★1999   
★2000   ★2001   ★2002   ★2003   ★2004   ★2005   ★2006   ★2007   ★2008   ★2009   ★2010
  ★
2011    ★2012  ★2013  ★2014   ★2015  ★2016

1999年から2012年に【地球号を降りた あの人この人、気になる人々

50音順


12/26
■渡辺大剛(冒険家)静岡県
26日、ロシア極北ムルマンスク州カンダラクシャで北極圏を
自転車旅行中に乗用車に追突され、死去。31歳。
九州産業大学芸術学部写真学科を卒業。98年磐田東高校高校2年で自転車による単独日本縦断(静岡−四国−岡山)を実現。02年シルクロードを旅し、ヘルディンに日本人として初登頂。同年アフリカ大陸最高峰キリマンジャに登頂。その後、南米大陸最高峰アコンカグア、新・旧ヨーロッパ大陸最高峰エルブルースとモンブランに連続で単独登頂に成功。オーストラリア大陸最高峰コジアスコ、南極大陸最高峰ビンソン、アジア最高峰サガルマータに登頂。04年大学在学中22歳で北米大陸最高峰マッキンリーに単独登頂し、日本人最年少記録で世界7大陸最高峰登頂を達成した。
12/18
■依光隆(挿絵画家、イラストレーター)高知
18日午前0時7分、急性肺炎のため東京都杉並区の病院で死去、86歳。
大連美術学院油絵科卒業。終戦まで大連で育ち、帰国後、高村光太郎に師事。共同通信社社会部を経てフリーになる。SFから児童書まで幅広い分野の挿絵で活躍。ハヤカワ文庫SFのドイツの長大な「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズ1−67巻のイラスト、表紙を全て担当。このほか多数の作品を手掛けた。「白旗の少女」の挿絵と装幀で1990年度児童福祉文化賞を受賞。現在は、日本出版美術家連盟理事、創作集団プロミネンス会長を務めた。
12/22
■ライアン・フリール(米MBL外野手)フロリダ州ジャクソンビル
22日、フロリダ州ジャクソンビルの自宅で拳銃による自殺とみられる。死去、36歳。
95年トロント・ブルージェイズからドラフト指名を受け、プロ入り。01年メジャー・デビュー。02年タンパベイ・デビルレイズに移籍。03年シンシナティ・レッズに移籍し、04年外野手としてレギュラーに定着。08年ボルチモア・オリオールズ、09年シカゴ・カブスにトレード。さらに同年カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍し、その後戦力外となる。メジャー通算8年で594試合出場、打率.268、本塁打22本、盗塁143。
12/19
■中沢啓治(漫画家)広島市
19日、肺癌のため広島市内の病院で死去、73歳。
45年広島市立神崎国民学校(現:神崎小学校)1年生時に被爆。「おもしろブック」に時代劇漫画を応募し入選。61年漫画家アシスタントになるため上京。その後、雑誌「漫画パンチ」に原爆を描いた作品「黒い雨にうたれて」を掲載。 33歳から被爆体験を基にした作品「はだしのゲン」の長期連載が始まる02年谷本清平和賞を受賞。
12/18
■米長邦雄(日本将棋連盟会長)山梨県増穂町(現:富士川町)
18日、前立腺癌のため東京都新宿区の病院で死去、69歳。
佐瀬勇次名誉九段に入門、63年四段に昇段しプロ入り。73年棋聖を奪取し初タイトル。79年九段。85年通5期となり、永世棋聖の称号を獲得。85年中原誠十六世名人との十段戦(竜王戦の前身)に勝ち、史上3人目の4冠(十段、棋聖、王将、棋王)を達成。93年史上最年長の49歳11カ月で初めて名人になる。03年引退。通算の獲得タイトル数19期(名人1、十段2、王位1、棋王5、棋聖7、王将3)は歴代5位。03年日本将棋連盟専務理事となり、05年会長に就任。会長就任後、毎日新聞社主催だった名人戦を朝日新聞社との共催とし、強豪アマチュアのプロ編入試験を実施し瀬川晶司四段(現:五段)を誕生させた。12年コンピューター将棋ソフトと公式対局して敗れ、話題となった。
12/10
■ラヴィ・シャンカル(インドのシタール奏者)イギリス領インドのワーラーナシ
10日、カリフォルニア州サンディエゴで死去、92歳。
幼少期から青年期にかけ舞踊団のダンサーとして欧米諸国で活動。インドへ帰国後、15歳からアラウディン・カーンに師事し、インドの民族楽器「シタール」の奏法を習得。25歳から演奏活動を始める。52年訪印したバイオリニストのユーディ・メニューインと「ウエスト・ミーツ・イースト」3部作のレコードを制作し、67年1作目がグラミー賞最優秀室内楽演奏賞を受賞した。56-57年欧米巡演が大成功。66年ビートルズのジョージ・ハリソンがインドで3カ月間弟子入り。67年米モンタレーや69年米ウッドストックの歴史的ロックコンサートに参加。60年代後半ヒッピー文化の隆盛と東洋文化への関心の高まりのなか、世界的に注目が集まった。91年福岡アジア文化賞大賞、97年高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞。
12/11
■三輪壽雪(陶芸家)山口県萩市
11日、老衰のため山口県萩市の自宅で死去、
102歳
旧萩藩御用窯、三輪家の九代雪堂の三男。27年に旧制萩中(現:県立萩高校)を卒業。三輪窯を継いだばかりの兄・休和に師事。41年三重県津市に工房をもつ陶芸家の川喜田半泥子に師事。55年「休」と号して作品を発表。。57年日本伝統工芸展に「組皿」を初出品し入選。60年日本工芸会の正会員になる。67年11代休雪を襲名。72年山口県無形文化財萩焼保持者に指定される。83年休和に次いで人間国宝に認定された。兄弟で萩焼の人間国宝になるのは陶芸史上初。
12/9
■竹花梓(女優、ファッションモデル)群馬県
9日、死去、36歳。
桜美林短期大学卒業。主にモデルとして日本だけでなくアジア各国で活動。女優として映画「DISTANCE」「着信アリ」「ゆれる」などに出演した。07年芸名を「梓」から「竹花梓」に変更した。
12/10
■小沢昭(俳優)東京府和田堀町
10日、前立腺癌のため東京都内の自宅で日死去、83歳。
45年海軍兵学校に入校、終戦で退校。早稲田大学文学部仏文科を卒業。49年大学在学中に俳優座付属俳優養成所に入所、千田是也に師事。卒業後、俳優座公演で初舞台。60年演出家の早野寿郎と「劇団俳優小劇場」を結成(71年解散)。66年新劇寄席「とら」で芸術祭奨励賞を受賞。今村昌平の紹介で、54年映画デビュー。今村の日活移籍で日活と専属契約。66年「エロ事師たちより・人類学入門」で「キネマ旬報」主演俳優賞、「毎日映画コンクール」男優主演賞などを受賞。73年TBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」が放送開始。71年全国で収集した音源を元にレコード「日本の放浪芸」LP7枚組を発売、日本レコード大賞企画賞を受賞。74年続編「又・日本の放浪芸」で芸術選奨新人賞を受賞。75年研究誌「季刊藝能東西」を創刊・編集。雑誌刊行のため出版社「あたらしい芸能研究室」も創立した。75−80年まで劇団「芸能座」を主宰。82年「俳優が小沢一人」の劇団「しゃぼん玉座」を創設。このほか博物館明治村村長も務める。俳人でもあり、「小沢変哲」の俳号をもつ。99年坪内逍遥大賞、04年早稲田大学芸術功労者、05年朝日賞などを受賞。放送大学客員教授、日本新劇俳優協会会長も務めた。
12/5
■オスカー・ニーマイヤー(ブラジルの建築家)ブラジル・リオデジャネイロ
5日、肺炎などのためリオデジャネイロの病院で死去、
104歳。
34年リオデジャネイロ国立芸術大学建築学部を卒業。35年からリオ・デ・ジャネイロのルシオ・ コスタとカルロス・レアンの設計事務所に勤務。旧教育保健省庁舎の設計に関わる。45年共産党に入党。ル・コルビュジェとともに、49年着工のニューヨーク国連本部ビルの設計に携わる。その後、首都移転したブラジリアの大聖堂や国民会議議事堂などを設計(首都移転は60年で、87年ブラジリアは世界遺産に登録)。60−80年代中盤にかけブラジル軍事政権下では、国内での設計活動を禁止される。67年フランスのパリに亡命に近い形で移住。その後の20年程はフランスを活動の拠点として、フランス、イタリア、アルジェリアなどで設計を手がける。フランス共産党にも入党。85年民政復帰後はブラジルに戻り、設計活動を再開。リオデジャネイロに暮らした。
12/5
■デイヴ・ブルーベック(米ジャズピアニストDave Brubeck)カリフォルニア州 コンコード
5日、 コネチカット州ノーウォークの病院で定期検査で病院に向かう途中、心停止し死去、91歳。
母親からクラシックピアノの手ほどきを受ける。その後、ダリウス・ミヨーやシェーンベ ルクらに指示。46年オクテット、49年トリオを編成し、実験的な取り組みをおこなう。ウェストコースト・ジャズの代表的なピアニストで、51年「デイヴ・ブルーベック・カルテッ」を結成。54年モダンジャズ奏者として初めて雑誌タイムの表紙を飾った。アルト・サックス奏者ポール・デスモンドをパートナーとし、61年デズモンド作曲の「テイク・ファイブ」が大ヒットする。

12/5
■中村勘三郎(歌舞伎俳優)東京都
5日、急性呼吸窮迫症候群のため東京都文京区の病院で死去、57歳。
父は十七代目中村勘三郎。國學院大學文学部日本文学科を中退。59歌舞伎座「昔噺桃太郎」で五代目中村勘九郎を襲名し初舞台。世話物の江戸歌舞伎「髪結新三」の新三、隅田川物「隅田川続俤」の法界坊、上方狂言「夏祭浪花鑑」の団七など幅広い芸域で知られた。江戸時代の芝居小屋を再現した「平成中村座」など歌舞伎界に新風を吹き込む。テレビや映画、現代演劇などにも出演。94年東京・渋谷で演出家の串田和美らと「コクーン歌舞伎」を開始。01年野田秀樹脚本・演出による新作歌舞伎「野田版 研辰の討たれ」を歌舞伎座で上演。朝日舞台芸術賞グランプリを受賞、個人で舞台芸術賞を受賞。04年ニューヨークで平成中村座を設営し「夏祭浪花鑑」を上演。05年十八代目中村勘三郎を襲名。94年読売演劇大賞最優秀男優賞、99年日本芸術院賞、00年浅草芸能大賞、02年ゴールデン・アロー賞演劇賞および大賞、 04年菊池寛賞など受賞多数。
12/1
■和多利志津子(ワタリウム美術館館長)
1日、心不全のため死去、 80歳
72‐89年までギャルリー・ワタリ主幹。 90年ワタリウム美術館を創立し、22年間館長を務めた。07年フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。
11/30
■豊岡豊(ジャズドラマー)北海道登別市、
30日死去、82歳。
60年代に「東京キューバンボーイズ」 3代目ドラマーとして活動。その後、自身がリーダーを務めるビッグバンド「豊岡豊&スイングフェイス」を結成。一方で、「キューバン・ フェイス」「キューバン・セブン」を結成し、ジャズおよびラテングループの演奏活動を行った。

11/25
■齋藤光正(映画監督)年山口県下関市
25日、肺炎のため東京都内の病院で死去、 80歳。
一橋大学を卒業。58年日活に入社。 今村昌平に師事。67年映画「斜陽のおもかげ」で監督デビュー。 71年日活を退社。その後の監督作品に「悪魔が来りて笛を吹く」「戦国自衛隊」「積木くずし」など。TVドラマ「太陽にほえろ!」「子連れ狼」「俺たちの勲章」などの演出も手がけた。
11/21
オースティン・ペラルタ(Austin Peralta米ジャズ・ミュージシャン)ロサンゼルス
21日、カリフォルニア州ロサンゼルスで死去、 22歳。
10歳でジャズに傾倒。自身のトリオ「The Hour Trio」(ザ・アワー・トリオ)を結成し、インディーズCD「Inta' Out」を発表。02年シェリー・マン・ニュー・スター賞を受賞。
2006年に15歳という若さで「処女航海」を発表し、ジャズピアニストとしてメジャーデビュー。。ジャズ界の“王子様”と呼ばれた、初来日。
01.パッション・ダンス 02.いそしぎ 03.処女航海  04.グリーン・ドルフィン・ストリート 05.スペイン 06.N.Q.E  (Nagub Qormah Effendi)  07.いつか王子様が 08.バラキーティ 09.ナイーマ
11/19
■井上雪子(女優)神戸市
め19日、老衰のた死去、97歳。
父はオランダ人、母は日本人。大阪松竹楽劇部(後の大阪松竹少女歌劇団=OSSK、現:日本歌劇団)に入団、鐘一子の芸名で舞台に立つ。30年松竹鎌田撮影所に入社。井上雪子の本名で、31年小津安二郎監督「美人哀 愁」でデビュー。同年日本初の本格トーキー映画の五所平之助監督「マダムと女房」に出演。このほか「燃ゆる花びら」「マダムと女房」「何が彼女を裸にしたか」「青春図解」などに出演。34年成瀬巳喜男監督「限りなき舗道」に出演後、松竹を退社。36年豊田四郎監督「東京−大阪特だね往来」』に特別出演し、引退。05年塩田明彦監督「カナリア」で約70年ぶりにスクリーンに登場した。
11/19
■ ボリス・ストルガツキー(ロシアのSF作家)旧ソ連(ロシア)
19日、心臓病のために死去、79歳。
レニングラード国立大学天文学科を卒業。66年まで天文学者兼コンピュータ技術者として働く。 58年兄アルカジイとともにストルガツキー兄弟として共作を始める。ソビエト時代のSF作家としてよく知られる。91年アルカジイ死去。72年の作品「路傍のピクニッ」は、77年「ストーカー」と題して米国で出版され、アンドレイ・タルコフスキーが映画化した。他の作品にストーカー「収容所惑星蟻」「塚の中のかぶと」「波が風を消す」、以上,早川文庫/「願望機」「みにくい白鳥 」「トロイカ物語 」「そろそろ登れカタツムリ」「モスクワ妄想倶楽部 」「地獄から来た青年 」「滅びの都 」 以上、群像社 /「世界終末十億年前 」「月曜日は土曜日に始まる」など多数。
11/19
■宮史郎(歌手で元「ぴんからトリオ」メンバー)兵庫県加西市
19日、多臓器不全のため死去、69歳。
姫路市のキャバレーで働きながら、59年自主制作で「男の花道」を発売。61年コミックバンド「スパ ローボーイズ」を結成。63年兄の宮五郎、並木ひろしとコミックバンド「ぴんからトリオ」を結成。72年「女のみち」が約400万枚の大ヒット。続いて発売された「女のねがい」「女のゆめ」もミリオンセラーとなるま73年並木ひろしが脱退し、グループ名を「ぴんから兄弟」に改名。同年「NHK紅白歌合戦」に初出場。83年ぴんから兄弟を解散。 以後はソロ歌手として活動した。07年映画「歌謡曲だよ、人生は」の第五話「女のみち」に出演。
11/15
■小林俊一(演出家、テレビプロデューサ)甲府市
15日、心不全のため死去、79歳。
59年フジテレビ開局と同時に入社。制作局第一制作部チーフディレクター・チーフプロデューサーなどを歴任。主なTVドラマ作品は「シオノギ劇場」「おかしな夫婦」「男はつらいよ」「太陽ともぐら」「赤福のれん」「白い巨塔」など多数。68年に始まった渥美清主演の連続ドラマ「男はつらいよ」を演出、劇場用映画としては山田洋次脚本「新・男はつらいよ」の監督も務めた。日本映画テレビプロデューサー協会常務理事、企画制作会社「彩の会」代表取締役を務める。
11/15
■三宅久之(政治評論家)東京都
15日、東京都内の自宅で倒れ、搬送先の病院で死去、82歳。
早稲田大学第一文学部独文科を卒業。53年毎日新聞社に入社。76年退社し、フリーの政治評論家となる。78−85年までテレビ朝日「ANNニュースレーダー」のキャスターを務める。その後、同局の「やじうまワイド」「新・アフタヌーンショー」「ビートたけしのTVタックル」「たかじんのそこまで言って委員会」などに出演した。
11/10
■森光子(女優)京都市
10日、肺炎による心不全のため東京都内の病院で去、92歳。
俳優の嵐寛寿郎の従妹。京都府立第一高等女学校(現:京都府立鴨沂高校)中退。戦前、嵐寛寿郎のプロダクション(第二次寛プロ)に所属。その後、新興キネマ(後の大映)に所属、娘役として多くの映画に出演。56年朝日放送と専属契約を結ぶ。ラジオで「東西お笑い他流試合」の大阪方の司会を務める。58年梅田コマ劇場の舞台「あまから人生」で菊田一夫に認められ、芸術座の舞台を踏む。59年東京に活動拠点を移す。同年ラジオ東京のプロデューサーで演出家の岡本愛彦と結婚(のちに離婚)。61年芸術座公演「放浪記」で主役の林芙美子役を演じる。その後、通算2017回を数える主演代表作となる。TVドラマ「時間ですよ」「土曜グランド劇場・2丁目3番地」「銀座わが町」などに出演。映画は「喜劇駅前温泉」「映画女優」など100本近くに出演した。61年「放浪記」で芸術祭文部大臣賞、91年東京都民文化栄誉章、 98年文化功労者、05年文化勲章と朝日舞台芸術賞特別賞、 09年国民栄誉賞を受けた。 政治評論家の三宅久之、15日死去、82歳。東京都内の自宅で倒れ、搬送先の病 院で亡くなった。

11/10
桜井センリ(ピアニスト、俳優)英ロンドン
10日、自宅で倒れているのを発見されたが、すでに亡くなっていた。86歳。
早稲田大学第一政治経済学部を中退。在学中に「サンバレー・スイング・バンド」のジャズピアニストとして活動を開始。その後多くのバンドを転々とする。60年ジャズバンド「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」に参加。バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」などに出演。俳優として「なつかしい風来坊」「クレージー黄金作戦」「男はつらいよ」など多くの映画やTV番組などに出演した。

11/6
■石上三登志(映画評論家)東京都
6日、骨髄癌のため死去、73歳。
明治大学文学部文学科を卒業。61年テレビCMプロダクション京映に入社。第一企画を経て、64年電通に入社。66年石上三登志のペンネームを使い始める。77年「映画宝庫」創刊とともに筈見有弘、増淵健らと責任編集を担当。電通で映像クリエーターを務めながら、「スター・ウォーズ」などの映画を中心にミステリー・SF・漫画と幅広い分野で評論家として活躍。99年電通を定年退職。

11/4
テッド・カーソン(米ジャズトランペット奏者Theodore "Ted" Curson)ペンシルバニ ア州フィラデルフィア
4日、ニュージャージー州で死去、77歳。
グラノフ 音楽学院に学んだ後、ジミー・ヒースに師事。56年マイルス・デイヴィスの勧めでニューヨークに進出。50年代後半から60年初頭にセシル・テイラーとともに録音、共演。 64年アルバム「Tears forDolphy」をリリース、イタリア映画 「Teorema」や米映画「The Brown Bunny」で使用された。 その後、ニュージャージー州モントクレアに移住した。

11/2
■ハン・スーイン(中国出身の作家)中国河南省信陽県
2日、スイスローザンヌの自宅で死去、95歳。
父は中国人技術者、母はベルギー人。31年北京の病院で事務の仕事にく。その後、燕京大学(現:北京大学)に入学。35年ベルギーのブリュッセル大学に留学。38年帰国し、成都のアメリカキリスト教病院で働く。42年処女作「重慶行き」を執筆。44年渡英、ロンドン大学で医学を学ぶ。48年医師資格を取得、49年英領香港に戻り、クイーン・メアリー病院に勤務。52年英領マレー半島に行き、ジョホールバルとシンガポールで開業。52年自伝的小説「多くの輝きをもつもの」を刊行。55年「多くの輝きをもつもの」が映画化されヒット、日本でも「慕情」の題で公開された。03年以降スイスに在住。
10/29
■石川進(歌手)栃木県足利市
29日、胃癌と肺気腫のため死去、 79歳。
東京薬科大学薬学部卒業。53年ハワイアンバンド「大塚竜男とパームセレナーダーズ」に参加し、プロデビュー。58年「ダニー飯田とパラダイスキング」に参加、坂本九とのボーカルで人気を博す。「キューピーちゃん」の愛称で親しまれた。62年脱退しソロ活動へ。65年TVアニメ「オバケのQ太郎」の主題歌を歌い大ヒット。 TVアニメ「ど根性ガエル」の主題歌でも知られる。66年日本レコード大賞童謡賞を受賞。68年モスクワ映画賞受賞。65年放送開始の「おはよう!こどもショー」で司会を務めた。

10/30
■藤本義一(作家)大阪府堺市
30日、肺癌のため兵庫県西宮市の病院で死去、79歳。
立命館大学法学部に入学するが、中退。大阪府立浪速大学(現:大阪府立大学)に入学。その後経済学部に移る。 在学中からシナリオなどを手がける。57年ラジオドラマ「つばくろの歌」で芸術祭文部大臣賞戯曲部門を受賞。卒業後は宝塚映画に入り、シナリオを執筆。続いて大映に入社、映画監督、川島雄三に師事。62年から放送作家として独立、「法善寺横丁」などを執筆。63年 「日時計の歌」で文芸賞戯曲部門佳作一席。65年から読売テレビ系の深夜番組「11PM」の司会者を務め、90年の最終回まで25年、2520回にわたって出演した。一方 68年初の長編小説第「残酷な童話」を発表。74年「鬼の詩」で直木賞を受賞。日本放送作家協会関西支部長も務めた。漫才集団「笑の会」を主宰し、上方漫才師や漫才作家の育成にあたった。95年阪神大震災で親を亡くした遺児の心のケアに取り組み、99年兵庫県芦屋市にケア施設「浜風の家」をオープン、理事長を務めた。主な著作に「生きいそぎの記」「元禄流行作家−わが西鶴」「殺られ」「白い血が流れる」「はぐれ刑事」「贋芸人抄」など。
10/28
■テリー・キャリアー(米シンガーソングライター)年シカゴ
28日、シカゴの自宅で死去、67歳。
62年「Look at Me Now」をリリースしデビュー。ジェリー・バトラーのソングライティング・グループに参加。その後、アルバム「Occasional Rain」「What Color is Love」「I Just Can't Help Myself」などをリリース。80年代以降はプログラマーに転向するが、91年英Acid Jazzレーベルがシングル「I Don't Want to See Myself (Without You)」を再発し、クラブシーンを席巻する。その後アルバム「TC in DC」「Alive」「Timepeace」などを発表する。

10/26
■桑名正博(歌手)大阪市
26日、7月15日に脳幹出血で意識不明となっていた入院先の大阪市住之江区の病院で死去、 59歳。
71年バンド「ファニー・カンパニー」を結成、72年「スウィートホーム大阪」でデビュー。アルバム 2枚を発表後に解散。75年ソロ活動を開始。シングル「哀愁トゥナイト」「サード・レディー」「月のあかり」などをリリース。79年「セクシャルバイオレットNo.1」がオリコン1位の大ヒット。映画「ションベンライダー」「唐獅子株式会社」、TVドラマ「恋人たち」などにも出演。廻船問屋「桑文」(現:桑名興業)の7代目の跡取りで、 00年桑名興業社長に就任。80年歌手のアン・ルイスと結婚、84年離婚。歌手の美勇士は息子、桑名晴子は妹。
10/21
■ジミー・ツトム・ミリキタニ(日系米国人2世の画家、本名:三力谷勉)年カリフォルニア州サクラメント
21日、脳出血のためニューヨーク市内の病院で21日死去、92歳。
3歳で帰国し、広島県五日市町(現:広島市)で18歳まで育つ。38年画家を志望し米国に戻る。第2次大戦中の42年カリフォルニア州ツールレークの日系人強制収容所に収容される。47年まで各地の収容所で過ごす。50年代にニューヨークに移り、レストランなどで働く。80年代ホームレスとなり、路上で猫の絵などを描く。01年リンダ・ハッテンドーフ監督と知り合う。06年同監督によるドキュメンタリー映画「ミリキタニの猫」が制作される。同映画はトライベッカ映画祭、東京国際映画祭など各国の映画祭で多くの賞を受賞した。
10/18
■ シルビア・クリステル(オランダの女優)オランダのユトレヒト
18日、今年6月咽頭癌の治療に成功したが、肝臓転移がみつかり、闘病中に脳卒中で倒れてアムステルダムの病院に緊急搬送されていたが同病院にて死去、60歳。
17歳でモデルの仕事を始める。72年「処女シルビア・クリステル/初体験」で映画デビュー。73年「Miss TV Europe」で優勝。73年にエマニュエル・アルサンの小説「エマニュエル」が大ヒット。 74年ソフトコア映画「エマニエル夫人」として映画化され、主役を演じ、世界的な名声を得る。他の出演作に「続エマニエル夫人」「チャタレイ夫人の恋人」「エアポート'80」「プライベート・レッスン」など。70年代にベルギーの作家フーゴ・クラウスと交際し、息子のアーサーはのちに俳優となる。IQ 164の持ち主で、小学校は4学年飛び級。オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語を話した。
10/13
■山田吾一(俳優)北海道瀬棚町
13 日、心不全のため横浜市内の自宅で死去、 79歳。
51年北海道深川西高校高校を卒業、会社員。52年上京し、舞台芸術学院本科に入る。同学院卒業後、劇団四季、劇団中芸に所属。58年NHKドラマ「事件記者」に岩見記者役で出演。後に日活映画「事件記者」シリーズ、東宝映画「新事件記者」シリーズにも出演。 70年代は石立鉄男主演ののコメディドラマに出演。このほか大河ドラマ「天と地と」や「必殺仕事人」「水戸黄門」などの時代劇、「時間ですよ」などのホームドラマに出演。90年吾一座を設立、舞台「軽き者の儀・赤穂第四十七士」を上演した。
10/13
■丸谷才一(作家)山形県鶴岡市
13日、心不全のため東京都渋谷区の病院で死去、87歳。
45年応召。47年東京大文学部英文科に入学。50年同大学院修士課程に進学。52年篠田一士、菅野昭正、川村二郎らと季刊同人雑誌「秩序」を創刊。53年国学院大学講師、54年同助教授となり、64年退職。この間30代でジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を共訳。 60年初の長編小説「エホバの顔を避けて」を発表。67年「笹まくら」で河出文化賞、68年「年の残リ」で芥川賞、 72年「たった一人の反乱」で谷崎潤一郎賞、88年「樹影譚」で川端康成文学賞、91年「横しぐれ」の英訳が英インディペンデント外国小説賞特別賞を受賞。このほかの間文芸賞、読売文学賞など受賞多数、他の小説に「裏声で歌へ君が代」「女ざかり」「輝く日の宮」、エッセー・評論に「男のポケット」「日本語のために」「文章読本」「日本文学史早わかり」などがある。06年文化功労者、11年文化勲章を受章。日本近代文学館理事などを務め、98年日本芸術院会員。
10/13
■古今亭円菊(落語家)静岡県島田市
13日、多臓器不全のため東京都北区の病院で死去、84歳。
静岡県立島田商業高校を卒業。53年5代目古今亭志ん生に入門、古今亭生次を名乗る。57年二つ目に昇進し、6代目むかし家今松となる。66年真打昇進、2代目古今亭円菊を襲名。「圓菊節」で人気を集める。聴覚障害者のため手話落語を創案。刑務所篤志面接などのボランティア活動も続けた。古今亭一門の総帥を務めた。79年落語協会理事に就任、10年落語協会相談役。
10/9
■大山克巳(俳優)東京都
9日、再生不良性貧血のため東京都新宿区の病院で死去、82歳。
46年剣劇で人気を集めた劇団「新国劇」入団。舞台「国定忠治」などに主演。79年退団。その後、商業演劇やテレビ時代劇の脇役として活動。チオビタドリンクのCMにも出演した。
大山塾を創設し、殺陣の指導など後進の育成に力を注ぐ。
10/5
■クロード・ピノトー(仏映画監督)フランスのブーローニュ・シュル・セーヌ
5日、パリ郊 外ヌイイ・シュル・セーヌで死去、87歳。
10代で小道具係として映画界に入り、その後ジャン・コクトーやクロード・ルルーシュらの助監督を務める。72年映画「死にゆく者への調べ」で監督デビュー。80年女優ソフィー・マルソーを起用した青春映画「ラ・ブーム」が大ヒット。他の監督作品のに「キュリー夫妻/その愛と情熱」「スチューデント」 「ラ・ブーム2」など。兄は映画監督のジャック・ピノトー。
10/5
■岩浪洋三(ジャズ評論家)松山市
5日、心不全のため死去、79歳。
松山商科大学(現:松山大学)を卒業。愛媛県内の労音事務局長代理をへて、57年上京。「スイングジャーナル」編集長となる。65年フリーランスのジャズ、ポピュラーを専門とする音楽評論家として独立。 雑誌やテレビ、ラジオにも出演。日本ジャズ賞(スイングジャーナル主催)選考委員長を務める。東京芸術大学、桐朋学園大学講師をへて、尚美学園大学大学院の芸術情報学部客員教授に就任。武蔵野外語専門学校講師として、「ジャズと英語」等のユニークなテーマで講義を行った。09年「これがジャズ史だ ―その嘘と真実」でミュージック・ペンクラブ賞を受賞。ミュージック・ベンクラブ・ジャパン会長などを務めた。
10/2
■大滝秀治(俳優)新潟県柏崎市
2日、肺扁平上皮癌のため東京都内の自宅で死去、87歳。
東京市本郷区(現:文京区)育ち。43年旧制私立駒込中学を卒業、三田の電話局に勤務。45年応召。戦後は大手町の電話局で、進駐軍を担当。
48年東京民衆芸術劇場附属俳優養成所に1期生として入所。50年劇団「民藝」創設に参加。52年正式に劇団員となり、 チェーホフ「かもめ」で初舞台。70年舞台「審判」の演技で紀伊國屋演劇賞を受賞。05年「巨匠」「浅草物語」の 演技で読売演劇大賞及び最優秀男優賞、09年「らくだ」の演技で文化庁芸術祭(演劇部門・関東参加公演の部)大賞を受賞。55年「ここに泉あり」で映画デビュー。76年映画「不毛地帯」でブルーリボン賞の助演男優賞を受賞。76年「あにいもうと」でブルーリボン賞助演男優賞、キネマ旬報賞の助演男優賞、第1回報知映画賞の助演男優賞を受賞。75−81年まで「うちのホンカン」に主演し、第1作は日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞。このほか「特捜最前線」「北の国から」など出演作多数。「民藝」では、奈良岡朋子と共に代表を担う。11年文化功労者
10/3
■馬渕晴子(女優)東京都
3日、肺癌のため死去、75歳。
54年高校在学中に日活にスカウトされ、映画「女人の館」でデビュー。59年TVドラマ「あの波の果てまで」に主演し、注目を浴びる。井上孝雄との結婚・出産のため、一時休業。61年「記念樹」で復帰。75年黒木和雄監督の映画「祭りの準備」、78年橋浦方人監督「星空のマリオネット」など母親役で演した。映画では増村保造監督「妻は告白する」、黒木和雄監督の「祭りの準備」や「TOMORROW 明日」などに出演。来年公開の映画「ばななとグローブとジンベエザメ」が遺作となった。夫は俳優の故井上孝雄。日本人女優として初ヌードを雑誌「アサヒカメラ」誌上などでを披露した。その後、77年に雑誌「アサヒカメラ」誌上で、「おんな・40歳・馬渕晴子の性」のタイトルで、和服姿の大胆なヌードを披露。
10/2
■島田和夫元(「憂歌団」ドラマー)大阪市港区
2日、自宅前で倒れているところを発見され神戸市中央区の自宅で死去、58歳。
69年大阪市立工芸高校で同期生の木村充揮、内田勘太郎による「憂歌団」の原型に参加。74年花岡献治と「憂歌団」に正式参加。デザイン会社に勤めながら活動。75年ブルースバンド「憂歌団」デビュー、ファーストアルバム「憂歌団」が好評を博す。バンド活動に専念。アルバム17枚、シングル4枚を出す。96年「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマソングや、奥田瑛二主演の映画「恋極道」の音楽も担当。98年「憂歌団」活動休止。その後00年「コブクロ」のレコーディングに参加、01年「BEGIN」のライブにゲスト出演するなど、音楽活動を続けていた。
10/1
■上羽秀(元東京銀座バー「おそめ」マダム)京都市
1日、急性呼吸器不全で死去、89歳。
両親の離婚などにより、尋常小学校卒業後に単身上京し、新橋の花柳界に入る。15歳で京都に戻り、祇園で芸妓となる。「そめ」の芸名で売れっ子となる。48年京都・木屋町にバー「おそめ」を開店。55年東京・銀座にも「おそめ」を開店。川端康成、大佛次郎らが通った「文壇バー」の草分け的な存在で、55年川口松太郎が発表した短編小説「夜の蝶」をはじめ、瀬戸内晴美「京まんだら」や川端康成「美しさと哀しみと」の モデルにもなった。
9/27
■ハーバート・ロム(英俳優)チェコスロヴァキアのプラハ
27日、ロンドンの自宅で死去、95歳。
37年チェコ映画でデビュー。39年イギリスに移住。56年映画「戦争と平和」でナポレオン、62年「オペラの怪人」で主役ファントム、70年「ドラキュラ/吸血のデアボリカ」でヴァン・ヘルシングを演じる。64年「ピンク・パンサー」シリーズ第2作から最終7作までドレフュス主任警部役として出演する。
9/25
■アンディ・ウィリアムス(米ピュラー歌手)アイオワ州ウォールレーク
25日、膀胱癌であることを公表し、闘病中だったがミズーリ州の自宅で死去、84歳。
「ムーン・リバー」「ある愛の詩」「ゴッドファーザー 愛のテーマ」 などをヒットさせる。60年代に放送された「アンディ・ウィリアムス・ショー」は日本でも人気を博した。91年NHK紅白歌合戦に出場。


9/25
■玉川スミ(三味線漫談家)福島県郡山
25日、心不全のため東京都文京区の病院で死去、92歳。
父は浪曲師の桃中軒雲工。天才少女浪曲師として3歳で初舞台。劇団や民謡一座を転々とし、14歳までに13回親が変わっている。その後、漫才に転向。58年三味線漫談を一人で始めた。120本の扇子を使って松の木をかたどる「松づくし」を考案。71年度の芸術祭優秀賞(大衆芸能部門)を受賞。
■シュガーボーイ・クロフォード(米R&B歌手)ニューオーリンズ
15日、病気のため死去、77歳。
50年高校在学中に同級生とバンド結成。52年「シャウィーズ」としてデビュー。53年「Jock-A-Mo」をリリースのちに「アイコ・アイコ」の名でこの曲が知られるようになる。63年黒人が派手な新車を乗り回したとして警官に暴行を受け入院。同事件で活動の中断を余儀なくされる。95年ダヴェル・クロフォードのアルバムにゲスト参加。以後、ライブ出演を果たしている。
8/27
■横森良造(アコーディオン奏者)
7日、虚血性心不全のため東京都内の自宅で死去、79歳。
1933年横浜市出身。東京都立江戸川高校を卒業。「スター誕生!」「お笑い頭の体操」をはじめTV歌番組、バラエティー番組などで、アコーディオン演奏を担当。日本を代表するアコーディオン奏者として長く活動。
9/9
■舘石昭(水中写真家)千葉県
9日、大腸癌のため死去、82歳。
52年千葉大学工学部意匠学科に在学中、全国学生油絵コンクールで毎日新聞社賞受賞。同大学を中退。56年ダイビングを始める。58年日本初の水中写真グループ展を開催。羽仁進監督の日本初の長編ドキュメントカラー映画「海は生きている」の水中撮影を担当。69年日本初のダイビング専門誌「マリンダイビング」を創刊。71年日本初の本格的水中フォトコンテスト「マリンダイビング水中写真コンテスト」を開催。78年雑誌「海と島の旅」を創刊、88年水中写真専門誌「マリンフォト」を創刊。09年財団法人「日本水中写真普及協会」を設立。
9/5
堀川弘通(映画監督)京都市
5日、食道癌のため東京都世田谷区の自宅で死去、95歳。
40年東京帝大文学部を卒業、東宝に入社。黒沢明監督の映画「わが青春に悔なし」「生きる」「七人の侍」などで助監督を務める。55年「あすなろ物語」で監督デビュー。その後、「女殺し油地獄」「裸の大将」「黒い画集 あるサラリーマンの証言」「アラスカ物語」などの作品を監督した。01年発表の「評伝 黒澤明」でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。
9/5
■瓜生良介(演出家)北九州市
5日、肺炎のため、東京都内の病院死去、77歳。
64年アングラ演劇集団「発見の会」を創立1964年に劇団「発見の会」を設立するなど、アングラ(アンダーグラウンド)演劇の分野で活躍した。
75年早稲田鍼灸専門学校を卒業。78年ウリウ治療室(現:ウリウ治療室・快療法の里)を開設。91年世界快医学ネットワーク: WKN(現:特定非営利活動法人世界快ネット)を設立。96年「快医学の里研修センター」を設立。99年熊本御舟町に「いのちのふるさと診療所」を設立。
9/3
■マイケル・クラーク・ダンカン(米俳優)米イリノイ州
3日、心臓発作のため入院中の病院で死去、54歳。
アルコーン州立大学を中退。ガス会社や警備会社、飛行機会社やバーの用心棒などをへて、ハリウッドで移る。95年映画「フライデー」でデビュー。98年「アルマゲドン」、99年「グリーンマイル」に出演。00年「グリーンマイル」のコーフィ役で、2000年アカデミー助演男優賞にノミネート。他の出演作に「PLANET OF THE APES/猿の惑星」「ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー」など。
9/1
■ハル・デヴィッド(米作詞家)ニューヨーク
1日、ロサンゼルスで死去、91歳。
作曲家バート・バカラックとともにポップスで数多くのヒット曲を生み出す。代表作として「雨にぬれても」「遙かなる影」などを作詞。69年アカデミー歌曲賞受賞。11年米国議会図書館のガーシュイン 賞を受賞。

8/29
■春日野八千代(宝塚歌劇団最古参の現役スター)神戸市
29日、肺炎のため死去、96歳。
28年宝塚音楽歌劇学校に入学、29年「春のをどり」で初舞台。宝塚歌劇団17期生。月組、ダンス専科、月組を経て、33年誕生の星組に移動。雪組、花組、雪組を経て、10年雪組副組長、45年雪組組長、49年歌劇団理事に就任。天津乙女とともに「宝塚の至宝」と呼ばれる。50年より演劇専科に所属。宝塚歌劇団最古参の現役スターで劇団名誉理事。
8/28
■中野純子(漫画家)
28日、虚血性心疾患のた死去、 45歳。
1967年神戸市出身。高校在学中の84年に「月刊セブンティーン」でデビュー。女性向け雑誌で作品を発表。90年代後半から青年漫画誌「週刊ヤングジャンプ」で連載。
主な作品に「ちさ×ポン」「ヘタコイ」「B-SHOCK!」など。
8/27
■横森良造(アコーディオン奏者)
7日、虚血性心不全のため東京都内の自宅で死去、79歳。
1933年横浜市出身。東京都立江戸川高校を卒業。「スター誕生!」「お笑い頭の体操」をはじめTV歌番組、バラエティー番組などで、アコーディオン演奏を担当。日本を代表するアコーディオン奏者として長く活動。
8/25
■元アポロ11号船長(ニール・オールデン・アームストロング)オハイオ州ワパコネタ
、25日死去、 82歳。今月受けた心臓のバイパス手術後、合併症を患っていた。
バデュー大学で航空工学を学ぶ。 50年海軍飛行士に採用され、朝鮮戦争に従軍。52年退役し、復学。55年バデュー大学卒業。エドワーズ空軍基地内のルイス飛行推進研究所でテスト・パイロットを務める。62年宇宙飛行士となり、66年ジェミニ8号の船長として宇宙飛行。69年アポロ11号の船長として月に到着。人類で初めて月面に降り立った。地球への帰還後、退役。シンシナティー大学で航空宇宙工学の教鞭を執る。79年同校を退職。宇宙名誉勲章を受賞。
8/21
■内藤武敏(俳優)小倉市
21日、悪性リンパ腫のため横浜市の病院で死去、 86歳。
41年日本大学芸術学部映画学科を中退。50年宇野重吉、加藤嘉、北林谷栄らと劇団民藝の創立に参加。「炎の人」など数多くの舞台を踏む。70年退団。その後、映画「帝銀事件・死刑囚」「ビルマの竪琴」「人間の条件」、 TVドラマ「天と地と」「葵 徳川三代」など多数の作品に出演した。 92年熊井啓監督の映画「ひかりごけ」では製作者も務めた。
8/20
■山本美香(ジャーナリスト)山梨県都留市
20日、シリア内戦を取材中にアレッポで死去、45歳。戦闘が続くアレッポのスレイマンハラビ地区で取材中に銃撃され、搬送先の病院で亡くなった。
90年都留文科大学文学部英文学科を卒業。朝日ニュースターに入社。95年朝日ニュースター退社後、アジアプレス・インターナショナルに所属。96年から独立系通信社ジャパンプレス記者となる。タリバン支配下のアフガニスタン、イラク戦争の際のバグダード取材などを手がける。03年日本テレビ「NNNきょうの出来事」キャスターを務める。03年度のボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞。著書に「「ぼくの村は戦場だった」「戦争を取材する〜子どもたちは何を体験したのか」など。
8/19
■トニー・スコット(米映画監督)イギリスのストックトン
19日、ロサンゼルスの死去、68歳。ビンセント・トーマス・ブリッジの駐車場から飛び降りた。遺書が見つかっており、自殺とみられる。
ロンドン王立美術大学で学ぶ。画家をへて、70年代に兄で映画監督のリドリー・スコットのCM制作会社に入社、CMディレクターとして活動。83年の「ハンガー」を監督し長編映画デビュー。活動の拠点を米国に移す。86年のトム・クルーズ主演の「トップガン」でメジャー監督の一人になる。他の監督作品に「ビバリーヒルズ・コップ2」「エネミー・オブ・アメリカ 」「サブウェイ123 激突」 など。 3人兄弟の末っ子として生まれる。兄の1人は、映画 監督のリドリー・スコット。細かいカットの切り返しや大仰ともいえる映像装飾が特徴。

れる。8/11
■稲葉光雄(元プロ野球選手)
11日、脳内出血のため死去、63歳。
09年から中日ドラゴンズ二軍投手コーチ。ナゴヤ球場で行われたウエスタン・リーグ広島戦の試合中に体調不良を訴え、名古屋市内の病院に搬送され、その後死亡が確認された。
静岡・清水工(現:静岡県立科学技術高)を卒業。日本軽金属をへて、 70年のドラフト2位で中日入団。投手として中日、阪急(現:オリックス)などプレー。通算成績104勝80敗2セーブ。77年最高勝率のタイトルを獲得した。


8/6
■カルロ・ランバルディ(伊、特殊効果造形作家)ビガラノマイナルダ
10日、伊南部カラブリア州ラメツィアテルメの病院で死去、86歳。
76年米映画「キングコング」で巨大なゴリラのロボットを作り注目される。79年「エイリアン」、82年「E.T.」のキャラクター造形を手がけ、「E.T.の父」とも呼ばれた。これら3作品でアカデミー賞の視覚効果賞などを受賞。日本映画「REX 恐竜物語」(93年)でも恐竜REXの造形を担当した。
8/6
■マーヴィン・ハムリッシュ(米作曲家)ニューヨーク
6日、ロサンジェルスで死去、68歳。
アメリカニューヨーク出身の作曲家、指揮者としても知られる。エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞、ゴールデングローブ賞、ピュリツァー賞をすべて受賞した人物はこのハムリッシュただ一人である。
舞台
コーラスライン A Chorus Line (1975)、They're Playing Our Song (1978)、Jean Seberg (1983)、Smile (1986)、グッバイガール (1993)、Sweet Smell of Success: The Musical (2002)、Imaginary
Friends (2002)
映画
68.泳ぐひと "The Swimmer"、69.幸せはパリで The April Fools 、71.コッチおじさん Kotch 、71.ウディ・アレンのバナナ Bananas 、73.セイブ・ザ・タイガー Save The Tiger 、74.追憶 The Way We Were 、74. スティング The Sting、75.ファニー・レディ Funny Lady 、77.007 私を愛したスパイ、78.アイス・キャッスル Ice Castles 、79.結婚ゲーム Starting Over 、80.昔みたい Seems Like Old Times、80.普通の人々 Ordinary People 、81.ペニーズ・フロム・ヘブン Pennies from Heaven 、82.ソフィーの選択 Sophie's Choice、85.コーラスライン A Chorus Line 、87.スリーメン&ベビー Three Men and a Baby 、91.恋のためらい/フランキーとジョニー Frankie and Johnny 、96.マンハッタン・ラプソディ The Mirror Has Two Faces
8/5
■浜田幸一(元衆議院議員)千葉県富津市
5日、心不全のため千葉県富津市の自宅で死去、83歳。
日本大学農獣医学部を中退。富津町議会議員、千葉県議会議員をへて、69年衆議院選で千葉3区より出馬し、当選。以後、通算当選7回。73年は中川一郎、渡辺美智雄、石原慎太郎らと自民党の派閥横断的な政策集団「青嵐会」を結成。79年自民党史上最大の危機といわれた四十日抗争で、党内の反主流派が築いたバリケードを強行突破し、両院議員総会の開催を導く。90年ラスベガス150万ドル負けて、返済の一部にロ社からの資金が使われたと検察から指摘され、議員辞職。93年政界引退。
8/1
■津島恵子(女優)長崎県厳原町(現:対馬市
1日、胃癌のため東京都内の病院で死去、86歳。
東洋音楽学校(現:東京音楽大学)中退。47年吉村公三郎監督の「安城家の舞踏会」でデビュー。「帰郷」をはじめ、大船調メロドラマに立て続けに出演。小津安二郎監督「お茶漬の味」などで、鶴田浩二と共演。ほかに今井正監督「ひめゆりの塔」、黒沢明監督「七人の侍」、吉村監督「足摺岬」などに出演した。その後TVドラマなどに出演じた。
7/17
■小島秀哉(俳優)広島県
17日、右腎癌のため死去、78歳。
桃山学院高校を卒業。曾我廼家十吾に弟子入りし、53年松竹新喜劇に入団。小島慶四郎とともに、藤山寛美を支えた。 77年退団。その後、小沢昭一主宰の芸能座に参加したほか、藤山の娘・直美主演の舞台に数多く出演している。TVドラマなどにも出演した。
7/16
■中川志郎(日本動物愛護協会名誉会長、元上野動物園園長)茨城県
16日、間質性肺炎のため埼玉県川口市の病院で死去、81歳。
宇都宮農林専門学校獣医科(現:宇都宮大学)を卒業。52年獣医師として東京都立上野動物園に入る。ロンドン動物学協会研修留学。同動物園飼育課長をへて、84年多摩動物公園園長、87年上野動物園園長に就任。この間72年初来日したジャイアントパンダの飼育に携わった。その後、茨城県自然博物館館長、日本博物館協会会長を歴任。野生動物保護の問題にも詳しく、国の特別天然記念物トキの繁殖にもかかわった。
7/16
■ジョン・ロード(英「ディープ・パープル」ピアニスト)英レスター
16日、死去、71歳。
63年バンド「アートウッズ」に参加。解散後、「サンタ・バーバラ・マシン・ヘッド」を結成するが解散。「フラワー・ポットメンと」に参加し、リッチー・ブラックモアと出会う。「ラウンドアバウト」をへて、68年「ディープ・パープル」を結成。76年解散までキーボーディストを務める。その後、「ペイス・アシュトン&ロード」を結成。78年デイヴィッド・カヴァデールの「ホワイトスネイク」に参加。84年「ディープ・パープル」を再結成。活動を続けるが、02年脱退。
7/15
■高林陽一(映画監督)京都市
15日、肺炎のため京都市の病院で死去、81歳。
55年立命館大学法学部政治学科を中退。60年銀座ヤマハホールで8mmの自主映画の個人映写会を開き、注目される。63年16mm第1作「砂」がベルギー実験映画祭で特別賞を受賞。65年「ひなのかげ」は米ニューヨーク近代美術館に所蔵された。このほか75年「本陣殺人事件」、76年「金閣寺」、 83年「時をかける少女」などの商業作品でも知られる。 73.餓鬼草紙 、75.最後の蒸気機関車 、75.本陣殺人事件、76.金閣寺、77.西陣心中、78.往生安楽国、80.ナオミ、80.ザ・ウーマン、81.蔵の中、82.雪華葬刺し、82.赤いスキャンダル - 情事-、88.魂遊び - ほうこう -、03.愛なくして、ベンチのある風景、07.涯への旅
7/15
■セレステ・ホルム(米女優)
15日ニューヨーク市、ニューヨークの自宅で死去、マンハッタンの同じアパートメントにあるロバート・デ・ニーロの部屋で火事が発生した際に脱水症状を起こし、病院に運ばれていた。95歳。
父親はノルウェー人。シカゴ大学で学び、ブロードウェイの舞台に立つようになる。『オクラホマ!』などに出演した後、1946年に20世紀FOXと契約し、映画にも出演。翌年『紳士協定』でアカデミー助演女優賞を受賞。1950年代以降は舞台に戻った。生涯で5回結婚し、長男のテッド・ネルソンは社会学者となった。 47.紳士協定、50.イヴの総て 、56.上流社会 、73.トム・ソーヤーの冒険、87.スリーメン&ベビー
7/9
■山田五十鈴(女優)大阪市
9日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去、95歳。
父は新派俳優の山田九州男。30年13歳のとき「剣を越えて」で映画デビュー。「風流活人剣」「国士無双」などの時代劇に出演してスターの座を獲得。34年第一映画社に移籍。溝口健二監督「浪華悲歌」「祇園の姉妹」に主演。35年新派「私のあなた」で初舞台、東宝に移籍。長谷川一夫と共演した「鶴八鶴次郎」「婦系図」などが大ヒット。42年長谷川らと新演技座を結成、舞台活動にも力を入れた。戦後、52年「現代人」「箱根風雲録」でブルーリボン賞主演女優賞と毎日映画コンクール女優主演賞、55年「たけくらべ」でブルーリボン賞助演女優賞、56年「母子像」などで2度目のブルーリボン賞主演女優賞と毎日映画コンクール女優主演賞、「流れる」などでキネマ旬報女優賞、57年「蜘蛛巣城」「どん底」「下町」で2度目のキネマ旬報女優賞を受賞。63年東宝演劇部の専属となる。NHK大河ドラマ「赤穂浪士」、朝日放送「必殺からくり人」などTV時代劇にも出演した。4年「たぬき」、83年「太夫さん」で芸術祭大賞を受賞。 93年文化功労者、00年女優で初めて文化勲章を受章。
7/8
■アーネスト・ボーグナイン(米俳優)コネチカット州ハムデン
8日、カリフォルニア州ロサンゼルスで死去、95歳。
45年海軍を除隊後、演劇学校煮に入る。49年舞台俳優としてブロードウェイにデビュー。 映画「地上より永遠に」で名を知られる。その後、二次世界大戦を舞台にした映画「特攻大作戦」やTVシリーズ「超音速攻撃ヘリ エアウルフ」などに出演。55年「マーティ」でアカデミー主演男優賞を受賞。このほか69年「ワイルドバンチ」や72年「ポセイドン・アドベンチャー」などに出演した。
7/7
■遠藤太津朗(俳優)京都市
7日、心筋梗塞のため京都市左京区の病院で死去、84歳。
戦後、京都で新劇の劇団を主宰。60年デビュー。悪役を中心に映画やテレビで活動。大川橋蔵主演のTV時代劇「銭形平次」で、万七親分を演じる。ドラマ「京都殺人案内」シリーズ、映画「仁義なき戦い」シリーズなど数々の映画に出演した。 
7/4
■柳家とし松(曲芸師)東京都
4日 、誤嚥性肺炎のため死去、71歳。
父の柳家小志んに師事。53年初舞台。曲芸曲独楽で小志んとコンビを組む。寄席の色物などに出演。妻は奇術師の松旭斉静花(鈴木東洋子)。
7/2
■セルジオ・ピニンファリーナ(伊、自動車デザイナー)トリノ
で2日、トリノの自宅死去、85歳。
トリノ工科大学で機械工学を学ぶ。父親が創業した自動車修理工房カロッツェリアに入社。同社を車のデザイン・開発・委託生産などを手掛ける企業「ピニンファリーナ」に育て上げた。61年同社最高経営責任者(CEO)に就任。66年同会長。06年同名誉会長。ボディーデザインを巨匠であり、フェラーリ「テスタロッサ」、マセラティ「クワトロポルテ」、アルファロメオ「スパイダー」などの名車を世界に送り出す。
88−92年までイタリア産業連盟(コンフィンダストリア)のトップを務めた。 05年から終身上院議員。
6/29
■地井武男(俳優)千葉県八日市場市
29日、東京都内の病院で死去、70歳。
千葉県立匝瑳高校を卒業。俳優座養成所卒業後、自由劇場の創立メンバーとして活動。68年岡本喜八監督映画「斬る」で俳優デビュー。70年武田敦監督「沖縄」で映画初主演。その後、映画「戦争と人間」やTVドラマ 「北の国から」などに出演。俳優以外でもテレビ「ちい散歩」の案内人やバラエティー番組などに出演した。
1942年5月5日 - 2012年6月29日 170cm。63kg 高校卒業後、俳優座養成所第15期生入所。同期には原田芳雄、林隆三、太地喜和子、赤座美代子、前田吟、夏八木勲、高橋長英、竜崎勝、秋野太作、栗原小巻、小野武彦、村井国夫、三田和代など錚々たるメンバーがいる。養成所卒業後は串田和美、吉田日出子らと創立メンバーとしてオンシアター自由劇場でも活躍岡本喜八監督『斬る』で映画デビュー1970年には武田敦監督『沖縄』で映画初主演
6/28
■小野ヤスシ(タレント)鳥取県境港
28日、腎盂癌のため東京都世田谷区内の病院で死去、72歳。
成城大学を中退。61年結成の「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」初代メンバー。桜井脱退後、リーダーとなった碇矢長一(後のいかりや長介)と対立し脱退。64年ドンキーカルテットを結成。71年解散。その後88-96年まで「スターどっきりマル秘報告」に出演するなどバラエティ番組を中心に活動した。95年参院選で鳥取選挙区から立候補するも落選。
6/26
■ノーラ・エフロン(米脚本家で映画監督)ニューヨーク州ニューヨーク
26日、白血病のためニューヨークで死去、71歳。
カリフォルニア州ビバリーヒルズ育ち。62年ウェルズリー大学卒業。ニューヨーク・ポスト紙の記者などをへて、脚本家になる。83年映画「シルクウッド」の共同脚本を担当し、アカデミー賞にノミネート。アカデミー脚本賞に3回ノミネートされた。
作品 心みだれて Heartburn (1986) 脚本、恋人たちの予感 When Harry Met Sally... (1989) 脚本、ディス・イズ・マイ・ライフ This Is My Life (1992) 監督・脚本、めぐり逢えたら Sleepless in Seattle (1993) 監督・脚本、ミックス・ナッツ/イブに逢えたら Mixed Nuts (1994) 監督・脚本、マイケル Michael (1996) 監督・脚本、ユー・ガット・メール You've Got Mail (1998) 監督・脚本、ラッキー・ナンバー Lucky Number (2000) 監督・製作、電話で抱きしめて Hanging Up (2000) プロデューサー、奥さまは魔女 Bewitched (2005) 監督・脚本、ジュリー&ジュリア Julie & Julia (2009) 監督・脚本
6/24
■永畑道子(ノンフィクション作家)熊本市
24日、肺炎のため東京都内で死去、81歳。
熊本大学法文学部東洋史学科を卒業。熊本日日新聞社会部記者、福音館書店「母の友」編集部をへて、執筆活動に入る。女子美術短期大学教授を務めた。95−01年まで熊本近代文学館長。教育論から、50代以降は柳原白蓮、与謝野晶子、波多野秋子など大正期の恋愛事件に関わる女性を描く。晶子と有島武郎の恋愛を描いた「夢のかけ橋」「華の乱」は深作欣二監督の映画「華の乱」の原作となった。「恋の華・白蓮事件」で日本文芸大賞ノンフィクション賞を受賞。夫は評論家の永畑恭典、長男はピアニストの永畑雅人、父は歌人の安永信一 郎、姉は歌人の安永蕗子。
6/15
■伊藤エミ(双子の歌手「ザ・ピーナッツ」)愛知県常滑町
15日、死去、71歳。
名古屋市育ち。ジャズクラブで歌っているところをスカウトされ、上京。一卵性双生児の妹のユミ(本名:月子)と「ザ・ピーナッツ」を結成。59年「可愛い花」でレコードデ ビュー。音楽バラエティー番組「ザ・ヒットパレード」「シャボン玉ホリデー」に出演。「恋のバカンス」「ふりむかないで」など多くのヒット曲を送りだした。59−74年まで連続16回NHK紅白歌合戦に出場。「クレージー黄金作戦」など20本以上の映画に出演した。61年怪獣映画「モスラ」では双子の妖精「小美人」 を演じて話題を集めた。75年引退を発表。解散直後に歌手の沢田研二と結婚、87年離婚。
6/13
■畑中純(漫画家、版画家)福岡県小倉市
13日、腹部大動脈瘤破裂のため東京都府中市の病院で死去、62歳。
福岡県立小倉南高校卒業。肉体労働をしながら、1コマ漫画を描き始める。74年1コマ漫画集「それでも僕らは走っている」を自費出版。77年「月夜」でデビュー。79年から「週刊漫画サンデー」で「まんだら屋の良太」を連載。81年同作で日本漫画家協会賞を受賞。東京工芸大学芸術学部マンガ学科教授を務めた。版画では「セロ弾きのゴーシュ」など宮沢賢治作品を多く手掛けた。
6/12
■日隅一雄(弁護士、元産経新聞記者)広島県
12日、胆嚢癌のため東京都新宿区の病院で死去、49歳。
87年京都大学法学部を卒業。産経新聞社に入社、92年まで在籍。98年弁護士登録し、NHK番組改変訴訟や沖縄返還密約情報開示訴訟などに携わる。07年弁護士やジャーナリストらで設立したインターネット市民メディア「NPJ」(News for the People in Japan)編集長を務め た。自由報道協会発足後は会員として参加。東日本大震災、福島第一原 子力発電所事故後は東電や中央官庁などの姿勢を批判してきた。著書に「『主権者』は誰か」「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれる のか」など。
6/9
■深瀬昌久(写真家)北海道美深町
9日 、脳出血のため東京都多摩市の老人施設で死去、78歳。
56年日本大学芸術学部写真学科を卒業。56年第一宣伝社に入社。61年個展「豚を殺せ!」を開催。64年日本デザインセンターに転職。67年河出書房写真部長に就任。68年同社倒産、フリーランスとなる。71年写真集「遊戯」刊行。92年新宿ゴールデン街で階段から転落、脳挫傷のため重度の障害を負う。77年個展「鴉」で伊奈信男賞を受賞。92年東川賞特別賞を受賞。主な写真集に「洋子」「鴉」など。
6/8
■赤江瀑(作家)山口県下関市
8日、心不全のため山口県下関市の自宅で死去、70歳。
55年日本大学芸術学部演劇科を卒業。在学中は詩の同人誌「詩世紀」に参加。放送作家を経て、70年「ニジンスキーの手」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。73年 「罪喰い」で直木賞候補。 74年「オイディプスの刃」で角川小説賞を受賞。75年「金環食の影飾り」で直木賞候補。83年「海峡」「八雲が殺した」で泉鏡花文学賞を受賞。芸能や伝統工芸に材を取った耽美的な作品で知られる。戯曲「夜の藤十郎」なども手掛けた。
6/6
■レイ・ブラッドベリ(米SF作家)イリノイ州ウォーキガン
6日、カリフォルニア州ロサンゼルスで死去、91歳。
38年−42年まで新聞販売に従事。その間ヘンリー・ハースとの共作「振り子」が「スーパー・サイエンス・ストーリーズ」誌に掲載、プロ作家となる。45年「ベスト・アメリカン・ショート・ストーリーズ」に作品収録。47年処女短編集「黒いカーニバル」を出版。「火星年代記」「刺青の男」が高く評価される。47年・48年2年連続でO・ヘンリー賞を受賞。54年米芸術文学協会賞、カリフォルニア・コモンウェルズ・クラブのゴールド・メダル賞を受賞。ハーマン・メルヴィル原作でジョン・ヒューストン監督の映画「白鯨」の脚本も担当した。他の著作に「華氏451度」「さよなら僕の夏」「太陽の黄金の林檎」「10月は たそがれの国」など。
6/4
■ジョニー吉長(ロックドラマー)福岡県北九州市
4日、肺炎のため死去、63歳。
60年代末から活動を開始。 78年チャー、加部正義と「ジョニー・ルイス&チャー」(後の「ピンククラウド」)を結成、人気を得る。近年「ゴールデン・カップス」サウンドを受け継いだ「シルバー・カップス」を結成。俳優としてドラマ「二千年の恋」や映画「ラストシーン」に出演した。「バックスバニー」の金子マリは元妻。ドラマーの金子ノブアキ、ベーシストの金子賢輔は息子。
6/1
■キャスリン・ジョーステン(米女優)フロリダ州ユスティス
1日、肺癌のためカリフォルニア州ウエストビレッジで死去、72歳。
42歳で女優として活動を始める。05-08年「デスパレートな妻たち」似出演。エミー賞受賞。他に「女刑事レディブルー」「ウエディング・クラッシャーズ」などに出演。
5/30
■尾崎紀世彦(歌手)神奈川県茅ヶ崎市
31日、肝臓癌のため東京都内の病院で死去肺にも転移していたという。 69歳。
父がイギリス人と日本人のハーフ。「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」のメンバーをへて、67年コーラス・グループザ・ワンダースに参加。70年「別れの夜明け」でソロデビュー。71年2枚目シング ル「また逢う日まで」がミリオンセラーとなり、日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞。同年NHK紅白歌合戦に初出場。 90年3度目の紅白出場。ダイナミックな歌唱力から「和製トム・ ジョーンズ」と呼ばれた。70年代後半から1980年代の低迷期をへて、87年「サマー・ ラブ」がヒット。2012年4月「失踪か?」と週刊誌が報じたのち、1年前から入院していることが明らかになった。

5/29
■新藤兼人(映画監督、脚本家)広島市佐伯区
29日、老衰のため死去、100歳。
34年京都に転居。新興キネマ現像部でフィルム乾燥の仕事をえる。同現像部の東京移転に同行、美術助手となる。「南進女性」で脚本家デビュー。44年所属していた興亜映画が松竹大船撮影所に吸収され、脚本部へ移籍。同年召集。50年松竹を退社、独立プロダクションの先駈けとなる「近代映画協会」を吉村公三郎や殿山泰司らと設立。51年39歳のとき「愛妻物語」で監督デビュー。51年「偽れる盛装」が大ヒット。 52年映画「原爆の子」を発表、53年カンヌ国際映画祭に出品。チェコ国際映画祭平和賞、英国フィルムアカデミー国連賞、ポーランドジャーナリスト協会名誉賞など多くの賞を受けた。60年無言の映画詩「裸の島」を製作、モスクワ国際映画祭グランプリほかメルボルン国際映画祭グランプリなどを獲得。62年「人間」で文部省芸術祭文部大臣賞、70年「裸の十九才」でモスクワ国際映画祭金賞、77年「竹山ひとり旅」でモスクワ国際映画祭監督賞・ソ連美術家同盟賞、95年「午後の遺言状」でモスクワ国際映画祭ロシア批評家賞ほかキネマ旬報ベストテン1位や日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した。このほか受賞多数。
5/27
■ジョニー・タピア(3階級制覇の元米プロボクサー)ニューメキシコ州アルバカーキ
27日、ニューメキシコ州アルバカーキの自宅で亡くなっているところを発見された。死去、45歳。
88年プロデビュー。90年USBA全米スーパーフライ級王座決定戦で王座獲得。4度防衛後、薬物使用で3年間の資格停止。94年復帰。同年NABF北米スーパーフライ級で王座獲得。94年WBO世界スーパーフライ級でで世界王座獲得した。97年統一戦でIBF世界スーパーフライ級王座を獲得、WBO王座防衛。98年WBO・IBF世界スーパーフライ級王座を保持したまま、1階級上のWBA世界バンタム級王座を獲得し、2階級制覇に成功。その後、WBO・IBF世界スーパーフライ級王座は返上した。02年IBF世界フェザー級王座を獲得し、スーパーフライ級、バン タム級、フェザー級の3階級制覇に成功した。身長168cm。全身に無数の刺青を入れていた。
5/25
■川村龍一(パーソナリティー、大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科長)東京
25日、大阪市北区の事務所で倒れているのが見つかり、死亡が確認。死去、69歳。
神奈川県と兵庫県で育つ。関西学院大学文学部を卒業。学習研究社勤務をへて、パーソナリティになる。DJ初期は矢沢二郎、川村尚の芸名を名乗っていた。75−82年まで毎日放送のTV番組「ヤングおー!おー!」の司会を担当、83−02年まで後同ラジオ番組「おはよう川村龍一です」の司会を務めた。95年阪神大震災では兵庫県芦屋市の自宅から車で大阪市の毎日放送をめざして携帯電話で被災状況をリポート。ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞を受賞した。06年大阪芸術大学短期大学部広報学科(現:メディア・芸術学科)教授兼学科長に就任。
5/22
■吉田秀和(音楽評論家)東京
22日、神奈川県鎌倉市内の自宅で死去、98歳。
36年東京帝国大学(現:東京大学)文学部フランス文学科を卒業。内務省情報局に勤務。戦後勤めをやめ、46年雑誌「音楽芸術」に「モーツァルト」を連載、本格的に評論活動を始める。48年斎藤秀雄、井口基成、伊藤武雄と「子供のための音楽教室」を開設し、初代室長となる。57年柴田南雄らと「二十世紀音楽研究所」を設立、所長となる。88年水戸芸術館館長に就任。75年「吉田秀和全集」(第一期10巻まで)で大佛次郎賞、88年NHK放送文化賞、90年朝日賞、93年「マネの肖像」で読売文学賞を受賞。96年文化功労者、06年文化勲章受章。
5/20
■ロビン・ギブ(英歌手、「ビー・ジーズ」メンバー)英マン島
20日、死去、63歳。大腸癌などを患っていた。
58年家族でオーストラリアのブリスベンに移る。2人の兄弟(バリー・ギブ、モーリス・ギブ)とビー・ジーズ((Bee Gees)を結成し、デビュー。73年からは米国を中心に活動。67年英国に戻り、ロバート・スティグウッドに見いだされ曲がヒット。 映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の「恋のナイト・フィーバー」 「ステイン・アライブ」のヒットなどで知られる。03年メンバーで双子の弟モーリスの死去にともない、グループの活動は休止。その後ソロ活動などを続けた。02年兄弟とともに大英帝国勲章(CBE)を受章。
5/18
■飯田正人(プロ雀士)富山県
18日、死去、63歳。
最高位戦日本プロ麻雀協会に所属。最高位戦のタイトルである最高位を4連覇を含め10回獲得。このほか王位、八翔位など18タイトル獲得は歴代プロ最多。「ミスター最高位」「大魔神」「白鯨」などの異名を持つ。
5/17
■ドナ・サマー(米歌手、Donna Summer)マサチューセッツ州ボストン近郊ドーチェスター
17日、フロリダ州キーウェストの自宅で死去、63歳。癌を患っていた。
74年アルバム「レディ・オブ・ザ・ナイト」、75年「愛の誘惑」を発表するなどして、ディスコ・ミュージックの第一人者として活動。 「ディスコの女王」(Queen of Disco)と呼ばれ一世を風靡する。08年9年ぶりのアルバム「Crayons」を発表。ここからのシングル3曲「I'm A Fire」「Stamp Your Feet」「Fame (The Game)」、さらに「To Paris With Love」が08年から10年にかけ4曲連続でビルボードのダンス・チャートで1位になった。グラミー賞を5度受賞。他のヒット曲に「ホット・スタッフ」「愛の誘惑」「恋はマジック」など。
5/16
■チャック・ブラウン(米ミュージシャンChuck Brown)ノース・キャロライナ
16日、ボルティモアの病院で死去、75歳。肺炎で療養中だった。
3歳でワシントンD.C.に移る。数多くの職業を転々とし、軍役も経験。刑務所でギターを覚え、釈放後に音楽活動を開始。66年ソウル・サーチャーズを結成。70年代ワシントンを拠点にソウルやファンクなどを融合した音楽ジャンル“ゴーゴー”を切り開いた。75年には「パスティン・ルース」が大ヒット。「ゴーゴーの父」と呼ばれ、後の黒人音楽にも影響を与えた。
5/16
■邱永漢(直木賞作家、経済評論家)台湾台南市
16日、心不全のため東京都内の病院で死去、88歳。
42年来日。45年東京大学経済学部を卒業。46年東京大学大学院を中退、台湾に帰国。48年台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕状が出たため、香港に亡命。鉦米で成功。54年処女作「密入国者の手記」が文芸誌に掲載され作家デビュー。日本に移住。同年「濁水渓」で直木賞候補となる。55年「香港」で外国人として初の直木賞を受賞した。71年台湾に帰国し、国家事業を指導。80年日本国籍を取得。直後に参院挙に立候補したが落選。98年香港返還を目前に、香港に移住。のち中国に移り、雲南省でコーヒー栽培事業を営む。このほか日中で多角的な事業を行う。株取引に熟達し「金儲けの神様」と呼ばれた。
5/16
■加藤郁乎(俳人、詩人)東京都
16日 、心不全のため東京都品川区の自宅で死去、83歳。
父は俳人の加藤紫舟。51年早稲田大学文学部演劇科を卒業。日本テレビ勤務のかたわら、新芸術俳句や詩の世界で活動。室生犀星詩人賞や日本文芸大賞俳句賞などを受賞。著書に「形而情学」「遊牧空間」など。

5/16

■小林すすむ(俳優、元お笑いトリオ「ヒップアップ」メンバー)長野県上田市
16日、スキルス性胃癌と肝臓癌のため、都内の病院で死去、58歳。
23歳で年代後半に島崎、川上泰生とお笑いトリオ「ヒップアップ」結成。番組「オレたちひょうきん族」などに出演。30代後半で俳優に転身し、TV、映画、CMなどに出演。脇役としてドラマ「ロングバケーション」「花より男子」、映画「シベリア超特急」「踊る大捜査線」シリーズなどに出演した。近年は、癌撲滅の合唱団でも活動していた。
5/15
■中原早苗(女優)東京都
15日、心不全のため東京都世田谷区で死去、76歳。
国本女子高等学校を卒業。在学中の53年に「村八分」で主演級の役でデビュー。現代ぷろだくしょんに入り、「蟹工船」に出演。独立プロ系の作品に出演後、55年日活と契約。「太陽の季節」などに8年間で80本作品に出演した。64年フリーとなる。東映を中心に映画ほか、TVドラマにも多数出演。65年映画監督の深作欣二と結婚。代表作に映画「南国土佐を後にして」柳生一族の陰謀」「仁義なき戦い」シリーズ、ドラマ「ザ・ガードマン」など。
5/13
■ドナルド・ダック・ダン(米ベーシスト)米テネシー州メンフィス
13日、 東京都内の滞在先ホテルで午前に宿泊先で見つかったが、すでに死去、70歳。
64年ソウルミュージックを先導したグループ「ブッカーT&ザMG's」に加入し、ベーシストとして活動。71年グループ活動休止。その後「ブルース・ブラザーズ・バンド」などで活動。作曲やプロデュースも手がけた。ブルーノート東京での公演のため来日中で、10日から12日まで都内のライブハウスに出演していた。
4/24
■土田世紀(漫画家)秋田県大森町
24日、肝硬変のため死去、43歳。
秋田県立新屋高校を卒業。86年17歳のとき投稿作「残暑」でコミックオープン・ ちばてつや賞一般部門に入選。その後「未成年」シリーズの第1話となりデビュー。87年「未成年」で月刊アフタヌーン四季賞を受賞。99年「同じ月を見ている」で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞、05年窪塚洋介主演で映画化。08年「ギラギラ」がテレビ朝日系でドラマ化された。他の作品に「編集王」「俺節」「俺のマイボール」「競馬狂走伝ありゃ馬こりゃ馬」など。週刊漫画ゴラクで「かぞく」を連載中だった。
4/
■東郷健(元「雑民党」代表、雑誌編集者)兵庫県
25日、前立腺癌のため東京都中野区の自宅で死去、79歳。
55年関西学院大学商学部を卒業。第一銀行行員、ガソリンスタンド経営をへて、ブロイラー養鶏場を経営するが失敗。63年同県姫路市でゲイバー「るどん」経営。その後上京し、銀座のゲイバー「青江」に勤務。68年ゲイバー「とうごうけん」を始める。一方で、同性愛者や障害者らへの差別撤廃を訴える活動を展開。雑誌「ザ・ゲイ」「ザ・ケン」編集長を務めた。79年「雑民の会」を設立、その後「雑民党」を結成。衆・参院選挙や東京都知事選に立候補するが、いずれも落選した。83年参院選でNHKが政見放送の一部を差別語としてカットしたの は違法として提訴したが敗訴した。
4/24
■中津文彦(推理作家)
24日、肝不全のため死 去、70歳。
学習院大学政経学部を卒業。岩手日報社に入社。報道記者として勤務していた82年に「黄金の砂」(出版の際「黄金流砂」に改題)で江戸川乱歩賞を受賞。その後退社し、作家活動に入る。85年「七人の共犯者」で角川小説賞を受賞した。他の著書に「闇の弁慶」「独眼竜」「闇の法隆寺」「野望の殺人」などがある。
4/17
■吉武輝子(評論家)兵庫県芦屋市
17日、肺炎のため死去、80歳。
慶応義塾大学を卒業。東映に入社。日本初の女性宣伝プロデューサーとなる。68年婦人公論読者賞を受賞。その後フリーとなる。77年回参院選全国区に立候補するが落選。10年文芸春秋スペシャル結婚特集号で戦後すぐの時期の在日米軍による 性被害を告白した。
4/14
■荒木しげる(俳優)鹿児島県出水市
14日、肺炎のため東京都内の病院で死去、63歳。
玉川大学を卒業。在学中に「フォー・セインツ」を結成、ドラムを担当。68年デビュー曲「小さな日記」が20万枚のヒット。73年解散。74年俳優に転身。75年「仮面ライダーストロンガー」に主演。本名から「茂」に改名し、後に「しげる」とする。主な出演作は「暴れん坊将軍」「特捜最前線」「徳川家康」「走れ! 熱血刑事」など。07年・11年の2度にわたり目黒区議選に立候補したが落選。08年フォー・セインツ再結成に参加
4/13
■日暮修一(イラストレーター)松戸市
13日、肺炎のため死去、75歳。
武蔵野美術学校(現武蔵野美大)卒。70年から昨年秋まで「ビッグコミック」の表紙の人物画を担当した。芸能人やスポーツ選手、政治家らを取り上げ、小さな体に大きな顔の絵柄で、デフォルメしながら表情の特徴を捉えた。また81年から06年まで、コピーライターの弟、日暮真三さんと、毎日新聞日曜版に「修一・真三のモーニングジャック」を連載。時々の話題をユーモラスに描き、人気を得た。毎日新聞紙上で、政治家の似顔絵なども手がけた。00年、小学館漫画賞特別賞受賞。
4/9
■青野武(声優)北海道旭川市
9日、多発性脳梗塞のため東京都八王子市の病院で解離性胸部大動脈瘤の手術を受けたあと死去、75歳。
北海道旭川東高等学校卒業。上京し、舞台芸術学院で演劇を学ぶ。劇団七曜会に所属し、「欲望という名の電車」で主役を務める。海外ドラマ「ブロンコ」の主役タイ・ ハーデンの吹き替えを担当。これを機に、声優として活動。「うる星やつら』、『らんま1/2』、『犬夜叉』など、高橋留美子原作のアニメ作品に数多く出演した。「ちびまる子ちゃん」のお爺ちゃんの声でも知られる。演劇では劇団芸協に所属、のち主宰を務める。俳優としても大河ドラマ「北条時宗」やNHK教育「このまちだい すき」などに出演した。

4/8
■安岡力也(歌手、俳優)港区
8日、心不全のため東京都内の病院で死去、64歳。06年難病のギラン・バレー症候群を発症。肝細胞癌などを併発し闘病生活を送っていた。
64年映画「自動車泥棒」に主演し芸能界デビュー。66年「シャープ・ホークス」 ボーカルとして歌手デビュー。ヘビー級・ミドル級のキックボクサーとしても活動し、4試合で3勝1敗。69年グループ解散後、俳優として活動。東映撮影所で若山富三郎の派閥に所属し、梅宮辰夫主演「不良番長」シリーズなどに出演した。82年TV番組「オレたちひょうきん族」に「ホタテマン」として出演、人気を集めた。このほか映画「野獣死すべし」「コミック雑誌なんかいらない!」「ブラック・レイン」などに出演。

3/21
■三戸サツヱ(「文化猿」観察者、元教員)広島市
7日、老衰のため宮崎市で死去、97歳。
31年旧制高等女学校を卒業。朝鮮半島で教職に就く。戦後、宮崎県串間市に移り、小・中学校で教壇に立つ。一方で、47年からサツマイモを海水で洗って食べる「文化猿」で知られる宮崎県串間市市木の離島・幸島で、野生ザルを半世紀余り観察。サルを餌付けし、顔を見分けて「戸籍」をつくった。サル学第一人者で京都大学・岐阜大学名誉教授の今西錦司ら多くの研究者と交流。70年に教職を退いた後も、京大霊長類研究所幸島野外観察所の非常勤講師として調査に携わった。94年80歳で「幸島自然苑」を設立、野外教室などを開いた。 92年九州電力の原子力発電所立地構想に環境保護の立場から反対運動を展開。74年吉川英治文化賞、92年環境庁長官賞を受賞。著書に「幸島のサル」「わたしの孫は100匹のサル」など。
4/5
■ジム・マーシャル(「マーシャル」創業者)ロンドン
5日、英南東部ミルトン・キーンズのホスピスで死去、88歳。
エレキギターなどのアンプブランド「マーシャル」創業者。ドラマーとして活動中の60年ロンドンに楽器店を開設。62年マーシャル社を創設し、初のマーシャルアンプ「JTM45」を開発した。当時のロックギタリストに支持され、65年頃ザ・フーのピート・タウンゼントの要望に応え独特スタイルの「マーシャル・スタック」を発案。その後も、ジミ・ヘンドリックスやジェフ・ベック、エリック・クラプトン、元ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュらが同社のアンプを使用した。

4/5
■影丸穣也(漫画家)大阪市港区
5日、膵臓癌のため死去、72歳。
中学校を卒業後、自動車整備工場に就職。57年探偵漫画「怪獣男爵」でデビュー。63年上京。71−77年まで漫画誌に掲載された梶原一騎原作「空手バカ一代」の後半部分の作画を担当。このほか代表作に「八つ墓村」「悪魔が来りて笛を吹く」「白鯨」「怪奇大作戦」「私は貝になりたい」「ワル」など多数。03年「ワル・最終章」を成人雑誌に掲載。ペンネームを影丸穣也に変更。その後NHKの人気番組「プロジェクトX」やNHK大河 ドラマ「義経」のコミック版を制作。
4/4
■クロード・ミレール(フランスの映画監督)パリ
4日、死去、70歳。
高等映画学院を卒業。マルセル・カルネ監督らの助監督をへて、「アメリカの夜」などでフランソワ・トリュフォー作品の製作主任を務める。76年「いちばんうまい歩き方」で長編デビュー。85年「なまいきシャルロット」で10代だったシャルロット・ゲンズブールを世に送り出した。98年「ニコラ」でカンヌ国際映画祭の審査員賞受賞。他の代表作に「レイプ殺人事件」「死への逃避行」など。
3/21
■ブルーノ・ジャコメッティ(スイスの建築家)スイス・スタンパ
21日、スイス・ゾリコンで死去、
104歳
コイラやチューリッヒで建築を学び、建築家としてチューリッヒで独立。チューリッヒ大学薬学部や52年ベニス・ビエンナーレのスイス館などを手がけた。
彫刻家のアルベルト・ジャコメッティとヂエゴ・ジャコメッティは兄。
3/21
■ロバート・フュースト(英映画監督)ロンドン
21日、死去、84歳。
監督作品に70年「嵐が丘」(出演キャストアンナ・カルダー・マーシャル ティモシー・ダルトン)、75年「魔鬼雨」(出演キャストアーネスト・ボーグナイン エディ・アルバート アイダ・ルピノ)、82年 「聖女アフロディーテ」(出演キャストホルスト・ブッフホルツ ヴァレリー・カプリスキー キャプシーヌ)など。
3/21
■トニーノ・グエッラ (イタリアの脚本家・詩人)
21日、イタリア中部リミニの自宅で死去、92歳。
第2次世界大戦中ナチス・ドイツの強制収容所で創作を始める。70年ソフィア・ローレン主演「ひまわり」でも脚本づくりに加わった。 フェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニのアマルコルド」(75年アカデミー賞外国語映画賞受賞)や「そして船は行く」、ミケランジェロ・アントニオーニ監督「情事」「欲望」などの脚本を手がける。テオ・アンゲロプロス監督「霧の中の風景」「シテール島への船出」「エレニの旅」の脚本にも参加した。04年米国のスティーブン・ソダーバーグ監督やアントニオーニ監督らの オムニバス作品「愛の神、エロス」の脚本も手掛けた詩人としても無数の作品を残した。
■3/20
■樺島弘文(ビジネス誌「プレジデント」元編集長札幌市)
20日、栃木県大田原市で死去、56歳。ロードレース用の自転車に乗ったまま県道脇の用水路に転落。通行人に発見されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。
東京農工大学農学部を卒業。専門紙記者、週刊誌記者、フリーライターなどをへて、88年プレジデント社に入社。ビジネス誌「プレジデント」の編集に10年以上携わる。プレジデント編集長、出版部部長などを務める。02年プレジデント社を退社。46歳で栃木県馬頭町(現:那珂川町)に移り住み、田舎暮らしを始める。「半農半ライター」として活動。著書に「会社を辞めて田舎へGO! 」「馬頭のカバちゃん―田舎暮らし奮闘記」。
3/19
■ウール・グロスバード(米映画監督)ベルギーのアントワープ
で19日、ニューヨーク・マンハッタンの病院死去、83歳。
42年家族でハバナに移民。48年米国に移住し、シカゴ大学を卒業(修士号取得)。 イェール大学演劇科に学んだのち、兵役。60年代以降にニューヨークで舞台演出を手がける。64年初のブロードウェイ進出作「The Subject Was Roses」でトニー賞候補。その後「橋からの眺め」でオフブロードウェイ賞を受賞。「アメリカン・バッファロー」でトニー賞候補となる。映画界では助監督を経て、68年映画版「The Subject Was Roses」で監督デビュー。他の監督作品に「ディープエンド・オブ・オーシャン」「ジョージア」 「恋におちて」「告白」など。
3/17
■藤岡太郎(俳優、元お笑い芸人)福岡市
17日、東京都内の病院で死去、47歳。豊島区の
路上で男と喧嘩になり、腹などを殴られ搬送先の病院で亡くなった。
85年劇団夢の遊眠社に入団。団員の山田尚とお笑いコンビ「山田太郎」を結成。87年劇団を退団後、プロダクション人力舎に入所。コンビ名を「東風」に改名。大竹まこと率いるシティボーイズライブにも出演。お笑いコンビ解散後、俳優として「新・夜逃げ屋本舗」「遠山の金さん」「新・極道の妻たち-惚れたら地獄-」「西遊記」などTVや映画に出演した。喧嘩の相手はアルバイトをしていた電話代行会社の同僚だった。
3/16
■吉本隆明(詩人・評論家)東京
16日、肺炎のため東京都内の病院で死去、87歳。
米沢高等工業学校(現:山形大学工学部)をへて、47年東京工業大学電気化学科を卒業。49年「ランボー若しくはカール・マルクスの方法についての諸注」を「詩文化」に執筆。51年東洋インキ製造青砥工場に就職。52年自家版詩集「固有時との対話」を発行。53年自家版詩集「転位のための十篇」を発行。54年荒地新人賞を受賞、鮎川信夫ら主宰の「荒地詩集」に同人として参加。56年初代全学連委員長の武井昭夫との共著「文学者の戦争責任」を発表。58年「転向論」を発表。59年「マチウ書試論」「転向論」等を載せた「芸術的抵抗と挫折」を刊行。56−60年にかけ花田清輝と激しい論争を展開。65年「言語にとって美とはなにか」、68年「吉本隆明詩集」「共同幻想論」「吉本隆明全著作集」(78年まで)、71年「心的現象論序説」を刊行するなどし、全共闘世代を中心に広く読まれ理論的な支柱となった。この間、56年東洋インキを退職し、長井・江崎特許事務所に勤務。70年文筆業として独立。その後も、文学やサブカルチャー、戦争、宗教など多岐にわたり評論を展開、戦後の思想に大きな影響を与えた。03年「夏目漱石を読む」で小林秀雄賞、「吉本隆明全詩集」で藤村記念歴程賞、09年宮沢賢治賞を受賞。東京工業大学世界文明センター特任教授も務めた。漫画家のハルノ宵子は長女。 作家のよしもとばななは次女。■
3/14
■榎本喜八(元プロ野球選手)東京都
14日 、大腸癌のため東京都内の病院で死去。75歳。
早稲田実業高校から、55年毎日(現:ロッテ)に入団。同年139試合に出場し、打率.298、本塁打16本でパ・リーグ新人王を獲得。その後60年と66年の2度、リーグ首位打者を獲得した。ベストナイン9回、打率3割以上を6度記録、「安打製造機」と称された。72年西鉄(現:西武)に移籍。同年現役を引退。プロ通算成績は18年間で2314安打、246本塁打、打率.298。引退後は球界とは無縁の生活を送った。
3/13
■ミシェル・デュショソワ(フランス俳優) フランス・ヴァランシエンヌ
3月13日、心停止により死去。73歳。
フランス国立高等演劇学校で演劇を学ぶ。64年国立劇団コメディ・フランセーズに入団。 84年退団するまで舞台などで活動。60年代後半から映画にも出演。主な出演映画に出演した。
3/12
■マイケル・ホサック(米「ドゥービー・ブラザーズ」ドラマー)
12日、癌のためワイオミング州デュボワの自宅で死去、65歳。
1946年ニュージャージー州パターソン生まれ。12歳のときボーイ・スカウトでドラムを始める。ベトナム戦争に従軍後、ニュージャージー州に戻る。その後、カリフォルニアのバンド「Mourning Reign」に参加。71年ドゥービー・ブラザーズ(The Doobie Brothers) に2人目のドラマーとして参加。ツイン・ドラムス・スタイルを確立し、「リッスン・トゥー・ザ・ミュージック」「ロッキン・ダウン・ザ・ハイウェイ」「ジーザス・イズ・ジャスト・オーライト」などのヒット曲を飛ばした。アルバム3枚を制作し、ウェストコースト・ロックを代表するバンドのひとつとなった。73年グループを離脱。自身のバンド「Bonaroo」や「DFK」を結成するが短命に終わる。87年ベトナム帰還兵のためのチャリティーコンサートを機に再結成したドゥービー・ブラザーズに参加。89年本格的な再結成にも名を連ねた。
3/10
■ジャン・ジロー(仏漫画家)パリ郊外ノジャン=シュル=マルヌ
10日、パリで日死去、73歳。
18歳でファーウェスト誌に漫画「フランクトジェレミー」が掲載される。61年漫画家ジジェに師事。62−74年までジャン・ミシェル・シャルリエ原作でピロット誌に「フォール・ナバホ」を連載し、人気を得る。63−64年にSF・ファンタジー作品向けにメビウス (Moebius)の名で21本の作品を描く。81年メビウス名義で「アンカル」 (L'Incal) シリーズの連載開始。82年ルネ・ラルー監督SFアニメ「時の支配者」に参加。同年リドリー・スコット監督のSF映画「ブレードランナー」に主要キャラクターの衣装デザイナーとして参加。ベルギー・フランスを中心とした地域の漫画バンドデシネ(bande dessine)作家として、世界的な成功を収めた。
3/8
■ジミー・エリス (米ソウルグループ「トランプス」リードヴォーカル)ロックヒルズ
8日、アルツハイマー病のためサウスカロライナ州ロックヒルズで死去、74歳。
高校卒業後、フィラデルフィアでR&Bバンドとともに歌い始める。その後70年代にグループ「トランプス」のリードヴォーカルとして活動。映画「サタデー・ナイト・フィーバー」挿入歌「Disco Inferno」で知られる


3/8
■駒沢敏器(作家・翻訳家)東京都
8日、神奈川県横浜市青葉区の自宅マンションで死去、51歳。
8日遺体で発見された。首に絞められた跡があり警察は殺人事件とみて捜査を始めた。母親から「息子を殺した」という手紙入り小包が、新潟県内の親族のもとに届いたという。
学生時代に渡米し、テンプル大学教養学部を卒業。先行はアメリカ研究学。帰国後、スイッチ・パブリッシングに入社。創刊直後の雑誌「SWITCH」に参加し、アメリカ現代作家へのインタビューを多数紹介した。92年退社。その後デジタルラジオ局「セント・ギガ」(St・GIGA)スタッフとして活動するかたわら、フリージャーナリストとしてアメリカ文化やネイチャー関係の取材を行う。著書に「街を離れて森のなかへ」「夜はもう明けている」など。
3/8
■山口美江(元タレント・テレビキャスター)横浜市中区
、先月から体調不良で通院治療をしていたが、8日遺体で発見され死去。51歳。
小学校から高校まで横浜のサンモール・インターナショナル・スクールに学び、元祖バイリンギャルと呼ばれた。上智大学外国語学部を卒業。外資系化粧品メーカーのエスティローダー、ワーナー・ブラザーズに勤務。通訳の仕事をへて、テレビ朝日「CNNヘッドライン」のニュースキャスターとしてタレントデビュー。フジッコ・漬物百選のCM「しば漬け食べたい」で注目を集め、TVのバラエティ番組やドラマに多数出演した。96年芸能界を一時引退。横浜中華街の輸入雑貨店「グリーンハウス」を運営(11年閉店)。その後、アルツハイマー病だった父親の介護経験をもとに講演会・トークショーを行っていた。
3/6
■紗ゆり(声優)東京都
6日、癌のため死去、55歳。
声優としてアニメ「新機動戦記ガンダムW」でレディ・アンを演じる。このほか「クレヨンしんちゃん」の大原ななこ役、「YAWARA!」の大垣役などを担当した。かつては本名山内小百合を名乗っていた
3/4
■神波史男(脚本家)東京都
4日、多臓器不全のため死去、78歳。
56年東京大学文学部仏文科を卒業。深作欣二監督のデビュー作「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」で脚本家デビュー。以降、数々の映画脚本を執筆。映画「火宅の人」「華の乱」でそれぞれ日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。他の脚本作品に「女囚701号さそり」「高校大パニック」「新仁義なき戦い」など。
3/3
■ラルフ・マッカリー(米イラストレーター)米インディアナ州ゲイリー
3日、カリフォルニア州バークレーで死去、82歳。
ボーイング社のテクニカル・イラストを手がけたのち、映画ポスターやアポロ計画のニュース・アニメーションなどに進出。その後ジョージ・ルーカス監督の映画「スターウォーズ」の企画段階から参加しコンセプトアートを手がけ、ロボットR2-D2やC-3PO、ダース・ベイダーなど主要キャラクターをデザイン。後進に大きな影響を与えた。このほか映画「コクーン」のコンセプトアートなども担当した。
85年「コクーン」でアカデミー賞視覚効果賞を受賞。
3/
■諏訪根自子(バイオリニスト)東京
3月死去、92歳。
12歳で初リサイタル開催、神童と騒がれた。 36年ベルギーに留学、38年パリに移る。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などと共演。ナチスドイツ宣伝相ゲッベルスから名器ストラディバリウスを贈られた。日本人で初めて国際的に活躍したバイオリニスト。米国をへて、45年帰国。60年頃に演奏活動の第一線を退く。81年バッハ「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」の新録音を出し、再び注目を集める。
9/15
2/29
■デイビー・ジョーンズ(英バンド「モンキーズ」メンバー)
29日、米フロリダ州の自宅で心筋梗塞のため死去、66歳。
1945年英マンチェスター出身。14歳で学校退学。英国でミュージカル俳優などをへて、65年米国でソロアルバム 「David Jones」をリリース。同年米TVシリーズのために結成されたバンド「モンキース」に参 加。「恋の終列車」「デイドリーム・ビリーバー」など多くのヒット曲を発表した。70年バンド活動停止したが、その後何回か再結成した。
2/29
■楢崎弥之助(元衆院議員)福岡市
29日、福岡市東区の自宅で死去、91歳。孫が自宅に行き、風呂場で倒れ亡くなっているのを発見した。
九州帝国大学(現:九州大学)法文学部法科を卒業。松本治一郎の秘書をへて、60年第29回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で出馬し初当選。64年米原子力潜水艦シードラゴンが長崎県佐世保港に入港した際の反対 デモに参加し、公務執行妨害罪で現行犯逮捕される。日本国憲法下で現行犯逮捕された初の現職国会議員となる。その後、社会党を離党し、田英夫らとともに社会民主連合(社民連)の結成に参加。83年総選挙で落選。84年福岡市長選に落選。86年の院選で返り咲き、計11回の当選を果たした。この間76年米議会で表面化したロッキード事件で、国会で追及の先頭に立った。88年リクルート事件でリ社側から贈賄申し込みを受けて拒否した事実を公表し、東京地検に告発。これをきっかけに東京地検の捜査が本格化した。■
2/28
■中村美代子(女優、「桜隊原爆忌の会」会長)東京都
28日、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、89歳。
芸術小劇場を経て、俳46年俳優座に入団。木冬社公演「冬の馬」の演技で、93年紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。「弟よ」「わが夢に見た青春の友」「蟹の町」など主に舞台で活動。ほかにNHK連続TV小説「はね駒」、映画「死の棘」などにも出演した。95年から広島で原爆の犠牲になった移動演劇隊「桜隊」を悼み、核廃絶を訴える演劇人らでつくる「桜隊原爆忌の会」会長を務めた。
2/27
■宇治みさ子(元女優)京都市右京区
27日、肺炎のため横浜市青葉区の病院で死去、79歳。
名脇役として知られた俳優田中春男の長女。52年渡辺邦男監督の紹介で新東宝に入社。山中美佐の名で「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」でデビュー。渡辺監督が東映移籍したため、53年東映に移籍し、宇治みさ子の名で時代劇に多く出演。55年渡辺監督の新東宝復帰にともない、新東宝に戻る。57年「姫 君剣法 謎の紫頭巾」で初主演。その後「宇治みさ子の緋じりめん女大 名」などタイトルに名前が入るほどの大スターとして活躍。59年大映と本数契約し、61年時代劇の脇役を演じる。以後はフ リーとなり主にTVなどに出演。65年日本電映「柔旋風」を 最後に引退。
2/25
■エルランド・ヨセフソン(スウェーデン俳優)ストックホルム
25日、ストックホルムの病院で死去、88歳。 パーキンソン病で闘病生活を送っていた。
イングマル・ベルイマン監督の映画「ある結婚の風景」「鏡の中の女」「沈黙の島」などに出演。同監督とは舞台を含め長年多くの仕事をともにした。このほかアンドレイ・タルコフスキー監督の「サクリファイス」、フィリップ・カウフマン監督の「存在の耐えられない軽さ」、テオ・アンゲロプロス監督の「ユリシーズの瞳」をはじめ、「プロスペローの本」「Sofie」「リヴ・ウルマンのクリスティン」などに出演した。一方で、舞台や映画、TVの演出をこなし、脚本も手がけた。自伝5冊と詩集2冊を出版。ロイヤル・ドラマティック・シアター主催者、スウェーデン俳優組合議長、スウェーデン舞台芸術協会議長を歴任。
2/ 23
■四代目 中村雀右衛門(歌舞伎役者・女形)東京
23日、肺炎のため東京都内の病院で23日死去、91歳。
27年大谷廣太郎の名で初舞台。42年徴兵で出征。46年復員。
47年女形・大谷廣太郎として舞台に復帰。48年七代目大谷友右衛門を襲名。50年映画俳優に転身し、「佐々木小次郎」でデビュー。大映の専属俳優から新東宝に移籍し、多くの映画に主演した。55年映画界を退き、舞台に再復帰。活動の場を関西に移し、関西歌舞伎の中村雀右衛門家の位牌養子となる。64年四代目中村雀右衛門を襲名。親友の三代目雀右衛門の長男・中村景章(のち五代目中村芝雀を追贈) が戦死したことが背景にある。91年人間国宝に指定。04年文化勲章受章。02−08年
2/22
■メリー・コルビン(米国人記者)ニューヨーク州オイスターベイ
22日、シリア西部ホムスで死去、55歳。バッシャール・アサド政権と反体制派の戦闘が続く同地を英サンデー・タイムズ紙所属の米国人記者とし
て取材中、ジャーナリストの拠点が砲撃を受けた。
イェール大学卒業後、 ニューヨークのUPIで報道記者となる。84年UPIパリ支局長。85年英サンデー・タイムズ紙に移る。中東地域をはじめ、コソボ、チェチェンなど取材。01年スリランカ内戦の取材中に攻撃を受けて片目を失明。その後黒い眼帯をつけて各地で取材を続けた。
2/22
■北公次(元「フォーリーブス」リーダー)和歌山県田辺
22日、肝臓がんのため死去、63歳。
田辺市立東陽中学校を卒業。65年ジャニーズの付き人になる。66年4人組アイドルグループ「フォーリーブス」結成に参加。68年「オリビアの調べ」でレコードデビュー。70年から7年連続で「NHK紅白歌合戦」に出場。78年グループ解散、ジャニーズ事務所を退社。02年フォーリーブス再結成。09年メンバーの青山孝史急逝後に無期限活動休止。
2/21
■河村保彦(元プロ野球投手)岐阜県多治見
21日、膵臓癌のため死去、71歳。
多治見工業高校から、59年中日に入団。63年19勝を記録。68年サンケイ(現:ヤクルト)に移籍。71年現役引退。13年間で444試合に登板、通算74勝88敗、防御率3.25。
現役引退後、プロ野球解説者やヤクルト投手コーチなどを務めた。
2/16
■ゲーリー・カーター(米大リーグ)
16日、脳腫瘍のためフロリダ州で死去。57歳。
米大リーグのエクスポズ(現ナショナルズ)やメッツなどで強打の捕手として活躍し、米野球殿堂入りした。
1974年にエクスポズで大リーグにデビューし、打点王を1度、ゴールドグラブ賞を3度獲得。オールスター戦には11度選出された。通算2296試合に出場し、2092安打、324本塁打、 1225打点をマーク。86年には24本塁打、105打点でメッツのワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。92年限りで現役を終えた後、2003年に米野球殿堂入り。背番号8はエクスポズの永久欠番になっている。  

2/10
■左右田一平(俳優)北海道
10日、S状結腸癌のため死去、81歳。
56年「真昼の暗黒」で映画デビュー。 TVドラマ「新選組血風録」「燃えよ剣」「俺は用心棒」「大江戸捜査網」などの時代劇に多数出演。映画「お葬式」「卓球温泉」などの脇役としても活動した。
2/6
■淡島千景(女優)東京都
6日、膵臓癌のため東京都内の病院で死去、87歳。
宝塚音楽舞踊学校(現:宝塚音楽学校)を卒業。41年宝塚歌劇団に入団。娘役のトップスターとして活躍、映画界に転じ、50年松竹の渋谷実監督「てんやわんや」で映画デビュー。「自由学校」「カルメン純情す」のほか、小津安二郎監督「麦秋」などに出演した。55年森繁久弥と共演した豊田四郎監督「夫婦善哉」でブルーリボン主演女優賞を受賞。58年「螢火」で毎日映画コンクール主演女優賞を受賞。その他の作品に森繁との共演作「駅前」シリーズや、近年では「大停電の夜に」「春との旅」など。56年菊池寛賞、84年菊田一夫演劇賞、97年毎日映画コン クールで田中絹代賞、04年牧野省三賞などを受賞した。
2/13
■三崎千恵子(女優)東京都
13、老衰のため神奈川県鎌倉市の病院で死去、90歳。
東洋高等女学校を卒業。白木屋(現:東急百貨店)に入社。39年松竹演芸部に歌手として所属。54年劇団民藝に入団。「アンネの日記」などの舞台に出演し、新藤兼人監督の「どぶ」で映画デビュー。
67年民藝退団。69年から始まった映画「男はつらいよ」に主人公・車寅次郎の叔母役として出演。95年までシリーズ全48作に出演した。

2/13
■久島海、田子ノ浦親方(大相撲の元幕内)和歌山県新宮
13日、東京都内の病院で死去、46歳。東京都江東区の田子ノ浦部屋で吐血して倒れ、病院に搬送されたが、すでに心肺停止状態だった。
新宮高校3年時に全日本選手権を制し史上初の高校生アマ横綱となる。日本大学に進学し、3連続で学生横綱となる。88年出羽海部屋に入門。同年「九嶋」の四股名で初場所で幕下付け出し初土俵。負け越し無しで89年3月場所に十両に昇進し、「久島海」に改名。最高位は東前頭筆頭。98年秋場所限りで引 退。生涯戦歴462勝442敗15休(65場所)、幕内戦歴 237勝273敗15休(35場所)。十両優勝3回。現役時身長187cm、体重201kg。00年独立して田子ノ浦部屋を設立。
2/13
■ホイットニー・ヒューストン(米歌手)ニュージャージー州イースト・オレンジ
11日、カリフォルニア州ビバリーヒルズのホテルで死去、48歳。
通報で駆け付けた救急隊が4階客室で倒れているヒューストンに蘇生措置を試みたが死亡を確認した。 同市警によると事件性はなく死因を詳しく調査中。ヒューストンはこの日、米音楽界最高の栄誉、グラミー賞授賞式を翌12日に控えて同じホテルで開かれる関連パーティーに出演する直前だった。報道によると、ここ数日はひどく疲れた様子だった。
母もゴスペル歌手。10代からモデルとして活躍。85年「そよ風の贈りもの」でデビュー。同年デビュー・アルバム「ホイットニー・ヒューストン」を発表。87年2枚目のスタジオ・アルバム「ホイットニー」がビルボード初登場1位。92年映画「ボディガード」でケビン・コスナーと共演。主題歌「オールウェイズ・ラブ・ユー」が世界中で大ヒット。通算6回のグラミー賞を受賞し、トップ歌手に上りつめた。その後も映画「ため息つかせて」「天使の贈り物」に主演。私生活では92年R&B歌手ボビー・ブラウンと結婚。しかし、そこから人生が一気に暗転する。夫のDVにより家庭生活は破たんし、また、夫は暴行で逮捕されたり、自身も大麻を使用するなど、まともに活動できる状態にはなかった。その後は懸命にリハビリに励み、徐々に活動を再開するものの先日、自己破産寸前だということがわかった。アリスタレコードとは2001年から、1億ドル(約77億円)の再契約を結んでいた。00年ハワイの空港で大麻所持で拘束。その後も薬物中毒に悩まされ、04年更生施設に入った。06年離婚。
2/9
■大平シロー(タレント)大阪府泉大津
9日、2月4日大阪市内の事務所で倒れ、一時心肺停止。その後、意識不 明の状態が続いていたが、大阪府の病院で死去、55歳。
大阪府立泉大津高校を卒業。75年トリオ漫才「レツゴー三匹」に入門。76年漫才コンビ「太平サブロー・シロー」としてでデビューし。80年NHK上方漫才コンテスト最優秀賞、86年上方漫才大賞を受賞など受賞。漫才ブームで人気を得る。92年コンビを解散。同年参院選に比例区から立候補するも落選。99年に吉本へ復帰。大平マサヒコ(現:太平まさひこ)と漫才コ ンビを結成するが、ほどなく解消。以降はピンで活動する。近年は俳優や放送作家としても活動した。
2/7

■千石正一(爬虫両生類学者)世田谷区
7日、死去、62歳。
東京農工大学農学部蚕糸生物学科卒業。80年代にエリマキトカゲブームをおこしたひとり。TV番組「わくわく動物ランド」「どうぶつ奇想天外!」に出演した。 「千石先生」の愛称で親しまれ、自然環境研究センター研究主幹などを務めた。このほか東京環境工科専門学校の講師、帝京科学大学や星槎大学の客員教授も務めた。00年「みどりの日」自然環境功労賞環境庁長官表彰(環境教育)を受賞。
2/6
■石元泰博(写真家)米サンフランシスコ
6日、東京都港区の病院で死去、90歳。 肺炎と脳梗塞で入院、治療中だった。
3歳の時に高知県に移住。39年近代農法を学ぶため再渡米。第二次世界大戦中の42−45年までコロラド州南東部のアマチ収容所に収容される。この間に写真に興味を持つ。ノースウェスト大学建築科に入学。52年シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインに転じ、写真を学ぶ。在学中にモホリ・ナギ賞を2回受賞。53年再来日。高度な造形性を備え、情緒を排した大胆な表現で知られる。シカゴや東京の都市風景、空や水面の写真のほか、桂離宮や曼荼羅など日本的、東洋的な題材も多く手がけた。66年東京造形大学教授。69年日本国籍を取得。96年文化功労者。著書に「シカゴ、シカゴ」「桂」など。
2/4
■芦野宏(シャンソン歌手)東京
4日、間質性肺炎のため東京都中央区の病院で死去、87歳。
東京芸術大学声楽科を卒業。高校の音楽教師をへ て、53年NHKラジオの番組でデビュー。シャンソンブームにも乗って人気を集める。55年から「NHK紅白歌合戦」に10年連続出演した。56年パリのオランピア劇場の舞台に立った。 ドラマ「コメットさん」などTVにも出演した。「ミラボー橋」「幸福を売る男」などレパートリーは1000曲を超えた。95年妻の故郷の群馬県渋川市に日本シャンソン館を設立。10年からは日本シャンソン協会会長を務めた。04年フランス芸術文化勲章オフィシエ、06年日本レコード大賞功 労賞を受賞。
2/3
■ジョン・クリストファー(英SF作家)ランカシャー
3日、 イングランド・バースで死去、89歳。
第二次世界大戦で41−46年まで英陸軍信号部隊に所属。「冬の白鳥」で作家デビュー。50−60年代に人気を得る。66年以降ジュヴナイルSFを書き始め、「三本足シリーズ」3部作、「異世界からの生還」などがロングセラーとなる。他の代表作に「草の死」など。
2/3
■ブルース・サーティース(米撮影監督)ロサンゼルス
3日、糖尿病による合併症のためカリフォルニア州カーメルで死去、 74歳。
父は撮影監督のロバート・サーティース。ドン・シーゲル監督の「マンハッタン無宿」で映画制作の世界に入る。映画「白い肌の異常な夜」で撮影監督デビュー。その後、「ダーティハリー」など70年代から80年代初頭にかけてクリント・イーストウッドとともに14作品を手がける。このほか「恐怖のメロディ」「レニー・ブルース」「ビッグ・ウェンズデー」などで高い評価を受ける。暗闇で使われる照明が特徴的。
2/.3
■ベン・ギャザラ(米俳優)ニューヨーク・マンハッタン
3日、、膵臓癌のため死去、81歳。
ニューヨーク市立大学シティカレッジで電気工学を学ぶが、中退。の後、アクターズ・スタジオで演技を学ぶ。50年代からブロードウェイで活動。エリア・カザン監督のテネシー・ ウィリアムズ作「熱いトタン屋根の猫」ほか、「レマゲン鉄橋」に出演。70年代はジョン・カサヴェテス作品に多く出演した。03年TV映画「Hysterical Blindness」でエミー賞を受賞。
2/2
■石田勝心(映画監督)東京
2日、肺炎のため東京都調布市の病院で死去、 79歳。
57年東宝に入社。70年「喜劇 頑張 れ!日本男児」で監督デビュー。代表作に映画「父ちゃんのポーが聞える」「東京湾炎上」など。 TVドラマも多数手がけた。
2/1
■ビスワバ・シンボルスカ(ポーランド女性詩人、ノーベル文学賞受賞プロベルト(現:ブリン)者)
1日、肺癌のため南部クラクフの自宅で死去、88歳。
31年クラクフに転居。45年第一詩集出版。深刻な問題を皮肉やユーモアを交えて表現する作風で知られる。96年ノーベル文学賞を受賞した。ノーベル賞委員会に「詩歌のモーツァルト」と評された。ほかにゲーテ賞、ポーランド・ペンクラブ賞など受賞多数。95年ポズナン大学から文学博士授与。代表作に86年「橋の上の人々」、93年「終わりと始まり」 など。
2/1
■ドン・コーネリアス(音楽司会者)イリノイ州シカゴ
1日、ロサンゼルスの自宅で死去、75歳。
銃による自殺とみられる
54年高校卒業。海兵隊員としてベトナム戦争に18ヶ月間派遣される。帰還後の自動車や保険の外交員などさまざまな職業を体験。
70年シカゴの地方局でソウルトレインの前身となる番組を企画し、制作・司会を担当。71年から全米で放映開始。06年まで続い た黒人音楽TV番組「ソウルトレイン」(Soul Train)の初代 司会者。ファッションやダンスなど黒人のポップカルチャーの広がりに貢献 した。
1/31
■ドロテア・タニング(米画家、エルンストの妻)イリノイ州ゲイルスバーグ
31日、ニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去、
101歳。
家出同然でシカゴをへて35年ニューヨークに移り住む。独学で絵を学ぶ。亡命してきた画家マックス・エルンスト(Max Ernst)と42年知りあい、結婚。第2次世界大戦後にフランスに移住。シュルレアリスムの画家、版画家、彫刻家、作家として活動。
1/31
■川勝正幸(フリーライター)福岡市
31日、中央区のマンション自室から出火、
火事場で発見され搬送先の東京都の病院で死去、55歳。
中央大学法学部を卒業。80年広告代理店> にコピーライターとして入社。85年退社しフリーランスに。 87年知人らと事務所「トーテムポール」を結成(のちドゥ・ザ・モン> キー。02年ライター辛島いづみと「川勝プロダクション」を> 設立。05年ライター下井草秀とユニット「文化デリック」結> 成。音楽や映画などサブ・カルチャーを守備範囲とした。 00年、01年に東京大学教養学部で非常勤講師を務めた。
1/29
■河野典生(作家)高知市
29日、嚥下性肺炎のため死去、77歳。
明治大学仏文科中退。在学中に戯曲「墜ちた鷹」 を「三田文学」に掲載。59年 日本テレビの番組「夜のプリズム」の脚本公募で作品「ゴウイング・マイ・ウェイ」が佳作入選、雑誌「宝石」に掲載。60 年に短編集「陽光の下、若者は死ぬ」を出版しデビュー。64年「殺意という名の家畜」で日本推理作家協会賞を受賞。69年 「他人の城」は直木賞候補となった。他の作品に「街の博物誌」「アガサ・クリスティ殺人事件」「明日こそ鳥は羽ばたく」など。
1/21
■石岡瑛子(アートディレクター)東京都
21日、膵臓癌のため東京都の病院で死去、73歳。
61年東京芸術大学美術学部を卒業。資生堂でグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動。70年独立後、パルコや角川書店などの広告を制作。80年代からは活動拠点をニューヨークに移す。
マイルス・デイヴィスのアルバムジャケットのデザインでグラミー賞、フランシス・コッポラ監督の映画「ドラキュラ」の衣装でアカデミー賞(衣裳デザイン賞)、ニューヨーク映画批評家協会賞、カンヌ国際映画祭芸術貢献賞など受賞多数。08年北京オリンピック開会式で衣装デザインを担当
1/20
■テオ・アンゲロプロス(ギリシャの映画監督)アテネ
24日、撮影中に交通事故にあいアテネ郊外で死去、76歳。
アテネ郊外ピレウス港近くの路上を横断中にバイクにはねられ、頭部に重傷を負って搬送先の病院で亡くなった。事故現場近くで新作映画の撮影中だった。
アテネ大学を卒業。兵役を経て、パリのソルボンヌ大学に留学するが退学。その後、パリ高等映画学院に入学するが、教師と対立し放校処分。64年政情不安定なギリシャに帰国。左翼系日刊紙「ディモクラティキ・ アラギ」で映画批評を始める。68年映画雑誌「同時代映画」を創刊。同年短編映画「放送」を発表。70年長編処女作「再現」が完 成、ジョルジュ・サドゥール賞受賞。75年現代史三部作第2作となった「旅芸人の記録」でカンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞するなど、国際的評価を得た。第二次世界大戦を挟んだギリシャ現代史を織り交ぜ、人間の描く作風で知られる。その後、「シテール島への船出」「こうのとり、たちずさんで」 「ユリシーズの瞳」の国境三部作を製作。98年老詩人の人生最後の一日を描いた「永遠と一日」でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。このほか73年「1936年の日々」でベルリン国際映画祭国際 批評家賞、88年「霧の中の風景」でヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞など受賞多数。
1/20
エタ・ジェームス(米R&B歌手Etta James)ロサンゼルス
20日、白血病の合併症のためカリフォルニア州の病院で死去、73歳。
幼少の頃から教会でゴスペルを歌った。 12歳でサンフランシスコ移住。
55年「ウォールフラワー」がヒット。その後バラード曲「アット・ラスト」などがヒット。アルバムとパフォーマンスの部門でグラミー賞3度獲得。 84年ロサンゼルス五輪では米国歌を歌った

1/117
ジョニー・オーティス(米R&B歌手Johnny Otis)カリフォルニア州ヴァレジョ
17日、米ロサンゼルス近郊の自宅で死去、90歳。
ギリシャ系の白人。少年期から黒人音楽に親しむ。黒人風の名前だとしてオーティスに改姓。
58年「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイブ」を録音、ヒットする。ドラマー、ピアニスト、ヴィブラフォン奏者、歌手、バンドリーダーなどとして活動。ミュージシャンの発掘にも力を注ぎ、「R&Bのゴッドファーザー」と呼ばれた。

1/15
■坂井宏朱(オートレーサー)石川県金沢
15日、練習中の事故のため千葉県船橋市の
船橋オートレース場で死去、27歳。
走行中にカーブ手前で転倒し、鉄製の緩衝柵に衝突。場内医務室に搬送されたが、死亡が確認された。
法政大学法学部政治学科を卒業。JTBに入社。
10年佐藤摩弥とともに女子受験者としてオートレース第31期養成員試験に合格。JTBを退社し、茨城県下妻市のオートレース選手養成所に入所。永井大介に師事。11年養成所を卒業し、44年ぶりの女子オートレーサーとなった。11年7月船橋オートレース場でデビュー。8月初勝利をあげた。多くのメディアに取りあげられ、オートレースの認知度向上に貢献。同期の佐藤摩弥とともにオートレース平成23年度表彰「特別賞 」を受賞。
1/8
■玉木宏樹(作曲家、バイオリン奏者)神戸市
8日、肝不全のため東京都杉並区の自宅で死去、68歳。
65年東京芸術大学音楽部楽器科を卒業。在学中から東京交響楽団に所属して活動する。卒業後、楽団「アルキカルテット」を主宰。山本直純の事務所に所属し、映像作品の音楽に携わる。「アニマル1」「大江戸捜査網」 「おていちゃん」などTV番組用音楽の作曲で知られた。人が喋るように聞こえるバイオリン奏法でも知られた。
1/7
■二谷英明(俳優)京都府舞鶴市
7日、肺炎のため東京都内の病院で死去、 81歳。
同志社大学文学部英文科を中退。54年ラジオ佐世保(現:長崎放送)に開局と同時にアナウンサーとして入社。56年第3期ニューフェイスとして日活に入社。同年「沖縄の民」 でデビュー。61年日活スター映画のローテーションである「ダイヤモンドライン」入りし、「ダンプガイ」の愛称で石原裕次郎、小林旭らとともに日活アクション路線の全盛期を築く。71年日活を退社。77−87年までTVドラマ「特捜最前線」に出演。
93年脚本家の小山内美江子ら任意団体「カンボジアの子供に学校をつくる会」(のち特定非営利活動法人「JHP・学校をつくる会」)を設立。出演作に映画「日本沈没」「華麗なる一族」「戦争と人間」「黒部の太 陽」など。妻は女優の白川由美。
1/5
■林光(作曲家)東京都
5日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去、80歳。
東京藝術大学作曲科を中退。尾高尚忠に師事。間宮芳生、外山雄三と「山羊の会」を結成。原民喜の詩をもとに58年合唱曲「水ヲ下サイ」を発表。合唱組曲「原爆小景」完結にはあ 50年以上を費やした。天安門事件後に「第三交響曲〈八月の正午に太陽は…〉」、阪神大震災後には「ビオラ協奏曲〈悲歌〉」を発表。一方で、日本語オペラの創造を目指す「オペラシアターこんにゃく座」芸術監督。「森は生きている」や「セロ弾きのゴーシュ」が高く評価された。「オーケストラのための変奏曲」で第4回尾高賞、61年新藤兼人監督の映画「裸の島」の音楽で第2回モスクワ映画祭作曲 賞を受賞。
1/4
■イヴ・アーノルド(写真家)ペンシルベニア州フィラデルフィア
4日、英ロンドンの介護施設で死去、99歳。
48年雑誌「ハーパース・バザー」のディレクターだったアレクセイ・ブロドヴィッチに師事。51年女性として初めて写真集団「マグナム」に参加。このころからマリリン・モンローを撮影。ほかにエリザベス2世やマルコム Xなども撮影した。50年代は「ライフ」などに作品を発表。 60年代から、活動拠点をロンドンに移す。旧ソ連、中近東、中国など世界各地を取材。中国を撮影した作品で全米書籍賞、アメリカ雑誌写真家協会を受賞。94年ロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリーで個展を開催。95年ニューヨークのICP (国際写真センター)より功労賞受賞。同年大規模な回顧展を同美術館 で開催。03年英国政府より文化勲章を受賞。
1/2
■真樹日佐夫(作家、真樹道場首席師範)
2日、急性肺炎のため神奈川県内の病院で死去、71歳。
1940年東京都出身。漫画原作者の故梶原一騎の実弟。兄の紹介で極真会館に入門。極真会館東京渋谷支部長や通信教育部門「マス大山カラテスクール」で指導し、77年総本部第三代師範代となる。80年真樹道場設立。本名で書いた「凶器」で68年オール讀物新人賞、00年「兄貴」でJLNA文学賞特別賞を受賞。梶原との共同作品の際は、正木亜都のペンネームを用いた。「ワル」など漫画原作や映画プロデュースも手がけた。ほかに世界空手道連盟真樹道場宗師 キックボクシング真樹ジム会長。真樹プロダクション代表取締役など。