップを獲得。ビーチボーイズと並ぶ60年代を代表するバンドの一つとなったが66年の事故で活動を中断、その後97年に初のソロアルバムを発表した。
3/26
■ジャン・スターリング(米女優)
26日、ロサンゼルスの自宅で死去、82歳。詳しい死因は不明。
1948年から80年にかけ「地獄の英雄」「対決」「ある戦慄」など映画約40作品に出演。「紅の翼」(54年)ではゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞、アカデミー賞候補にもなった。
3/25
■下川辰平(俳優)福岡市出身。
25日午前3時半、敗血症のため福岡市南区の病院で死去、73歳。葬儀・告別式は36日午前11時福岡市南区横手トヨタ葬祭で。喪主は妻孝子。
武蔵野美術大中退後、福岡市の劇団に加入。東京・文学座の劇団員などを経て、72年放映開始の「太陽にほえろ!」で「長さん」こと野崎太郎刑事役を好演するなど、人情味あふれる野崎刑事役で500回以上も出演し親しまれた。映画出演も「黒部の太陽」「戦争と人間」「青春の蹉跌」「雨あがる」など数多く、実力派の脇役だった。
昨年暮れから出身地の福岡で病気療養していた。文学座をへて映画、テレビで活躍。ドラマ「太陽にほえろ!」に人情味あふれる「長さん」の愛称で親しまれた。
3/23
■又野誠治(俳優、飲食店「Aサイン」経営者)
23日午後6時40分ごろ、首に布を巻き付け倒れているのを妻(25)が発見、119番し病院に搬送したが間もなく死亡した。43歳。
警視庁荻窪署は、又野さんに目立った外傷がなく、室内に争った跡がないことなどから事件に巻き込まれた可能性は小さいとみて調べている。 調べでは、又野さんは店内にある座敷であおむけの状態で倒れており、首には布が巻き付いていた。又野さんは23日午前10時ごろまで店内で妻と男性客と一緒だったが、妻が先に帰宅したという。
又野さんは「太陽にほえろ!」でデビュー、ブルース刑事を演じ人気を得た。その後も映画やVシネマに出演していた。
3/24
■三ツ矢歌子(女優)大阪市出身。
24日午後11時5分、間質性肺炎のため東京都港区の病院で死去、67歳。
葬儀・告別式は30日午前9時半から東京都品川区西五反田桐ケ谷斎場で。喪主は夫で映画監督の小野田嘉幹氏。
1955年、新東宝のオーディションに合格し、翌年に映画「君ひとすじに」でデビュー。「天城心中・天国に結ぶ恋」「人間の壁」などに相次いで出演し、清純派女優として人気を獲得。「愛の劇場シリーズ」など昼間放送のテレビドラマに多数出演し「昼メロの女王」と呼ばれた。ワイドショーの司会や、調味料のコマーシャルでも親しまれた。
3/23
■寺島尚彦(作曲家、元洗足学園音楽大教授)東京都出身。
23日午前11時44分、肺しゅようのため横浜市の病院で死去、73歳。
1960年代、「ざわわ ざわわ」の歌詞で知られ、沖縄戦で父を亡くした少女の思いを歌った「さとうきび畑」を作った。30年以上にわたって平和を願う歌として歌い継がれ、2001年からは森山良子さんが再び歌ってヒットした。
3/21
■リュドミラ・チェリーナ(フランスのバレリーナ、女優)
21日までに死去。死因は不明。79歳。
ロシア人の父とフランス人の母の間にパリで生まれる。8歳からバレエを練習、15歳でモンテカルロ・バレエ団のプリマバレリーナとなり、パリ・オペラ座やモスクワのボリショイ劇場などで公演。1946年にクリスチャン・ジャック監督の「幽霊」で映画デビュー。「赤い靴」(48年)「ホフマン物語」(50年)などの映画のバレエと演技で一躍有名になり、計22本の映画に出演した。
3/20
■いかりや長介(ザ・ドリフターズのリーダー、俳優)東京都出身。
20日午後3時半、原発不明がんけいぶリンパ節転移のため東京都港区の慈恵医大病院で死去。72歳。
葬儀・告別式 24日午後1時から東京都港区南青山葬儀所で。喪主は長男碇矢浩一氏。
1964(昭和39)年、現在のザ・ドリフターズを結成。コントが注目され、69年スタートのTBS系バラエティー「8時だヨ!全員集合」は国民的な人気に。「オッス!」「だめだこりゃ」などのギャグが流行した。
85年に同番組終了後は、黒沢明監督「夢」(90年)に出演するなど俳優として活躍。ドラマや映画の「踊る大捜査線」で見せた刑事役で演技者としても高く評価された。
3/14
■瀬川 伸(元歌手、歌手瀬川瑛子の父)北海道出身
14日午後2時3分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、87歳。
「上州鴉」「港神戸のマドロスさん」など股旅もの、マドロスもののヒット曲で知られ、1952年、56年に紅白歌合戦に出場した。
3/19
■井上八千代(人間国宝、京舞井上流前家元4世)京都市出身。
19日午後2時、脳梗塞のため京都市東山区新門前通大和大路東入西之町224の自宅で死去、98歳。
3歳で3世井上八千代に入門、14歳で名取を許されて井上愛子を名乗る。47年、4世井上八千代を襲名。
小柄ながら存在感を感じさせる舞で、座敷舞の技法に文楽人形の振りや、能の形を取り入れた井上流を発展させた。祇園の春の風物詩「都をどり」の振り付けを長年手掛けた。 55年、人間国宝の制度で初の認定者に。90年に文化勲章を受章した。観世流能シテ方の人間国宝片山九郎右衛門さんは長男。2000年、孫の三千子さんに八千代の名と家元を譲り、再び井上愛子を名乗った。
3/11
■佐藤まさあき(漫画家)大阪市出身。
11日朝、心不全のため死去、66歳。
1959年にさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロらと「劇画工房」を結成。貸本劇画で活躍し、代表作に「黒い傷痕の男」など。
3/8
■ロバート・パストレリ(米俳優)ニュージャージー州出身。
8日、米ハリウッドの自宅で死亡しているのが見つかった。薬の飲み過ぎが死因とみられる。49歳。
米テレビ界のアカデミー賞といわれるエミー賞の最優秀コメディー賞に選ばれ、NHKでも放送された「TVキャスター マーフィー・ブラウン」で主役キャスターの相棒でペンキ屋のエルディン役を演じ人気を集めた。粗野だが味のある役が得意で「ビバリーヒルズ・コップ2」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」などにも出演した。
3/2
■マーセデス・マッケンブリッジ(米女優) イリノイ州出身。
2日米サンディエゴで死去関係者は詳しい死因を明らかにしていない。、85歳。
映画デビュー作の「オール・ザ・キングスメン」(1949年)でアカデミー助演女優賞を受賞した。その後「ジャイアンツ」(56年)「武器よさらば」(57年)など多数の大作に出演。日本でもヒットした「エクソシスト」(73年)では悪魔に取りつかれた少女の声を演じた。
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■鏡里(大相撲の42代横綱)青森県出身
29日午後1時27分、敗血症のため、入院先の東京都墨田区の同愛記念病院で死去、80歳。
自宅は墨田区両国4の7の11。葬儀・告別式は親族のみで行う。
現役時代は太鼓腹を利した四つ相撲で、1941年春場所(1月)初土俵。53年初場所(1月)後、横綱に昇進。優勝4回を記録した。88年に日本相撲協会を定年退職。初代梅ケ谷の83歳に次ぐ、歴代横綱では2番目の長寿だった。
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■伴野 朗(作家、元朝日新聞上海支局長)松山市出身
27日午前9時40分、心筋こうそくのため千葉県市川市の病院で死去、67歳。
62年朝日新聞に入社。76年に北京原人の化石が消失した事件をテーマにした「五十万年の死角」で江戸川乱歩賞を受賞。上海支局長などを経て、89年退社。
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■谷 エース(漫才師)大阪府出身
26日午後7時16分、胃がんのため東京都文京区の病院で死去、67歳。
故・丘エースさんと漫才コンビ「Wエース」を組んで活躍した。
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■カール・アンダーソン(米ミュージカル俳優)
23日、白血病のためロサンゼルス市内の病院で死去、58歳。
米バージニア州で生まれ、ロック歌手などを経てミュージカルの世界に入った。「ジーザス・クライスト・スパースター」(1973年)では、キリストを裏切るユダ役を好演し人気を集めた。
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■小原宏裕(映画監督)東京都出身
20日午前3時55分、心不全のため千葉県浦安市の病院で死去、68歳。
1961年、日活に入社。ロマンポルノや青春映画などを手掛けた。代表作は「桃尻娘」シリーズ。山田詠美原作の「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」(88年)でも話題を呼んだ。
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■世良 譲(ジャズピアニスト)。島根県出身
17日午後2時19分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去、71歳。
明治大在学中にプロ入り。1965年には白木秀雄さん、日野皓正さんらとベルリンジャズ祭に参加した。ライブをはじめテレビ、CMで活躍。歌心あふれるピアノ演奏と、軽妙なおしゃべりが人気を集めた。
主なアルバムに「バッカス・スイング」など。03年、ジャズに貢献した人に贈られる南里文雄賞を受賞。
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■高木 均(俳優)東京都出身
11日午前1時7分、虚血性心不全(推定)のため東京都内の自宅で死去、78歳。
1949年に文学座に入団。63年の劇団分裂で退団し、劇団雲や演劇集団円に参加。代表作に「ワーニャ伯父さん」のテレーギン役など。声優としてアニメの吹き替えに数多く出演。ムーミンパパのほか、「銀河鉄道999」のナレーションや映画「となりのトトロ」のトトロの声などで親しまれた。
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■杉本健吉(洋画家)
10日、肺炎のため死去、98歳。告別式は近親者のみで行った。
1950年から週刊朝日に連載された吉川英治の小説「新・平家物語」の挿絵で知られる。大阪・四天王寺に6年がかりで完成させた「聖徳太子御絵伝」、「墨絵奈良」などが代表作。
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■柿元嘉和(日本中央競馬会騎手)滋賀県出身
5日午後9時34分、兵庫県西宮市の病院で死去、38歳。
85年に騎手免許を取得し、2411戦で109勝をマーク。昨年4月の騎乗を最後に病気で療養していた。
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■手塚 しげお(歌手、俳優)山梨県出身
4日午後4時20分、肺がんのため大阪府高槻市の病院で死去、62歳。
1960年代にアイドルグループ「スリー・ファンキーズ」のメンバーとして人気になり「恋人は海の彼方に」などのヒット曲を出したほか、テレビドラマ「矢車剣之助」「ワイルド7」などでも活躍した。昨年6月から入退院を繰り返していた。
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■コーネリアス・バンプス(米サックス奏者)
3日、米ミズーリ州カンザスシティーに着陸した旅客機内で心臓発作のため死去。58歳。
知人らによると、カリフォルニア州で演奏するためニューヨーク発の飛行機に乗ったが機内で心臓発作を起こし、同機はカンザスシティーに緊急着陸した。1980年代前半ごろ、米ロックグループ「ドゥービー・ブラザース」に一時メンバー参加した。
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■池田 貢(大相撲元行司第29代式守伊之助)和歌山市出身。
2日午後8時43分、肺炎のため埼玉県川口市の病院で死去、68歳。
1946年秋場所初土俵。95年初場所から第29代式守伊之助を襲名し、2000年名古屋場所を最後に定年で引退した
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■加藤 道子さん(声優)東京都出身
31日、すい臓がんのため東京都港区の病院で死去、84歳。
1941(昭和16)年、NHKの東京放送劇団養成所第1期生となり、女性の声優の草分けとなる。ラジオ番組として始まった紅白歌合戦第1回の紅組司会者を務めた。54年スタートのラジオドラマ「日曜名作座」(NHK)では、森繁久弥との掛け合いを放送開始から務めた。
番組は40年以上続いた超長寿番組。83年に紫綬褒章、92年勲四等宝冠章を受章した。
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■桂 文治(落語家)東京都出身
31日午後5時17分、急性白血病による腎不全のため東京都新宿区の病院で死去、80歳。
46(昭和21)年、初代桂小文治に入門。二代目桂伸治を名乗り、テレビ演芸番組「お笑いタッグマッチ」に出演、人気を集めた。79年、十代目文治を襲名。歯切れのいい語り口、折り目正しい芸風で親しまれた。
99年、落語芸術協会会長に就任、2003年末、高齢を理由に退任を表明、1月31日が任期最終日だった。955年度芸術選奨文部大臣賞、02年、勲四等旭日小綬章。南画や書もたしなみ、多芸で知られた。
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■白木義一郎(元公明党参院議員、元プロ野球投手)東京都出身
25日午前10時、急性腎不全のため大阪府吹田市古江台2の6の10の自宅で死去、84歳。
プロ野球の東急フライヤーズなどで投手として活躍。通算97勝を上げ、46年には30勝で最多勝に輝いた。56年大阪地方区から参院議員に初当選。5回連続当選し、公明党副委員長などを務めた。
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■青木富夫(俳優)横浜市出身
24日午前8時12分、肺がんのため東京都世田谷区の病院で死去、80歳。
「突貫小僧」(1923年)「生れてはみたけれど」(32年)など小津安二郎監督作品の子役として活躍。2000年に篠崎誠監督の「忘れられぬ人々」でナント3大陸映画祭主演男優賞を受賞した。
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■アン・ミラー(米女優)
22日、ロサンゼルスの病院で肺がんのため死去、81歳。
幼少のころからステージに立ち、ハリウッドのナイトクラブで見いだされ、映画界入り。「踊る大紐育(ニューヨーク)」(1949年)でジーン・ケリーやフランク・シナトラと共演した。 このほか「キス・ミー・ケイト」(53年)などに出演。1分間に500回ステップを踏むといわれたタップダンスで、ミュージカル舞台でも活躍した。
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■レイ・スターク(米映画プロデューサー)ニューヨーク出身。
17日、ロサンゼルスで死去、90歳。1914年生まれ。死因は明らかでないが、数年前から療養中だった。
ナイトクラブで働いていた無名のバーバラ・ストライサンドを抜てきし、大スターに育てたことで知られる。
ニューヨーク大などを卒業後、記者、広告制作、生花店従業員などを経て1940年代にラジオの仕事に携わり、その後映画界へ。「ファニー・ガール」(68年)「追憶」(73年)など120以上の映画製作を手掛けた。
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■オリビア・ゴールドスミス(米人気作家)ニューヨーク市出身。
15日、米ニューヨーク・マンハッタンの病院で死去、54歳。今月初め美顔手術中に心臓まひを起こしてこん睡状態が続いていた。
女性の倫理観や生き方をユーモアを交えて描いた作品が人気を集め、浮気に走った夫に団結して仕返しする3人の女性を描いたデビュー作「第一夫人同盟」(1992年)は、96年に「ファースト・ワイフ・クラブ」として映画化され話題を呼んだ。ほかに「ザ・ベストセラー」「女優の条件」など。
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■アレクサンドラ・リプリー(米作家)
25日、家族の話として伝えたところによると10日、米バージニア州リッチモンドの自宅で死去、70歳。
死因の詳細は不明だが、家族は自然死としている。
「チャールストン」(1981年)などの歴史小説を手掛けた後、名作「風と共に去りぬ」の作者、故マーガレット・ミッチェルの相続人の依頼を受け、続編「スカーレット」(91年)を発表。厳しい批評を受けたものの当時ベストセラーとして人気を博した。
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■ジャック・モイヤー(海洋生態学者)
10日、東京都北区桐ケ丘1の5のE13の304の自宅で死亡しているのが見つかった。遺書があることから自殺とみられる。74歳。
米国の大学で生物学と東洋学を学び、約50年前に三宅島に移住した。住民と交流しながら自然や海を学ぶ教室を開くなど、環境教育にも長く貢献。東京大でさんご礁にすむ魚の生態に関する研究で博士号を取得した。 日本魚類学会理事、都観光事業審議会委員なども務めた。三宅島の噴火後、都内に避難。02年、復興のため「三宅島救済アカコッコ基金」を設立した。
01年に自殺した世界的な潜水家ジャック・マイヨールとも親しかった。
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■イングリッド・チューリン(スウェーデンの女優)北部のソレフテオー生まれ
7日、がんのためストックホルムの病院で死去、AP通信などによると、77歳。
ストックホルムの王立ドラマ劇場付属俳優学校で学んで舞台に立ち、1948年に映画デビュー。「野いちご」(57年)など、イングマール・ベルイマン監督の諸作品で知的な風ぼうの女性を演じ、同監督の「女はそれを待っている」(58年)でカンヌ映画祭主演女優賞を受賞。米国などの外国映画にも進出した。60年代からローマに住んでいたが、病気治療のため、スウェーデンに戻っていたという。
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■タグ・マグロー(メジャーリーガー)
5日、米テネシー州ナッシュビル近郊の息子宅で脳腫瘍のため死去。59歳。
米大リーグで1969年のワールドシリーズを制した“ミラクル・メッツ”の中継ぎ左腕マグローはスクリューボールを武器に活躍。チームが開幕から不振続きだった73年には“You Gotta Believe(信じることだ)”との名せりふを生み、逆転優勝の原動力になった。75年からフィリーズに移籍し、80年のワールドシリーズでは1勝2セーブを挙げて優勝に大きく貢献した。
19年間の通算成績は824試合に登板し96勝922敗、180セーブ、防御率3・14。
1/5
■中村喜春(江戸っ子芸者)
5日早朝(日本時間同日夜)、ニューヨーク市内の自宅で死去した。90歳。
医師の家庭に生まれ、16歳で芸者に江戸っ子芸者一代記」などの著書で知られる。英語が堪能で、チャールズ・チャップリンやジャン・コクトーなど来日した多くの著名外国人にひいきにされた。56年に単身で渡米、小唄や日本舞踊、三味線などを教え、日本文化を伝えた。
83年、話し言葉で半生をつづった「江戸っ子芸者一代記」を出版、8カ国語に翻訳され、NHKでテレビドラマ化されるなど話題を呼んだ。
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■和田 弘(コーラスグループ「和田弘とマヒナスターズ」のリーダー)
5日、不整脈のため死去、72歳。
1953年にマヒナスターズを結成。ムード歌謡のコーラスグループの草分けとなり、スチールギター奏者として活躍した。故松尾和子さんと歌った「誰よりも君を愛す」が日本レコード大賞を受賞。「好きだった」や「お座敷小唄」などもヒットした。
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■ジョン・トーランド(米ノンフィクション作家)
4日、肺炎のため米コネティカット州ダンベリーの病院で死去、91歳。
太平洋戦争時代の日本の歴史を日本の視点から描いたと評価された「ザ・ライジング・サン」(邦題「大日本帝国の興亡」)で1971年にピュリツァー賞受賞。また日本の真珠湾攻撃を当時のルーズベルト米大統領が事前に察知していたとした「真珠湾攻撃」(82年)で論議を呼んだ。
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■桂 枝助氏(落語家)東京都出身
2日午後3時4分、すい臓がんのため東京都新宿区の病院で死去、60歳。
74年に真打ち昇進。2000年から落語芸術協会監事を務めた。
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