★1999年  ★2000年  ★2001年  ★2002年 ★2003年  ★2004年  ★2005年  ★2006年  ★2007年  ★2008年  ☆2009年

★1999年〜2007年
2002年【地球号を降りたあの人この人、気になる人々


12/30
■メアリー・ブライアン(米女優)テキサス州出身。
30日、心不全のため米カリフォルニア州サンディエゴの老人ホームで死去、96歳。
 美人コンテストで映画関係者に見いだされたのをきっかけに、映画「ピーター・パン」(1924年)で女優デビュー。無声映画「ボー・ジェスト」(26年)やゲーリー・クーパーとの共演で脚光を浴びた西部劇「ヴァージニアン」(29年)など80本以上の映画に出演した。
12/29
■金城興福(大相撲元関脇金城)宮崎県高鍋町出身。
29日、心筋梗塞(こうそく)で死去、49歳。自宅は愛知県春日井市大手町1139の1。
 春日野部屋に入門後、1974年秋場所に入幕。北の湖、若乃花(2代目横綱)らと同じく昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人。幕内在位は60場所で敢闘賞3度。87年夏場所に引退した。
12/28
■三橋町子(元女優安西郷子、俳優三橋達也氏の妻)大阪府出身。
28日午後11時28分、肝不全のため東京都渋谷区の病院で死去、68歳。
12/28
■大ヒット映画「南極物語」などで知られるの蔵原惟繕(映画監督)旧英領ボルネオ生まれ。
28日午後9時48分、肺炎のため横浜市金沢区の病院で死去。75歳。
自宅は横浜市中区山手町159ノ2
 1957年、石原裕次郎主演の「俺は待ってるぜ」で監督デビュー。「憎いあンちくしょう」(62年)「キタキツネ物語」(78年)「青春の門」(81年)など多くのヒット作を手掛けた。
 また、代表作となった「南極物語」(83年)は、97年に宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」に抜かれるまで当時としては日本映画史上最高の配給収入、観客動員数を記録した。
12/27
■ジョージ・ロイ・ヒル(米映画監督) 米ミネアポリス生まれ
27日、ニューヨークの自宅でパーキンソン病の合併症のため死去、80歳。
エール大で音楽を専攻。第2次大戦と朝鮮戦争に従軍後、舞台俳優を経てテレビや舞台の脚本、演出で活躍、60年代から映画に進出した。
 バート・バカラック作曲の主題歌が大ヒットした「明日に向かって撃て!」(69年)でアカデミー賞の作曲、脚本など4部門の賞を獲得して名声を確立、同じ主演コンビのポール・ニューマンとロバート・レッドフォードを起用した「スティング」(73年)は作品、監督、脚本など7部門で受賞した。「スローターハウス5」(72年)ではカンヌ映画祭審査員賞を受賞。
12/27
■ケネス・トビー(米俳優)カリフォルニア州オークランド出身。
22日、米カリフォルニア州ランチョミラージュの病院で死去、85歳。死因は明らかにされていない。
 SF映画「遊星よりの物体X」(1951年)や「原子怪獣現わる」(53年)の出演でスターの地位を確立。その後も「無法のライフル」(66年)や「ハウリング」(81年)など約100本の映画に出演した。
12/26
■ハーブ・リッツ(米写真家)ロサンゼルス出身
26日、肺炎による合併症のため米ロサンゼルスの病院で死去、50歳。
1970年代後半に米俳優リチャード・ギアの無名時代を撮影した写真が注目され、プロデビュー。エリザベス・テーラーやマドンナ、ジャック・ニコルソンら大物芸能人の撮影に次々成功、多くの作品が有名ファッション誌「ヴォーグ」などの表紙を飾った。 中でも、マドンナのなまめかしい姿を撮ったアルバム「トゥルー・ブルー」(86年)のジャケット写真は大きな反響を呼んだ。
12/25
■鷹羽十九哉(推理作家)栃木県出身
12月25日午後10時12分、心不全のため東京都豊島区の病院で死去、74歳。
83年「虹へ、アヴァンチュール」で第1回サントリーミステリー大賞受賞。著書はほかに「板前さん、ご用心」など

12/14
■明智十三郎(俳優)朝鮮江原道生まれ。
 14日午後9時30分、前立腺がんのため東京都大田区の病院で死去、76歳。
 1956年新東宝入りし、時代劇の若手スターとして活躍。代表作に「若君漫遊記」シリーズなどがある。60年代以降はテレビの時代劇にも出演した。
12/12
■ブラッド・デクスター(米俳優、映画製作者)米ネバダ州出身。
12日、米カリフォルニア州ランチョミラージュで死去、85歳。死因は明らかにされていない。
 映画「アスファルト・ジャングル」(1950年)の出演で注目され、名画「荒野の七人」(60年)やフランク・シナトラ主演の「脱走特急」(65年)などに出演。歌手ビリー・ホリデイの自伝映画「奇妙な果実」(72年)をプロデュースした。 53年に歌手ペギー・リーと結婚したが、8カ月後に離婚するなど私生活でも話題を振りまいた。

12/12
■笠原和夫(脚本家)東京都出身。
12日午前4時37分、東京都武蔵野市の病院で肺炎のため死去。75歳。
 東映宣伝部を経て、63年ごろから東映の任きょう映画の中心的なライターとして活躍。特に深作欣二監督と組んだ70年代の「仁義なき戦い」シリーズが高い支持を集めた。代表作は他に「やくざの墓場・くちなしの花」「日本海大海戦 海ゆかば」など。 日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞。著書に「仁義なき戦い」「破滅の美学 ヤクザ映画への鎮魂曲」など。
12/10
■イアン・マクノートン氏(英国の俳優・監督)英北部グラスゴー生まれ
10日、ドイツのミュンヘンで、一昨年の交通事故による負傷が悪化し死去、76歳。
英テレビの爆笑ナンセンス番組「モンティ・パイソン」シリーズなどを監督した。。映画「アラビアのロレンス」の脇役などを経て、英BBC放送で1969年から74年まで放映された同シリーズの大半を監督。映画化された「モンティ・パイソン・アンド・ナウ」(75年)の監督も務めた。
12/9
■千葉 茂(プロ野球、元巨人内野手、元近鉄監督)愛媛県出身。
9日午前、東京都新宿区市谷砂土原町で死去していたことが分かった。病死とみられる。83歳。
 38年、愛媛・松山商から巨人に入団。背番号3の名二塁手として活躍、川上哲治、青田昇氏らとともに巨人の第二期黄金時代を築き、7度のベストナインに選ばれた。
 59年から近鉄の監督に就任。近鉄は千葉氏のニックネーム「猛牛」をとって近鉄パールスから近鉄バファロー(現バファローズ)と名称を変更した。62年から野球評論家として活躍し、80年に野球殿堂入りした。
12/6
■フィリップ・ベリガン(米反戦・反核運動家)
6日、がんのため死去、79歳。
1960年代から反戦・反核運動を展開した。
 第2次世界大戦に従軍後、一時、カトリック神父を務めた。ベトナム戦争や核兵器開発に反対。67年に米メリーランド州ボルティモアで行われた反戦活動に参加、徴兵資料に血をかけるなどした。80年には核ミサイルを製造しているペンシルベニア州のゼネラル・エレクトリック社(GE)の工場に侵入、抗議行動を行った。反戦・反核活動で100回以上逮捕され、計11年間を刑務所で過ごした。 
先月、妻にあてた手紙で「核兵器の製造や使用は神や人類への冒涜であるとの確信をもって死んでいく」と述べた。
12/5
■アーベル・ショウ(米ジャズベース奏者)ミズーリ州セントルイス出身。
5日、心臓発作のため米ニューヨークの自宅で死去、79歳。
 ジャズ界の巨匠ルイ・アームストロングに気に入られ、数多くのライブ演奏に参加。映画「グレン・ミラー物語」(1954年)にもアームストロングの楽団員として出演した。代表的な参加アルバムに「サッチモ・アット・シンフォニー・ホール」などがある。
12/5
■ボブ・バーグ(米テナーサックス奏者)ニューヨーク市出身。
5日午前、交通事故のためニューヨーク州ロングアイランドの路上で死去、51歳。
 18歳でジュリアード音楽院に入り、その後ジャズ奏者として活動。80年代前半にマイルス・デイビスのグループに招かれ、日本をはじめ世界各国へのツアーに参加した。

12/1
■アキッレ・カスティリオーニ(イタリアのインテリアデザイナー、建築家)ミラノ出身。
死因や死亡した日時などは不明、ミラノの自宅で死去、84歳。
4日に葬儀が済むまで遺族が公表を控えていた。 1944年に地元大学の建築科を卒業。数年後、兄らとスタジオを開き、工業デザインの新形式の調査、研究を開始した。 ランプやいす、灰皿といった屋内製品に新たな形を与え、イタリアの現代デザインの名声を世界的に高めた。有名な作品としては、トラクターのシートを使った鉄製いすや、車のヘッドライトで作ったランプなどがある。イタリアのデザイン分野での最高賞とされる「コンパッソドーロ賞」を9回受賞した。
12/2
■マル・ウォルドロン(米ジャズピアニスト )ニューヨーク
2日、ブリュッセルで死去、76歳。死因は不明だが、大腸がんと診断されていた。
「レフト・アローン」などで知られるジャズ界の巨匠。大学卒業後、サックス奏者からピアニストに転じた。1950年代に米歌手、ビリー・ホリデイの晩年の伴奏者として活躍。彼女の死を悼んで発表した「レフト・アローン」のほか数多くの傑作を残した。日本人女性と結婚して子供をもうけた。70年代以降、何度も日本を訪問し、95年には長崎で平和祈念コンサートを開くなど日本でも精力的な演奏活動を続けた。
12/1
■デーブ・マクナリー(メジャーリーガー投手)モンタナ州ビリング
1日に生まれ故郷のモンタナ州ビリングでががんのため、死去。60歳。
オリオールズ時代の1968年から4年連続で20勝以上をマーク。オリオールズのワールドシリーズ制覇に2度貢献するなどした後、エクスポズにトレードされた。 同投手は移籍1年目の75年、契約を結ばないままプレー。ドジャースのアンディ・メサースミス投手も同じく契約書にサインせずにプレーしたことから、機構側と選手会がFA制を話し合うことになった。米大リーグ、フリーエージェント(FA)制が導入されるきっかけをつくった選手の1人。
通算成績は184勝119敗、防御率3.24。ワールドシリーズでただ1人満塁本塁打を放った投手。
11/30
■平井康三郎(作曲家、指揮者)
11月30日、肺炎のため死去、92歳。
昭和11年、東京音楽学校(現東京芸大)研究科作曲部を修了後、同校教官などを経て、「大いなる哉」でデビュー。
歌曲や合唱曲などを幅広く手がけた。童謡「とんぼのめがね」「スキー」などの作曲者としても知られる。詩と音楽の会会長

11/29
■家永三郎(東京教育大名誉教授、家永教科書裁判原告)名古屋市出身。
29日夜、東京都練馬区の病院で死去、89歳。
65年、大幅な修正を求められ合格した自著の高校用教科書「新日本史」をめぐり、最初の教科書訴訟(損害賠償請求)を提起。訴訟は第2次、第3次と続いた。2次訴訟の一審判決(70年)は教科書検定を違憲としたが、その後最高裁が審理を差し戻し、89年に東京高裁で敗訴が確定。1次訴訟も敗訴した。
 しかし3次訴訟では最高裁が97年「七三一部隊」の記述に対する検定意見に裁量権の逸脱があったと認定、国に総額40万円の支払いを命じ、一連の教科書訴訟は終結した。
11/29
■ダニエル・ジェラン(仏、俳優) フランス中部アンジェ出身。
29日、腎臓病のためパリ市内の病院で死去、81歳。
17歳の時、パリに出て演劇を学び、職を転々とした後、演劇と映画の世界に。舞台ではジャン・コクトーの「恐るべき親たち」など多くに出演。映画は「愛情の瞬間」(1952年)「ナポレオン」(54年)「裸で御免なさい」(56年)などに出演、フランス映画の代表的な二枚目俳優として活躍した。
11/28
■吉原幸子(詩人)東京都出身。
11月28日午後2時20分、肺炎のため東京都千代田区の病院で死去、70歳。
 東大仏文科卒。詩集「幼年連祷」で室生犀星賞。「オンディーヌ」「昼顔」で高見順賞。「発光」で萩原朔太郎賞。詩人の新川和江さんと雑誌「現代詩ラ・メール」を創刊し、多くの女性詩人に発表の場を提供した。
11/28
■西村正夫(元プロ野球阪急ブレーブス監督)高松市出身。
28日午後2時、肺炎のため高松市御坊町7の7の自宅で死去、90歳。
 関西大卒業後、日本でプロ野球が始まった1936年から阪急(現オリックス)の外野手として活躍。43年から監督、助監督を兼任し、50年に現役引退。その後も阪急の監督、助監督などを務めた。
11/18
■ジェームズ・コバーン(米俳優)ネブラスカ州出身。
18日、心臓発作のためビバリーヒルズの自宅で死去。74歳。
舞台とテレビを経て1959年に映画デビュー。黒澤明監督の「七人の侍」をリメークした60年の「荒野の七人」でナイフ投げの達人ブリット役を演じて注目を集め、「大脱走」(63年)、007映画のパロディーで初主演作の「電撃フリント」シリーズ(66、67年)、「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」(73年)「戦争のはらわた」(75年)など多くの作品に出演した。
80年代は一時、健康を害してスクリーンから遠ざかったが、その後復活。「白い刻印」の子供を虐待するアルコール依存症の父親役で98年度のアカデミー賞助演男優賞を受賞した。
故ブルース・リーの高弟で空手の名手であり、ヨガや禅の研究者としても知られた。
11/14
■エディ・ブラッケン(米喜劇俳優)ニューヨーク出身。
14日、合併症のため米ニュージャージー州の病院で死去、87歳。
 子役を経て1930年代後半からブロードウェーで頭角を現し、コメディー映画「モーガン・クリークの奇跡」(44年)の主演で脚光を浴びた。その後も「サマー・ストック」(50年)や「オスカー」(91年)「ホーム・アローン2」(92年)など、コメディーやミュージカルの分野を中心に40本以上の映画に出演した。
11/13
■ローランド・ハナ(ジャズピアニスト)デトロイト出身。
13日早朝(日本時間同日午後)、不整脈による心臓疾患のため、米ニューヨークの病院で死去。70歳。
「ベニー・グッドマン楽団」や「サド・ジョーンズ〜メル・ルイス楽団」などにも参加、卓抜したテクニックと強烈なスイング感で世界中で人気を集めた。 人権問題にも取り組み、近年は大学で教え、若手育成にも努めていた。
 日本での人気も高く、たびたび来日。今年は5月に続き10月にも来日したが、体調不良のため予定を切り上げて帰国。その後も入退院を繰り返し、13日に容体が急変したという。

11/10
■ミシェル・ボワロン(フランス映画監督)パリ南西部のシャトーヌフ出身。
10日朝、パリ郊外のラセルサンクローで死去、81歳。
 1945年映画界入りし、ジャン・ドラノワ、ジャン・コクトー、ルネ・クレールらの助監督を務めた後、55年にブリジット・バルドー主演の「この神聖なお転婆娘」を監督。その後もバルドーのコメディー「殿方ご免遊ばせ」(57年)や「お嬢さん、お手やわらかに!」(58年)「パリジェンヌ」(61年)など、恋愛と娯楽のコメディー作品を監督、75年まで現役で活躍した。 70年代にはテレビにも手を広げ、ペローの童話「親指太郎」などを監督した。
11/5
■ジェリー・ソール(米SF作家) ロサンゼルス出身。
4日、米カリフォルニア州サウザンドオークスの病院で死去、88歳。死因は明らかにされていない。
大学を中退してジャーナリズムの道に進み、第二次大戦後にいくつかの新聞で写真記者や警察担当記者、批評担当を務めた。「異次元への冒険」「合成人間『22X』」(邦題)などSF小説や、テレビ番組「スタートレック」「トワイライトゾーン」などの脚本も手掛けた。
11/5
■ビリー・ミッチェル(米ポピュラー歌手)ワシントン出身。
5日、米ワシントンの病院で死去、71歳。死因は明らかにされていないが、大腸がんを患っていた。
50年代に人気を集めた黒人ボーカルグループ「ザ・クローバーズ」のリードボーカル。59年のヒット曲「恋の特効薬」は、映画「アメリカン・グラフィティ」(73年)の挿入歌として使われ話題になった。
11/5
■范 文雀(女優)東京都出身。
5日午後1時38分、心不全のため東京都千代田区の病院で死去、54歳。
 両親が中国人で、籍は台湾にある。東京都で生まれ、広島市で育った。1969年から70年にかけて放送された「サインはV」で、X攻撃という強力な技を見せるバレーボール選手、ジュン・サンダース役を演じ大きな人気を集めた。 他の出演作にドラマ「アテンションプリーズ」「影同心」、映画「野良猫ロック」シリーズなど。
11/3
■ロニー・ドネガン(英国人気歌手)
3日、コンサートツアー中の英中部ペーターバラで死去、71歳。死因は明らかになっていないが、心臓発作を起こしたことがあり、ここ数日も胸の痛みを訴えていた。
1950年代に流行したフォークやジャズなどを盛り込んだスタイル「スキッフル」で人気を集めた。ヒット曲に「ロック・アイランド・ライン」などがある。
10/31
■ラフ・バローネ(イタリアの映画俳優)
31日、ローマの病院で死去、86歳。
デビュー作となったイタリア・ネオリアリスモの名作「にがい米」(1948年)などの演技で知られる。
16年、イタリア南部カラブリア生まれ。新聞記者などを経て第二次世界大戦後に俳優に転身した。他の出演作に「ふたりの女」(60年)、「ゴッドファーザーPART3」(90年)など。
10/30
■溝口 勝美(映画プロデューサー、監督)兵庫県出身。
10月30日午前3時15分、骨髄腫のため京都市の病院で死去、72歳。
 兵庫県庁職員から大映京都撮影所に入社し、伊藤大輔監督の「地獄花」などを企画。市川崑、マキノ雅弘両監督らの助監督を経て、テレビドラマ「横溝正史シリーズ」などを企画した。

10/25
■リチャード・ハリス(アイルランドの映画俳優)1930年10月1日、アイルランド生まれ。
25日、ホジキン病(悪性リンパ腫の一種)のためロンドン大学病院で死去、72歳。
 映画「ハリー・ポッターと賢者の石」のボグワーツ魔法学校の校長役で知られる。
ロンドン演劇学校卒業後、主に米ハリウッドを中心にテレビや舞台に出演。1963年に映画「孤独の報酬」で主演を務め、カンヌ映画祭の男優賞を受賞。81年にナイトの称号を与えられた。 主な主演作品として「ナバロンの要塞(ようさい)」「輝きの大地」「許されざる者」などがある。
 ハリー・ポッター第2作の撮影終了後に体調を崩し、2カ月前からホジキンズ化学療法を受けていた。

10/23
■アドルフ・グリーン(米ミュージカル作家)
 23日夜ニューヨークの自宅で、死去。87歳。死因は不明。
 ベティ・カムデンとのコンビでブロードウェーのミュージカル作家・作詞家として多くの名作を生み出し、トニー賞を5回受賞した。ミュージカル映画の最高傑作といわれる「雨に唄えば」(1952年)も2人の作品。
 コンビのブロードウェー・デビュー作「オン・ザ・タウン」(44年)は作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインにとって初のミュージカル作品。後に映画「踊る大紐育」(49年)に改作され、劇中歌「ニューヨーク、ニューヨーク」は主演したフランク・シナトラのヒット曲となった。

10/23
■山本夏彦(コラムニスト)東京都出身。
23日午前3時50分、胃がんのため東京都中央区の病院で死去していたことが26日、分かった。87歳。
 東京府立五中(現都立小石川高校)を卒業後、パリのユニベルシテ・ウブリエールなどに学んだ。1951年、出版社「工作社」を設立し、55年にインテリア雑誌「木工界」(のち「室内」と改題)を創刊、長く編集兼発行人を務めた。また、作家安部譲二氏らを発掘した。
 週刊新潮の「夏彦の写真コラム」など雑誌、新聞に軽妙、辛らつなコラムを執筆。84年「現代希少のコラムニスト」として菊池寛賞を受賞した。
 97年には東京都文化賞が内定していたが、「女に参政権はいらない」と題したコラムが問題となり、女性選考委員らの反対に遭って内定が取り消されるという騒動もあった。
 主な著書に「私の岩波物語」「戦前という時代」「無想庵物語」(読売文学賞)など。
10/21
■ベルナール・フレッソン(フランス俳優)
21日、パリ郊外の病院で死去。71歳。詳しい死因は公表されていない。
 1931年フランス北部ランス生まれ。名門校の国立高等商業学校を卒業後、舞台俳優となり、アラン・レネ監督の映画「二十四時間の情事(原題ヒロシマ、モナムール)」(59年)にドイツ将校役で出演。以降、ルネ・クレマン監督「パリは燃えているか」(66年)など有名作品に主に助演男優として出演。
 今年のカンヌ映画祭に出品されたニコール・ガルシア監督の「見えない嘘」にも出演していた。
10/21
■トム・ダウド(米国のレコード制作者、録音技師)
27日、米フロリダ州南部の看護施設で死去、77歳。2年前から呼吸器系疾患を患っていたという。
 ジャズのジョン・コルトレーン、ロックのエリック・クラプトン、ソウルのアレサ・フランクリンら多くの一流演奏者の録音を手掛け「理想的な録音技師」(クラプトン)と評価された。1960年代半ばまでアトランティック・レコーズの専属だったが、その後、フリーとなり、制作者としても活躍した。

10/21
■國弘威雄(脚本家、日本シナリオ作家協会常務理事)
21日、ぼうこうがんのため死去、71歳。
 代表作は映画「遥かなる甲子園」やテレビ時代劇「必殺シリーズ」など。
10/21
■笹沢左保(作家)
21日、肝細胞がんのため死去。71歳。本人の意向により密葬。
 昭和5年、詩人・笹沢美明氏の三男として、横浜に生まれる。27年から35年まで、郵政省に勤務し、その傍ら推理小説専門誌「宝石」などに作品を書いた。36年、筆名を左保に改名。初期から一貫して「孤独と人間不信」というテーマを追求し、裏街道をさすらうアウトサイダーの生き方を描いた「木枯し紋次郎」シリーズで新境地を開拓した。このシリーズはテレビ化されて大ヒットした。 東京育ちながら、63年8月から「たったひとりの遷都」として、佐賀県に住んだ。昨年秋、東京の自宅へ戻った。多作ぶりは有名で、生涯の著作は三百七十七冊に達した。代表作は「六本木心中」「見返り峠の落日」「取調室」など。平成11年、日本の推理小説振興に貢献したとして日本ミステリー文学大賞を受賞した。 酒豪としても知られ、主治医の勧めで平成4年に胃腸の検査を受け、胃がんが発見された。その後、大腸、舌など早期がんの手術を六回受けたが、通院しながら執筆を続けた。今年八月には肝臓がんの診断を受けたが、手術を断り、自宅で療養していた。
10/19
■ニコライ・ルカビシニコフ(旧ソ連の宇宙飛行士)
19日、心筋梗塞のためモスクワ市内で死去、70歳。
 1979年4月、宇宙船ソユーズ33に搭乗中にエンジンが故障し、史上初めて非常用エンジンを使って宇宙船を地上に緊急着陸させた。
10/18
■フランク・ローゼンバーグ(米映画製作者) ニューヨーク出身。
10月18日、米ロサンゼルス近郊で死去、88歳。死因は明らかにされていない。
マーロン・ブランドが監督と主演を務めた映画「片目のジャック」(60年)をプロデュースして注目され、「刑事マディガン」(67年)の製作などを手掛けた。
10/18
■マヌエル・アルバレス・ブラボ(メキシコの写真家)
19日、老衰のためメキシコ市の自宅で死去、100歳。
 メキシコ市に生まれ、公務員として働きながら写真家を志し、メキシコ人の生と死などを撮影し頭角を現した。フランスの写真家アンリ・カルティエブレッソンらの影響を受け、1930年代から40年代にかけて独自のスタイルで地位を確立。メキシコのモダニズムを代表する写真家として活動を続け、今年2月には生誕100年を祝う写真展が同国各地で開かれた。
10/19
■池谷三郎(元TBSアナウンサー)
19日、間質性肺炎のため神奈川県鎌倉市の病院で死去、79歳。
 TBSのアナウンサー第1期生。ラジオ番組「浪曲天狗道場」の司会を務め、映画「ゴジラ」にもアナウンサー役で出演した。
10/18
■冨田 功(映画編集者)
18日、肺がんのため死去、45歳。
 「病院へ行こう」「桜の園」などで平成3年と6年に日本アカデミー賞最優秀編集賞を受賞。
10/17
■キーン・カーティス(米俳優) ユタ州出身。
13日、アルツハイマー病による合併症のため米ユタ州の老人ホームで死去、79歳。
オーソン・ウェルズに才能を見いだされ、マーサ・グラハム舞踊団の運営に携わった後、1960年代から舞台俳優として頭角を現した。71年にミュージカル「ザ・ロスチャイルズ」の演技でトニー賞助演男優賞を受賞。映画「天国から来たチャンピオン」(78年)や「星に思いを」(94年)のほか、人気テレビシリーズ「ザ・プリテンダー」などに出演した。)
10/14
■日野啓三(芥川賞作家)東京都出身。
14日午後5時、大腸がんのため死去。73歳。
 東大で大岡信、佐野洋らと同人誌を創刊。卒業後は読売新聞社に入社、外報部に勤めるかたわら「近代文学」などに評論を発表した。昭和35年に李承晩政権崩壊後のソウル、39年にはサイゴン(現ホーチミン)に特派員として赴任。特にベトナムで自らの戦争体験をなぞるような衝撃を受け、小説を書き始めた。49年、「此岸の家」で平林たい子賞、50年、「あの夕陽」で芥川賞を受賞した。 初期は私小説が多かったが、幻想的小説「抱擁」(泉鏡花文学賞)で新境地を開いた。さらに「夢の島」(芸術選奨文部大臣賞)など、都市化で変容する人の意識と孤独を描く都市小説を発表した。 平成三年に腎臓がんを発病後、五度のがん手術、クモ膜下出血など病魔に見舞われながら、死を恐れてゆらぎ、回復する意識を素材に、「台風の眼」(野間文芸賞)や「光」(読売文学賞)などを書いた。芥川賞選考委員も務めていた。
10/12
■シドニー・ピンク(米映画監督)
 12日、病気のためフロリダ州の自宅で死去、86歳。
 初の立体長編映画「ブワナの悪魔」(52年)の製作を担当。「巨大アメーバの惑星」「原始獣レプティリカス」などのSF映画、西部劇「黄金の砦」「竜騎兵総攻撃」で監督を務めたほか、製作や脚本を担当した。
10/5
■クラウス・フォン・アムスベルク殿下(オランダのベアトリックス女王の夫)
6日、アムステルダムの病院でパーキンソン病と肺炎のため死去。76歳。
オランダ政府によると、殿下は約十年前からパーキンソン病を患い、昨年5月に腎臓の手術も受けるなど闘病生活を続けていた。 ドイツ出身。旧西ドイツの外交官時代に現在のベアトリックス女王との恋愛を実らせ、1966年に結婚した。女王が80年に即位した後は特に文化交流活動などに尽力、国民に親しまれた。オランダの王室と日本の皇室は関係が深く、今年二月のウィレム・アレクサンダー皇太子の結婚式には日本から皇太子さまが出席された。
10/5
■三鬼陽之助(経済評論家、財界研究所創業者)
5日、心不全のため死去、95歳。
 ダイヤモンド社の経済記者を振り出しに、「投資経済」編集長などを経て、昭和28年に財界研究所を設立し、雑誌「財界」を創刊。「経営は人なり」を信条に、戦後の経済復興に取り組む経営者の姿を取り上げ、「財界のご意見番」とも呼ばれた。「東芝の悲劇」「日産の挑戦」など、企業経営に関する著作は百一冊にも及ぶ。日経連会長を務めた桜田武や、日本商工会議所会頭を務めた永野重雄らを「財界四天王」とネーミングするなど、“三鬼語録”も多い。
10/4
■平凡太郎(コメディアン)
4日、肺炎のため死去、69歳。
 戦後、旅回り一座の子役として巡演し、昭和27年に柳家金語楼に弟子入り。コメディアンの谷村昌彦らと、数多くの喜劇番組で活躍した。
10/2
■ブルース・パルトロウ(米映画監督)米ニューヨーク州出身。
2日、咽喉がんを患っていたが、肺炎のため旅行先のローマで死去、58歳。
 舞台の脚本や演出を手掛けた後、1982年に映画監督デビュー。製作と監督を務めた映画「デュエット」(2000年)では、娘のグウィネス・パルトロウが主演、親子共作で話題になった。グウィネスの30歳の誕生日を祝うためローマを訪ねていた。
 グウィネスは「恋におちたシェイクスピア」(98年)でアカデミー賞主演女優賞に輝いている。
9/29 
■エリス・ラーキンス(米ジャズピアニスト)
9月29日、肺炎のため米メリーランド州ボルティモアの病院で死去、79歳。
 ジャズ歌手エラ・フィッツジェラルドのバラードの名盤「ソングス・イン・ア・メロー・ムード」「エラ・シングス・ガーシュイン」のピアノ伴奏を担当。

9/24
■藤原麗子(元女優)
 24日、東京都内の自宅で亡くなっていたが死後約1週間で見つかった。死因は急性心停止。69歳。
 宝塚歌劇団を経て映画界入り。藤原礼子の芸名で時代劇や「悪名」シリーズに出演し、俳優の若山富三郎と結婚。その後、離婚した。
9/24
■鮎川哲也(推理作家)
24日、多臓器不全のため死去、83歳。
 1950年に処女長編「ペトロフ事件」が雑誌の懸賞小説に入選。「黒い白鳥」「憎悪の化石」でも日本推理作家協会賞を受けた。鉄道の時刻表を効果的に使うなどち密な作品で人気を集めた。
90年には新人推理作家の登竜門「鮎川哲也賞」が設けられた。
9/21
■ロバート・フォワード(米SF作家)ニューヨーク州ジャニーバ出身。
 21日、脳腫ようのため米ワシントン州シアトル近郊の自宅で死去。70歳。
物理学者として活躍する傍ら、科学理論を駆使したSF小説「竜の卵」で1980年に作家デビュー。
宇宙や先端科学について作家仲間らに解説したり、質問に応じたりしたことから「SF界の助言者」として知られた。他の代表作に「ロシュワールド」や「火星の虹」などがある。
9/16
■ボブ・ヘイズ(ランナー)
 18日夜、フロリダ州ジャクソンビルの病院で死去。死因は肝臓、腎臓の疾患や前立腺がん。59歳。
 1964年の東京五輪では陸上百メートル、四百メートルリレーで金メダルに輝き、「褐色の弾丸」の異名をとった。10秒0の世界タイ記録で優勝。予選では追い風参考ながら9秒9もマークしていた。
 俊足を買われて、プロフットボール、NFLのダラス・カウボーイズに入団。11年間で71個のタッチダウン、1回のキャッチ平均が20ヤードという驚異的な記録を作った。72年にスーパーボウルに優勝。五輪とスーパーボウルの両方で優勝したのはいまだにヘイズさん一人。74年に来日し、在日米軍チームでプレー、日本にアメフットブームを起こした。しかし、アルコールと麻薬におぼれて生活が乱れ、79年、おとり捜査官に逮捕されるなど転落、「プロフットボールの殿堂」には入れずじまいだった。
9/16
■ジェームズ・グレゴリー(米俳優)ニューヨーク出身。
 16日、米アリゾナ州で死去、90歳。死因は明らかにされていない。
 ブロードウェー演劇で頭角を現し、人気演劇「セールスマンの死」に出演。1948年の映画デビュー後、フランク・シナトラ主演の「影なき狙撃者」(62年)やエルビス・プレスリー主演の「ブルーマイアミ」(67年)などで性格俳優ぶりを発揮、テレビシリーズの「逃亡者」や「スター・トレック」にも出演した。

9/12
■タイヘイ原児(漫才師)
 14日、心筋梗塞のため死去、57歳。
 腹話術の川上のぼるに弟子入りし、昭和50年から「またも出ましたロマンショー」で知られるタイヘイトリオのメンバーとして活躍。最近は、メンバーのタイヘイ夢路とのコンビ漫才で活躍していた。
9/12
■奈良林祥(性医学評論家)
 12日、老衰のため死去、83歳。
 ベストセラー「HOW TO SEX」シリーズなど性医学評論家で著書多数。避妊や性知識の普及に努め、東京・四谷の主婦会館で40年余にわたり結婚と性のカウンセリングを続けた。
9/12
■アーマ・フランクリン(米国のソウル歌手)テネシー州出身。
7日、がんのため米ミシガン州デトロイトの自宅で死去、64歳。
 5歳の時から聖歌隊で活躍。妹のスター歌手アレサ・フランクリンのバックコーラスで注目され、1967年のヒット曲「ピース・オブ・マイ・ハート」でグラミー賞にノミネートされた。代表的なアルバムに「ソウル・シスター」などがある。
9/11
■阿木翁助(日本放送作家協会会長、劇作家)
11日、肺炎のため死去、90歳。
 築地小劇場演劇研究所を経て劇作家に。戦後はラジオ、テレビの脚本を数多く手掛けた。代表作にラジオドラマ「花のゆくえ」「花くれないに」や、テレビドラマ「徳川家康」など。
9/11
■キム・ハンター(米女優)
11日、ニューヨークの自宅で心臓発作のため死去。79歳。
 テネシー・ウィリアムズのピュリツァー賞受賞作「欲望という名の電車」の映画化作品(エリア・カザン監督)でステラ役を演じ、1954年のアカデミー助演女優賞を受賞した。
 舞台やテレビでも活躍したが、50年代の米国の赤狩り時代に「共産主義シンパ」とされ、一時、不遇だった。68年から71年まで3作品に出演した「猿の惑星」シリーズのジーラ博士役でも知られている。
9/3
■テッド・ロス(米俳優)オハイオ州出身。 
3日、米オハイオ州の病院で死去、68歳。死因は明らかにされていない。
 ブロードウェーで1974年に大ヒットしたミュージカル「ウィズ」で、トニー賞助演男優賞に輝いた。78年に「ウィズ」が映画化された際、主演のダイアナ・ロスやマイケル・ジャクソンらと再び熱演。人気テレビショーに出る傍ら、映画「ミスター・アーサー」(81年)や「ポリスアカデミー」(84年)などに出演
8/31
■ライオネル・ハンプトン(米ジャズビブラホン奏者)ケンタッキー州ルイビル出身。
31日、ニューヨークの病院で死去。94歳。
移り住んだシカゴで新聞配達をしていた10代、ドラマーとしてバンドに参加。
30年、ルイ・アームストロングのバックバンドで初めてビブラホンを演奏。
以来、60年以上のキャリアの中で、ベニー・グッドマン、チャーリー・パーカー、クインシー・ジョーンズら大物ジャズ奏者らと共演、名声を不動のものにした。
85年には国連の音楽大使に任命されたほか、研究基金や大学奨学金などの設立にも熱心だった。
代表作には「コンプリート・パリ・セッション」「オールスター・バンド・アットニューポート」「オールスター・ビッグ・バンド」など数々の力作がある。

8/30
■J・リー・トンプソン(英映画監督)
30日、心不全のためカナダ・ブリティッシュコロンビア州で死去、88歳。
 サスペンス映画「追いつめられて…」(1959年)で脚光を浴び、「ナバロンの要塞(ようさい)」(61年)や「恐怖の岬」(62年)「ハックルベリーの冒険」(74年)など50本以上の映画を手掛けた。
8/24
■テッド・アシュレー(米大手映画会社ワーナー・ブラザース元会長)
24日、急性白血病のためニューヨーク市内で死去、80歳。
 ワーナー・ブラザースの会長兼最高経営責任者(CEO)を1969年から80年まで務めた。その間、映画「時計じかけのオレンジ」(71年)や「ダーティハリー」(71年)「スター誕生」(76年)「スーパーマン」(78年)などをヒットさせた。
8/23
■武上四郎(野球評論家)宮崎県出身。
23日、肝不全のため死去。61歳。
宮崎大宮高、中大、河合楽器を経て、昭和42年にサンケイ(現ヤクルト)に入団。「ケンカ四郎」の異名をとる攻撃的なプレーで一年目から二塁手としてレギュラーの座をつかんだ。この年、打率2割9分9厘、3本塁打、27打点の好成績を残し、12勝を挙げた江夏豊投手(当時阪神)をおさえて新人王に輝いた。
 50年に現役を引退し55年から四年間、ヤクルト監督。平成7年からは二度にわたり巨人の打撃コーチも務め、情熱的な指導で松井秀喜、高橋由伸両外野手らを鍛えた。
 12年オフに巨人退団後はサンケイスポーツ専属の野球評論家として健筆をふるっていた。
8/19
■サンデーサイレンス(種牡馬)
19日、午前11時、繋養先の社台スタリオンステーションで衰弱性心不全のため死亡した。牡16歳。
サンデーサイレンスはアメリカでの現役競走馬時代、89年にケンタッキーダービー、プリークネスステークスの2冠(プリークネスSは宿敵イージーゴアの2着)とBCクラシックなどのGIを制しエクリプス賞年度代表馬に選出。H2年、25億円で社台ファームが購入し翌年から社台スタリオンステーションで供用。
H6年に初年度産駒がデビュー、H7年から7年連続リーディングサイアーに輝いている(今年も現時点でトップを独走中)。産駒の重賞勝利はこれまで143勝(うちG1は28勝)でトップ。その他、産駒の年間勝利記録(H13年の261勝)、産駒の年間重賞最多勝(H12年の25勝)、年間最多獲得賞金種牡馬(H13年の66億5518万5000円)など、JRAにおける数々の種牡馬記録を塗り替えてきた。
8/18
■ディーン・ライズナー(米国の脚本家)ニューヨーク生まれ、
18日、ロサンゼルスの自宅で死去、83歳。
クリント・イーストウッド主演の映画「ダーティーハリー」(1971年)の脚本を担当した。
5歳で父親が監督した映画に出演しデビュー。チャプリンやレーガン元米大統領の映画にも出演した。
 その後、脚本家に転向し「マンハッタン無宿」(68年)、「恐怖のメロディ」(71年)「ダーティーハリー3」(76年)などイーストウッド主演映画のほか、テレビ用の脚本も手掛けた。
8/16
■ジェフ・コーリー(米俳優)ニューヨーク出身。
16日、ロサンゼルス近郊の病院で死去、88歳。死因は明らかにされていない。
 映画「悪魔の金」(1941年)でデビューし、イングリッド・バーグマン主演の「ジャンヌ・ダーク」(48年)の演技で注目を集めた。「赤狩り」がハリウッドを襲った51年、下院非米活動委員会に喚問され、共産党を支持する映画関係者の名前について証言を拒否したため、ハリウッドから追放された。62年に活動を再開し「冷血」(67年)や「明日に向って撃て!」(69年)などに出演した。
8/14
■ピーター・ハント(米映画監督)英ロンドン出身。
14日、心不全のためロサンゼルス近郊の自宅で死去、77歳。
 映画「007」シリーズのうち第1作の「ドクター・ノオ」(1962年)から第5作の「007は二度死ぬ」(67年)までの編集を担当。アクションを強調した編集技術が注目され、第6作の「女王陛下の007」(69年)で監督デビュー。米国のテレビシリーズを手掛ける傍ら、ロジャー・ムーア主演の「ゴールド」(74年)やチャールズ・ブロンソン主演の「デス・ハント」(81年)「トップレディを殺せ」(86年)などの監督を務めた。

8/5
■御木本伸介(俳優)石川県出身
5日、肺がんのため死去、71歳。
 立大在学中の53年に「戦艦大和」の端役で映画デビューした。特に時代劇に欠かせない存在で、映画は「赤穂城断絶」「徳川一族の崩壊」など多数、テレビでは「銭形平次」「水戸黄門」「暴れん坊将軍」などに出演した。時代劇だけでなく、TBSドラマ「柔道一代」で主演し、「ゴジラ」など娯楽映画にも多数出演した。生前は「若い俳優は役者を商売にしてうまく立ち回るが、芝居バカの僕は要領よく生きられないのです」と語っていた。
8/4
■野村泰治(元アナウンサー)
4日、肺炎のため横浜市青葉区の病院で死去した。79歳。
 昭和21年に中央大学法学部を卒業、NHKに入局。アナウンサーとなり、39年の東京五輪では総合司会を務めた。NHKの朝のニュースワイド番組の草分けとして40年に始まった「スタジオ102」で初代キャスターを担当。クイズ番組「それは私です」や「連想ゲーム」などの司会もこなした。50年にNHKを退職後も、ソフトな語り口でTBS系のワイドショー「3時にあいましょう」の司会を13年間にわたって務めるなど、お茶の間に親しまれた。
8/3
■島尾マヤ(故島尾敏雄の長女)
3日、腹膜炎のため死去、52歳。
 島尾敏雄の小説でたびたび描かれ、作家で母のミホ主演の日露合作映画「ドルチェ−優しく」に出演。「島尾敏雄事典」(勉誠出版)も一部執筆した。写真家、島尾伸三の妹。
8/2
■渡辺茂(作曲家)東京・本郷出身。
2日午後11時20分、急性肺炎のため東京都練馬区の病院で死去、90歳。
 東京都内の小学校の音楽教師、校長の傍ら、作曲活動を続けた。代表作に童謡の「たきび」「ふしぎなポケット」など。全国の小学校などの校歌も多数、手掛けた。
8/1
■日高澄子(女優)
1日、肝不全のため死去、79歳。
 戦前に宝塚の舞台に出演したが、戦後すぐに退団して映画界入り。主な出演作に映画「太陽のない街」「夜の鼓」、テレビドラマ「うず潮」「三姉妹」など。
7/31
■藤本敏夫(自然農法家、歌手・加藤登紀子夫)
31日、肺炎のため死去、58歳。
 同志社大で学生運動に参加。反帝全学連委員長になり、昭和43年の防衛庁襲撃などで懲役3年8月の判決を受けた。服役中の47年に加藤さんと「獄中結婚」し、話題になった。出所後はエコロジー、有機無農薬栽培の組織づくりに取り組み、平成4年の参院選にも立候補したが落選した。
7/30
■滝弘太郎(元音楽監督)
30日、肝臓がんのため東京都杉並区の自宅で死去、73歳。
 東宝ミュージカル「ラ・マンチャの男」「屋根の上のヴァイオリン弾き」などの音楽監督を務めた。
7/30
■岡田正泰(スワローズ応援団長)1931年4月8日、東京都生まれ。
30日、肺炎のため死去した。71歳。
スワローズ創設3年目(当時は国鉄)の52年から私設応援団に入って熱心に活動。ビニール傘による応援を生み出し、『東京音頭』を応援歌に定着させた。家業は看板製作会社「オカダ工芸」。その腕を生かし、手作りの横断幕を持ち込み選手を励ました。7月19−21日の札幌遠征にも駆けつけたが、帰京後に体調を崩し急逝した。
7/30
■南 幸雄(元関脇陸奥嵐、前安治川親方)
30日、脳梗塞のため死去、59歳。
 昭和36年秋場所初土俵。42年春場所新入幕。かわず掛けなど豪快な相撲で「東北の暴れん坊」との異名をとった。関脇1場所を含む幕内在位は53場所で、敢闘賞4回、技能賞1回を受賞した。7/29

7/29
■ジョエル・オリアンスキー(米脚本家、映画・テレビ監督)ニューヨーク出身。
1日付の米紙ロサンゼルス・タイムズによると、7月29日、心不全のためロサンゼルスで死去、66歳。
 映画「誇り高き戦場」(1967年)や「バード」(88年)の脚本を担当、「コンペティション」(80年)では脚本のほか監督も務めた。人気テレビドラマ「刑事コジャック」「新・ヒッチコック劇場」などの監督と脚本を手掛け、「ザ・セネター」(70年)の脚本でエミー賞を受賞した。

7/29
■三木拓次(ミュージシャン)
29日、膵臓がんのため死去、33歳。
 平成6年、ロックバンド「RAZZ MA TAZZ」(ラズマタズ)のギタリスト兼作曲担当としてメジャーデビュー。11年に解散後、昨年から男女二人組の「Ann」でデビューし、活動していた。
7/26
■バディ・ベーカー(米作曲家)
26日、老衰のためロサンゼルスの自宅で死去、84歳。
 コメディアンのボブ・ホープのラジオ番組などで音楽監督を務め、1954年にディズニーに。「ミッキーマウスクラブ」をはじめ、ディズニー映画やテレビショー、「イッツ・ア・スモール・ワールド」などディズニーランドの人気アトラクションなどの音楽担当。ディズニー関連で手掛けた曲は200曲近くにのぼる。
7/20
■ジミー・マクスウェル(米ジャズトランペット奏者)85歳

草柳大蔵(評論家、ジャーナリスト)神奈川県出身。
22日午後1時5分、間質性肺炎のため静岡県熱海市内の自宅で死去していたことが26日わかった。78歳

昭和23年、東大法学部卒。出版社勤務を経て評論家の大宅壮一氏に師事。産経新聞社経済部記者を務めた後、31年創刊の「週刊新潮」で、“草柳グループ”を結成、集団執筆で週刊誌のトップ記事を作り上げるスタイルを確立した。33年には「女性自身」の創刊にも参加して、フリールポライターの草分けとして活躍。 37年「芸術生活」に連載した「山河に芸術ありて」をきっかけに評論家になる。政治、経済を専門に人物や組織を論じ、NHK経営委員、広島県立大学客員教授、東北芸術工科大学客員教授などを歴任した。
 著書に、文芸春秋読者賞を受賞(42年)した「現代王国論」をはじめ「実力者の条件」「官僚王国論」「実録満鉄調査部」「昭和天皇の秋刀魚」など。59年、NHK放送文化賞を受賞。平成五年から本紙「正論」の執筆メンバーとなっていた。長女はインタビュアーの草柳文恵さん。


7/16
■佐伯清(映画監督)松山市出身。
16日、下咽頭がんのため死去、87歳。
 高倉健主演で人気を集めた「昭和残侠伝」シリーズや、火野葦平原作の「花と龍」など多くの映画、テレビを手がけた。
7/13
■林美雄(TBSアナウンサー)
13日、胃がん再発による肝不全のため死去、58歳。
 昭和42年TBS入社。ラジオ番組の深夜放送全盛期に「パックインミュージック」のパーソナリティーとして活躍、若者を中心に人気を博した。
7/13
■ユースフ・カーシュ(カナダの写真家)
13日、ボストン市内の病院で死去、93歳。
1908年トルコのアルメニア人家庭に生まれたが、迫害を逃れ少年期にカナダに移住、帰化した。
英首相だったチャーチルや物理学者アインシュタインら世界の歴史的な著名人の肖像写真を撮影したことで知られる。 オタワにスタジオを開いた後、自然光でなくスタジオ照明を使った表現手法に重要性を見いだした。41年にナチスと戦う毅然(きぜん)とした表情のチャーチルの肖像写真を撮影。一躍有名になり、文豪ヘミングウェーや歴代米大統領の肖像作品を残している。
7/10
■松田耕平(プロ野球広島カープのオーナーで、元東洋工業(現マツダ)社長)広島市出身
10日午後4時51分、胃がんのため東京都新宿区の慶応大病院で死去。80歳。
 東洋工業創業者、松田重次郎氏の孫で、1961(昭和36)年に副社長として東洋工業に入った。世界初のロータリーエンジン開発に成功。「世界のマツダ」の礎を築いた。父親の松田恒次氏の急死で70年、3代目社長に就任。強気の経営姿勢をとったが、石油ショック後の自動車不況などで経営が悪化、77年に代表権のない会長になった。 東洋工業社長就任と同時に広島球団社長に。親会社を持たぬ独立採算型の市民球団を運営し“リーグのお荷物”といわれたチームは75年に初優勝、セ・リーグ優勝6度、日本シリーズは3度を制した。

7/9
■ロッド・スタイガー(米映画俳優)ニューヨーク州出身。
9日、肺炎と腎不全のためロサンゼルスの病院で死去。77歳。
第二次世界大戦後、ニューヨークで演劇を勉強、巨匠エリア・カザン監督に指導を受けた。47年ごろからテレビドラマに本格出演し、六年間で250本以上の番組に登場。51年に「テレサ」で映画デビューした。悪役を脂ぎった演技で表現するのが得意で、ムソリーニやラスプーチン、アル・カポネらの役に果敢に挑戦。「質屋」(65年)で強制収容所を体験したユダヤ人を熱演し、ベルリン映画祭で主演男優賞を受賞した。 「夜の大捜査線」ではシドニー・ポワチエと共演し、人種的偏見を持つ警察署長を好演、念願のアカデミー賞主演男優賞を射止めた。精力的に仕事をこなしたが、80年代にはうつ状態に陥り映画出演を見合わせた。女優のクレア・ブルームと結婚したが、離婚。その後、映画界に復活し、二〇〇〇年には5度目の結婚を果たした。波止場」(54年)
7/5
■ジョン・フランケンハイマー(映画監督)ニューヨーク出身。
6日、脊髄手術後の合併症による発作のためロサンゼルスの病院で死去。72歳。
米空軍で映画技師の訓練を積んだ後、CBSテレビに入社。助監督などを経て、イタリア系移民をテーマにした映画「明日なき十代」(61年)で脚光を浴びた。バート・ランカスター主演の「終身犯」やフランク・シナトラの「影なき狙撃者」など幅広いテーマで名作を次々と手掛けた、晩年も制作意欲は衰えなかった。 70年代にアルコール依存症に苦しんだが、「フレンチ・コネクション2」などを演出後、80年代に完全復活。映画「RONIN」(98年)や「影なき狙撃者」(62年)などで知られる
7/5
■ケティ・フラド(メキシコ女優)
5日、メキシコ市郊外のクエルナバカで病死、78歳。肺や心臓を患っていたという。
 同国グアダラハラに生まれ、51年に米映画デビュー。「真昼の決闘」(52年)で一躍有名になり「折れた槍」(54年)でアカデミー助演女優賞にノミネートされた。米俳優アーネスト・ボーグナイン氏と結婚、その後、離婚した。
7/5
■テッド・ウィリアムズ(元米大リーガー)1918年8月、カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。
5日朝(日本時間同日夜)、静養先のフロリダ州シトラス郡の病院で死去。83歳。
数年来心臓を患っており、昨年一月に開胸手術を受けていた。
地元リーグを経て37年、当時としては破格の二万五千ドルの契約金でボストン・レッドソックスに入団。抜群の打撃センスで三度にわたり三冠王に輝き、首位打者を六度、本塁打王と打点王のタイトルも各四度獲得した。終身打率は3割4分4厘、2654安打、本塁打521本、1839打点の記録を残した。なかでも41年にシーズン最終日のダブルヘッダーで6安打を放ち、打率4割6厘をマークした「最後の4割打者」。これ以後、4割打者は出ていない。 しかし、同年も、初めて三冠王になった翌42年も、最優秀選手(MVP)は「宿命のライバル」だったヤンキースのジョー・ディマジオらにさらわれる不運な面もあった。46年と49年に最優秀選手に選ばれた。 引退後は69−72年にセネターズと後身のレンジャーズの監督を務め、レッドソックスの球団副社長も歴任した。
7/4
■向坊 隆(東大学長、原子力委員会委員長代理)
4日午前5時38分、心不全のため東京都新宿区の慶応大病院で死去。85歳。
 戦後日本の原子力開発の草分け的存在として知られた。中国・大連生まれ。昭和十四年、旧東京帝国大卒。東大助教授だった二十九年、初代の在米日本大使館科学担当書記官に就任、初期の日本の研究用原子炉の燃料調達などに尽力した。 その後、東大で原子力工学科新設に参画。学園紛争のさなかの43年に同大工学部長となり、翌44年、紛争解決のために新設されたポストの総長特別補佐(現副学長)に就任。52年から56年まで東大学長。 56年から平成三年まで原子力委員会委員長代理。4年から12年まで日本原子力産業会議会長、その後同特別顧問。 平成元年に勲一等瑞宝章を受け、四年に文化功労者に選ばれた。
7/4
■伊東一雄(サンケイスポーツ専属評論家)東京都出身
4日午後6時四15分、心不全のため死去した。68歳。
昭和34年にパ・リーグに入り、会長秘書、業務課長などを経て51年から広報部長。43年から退職した平成三年までドラフト会議の司会を務めた。 「パンチョ」の愛称で大リーグ通として知られマイク・ピアザ捕手(メッツ)、コミッショナーのバド・セリグ氏らと親しく、その幅広い人脈、造詣の深さは類を見ない。大リーグ解説者としてサンケイスポーツ、フジテレビなどで活躍、メジャー・ファンの草分け的存在だった。
7/4
■アイバン・モファット(米脚本家)キューバ出身。
4日、脳卒中のためロサンゼルスの病院で死去、84歳。
 ジョージ・スティーブンス監督、エリザベス・テーラー主演の映画「ジャイアンツ」(56年)でアカデミー賞脚色賞候補に。同監督の名作「陽のあたる場所」(51年)と「シェーン」(53年)の製作にもかかわった。
7/4
■ジェームズ・リー(米脚本家) ミシガン州出身。ハーバード大卒。
2日、米ロサンゼルス近郊の病院で死去、79歳。死因は明らかにされていない。
アレックス・ヘイリーの人気小説をテレビドラマ化した「ルーツ」(1977年)の脚本を担当し、エミー賞にノミネートされた。エルビス・プレスリー主演の「チェンジ・オブ・ハビット」(69年)やポール・ニューマンの「レーサー」(69年)など映画の脚本も手掛けた。
7/2
■レイ・ブラウン(米ジャズベース奏者) ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。
2日、米インディアナ州インディアナポリスで死去。75歳。死因は明らかにされていない。
 1940年代にディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーらとの共演で脚光を浴びた。歌手のエラ・フィッツジェラルドと結婚して話題となり、公私にわたって彼女を支えたが、後に離婚した。
 50年代にはオスカー・ピーターソン・トリオの活動に参加、高度な技術に裏打ちされた表情豊かな演奏で名ベーシストとしての地位を確立した。70年代以降も自らのグループを率いて精力的に活動。日本にも度々訪れて、北村英治らと共演した。代表的なアルバムにレイ・ブラウン・トリオによる「レイ・ブラウン&ザ・サックス・プレイヤーズ」や「ドント・ゲット・サッシー」などがある。
 ≪ジャズミュージシャン、渡辺貞夫の話≫「阪神大震災の翌年の1996年にメモリアルコンサートで共演したのが最後になった。ぼくがジャズ奏者になる道を選んだ時から今日まで、レイは偉大な先輩であり続けた。ベーシストとしてバンドのすみずみにまで目と耳を行き届かせた気配りの人で、オーソドックスで丁寧な演奏を心がけ、音楽を支える役目をいつもしっかり果たしていました。誠実な人柄で、『健康』の代名詞のような人だったのに。とても残念です」

6/30
■ピート・グレイ(隻腕大リーガー)
30日、死去した。87歳。
 子どものころの事故で右腕を失ったグレイは1945年、当時のセントルイス・ブラウンズで1年間プレー。77試合に出場して6二塁打、2三塁打を含む51安打を放ち、打率2割1分8厘、13打点を記録した。同氏が使用した特製のグラブはニューヨーク州クーパーズタウンの野球殿堂博物館に置かれている。
6/29
■ローズマリー・クルーニー(米ジャズ歌手)
29日、米ロサンゼルスの自宅で死去。74歳。死因は明らかにされていないが、肺がんを再発していた。
1928年生まれ。妹とともにクルーニー・シスターズを結成し、オハイオ州シンシナティのラジオ局で活動。一九五〇年代に入りソロ活動を本格開始し「カモナ・マイ・ハウス」や「テンダリー」などを大ヒットさせ、スター歌手の仲間入りを果たした。
 映画「ホワイト・クリスマス」(54年)でビング・クロスビーと共演し、デュエットを披露。「我が心に君深く」(54年)で共演したホセ・フェラーと結婚したが、その後離婚した。俳優のジョージ・クルーニーは甥にあたる。代表的なアルバムに「ラヴ」「タバスコの香り」「コール・ポーター名曲集」などがある。

6/28
■フランソワ・ペリエ(仏・舞台・映画俳優)1919年パリ出身。
28日、心不全のため死去、82歳。 国立高等演劇学校を卒業後、舞台俳優のキャリアを積む一方、マルセル・カルネ監督の映画「北ホテル」(38年)で映画デビュー。ジャン・コクトー監督の「オルフェ」(50年)、フェデリコ・フェリーニ監督の「カビリアの夜」(57年)など約100本の映画に出演した。
6/27
■ティモシー・ホワイト(米音楽業界誌ビルボード編集長)
ニューヨークのビルボード本社で27日、突然倒れ、病院に搬送されて死去、50歳。心臓発作とみられる。 AP通信記者を振り出しに、ローリングストーン誌などを経てビルボードに入社、1991年から編集長を務めた。あらゆるジャンルの音楽に関する博識ぶりで知られ、退屈な業界誌だったビルボードを読むに耐える雑誌に変えたと評価されている。自ら毎週執筆したコラムは業界人必読とされた。ベストセラーとなったレゲエの巨星ボブ・マーリーの伝記の著者でもある。

6/27
■ラス・フリーマン(米国のジャズピアニスト)イリノイ州シカゴ出身。
27日、米ネバダ州ラスベガスの医療施設で死去、76歳。死因は明らかにされていない。
 1950年代にジャズトランペット奏者チェット・ベイカーのアルバム作りに参加し注目され、編曲や作曲なども手掛けた。ドラム奏者のシェリー・マンやベニー・グッドマンらと共演したほか、テレビ番組の音楽監督を務めた。
6/27
■ジョン・エントウィッスル(伝説的ロックバンド「ザ・フー」のベース奏者)
27日ネバダ州ラスベガスの宿泊先で死亡しているのが見つかった。死因は調査中。57歳。
(同州クラーク郡の検視局は8月25日、コカイン使用による心臓発作と発表した )
 ザ・フーはメンバーの三人が結集し、28日から北米二十四都市を回る二年ぶりのツアーコンサートを開始する予定だった。 「ザ・フー」は1964年の結成。ギタリストのピート・タウンゼントさんをリーダーにエントウィッスル、ロジャー・ダルトリー(ボーカル)、キース・ムーン(ドラム)の四人グループ。「マイ・ジェネレーション」など名曲を生み出したほか、ギターをたたきつぶし、マイクを振り回すといった激しいライブでも知られる。ファンは「モッズ」と呼ばれ、60年代に流行したモッズ・ファッションの先駆けとなった。82年に解散したが、96年に再結成。あごひげをたくわえ寡黙なエントウィッスルは「オックス(雄牛)」の愛称で親しまれた。
6/26
■ドローレス・グレー(米トニー賞受賞女優)米イリノイ州シカゴ出身。
26日、心臓発作のためニューヨークの自宅で死去、78歳。
1944年にブロードウェーでデビュー。ミュージカル「アニーよ銃を取れ」のロンドン公演で注目され、「フランダースのカーニバル」で54年、トニー賞のミュージカル主演女優賞に輝いた。ミュージカル「カンカン」「絹の靴下」のほか、映画「いつも上天気」(55年)「バラの肌着」(57年)などにも出演した。
6/24
■竹本越路大夫(文楽太夫人間国宝、芸術院会員、文化功労者)大阪市出身。
24日午後8時46分、肝不全のため、京都市内の病院で死亡。89歳。
 越路大夫は大正13年に豊竹山城少掾に入門。昭和41年に大名跡、四代目竹本越路大夫を襲名。深い情感と精神性を感じさせる語り口、格調の高い芸風で一世を風靡(ふうび)。平成元年四月の大阪、五月の東京で「菅原伝授手習鑑・桜丸切腹の段」を語って引退公演を行い、惜しまれながら舞台を去った。
 文楽人形遣いの人間国宝、吉田玉男さんの話 「越路さんの引退公演の『桜丸切腹』はすばらしかった。なにしろ情がありました。越路さんが舞台げいこに顔を出されるだけで、みなの気持ちが引き締まったものです」
6/22
■笠原良三(脚本家)
22日、肺炎のため死去、90歳。
 代表作は森繁久弥主演の映画「へそくり社長シリーズ」、加山雄三さん主演の映画「若大将シリーズ」、フジテレビ「おもろい夫婦」など。
6/21
■マット・デニス(米・作曲家・歌手)
21日、病気のためロサンゼルス郊外の病院で死去。89歳。
 ボードビリアンの家庭に生まれ、一九四〇年にトミー・ドーシー楽団に作曲家・編曲家として参加。「エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー」「エンジェル・アイズ」「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン」など、若きフランク・シナトラなどのために多くの名曲を書いた。先の三曲や「コートにすみれを」はミュージシャンに好んで取り上げられた。
 シンガーソングライターの草分け的存在でもあり、軽妙洒脱なピアノの弾き語りで多くのファンを魅了した。代表的なアルバムに「プレイズ・アンド・シングス」などがある

6/19
■ロバート・レンスキー(米脚本家)
26日付のロサンゼルス・タイムズ紙によると、19日、がんのためロサンゼルスで死去、74歳。
 70年代以降、「大強奪」「ケインとアベル」「一日の旅路」などの米テレビ映画、テレビシリーズの脚本を手掛けた。「デイン家の呪い」で79年エドガー・アラン・ポー賞を受賞、エミー賞に3回ノミネートされた。
6/19
■室生朝子(随筆家、室生犀星の長女)
19日午前10時12分、呼吸器不全のため死去、79歳。
 犀星の代表作「杏っ子」のモデルとして知られた。著書に「追想の犀星詩抄」「雪の墓」「父犀星の秘密」などがある。
6/18
■山本直純(作曲家・指揮者)東京都出身。
18日午後9時31分、急性心不全のため東京都内の病院で死去。69歳だった
作曲家・指揮者の父、山本直忠のもとで幼時から音楽の英才教育を受け、東京芸大を卒業。昭和42年、NHKテレビ「音楽の花ひらく」の指揮で名を知られ、47年から毎日系「オーケストラがやって来た」に出演、58年から平成十年まで「1万人の第九コンサート」を指揮するなどクラシック音楽の大衆化に貢献した ほかにも劇伴音楽、映画音楽、CM音楽まで幅広く活躍。映画「男はつらいよ」やNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」の主題歌などを作曲したことでも知られる。新日本フィルの指揮者を務め、現在同顧問。
 昭和48年芸術祭賞優秀賞。代表作に「シンフォニック・バラード」「田園・わが愛」「歌えバンバン」など。著書に「ボクの名曲案内」「紅いタキシード」ほか。CMで「大きいことはいいことだ」の流行語を生み出した。
6/15
■室田日出男(俳優)北海道出身。
15日午後10時5分、肺がんのため東京都新宿区の病院で死亡。64歳。
昭和32年、東映の第四期ニューフェースに合格。同期に山城新伍、佐久間良子らがいた。翌年「台風息子」で映画デビューするが、セリフもない端役だった。下積み生活が続いたが、41年の深作欣二監督「脅迫(おどし)」で誘拐犯にふんしたのがきっかけでチャンスをつかみ、深作監督の「仁義なき戦い」シリーズなどでふてぶてしく存在感のある役どころを演じて、強い印象を残した。ほかに「影武者」「男はつらいよ・噂の寅次郎」などに出演している。最近はNHKの大河ドラマ「北条時宗」に出演。民放ドラマの「前略おふくろ様」や「祭ばやしが聞こえる」などお茶の間でも人気を博した。
6/13
■村田 英雄(演歌歌手)佐賀県出身。
13日午前、大阪市都島区の病院で死去、73歳。
 浪曲師を経て1958(昭和33)年に「無法松の一生」でデビュー。「人生劇場」「王将」「柔道一代」などがヒットし、人気歌手に。任侠(にんきょう)映画などへの出演も多かった。持病の糖尿病が悪化し両足を切断したが、歌手に復帰した。糖尿病患者のための講演会活動もしていた。体調を崩し、今年5月に入院、危険な容体が続いていた。
6/11
■庭瀬康二(医師)
11日、胃がんで死去。62歳。
谷川俊太郎さんの甥で阿佐ケ谷河北病院の名物先生だった。新宿ゴールデン街などでは、酒場を根城とするカルチャー業界の人たちの、良きカウンセラー的立場だった。また寺山修司の主治医でもあった。 新潮社から1982年に出版した著書「ガン病棟のカルテ」がベストセラー。

6/12
■ビル・ブラス(米国のファッションデザイナー)
12日、米コネティカット州ニュープレストンの自宅で死去、79歳。死因は明らかでない。
 1930年代末から約60年間にわたって活躍、60年代にはカジュアルな「アメリカンスタイル」を確立し、パリ中心だったファッションの世界に新風を吹き込んだ。
 オスカー・デ・ラ・レンタ、ラルフ・ローレンらと並ぶデザイン界の大御所とされ、作品はレーガン、ブッシュ両元大統領夫人や有名女優らに愛好された。
6/12
■ナンシー 関(消しゴム版画家、コラムニスト)青森市出身。
12日午前0時47分、虚血性心不全のため東京都目黒区の病院で死去、39歳。
11日夜、帰宅途中のタクシー内で倒れた。
 法政大学在学中、消しゴムを削って作った有名人の似顔絵が認められ、イラストレーターとしてデビュー。ユニークな“消しゴム版画”とともに、テレビ番組やタレントを素材にした辛口のコラムが人気で、何本もの雑誌連載を抱えていた。 著書に「テレビ消灯時間」「何様のつもり」など。
6/6
■近藤和彦(元プロ野球大洋ホエールズ選手)大阪府出身。
10日午前3時55分、多臓器不全のため東京都目黒区の病院で死去、66歳。
6/6
■ロビン・クロスビー(米ロックギタリスト)
6日、エイズの合併症で死去、42歳。死亡場所は明らかにされていない。
 米ロック界を代表するヘビーメタル・バンド「ラット」を1983年に結成し、「情欲の炎」「ダンシング・アンダーカヴァー」などのヒットアルバムを手掛けた。91年にバンドを脱退。昨年7月、出演したラジオ番組でエイズ患者であることを公表していた。
6/6
■下中邦彦(元平凡社社長、元日本書籍出版協会理事長)
6日、肺炎に伴う呼吸器不全で死去、77歳。
 昭和33年、父・弥三郎の後を継ぎ、同社社長に就任。「世界大百科事典」「国民百科事典」などを刊行し、「百科事典の平凡社」の評価を不動にした。また38年日本初の本格グラフ誌「太陽」を創刊した。
6/6
■ディー・ディー・ラモーン(米ロックバンド「ラモーンズ」元メンバー)
5日、米ロサンゼルスの自宅で死亡しているのを妻が見つけた。50歳。死因は不明だが、薬物中毒の疑い。74年、ボーカルの故ジョーイ・ラモーンらとパンクロックバンド「ラモーンズ」を結成、作曲とベースを担当した。バンドはパンクの草分け的存在として、セックス・ピストルズなどとともに他の音楽家に影響を与えた。
6/2
■鉄砲光三郎(歌手)大阪市出身。
2日に肺炎のため死去していたことが19日、分かった。73歳。
昭和36年「鉄砲節河内音頭」が大ヒット、河内音頭を全国に広めた。平成7年、地域文化功労者文部大臣表彰。
6/2
■ハーマン・コーエン(米映画製作者)ミシガン州デトロイト出身。
2日、ロサンゼルスの病院で死去、76歳。
 コロンビア映画の宣伝担当などを経て、映画製作を開始。ホラー映画「黒死館の恐怖」(1959年)やミステリー映画「姿なき殺人」(67年)などをプロデュースした。
5/29
■矢川 澄子(作家、詩人)
29日早朝、長野県信濃町の自宅で
自殺しているのが見つかった。71歳。
 東京女子大、学習院大を卒業後、東大美術史科を中退。59年、作家の故渋沢龍彦と結婚したが68年に離婚。その後は多彩な文筆活動で知られた。詩集に「ことばの国のアリス」、小説に「兎とよばれた女」、評論に「野溝七生子というひと」など。グリム童話や「ぞうのババール」などの児童書翻訳も多く手がけた。 95年には渋沢との結婚生活を回想したエッセー「おにいちゃん−回想の澁澤龍彦」を刊行した。
5/27
■石原郁子(映画評論家)
27日、乳がんのため死去、48歳。
著書に「女性映画監督の恋」など。「キネマ旬報」にコラム「石原郁子の宝物」を連載中だった。
5/25
■坊屋三郎(ボードビリアン)
25日午前9時43分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。92歳。
戦前から戦後にかけて、「あきれたぼういず」のメンバーなどとして人気を集めたボードビリアンで俳優。1936年に吉本興業に入社しデビュー。37年、モダンで型破りな歌謡漫談が持ち味の「あきれたぼういず」を結成、益田喜頓らと“ボーイズ・ブーム”をもたらすなど一世を風靡した。  映画やテレビにも多数出演、ギョロ目ととぼけた表情で人気を呼んだ。74年にはカラーテレビのCMに登場、「クイントリックス」のせりふが大ヒット。今年2月、91歳で寄席のトリを務めるなど現役を通していた。
5/24
■清川虹子(女優)千葉県出身
24日午前3時37分、肺出血のため川崎市高津区の病院で死去。89歳。
1933(昭和8)年、東京・浅草で古川緑波8らが旗揚げした「笑の王国」に参加。その後映画界に入り、柳家金語楼8や、榎本健一ら多くの喜劇人と共演した。戦後も映画「サザエさん」シリーズで江利チエミが演じるサザエさんの母親役で出演。火野葦平の原作を映画化した「女侠一代」(58)では男勝りのヒロインを好演した。 また、黒沢明監督「どん底」(57)、今村昌平監督「復讐するは我にあり」(79)、「楢山節考」(83)などの作品では、脇役ながら独特の存在感で映画を引き締めた。 70年代以降はテレビや舞台で活躍したが、90年代は肝硬変を患い芸能活動から遠ざかっていた。5月3日から入院していたという。 俳優の伴淳三郎と一時生活を共にし、81年の伴淳の葬儀では、元夫人として喪主を務めた
5/24
■伊藤俊人(俳優)新潟市出身。
24日午後5時18分、くも膜下出血のため東京都渋谷区の病院で死去、40歳。
 83年、脚本家の三谷幸喜らと劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げし話題になった。
解散後はテレビドラマ「古畑任三郎」シリーズや、「ショムニ」などで活躍した。
5/22
■黒田初子(登山家、料理研究家)
22日、心不全のため死去、99歳。
 夫で雪氷研究家の故黒田正夫の指導で登山を始め、女性として北穂高東稜や、冬季の羅臼岳の初登頂を行った。70年以上、自宅で料理教室を主宰。「生涯現役」を口癖に、90歳を過ぎても料理教室を続けた。著書に「お料理のレッスン七十年」「いきいき九十歳の生活術」など。
■福沢もろ(シンガー・ソングライター)
18日、心不全のため死去、50歳。
 森山良子、石川セリ、イルカ、細野晴臣らに曲を提供。代表作に「宇宙の唄」などがある。

5/16
■柳家小さん(落語家初の人間国宝/落語協会最高顧問(前会長)長野県出身
16日午前4時、心不全のため東京都豊島区の自宅で死去した。87歳。
 昨秋から体調を崩し、今年2月2日、「強情灸(きゅう)」を演じた鎌倉芸術館での高座が最後となった。16日は、朝食に起きてこないので家族が寝室に見に行ったところ、亡くなっていたという。
 昭和8年、四代目柳家小さんに入門して栗之助、14年に小きんで二ツ目に。その間、11年に徴兵され、二・二六事件では二等兵として反乱部隊にいた。18年に召集を受けて仏印に駐屯、21に復員。22年には九代目小三治を襲名して真打ちとなり、25年に師匠の名前である五代目小さんを襲名。47年から、三遊亭円生の跡を継いで、平成8年まで落語協会会長を務めた。昭和60年、勲四等旭日章を受章、平成7年、人間国宝に選ばれた。また、立川談志(のち破門)、柳家小三治、鈴々舎馬風など数多くの弟子を育てた。落語のネタでは、「粗忽(そこつ)長屋」「長屋の花見」「寝床」「試し酒」「笠碁」など滑稽噺(こっけいばなし)、長屋噺を得意とし、顔の表情の変化を見せる「百面相」(蛸(たこ)踊りなど)でも名人芸を見せた。その高座は独特の風格、味わいがあり戦後を代表する落語家のひとりに数えられる。
 落語協会会長としては協会分裂の危機を乗り切り、池袋演芸場の再建など、寄席の古い制度を守りながら、落語界の近代化、活性化に努めた。桂文楽、蝶花楼馬楽などの名跡を復活させ、初の女性の真打ちを誕生させた功績も大きい。私生活では、自宅に道場をもち、剣道は範士の腕前。長男の柳家三語楼、孫の柳家花緑が落語家として活躍している。もう一人の孫の小林十市さんは国際的バレエダンサー。

5/11
■ビル・ピート(米アニメ映画脚本家・絵本作家)
11日、複数の疾患に伴う合併症のためロサンゼルスの自宅で死去、87歳。
 ウォルト・ディズニーで、「白雪姫」「ピーターパン」「不思議の国のアリス」「眠れる森の美女」などの名作アニメ映画の脚本を手掛けた。59年、最初の絵本「ライオンのしっぱい」を著し、絵本の創作活動を本格化。自伝「ぼくが絵本作家になったわけ」が日本でも翻訳出版されている。
5/11
■ジョゼフ・ボナンノ(米マフィアの実力者)イタリア・シチリア島出身。
11日、心不全のため米アリゾナ州トゥーソンの病院で死去、97歳。
 ジョー・バナナスの愛称で知られ、1950年代から60年代にかけニューヨークを支配したマフィアのファミリー「ボナンノ一家」を率いた。マフィアの抗争でニューヨークを追われ、68年に現役を退いた。
5/4
■ジョン・コーン(米脚本家・プロデューサー)
4日、がんのため、ロサンゼルスの自宅で死去、76歳。
 65年のサスペンス映画「コレクター」でアカデミー賞脚本賞候補に。EMIグループの映画製作会社役員となり、「ジャズ・シンガー」「テンダー・マーシー」などを手掛けた。他の作品に「上海サプライズ」「月を追いかけて」など。多くの人気テレビシリーズでも製作、脚本を担当した。
5/10
■イブ・ロベール(仏映画監督・俳優)フランス西部メーヌエロワール県ソミュール生まれ
10日、脳内出血のためパリで死去、81歳。
菓子職人や植字工などを経て、48年に映画界入り。マルセル・カルネ監督やルネ・クレール監督の作品などに俳優として出演する一方、大衆映画の監督として活躍した。代表作に「わんぱく戦争」(61年)。
5/6
■オーティス・ブラックウェル(米作詞作曲家)ニューヨーク出身。
6日、心臓発作のため米テネシー州ナッシュビルの病院で死去、70歳。
エルビス・プレスリーの「冷たくしないで」やジェリー・リー・ルイスの「火の玉ロック」などのヒット曲を手掛け、作詞作曲を担当した作品は1000曲以上。音楽への姿勢はプレスリーに影響を与えた。
5/5
■ジョージ・シドニー(米映画監督)
5日、米ラスベガスの自宅でリンパ腫のため死去、85歳。
 ニューヨーク州の芸能界一家に生まれ、子役を経て十代でMGM入社。メッセンジャーを振り出しに監督まで昇進し、1940−50年代に「アニーよ銃をとれ」「ショーボート」など多くのミュージカル映画を手掛けた。MGMを退社してフリーとなってからも「バイ・バイ・バーディ」「ラスベガス万才」などの名作を生み出した。
 51年から59年まで映画監督協会会長、ラジオ・テレビ界と合併した米監督協会でも61年から67年まで会長を務め、98年に初の同協会会長賞を受賞した。
5/4
■ジョン・コーン(米脚本家・プロデューサー)
4日、がんのため、ロサンゼルスの自宅で死去、76歳。
 65年のサスペンス映画「コレクター」でアカデミー賞脚本賞候補に。EMIグループの映画製作会社役員となり、「ジャズ・シンガー」「テンダー・マーシー」などを手掛けた。他の作品に「上海サプライズ」「月を追いかけて」など。多くの人気テレビシリーズでも製作、脚本を担当した。
4/27
■ロバート・ジョゼフ(米脚本家・プロデューサー)
4月27日、頭部のけがのためニューヨーク州で死去、79歳。
 ブロードウェーで、ジャック・レモン主演の「フェイス・オブ・ヒーロー」や「リア王」「バーバラ少佐」などをプロデュース。映画やテレビ映画の製作や脚本でも活躍した。主な映画作品に「別れのこだま」「ヒッチハイカー」「拳銃でいこうぜ!」、テレビシリーズに「殺人容疑」「運命の扉」などがある。
4/27
■ルース・ハンドラー(バービー人形の生みの親)
27日、大腸手術後の合併症のためロサンゼルスの病院で死去、85歳。
 夫のエリオット氏とともに玩具メーカーのマテル社を創設。赤ちゃんの人形しかなかった時代に、紙で人形遊びをしている娘を見て、大人の姿をした人形を思い付き、娘バーバラさんの名にちなんで名付けたバービー人形を誕生させた。59年、ニューヨークで発表すると爆発的人気を呼び、世界中で愛される大ヒット商品となった。
 初代バービーはポニーテールの髪形に白と黒のストライプの水着姿。その後、黒人、東洋人の顔や時代を反映したさまざまな姿のバービーを次々発表。衣装などを工夫した大人用も加わり、これまでに世界約150カ国で10億個以上が売れた。息子の名にちなんだケンやミッジなどバービーの兄弟、友達シリーズも発表されている。マテル社はほかにもヒット商品を生み、世界的な玩具メーカーになった。
4/26
■ジョージ・エフィンジャー(米SF作家)オハイオ州出身。
26日、米ルイジアナ州ニューオーリンズで死去、55歳。死因は明らかにされていない。
 エール大卒。1970年から執筆活動を本格的に始めた。代表作に「重力が衰えるとき」や「猿の惑星」シリーズなどがある。「シュレーディンガーの子猫」でSF界を代表するヒューゴ賞とネビュラ賞に輝いた。
4/26
■浅井達三(元従軍カメラマン、日本映画テレビ技術協会技術史委員)
26日、心筋こうそくのため神奈川県相模原市の自宅で死去、89歳。
 米MGM、同盟通信社、日本映画社などのカメラマンとして第二次大戦中、中国や太平洋地域の戦場で取材、戦死直前の山本五十六連合艦隊司令長官の姿も撮影した。戦後は東京裁判のニュース取材などにあたった。
4/25
■リサ・ロペス(米女性R&Bグループ、TLCのメンバー)
25日、交通事故のため休暇先のホンジュラスで死去、31歳。
 米ジョージア州アトランタを拠点に、ワトキンスさんとトーマスさんの女性3人でTLCを結成。1992年にデビューを果たした。ラップが持ち味で「クレイジーセクシークール」などのアルバム製作に参加。シングル曲「ウォーターフォールズ」や「レッド・ライト・スペシャル」などを大ヒットさせ、2000年にはグラミー賞最優秀R&Bアルバム部門などに輝いた。
4/18
■ワフー・マクダニエル(米人気プロレスラー)
18日、糖尿病による合併症のため米テキサス州ヒューストンの病院で死去、63歳。
 プロアメリカン・フットボールのマイアミ・ドルフィンズなどでのプレーを経て、プロレスラーに転向。「インディアンレスラー」と称して度々来日。ジャイアント馬場らと名勝負を繰り広げた。
■吉岡康弘(映画撮影監督、写真家)
17日、肝臓がんのため死去、68歳。
 写真家として活躍する傍ら、映画界にも進出。大島渚監督の「絞死刑」や勅使河原宏監督作品などで撮影監督を担当した。
4/10
■金森正雄(ギタリスト、ログビルダー)阿佐ヶ谷出身。
10日午後3時 肝臓がんのため長野軒諏訪の病院にて死去。52歳。我が愛した友人 合掌!

4/11
■高橋圭三(元参院議員、司会者)岩手県花巻市出身。
11日午後10時56分、腎不全のため、東京都内の病院で死去。83歳。
昭和17年、NHKアナウンサーとなり、ラジオの「私はだれでしょう」「話の泉」やテレビの「私の秘密」の司会を担当。当意即妙な進行で人気を博した。「紅白歌合戦」は28年から9回連続で司会を務めた。
 37年フリーとなり、「輝く日本レコード大賞」(TBS・毎日系)の司会を長く務めるなど、フリーの司会業の草分けとして活躍した。
 52年から参院議員1期。59年、全国の老人福祉施設を慰問する社団法人「虹の会」理事長就任。理事長退任後も福祉活動を続けていた。63年に勲三等旭日中綬章を受章した。
4/10
■百武裕司(百武すい星の発見者)
10日、大動脈破裂のため死去、51歳。
 アマチュア天文家として、平成8年に地球に大接近した「百武すい星」を発見。同年10月から鹿児島県姶良町立の天文台の館長を務めた。
4/9
■中薗英助(作家) 福岡県出身。
 9日、肺炎のため死去、81歳。
 旧制八女中学卒業後、中国に渡り、新聞記者になる。引き揚げ後、純文学を書き始める。昭和25年「近代文学」に「烙印」を発表して作家デビュー。30年代に入り「密書」「密航定期便」などを発表、国際スパイ小説の先駆者になった。評論集「闇のカーニバル」で日本推理作家協会賞、「北京飯店旧館にて」で読売文学賞、「鳥居龍蔵伝」で大仏次郎賞などを受賞。雑誌「新潮」連載のライフワーク「南蛮仏」最終章の完成を目前にしていた。
■4/7
ジョン・エイガー(米俳優)シカゴ生まれ。
7日、肺気腫のためロサンゼルスの病院で死去、81歳。
 1940年代から70年代にかけ、「アパッチ砦」「黄色いリボン」などジョン・ウェインら主演の西部劇映画に出演。「半魚人の逆襲」「世紀の怪物 タランチュラの襲撃」など多くのSF映画でも活躍した。他の主な作品に「硫黄島の砂」「死の砂塵」「大いなる男たち」「キングコング」などがある。

■4/9
安東次男(詩人、俳人、仏文学者)
9日、呼吸不全のため死去、82歳。元東京外国語大学教授。
 東大経済学部卒。昭和16年ごろから加藤楸邨に師事して俳句を試み、終戦時は海軍の主計将校だった。21年、金子兜太らと句誌「風」を創刊。24年、金子光晴らの第2次「コスモス」に参加。豊かな超現実的イメージによる独自の詩風を確立し、戦後を代表する詩人の一人になった。詩集に「蘭」「死者の書」。翻訳に「エリュアール詩集」など。芭蕉や蕪村など日本古典詩歌に関する著作も多い。
4/7
■菊池章子(歌手)
7日、心不全のため死去した。78歳。
昭和14年、15歳で本格デビュー。22年、敗戦後の社会で生きる夜の女の悲しみを歌った「星の流れに」が大ヒット。29年には「岸壁の母」を歌い、“社会派”“母ものの歌い手”のイメージが定着した。
 昭和30年代に一時歌から遠ざかったが、42年に復帰。60年には中国残留孤児の心境を歌った「きずな」を発表、健在ぶりを示した。
 2年ほど前から入退院を繰り返していた。孫の一仁氏は「Every Little Thing」などの曲を手がける作曲家で、昨年のレコード大賞作曲賞を受賞している。
4/3
■ロイ・ハギンズ(米テレビプロデューサー)
3日、ロサンゼルス近郊で死去、87歳。死因は明らかにされていない。
 1950年代後半から60年代にかけ人気テレビシリーズ「サンセット77」や「逃亡者」「マーヴェリック」などを手掛けた。「逃亡者」は日本でも放送されヒットしたほか、93年にはハリソン・フォード氏の主演で映画化され、自ら製作を総指揮した。
4/3
■金春晃實(能楽金春流シテ方、重要無形文化財保持者)
3日、腎不全のため死去、70歳。
 室町時代から続く能楽の名門・金春流の77代家元金春栄治郎の長男として生まれ、5歳で初舞台。京都大文学部在学中の昭和30年、幻の伝書といわれた世阿弥の「拾玉得花」を発見。体全体を使って演じる鬼もの、修羅ものを得意とした。47年、重要無形文化財の総合認定を受けた。
4/2
■佐藤明(写真家)
2日午後4時37分、肝腫瘍(しゅよう)のため死去、71歳。
ファッション写真家の草分けとして活躍。昭和34年、奈良原一高、東松照明らとグループVIVOを結成し、女性写真や欧州の歴史文化をテーマにした作品を発表した。写真集に「白夜」「フィレンツェ」など。
3/30
■エリザベス皇太后
30日午後、ロンドン郊外のウィンザーで死去。101歳。
第2次大戦その後の復興に際し王妃として国民の求心力となり、エリザベス英女王の母で「クイーン・マザー」として親しまれ、常に王室で最も人気を集める存在だった。
 昨年暮れから風邪が悪化し体調を崩していた。葬儀は8日にウィンザー城で行われる予定。英国ではマーガレット王女が2月に亡くなっており、女王はわずか2カ月で母と妹の2人を失った。
 1900年8月4日生まれ。23年、当時の国王ジョージ5世の2男ヨーク公アルバートと結婚し、エリザベスとマーガレットの2人の娘をもうけた。36年にヨーク公がジョージ6世として即位し、王妃となった。 第1次大戦で看護の手伝いをしたころから、国民に近い存在を強くアピール。第2次大戦で北米に疎開すべきだとの提案を「娘たちは私が一緒でなければ疎開しない。私は国王が一緒でなければ疎開しない。国王は何があっても国民とともにある」と退け、空襲を受けたロンドン下町を訪れて住民を激励するなど「国民と共に歩む王妃」を印象づけた。
 52年に娘のエリザベス女王が即位してからは「クイーン・マザー」として公務を続けた。マーガレット王女やチャールズ皇太子などの離婚が相次いでも、常に王室の威厳を重んじる姿勢を貫き、ダイアナ皇太子妃とは疎遠だった。カクテルのジンを好み、多数の競走馬を所有するなど、貴族社会の生活スタイルを崩さず、国民もそれを愛してやまなかった。2000年8月の100歳の誕生日には数万人がバッキンガム宮殿前で長寿を祝うなど、晩年も国民的人気は衰えなかった。
3/27
■ビリー・ワイルダー(米映画監督、脚本家)1906年、オーストリア・ウィーン出身のユダヤ人。
27日夜、肺炎のため米ロサンゼルス郊外ビバリーヒルズの自宅で死去。95歳。
 新聞記者から脚本家に転じ、ナチスの台頭によりパリ経由で渡米。その後、監督やプロデューサーとしても頭角を現した。
 シリアスなドラマからコメディー、サスペンスと幅広いジャンルで才能を発揮したが、どの作品にもシニカルな視点と独特の遊び心がちりばめられ、コメディー映画の巨匠とも呼ばれた。妥協を許さない演出と毒舌でハリウッドに君臨したが、ここ数カ月は体調を崩していたという。
 「お熱いのがお好き」(1959年)や「アパートの鍵貸します」(60年)など数々の名作で知られ米アカデミー賞には20回ノミネートされ、6回受賞。特にジャック・レモン主演の「アパートの鍵貸します」では同賞史上初めて作品、監督、脚本の3賞を同時受賞した。
ほかの代表作には「サンセット大通り」(50年)「麗しのサブリナ」(54年)「7年目の浮気」(55年)「昼下がりの情事」(57年)などがある。
3/27
■ダドリー・ムーア(英喜劇俳優)ロンドン出身。 
27日、肺炎のため米ニュージャージー州の自宅で死去、66歳。 
オックスフォード大で音楽と作曲を専攻。1960年にピーター・クックらと共演した喜劇「ビヨンド・ザ・フリンジ」がロンドンで注目され、2年間のロングランを記録した。その後ブロードウェー公演を実現し、63年と74年にトニー賞特別賞に輝いた。テレビや映画にも進出し、映画「テン」(79年)で本格的なハリウッドデビューを果たし、「ミスター・アーサー」(81年)でライザ・ミネリと共演、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
ピアノ演奏が得意でアルバムを発表したほか、シアトル交響楽団やミネソタ管弦楽団と協演した。
99年9月「進行性核上性まひ」を患っていることを公表し、闘病を続けていた。
3/14
■古山高麗雄(芥川賞作家)
神奈川県相模原市上鶴間の自宅で死亡しているのを14日、訪ねてきた長女(51)が発見し、110番した。
相模原南署の調べによると、一人暮らしで自宅出入り口は施錠されていた。氏は心臓を患っていたという。同署で病死とみて調べている。81歳。
 旧制三高中退。昭和17年召集を受け、東南アジアを転戦、ラオスで終戦を迎え収監される。22年復員。44年、「墓地で」でデビュー。45年、収容所での経験を書いた「プレオー8(ユイット)の夜明け」で芥川賞受賞。戦争体験を、独特の軽味と清潔感のある文体で書き上げ、50歳の新人作家として話題を呼んだ。 中国での激戦体験を戦後の視点から眺め返した「断作戦」「龍陵会戦」「フーコン戦記」の三部作で平成12年、菊池寛賞受賞。また、「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同人でもあった。

3/13
■中村駒助(歌舞伎俳優)
13日、肝硬変のため死去、69歳。
故六世中村歌右衛門に入門、昭和49年に四代目中村駒助を襲名した。
3/11
■佐川 清(流通大手の佐川急便創業者)
11日午後3時5分、急性心不全のため京都市内の病院で死去した。79歳。
 大正11年、新潟県板倉村(現・板倉町)に生まれ、郷里を16歳で出奔。さまざまな職を転々としながら、昭和32年“飛脚業”を開業。41年に佐川急便を設立し、代表取締役に就任。47年に会長に就任した。徹底したサービスと社員への高給与の待遇で急成長し、傘下百余社、年商3000億円の巨大運輸グループに育て上げた。一方で芸能人や力士などの後援会長を務めるなど派手な一面もあった。
 指定暴力団稲川会系企業などへの巨額の不正融資が発覚し、故金丸信・元自民党副総裁らの一大政治スキャンダルに発展した「東京佐川急便事件」の責任を取り、平成4年5月、会長を辞し、代表権のない相談役・社主に退いていた。
3/8
■はせさん治(俳優)
8日、肺がんのため死去、66歳。
 テレビ草創期から子供番組などに出演。アニメ「鉄腕アトム」のお茶の水博士をはじめ、「狼少年ケン」「ひょっこりひょうたん島」「キン肉マン」などの声優として活躍。昭和48年に始まったフジテレビ系「ひらけ!ポンキッキ」の初代お兄さんを15年間務めた。ほかに「水戸黄門」「お江戸でござる」などに出演。
3/7
■シェリー・マイダンス(元米誌記者、作家)
7日、米ニューヨーク州ニューロシェルで死去、86歳。
 ライフ誌記者として、同誌カメラマンの夫、カール氏とともにフィリピンで太平洋戦争開戦を迎え、日本軍の捕虜となる。2年弱抑留生活を送った後、1943年に捕虜交換で帰国、その体験を小説として発表した。戦後はタイム、ライフ誌東京支局長となった夫とともに日本に滞在、同誌に寄稿した。夫との共著に「マッカーサーの日本 カール・マイダンス写真集」などがある。
3/4
■半村良(直木賞作家)
4日午後3時55分、肺炎のため東京都渋谷区の病院で死去。68歳。
東京都立両国高校を卒業後、事務員や工員、バーテンなど30数種類の職業を転々とした。1973年「産霊山秘録」で第一回泉鏡花文学賞を受賞。翌年、「雨やどり」で第72回直木賞を受賞した。79年には「戦国自衛隊」が映画化された。
2/28
■館野守男(元NHKアナウンサー)東京都出身。
28日午前6時25分、急性心不全のため東京都杉並区の病院で死去、87歳。
自宅は東京都杉並区高円寺北3-2-9。葬儀・平安祭典高円寺会館
38(昭和13)年NHK入局、東京報道部告知(アナウンス)課などに所属。41年12月の日米開戦を知らせる臨時ニュースを担当、45年88の太平洋戦争終戦時には朝の玉音放送の予告を行った。戦後はアメリカ総局長、国際局長などを歴任した。

2/28
■山田 明(山田塾塾長)阿佐ヶ谷出身
28日 肝臓がんのため阿佐ヶ谷の河北病院にて死去。49歳。我が愛した友人 合掌!

2/27
■オスカー・ザラ(ドイツの作曲家)ドイツ東部グライツ出身。
2月27日、ベルリンで死去。91歳。死因は明らかにされていない。
 戦前ドイツで発明され、シンセサイザーの先駆となった電子楽器トラウトニウムを使った音楽を手掛け、1963年に公開されたアルフレド・ヒチコック監督の名作スリラー映画「鳥」で音響を担当。同楽器で多数の鳥の鳴き声を本物そっくりに合成し評判となった。
■トニー・ヤング(米俳優)
26日、肺がんのためロサンゼルスの自宅で死去、64歳。
ニューヨーク生まれ。「ブロンコ」「ララミー牧場」「ガンスリンガー」など米テレビの人気西部劇シリーズで活躍。エルビス・プレスリー主演映画「殺し屋の烙印」のほか、「組織」「アパッチ大襲撃」などの映画で個性的役を演じた。
2/26
■成田 亨(彫刻家、映画美術監督)神戸市出身。
26日午前9時半、多発性脳こうそくのため東京都日野市東豊田の自宅で死去、72歳。葬儀・密葬
1954(昭和29)年、映画「ゴジラ」製作に参加。66年から「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などで特撮部分の美術を担当、多くの怪獣をデザインした。70年に大阪で開かれた日本万国博覧会で、太陽の塔内部の「生命の樹」のデザインも手掛けた。 主な著書に「特撮美術論」「特撮と怪獣」など。
2/26
■アーサー・ライマン(米ミュージシャン)米ハワイ州出身。
24日、米ホノルルの病院で喉頭がんのため死去、70歳。
ビブラホンの演奏家として注目を集め、エスニックサウンドの大御所としても知られた。自らのグループを率いジャズのスタンダードナンバーからハワイアンまで幅広い音楽を取り上げ、「風にまかせて」や「パラダイス」など30枚以上のアルバムを発表。来日公演も果たした。
2/26
■ローレンス・ティアニー(米俳優)ニューヨーク出身。
26日、ロサンゼルスで死去、82歳。死因は明らかにされていない。
映画「犯罪王デリンジャー」(1945年)に主演し注目された。ギャング映画の悪役で知られ、性格俳優としても活躍。「地上最大のショウ」(52年)「レザボア・ドッグス」(91年)などに出演した。
2/23
■ゴードン・マシューズ(ボイスメールの発明者、米起業家)
23日、脳卒中の合併症のため米テキサス州ダラスの病院で死去、65歳。
 電話相手が不在の場合、メッセージをいったん電話会社が受け取り、後で取り出すというボイスメールの基本的なアイデアを考案。1982年に特許をとった。ボイスメールは現在、米国の企業の80%で使用されており、マシューズ氏の会社VMX社は多額の特許権使用料を得ていた。同氏は会社を92年に売却、引退していた。

2/22
■チャック・ジョーンズ(アカデミー賞受賞の米アニメーション監督)ワシントン州出身。
22日、心不全のため米ロサンゼルス近郊の自宅で死去、89歳。
1938年に「ザ・ナイトウオッチマン」でデビュー。ワーナー・ブラザーズに所属し、人気キャラクターのバックス・バニーやダフィー・ダック、ポーキー・ピッグなどを世に送り出した。シリーズ「トムとジェリー」を手掛けるなど、これまでに300本以上のアニメ作品を製作した。
96年にはアカデミー名誉賞を受賞した。

2/21
■ハロルド・ワイスバーグ(米国の作家)米フィラデルフィア生まれ。
21日、心疾患のため死去、88歳。
ケネディ大統領暗殺事件に関する著作で有名。
1965年、ケネディ元大統領暗殺事件をリー・オズワルドによる単独犯とするウォーレン委員会の調査結果に反論する著作を発表。米公民権運動指導者のマーチン・ルーサー・キング牧師暗殺事件についても、ジェームズ・レイ受刑者が犯人にでっち上げられたとする著作を出版した。
2/19
■オリバー・スタトラー(米作家)イリノイ州シカゴ出身。
14日、米ホノルルの病院で死去、86歳。死因は明らかにされていない。
第二次大戦後間もないころから日本に長期滞在し、畦地梅太郎ら日本の版画家に注目、その活動を支援した。著書に古き良き日本を紹介した歴史小説「ジャパニーズ・イン」や「シモダ・ストーリー」などがある。
2/17
■ピーター・ボーコス(米陶芸家)モンタナ州出身。
16日、心臓発作のため滞在先の米オハイオ州で死去、78歳。
 第二次大戦に参加した後、モンタナ州立大で芸術を学んだ。1950年代後半から頭角を現し、人間国宝だった浜田庄司の作風から影響を受けた。重量感とダイナミックさを追求した前衛的な作品は、世界の陶芸界に衝撃を与えた。京都国立近代美術館で95年、特別展が開かれた。滋賀県など日本で企画されたワークショップにも度々参加し、陶芸の魅力と可能性を紹介した。
2/16
■白沢 純(歌舞伎小道具製作技術保存会会長、藤浪小道具社長)宮城県出身。
16日午前6時、急性肺炎のため東京都渋谷区の自宅で死去、81歳。
 古典芸能の発展に寄与し、91年に長谷川伸賞を受賞した。


2/15
■ハワード・スミス(米ジャーナリスト)ルイジアナ州生まれ。
15日、ワシントン郊外の自宅で肺炎のため死去、87歳。
 41年からCBSテレビ記者としてベルリンなどで第二次世界大戦を取材、「伝説的な戦争特派員」の1人と称された。60年の大統領選でケネディ、ニクソン両氏による初のテレビ討論の司会をしたほか、60年代初めにABCテレビ移籍後も、夜のニュースのキャスターやコメンテーターを長年務めた。

2/13
■ガイ・ストックウェル(米俳優)
6日、米アリゾナ州の病院で死去、68歳。死因は明らかにされていない。
 映画「ボージェスト」(1966年)の演技で注目され、「悪魔の赤ちゃん」(74年)、「サンタ・サングレ聖なる血」(89年)など約30本の映画に出演。テレビドラマ「ペリー・メイスン」や「刑事コロンボ」などにも出演した。俳優のディーン・ストックウェルは弟に当たる。

2/13
■ウェイロン・ジェニングス(米カントリー歌手) 関係者が明らかにしたところによると、
13日、糖尿病の合併症のため米アリゾナ州の自宅で死去、64歳。
 テキサス州生まれで12歳ごろから音楽活動を開始。歌手、ギタリスト、作曲家として多彩な才能を発揮、60以上のアルバムを出し、69年には「マッカーサー・パーク」でグラミー賞を受賞した。

2/9
■ぎん吉(世界最長寿のペンギン)
11日、老衰のため死亡。人間の年齢に換算すると140〜150歳になるという。
確認されている中では世界最長寿で、39年9カ月と世界最長の飼育記録を誇る、長崎ペンギン水族館(長崎市)の雄。

2/9
■ギュンター・ヴァント(国際的指揮者)独エルバーフェルト出身
スイスの自宅で死去した。90歳。
今年1月の誕生日の直前に自宅で倒れ、再起が危ぶまれていた。昨年末には大阪フィルハーモニー交響楽団音楽総監督の朝比奈隆氏が93歳で亡くなっており、世界の音楽界は、年齢を感じさせない演奏を続けていた二人の名指揮者を相次いで失った。
ドイツのクラシック音楽界の大御所で、ブルックナーやブラームス、シューベルトの名演でしられる国際的指揮者。ベルン交響楽団や北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者、ベルリン・ドイツ交響楽団の第一指揮者などを歴任した。ブルックナーの交響曲全集をはじめ、ドイツやオーストリアの古典・ロマン派の作品で名演を残す一方、現代の作曲家の作品の演奏も積極的に行った。
2/9
■原 健策(映画俳優)
7日、老衰のため死去、96歳。
大正14年に「弥陀ケ原の殺陣」の国定忠治役でデビュー。その後「忠臣蔵」「狐の呉れた赤ん坊」などに出演、戦後は名わき役としても活躍した。昭和56年に京都市民映画祭特別賞を受賞。末娘は女優の松原千明。

2/9
■池田恒雄(ベースボールマガジン社会長)
9日、肺炎のため死去、90歳。
昭和21年、ベースボールマガジン社を設立。雑誌「週刊ベースボール」などを発行し、野球界に貢献。平成元年に野球殿堂入りした。国際オリンピック委員会(IOC)委員の猪谷千春氏の義父。

2/9
■マーガレット王女(エリザベス英女王妹)
9日、ロンドン市内の病院で脳出血で死去したことを明らかにした。71歳。
王女は近年、度々脳出血を起こし、入退院を繰り返していた。今年はエリザベス女王即位五十周年にあたり、6月の記念行事への影響が注目される。王女は1930年8月生まれ。ジョージ六世の二女でエリザベス女王のただ一人の妹。18歳で女王の名代としてオランダ女王即位式に参列するなど、早くから王室外交で女王を補佐した。その後も青少年活動や児童福祉など数多くの団体の名誉総裁や会長を歴任してきたが、過去の喫煙・飲酒歴による健康への影響が心配されていた。
 王女は「恋多き女」として、英マスメディアに度々取り上げられてきた。結婚前の二十代には、第二次大戦の英雄で離婚経験のあるタウンゼント英空軍大佐との悲恋が国民の知るところとなり、同情を集めた。
 60年5月に写真家のスノードン卿と結婚。しかし、独身男性との親密な交際が暴露されたり、スノードン卿もモデルや社交界の女性との関係が絶えずうわさされるなどした。二人は76年に別居、78年に離婚した。

2/7
■石橋広次氏(石橋ボクシングジム会長)
7日、原発性肺がんのため死去、71歳。
 元日本バンタム級チャンピオン。

2/2
■海老一染太郎(太神楽曲芸師)
2日、胃がんのため死去。70歳。
昭和7年、芸能一家に生まれ、2代目海老一海老蔵に入門。以来、弟の染之助(67)とコンビを組み、太神楽の曲芸師として活躍した。
 十八番の傘回しでは、染之助さんが曲芸を披露する一方、染太郎は軽快なテンポでしゃべりを展開。「弟は肉体労働、兄は頭脳労働でギャラは同じ」と言って観客の受けを取った。平成元年には「おめでとうございます」でレコードデビュー。正月のテレビ番組に頻繁に出演し、お茶の間の人気者だった。
2/1
■ヒルデガルト・クネフ(独映画女優)ドイツ南部ウルム出身
1日、肺感染症のためベルリンの病院で死去、76歳。
戦前のナチス宣伝映画に出演後、戦後初のドイツ映画「殺人者はわれわれの中にいる」で本格デビュー。 1950年に「罪ある女」で当時としては大胆なヌードを披露。50年代にはハリウッド映画「暁前の決断」やブロードウェー・ミュージカル「絹の靴下」に出演。79年にはビリー・ワイルダー監督の「悲愁」での公爵夫人役が注目を集めるなど、戦後西ドイツを代表する国際派女優だった。

2/1
■近藤啓太郎(芥川賞作家)
1日午前2時、胃がんのため千葉県鴨川市八色606ノ1の自宅で死去。81歳。
 東京美術学校(現東京芸大)日本画科卒。1956年に「海人船」で芥川賞を受賞。吉行淳之介、安岡章太郎氏らとともに“第三の新人”と称された。また「大観伝」「奥村土牛」など美術評論でも活躍した。その他の代表作に「微笑」など。

1/28
■アストリッド・リンドグレン(スウェーデン女性児童文学者)
28日、ストックホルムで死去、94歳。
 1945年に発表した「長くつ下のピッピ」で一躍有名に。独立心にあふれる力持ちの少女ピッピの奇想天外な物語は、一部の常識的な大人の反発をよそに、世界中の子どもたちの熱烈な支持を集めた。
 活動は児童文学のあらゆるジャンルに及び、「やかまし村のこどもたち」(47年)、「エミールと大どろぼう」(63年)のシリーズでは元気な子どもの日常生活を生き生きと描写。「親指こぞうニルス・カールセン」(49年)では孤独な子どもの心を慰めた。
「さすらいの孤児ラスムス」(56年)で国際アンデルセン賞を受賞。ノーベル文学賞候補にも挙がった。

1/27
■上野 瞭(児童文学者・作家、同志社女子大名誉教授)
27日、胆管がんのため死去、73歳。
 同志社大在学中から執筆活動を続け、昭和58年に「ひげよ、さらば」で日本児童文学者協会賞を受賞した。また「砂の上のロビンソン」「アリスの穴の中で」などの著書も映画化された。

1/27
■中西啓介(衆議院議員)和歌山市出身。
27日午後8時、心不全のため、東京都港区の山王病院で死去した。60歳。
 昭和40年、早稲田大学政経学部を卒業。衆院議長秘書などを経て、昭和51年、自民党から衆院選初当選。当選7回。
 細川内閣で防衛庁長官を務めた。平成7年5月、長男の大麻取締法違反の有罪判決を受けて衆院議員を辞職。また6月には旧二信組問題をめぐり、衆院予算委で証人喚問を受けた。8年の総選挙で政界に復帰、自由党国対委員長などを務めた。12年4月に自民党との連立政権離脱を契機に小沢氏と決別して保守党へ。6月の総選挙で落選後、療養生活を送っていた。
1/22
■遠藤 誠(弁護士)宮城県出身
22日午後11時42分、肺がんのため東京都港区内の病院で死去。71歳。
 昭和28年、東大法学部卒。千葉地裁判事補を経て36年、弁護士に転身して、帝銀事件の平沢貞通元死刑囚の主任弁護人や連続射殺事件の永山則夫元死刑囚の国選弁護人を務め、平成10年には、永山元死刑囚の遺言で遺骨をオホーツク海に流した。平成4年施行の暴力団対策法で指定暴力団山口組が暴力団指定処分の取り消しを求めた訴訟では、同組の弁護団長を務めた。
 著書に「帝銀事件と平沢貞通氏」「絶望と歓喜−歎異抄入門」「道元 禅とは何か」など。

1/22
■ピート・バーデンス(ロックキーボード奏者)ロンドン出身。
22日、肺がんのためロサンゼルス近郊の自宅で死去、57歳。
1972年に英国の人気ロックグループ「キャメル」の結成に参加した後、ソロ活動を本格的に開始。アルバム「ビッグ・スカイ」などを発表した。87年に米国に移住した。

1/21
■ペギー・リー(米ジャズ歌手)ノースダコタ州出身。
21日、心臓発作のためロサンゼルスの自宅で死去した。81歳。
 20代初め、シカゴのホテルで歌っているところをジャズ界の巨匠ベニー・グッドマンに認められ、楽団の専属歌手に。楽団のギタリストだったデイブ・バーバーと結婚後、ソロ活動を本格的に開始。1953年に録音したアルバム「ブラック・コーヒー」が大ヒットし、ビリー・ホリデイやサラ・ボーンらと並んで米国を代表する歌手となった。代表的なアルバムに「ミス・ワンダフル」などがある。また、ヒット曲「フィーバー」の官能的でハスキーな歌声で知られた。
映画「皆殺しのトランペット」などにも出演、アカデミー助演女優賞にもノミネートされ、69年にはグラミー賞を獲得したが、その後は健康を害しがちで、目立った活躍をすることはなかった。


1/21
■倉田準二(映画監督)
21日、肺炎のため死去、72歳。
 昭和25年、東映京都撮影所に入り、映画「夜霧の長脇差」で監督デビュー。時代劇を撮り続け、特殊撮影なども駆使した奇抜な映像表現を得意とした。42年からテレビドラマを手掛け、「仮面の忍者・赤影」「大奥」「水戸黄門」など多くの作品がある。
1/20
■キャリー・ハミルトン(米女優)
20日、がんのためロサンゼルスの病院で死去、38歳。
 映画「TOKYO POP」(1988年)、「クール・ワールド」(92年)で熱演したほか、人気テレビシリーズ「ビバリーヒルズ青春白書」「Xファイル」に出演した。
 10代の時から麻薬を常用し、リハビリ施設に入ったことからハリウッドの話題になった。女優のキャロル・バーネットさんは母親に当たる。
1/19
■ジョン・ビュッセマ(米漫画イラストレーター)
19日付の米紙ロサンゼルス・タイムズによると、10日、胃がんのためニューヨーク州で死去、74歳。 1948年から米コミック誌出版社「マーベル・コミック」を中心にイラストレーターとして活躍。「スパイダーマン」「蛮勇コナン」など人気漫画を手掛けた。
1/15
■いぬいとみこ(児童文学者)東京都出身
16日午後2時32分、肺炎のため東京都練馬区の慈雲堂内科病院で死去した。77歳。
戦後日本児童文学の草分け的存在だった作家。
 終戦後間もなく児童図書の編集をしながら創作を始め、昭和32年に初出版した「ながいながいペンギンの話」で毎日出版文化賞、36年には日本の民間伝承と西欧の児童文学を融和させた「木かげの家の小人たち」で国際アンデルセン賞国内賞を受賞した。
また、「雪の夜の幻想」などでサンケイ児童出版文化賞を3回受賞した。
1/16
■ロン・テイラー米歌手・俳優)
16日、心臓発作のためロサンゼルスの自宅で死去、49歳。
 ブルース歌手、俳優として活躍。95年初演の人気ブルースミュージカル「イット・エイント・ナッシン・バット・ザ・ブルース」などでトニー賞に4回ノミネートされた。「大逆転」「トゥルーマン・ショー」「ラッシュアワー
1/15
■井上敬三(ジャズサックス奏者)
15日、肺がんのため死去、79歳。
 53歳でフリージャズのサックス奏者としてデビュー。国内外のジャズ音楽祭で活躍、広島大などで坂田明らジャズ奏者を育てた。

1/14
■川野純夫(医師)鹿児島県出身
14日午後11時36分、心不全のため兵庫県伊丹市内の病院で死去した。77歳。
作家、田辺聖子さんの夫で“カモカのおっちゃん”の愛称で親しまれた医師。
鹿児島医専卒業後、神戸で開業。昭和41年、田辺さんと再婚。当初は田辺聖子のエッセーに登場する“カモカのおっちゃん”のイラストのモデルだったが、そのユーモアあふれるキャラクターはやがて氏の愛称となった。
 カモカは大阪弁の「咬もか」に由来するオバケで、田辺聖子は「顔はカモカのように、こわもてで怖いが、心はやさしく、情理(わけ)知りのオトナの男」と書いていた。
1/13
■テッド・デミ(米映画監督)
13日、米ロサンゼルス近郊で芸能人らが参加して開かれたバスケットボール大会の競技中に突然倒れ、搬送先の病院で死去、38歳。死因は明らかにされていない。
 実在する麻薬王の半生を描いた映画「ブロウ」(2001年)で注目され、将来を期待された若手監督の一人だった。他の作品に「ビューティフル・ガールズ」(1996年)がある。「羊たちの沈黙」(91年)で知られるジョナサン・デミ監督は叔父に当たる。
1/11
■アンリ・ベルヌイユ(仏映画監督)トルコ出身。
11日、心不全のためパリの病院で死去、81歳。
 トルコのロドストに生まれ、幼少時に渡仏。南仏エクサンプロバンスの工科大学卒業後、雑誌編集者やラジオ記者を経て映画界入り。メロドラマやサスペンス物を得意とし、ジャン・ギャバンやジャンポール・ベルモンドを多く起用した。
 代表作に「過去を持つ愛情」(54年)、「ヘッドライト」(55年)、「地下室のメロディー」(63年)、「華麗なる大泥棒」(71年)など。(パリ=時事)
1/10
■田中一光(グラフィックデザイナー)
10日午後11時53分、冠状心不全のため東京都新宿区の病院で死去。71歳。
 鐘淵紡績(現カネボウ)などを経て1963年独立。日本の伝統的な色や形を近代デザインの手法で表現し、文楽、能などのポスターや本の装丁が高く評価され、日本のグラフィックデザイナーの草分けとして知られ、国際的にも高い評価を得ていた文化功労者。企業のシンボルマークのほか、オリンピックや博覧会でもシンボルのデザインなどを手掛けた。  著書に「デザインの前後左右」など。2000年、文化功労者。
1/8
■緒方 昇(元大相撲関脇北の洋)
8日、脳梗塞のため死去、78歳.
 昭和15年初場所初土俵。技能相撲で鳴らし、最高位は関脇。引退後は武隈親方として日本相撲協会理事などを務めた。定年退職後は相撲放送の解説で活躍。現武隈親方(元関脇黒姫山)の義父。
1/7
■加賀邦男(映画俳優)
7日、肺炎のため死去、88歳。
 「大菩薩峠」「宮本武蔵」など数々の時代劇に出演、名脇役として活躍した。俳優の志賀勝は三男。
1/7
■根本進(漫画家)
7日、虚血性心疾患のため死去、86歳。
 1951(昭和26)年から14年間、朝日新聞に4コマ漫画「クリちゃん」を連載し人気を得た。主人公のヒマワリのような髪形は、湯上がりで髪が立った長男がモデル。せりふのないサイレント漫画というざん新な手法で、サラリーマン家庭の日常を描き、多くのファンに愛された。 代表作はほかに「ララ子ちゃん」など。
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■土門 たみ(土門拳記念館館長)京都府出身。
5日死去、85歳。写真家土門拳の妻
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■ジュリア・フィリップス(米映画プロデューサー)ニューヨーク出身
1日、がんのためロサンゼルス郊外ハリウッドの自宅で死去、57歳。
 ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演の映画「スティング」(73年)の製作を夫、マイケル・フィリップスとともに担当、アカデミー賞を獲得し、作品賞での女性初のオスカー受賞者となった。
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■上野博正(思想の科学社社長、上野めだか診療所所長)
1日、膵臓(すいぞう)がんのため死去、67歳。
 医師としてメンタルケアに力を入れ、精神科と産婦人科の「上野めだか診療所」を開設する一方、平成2年に思想の科学社社長になり、雑誌「思想の科学」(8年休刊)の発行人を務めた。著書に「新宿にせ医者繁盛記」など。