★1999   
★2000   ★2001   ★2002   ★2003   ★2004   ★2005   ★2006   ★2007   ★2008   ★2009   ★2010
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2011    ★2012  ★2013  ★2014   ★2015  ★2016

1999年から2013年に【地球号を降りた あの人この人、気になる人々

50音順

12/30
■大滝詠一(ミュージシャン)岩手県梁川(現:奥州市
30日、東京都瑞穂町の自宅で家族と食事中に倒れ、救急車で搬送されたが、解離性動脈瘤のため病院で死去、65歳。
早稲田大学第二文学部中退。 69年細野晴臣と松本隆の新バンド「ヴァレンタイン・ブルー」に参加、70年「はっぴいえんど」に改名(72年解散)。アルバム「はっぴいえんど」でデビュー。はっぴいえんど活動中の71年ソロ活動を開始、72年アルバム「大瀧詠一」を発表。日本のロックミュージックの先駆けとして大きな影響を与えた。80年代に入りアルバム「A LONG VACATION」や「EACH TIME」などが大ヒット。97年12年ぶりのシングル曲「幸せな結末」を発表、SMAP木村拓哉主演ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌として大ヒットした。松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」など他の歌手への楽曲提供も多い。


12/24
■フレデリック・バック(カナダのアニメーション作家)フランスのザールブリュッケン
24日、カナダ・モントリオールの自宅で癌で闘病中だったが死去、89歳。
39年レンヌの美術学校で絵を学ぶ。48年モントリオールを訪れ、翌年移住。52年カナダ国営放送にグラフィックアーティストとして参加。68年カナダ国営放送アニメーション部門に参加。81年「クラック!」でアカデミー賞短編アニメ賞受賞。87年「木を植えた男」でアカデミー賞短編アニメ賞受賞。
12/11
■ミハイル・チモフェエヴィチ・カラシニコフ(旧ソの銃器設計者)旧ソ連アルタイ地方キューラ村
23日、病 気のためイジェフスク市内の病院で死去、94歳。
第二次世界大戦中は戦車車長で、41年ドイツ軍との戦闘で重傷を負う。病院で療養中に、処女作サブマシンガンを設計。43年ソ連最大の兵器工場トゥーラ造兵廠に入る。46年のちAK-47(別名「カラシニコフ突撃銃」)として知られる全自動発射可能な自動小銃を設計。 史上もっとも大量に製造され拡散し小銃となる。 04年「カラシニコフ」ブランドのウォッカを発売。05年時計のブランドとして「カラシニコフ・ウォッチ」を設立した。
12/11
■かしぶち哲郎(ミュージシャン)栃木県
17日、食道癌のため死去、63歳。
71年「はちみつぱい」に加入し、本格的な音楽活動を開始。解散後、75年「ムーンライダーズ」結成から参加。一方で、「釣りバカ日誌」シリーズなど映画やTVドラマなどの劇伴やCM音楽、作詞、作曲を手がけた。ムーンライダーズの白井良明、鈴木博文とユニット「アートポート」を結成。多くの映画音楽の作曲を手がけた。
12/11
■ケイト・バリー(写真家)英ロンドン
11日、パリ16区の自宅から転落し死去、。4階の窓から落ちたともようで、自殺とみられる。46歳。
母は歌手で女優のジェーン・バーキン、父は「007/ジェームズ・ボンド」シリーズ後期の作曲家ジョン・バリー。生後まもなく両親は離婚。母バーキンと歌手セルジュ・ゲインズブールのもとで育つ。10代から薬物やアルコール依存症と闘い続けた。94年フランス・パリ郊外で中毒治療センターを設立。写真は「VOGUE」「サンデー・タイムズ」などに掲載され、最近パリで展覧会があった。
12/15
■ジョーン・フォンテーン(米女優)日本・東京
15日、老衰のためカリフォルニア州カーメル・バイ・ザ・シーの自宅で死去、96歳。1917年府生まれ
英国人の父は東京帝国大学の教員だった。 カリフォルニア州のサラトガで育つ。14歳で再来日しアメリカンスクール・イン・ジャパン、聖心女子学院に通った。35年舞台デビュー。40年アルフレド・ヒチコック監督の「レベッカ」でアカデミー主演女優賞候補、41年同「断崖」で同賞を受賞した。ほかの出演作は50年「旅愁」など。
12/14
■ピーター・オトゥール(アイルランド、俳優)アイルランド、ゴールウェイ州コネマラ
14日 、ロンドン市内の病院で死去、81歳。
1932年アイルランドのゴールウェイ州コネマラ生まれ。新聞社勤めをへて、アマチュア劇団に参加。49年初舞台を踏む。海軍除隊後、王立演劇学校に入学。55年プロデビューし舞台俳優として活動。60年「海賊船」で映画デビュー。62年デヴィッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」主役を演じ、アカデミー主演男優賞候補となる。その後計8回アカデミー賞にノミネートされた。03年アカデミー名誉賞を受賞。12年俳優引退を表明。他の出演作に「おしゃれ泥棒」「冬のライオン」「ラ・マンチャの男」 「カリギュラ」「ラストエンペラー」など。
12/10
ジム・ホール(Jim Hall米ジャズギタリスト) ニューヨーク州バッファロー
15日、ニューヨ−ク・マンハッタンの自宅で死去、83歳。
クリーブランド音楽大学を卒業。 55年チコ・ハミルトン・クインテットに加入。57年初のリーダー・アルバム「ジャズ・ギター」発表。60年代初頭に南米を訪れ、ボサノヴァを演奏スタイルに取り入れる。69年リーダー・アルバム「ジム・ホール・イン・ベルリン」発表。75年チェット・ベイカーなどを迎えたリーダー・アルバム「アランフェス協奏曲」が大ヒット。99年パット・メセニーとの共演盤「ジム・ホール&パット・メセニー」発表。米ジャズ専門誌「ダウンビート」国際ジャズ批評家投票ギター部門でにおいて第一位14回で、最多受賞記録を持っている。

12/9
■エリノア・パーカー(米女優)オハイオ州ダービル
9日、死去、91歳
パサディナ・プレイハウスで演技を学ぶ。41年映画デビュー。50年映画「女囚の掟」でヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞。アカデミー主演女優賞に3回ノミネート。他の出演作に「探偵物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」など。
12/7
■すまけい(俳優)北海道国後島
7日、肝臓癌のため死去、78歳。
終戦の2日前に根室市に引き揚げた。富山大学中退。上京し、文化学院に入学するが中退。61−63年芸術劇場に所属。66年「すまけいとその仲間」を結成。ベケットの「ゴドーを待ちながら」など翻訳劇で伝説的な舞台をつくり「アングラの帝王」と呼ばれた。72年に解散。85年こまつ座の「日本人のへそ」で舞台復帰。このほか映画「男はつらいよ」シリーズやNHKドラマ「國語元年」などに出演、名脇役として知られた。
12/6
■ネルソン・マンデラ(南アフリカ初の黒人大統領、ノーベル平和賞受賞者)南アフリカ・トランスカイ
6日、長く肺感染症を患っていたがヨハネスブルクの自宅で死去。95歳。
44年ウィトワーテルスランド大学法学部在学中にアフリカ民族会議(ANC)に入党。アパルトヘイトに対抗する運動を始める。61年軍事組織「ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)」を創始し司令官となる。 同年逮捕され、64年国家反逆罪にて終身刑となりロベン島の監獄に収監される。79年収監中にインドの「ネルー賞」を受賞、88年欧州議会の「サハロフ賞」を受賞。90年釈放される。91年ANC議長に就任。当時の大統領フレデリック・デクラークと暫定政府を立ち上げる。93年デクラークとともにノーベル平和賞を受賞。94年南アフリカ初の全人種参加選挙によって、第8代南アフリカ大統領に就任。差別撤廃、格差是正、経済対策などに取り組む。99年政界引退。01年前立腺癌を患い12年から入院生活を送っていた。
12/5
■コリン・ウィルソン(英作家)イングランド、レスター
5日、英南西部の病院死去、82歳。
16歳で学校中退。 56年24歳で評論「アウトサイダー」を発表し、デビュー。当時、昼間は大英博物館で執筆し、夜は野宿したというエピソードで知られる。その後、殺人やオカルト、心理学などを論じ、自身で「新実存主義」と呼んだ。ほかにSF小説や警察小説なども執筆している。 100冊以上の作品を残した。12年脳卒中を患い、会話能力を喪失。
11/30
■ポール・ウォーカー(俳優)カリフォルニア州グレンデー
30日、自動車事故のためカリフォルニア州サンタクラリタで友人が運転するポルシェが車の衝突事故に巻き込まれ、
街路樹に衝突し爆発炎上し死去。40歳。
幼児期からCMに出演。複数のコミュニティ・カレッジで生物海洋学を学ぶ。モデル、B級映画やTVシリーズへの出演をへて、99年映画「バーシティ・ブルース」に出演。01年アクション映画「ワイルド・スピード」がヒット。続編にも3作目を除き出演した。
11/26
■森下賢一(ライター、翻訳家)横浜
26日、尿毒症のため死去、81歳。
56年東京外国語大学を卒業。商社マンとしてタイ、インドネシアに駐在。63年パリ大学に留学。65年から酒、料理、海外風俗などを中心に執筆、翻訳活動を始める。80−84年まで桜美林大学経済学部講師。主な著書に居酒屋礼讃」「日本史不肖の息子」「いい酒の、いい飲り方」など。
11/25
■来宮良子(俳優、ナレーター)東京都
25日、肺疾患による多臓器不全のため東京都港区の病院で日死去、82歳。
東京家政学院短期大学中退。51年東京放送劇団に4期生として入団。52年NHKラジオドラマ「君の名は」でナレーションを担当。TVドラマ「スケバン刑事」シリーズや「ヤヌスの鏡」などのシリアスなナレーションで知られた。洋画吹き替えではフェイ・ダナウェイらを担当。音楽番組「演歌の花道」やバラエティー番組「ビートたけしのTVタックル」「いつみても波瀾万丈」でもナレーターを務めた。08年声優アワード功労賞を受賞
11/25
■堤清二(作家・詩人ペンネーム:辻井喬)東京都
25日、東京都内で死去、86歳。
父は西武グループ創業者の堤康次郎。西武鉄道グループを率いた堤義明は実弟。51年東京大学経済学部を卒業。衆議院議長だった康次郎の秘書を務める。54年に西武百貨店に入社。55年取締役店長として百貨店を担う。69年百貨店「東京丸物」を買収、パルコを展開。西洋環境開発を通じホテル経営、リゾート開発に乗り出しセゾングループを形成。西武百貨店を中心に80年代文化の担い手とされた。しかし、バブル崩壊でセゾングループの経営が破綻、91年同グループ代表を辞任。00年西洋環境開発(同年清算)を含むグループ解体。一方、辻井喬の名で文学活動を展開。55年処女詩集「不確かな朝」を発表。61年詩集「異邦人」で室生犀星詩人賞を受賞。 69年初の小説「彷徨の季節の中で」出版。83年自伝的小説「いつもと同じ春」で平林たい子文学賞受賞。00年小説「風の生涯」で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。04年「父の肖像」で野間文芸賞受賞。06年3日本芸術院賞恩賜賞を受賞。06年詩集「鷲がいて」で現代詩花椿賞受賞。、07年同作で読売文学賞詩歌俳句賞受賞。「、『自伝詩のためのエスキース」 で現代詩人賞受賞。12年文化功労者。
11/19
■フレデリック・サンガー(英生化学者、ノーベル賞科学掌受賞者)英グロスターシャー州レンコム
19日、イギリス・ケンブリッジの病院で死去、95歳。
ケンブリッジ大学を卒業。 その後、同大学キングス・カレッジ教授として教鞭をとる。58年インスリンの構造研究でノーベル化学賞を受賞。80年核酸の塩基配列の決定で2回目のノーベル化学賞を受賞した。同賞を2度受賞した唯一の人物として知られる。
11/8
■島倉千代子(歌手)東京都品川区
8日、肝臓癌のため死去、75歳。
日本音楽高校を卒業。55年16歳のとき「この世の花」で歌手デビュー。57年「東京だョおっ母さん」が大ヒット。映画化され、自ら主演。同年NHK紅白歌合戦に初出場。60−62年、73−75年の計6回紅白歌合戦の紅組トリを務める。68年「愛のさざなみ」でレコード大賞・特別賞を受賞。63年プロ野球阪神の藤本勝巳選手と結婚するが、のち離婚した88年日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞。
10/28
■川上哲治(元巨人監督)熊本県人吉市
28日、老衰のため東京都稲城市の病院で死去、93歳。
熊本県立工業高校を卒業。38年東京巨人軍に投手として入団。その後、打者に転向し、39年打率3割3分8厘で、史上最年少の19歳で首位打者を獲得。以後1941年にも首位打者獲得。56年プロ野球史上初の2000本安打を達成。赤バットがトレードマークで「打撃の神様」と呼ばれた。57年現役引退。61年巨人監督に就任。65−73年長嶋茂雄や王貞治らを率いて9年連続リーグ優勝、日本一の黄金期を築いた。監督退任後は球団専務に就任。
10/25
■明日香(シンガーソングライター)愛知県名古屋
め25日、乳癌のた死去、49歳。
乳児期に犬山市へ転居。81年ヤマハポピュラーソングコンテストに「摩天楼」で出場。82年ヤマハポピュラーソングコンテストで「花ぬすびと」により優秀曲賞を受賞。 同年世界歌謡祭ではグランプリを獲得し、プロデビュー。デビュー曲の「花ぬすびと」がヒット。86年に名古屋音楽大学器楽学科ピアノ専攻を卒業。95年北海道の札幌へ移住。05年愛知県犬山市に戻る。高井麻巳子への楽曲提供や、観光施設「お菓子の城」のCM曲でも知られる
10/27
■ルー・リード(Lou Reed 米ロックバンドリーダ)ニューヨーク州ブルックリン
27日、肝臓病のためニューヨーク州ロングアイランドで死去、 71歳。
シラキューズ大学在学中にデルモア・シュワルツに師事、詩作を学ぶ。65年ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成、ヴォーカ&ギターを担当。70年バンドを離れる。72年「ロックの幻想」でソロ・デビュー。同年シングル「ワイルド・サイドを歩け」がヒット。90年代前半にヴェルヴェット・アンダーグラウンドを断続的に再結成。96年にェルヴェット・アンダーグラウンドはロックの殿堂入り。
10/25
■岩谷時子(作詞家)年韓国・ソウル
25日、死去、97歳。
神戸女学院大学部英文科を卒業後、宝塚歌劇団出版部に入る。宝塚歌劇団の機関誌「歌劇」編集長を務め、同歌劇団の越路吹雪と出会う。51年越路とともに東宝に移り、文芸部に所属。越路のマネジャーを務める一方で、越路の歌うシャンソンの訳詞を始めた。「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」がヒットし、シャンソンを日本に根づかせた。加山雄三のヒット曲「君といつまでも」や、ピンキーとキラーズ「恋の季節」作詞でも知られ、女性作詞家の草分け的存在。
10/25
■ハル・ニーダム(米映画監督)テネシー州メンフィス
25日、ロサンゼルスで死去、82歳。
アーカンソー州、ミズーリ州で育つ。朝鮮戦争に空挺歩兵として出兵。60年代にトップスタントマンとして活動。70年スタンツ・アンリミテッドを設立。
62年、西部開拓史 (アンクレジットでのスタント)、77年、 トランザム7000 (監督・原案・アンクレジットでのスタント)、78年、 グレートスタントマン (監督)、 80年、トランザム7000VS激突パトカー軍団(監督・キャラクター原案)、81年、 キャノンボール (監督・アンクレジットでの出演)、82年、 メガフォース - Megaforce (監督・脚本・出演)、83年、 ストローカーエース (監督・脚本・アンクレジットでの出演)、84年、 キャノンボール2 (監督・脚本・アンクレジットでの出演)、 96年.心の指紋(スタント)。12年米アカデミー賞名誉賞受賞。
10/20
■天野祐吉(コラムニスト、元雑誌「広告批評」編集長)東京市足立区
20日、間質性肺炎のため死去、80歳。
明治学院大学中退。創元社、博報堂を経て独立。 79年雑誌「広告批評」(09年休刊)を創刊し、編集長や発行人を務めた。05年NHK放送文化賞を受賞。06−07年は放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送番組委員会委員長も務めた。「広告論講義」など著書多数。02−07年まで松山市立子規記念博物館館長を務める。07年名誉館長に就任。
10/19
■連城三紀彦(作家)名古屋市
19日、名古屋市の病院で胃癌で闘病中だったが、肝臓に転移していたという。 65歳。
早稲田大学政経学部を卒業。名古屋市で塾講師を務める。78年「変調二人羽織」で推理小説誌「幻影城」の新人賞を受賞しデビュー。84年「恋文」で直木賞を受賞した。このほか84年「宵待草夜情」で吉川英治文学新人賞、90年「戻り川心中」で日本推理作家協会賞(短編部門)、96年「隠れ菊」で柴田錬三郎賞を受賞。
10/13
■やなせたかし(漫画家)東京都北区
13日、心不全のため東京都内の病院で死去、94歳。
高知県在所村(現:香美市)出身。東京高等工芸学校図案科(現:千葉大学工学部デザイン学科) を卒業。田辺製薬(現:田辺三菱製薬)に入社し、宣伝部に配属。41年徴兵。 戦後、高知新聞に勤める。47年上京、三越宣伝部のグラフィックデザイナーとなる。53年34歳で三越を辞め、専業漫画家となる。73年キャラクター「あんぱんまん」を「キンダーおはなしえほん」に掲載。75年キャラクター名を片仮名に変更した続編絵本「それいけ!アンパンマン」を出版。その後TVアニメ化されるなど国民的キャラクターの一つに成長する。66年詩集「愛する歌」で詩人デビュー。73年雑誌「詩とメルヘン」を刊行。いずみたく作曲「手のひらを太陽に」の作詞をしたことでも知られる。96年香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」開館、98年「詩とメルヘン絵本館」開館。08年東京国際アニメフェア功労賞を受賞。このほか00−12年まで日本漫画家協会理事長、12年から日本漫画家協会会長、やなせスタジオ社長を務めた。
10/7
■ダニエル・デュバル(仏俳優)パリ
10日、長く病気を患っていたが死去、68歳。
74年長編映画デビュー。79年監督・脚本も手がけた「夜よ、さようなら」で人気を博す。主な出演作に04年「あるいは裏切りという名の犬」、05年「隠された記憶」、11年「そして友よ、静かに死ね」など。アンナ・カリーナと一度結婚歴がある。
10/7
■古今亭志ん馬(落語家)東京都板橋区
7日、胃癌のため東京都内の病院で死去、55歳。
81年8代目志ん馬に入門、前座名「志ん吉」。85年二つ目に昇進し、「志ん次」と改名。 94年3代目古今亭志ん朝門下となる。96年「NHK新人演芸大賞」落語部門大賞を受賞。97年真打昇進、志ん馬を襲名。
10/4
■三善晃(作曲家)東京
4日、心不全のため死去、80歳。
少年期からヴァイオリン演奏法と作曲を平井康三郎、後に池内友次郎に師事。60年東京大学文学部仏文科を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院に留学するが中退。63年東京藝術大学講師、66年桐朋学園大学教授、70年芸術祭優秀賞受賞。74−95年まで桐朋学園大学長を務める。この間85年芸術選奨文部大臣賞を受賞。90年日本芸術院賞、モービル音楽賞を受賞。96年東京文化会館長、フランス政府から文芸オフィシエ勲章を受ける。99年芸術院会員。01年文化功労者。04年東京文化会館長を退任。
10/1
■河西昌枝(元バレーボール日本代表チーム主将東京五輪金メダリスト)山梨県巨摩郡南湖村
3日、死去、80歳。
県立巨摩高校を卒業、日紡(当時)に入社。62年モスクワ世界選手権で優勝。64年の東京五輪で主将兼セッターとして金メダルを獲得。大松博文監督のもと「東洋の魔女」といわれたチームをまとめた。65年現役引退。結婚後もママさんバレーの指導や講演などで競技に携わる。04年アテネ五輪女子日本代表団長などを歴任。08年世界バレーボール殿堂入り。11年黒鷲旗全日本男女選抜大会で特別功労者表彰。
10/1
■秋山駿(文芸評論家)東京
2日、食道癌のため東京都西東京市の病院で死去、83歳。
早稲田大学第一文学部仏文科を卒業。63年評論「内部の人間」「想像する自由」などを発表。79−93年まで東京農工大学教授を務める、97年武蔵野女子大学教授となる。97年日本芸術院会員。60年評論「小林秀雄」で群像新人文学賞、90年「人生の検証」で伊藤整文学賞、96年「信長」で毎日出版文化賞および野間文芸賞、ドストエフスキーをめぐる「神経と夢想」で和辻哲郎文化賞をそれぞれ受賞。「石ころ」をキーワードのひとつとし、思索的な批評やエッセーで知られた。他の著書に「人生の検証」「私小説という人生」など。
10/1
■トム・クランシー(米作家.)ボルティモア
1日、米メリーランド州ボルティモアの病院で死去、66歳。
保険代理店を営みながら執筆を続ける。デビュー作の小説「レッド・オクトーバーを追え!」がベストセラーになる。「日米開戦」「愛国者のゲーム」「いま、そこにある危機」「合衆国崩壊」など、軍事シミュレーション小説を数多く出版。 17作品が米紙ニューヨークタイムズのベストセラーリストでナンバー1を獲得した。
10/1
■ジュリアーノ・ジェンマ(イタリア俳優)ローマ
1日、ローマ近郊のチェルヴェーテリで起きた自動車事故のため搬送先の病院で死去、75歳。
北イタリアのレッジョ・エミリア育ち。アクションを持ち味とし、58年から史劇にエキストラとして出演。 65年主演の西部劇「夕陽の用心棒」がヒット。以後、65年「荒野の1ドル銀貨」、66年「夕陽の用心棒」、同「南から来た用心棒」などマカロニ・ウエスタンと呼ばれるイタリア製西部劇のトップスターとなる。日本映画「フィレンツェの風に抱かれて」にもゲスト出演している。
9/29
■山崎豊子(作家)大阪市
29日、心不全のため死去、88歳。
京都女子大学国文科を卒業。毎日新聞大阪本社に入社。 57年生家の昆布商を題材にした処女長篇「暖簾」を出版。58年「花のれん」で直木賞受賞。同年退社し、作家生活に入る。「ぼんち」で大阪府芸術賞受賞。61年「女の勲章」、64年「花紋」など激動の時代を生きる女性たちを描いた。65年「白い巨塔」、73年「華麗なる一族」のほか、76−91年まで戦争三部作「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」を発表する。91年菊池寛賞を受賞。99年「沈まぬ太陽」を出版、09年「運命の人」で毎日出版文化賞特別賞受賞した。主要作品の大半が映画化およびドラマ化されている。
9/23
■酒井雄哉(比叡山大阿闍梨)大阪市
23日、心不全のため自坊の大津市の長寿院で死去、87歳。
44年慶応義塾商業学校(慶応大学の夜間商業学校)をへて、熊本県人吉の予科練に志願入隊。鹿児島県鹿屋市の特攻基地で終戦を迎える。東京で飲食店や証券会社代理店など職を転々とする。妻との死別を機に40歳で比叡山に入り、出家、得度した。長年途絶えていた飯室回峰を復興。明治時代に死者が出て以来中断していた「常行三昧」という厳しい行を達成。73年より千日回峰行を開始。80年54歳で比叡山中や京都市内を7年間で約4万km走破し、9日間の不眠不臥、断食断水の「堂入り」などを行う千日回峰行を満行。87年にも戦後最高齢の60歳で、「別行」として再び千日行を達成。千日行を2度達成したのは比叡山の歴史で3人という。90年15年ぶりに下山。天台宗の宗祖最澄の「東下り」のをたどり京都から東京まで中山道沿いに750kmを歩く。91年天台宗の聖地で回峰行のルーツである中国・五台山を巡礼。ほか東北や九州など各地を精力的に行脚した。95年当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世に謁見。同年、仏教伝道文化賞(功労賞)受賞。
9/21
■石田太郎(俳優)京都市
21日、フジテレビのドラマ「木曜劇場 独身貴族」収録中にスタジオで倒れ、神奈川県相模原市の病院に搬送されたが死去、69歳。
上智大学外国語学部スペイン語学科を中退。学生時代から演劇を始め、ドラマ「おしん」「春日局」「独眼竜政宗」「芋たこなんきん」などで名脇役として活動。声優としても「新・刑事コロンボ」役などでも知られる。ほかに「ハンニバル・レクター」シリーズのレクターの吹き替えを担当。浄土真宗の僧侶でもあり、石川県金沢市乗敬寺の住職も務める。
9/18
■ケン・ノートン(ボクシング元ヘビー級世界王者)イリノイ州ジャクソンビル
18日、鬱血血性心不全を患っていたが米アリゾナ州の病院で死去、70歳。
67年プロデビュー。 73年モハメド・アリを破って北米ボクシング連盟(NABF)ヘビー級王座を獲得。この試合でアリは顎を砕かれた。同年再戦で敗北。 78年世界ボクシング評議会(WBC)の指名試合を同級王者レオン・スピンクスが拒み、同王座を獲得。プロボクシング史上唯一世界戦で勝利したことがない世界王者。81年現役引退。戦績は42勝(33KO)7敗1分け。
9/11
■橋本武(国文学者、元灘高校教頭)京都府宮津市
11日、神戸市中央区の病院で死去、
101歳。
30年東京高等師範学校(現:筑波大学を)卒業。在学中に諸橋轍次の大漢和辞典編纂を手伝う。34年神戸市の旧制灘中学に国語教師として赴任。50年より新制灘中学で勤務し、「銀の匙授業」を開始した。71年灘校教頭に就任。09年NHK「ザ・コーチ 人生ノ教科書 横道にそれてもいいんだ〜伝説の国語教師 橋本武〜」放送。10年伊藤氏貴著「奇跡の教室:エチ先生と『銀の匙』の子どもたち:伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀」がベストセラーとなる。11年灘校の特別授業「土曜講座」で再び教壇に立ち、27年ぶりに「銀の匙授業」を行う。
9/2
■フレデリック・ジョージ・ポール・ジュニア(米SF作家)ニューヨーク
2日、死去、93歳。
37年エルトン・アンドルーズ名義で詩「アメージング・ストーリーズ」を発表し商業誌デビュー。初期代表作はC・M・コーンブルースとの共作「宇宙商人」。59−69年までSF雑誌「ギャラクシー」「イフ」の編集に携わる。76年「マン・プラス」でネビュラ賞 長編小説部門を受賞、 作家に復帰。77年「ゲイトウエイ」でヒューゴー賞 長編小説部門などを受賞した。別名はジェイムズ・マクレイ (James MacCreigh)など多数 。マクレイ名義で はアイザック・アシモフとの共著がある。
9/1
■トミー・ モリソン(元世界ボクシング機構(WBO)ヘビー級チャンピオン)アーカンソー州グラヴェット
1日、米ネブラスカ州オマハの病院で死去、44歳。
88年プロデビュー。93年ジョージ・フォアマンを破って王座獲得。96年エイズウイルス(HIV)陽性と診断されて引退、その後に現役復帰。通算成績48勝(42KO)3敗1分け。「ロッキー5/最後のドラマ」にボクサー役として出演した。
8/24
■土橋正幸(元プロ野球投手、元ヤクルト元日本ハム監督)東京都
24日、筋萎縮性側索硬化症(ルー・ゲーリッグ病)のため東京都内の病院で死去、77歳。
都立日本橋高校を卒業。家業の魚屋で働くかたわら、浅草のストリップ劇場「フランス座」(現:浅草東洋館)保有の軟式野球チームでプレー。55年入団テストをへて東映入り。58年日本記録の9連続奪三振、61年30勝をあげ、62年日本シリーズでMVP獲得。57−64年まで7年連続2桁勝利。67年現役引退。通算成績は162勝135敗、防御率2.66。73年シーズン途中より日拓ホーム監督。84年シーズン途中からヤクルト監督代行、85・86年同監督。92年日本ハム監督。
8/24
■谷川健一(民俗学者)熊本県水俣
24日、死去、92歳。
東京帝国大学文学部を卒業。専攻はフランス文学。平凡社で「日本残酷物語」シリーズを担当、ベストセラーになる。63年雑誌「太陽」創刊時の編集長を務めるが、結核のため退社。66年「最後の攘夷党」で直木賞候補になる。在野の民俗学者として、柳田国男や折口信夫らの民俗学を発展させ、沖縄などの民俗に日本の古層を探るなど「谷川民俗学」を打ち立てた。78年「地名を守る会」を結成。81年日本地名研究所(川崎市)を設立、所長を務めた。87−96年まで近畿大学教授・同大学民俗学研究所長を務める。91年「南島文学発生論」で芸術選奨文部大臣賞。92年南方熊楠賞を受賞。97年文化功労者。01年「海霊・水の女」で短歌研究賞を受賞した。主な著書に「青銅の神の足跡」「白鳥伝説」「日本の地名」など。
8/23
■ギルバート・テイラー(英撮影監督)英英南東部ハートフォードシャー
23日、英南部ワイト島の自宅で死去、99歳。
第二次世界大戦時に英国空軍志願予備軍としての6年間務めた。その後、撮影監督となり、64年「博士の異常な愛情」、64年「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」、76年「オーメン」、77年「スター・ウォーズ」など数多くの映画に携わる。英国アカデミー賞撮影賞(モノクロ部門)に2度ノミネート。
8/22
■藤沢嵐子(タンゴ歌手)東京
22日、老衰のため新潟県長岡市の病院で死去、88歳。
43年東京音楽学校(現:東京芸術大学)声楽科予科に入学。翌年本科に進むが、満州の紡績工場に単身赴任していた父の招きで、大学を休学(のちに中退)して一家で満州に渡る。 47年引き揚げ。バンドネオン奏者の早川真平(のちの夫)にタンゴを習い、50年から早川が結成した「オルケスタ・ティピカ東京」に参加。50年代を中心にタンゴ歌手の第一人者として活躍し、ブームを牽引。「タンゴの女王」と呼ばれた。53年本場アルゼンチンを訪れ評判を呼び、その後も公演を重ねた。代表曲に「カミニート」「さらば草原よ」など。57年からNHK紅白歌合戦に連続5回出演。71年引退。
8/22
■藤圭子(歌手)岩手県一関市
22日、東京都新宿区知人のマンション知人宅から
飛び降り自殺したと見られ、発見時心配停止状態のまま搬送先の病院で死亡、62歳。
北海道旭川市育ち。17歳で上京し、69年「新宿の女」で歌手デビュー。以後、作詞家の石坂まさをと組んで多数のヒット曲をだす。ファーストアルバム「新宿の女」が20週連続1位、セカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。 70年「圭子の夢は夜ひらく」が40週連続1位を獲得し、日本レコード大賞大衆賞を受賞した。71年歌手の前川清と結婚するが、72年離婚。74年喉のポリープ手術で声質が変わり、人気にかげりがで79年引退を表明し、渡米。81年藤圭似子の名で芸能界に復帰。82年宇多田照實と再婚するが、07年離婚。歌手の宇多田ヒカルは娘。
8/20
■エルモア・レナード(米作家.)ニューオーリンズ
20日、脳卒中による合併症のためミシガン州デトロイト郊外の自宅で死去、87歳。
51年短編小説「Trail of the Apaches」で作家デビュー。し、なかでも53年短編「3:10 to Yuma」など、初期は多くのウェスタン小説を執筆。同作は57年「決断の3時10分」、 07年「3時10分、決断のとき」と2度映画化された。 70年代以降は犯罪小説を多数発表した。84年「ラブラバ」でエドガー賞最優秀長篇賞。92年同巨匠賞を受賞。クエンティン・タランティーノ監督「ジャッキー・ブラウン」原作の「ラム・パンチ」ほか、「ゲット・ショーティ」「ビッグ・バウンス」「キャット・チェイサー」「アウト・オブ・サイト」「マジェスティック」など著作の多くが映画化された。
8/14
■山口冨士夫(ギタリスト)
14日、 脳挫傷のため東京・福生市の病院で死去、 64歳。
母は日本人、父はイギリス人。幼少時は孤児院で育つ。 67年グループ・サウンズ「ザ・ダイナマイツ」のギタリストとしてデビュー。その後バンド「村八分」を結成。後の日本のロックシーンに大きな影響を与えた。80年代初頭「裸のラリーズ」に一時在籍、89年「TEARDROPS」としてメジャーデビュー。解散後はソロ活動を展開した。
8/10
■高崎一郎(司会者)英ロンドン
10日、老衰のため死去、82歳。
青山学院大学に進学後、留学して南カリフォルニア大学を卒業。54年ニッポン放送に入社。深夜ラジオ番組「オールナイトニッポン」初代パーソナリティーを務める。退社後フジテレビのバラエティー番組「オールナイトフジ」やテレビ東京の生活情報番組「レディス4」の司会を担当。パシフィック音楽出版(現:フジパシフィック音楽出版)社長なども務めた。
7/25
■笑福亭松喬(落語家)兵庫県小野市出
30日、肝臓癌のため死去、62歳。
69年 6代目松鶴に入門、高座名は笑福亭鶴三。83年「上方お笑い大賞」銀賞を受賞。87年6代目笑福亭松喬を襲名。89年大衆芸能部門での「咲くやこの花賞」、「大阪府民劇場奨励賞」を受賞。96年柳家小里ん、古今亭志ん橋と「東西三人会」を結成。同年「らくだ」にて「文化庁芸術祭賞」を受賞。07年「百年目」で文化庁芸術祭大衆芸能部門「芸術祭大賞」を受賞。
7/25
■戸井十月(作家)東京都新宿区
28日、癌のため東京都内の病院で死去、64歳。
武蔵野美術大学造形学部商業デザイン科を中退。75年フリーライター集団「プレス75」を結成 (80年解散)。83年北米大陸をバイクで縦横断、86年バイクでシルクロードを走破、87−88年バイクで北南米大陸縦断など世界各地を旅する。著書に「ゲバラ最期の時」「植木等伝『わかっちゃいるけど、やめられない!』」などの他、オートバイで五大陸を走破した記録「道、果てるまで」など。映像ディレクターとしても活躍。05年NHK「生き抜く 小野田寛郎」でATP賞ドキュメンタリー部門優秀賞を受賞。
7/25
■ベルナデット・ラフォン(フランス女優)ニーム
25日、同国南部ニームの病院で死去、74歳。
57年フランソワ・トリュフォー監督の短編「あこがれ」で映画デビュー。50代に始まる映画運動ヌーベルバーグを代表する女優の一人。出演映画に58年、美しきセルジュ、あこがれ ,60年、気のいい女たち,67年、パリの大泥棒、72年、私のように美しい娘、女の望遠鏡 (マドモアゼル,75年、恋のモンマルトル、85年、なまいきシャルロット ,92年、サム・サフィ,07年、ブロークン・イングリッシュ
7/15
■石井晶(元プロ野急選手、元阪神2軍監督)東京
15日、死去、73歳。
足立高校(現:足立学園高校)を卒業。ノンプロ・東京鉄道管理局野球部をへて、60年阪急ブレーブスに入団。63年ウエスタンリーグで首位打者。64年1軍の4番に座り、打率.272、15本塁打。同年オールスターゲームでも4番を打った。プロ12年間の通算成績は1262試合出場、780安打、51本塁打、打率.250。71年現役引退、コーチに就任。74年まで2軍コーチ。75年1軍コーチに就任、 リーグ4連覇、3年連続日本一に貢献。82−84年までヤクルトスのコーチ、85−94年および97−98年まで阪神コーチ・ 2軍監督を務めた。99年ノンプロ・田村コピーでコーチ、04年から名古屋ウェルネススポーツカレッジ硬式野球部で監督を務めた。
7/12
■高橋たか子(作家)京都市
12日、心不全のため神奈川県茅ケ崎市の福祉施設で死去、81歳。
学在学中に高橋和巳と知り合い、54年同大学フランス文学科を卒業後に結婚。58年京都大学大学院修士課程を修了。 修士課程修了71年死別、その後、自ら小説の執筆を始め、カトリックの洗礼を受けた。72年「空の果てまで」で田村俊子賞、76年「誘惑者」で泉鏡花文学賞、77年「ロンリー・ウーマン」で女流文学賞、85年「恋う」で川端康成文学賞、85年「怒りの子」で読売文学賞、03年「きれいな人」で毎日芸術賞を受賞。このほか4度芥川賞候補になった。
7/9
■吉田昌郎(東電福島第1原子力発電所所長)大阪府
9日、食道癌のため東京都内の病院で死去、58歳。
77年東京工業大学工学部を卒業。大学時代はボート部に所属。東京工業大大学院で原子核工学を専攻。79年東京電力に入社。原子力部門を歩み、福島第1、第2原発に勤務。07年から本店原子力設備管理部長。10年第1原発所長に就任。11年3月11日の原発事故発生後は同原発の免震重要棟で陣頭指揮にあたった。首相官邸の意向に配慮し東電幹部から原子炉冷却のため行っていた海水注入の中止を命じられた際は、独断で続行を指示。 行動は一部で高く評価された。その後約8カ月にわたり収束作業の陣頭指揮を執った。一方、事故直後の対応で政府の事故調査・検証委員会などが判断ミスを指摘。原発の津波対策などを担当する原子力設備管理部長時代には十分な事故防止策を行わなかったことも判明した。
6/29
■ジム・ケリー(米俳優、空手家)ケンタッキー州バーボン
29日、癌のためサンディエゴの自宅で死去、67歳。
カリフォルニア州サンディエゴ育ち。陸上競技とフットボールの奨学生としてケンタッキー州ルイズビル大学に入学。卒業後、俳優をめざしてロサンゼルスに移住。松濤館カラテ西海岸選手権、フォーシーズン、リマ・ラマ、ゴールデン・ウェストなどローカル大会で優勝、71年ロングビーチで行われた国際カラテ選手権のミドル級で優勝。73年公開のブルース・リー主演「燃えよドラゴン」に出演。
6/29
■村上護(文芸評論家、俳人)年愛媛県大洲市
29日、膵臓癌のため東京都千代田区の病院で死去、71歳。
愛媛大学を卒業。26歳で上京。 72年初の著書「放浪の俳人山頭火」がベストセラーになる。以後、文学者伝記をはじめ、種田山頭火や尾崎放哉ら放浪の俳人の伝記など発表。。他の著書に「聖なる無頼 坂口安吾の生涯」「遍路の風景 空海のみち」など。
6/26
■ジャスティン・ミラー(元メジャーリーガー)カリフォルニア州
26日、フロリダ州パームハーバーの自宅で死去、
遺体が発見されたが、死因は公表されていない。35歳。
97年コロラド・ロッキーズからドラフト5巡目で指名れ入団。99年オフにアスレチックスに移籍。01年オフにトロント・ブルージェイズに移籍。02年メジャーリーグデビュー、9勝をあげる。通算216試合に登板、24勝14敗、防御率4.82。06年ロッテに所属、12試合に登板し0勝1敗、防御率10.80。07年フロリダ・マーリンズでメジャー復帰。08年8月解雇。その後、各球団とマイナー契約し、11年までプレー。
6/26
■バート・スターン (米写真家)ニューヨーク・ブルックリン
26日、ニューヨークの自宅で死去、83歳。
高校中退後、米軍に入隊。 日本の基地で写真を学ぶ。62年マリリン・モンローが亡くなる6週間前に撮影した写真集「The Last Sitting」をはじめ、エリザベス・テイラー、オードリー・ヘップバーンなど有名女優の写真で知られる。他の作品にドキュメンタリー映画「真夏の夜のジャズ(Jazz on a Summer's Day)」(58年)など。

6/23
■リチャード・マシスン(米SF作家)ニュージャージー州
23日、ロサンゼルスの自宅で死去、87歳。
ブルックリン工科高校を卒業後、幼年兵として第2次世界大戦に従軍。49年ミズーリ大学を卒業、専攻はジャーナリズム。50年「ファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション」誌に短編「モンスター誕生」を発表しデビュー。その後、数多くの映画やTVドラマの脚本を手がけた。代表作に「縮みゆく人間」、スティーヴン・スピルバーグ監督「激突!」(原作・脚本)、映画「トワイライト・ゾーン 超次元の体験」「アイ・アム・レジェンド」(原作)など。時間SF長編「ある日どこかで」で76年度世界幻想文学大賞長編部門大賞を受賞、80年クリストファー・リーブ主演で映画化された。
6/23
ボビー"ブルー"ブランド (米ブルースシンガーBobby "Blue" Bland)テネシー州ローズマーク、
23日病気のためテネシー州メンフィスで死去、 83歳。
48年メンフィスに移住し、ゴスペル・グループ「ミニチュアーズ」で音楽活動を開始。 B・B・キングらがメンバーだったビール・ストリーターズに参加。51年初のレコーディング。52年シングルをリリース。57年「Farther on up the Road」でR&Bチャート第1位。 その後、「I'll Take Care of You」「I Pity the Fool」 「Yield Not To Temptation」「Members Only」などが ヒットする。92年ロックの殿堂入り。97年グラミー賞のLifetime Achievement賞を受賞。

6/14
■十四代酒井田柿右衛門(有田焼陶芸家人間国宝)佐賀県
14日、転移性肝腫瘍と直腸癌のため佐賀市の病院で死去、78歳。
58年多摩美術大日本画科を卒業後、作陶活動に入る。82年先代の死去に伴い、十四代柿右衛門を襲名、柿右衛門窯の当主となる。日本工芸会副理事長や国際陶芸アカデミー名誉会員、佐賀県陶芸協会会長、佐賀県立有田窯業大学校長などを歴任。 99年から11年間にわたり九州産業大大学院芸術研究科で専任教授を務めた。01年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。米国、トルコ、ドイツ、フランス、ブラジルなどで個展を開き、有田焼の知名度向上に貢献した。柿右衛門様式は、主に大和絵的な花鳥図などを題材として赤絵の絵柄に 加え、「濁手」と呼ばれる柔らかな乳白色の磁肌が特徴。
6/
■尾崎行雄元プロ野球選手)大阪府泉大津市
13日、肺癌のため13日死去、68歳。
61年浪商高校(現:大阪体育大学浪商高)2年時に夏の甲子園で優勝投手となり、「怪童」と呼ばれる。同年高校を中退し、東映フライヤーズへの入団を表明。62年初登板で勝利投手になり20勝9敗、防御率2.42の成績で新人王獲得。64−66年まで3年連続で20勝を記録、65年は27勝を挙げて最多勝を獲得。68年以降は勝星から遠ざかり、73年29歳で現役引退。プロ通算107勝83敗、防御率2.70。引退後はレストラン経営ののち、スポーツ関係の会社に勤務。
6/13
■内海賢二(声優)福岡県北九州市
13日、膀胱癌による癌性腹膜炎のため東京都新宿区の病院で死去、75歳。
55年高校3年のときにNHK小倉放送局の専属劇団に合格。ラジオドラマや朗読の仕事を始める。その後、福岡県の九州朝日放送に移籍、KBCラジオの専属声優になる。58年に上京。63年「狼少年ケン」の片目のジャック役でアニメデビュー。アニメ声優の草分け的存在になる。舞台俳優としても里吉しげみ主宰の劇団未来劇場の公演などに出演。60年代−70年代にかけ時代劇などさまざまなTVドラマに出演。84年声優事務所「賢プロダクション」を設立、声優で妻の野村道子と共同経営。09年第3回声優アワード功労賞を受賞。他の声優作品に「魔法使いサリー」でサリーのパパ役、「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛役など。
6/5
■塩屋俊(俳優・映画監督)大分県臼杵市
5日、同日上演予定だった舞台「HIKOBAE2013」の最終稽古中に倒れ、搬送先の病院で急性大動脈解離のため仙台市内の病院で死去、56歳。
慶応大学文学部教育学科を卒業。在学中に「モデル・プロダクション」(東京学生英語劇連盟)に参加し、奈良橋陽子に師事。ネイバーフッド・プレイハウスのメソッド演技のレッスンを受け、 80年TVドラマ「離婚ともだち」で俳優デビュー。その後、NHK大河ドラマ「おしん」「徳川慶喜」や映画「忠臣蔵 四十七人の刺客」「釣りバカ日誌」9・10 などに出演。94年「塩屋俊アクターズクリニック」を設立(現:アクターズクリッ ク)し、後進の育成に力を注いだ。01年映画「6週間 プライヴェートモーメント」で監督デ ビュー。その後、「0からの風」「きみに届く声」「種まく旅 人〜みのりの茶〜」などの作品を発表した。
6/4
■長門勇(俳優)岡山県倉敷市
4日、老衰のため神奈川県の病院で死去、81歳。
48年に高尾光子劇団に入団。東京・浅草の劇場などでコメディアンとして活動。その後、テレビ界に進出。63−69年放送の時代劇「三匹の侍」で槍の達人・桜京十郎役で人気を呼ぶ。映画「道場破り」で主演。岡山弁のとぼけたキャラクターが持ち味だった。他の出演作にコメディー番組「スチャラカ社員」、ドラマ「横溝正史シリーズ」「暴れん坊将軍シリーズ」など。
5/23
■ジョルジュ・ムスタキ(仏シンガーソングライター)エジプト・アレキサンドリア
23日、。呼吸器系の疾患を抱えていたが南仏ニースで死去、79歳。
17歳からパリで暮らす。57年エディット・ピアフと出会い、その才能を見いだされてピアフに曲を書く。「ミロール」が世界的ヒットとなった。69年「異国の人」で本格的に歌手活動を始めた。主な曲に「僕の自由」「私の孤独」など。72年平和を呼び掛けるメッセージソング「ヒロシマ」を発表。
5/20
■レイ・マンザレク(米キーボード奏者)シカゴ
0日、肝外胆管癌のためドイツのローゼンハイムで2死去、74歳。
65年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で映画を専攻。在学中にジム・モリソンと出会い、ドアーズを結成。オルガンやピアノを担当し、「ハートに火を付けて」が大ヒット。71年ジム・モリソンの死後、ロビー・クリーガー、ジョン・デンスモアとドアーズの活動を継続。アルバム2枚をリリースし、72年解散。 83年カール・オルフ作曲「カルミナ・ブラーナ」をシンセサイザー演奏したソロアルバムを発表。05年映画「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」を監督した。
5/18
■アレクセイ・バラバノフ(ロシアの映画監督)旧ソ連のスベルドロフスク
18日、サンクトペテルブルクの療養所で死去、54歳。
ロシア軍の空軍に所属し、軍事通訳としてアフリカや中東を訪れた。その後、モスクワで映画を学ぶ。スベルドロフスクの映画スタジオで助監督として何年か働き、ドキュメンタリー映画2本を製作。92年初の長編劇映画「幸福な日々」を発表、カンヌ映画祭の"ある視点"部門に出品。97年新生ロシア社会の混乱期を描いたアクション映画「ロシアン・ブラザー」が国内で大ヒット、日本でも公開された。その後98年「フリークスも人間も」、99年「BRAT2」を監督した。
5/11
■夏八木勲(俳優)東京都
11日、膵臓癌のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去、73歳。
慶応大学文学部仏文科を中退。在学中に文学座研究所に入所。その後、劇団俳優座の俳優養成所に入所。66年「骨までしゃぶる」でデビュー。映画「日本沈没」「宵待草」ほか、角川映画の「白昼の死角」「人間の証明」「野性の証明」「戦国自衛隊」に出演。TVドラマ「鳩子の海」「富豪刑事」など数々の作品にも出演した。12年園子温監督の映画「希望の国」では、原発事故で平穏な暮らしを奪われる主人公を演じ、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。13年是枝裕和監督のカンヌ国際映画祭長編コンペティション部門候補作「そして父になる」にも出演している。
5/9
■関山和夫(話芸研究者、京都西山短期大学学長、佛教大学名誉教授)愛知県
9日、肺癌のため死去、83歳。
52年大谷大学国文学科を卒業。愛知県で県立高校の教諭となる。64年「説教と話芸」で日本エッセイストクラブ賞受賞。東海学園女子短期大学助教授、教授をへて、佛教大学教授に就任。76年「説教の歴史的研究」で大谷大学文学博士号を取得。87年「落語風俗帖」などで芸術選奨新人賞を受賞。00年退任。京都西山短期大学学長に就任。僧侶による芸能としての「説教」(節談説教)が話芸の源流にあるとし、独特の芸能史を展開した。著書に「説教と話芸」「仏教と民間芸能」「落語名人伝」など。
5/7
■レイ・ハリーハウゼン(米特撮映画監督)カリフォルニア州ロサンゼルス
7日、ロンドンで死去、92歳。
南カリフォルニア大学夜間部で映画技術を学ぶ。33年「キング・コング」の特撮映像技術に刺激されて映画界入り。53年「原子怪獣現わる」で本格デビュー。55年「水爆と深海の怪物」、77年「シンドバッド虎の目大冒険」、81年「タイタンの戦い」など多くの作品で特撮映像を手がける。92年長年の功績によりアカデミー賞特別賞を受賞。
5/6
■河竹登志夫(演劇研究家、元早稲田大学教授)東京府
6日、心不全のため東京都内の病院で死去、88歳。
東京大学理学部を卒業。早稲田大学第一文学部演劇学科、同大学院をへて、ハーバード・エンチン研究所客員研究員として招かれた。その後、早稲田大学教授を務める。退職後、同名誉教授となる。専門は歌舞伎を西洋演劇との比較で論じる比較演劇。90年共立女子大学教授に就任。このほかウィーン大学客員教授、北京日本学研究センター客員教授、日本比較文学会会長、放送文化基金理事長、日本演劇学会会長、日本演劇協会会長などを歴任68年「比較演劇学」で芸術選奨新人賞を受賞、81年黙阿弥没後の河竹家の歴史を描いた「作者の家」で読売文学賞、毎日出版文化賞受賞。ほかに94年国際交流基金賞、00年日本芸術院賞、 03年放送文化賞を受賞。01年文化功労者となる。
4/29
■牧伸二(ウクレレ漫談家)年東京市目黒区
29日、大田区の丸子橋付近の多摩川に浮かんでいるところを版権され搬送先の病院で死亡が確認された。自殺と見られる。78歳。
夜間高校に通いながら東亜計器に勤める。 高校卒業後、57年ラジオ東京(現:TBSラジオ)の「しろうと寄席」で7週連続で名人位を獲得。60年文化放送でレギュラー番組「ウクレレ週刊誌」を持つ。63年日本教育テレビ(現:テレビ朝日)の演芸番組「大正テレビ寄席」の司会に起用される。65年第2回日本放送作家協会賞・大衆芸能賞を受賞。99年東京演芸協会の会長に就任。02年脳出血で療養とリハビリを余儀なくされる。復帰後の03年文化庁長官賞を受賞。弟子に泉ピン子ほか。
4/27
■佐野洋(作家)東京都
27日、肺炎のため神奈川県川崎市麻生区の病院で死去、84歳。
東京大学文学部心理学科を卒業。読売新聞社に入社。58年週刊朝日と宝石の共催コンクールで短編「銅婚式」が入選しデビュー。59年読売新聞社を退社、「一本の鉛」などの作品で松本清張に続く社会派推理小説の書き手として注目された。64年長編「華麗なる醜聞」で日本推理作家協会賞を受賞。97年推理文壇への貢献により日本ミステリー文学大賞を受賞。09年菊池寛賞を受賞。73年から雑誌「小説推理」に「推理日記」を連載。39年間続けた。日本推理作家協会の理事長も務めた。代表作に「事件の年輪」など。
4/25
■田端義夫(歌手)三重県松阪市
25日、肺炎のため東京都内の病院で死去、94歳。
3歳で父を亡くし、25年一家で大阪に出る。小学校3年半ばで中退。38年アマチュア歌謡コンクールで優勝し上京。39年「島の船唄」でデビュー。「里恋峠」「大利根月夜」「別れ船」「梅と兵隊」などがヒット。終戦もマドロス歌謡で人気を博し、「かよい船」「たより船」「玄海ブルース」がヒットし、スター歌手として岡晴夫、近江俊郎らとともに戦後三羽烏と呼ばれた。映画では「弥次喜多六十四州唄栗毛」「淑女とサーカス」「肉体の門」 新東宝映画「底抜け青春音頭」「アジャパー天国」など、喜劇映画を中心に出演多数。その後、低迷が続くが62年「島育ち」がヒットし、63年NHK紅白歌合戦に出場。
4/22
■リッチ―・ヘブンス(米フォーク歌手 Richie Havensニューヨーク・ブルックリ)
22日、心臓発作のためニュージャージー州ジャージーシティの自宅で死去、72歳。
65年デビュー。69年「ウッドストック・フェスティバル」の幕開けで歌ったことで知られる。
4/14
■三國連太郎(俳優)群馬県太田
14日、急性心不全のため東京都稲城市の病院で死去、90歳。
静岡県西伊豆に育つ。50年演技研究生として松竹大船撮影所に入所。51年木下恵介監督「善魔」で映画デビュー。56年「ビルマの竪琴」、65年「飢餓海峡」、73年「戒厳令」、78年「野性の証明」、79年「復讐するは我にあり」、89年「利休」などに出演。TVドラマや舞台にも数多く出演した。この間68年には自ら映画会社APCを設立。87年自著「親鸞 白い道」を製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。「利休」でブルーリボン賞受賞、ほかに日本アカデミー賞主演男優賞を3度受賞した。88−09年まで「釣りバカ日誌」シリーズに出演して、人気を博す。俳優の佐藤浩市は息子。
4/11
■西沢利明(俳優、声優)北海道
11日、膀胱癌のため東京都内の病院で死去、77歳。
学習院大学経済学部を中退。俳優座養成所を卒業後、文学座に入団。63年文学座を退団し、劇団雲結成に参加。 75年劇団雲の分裂にともない、フリーに。78年劇団昴に所属。 97年昴を退団。舞台を中心に活動したほか、TV時代劇や刑事ドラマなどにも多数 出演。。
4/10
■ジミー・ドーキンス(Jimmy Dawkins米ブルース・ギタリスト)ミシシッピー州チューラ
10日、シカゴの自宅で死去、76歳。
55年シカゴに移る。 60年代にバンドを結成し、69年初レコーディング。B.B.キングに影響されたシカゴ・スタイルのブルースで知られる。代表作に「Fast Fingers」など。
4/8
■マーガレット・サッチャー(元英首相)英リンカーンシャー州グランサム
8日、脳卒中のため死去、87歳。
オックスフォード大学で化学を専攻、47年同卒業。研究者としてライオンズ社に入社。 53年には弁護士資格を取得。59年フィンチリー選出の保守党下院議員に当選。70年エドワード・ヒース内閣の教育相に就任。75年英国の政治史上初の女性党首となる。79年総選挙で「英経済の復活」「小さな政府」を公約に掲げて勝利、女性初の英首相に就任した。新自由主義に基づき国営産業と国営企業を民営化。82年アルゼンチンとの間で起きたフォークランド紛争の際、74日間の戦闘で英兵255人の死者を出したが、アルゼンチン軍を撃退。ロナルド・レーガン米大統領の戦略防衛構想(SDI=スター・ウォーズ計画)を支持し、ソビエト共産主義を崩壊に追い込んだ。妥協を許さない政治哲学は「サッチャリズム」と呼ばれ、保守的かつ強硬なその性格から「鉄の女」 (Iron Lady) の異名を取った。90年英首相、労働党党首を辞職。92年から貴族院議員。
4/7
■ドワイク・ミッチェル(Dwike Mitchell米ジャズピアニスト)米フロリダ州ダニーデン
7日、フロリダ州ジャクソンビルで死去、83歳。
幼少時からピアノに親しむ。 50年代半ばにラオネル・ハンプトンの楽団でプロ活動を開始。フレンチホルン奏者のウイリー・ラフ(Willie Ruff)とデュオ(the Mitchell-Ruff Duo)を組み、ソビエトへ演奏旅行を行ないモスクワで初めてジャズを演奏し話題となる。デュオで放った56年「キャンパス・コンサート」、68年「ブラジリアン・トリップ」などの曲で知られる
4/6
■ビガス・ルナ(スペイン映画監督)スペイン・バルセロナ
6日、癌のため死去、67歳。
インテリア・デザイナーをへて、画家に転身。その後、映画監督になる。92年「ハモンハモン」でヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞。他の作品に「ルルの時代」「おっぱいとお月さま」「裸のマハ」など。
4/3
■ルース・プラワー・ジャブヴァーラ(米作家・脚本家)ドイツ・ケルン
3日、死去、85歳。
ユダヤ系のためナチスから逃れ、12歳で家族と英国移住。ロンドン大学で英文学を学ぶ。結婚後、インドのデリーに移り、小説を書き始める。63年インドを舞台にした小説「The Householder」がジェームズ・アイヴォリー監督「新婚生活」として映画化され、脚本家デビュー。その降、アイヴォリー作品で脚本を手がける。「眺めのいい部屋」「ハワーズ・エンド」でアカデミー脚色賞を受賞、「日の名残り」 で同賞ノミネート。その他映画賞の受賞多数。75年「Heat and Dust」でブッカー賞受賞。映画化された「熱砂の日」の脚本も手がけ、84年英国アカデミー賞(BAFTA)脚色賞を受賞。米国に国籍を移し、ニューヨーク郊外で暮らした。
4/2
■ジェス・フランコ(スペイン映画監督)マドリッド
2日、スペイン南部のマラガで死去、82歳。
59年後半から映画政策に取り組む。猟奇的でエロティックなB級映画を数多く手がけた。撮影監督、脚本家、俳優も務めた。代表作に「ドラキュラ/吸血のデアボリカ」「女体調教人ヴードゥー」「悪徳の快楽」「バージン・ゾンビ」など。
3/30
■フィル・ラモーン(米音楽プロデューサー)南アフリカ出身
30日、ニューヨーク大動脈瘤で入院中だったというが死去、72歳。
3歳でバイオリンを始め[、米ジュリアード音楽院で学ぶ。58年レコーディングスタジオ「A&R」を設立し、ポール・サイモン、ポール・マッカートニー、バーブラ・ストライサンドらのヒット曲を手掛けた。グラミー賞受賞は14回。78年世界初のCDとして発売されたビリー・ジョエル「ニューヨーク52番街」をプロデュース。97年初のポピュラー音楽DVDにも携わった。
3/28
■リチャード・グリフィス(英俳優)英ヨークシャー
28、心臓手術後の合併症のため英コベントリーの病院で日死去、 65歳。
映画「ハリー・ポッター」シリーズのバーノン・ダーズリー役で人気を得た。このほか「炎のランナー」「ガンジー」「ヒューゴの不思議な発明」 「パイレーツ・オブ・カリビアン/生の泉」など多くのの映画やドラマに出演。舞台俳優としても広く知られている。08年大英帝国勲章を叙勲。
3/27
■ポール・ウィリアムズ(米ロック評論家)ボストン
27日、95年自転車事故で脳挫傷、その後若年性認知症を発症し介護を受けていたがカリフォルニア州エンシニタスの介護施設で死去、 64歳。
1948年生まれ。66年17歳で世界初のロック評論誌「クロウダディ!」誌を創刊、ロック評論家の草分け的存在となる。72年来日。デビュー前のフォークシンガー、金延幸子と結婚するが、のち離婚。SF作家フィリップ・K・ディックの死後の版権管理人でもあり、 「フィリップ・K・ディック短篇全集」「シオドア・スタージョ ン短編全集」を編集・刊行した。
3/23
■大橋鎮子(暮しの手帖社社主)東京都
23日、肺炎のため東京都品川区の自宅で死去、93歳。
37年東京府立第六高等女学校(現:都立三田高校)を卒業。日本興業銀行に入行、調査課に勤務。3年間務め退社、日本女子大学に入学するが1年で肺結核となり大学中退。その後、創刊まもない日本読書新聞に入社、編集部に所属。戦後間もなく、花森安治とともに衣類の雑誌を発売。46年衣装研所(現:暮しの手帖社)を設立し、社長に就任。48年「美しい暮しの手帖」(後の「暮しの手帖」)を創刊。51年社名を暮しの手帖社に変える。広告を掲載せず、商品テストを実施するなど、消費者の目線に立った衣食住の情報とエッセーで人気雑誌に育てた。78年花森の死後、編集長となる。69年からエッセイ「すてきなあなたに」を同誌に連載。同エッセイによ り94年東京都文化賞を受賞。04年社長を退任し、社主となる。
3/19
■登川誠仁(沖縄民謡歌手、三線奏者)年兵庫県尼崎市
19日、肝不全のため沖縄県沖縄市の病院で死去、80歳。
沖縄県美里村(現:うるま市)育ち。16歳で沖縄芝居の松劇団に参加。。55年から芝居の舞台にソロで立つ民謡歌手となる。古い民謡の発掘に努め、沖縄方言(ウチナーグチ)の新曲も作詞作曲した。琉球民謡登川宗家として後進の育成にも尽力。84年から琉球民謡協会会長を6期務め、98年名誉会長に就任。99年同協会から琉球民謡名人位を受ける。この間、89年沖縄県指定無形文化財技能保持者に認定。一方で、中江裕司監督の映画「ナビィの恋」「ホテル・ハイビスカス」などに出演、俳優としても活動した。
3/16
■坂口良子(女優)北海道余市町
27日、消化器系の疾患をかかえていたが東京都内の病院で死去、57歳。
71年ミス・セブンティーンコンテストで優勝、モデル活動を開始。72年TVドラマ「アイちゃんが行く」で女優デビュー、同年「あこがれ」でレコードデビュー。堀越高校を卒業。その後、「新・サインはV」「前略おふくろ様」「池中玄太80キロ」をはじめ、2時間ドラマにも数多く出演した。ほか出演映画に「犬神家の一族」「帰ってきた若大将」「帰って来た木枯し紋次郎」など。86年結婚、94年離婚。12年ロゴルファーの尾崎健夫と再婚。タレントの坂口杏里は娘。
3/16
■ボビー・スミス( 米ボーカルグループ「スピナーズ」メンバー)ミシガン州デトロイト
16日、肺炎とインフルエンザの合併症のためフロリダ州オーランドで日死去、76歳。
71年「スピナーズ」(Spinners)のリードボーカルとして初めてヒット曲「That's What Girls Are Made For」を出す。その後、多数のヒット曲をだした。代表曲は「いつもあなたと」「フィラデルフィアより愛をこめて」など。 
3/12
■北原亞以子(作家)東京
12日、東京都内の病院で死去、75歳。
千葉県立千葉女子高校を卒業。石油会社、写真スタジオに勤務後、広告制作会社でコピーライターとして勤務。69年「文學地帯」に「ママは知らなかったのよ」を発表し、新潮新人賞を受賞。69年「粉雪舞う」で小説現代新人賞佳作。89年「深川澪通り木戸番小屋」で泉鏡花文学賞、93年「恋忘れ草」で直木賞を受賞。その後、97年「江戸風狂伝」で女流文学賞、05年「夜の明けるまで」で吉川英治文学賞を受賞した。
3/10
■山口昌男(文化人類学者、東京外国語大学名誉教授)北海道美幌町
10日、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去、81歳。
55年東京大文学部国史学科を卒業。60年東京都立大大学院社会人類学専攻修士課程修了。麻布中学教諭をへて、65年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所講師となる。同助教授を経て、73年同教授に就任。89年同研究所所長に就任。その後、94年静岡県立大学大学院教授、97年札幌大学文化学部長、99年札幌大学学長となる。パリ大学の客員教授も務めた。一方で、70年代初頭から創刊間もない月刊誌「現代思想」に寄稿。84−94年まで学術季刊誌「へるめす」編集同人として活動。、両性具有やトリックスターをテーマとした著作で「中心と周縁の理論」を展開した。96年「「敗者」の精神史」で大佛次郎賞。11年文化功労者。他の著作に「知の遠近法」「歴史・祝祭・神話」「知の祝祭 文化における中心と周縁」など。
3/9
■石坂まさを(作詞家)東京都
9日、腎臓癌などのため東京都渋谷区の病院で死去、71歳。
歌手藤圭子を育てたことで知られ、デビュー曲「新宿の女」、ヒット曲「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「命預けます」などを作詞し、一部作曲も手がけた。ほかに87年全国市町村を題材に作詞した「全国我が町音頭」、小林旭「北へ」、西城秀樹「漂流者たち」、五木ひろし、南沙織らにも詞を提供。
3/7
■ダミアーノ・ダミアーニ(伊、映画監督)伊北東部パジアーノ・ディ・ポルデノーネ
7日、呼吸不全のためローマの自宅で死去、90歳。
ミラノのブレラ学院で学ぶ。47年短編ドキュメンタリー映画「La banda d'Affori」で監督デビュー。60年代にネオレアリズモの流れをくむ社会派の映画監督として活動。71年「警視の告白」でモスクワ国際映画祭金賞を受賞。他の監督作品に「禁じられた恋の島」「禁じられた抱擁」「群盗荒野を裂く」「シシリアの恋人」など。
60.くち紅、62.禁じられた恋の島、63.禁じられた抱擁、66.群盗荒野を裂く、66.痴情の森、70.シシリアの恋人 、71.警視の告白、87.インクアイリー/審問 、92.地獄の女スナイパー
3/7
■ケニー・ボール(Kenny Ball英ジャズ・トランペッター)
7日、英エセックス州の病院で肺炎のため死去、82歳。
58年7人編成のディキシーランドバンド「ケニー・ボールと彼のジャズメン」を結成。「モスコーの夜は更けて」が大ヒット、全世界で100万枚以上を売り上げた。62年インスト曲「スキヤキ」(原曲:上を向いて歩こう)を発売し、全英チャートで10位にランクインしヨーロッパでヒットした。81年英チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚披露宴で演奏を披露した。
3/6
■いわしげ孝(漫画家)鹿児島市
6日、死去、 58歳。
70年高校在学中に「週刊少年ジャンプ」新人漫画賞で「小さな命」が入選、71年同誌正月号に掲載されデビュー。二松学舍大学を卒業。大学卒業後、78年「忘れ雪」で小学館新人コミック賞を受賞し、漫画家として本格デビュー。80年はるき悦巳のアシスタントとなる。86年「ぼっけもん」』で小学館漫画賞を受賞。作品に「花マル伝」「ジパング少年」「上京花日」、五木寛之原作の「青春の門」などがある。
3/5
■納谷悟朗(俳優)北海道函館
5日、慢性呼吸不全のため千葉市内の自宅で死去、 83歳。
立命館大学法学部を中退。51年劇団東童に入団。舞台「宝島」で役者デビュー。55年劇団「稲の会」設立に参画。57年劇団現代劇場。59年テアトル・エコーに所属。代表作にアニメ「ルパン三世」シリーズの銭形警部役、「宇宙戦艦ヤマト」でヤマト艦長沖田十三役がある。洋画ではクラーク・ゲーブル、 チャールトン・ヘストン、ジョン・ウェインの声の吹き替えを担当。女優・声優の火野カチ子は妻、俳優・声優の納谷六朗は弟。
3/3
■須藤薫(歌手)東京都
3日、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で死去、58歳
獨協大学経済学部経済学科を卒業。79年「やさしい都会」でデビュー。81年「あなただけI LOVE YOU」、82年「涙のステップ」を発表。アメリカンポップを基調とした作品を多数リリース。杉真理とのユニット「須藤薫&杉真理」でも活動した。
3/2
アルマンド・トロヴァヨーリ(伊、作曲家、指揮者)ローマ
3日、ローマで死去、95歳。
チェチーリア音楽院でピアノと作曲を学ぶ。66年マルコ・ヴィカリオ監督「黄金の七人」でナストロ・ダルジェント作曲賞を初受賞。78年エットーレ・スコラ監督「特別な一日」で2度目のナストロ・ダルジェント作曲賞を受賞。同年マルコ・ヴィカリオ監督「Mogliamante」でダヴィド・ディ・ドナテッロ賞音楽賞を受賞。4年エットーレ・スコラ監督「ル・バル」でダヴィド・ディ・ドナテッロ賞音楽賞を受賞。87年エットーレ・スコラ監督「ラ・ファミリア」で3度目のナストロ・ダルジェント作曲賞を受賞。90歳を過ぎても現役として活動し、95年フライアーノ賞映画功労賞を受賞。1962年女優のピア・アンジェリと結婚。69年、妻ピア・アンジェリと離婚、ピアは2年後にバルビツール酸系薬物の過剰摂取で死去。

2/27
■克美しげる(元歌手)宮崎市出身
27日、脳出血のため栃木県佐野市の病院で死去、75歳。
宮崎県立宮崎大宮高校を卒業。61年「霧の中のジョニー」で歌手デビュー。60年代にアニメ「エイトマン」の主題歌や「さすらい」がヒット。2年連続NHK紅白歌合戦に出演。ドラマ「人形佐七捕物帳」にもレギュラー出演した。76年愛人を殺害して懲役10年の判決を受け、服役。89年覚せい剤取締法違反で実刑判決を受けた。
2/27
■リチャード・ストリート (米元ヴォーカリスト)ミシガン州デトロイト
27日、肺塞栓症のためネバダ州ラスベガスの病院で死去、70歳。
71年テンプテーションズ(The Temptations)に加入しヴォーカルを担当。72年「パパ・ワズ・ア・ローリン・ストーン」が全米1位のヒット。 95年までヴォーカルを務めた。
2/26
■大塚道子(俳優、劇団俳優座代表)高知県
26日、虚血性心疾患のため東京都内の自宅死去、82歳
48年俳優座に入団。映画やドラマの脇役として活動。ローレン・バコールの吹き替え でも知られた。56年芸術祭賞奨励賞受賞。森光子主演の「放浪記」で林芙美子の母親役を務めるなどし、02年菊田一夫演劇賞を受賞。10年「樫の木坂四姉妹」で紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。10年から劇団代表。
2/22
■光本幸子(女優)東京都
22日、食道癌のため東京都台東区の病院で死去、69歳。
6世藤間勘十郎に日本舞踊を師事。小学6年生のとき初代水谷八重子水谷に弟子入りした。55年明治座「望郷の歌」で舞台デビュー。57年新橋演舞場「伊豆の踊子」で主役。62年上野学園高校音楽科を卒業。65年歌手デビュー、水谷良重、波乃久里子とともに「新派3人娘」と呼ばれ人気を博す。69年映画「男はつらいよ」初代マドンナ役に抜擢され映画初出演。結婚出産などで休業後、84年舞台「陽暉楼」で復帰。TVドラマ「必殺仕事人・激突!」「鬼平犯科帳 」、映画「シベリア超特急」などにも出演。96年菊田一夫演劇賞、01年日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞を受賞した。
2/21
■クレオサ・ステイプルズ(ゴスペル歌手)ミシシッピ州
21日、シカゴの自宅で死去、78歳。アルツハイマー病を患っていた。
48年家族で「ステイプル・シンガーズ」を結成し、53年レコードデビュー。60年代には公民権運動の指導マーチン・ルーサー・キング牧師に影響を受け、運動に積極的に関わった。70年代に発表した「アイル・テーク・ユー・ゼ ア」「リスペクト・ユアセルフ」などがヒット。99年にロックの 殿堂入りを果たした。
2/21
■アレクセイ・ゲルマン(ロシアの映画監督)レニングラード
21日、腎不全のためサンクトペテルブルク(旧レニングラード)の病院で死去、74歳。
舞台監督から作家に転身し、レンフィルムに入る。65年にウラジーミル・ヴェンゲーロフの「労働者開拓地」で助監督を務める。67年にグレゴーリー・アローノフと共同監督で「7番目の道づれ」を発表。71年に初の単独監督作品「道中の点検」を製作するが、ペレストロイカ後の86年公開まで上映を禁止されていた。 98年代表作「フルスタリョフ、車を!」は日本でも上映された。父は作家のユーリー・ゲルマン。息子は映画監督のアレクセイ・アレク セエヴィチ・ゲルマン(アレクセイ・ゲルマン・ジュニア)。
2/19
■パク・チョルス(韓国映画監督)韓国・大邱
19日、交通事故のため韓国・龍仁市で横断歩道を渡っていたところ
飲酒運転の車にはねられ死去、64歳。
成均館大学経済学部を卒業。79年「夜になれば降る雨」でデビュー。「301・302」「ビールが恋人よりいい7つの理由」「産婦人科」「家族シネマ」「秘蜜」などの演出を務め、韓国の映画界を代表する監督として注目された。11年「レッドバカンス、ブラック ウェディング」が話題となる。 11年「B.E.D」で釜山国際映画祭のガラ・プレゼンテーションセクションに招待された。
2/19
■ドナルド・リチー(米映画批評家)米オハイオ州
19日、東京都内の病院で死去、88歳。
46年進駐軍として来日。米軍の準機関紙「星条旗新聞」の映画評を担当。帰国後、53年コロンビア大学を卒業。54年再来日、「ジャパンタイムズ」紙で映画評や書評など始める。 59年ジョセフ・アンダーソンとともに日本映画史研究書を出版。61年カンヌ国際映画祭での溝口健二の回顧上映に協力するなどし、 60年代に溝口のほか黒澤明や小津安二郎を積極的に海外に紹介した。飯村隆彦、大林宣彦らとともに「フィルム・アンデパンダン」を結成、実験映画作家としても活躍した。著書に「小津安二郎の美学 映画のなかの日本」「黒澤明の映画」「映画のどこをどう読むか 映画理解学入門」など。
2/18
■デーモン・ハリス(米ソウル歌手)ボルチモア
18日、前立腺癌のためメリーランド州ボルティモアのホスピスで死去、 62歳。
71年21歳でオーディションを 受け、テンプテーションズに参加。72年「パパ・ワズ・ア・ ローリン・ストーン」で全米1位のヒット。その後3回のグラ ミー賞受賞に貢献。代表曲に「パパ・ワズ・ア・ローリン・ストー ン」など。75年グループを離脱。
2/17
■ミンディ・マクリーディ(米カントリー歌手)フロリダ州フォートマイヤーズ
17日、アーカンソー州ヒーバー・プリングスの自宅前で死去、37歳。
銃による自殺とみられる
1996年デビュー・アルバム「Ten Thousand Angels」を発表、200万枚のヒットとなる。シングル・カットされた「Guys Do It All the Time」がカントリー・チャート第1位になる。その後、02年までに計4枚目のアルバムを発表。10年5枚目のアルバム 「I'm Still Here」が批評家から高く評価される。
2/14
本郷功次郎(俳優)岡山
14日、心不全のため横浜市の病院で死亡、74歳。
56年立教大学文学部英米文学科に入学。 その後、大映演技研究所に入所。58年第12期大映 ニューフェイスとして入社。59年「講道館に陽は上る」に準主> 役として映画デビュー。61年日本初の70mm超大作「釈 迦」に主演。69年まで大映の主演スターとして活動。その後、 TVドラマに活動の場を移し、「特捜最前線」や大河ドラマ「武田信> 玄」などに出演。> 妻は宝塚歌劇団の元月組男役トップスターの古城都。
2/4
ドナルド・バード(米ジャズトランペッターDonald Byrd)ミシガン州デトロイト
4日、デラウェア州ドーバーで4日死去、80歳。
ウェイン大学、マンハッタン音楽院で学ぶ。55年初リーダーアルバムを発表。同年ニューヨークでジャズメッセンジャーズに参加。58年以降リーダーとしてブルーノートレーベルを中心に数多くのアルバムを発表。59年ハードバップ期の代表作「Fuego」はよく知られる。70年代ファンク・ロックスタイルを取り入れ、72年フュージョンの先駆けとなる「Black Byrd」を発表、ブルーノートレーベル最大のヒット・アルバムとなった。

2/3
■市川団十郎(歌舞伎俳優)年東京都
3日、肺炎のため東京都内の病院で死去、66歳。
11代目市川団十郎の長男。53年市川夏雄の名で初舞台、58年6代目新之助、69年10代目海老蔵を襲名。69年日本大学芸術学部を卒業。85年12代目市川団十郎を継承。この名は荒事と呼ばれる力強い演技様式を江戸時代に創始した初代団十郎以来続く大名跡。「勧進帳」の 武蔵坊弁慶や「助六」「鳴神」などで豪快な演技を披露する一方、新作や古い作品の復活上演にも意欲的に取り組んだ。86年日本俳優協会理事、99年伝統歌舞伎保存会理事、02年文化審議会委員に就任。86年松尾芸能賞大賞、88年日本芸術院賞、95年眞山青果賞大賞など受賞多数。11代目市川海老蔵は長男。
4/26
■安岡章太郎(作家)高知市
26日、老衰のため東京都内の自宅で死去、 92歳。
幼少時に全国各地を転居、5歳で京城(現:ソウル)に移り、。小学3年時に青森県弘前市に転居し、同5年から東京に暮らす。41年慶応大学文学部予科に入学、44年陸軍に召集されるが翌年肺結核で除隊処分。終戦後の48年慶応大学英文科を卒業。51年デビュー作「ガラスの靴」が芥川賞候補、53年「悪い仲間」「陰気な愉しみ」で芥川賞を受賞。吉行淳之介らとともに「第三の新人」と目された。60年「海辺の光景」で芸術選奨・野間文芸賞を受賞。同年ロックフェラー財団に招かれ米国留学。81年「流離譚」で日本文学大賞、89年「僕の昭和史」全3巻で野間文芸賞、91年「伯父の墓地」で川端康成文学賞を受賞。 このほか芸術院賞、毎日出版文化賞、読売文学賞小説賞など受賞多数。 01年文化功労者。
1/22
■常盤新平(作家)岩手県水沢市
22日、肺炎のため東京都町田市の病院で死去、81歳。
早稲田大学文学部を卒業。同大学院を修了。早川書房に入社。63 年から6年間、ミステリー小説誌 「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」(日本版)の3代目編集長を務めた。 その間64年に海外文学作品などを紹介するシリーズ「ハカヤワ・ノヴェルズ」を創刊した。退社後フリーの文筆家に。79年から川本三郎、青山南とともに編集委員として「ハッピーエンド通信」を刊行。186年自身をモデルとした小説「遠いアメリカ」で直木賞を受賞した。 翻訳家、エッセイストとして米国の文化、風俗を紹介。ジャンルは現代文学からジャーナリズム、スポーツまで多岐にわたった。代表的な翻訳作にウォーターゲート事件を扱ったベストセラー「大統領の陰謀」がある。「将棋ペンクラブ大賞」の選考委員もつとめた。別名に大原寿人。
1/21
■マイケル・ウィナー(英映画監督)ロンドン
21日、ロンドンの自宅で21日死去、
ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジで学ぶ。BBCに入社。 TV番組のアシスタント・ディレクターをへて、60年監督としてデビュー。チャールズ・ブロンソン主運の映画「ロサンゼルス」「メカニック」「チャトズ・ランド」「狼よさらば」「ロサンゼルス」などで知られる。長年サンデー・タイムズ紙にレストラン批評を執筆した。
1/19
■納谷幸喜(元横綱・大鵬)年樺太
19日、心室頻拍のため東京都内の病院で死去、72歳。
父はロシア革命後で樺太へ亡命したウクライナ人のコサック騎兵隊将校。北海道各地を転々と育つ。北海道弟子屈高等学校の定時制に通いながら、林野庁関連の仕事をする。56年高校を中退し、二所ノ関部屋に入門。同年秋場所で初土俵。 60年初場所で新入幕。61年秋場所後、当時史上最年少の21歳3カ月(現在は北の湖の21歳2カ月が最年少)で横綱に昇進。61年11月場所、62年1月場所と連続優勝し、同年7月場所から63年5月場所まで最初の6連覇を達成。 横綱柏戸と「柏鵬時代」を築き、68年秋場所からは45連勝を記録した。
1/15
■佐藤亜有子(作家)盛岡市
5日、アルコールを併用した急性薬物中毒のため東京都内の自宅で死去、43歳。
94年東京大学文学部仏文科を卒業。96年「ボディ・レンタル」で文藝賞優秀作に選ばれる。以後、SM純文学小説などを発表。97年「葡萄」が芥川賞候補となる。他の作品に「生贄」「首輪」「東京大學殺人事件」「花々の墓標」など。
1/15
■大島渚(映画監督)岡山県玉野市
15日、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で死去、80歳。
54年京都大学を卒業、松竹に入社。大船撮影所の助監督をへて、59年「愛と希望の街」で監督デビュー。その後、「青春残酷物語」「太陽の墓場」などがヒットし、松竹ヌーベルバーグの旗手となる。61年日米安全保障条約に反対する安保闘争を舞台にした映画「日本の夜と霧」を松竹が無断で上映中止したことに抗議し、退社。61年妻で女優の小山明子、脚本家の田村孟、石堂淑朗、俳優の小松方正、戸浦六宏ら6人で映画製作会社「創造社」を設立。その後、俳優の渡辺文雄らが参加。64年脚本を担当したTVドラマ「青春の深き渕より」が芸術祭文部大臣賞大賞を受賞。76年阿部定事件を描いた映画「愛のコリーダ」が国際的に話題を呼ぶ。 78年「愛の亡霊」でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。他の作品に83年「戦場のメリークリスマス」、86年「マックス、モン・アムール」など。
96年ロンドンのヒースロー空港で脳校則で倒れる。99年復帰作「御法度」を公開。
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■マリアンジェラ・メラート(伊女優)イタリア・ミラノ
11日、ローマで死去、71歳。

ミラノ演劇学校で学ぶ。60年代初頭から舞台に出演。74年「流されて」に主演、87年「流されて2」にも出演。他の出演作に80年「フラッシュ・ゴードン」など。
ナストロ・ダルジェント主演女優賞5回受賞、最多記録。
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■奥田章三(トランペット奏者)大阪
8日、死去、64歳。
12歳でトランペットを始める。18歳でプロ入り。71年頃からソロトランペッターとしてスタジオミュージシャンの活動を始める。その後、関西のTV番組やCM音楽を手がけた。92年ソロアルバム「It’s Just A Dream」、96年「Just Be You」をリリース。
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■デヴィッド・リチャード・エリス (米映画監督)カリフォルニア州サンタモニカ
7日、映画「Kite」(日本のアダルトアニメ「A KITE」の実写版)の撮影準備で同地を訪れていた南アフリカ共和国で死去、60歳
1975年カート・ラッセル主演映画「世界最強の男」で映画デビュー。スタント役に転身し「Baby Blue Marine」に出演。81年からはスタント・コーディネーターとして活動。86年からAD、助監督としてアクションシーンに関わる。1996年映画「奇跡の旅2/サンフランシスコの大冒険」で監督デビュー。「デッドコースター」がヒットし、「ファイナルデスティネーション」がシリーズ化される。06年スリラー映画「スネーク・フライト」が話題となる。
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■趙成ミン(韓国の元プロ野球投手)ソウル特別市
6日、ソウル特別市江南区のマンションの
トイレで首をつって死亡しているのを交際女性が発見した。自殺とみられる。死去、39歳。
高麗大学卒業後、韓国のプロ野球を経験せずに96年アマ球界のエースとして巨人に入団。02年まで在籍し、抑えや先発の投手として通算11勝10敗11セーブ、防御率2.84の成績を残した。“コリアンエクスプレス”の愛称で親しまれたが、右ひじのケガで退団。00年韓国トップ女優の崔真実(08年自殺)と結婚したが、04年離婚。05年から韓国で解説者なり、同年5月ハンファ・イーグルスと契約し、現役復帰。07年ハンファを自由契約とまる。11年から韓国プロ野球斗山のコーチを務め、12年11月契約を終えた。
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熊谷たみ子(アイヌ民族のジャズ歌手)北海道本別
2日、大腸癌のため死去、60歳。
中学卒業後、集団就職で上京。東京・渋谷でスカウトされ、20歳で歌手デビュー。レコードは売れず、渡米。帰国後、29歳で結婚。子育ての一方でジャズ歌手として活動した。07年大腸癌が見つかり、09年余命1年と宣告された。アイヌ語で賛美歌「アメージング・グレース」を歌うなどの活動を続けていた。

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■パティ・ペイジ(米歌手Patti Page)オクラホマ州
1日、カリフォルニア州エンシニータスで死去、85歳。
勤めていたラジオ局で歌い始める。47年複数パート を1人で歌った「コンフェス」がヒット。多重録音の先駆者として知られた。 50−60年代にかけ「ウッド・アイ・ラヴ・ユー」「モッキン・バード・ヒル」 などヒット曲を連発。通算84曲が米ビルボードチャートの40位までに入った。50年「テネシー・ワルツ」が大ヒットした。98年アルバム「Live at Carnegie Hall: The 50th Anniversary Concert」でグラミー賞を受賞。

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■岡本敦郎(歌手)北海道小樽市
28日、脳梗塞のため東京都西東京市の病院で死去、88歳。
武蔵野音楽学校(現:武蔵野音楽大学)声楽科卒業。46年ラジオ歌謡のホームソング「朝はどこから」で歌手デビュー。「高原列車は行く」「白い花の咲く頃」など青春・叙情歌謡がヒット。NHK紅白歌合戦に7回出場した。08年日本レコード大賞功労賞を受賞。
12/27
■千石規子(女優)世田谷区
27日、老衰のため東京都内の病院で死去、90歳。
駒沢小学校を卒業後、ムーランルージュ(水谷八重子一座)の踊り子となる。苦楽座、新協劇団をへて、47年東宝に入社。同年公開「女優」で映画デビュー。戦時中には広島原爆で全滅した移動劇団桜隊に所属。出産で広島にいなかったため被爆を免れた。黒澤明作品に最も多く出演している女優で、40−50年代に「酔いどれ天使」「静かなる決闘」「野良犬」「醜聞(スキャンダル)」「白痴」「七人の侍」「生きものの記録」に出演。73年「野良犬」リメイク版にも出演した。このほか「雲のじゅうたん」「「たけしくんハイ!」」「八ツ墓村」「悪魔が来りて笛を吹く」「男はつらいよ・寅次郎紅の花」「3年B組金八先生」など映画、TVドラマに多数出演した。
12/14(1/7発表)
■東松照明(写真家)名古屋市
14日、肺炎のため那覇市内の病院で死去、82歳。
54年愛知大学法経済学部経済学科を卒業。在学中に土門拳・木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募。岩波写真文庫のスタッフをへて、56年フリーの写真家となる。58年地方政治家を題材にした作品群で日本写真批評家協会新人賞を受賞。59年奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」を設立(61年解散)。74年荒木経惟らとWORKSHOP写真学校開校。75年写真集「太陽の鉛筆」で日本写真家協会年度賞を受賞、翌年芸術選奨文部大臣賞を受賞。社会的問題に取り組みながら、独自の視覚表現を追求。長崎の被爆者を長年撮影したことで知られる。 98年長崎に移住。他の写真集に「〈11:02〉NAGASAKI」「おお、新宿!」「廃園」など多数。沖縄や長崎に拠点を移しながら制作活動を続けていた。
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■佐藤允(俳優)佐賀県神埼町
6日、横浜市内の自宅で転倒し、外傷性蜘蛛膜下出血で入院していたが急性肺炎のため横浜市の病院で死去、78歳。
日本大学三高を卒業。52年俳優座養成所に第4期生として入団。俳優座のユニット出演で、「思春の泉」に出演。56年「不良少年」で映画デビュー、東宝へ入社。59年岡本喜八監督の「独立愚連隊」シリーズで主役を務めて脚光を浴びる。黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」やTVドラマなどにも出演した。映画監督の佐藤闘介は息子。