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1999年から2014年に【地球号を降りた あの人この人、気になる人々

50音順

2014年度


12/30
■宮尾登美子(作家)高知市
30日、老衰のため死去、88歳。
43年高坂高等女学校を卒業後、結婚し旧満州へ渡る。終戦後、高知へ引き揚げ。肺結核で療養中に執筆活動を始める。62年前田とみ子の名で書いた「連」で婦人公論女流新人賞受賞、63年直木賞候補。協議離婚。64年再婚、66年上京。 73年「櫂」で太宰治賞受賞。77年「陽暉楼」で直木賞候補、「寒椿」で女流文学賞受賞。79年53歳のとき「一絃の琴」で直木賞受賞。83年「序の 舞」で吉川英治文学賞受賞。
12/22
■ジョー・コッカー(ロック歌手)年英イングランドサウス・ヨークシャー州シェフィールド
で22日、小細胞肺がんのため米コロラド州の自宅死去、70歳。
64年レコードデビューするが不発。故郷での音楽活動をへて、68年クリス・ステイントンとの共作「マジョリーン」で再デビュー。同年ビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のカバーが全英チャート1位の大ヒット。74年映画「愛と青春の旅だち」の主題歌がグラミー賞などを受賞。ロックやブルースの世界的な歌手として地位を確立した。
12/13
■品田雄吉(映画評論家、多摩美術大学名誉教授)北海道遠別町
で13日、肺がんのため東京都内の病院死去、84歳。
北海道大学法文学部国文学科を卒業。在学中に「キネマ旬報」編集部の懸賞論文に入選。1953年キネマ旬報社に入社。 雑誌「キネマ旬報」「映画評論」などをへて、65年フリーの編集者として活動。89年から多摩美術大学教授、のち名誉教授。このほか日本芸術文化振興会運営委員・映画部会長、国立美術館運営委員、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭顧問、ゆうばり応援映画祭 実行委員長などを歴任した。著書に「監督のいる風景」「シネマの記憶から」など。
12/18

■ビルナ・リージ(イタリア女優)伊中部アンコーナ
18日、ローマの自宅で死去、78歳。
94年「王妃マルゴ」でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞。ほか65年「女房の殺し方教えます」、66年「クィーン・メリー号襲撃」、同「おれの女に手を出すな」などに出演。
12/18
■稲野和子(文学座俳優)新潟市
18日、子宮頸がんのため死去、79歳。
56年文学座へ研究生として入る。59年舞台「マヤ」でデビュー。代表作に「華岡青洲の妻」「人間ぎらい」「ハロルドとモード」など。 映画「砂の上の植物群」にバーのホステス役として出演。他に「遠山の金さん」「水戸黄門」「大岡越前」などTVドラマや映画の脇役で活躍。夫は演出家で脚本家の故福田陽一郎さん。
■生方恵一(元NHKアナウンサー)前橋市
15日、死去、81歳。
早稲田大学政治経済学部を卒業。アナウンサーとして日本放送協会に入局。「のど自慢」「ひるのプレゼント」などで司会を担当。「紅白歌合戦」の総合司会も務め、84年の同番組で都はるみを「ミソラ」と呼んだハプニングで話題となる。85年退職。日本テレビと専属契約、その後フリーとして活動。

12/9
■堀内護(ミュージシャン)東京
9日、胃がんのため死去、65歳。
70年日高富明、大野真澄とフォークグループ「ガロ」結成。「学生街の喫茶店」が大ヒット、73年紅白歌合戦に出場。マークの愛称で親しまれた。76年解散。07年ソロのライブ活動を再開。
12/2
■小笠原豊樹(詩人・作家・翻訳家岩田宏)北海道倶知安村
2日、肺炎のため死去、82歳。
東京外国語大学ロシア語学科を中退。55年青木書店に入社。「詩学研究会」に投稿して詩人として出発。詩誌「今日」「鰐」同人。56年第一詩集「独裁」を上梓。66年「岩田宏詩集」で藤村記念歴程賞受賞。他の詩集に詩集「いやな唄」「頭脳の戦争」など。14年「岩田宏詩集成」を出版。本名の小笠原豊樹ではロシア語、英語、仏語の翻訳を手がけ、SF 作家J・ブラッドベリの翻訳なども行った。06年アンリ・トロワイヤ「石、紙、鋏」などの翻訳で日仏翻訳文学賞、 14年評論「マヤコフスキー事件」で読売文学賞を受賞。
12/1
■菅原文太(元俳優)仙台
1日、転移性肝癌による肝不全のため東京都内の病院で死去、81歳。07年膀胱癌を患い体調を崩していた。
早稲田大学第二法学部を中退。劇団四季に1期生として入団。57年岡田眞澄ら8人で日本初の男性専門モデルクラブ「ソサエティ・オブ・スタイル」を設立、ファッションモデルとして活動。58年新東宝にスカウトされ、「白線秘密地帯」で映画俳優として本格デ ビュー。吉田輝雄、高宮敬二、寺島達夫ら二枚目俳優たちと「ハンサムタワーズ」と呼ばれた。61年新東宝が倒産、松竹に移籍。 67年東映に移籍。73年広島を舞台に暴力団同士の抗争を描いた「仁義なき戦い」、 75年公開の「トラック野郎・御意見無用」に主演。ともにシリーズ化され国民的な人気を得る。92年長男加織とビデオシネマ「ビッグ・ボス」で初共演するも、 01年踏切事故で死去。以降は公の場にでることを嫌うようになった。12年俳優引退を宣言。山梨県で農業を営んでいた。父は洋画家の狭間二郎。
11/30
■呉清源(棋士)中国福建省
30日、老衰のため神奈川県小田原市の病院で死去、100歳。
福建高等学堂を卒業。囲碁の才能を認められ28年14歳で来日、瀬越憲作名誉九段に入門。33年木谷実五段(当時)と盤面中央への展開速度を重視した「新布石」を発表、現代囲碁に大きな影響を与えた。50年九段に推挙。戦前から戦後にかけ、1人と10局を打つ「十番碁」でトップ棋士延べ10人と対 戦、すべて勝利した。58年と61年の2度日本最強戦で優勝。84年引退。「昭和の棋聖」とも称され、木谷實とともに「新布石」の創始者としても知られる。日本棋院名誉客員棋士。門下に林海峰名誉天元らがいる。36年一度は日本に帰化したが、戦後は中国籍に戻される。79年再び帰化した。
11/23
■中島啓江(オペラ歌手)鹿児島県
23日、呼吸不全のため東京都内の病院で、 57歳。
昭和音楽短期大学声楽科を卒業。79年藤原歌劇団に入団。「修道女アンジェリカ」でオペラ歌手デビュー。 85年「マック・ザ・ナイフ」でミュージカルに初出演。85年ミュージカル「アイ・ガット・マーマン」でマーマン役を演じる。ほか4オクターブの歌唱力と演技力でミュージカルにも多数出演。86年「天高くオペラ肥ゆる秋」で初ソロコンサート。タレントとしてバラエティー番組やCMに出演した。
11/24
■石川フミヤス(漫画家)京都市南区
24日、死去、77歳。
6年「復讐の鬼」でデビュー。その後は貸本漫画誌「影」「街」などで活動、主に劇画漫画を執筆。59年さいとう・たかを、桜井昌一、辰巳ヨシヒロらと漫画家グループ「劇画工房」を結成。兎月書房の貸本漫画誌「摩天楼」の編集、同人誌「劇画界」の刊行なども行ったが、60年解散。60年「さいとう・プロダクション」設立とともにスタッフとなる。「ゴルゴ13」「鬼平犯科帳」などのさいとう・たかを作品の構図・作画を担当。63年「青春の息吹」シリーズを発表、8巻まで刊行された。
11/22
■ルイス・ボルツ(米写真家)カリフォルニア州ニューポート・ビーチ
22日、長い闘病生活の末死去、79歳。
69年サンフランシスコ・アート・インスティテュートを卒業。71年クレアモント大学院を修了。70年代初頭より作家活動を開始。75年最初の写真集「ニュー・インダストリアル・パークス――カリフォルニア州アーバイン近郊」を出版。同年「ニュー・トポグラフィックス」展の出品作家に選出。80年「パーク・シティ」、86年「サン・クエンティン・ポイント」、88年「キャンドルスティック・ポイント」と3部作を発表。「ニュー・トポグラフィクス」の旗手として、風景写真に新たな地平を切り開いた。その後作風を一変させ、92年住民監視システムのモニター画像を中心に構成された「夜警」を発表。95年疑惑の殺人事件を主題にした「ニューポート・ビーチの死」を発表。
11/19
■ジョニー大倉(俳優、ロックカー)神奈川県川崎市
19日、肺炎のため東京都内の病院で死去、 62歳
川崎市立川崎高等学校中退。1971年に矢沢永吉らと4人組バンド「キャロル」を結成し、ギターと作詞を担当。ミッキー・カーチスのプロデュースでデビュー。「ルイジアンナ」「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒット曲を生み出した。75年キャロル解散。その後、ソロシンガーなどで音楽活動を続けた。81年映画「遠雷」で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。80年代以降個性派の俳優としてヤクザ映画のオリジナルビデオ作品などに出演。
11/19
■マイク・ニコルズ(米映画監督)ドイツ・ベルリン
19日、死因や亡くなった場所は明らかになっていない。死去。83歳。
39年7歳の時にナチス政権から逃れるため家族と渡米。シカゴ医科大学を中退。俳優としてオフ・ブロードウェイやテレビに出演。演出を担当し、63年「裸足で散歩」のブロードウェイ公演からさまざまな賞を受賞66年「バージニア・ウルフなんかこわくない」で映画監督としてデビュー。。87年「卒業」でアカデミー賞監督賞を授賞。ほかにも、トニー賞(演劇)、エミー賞(テレビ)、グラミー賞(音楽)すべてで受賞経験がある一人だった。
11/19
■伊藤八十八(ジャズプロデューサー)が19日
19日、死去、68歳。
レコード会社の日本フォノグラム(現・ユニバーサルミュージック)、CBSソニー(現ソニーミュージック)で渡辺貞夫、ケイコ・ リーらを手がけたほか、独自のレーベル「エイティ・エイツ」で海外の演奏家の作品制作にも力を注いだ。早稲田大学の仲間だったタモリのアルバムもプロデュースした。1946 年岐阜県生まれ。早稲田大学在学中、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブに在籍、その頃からJAZZに傾倒する。大学卒業後、入 社した日本フォノグラムにて洋楽ポピュラー編成部に8年間所属し、 ポール・モーリア、ニュー・シーカーズ、スコット・ウォーカーなどの ポピュラー・アーティストを担当。また、イースト・ウィンド・レーベ ルを設立し、ザ・グレート・ジャズ・トリオ、渡辺貞夫、日野晧正らのプロデュースを手掛ける他、ジョー・サンプルなどのアルバム「ザ・スリー」では、ダイレクト・カッティングを行うなど、オーディオ・ファイルな作品を多数世に送り出す。1978年にCBS/SONYへ入社。当初は洋楽企画制作部に所属し、マイルス・デイビス、ハービー・ ハンコック、ウェザー・リポートといったJAZZ系のアーティスト、一方ではザ・スクエア、マリーン、笠井紀美子等、国内のJAZZ/FUSION系アーティストのプロデュースを担当する。
11/18
■羽仁 未央(エッセイスト、メディアプロデューサー)東京都
18日、肝不全のため死去。50歳。
映画監督の羽仁進と女優の左幸子を両親に持ち、叔母は女優の左時枝。 祖父は歴史学者の羽仁五郎。曾祖母は自由学園創設者の羽仁もと子。小学校4年生の時に学校教育を否定し、話題になる。それ以後は学校に通わず、学校教育も受けず、家で教育を受ける。ホームスクーラーの先駆けとも言える存在。10代の頃からコラムや映画の批評、短編小説、エッセイ等を執筆し1987年から香港在住。1982年ナンセンスSFコメディ「ヘリウッド」で映画に出演。 2006年、荒戸映画事務所が製作した「ゲルマニウムの夜」(原作花村萬月、監督大森立嗣)にて、スーパーバイザーを務める。
11/10
■高倉健(映画俳優)年福岡県中間
10、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で日死去、83歳。
明治大学商学部商学科を卒業。55年東映ニューフェイス2期生として東映入社。56年映画「電光空手打ち」で主演デビュー。63年「人生劇場 飛車角」出演、64年から「日本侠客伝」シリーズ、65年から「網走番外地」シリーズ、「昭和残侠伝シリーズ」などに仁侠映画を中心に主演、人気を確立した。76年東映退社し、映画「君よ憤怒の河を渉れ」に主演。77年「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」の2作品に主演し、日本アカ デミー賞最優秀主演男優賞とブルーリボン賞主演男優賞をダブル受賞。 その後、81年「動乱」「遥かなる山の呼び声」、82年「駅 STATION」、00年「鉄道員」で計4度の日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞、計2度ブルーリボン賞主演男優賞を受賞した。米映画「ザ・ヤクザ」「ブラック・レイン」のほか、05年チャン・イーモウ監督の日中合作映画「単騎、千里を走る。」など海外作品にも出演した。
11/9
■田宮五郎(俳優)東京都
9日、12年都内の自宅で蜘蛛膜下出血で倒れ入院、3カ月後に退院しリハビリにあたっていたが死去、47歳。
東京農業大学農学部畜産学科を卒業。造園業やコック、大工ほか多くの職業を経験したのち、06年39歳のとき「田宮英晃」としてドラマ「人生はフルコース」で俳優デビュー。 同年NHK大河ドラマ「功名が辻」に黒田長政役で出演した。その後、現在の芸名に改名した。闘病を支えたのは、07年から交際していた女優浅野ゆう子。父は78年猟銃自殺した俳優の田宮二郎。
11/7
■徳大寺有恒(自動車評論家)東京
7日、急性硬膜下血腫のため東京都内の病院で死去、74歳。
水戸育ち。成城大学経済学部を卒業。60年代初頭にトヨタ自動車のワークス・チームの専属レーシングドライバーとして契約。レース引退後に自動車用品会社「レーシングメイト」設立、69年倒産。ファッション雑誌「チェックメイト」のライターをへて、自動車評論家 に転身。76年徳大寺有恒の筆名で「間違いだらけのクルマ選び- 良いクルマを買うための57章+全車種徹底批評」を出版、77万部のベストセラーとなる。その後、毎年版を重ね販売上位にランク インした。
11/5
■マニタス・デ・プラタ(フラメンコギタリスト)南仏セート
、仏南部モンペリエの老人ホームで死去、93歳。
アルル地方を中心にジプシーキャラバンで育つ。パブロ・ピカソやダリと親交をもつ。63年アルルの教会でジプシー仲間20人ほどと2晩かけて録音したアルバムが世界的な話題になる。
65年NYカーネギー・ホールで3日間の公演と1日の追加公演を行う。
11/3
■桂小金治(落語家、タレント)東京都杉並区
3日、肺炎のため川崎市麻生区の病院で死去、88歳。
帝京商業学校(現:帝京大学高等学校)卒業。陸軍少年戦車兵学校在校中に終戦。47年2代目桂小文治に入門。49年二つ目昇進、「小金治」を名乗る。52年役者に転じ、映画やTVドラマ、バラエティ番組に数多く出演、ワイドショーの司会者としても活動。
10/26
■赤瀬川原平(前衛美術家、作家)横浜市
26日、敗血症のため東京都町田市の病院で死去、77歳。
武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)油絵学科中退。58年読売アンデパンダン展に初出品。以後、64年同展終了まで出品を続ける。60年「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」に参加。62年ポスターカラーで描いた絵画「破壊の曲率」でシェル美術賞に入選。63年高松次郎・中西夏之とともにハイレッド・センター(3名の頭文字により命名)を結成し、「首都圏清掃整理促進運動」などのパフォーマンスを行う。千円札を200倍に拡大模写した作品を発表、さらに「千円札の表だけを一色で印刷」したものに手を加え作品とし発表。65年これが通貨及証券模造取締法違反に問われ、起訴される。70年有罪確定。
79年尾辻克彦のペンネームで「肌ざわり」を執筆、中央公論新人賞を受賞。80年短編「父が消えた」を発表、81年芥川賞を受賞。83年「雪野」で野間文芸新人賞を受賞。「超芸術トマソン」という概念のもとに街や路上を観察、「路上観察学会」を創設。87年「東京路上探険記」で講談社エッセイ賞を受賞。93年「仙人の桜、俗人の桜」でJTB旅行文学大賞を受賞。兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。
10/25
■ジャック・ブルース( 英ミュージシャン)英スコットランド・イースト・ダンバートンシャイア生まれ。
25日、英スコットランドのサフォークの自宅で死去、71歳。
王立スコットランド音楽演劇アカデミーでチェロと作曲を学ぶ。ジャズ演奏を禁じられたため17歳で退学。66年エリック・クラプトンらとクリームを結成し、ボーカルやベースなどを担当、作曲も手がける。68年解散、アルバム総売り上げは約3500万枚。69年ピート・ブラウンとともにファースト・アルバム「ソングス・ フォー・ア・テイラー」をリリース。その後も多くのミュージシャンとの共演するなど、ベーシストとしてソロ活動を展開した。
■ルネ・ブリ(スイス人写真家)年チューリッヒ
20日、癌のためスイスのチューリヒで死去、81歳。
写真を学んだのち、ライカを手に世界を回る。59年マグナム・フォトのメンバーとなる。代表作には、葉巻をくわえるチェ・ゲバラ、フィデル・カストロ、建築家のル・コルビュジエ、ジャコメッティ、ピカソらポートレート写真がある。パリを拠点に活動した。12年コム デ ギャルソンの「DMアーティスト」にも 選ばれている。
10/17
■中川安奈(女優)杉並区
17日、子宮体癌で闘病中だったが死去、49歳。
桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科を卒業。88年日中合作映画「敦煌」でヒロインの王女役としてデビュー、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。91年映画「ゴジラvsキングギドラ」でもヒロインを演じる。91年舞台「バタフライはフリー」に初主演、92年同作品の演出家・栗山民也と結婚。その後は舞台を中心に活動、「現代能楽集3『鵺/NUE』」や「スラブ・ボーイズ」などに出演した。画家の中川一政、演出家の千田是也を両祖父に持つ。
10/16
■ティム・ハウザー(米歌手Tim Hauser)米ニューヨーク州トロイ
16日死去、72歳。
ヴィラノヴァ大学を卒業。72年ジャズ・コーラス・グループ「マンハッタン・トランスファー」リーダーとして結成。79年「トワイライト・ゾーン」、80年「バードランド」、81年「ボーイ・フロム・ニューヨーク・シティ」が世界中で大ヒット。「バードランド」などでグラミー賞を受賞、80年代を代表する音楽グループとなった。

10/16
■藤井裕(ベーシスト)広島県呉
16日、食道がんのため死去、62歳。
大阪府育ち。73年上田正樹とサウストゥサウス結成、76年解散。78年石田長生らとGASを結成。86年上京。92年金子マリとMAMAを結成。96年忌野清志郎 Little Screaming Revueに参加、有山じゅんじや高橋ロジャー和久とTE-CHILIを結成。このほか多くのバンドで活動。07年忌野清志郎プロデュースの初ソロアルバム「フジーユー」をリリースした。
10/5
■大山勝美(テレビプロデューサー、演出家)中国奉天(現:瀋陽)
5日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去、82歳。
旧満州で幼時を過ごし、その後鹿児島県で育つ。早稲田大学法学部を卒業。57年東京放送(TBS)に入社。ドラマ「岸辺のアルバム」「ムー」「ふぞろいの林檎たち」などの制作に携わる。92年定年退職。制作会社カズモを設立し、社長となる。ドラマ「蔵」「長崎ぶらぶら節」などを制作した。著書に「テレビの時間」など。妻は女優の渡辺美佐子。
9/26
■香川伸行(元プロ野球選手)島県阿波市
26日、心筋梗塞のため福岡県内の自宅で倒れているところを家族が発見し、救急搬送されたが死去、52歳。
大阪・浪商高(現大体大浪商高)の捕手として牛島和彦(元:横浜監督)とバッテリーを組み、79年春夏甲子園に出場。春は準優勝、夏は4強入りに貢献。同年ドラフト2位指名でプロ野球南海に入団。83年ベストナインに選出。「ドカベン」の愛称で親しまれた。南海が福岡ダイエーホークスに変わった89年戦力外通告を受け、27歳で現役引退。02年福岡市博多区中洲で居酒屋開店、福岡県粕屋町で野球学校を開校。 その後、急性腎不全のため閉店。
9/20
■土井たか子(元衆院議長、元社会党委員長)神戸市
20日、肺炎のため兵庫県内の病院で死去。85歳。
京都大学法学部に合格するも、49年同志社大学法学部3年に編入学。憲法学者・田畑忍に師事。56年同志社大学大学院法学研究科を卒業。58-70年同志社大学、63-69年関西学院大学、67-69年聖和女子大学(現:聖和大学)で講師を務める。専攻は憲法学。69年旧社会党から衆院旧兵庫3区に出馬して初当選、衆院議員を12期務めた。86年女性初の党首として、社会党の第10代委員長(党首)に就任。リクルート事件や消費税が争点となった89年参院選で「おたかさんブーム」を起こし、自民党を上回る46議席を獲得。与野党逆転で「山が動いた」の名セリフを生んだ。93年細川連立政権の発足、女性として憲政史上初の衆院議長に就任した。96年衆議院解散により議長退任。03年党首辞任。
9/20
■ジョルジュ・シュルイツァー(George Sluizerオランダの映画プロデューサー、映画監督、脚本家映画)フランス、パリ
20日、アムステルダムで死去、82歳。 1932年6月25日-2014年9月20日
フランス国立高等映画学院で学ぶ。80年代初めまでドキュメンタリーを中心に活動。その後、サスペンス映画などを監督、88年「ザ・バニシング―消失―」がヒットした。93年同作品のハリウッド版リメーク作「失踪 妄想は究極の凶器」を監督した。リバー・フェニックス主演「ダーク・ブラッド」を制作中の93年フェニックスの急死で中断。12年同作を完成させた。 
フィルモグラフィ
72.Joan en het me(監督・脚本 第22回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品)、79.トゥワイス・ア・ウーマン(監督・脚本・製作)、85. Red Desert Penitentiary(監督・脚本・製作)、88. ザ・バニシング-消失-(監督・脚本・製作・編集)、92. マイセン幻影(監督 第42回ベルリン国際映画祭コンペティション出品)、93.失踪 妄想は究極の凶器-『ザ・バニシング-消失-』のリメイク(監督)、96.クライムタイム(監督・製作総指揮)、96. Mortinho por Chegar a Casa(監督・脚本・製作)、98. The Commissioner(監督・脚本 第48回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品)、02. 石の筏に乗って(監督・脚本・製作)、12. ダーク・ブラッド(監督 1993年に一時製作中断し、2012年に完成 第32回オランダ映画祭(英語版)出品)
9/16
■若秩父(大相撲関脇)埼玉県秩父市
16日、肝不全のため東京都内の病院で死去、75歳。
秩父農工高等学校を中退、54年花籠部屋に入門し、夏場所に初土俵をふむ。56年初場所で新十両となる。同年秋場所19歳で新入幕。「秩父の怪童」の異名をとり、同時昇進した富樫(のち横綱柏戸)や豊ノ海とともに「ハイティーントリオ」と呼ばれた。63年名古屋場所で関脇昇進。 68年九州場所で引退。敢闘賞2回、金星3個。年寄関ノ戸、常盤山として日本相撲協会監事も務めた。04年定年退職。
9/6
■山口洋子(作家、作詞家)名古屋市
6日、呼吸不全のため東京都内の病院で死去、77歳。
京都女子高校中退後、東映の第4期ニューフェースに合格。56年19歳で東京・銀座にクラブ「姫」を開店。そのかたわら作詞を始め、70年代に五木ひろし「夜空」「よこはま・たそがれ」、 中条きよし「うそ」など作曲家の平尾昌晃とのコンビで多くのヒット曲を生んだ。ほかに、石原裕次郎「ブランデーグラス」、98年日本作詩大賞を受賞した山川豊「アメリカ橋」などがある。80年小説「情人(アマン)」でデビュー。84年「プライベート・ ライブ」で吉川英治文学新人賞、85年「演歌の虫」「老梅」で直木賞を受賞した。
8/30
■稲葉真弓(作家・詩人、日本大学教授)愛知県
30日、膵臓がんのため東京都内の病院で死去、64歳。
愛知県立津島高校を卒業。編集プロダクションに勤務しながら、同人誌「作家」に作品を発表。73年「蒼い影の痛みを」で女流新人賞を受賞、80年「ホテル・ザンビア」で作品賞を受賞。90年「琥珀の町」で芥川賞候補、92年「エンドレス・ワルツ」で女流文学賞、95年「声の娼婦」で平林たい子文学賞、08年短篇小説「海松」で川端康成文学賞、10年短篇集「海松」で芸術選奨文部科学大臣賞、 11年「半島へ」で谷崎潤一郎賞を受賞した。80年代後半から90年代初頭にかけて倉田悠子の名で「くりいむレモン」などのノベライズやファンタジー小説も執筆した。
8/29
■龍虎(大相撲元小結、タレント)東京都大田区
29日、循環器疾患のため静岡県掛川市内の病院で死去、73歳。同県内を家族と旅行中に、野外で不調を訴え、救急搬送された。
57年初場所に鈴木山のしこ名で初土俵。改名を重ね、66年夏場所から龍虎とする。68年春場所に新入幕。70年春場所で小結。怪我で一度転落するが、75年初場所で小結復帰。同年夏場所に右アキレスけん断裂で現役引退。引退後は年寄放駒を襲名するも、77年日本相撲協会を退職。タレントに転向し、ラジオやテレビのほか、映画「嗚呼!!花の応援団」シリーズなどに出演した。
8/26
■米倉 斉加年(俳優・演出家・絵本作家・絵師)福岡県福岡市
26日、腹部大動脈瘤破裂で倒れ、福岡市内の病院に入院が虚しく死去、80歳。
西南学院大学文学部英文科在学中に演劇に目覚め、大学を中退して1957年に劇団民藝(劇団民藝水品演劇研究所)入団。宇野重吉に師事し、劇団民藝の演出作品に数多く出演、共演。俳優としてだけでなく演出家としても活躍、 2000年退団。第1回、第23回紀伊国屋演劇賞、第11回「新劇」演技賞。著書『おとなになれなかった弟たちに…』は、中学1年生の国語教科書(光村図書)に採用されている(挿絵も本人によるもの)。
絵師としては、ボローニャ国際児童図書展にて、1976年『魔法おしえます』で、1977年『多毛留』で、2年連続グラフィック大賞を受賞。この展覧会で大賞を2年連続で受賞したのは彼が初めてである。
8/26
■曾根中生(映画監督)群馬兼渋川市
26日、肺炎のため大分県臼杵市の病院で死去。76歳。
東北大学文学部を卒業。 62年日活に入社。鈴木清順の助監督として活動。脚本家集団「具流八郎」の一員として「殺しの烙印」などを手がける。71年ロマンポルノ「色暦女浮世絵師」で監督デビュー。その後、 「(秘)女郎市場」「わたしのSEX白書 絶頂度」「天使の はらわた 赤い教室」「新宿乱れ街 いくまで待って」などを手がける。ロマンポルノ以外の監督作品に「嗚呼!! 花の応援団「シーズを
8/24
リチャード・アッテンボロー 映画監督、映画プロデューサー、俳優イギリス,ケンブリッジ
24 日、死去、90歳
英BBCによると、近年は妻とともに老人ホームで暮らしていたが、6年前に階段から落ちてからは車椅子生活だった。
2004年のスマトラ沖大震災と津波で、タイで休暇中の長女や孫娘ら親族3人を亡くした。英キャメロン首相は24日、ツイッターで「映画界の巨匠だった」と、その死を悼んだ。
ロンドン王立演劇学校卒、1942年俳優デビューし『大脱走』などの脇役で知られ、1960年代監督業・プロデュース業もはじめ、1982年監督『ガンジー』はアカデミー監督賞受賞。
1967年大英帝国勲章授与。1976年ナイトの称号を授与。1993年一代貴族に選出。2002年10月、英国映画協会内に創設された「チャップリン研究財団」の初代総裁就任。動物学者のデイビッド・アッテンボローは実弟。ロンドン王立演劇学校卒、1942年俳優デビューし『大脱走』などの脇役で知られ、1960年代監督業・プロデュース業もはじめ、1982年監督『ガンジー』はアカデミー監督賞受賞。1967年大英帝国勲章授与。1976年ナイトの称号を授与。1993年一代貴族に選出。2002年10月、英国映画協会内に創設された「チャップリン研究財団」の初代総裁就任。動物学者のデイビッド・アッテンボローは実弟。
■元関脇金剛(で前二所ノ関親方)北海道雨竜郡一已村(現:北海道深川市)
12日死去、65歳。
163年二所ノ関部屋に入門。64大吉沢の四股名で初土俵。70年新入幕。75年名古屋場所で平幕優勝。75年幕内最高優勝。「北の湖キラー」と呼ばれ、通算で5勝を挙げている。76年27歳で現役引退、二所ノ関部屋を継ぐ。その後、相撲協会の理事も2期務めた。
8/12
■ローレン・バコール(米女優)ニューヨーク・ブロンクス
12日、死去、89歳。
イスラエル大統領シモン・ペレスとはいとこ同士。10代でモデルをしながら米演劇芸術アカデミーで演技を学ぶ。特徴となるハスキーボイスはトレーニングを受けて声を低くし44年ハワード・ホークス監督「脱出」で映画デビュー。その後、映画「三つ数えろ」「キー・ラーゴ」「百万長者と結婚する方法」「情熱の狂想曲」などに出演。96年「マンハッタン・ラプソディ」でゴールデングローブ賞 助演女優賞を受賞、アカデミー助演女優賞にノミネート。09年アカデミー名誉賞を受ける。私生活では45年映画「脱出」で共演した俳優ハンフリー・ボガートと結婚、57年ボガートが癌で死去。61年俳優ジェイソン・ロバーズと再婚、69年離婚。79年発刊の自伝「ローレン・ バコール/私一人」はベスト・セラーになった。
8/11
■ロビン・ウィリアムズ(米俳優)イリノイ州シカゴ
11日、カリフォルニア州の自宅で死去、63歳。自殺とみられる。最近は重度の鬱状態だったといわれる。
父はフォード社重役。、マリン大学、ジュリアード音楽院で演劇を学ぶ。スタンディング・コメディアンをへて、58年からTVシリーズ「モーク・アンド・ミンディ」に出演。その後、映画「ポパイ」 「ガープの世界」 「グッドモーニング, ベトナム」 「いまを生きる」 「ミセス・ダウト」 「アンドリューNDR114」 などに主演。「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」では米アカデミー賞助演男優賞を受賞した。私生活では70-80年代にかけアルコール依存症を患っていた。
7/28
■ジェームズ繁田(日系米国人俳優)年米ハワイ州オアフ島ホノルル
28日、ロサンゼルスで死去、81歳。
ニューヨーク大学で英語を学ぶ。スター発掘番組で優勝し、奨学金を得て声楽を学ぶ。ラスベガスのナイトクラブで歌手としてキャリアをスタート。朝鮮戦争時は海兵隊として従軍。50年代後半に来日し歌手として活動。NHK紅白歌合戦に2度出場した。59年サミュエル・フラー監督「クリムゾン・キモノ」でス映画デビュー。60年ゴールデン・グローブ賞有望若手男優賞を受賞。 ミュージカル映画「フラワー・ドラム・ソング」では主役を務めた。 76年映画「ミッドウェイ」では南雲忠一中将を演じた。89年公開の 「ダイ・ハード」でナカトミ商事のジョセフ・タカギ社長を演じた。 00年北の武監督「BROTHER」にも出演した。
7/19
■ジェームズ・ガーナー(米俳優)オクラホマ州ノーマン
19日、ロサンゼルスの自宅で死去、86歳。
57年放映開始のTVシリーズ「マーベリック」に出演、人気を博す。その後、「大脱走」「グラン・プリ」をはじめ、「スリルのすべて」「プレイボーイ」「セパレート・ベッド」「恋するパリジェンヌ」」墓石と決闘」など幅広い作品に主演。「マーフィーのロマンス」でアカデミー賞主演男優賞候補、その他の作品で3度のゴールデングローブ賞、2度のエミー賞主演男優賞を受賞。05年米映画俳優組合から生涯功労賞を受ける。
7/16
■ジョニー・ウィンター(米ブルースギタリスト)テキサス州ボーモント
16日、スイス・チューリヒのホテルで死去、70歳。
62年弟エドガーと初のバンド、ジョニー・アンド・ザ・ジャマーズを結成。68年トミー・シャノン(ベース)、アンクル・ジョン・ターナー(ドラムス)らを迎え、デビュー・アルバム「The Progressive Blues Experiment」 をリリース。69年CBSからアルバム「Johnny Winter」をリリースした。高額な契約金から「100万ドルのギタリスト」の異名を持つ。69年ウッドストック音楽祭に出演。B・Bキングやエリック・クラプトンと共演するなど、ブルースの代表的なギタリストの一人として知られた
7/14
■深田祐介(作家)年東京都
14日、肺炎のため死去、82歳。
早稲田大学法学部を卒業。日本航空に入社。 58年小説「あざやかなひとびと」で文學界新人賞を受賞。ロンドン支店駐在時代の体験を基に、76年「新西洋事情」を出版し大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。フィリピンを舞台に日本人商社マを描き、 82年「炎熱商人」で直木賞を受賞した。83年退社、執筆活動に専念、経済小説を中心に作品を発表。87年「新東洋事情」で文藝春秋読者賞を受賞。堀ちえみ主演でTVドラマ化された「スチュワーデス物語」の原作も出版。
7/12
■副島輝人(ジャズ評論家)東京
12日、胃癌のため死去、83歳。
旧制成城高校文科甲類(現:成城大学英文学科)を卒業。51年映画批評の同人誌「シネ・エッセイ」を発行。66年ジャズ批評同人誌「OUR JAZZ」を発行。68年「ジャズ批評」誌にフリージャズを論ずる執筆を始める。著書に「日本フリージャズ史」「世界フリージャズ記」など。日本のフリージャズを国内外に紹介した。

7/11
■トミー・ラモーン(米パンクバンドドラマー)ハンガリー、ブダペスト
で11日、ニューヨークの自宅死去、62歳。胆管癌で終末期ケアを受けていた。
ニューヨーク州フォレストヒルズ育ち。74年ボーカルのジョーイ・ラモーン、ギターのジョニー・ラモーン、ベースのディー・ディー・ラモーンと「ラモーンズ」 結成、70年代後半のパンクシーンに大きな影響を与えた。初期3作(「ラモーンズの激情」「リーヴ・ホーム」「ロケット・トゥ・ロシア」)のアルバムにドラマーとして参加、78年脱退。その後もプロデューサーとしてバンドに携わった。
7/11
■チャーリー・ヘイデン(Charles Edward "Charlie" Haden米ジャズ奏者で作曲家の)アイオワ州シェナンドア
11日、ロサンゼルスで死去、76歳。闘病生活が続いていた。
音楽家の家庭に育ち、幼少期から音楽を始めた。59年オーネット・コールマンのカルテットに参加。67年キース・ジャレット・アメリカン・カルテットに参加。 67年カーラ・ブレイらとリベレーション・ミュージック・オーケストラを結成。87年アラン・ブロードベントらとチャーリー・ヘイデン・カルテット・ウエストを結成。00年パット・メセニーとの共作アルバム「ミズーリの空高く」でグラ ミー賞最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・グループを受賞。13年グラミー賞生涯功労賞を授与。

6/27
■斎藤晴彦(俳優)東京都
27日、自宅付近で倒れ東京都内の病院で死去、73歳。
早稲田大学を卒業。小劇団「劇団青俳」「発見の会」の団員をへて、69年「演劇センター68/69」(後の 「黒テント」)に入団する。舞台公演を中心に俳優活動を続ける。81年TV番組「ロボット8ちゃん」のバラバラマン役で TVデビュー。80年代中頃のKDD(現:KDDI)のCM内でクラシック の楽曲の替え歌を披露して注目を集める。86年から2年間「11PM」のメイン司会を努めた。
6/27
■ボビー・ウーマック(米ソウル歌手 Bobby Womack )オハイオ州クリーブランド
27日、 死去、70歳。
50年代に兄弟で「ウーマック・ブラザーズ」結成、音楽活動を開始。62年シングル「ルッキン・フォー・ア・ラヴ」がヒット。64年ローリング・ストーンズなどにカバーされたシングル「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」が全英1位のヒットを記録。72年シングル「ウーマンズ・ガッタ・ハヴ・イット」は、ビルボード誌のR&Bチャートで1位を獲得。作曲のほか、ギタリストとしても活動。09年ロックの殿堂入り。

6/26
■アナ・マリア・マトゥテ(スペインの作家)バルセロナ
26日、 スペイン・バルセロナで死去、88歳。
48年小説「アベル家の人々」で作家デビュー。53年「北西の祭典」、54年「人形芝居」などを発表。10年スペイン語圏の最も権威ある文学賞「セルバンテス賞」を受賞。幻想的な作風で知られ、スペイン王立アカデミーの会員でもある。ほかに、カフェ・ヒホン賞やプラネタ賞、ナダル賞など数々の賞を獲得した。代表作は「アベル家の人々」「兵士たちは夜に泣く」など。
6/18
■ホレス・シルヴァー(米ジャズピアニスト Horace Silve)コネチカット州ノーウォーク
18日、ニューヨーク州ニューロシェルの自宅で死去、85歳。
49年からプロ活動開始。50年代前半に自己のトリオにドラマーのアート・ブレイキーらを加えたセッションを録音。同時期にクリフォード・ブラウンを含めたカルテットでアルバム「A Night at Birdland」を録音。56年ブレイキーから離れ、自己のハード・ バップ・クインテットを結成。ブルー・ノート・レコードでアルバム「Song For My Father」などを録音。日本への印象を描いたアルバム「The Tokyo Blues」もリリース。50-60年代にハードバップの流れを主導した。

6/15
■ダニエル・キイス(作家)ニューヨーク州ブルックリン
15日、フロリダ州で死去、86歳。
ブルックリンカレッジを卒業。雑誌編集者、コミック原作者、ファッションフォトグラファーなどをへて、小説家デビュー。59年中編「アルジャーノンに花束を」を発表、66年長編化。69年「まごころを君に」として映画化。他の小説に「五番目のサリー」など。81年解離性同一性障害を主題にしたノンフィクション「24人のビリー・ミリガン」を発表した。66年からオハイオ大学で英文学・創作を教える。00年名誉教授になる。
6/4
■林隆三(俳優)東京都新宿区
4日、腎不全のため東京都内の病院で死去、70歳。
61年立教高校(現:立教新座高校)を中退。63年俳優座の俳優養成所に入所、66年卒業。「三期会(現:東京演劇アンサンブル)」をへて、端役でテレビドラマに出演。70年木下恵介・人間の歌シリーズ「俄」に初主演。その後、平賀源内の青春時代を描いたNHK「天下御免:に出演する。74年藤田敏八監督の映画「妹」で秋吉久美子と共演。77年「竹山ひとり旅」に主演。その後、TVドラマ「森村誠一シリーズ」「噂の刑事トミーとマツ」「夢千代日記」、映画「時雨の記」「郡上一揆」などに出演している。
6/4
■ドン・ジマー(米大リーグ元選手・元監督)オハイオ州シンシナティ
4日、米フロリダ州の病院で死去、83歳。
49年からマイナーリーグでプレーを開始、54年からブルックリン・ドジャースやシカゴ・カブスなどで内野手としてプレー。メジャー12年間で打率2割3分5厘、91本塁打、352打点。ワールドシリーズに2度出場した。現役最後の66年来日し、東映でプレーした。現役引退後の72年パドレスの監督に就任。89年カブスを地区優勝に導き、年間最優秀監督に選ばれた。ヤンキースではベンチコーチとして4度のワールドシリーズ制覇を経験。90年日米野球でメジャーリーグ選抜の監督も務めた。その後レイズのシニアアドバイザーを務めた。ニックネームは"Popeye"(ポパイ)
6/1
■外山ひとみ(写真家、作家)静岡県富士市
1日、昨年8月から急性骨髄性白血病で闘病中だったが、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去、55歳。
高校時代に写真コンテストで2年続けて市長賞を受賞。20歳で写真集「家」を出版、フリーランスに。20年以上にわたり各地の刑務所を取材し、女子刑務所を描いたルポルタージュなどを発表。94年にヴェトナム南北1万 キロをカブで縦断、05年にも再び辿り、現地でもすでに写真展を4回開催。ベトナムの女性たちを撮影した「Women of Vietnam」は世界で最も大きな写真集として、08年ギネスブックに登録された。
5/18
■元大関魁傑(日本相撲協会前理事長)山口県岩国市
18日、元放駒親方の西森輝門、東京都内のゴルフ練習場で倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。66歳。
山口県立下関中央工業高校では柔道部主将を務め、特待生として日本大学に進学。1年で中退し花籠部屋に入門、66年初土俵。74年九州場所で北の湖との決定戦を制して初優勝。75年初場所後に大関に昇進するも、二場所連続で負け越し、大関から陥落。75年初場所後に大関に昇進。1度は平幕まで陥落したが、77年初場所後、2度目の大関に昇進。 79年初場所限りで現役を引退、放駒親方として横綱大乃国を育てた。通算成績:521勝410敗 勝率.560。審判部長、巡業部長などの要職を務め、10年8月野球賭博問題で辞任した武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)の後、理事長に就任。 11年2月八百長問題が発覚すると、春場所開催を中止するなどして解決に奔走。公益財団法人化に向けては、年寄名跡改革などにも取り組んだ。
4/30
■渡辺淳一(作家)北海道砂川町(現:上砂川町)
30日、前立腺癌のため東京都内の自宅で死去、80歳。
58年札幌医科大学医学部を卒業。同大学で整形外科講師として勤務。68年札幌医科大学で行われた日本初の心臓移植手術「和田移植」をテーマに「小説・心臓移植」(のち「白い宴」に改題)を執筆。これがきっかけで大学を退職、文筆活動に専念。70年明治時代の西南戦争で負傷した2人の軍人の人生を描いた小説「光と影」で直木賞を受賞。95年不倫関係を描いた「失楽園」がベストセラーになり、映画化やTVドラマ化された。ほかに79年「冬季落日」「長崎ロシア遊女館」で吉川英治文学賞、83年「静寂の声 ― 乃木希典夫人の生涯」で文藝春秋読者賞を受賞。近年は中国で「言情大師」(叙情の巨匠)と称され、人気作家となっている。
4/30
■葛井欣士郎(映画プロデューサー)三重県
30日、呼吸不全のため死去、 88歳。
早稲田大学を卒業、映画の世界に入る。61年日本アート・シアター・ギルド(ATG)創設に参加。 62年ATGの映画を上映する映画館「アートシアター新宿」設立にともない総支配人となる。63年同館で前衛演劇の上演も開始。 67年映画館地下にアングラ小劇場「蝎座」を設立。美輪明宏、蜷川幸雄の劇場デビューの場ともなった。一方、映画・演劇のプロデュースを行い、大島渚監督「儀式」、市川崑「股旅」、寺山修司監監督督「田園に死す」など多くの前衛的な映画・ 演劇を送り出した。
4/30
■九條今日子(寺山修司元妻、演劇・映画プロデューサー)東京・麻布
30日、肝硬変による食道静脈瘤破裂のため自宅で死去。 78歳。
三輪田学園卒業後、松竹音楽舞踊学校を経て、九条映子の名でSKD(松竹歌劇団)の舞台にデビュー。その後、松竹映画に移り、野村芳太郎監督の映画『黄色いさくらんぼ』(1960年)などに出演した。 1963年に寺山修司と結婚、1967年「天井桟敷」を創立。寺山とは1970年に離婚後も寺山仕事をサポート、1982年の最終公演「レミング:壁抜け男」まで全舞台の製作を担当。 寺山監督『田園に死す』(1974年)、『さらば箱舟』 (1982年)などの映画でもプロデューサーを務めた。1983年寺山が死んだ後は寺山作品の著作権管理を行い、1997年に完成した三沢市寺山修司記念館の設立。全国各地で講演を行ったほか、「回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで」「ムッシュウ・寺山修司」など著書がある。株式会社テラヤマ・ワールド共同代表取締役。三沢市寺山修司記念館名誉館長。三沢市観光大使。
4/29
■作曲家の松岡直也(ピアニスト)横浜市
29日前立腺癌のため神奈川県川崎市の病院で死去、76歳。
15歳で「パン猪狩とマーキス・トリオ」のピアニストとしてプロデビュ−。翌年自身のバンド「松岡直也カルテット」を率いライブを中心に活動を開始。61年「アーティストリー・サウンド」を結成し、ショーの音楽プロデュースと編曲を手掛ける。72年「太陽がくれた季節」の編曲を担当、 79年ホーン・セクションを加えた大規模編成による「松岡直也&ウィシング」 を結成。85年日本レコード大賞を受賞した中森明菜「ミ・アモーレ」の作・編 曲、報道番組「ニュースステーション」のテーマ曲などを手掛けた。日本のラテンフュージョンの草分け的存在として、ジャズから歌謡曲まで幅広 い分野で活動した。
4/29
ボブ・ホスキンス(英俳優)イギリス・サフォーク
29日、肺炎のため病院で死去、71歳。
15歳で学校中退、英語教師やサーカスなどの仕事を経験。69年俳優として本格的に活動を始める。86年映画「モナリザ」でカンヌ国際映画祭男優賞、ゴールデングローブ賞ドラマ映画主演男優賞などを受賞、アカデミー賞主演男優賞にノミネート。88年映画「ロジャー・ラビット」に出演。93年「スーパーマリオ」でマリオ役を務めた。このほか85年「未来世紀ブラジル」、06年「パリ、ジュテーム」などに出演。12年パーキンソン病のため俳優を引退。
■神戸一郎(元歌手)
27日、前立腺癌のため東京都世田谷区の自宅で死去、75歳。
レコード会社主催の歌謡コンクールでの優勝をきっかけに、57年に「十代の恋よさようなら」でデビュー。紅白歌合戦にも出場、代表作に吉永小百合さんが主演した映画「青い山脈」の主題歌などがある。俳優としても活躍し、映画「嵐を呼ぶ楽団」などに出演した。
4/17
■ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケス(コロンビアの作家)
17日、肺の感染症などで3月31日に入院、その後自宅療養していたが、メキシコ市内の自宅で死去、87歳。
1927年(28年の説も)コロンビアのアラカタカ生まれ。47年ボゴタ大学法学科に入学。48年ボゴタ暴動により学校閉鎖、カルタヘナの大学に移るが中退。 54年エル・スペクタドル紙記者としてボゴタへ戻る。 55年ローマに移り映画評論を各一方で、「映画実験センター」映画監督コースで学ぶ。55年「落葉」出版。59年キューバに国営通信社「プレンサ・ラティーナ」のボゴタ支局編集長となるが、間もなく辞職。61年メキシコに渡り映画製作に携わるかたわら、「大佐に手紙は来ない」を発表。62年「悪い時」「ママ・グランデの葬儀」を発表。 67年「百年の孤独」、75年「族長の秋」、81年「予告された殺人の記録」を発表。82年ノーベル文学賞を受賞、ラテンアメリカでは4番目。97年メキシコに移住。04年10年ぶりに「わが悲しき娼婦たちの思い出」を出版する。
4/6
■ミッキー・ルーニー(米俳優・歌手)ニューヨーク州ブルックリン
6日、老衰のためロサンゼルス郊外の自宅で死去、93歳。
幼少時からボードヴィル・ショーに出演。両親の離婚でカリフォルニア州ハリウッドに移り、4歳で映画デビュー。ジュディ・ガーランドとのコンビで人気を得る。39年アカデミー賞特別賞を受賞。戦時中の軍隊生活をへて、61年オードリー・ヘプバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」などに脇役として出演、数回にわたりアカデミー助演男優賞にノミネート。83年映画界への貢献によりアカデミー賞名誉賞を受賞した。他の出演作に「おかしなおかしなおかしな世界」「ザッツ・エンターテインメント」など。
3/30
■蟹江敬三(俳優)東京都江戸川
30日、胃癌のため東京都内の病院で死去、 69歳。
都立新宿高校を卒業。劇団青俳をへて、68年演出家蜷川幸雄らと「現代人劇場」、72年「櫻社」を旗揚げする。その後、70年代には刑事ドラマの凶悪犯など、猟奇的な悪役としての映画、舞台で活躍。屈指のバイプレーヤーでも知られる。主な出演作は、NHK「君の名は」「ひまわり」ほか、フジテレビ『沙粧妙子』、映画「卓球温泉」「精霊流し」「MAZE」など。
3/28
■森禮子(作家)福岡市
28日、膵臓癌のため福岡県志免町の病院で死去、85歳。
福岡県立福岡高等女学校(現;県立福岡中央高校)を卒業。47年西南学院バプテスト教会で受浸。49年まで西南学院大学図書館に勤務。50年第3期九州文学に参加し、処女作「レエヌのある風景」を発表。27歳で上京し「文芸首都「に入る。57年小説「鎮魂曲」が「婦人朝日」懸賞小説に入選。80年「モッキングバードのいる町」で芥川賞を受賞。09年福岡市文学賞を受賞。他の著作に「神女」「キリシタン史の謎を歩く」など。
3/28
■山本俊彦(ミュージシャ)大阪市
28日、死去、67歳。
1947年生まれ。70年デビューし、フォークグループ「赤い鳥」で活動。解散後の74年妻で同メンバーだった山本潤子、大川茂とコーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」を結成。「フィーリング」が大ヒットし、77年紅白歌合戦に出場。荒井由実作詞・作曲「卒業写真」「冷たい雨」などもヒットした。94年解散後、音楽プロデューサーとして活動していた。
3/26
■松本典子(女優)東京都
26日、間質性肺炎のため死去、47歳。
劇団俳優座養成所(8期)を卒業。59年劇団民藝に入団。60年代から1970年代にドラマや映画で出演。。76年夫で劇作家の清水邦夫らと演劇企画グループ「木冬社」を結成。主演女優として数多くの清水作品に出演した。79・84年に紀伊國屋演劇賞、87年芸術選奨文部大臣賞を受賞。
3/27
■朝倉摂(舞台美術家)東京市下谷区(現:東京都台東区)
27日、蜘蛛膜下出血のため東京都稲城市の病院で死去、91歳。
画家の伊東深水に師事、日本画を学ぶ。41年新文展に「小憩」が初入選するも、 42年から新美術人協会に参加。戦後は創造美術に参加。70年米ニューヨークのロックフェラー財団で舞台美術を学ぶ。53年上村松園賞、80年テアトロ演劇賞、86年芸術祭賞、91年紀伊國屋演劇賞、95年読売演劇大賞優秀スタッフ大賞など受賞多数。06年文化功労者に選出される。小説や絵本の挿絵も手がけ、72年講談社出版文化賞絵本賞を受賞。
3/19
■外山滋(バイオリニスト)東京
22日、直腸癌のため死去、78歳。
アレクサンドル・モギレフスキーに師事。54年18歳で世界最年少のコンサートマスターとしてNHK交響楽団に入る。60年ABC交響楽団の7カ国公演において独奏者として参加。80年・84年にパガニーニ国際コンクー ル審査員としてイタリア・ジェノバに招かれる。05年アートユニオンより初めてのソロCDアルバムをリリース。東京藝術大学音楽学部講師、桐朋学園大学講師、日本指揮者協会会員、徳島文理大学音楽学部長を歴任。
3/21
■ジェームズ・レブホーン(俳優)フィラデルフィ
21日、皮膚癌のためニュージャージー州の自宅で死去、65歳。
インディアナ州で幼少期を過ごす。70年ウィッテンバーグ大学を卒業、その後コロンビア大学で修士号取得。映画「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」「インデペンデンス・デイ」「リプリー」などに出演。このほかTVドラマ「ホワイトカラー」シリーズ、「LAW & ORDER ロー&オーダー」シリーズなどにゲスト出演した。
3/19
■安西水丸(イラストレーター、作家)年東京都港区赤坂
19日、脳出血のため神奈川県鎌倉市の病院で執筆中に倒れ、搬送先の病院で亡くなった。71歳。
45年喘息を患い、千葉県千倉町(現;南房総市千倉町)に転居。日本大学藝術学部美術学科造形コースを卒業。電通にアートディレクター(AD)として就職。退社後、 渡米。ニューヨークのデザインスタジオに就職。帰国後、平凡社のADとなり、その後イラストレーターに転向。81年安西水丸事務所を設立。05年東京イラストレーターズ・ソサエティ理事長に就任。87年出版の「青インクの東京地図」以降、エッセイや小説も発表。代表作に「メランコリー・ララバイ」「バードの妹」「マリリス」など。
3/16
■藤田傳(劇作家、劇団1980主宰)台湾・台北
で16日、肺癌のため東京都中野区の病院死去、81歳。
今村昌平のもと助監督として多数の作品に関わる。80年日本映画学校の卒業生を中心に「劇団1980」を旗揚げ、主宰。「行路死亡人考」で紀伊國屋演劇賞を受賞。他の作品に「黒念仏殺人事件」など。永六輔の著書を基にした映画「大往生」の脚本・監督も担当した
3/15
■安西マリア(歌手)東京
15日、急性心筋梗塞のため死去、60歳。
都内の高校を卒業後、銀座のクラブ「徳大寺」で働いているところをスカウトされる。73年エミー・ジャクソンのカバー曲「涙の太陽」で歌手デビュー。同年日本レコード大賞新人賞を受賞。78年事務所とのトラブルが発生し裁判となり、引退。ハワイへ移住。00年頃に音楽活動を再開、06年アルバム「MARIA〜ケ・セラ・セラ・サマー」 を発売した。
3/14
■宇津井健(俳優)東京市深川
14日、慢性呼吸不全のため名古屋市の病院で死去、82歳。
早稲田大学第一文学部演劇専修を中退。俳優座をへて、新東宝に入社。新東宝倒産後、大映に移った。映画「スーパージャイアンツ」シリーズやTVドラマ「東京警備指令 ザ・ガードマン」「新幹線大爆破」「さすらい刑事旅情編」、山口百恵主演の「赤い」シリーズなどに出演した。学生時代は馬術部に所属、以来乗馬歴は60年に及ぶ。
3/12
■大西巨人(作家)福岡
12日、肺炎のためさいたま市中央区の自宅で死去、97歳。
39年九州帝国大法学部を中退。毎日新聞西部支社に入社、校閲部などで勤務。42年長崎県対馬要塞の重砲兵連隊に入隊、敗戦を迎える。46年毎日新聞を退社。福岡高校の同級生であった宮崎宣久とともに綜合雑誌「文化展望」を創刊。その後上京し、50年代前半に新日本文学会の事務局に勤務。入隊体験が下敷きにした代表作「神聖喜劇」は、55年の雑誌連載開始から25年かけて原稿用紙4700枚を書き上げた。 06年漫画化され、話題となる。他の長編小説に「三位一体の神話」「深淵」など。
3/5
■矢入一男(ヤイリギター社長)名古屋
5日、多臓器不全のため岐阜県多治見市の病院で死去、81歳。
45年東濃高校を卒業。51年父親が経営する矢入楽器製作所に入社。62年渡米し本格的なアコースティックギター製作技術を学ぶ。65年社名をヤイリギターに改称。70年同社社長に就任。元ビートルズのポール・マッカートニーや桑田佳祐らのミュージシャンにギターを提供、世界的ギターブランドに育て上げる。05年厚生労働省の「現代の名工」に選ばれた。
3/3
■安井昌二(俳優)東京
3日、急性心不全のため千葉県内の自宅で死去、85歳。
49年長谷川一夫主宰の新演技座に入団。55年「月は上りぬ」で映画デビュー、56年市川崑監督「ビルマの竪琴」で水島上等兵を演じた。TVドラマでは「銭形平次捕物控」「チャコちゃん」シリーズなどに出演。63年から劇団新派の公演に参加、68年正式に新派へ入団。「滝の白糸」「婦系図」「日本橋」などで好評を博す。
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■ビル・ロビンソン(元プロレスラー)英マンチェスタ
3日、米アーカンソー州で死去、75歳。
54年15歳でビリー・ライレー・ジムに入門。ヨーロピアン・トーナメント優勝をへて、19歳でプロレスデビュー。67年ブリティッシュ・ヘビー級王座獲得。68年国際プロレスに初来日、外国人エースとなる。その後は新日本プロレスや全日本プロレスのリングにも上がり、アントニオ猪木やジャイアント馬場らと対戦した。ダブルアーム・スープレックスを必殺技としたことから“人間風車”の異名をとった。69年北米マットに進出、北米ヘビー級王座を獲得。69年キラー・ カール・コックスからIWA世界ヘビー級王座を奪取した。引退後、東京・高円寺のUWFスネークピットジャパンのコーチとして来日。08年まで指導にあたった。
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■アラン・レネ(仏映画監督)フランス・ヴァンヌ
1日、パリで死去、91歳。
フランスの高等映画学院(IDHEC)で学ぶ。卒業後に短編映画を撮り始め、48年「ヴァン・ゴッホ」でアカデミー短編映画賞を受賞。52年短編ドキュメンタリー「夜と霧」で世界的注目を集める。 59年マルグリット・デュラス原作でエマニュエル・リバ、岡田英次主演の日仏合作映画「二十四時間の情事」で長編デビュー。40〜50年代を中心に短編作を数多く発表、ヌーヴェル・ヴァーグの左岸派として知られた。61年アラン・ロブ=グリエが脚本の映画「去年マリエンバートで」でべネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。その後93年「スモーキング/ノースモーキング」、97年「恋するシャンソン」 などを発表、09年カンヌ国際映画祭で生涯功労賞を受賞。14年「Aimer, boire et chanter」がベルリン国際映画祭でコンペティション部門に選出され、アル フレッド・バウアー賞を受賞した。
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■まど・みちお(詩人)山口県徳山町(現:周南市)
28日、老衰のため東京都稲城市で死去、104歳。
9歳で台湾に転居、 台北工業学校土木科を卒業。台湾総督府道路港湾課に勤務。34年絵本雑誌「コドモノクニ」で童謡2編が北原白秋選で特選。戦後、幼児雑誌「チャイルドブック」の創刊にかかわった。51年国民図書刊行会(現;チャイルド本社)勤務時に 「ぞうさん」を書く。團伊玖磨が作曲し、52年NHKKで初放送、全国に広まった。ほかに「一ねんせいに なったら」「ふしぎな ポケット」なども作詞した。59年に出版社を退社。詩・童謡・絵画に専念する。詩集「てんぷらぴりぴり」で野間児童文芸賞、ほかに小学館文学賞などを受賞。94年日本人として初めて国際アンデルセン賞作家賞を受賞した。
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■山本文郎(元TBSアナウンサー)東京市小石川区(現:文京区小石川)
26日、肺胞出血のため死去、 79歳。
早稲田大学第一文学 部国文学科を卒業。57年アナウンサーとしてラジオ東京に入社(のちテレビに異動)。音楽・演芸番組を中心に活動。76年報道番組「テレポートTBS6」キャスターとなり、11年務める。 87年ワイドショー「モーニングEye」司会となり、9年間務 めた。94年定年退職、フリーアナウンサーとして活動を始める。「新語・流行語大賞」などの司会も務めた。
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■パコ・デ・ルシア(ギタリスト)スペインのアンダルシア州アルヘシラス
で26日、心臓発作のため滞在先のメキシコ死去、66歳。
ロマの血を引く父親にギターを習う。12歳で兄ペペ・デ・ルシアとのデュオで初レコーディング。 67年初リーダー・アルバム「La Fabulosa Guitarra De Paco De Luc誕」を発表。67年カマロン・デ・ラ・イスラとの 初の共演アルバムを発表。77年アル・ディ・メオラのアルバム「エレガント・ ジプシー」に参加、ジャズやフュージョンに進出。

2/13
■山本兼一(作家)京都市
13日、原発性左上葉肺腺がんのため京都市内の病院で死去、57歳。
同志社大学文学部文化学科を卒業。出版社や編集プロダクション勤務をへて、作家になる。04年織田信長の安土城を築いた棟梁を描く「火天の城」で松本清張賞を受賞。
09年「利休にたずねよ」で直木賞受賞。他の作品に「千両花嫁」「花鳥の夢」「雷神の筒」など。
2/12
■シド・シーザー(米コメディアン)ニューヨーク州ヨンカーズ
12日、カリフォルニア州の自宅で死去、91歳。
39年高校を卒業、ニューヨークに移る。ミュージシャンをへて、スタンダップコメディに転じる。戦後ブロードウェイにデビュー、TVビなどにも出演。 46年「Tars and Spars」で映画デビュー。エミー賞を2度受賞、ノミネート8回。出演映画に63年「おかしなおかしなおかしな世界」、74年 「エアポート'75」、75年「キャノンボール2」など。
2/10
■山本邦山(尺八奏者、人間国宝)大津市
10日、東京都板橋区の病院で死去、76歳。
中山蝶山に師事。58年京都外国語短期大学英語科を卒業。独奏や箏、三弦との合奏など伝統的な邦楽演奏・作曲活動を行う。67年米国ジャズ祭に出演。その後もジャズやクラシックなど異分野との共演に取り組み、「尺八ルネサンス」ブームの立役者になった。79年 「悪魔が来りて笛を吹く」をはじめ映画音楽も多数手がける。93年東京芸術大学教授に就任。75年芸術選奨文部大臣賞、87年文化庁芸術作品賞、02年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、11年芸術院賞を受賞。 このほか受賞多数。
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■マイコン・ペレイラ・デ・オリベイラ(ブラジルのサッカー選手)リオデジャネイロ
8日、交通事故によりウクライナ・ドネツィクで死去、25歳。
05年フルミネンセFCのユースに入る。09年ウクライナのFCヴォリン・ルーツィク移籍。11年ルーマニアのステアウア・ブカレストにレンタル移籍。11-12シーズンにヴォリン・ルーツィクに戻り、24試合で14得点を記録、得点王を獲得した。12年夏にFCシャフタール・ドネツクに3年契約で移籍が決定、FCゾリャ・ルハンシクに半年間レンタル移籍した。
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■フィリップ・シーモア・ホフマン(米俳優)ニューヨーク州ロチェスター
2日、ニューヨーク・マンハッタンの自宅アパートで遺体で発見された。死因は薬物の過剰摂取によるとみらる。46歳。
ニューヨーク大学のティッシュ芸術学校で演技を学ぶ。90年代初め「LAW & ORDER」などTV番組に出演。91年「Triple Bogey on a Par FiveHole」』で映画デビュー。92年公開「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」で注目された。 その後、スパイク・リー、コーエン兄弟などの監督作品に出演している。映画制作会社クーパーズ・タウン・プロダクションを設立。05年公開「カポーティ」でトルーマン・カポーティを演じ、アカデミー主演男優賞やゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)などを受賞した。07年「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」』と08年「ダウト-あるカトリック学校で-」でアカデミー助演男優賞にノミネート。012年「ザ・マスター」でヴェネツィア国際映画祭男優賞をホアキン・フェニックスと共同受賞した。
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■オーストリアの俳優・映画監督のマクシミリアン・シェル(Maximilian

Schell)、オーストリアのインスブルックで1日死去、83

歳。

 

1930年オーストリアのウィーン生まれ、スイス育ち。58年公開

「若き獅子たち」でハリウッドに進出。61年公開「ニュールンベ

ルグ裁判」でアカデミー主演男優賞とゴールデングローブ賞主演男優賞

(ドラマ部門)を受賞した。

 

そのほか74年「オデッサ・ファイル、77年「戦争のはらわ

た」などに出演。


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■坂崎一彦(元プロ野球・巨人選手)大阪府
28日、胃癌のため大阪府豊中市の病院で死去、76歳。
55年浪華商業高校(現:大阪体育大学浪商高校)で春の甲子園優勝。56年巨人に入団。59年天覧試合に5番右翼で先発出場、4番長嶋茂雄選手と連続本塁打を放った。65年東映に移籍、67年限りで現役引退。通算成績は1207試合出場、打率2割4分9厘、74本塁打、387打点。

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■塚田正昭(声優・俳優)神奈川県川崎
27日、横浜市の自宅で死去、74歳。
アニメ「BLEACH」の山本元柳斎重國役、「おじゃる丸」の小林茶役などで知られる。妻は声優・女優の野沢雅子。
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■ピート・シーガー(米フォーク歌手)ニューヨーク
27日、ニューヨーク市の病院で死去、94歳。
ハーバード大学の教養課程ハーバード・カレッジを中退。40年代からラジオなどで音楽活動を始め、「天使のハンマー」「ターン・ターン・ターン」などを作曲。代表曲「花はどこへ行った」は、ベトナム戦争に抗議するフォークソングとして広まった。賛美歌「ウィ・シャル・オーバーカム(勝利を我らに)」を、60年代公民権運動を象徴する歌として歌った。ボブ・ディランやジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリー、ブルース・スプリングスティーンらに影響を与え、20世紀半ばのフォーク・リバイバル運動の中心人物の一人とされる。共産党に在籍したことで、50年代半ばから約10年間、米国のラジオやテレビから締め出された。その後も公民権運動や反戦運動のほか、ハドソン川の浄化などの環境問題にも取り組んだ。
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■坂東眞砂子(作家)高知県佐川町
27日、高知県内の病院で死去、55歳。
奈良女子大学家政学部住居学科を卒業。イタリアから帰国後はフリーライターを経て、児童向けファンタジー小説で作家としてデビュー。83年毎日童話新人賞優秀賞。93年発表のホラー小説「死国」が話題になり、映画化もされる。97年「山妣」で直木賞を受賞。ほかに「桜雨」(島清恋愛文学賞)、「曼荼羅道」(柴田錬三郎賞)など。イタリア、タヒチなど海外に長く暮らし、近年はバヌアツで執筆活動を続けていた。
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■永井一郎(声優)大阪府池田市
27日、広島市のホテルの浴室で倒れているのを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。82歳。
京都大学文学部仏文科を卒業。電通に勤務しながら、俳優養成所に通う。劇団三期会に参加。69年「サザエさん」の放送開始から磯野波平の声を担当してきた。「ゲゲゲの鬼太郎」の子泣き爺、「YAWARA!」の猪熊滋悟郎など、多くのアニメや映画で声優を務めた。ほかTBS情報番組「ニュースキャスター」でナレーションを担当。09年声優アワード功労賞を受賞。
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■小林カツ代(料理研究家)
23日、多臓器不全のため死去、76歳。
帝塚山学院短期大学を卒業。主婦だったが、TV出演で料理を披露したのが切っ掛けで料理研究家としての活動を開始。94年TV番組「料理の鉄人」に出演、鉄人・陳建一に勝利した。NHK番組「きょうの料理」などに出演、料理教室を主宰。著書多数。神楽坂女声合唱団創設者、団長でもある。05年蜘蛛膜下出血を発症、入院療養を続けていた。

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■三遊亭右紋(落語家)東京都
で23日、胃癌のため東京都小平市の病院死去、65歳。
明治学院大学を卒業。大手アパレル企業勤務をへて、72年三代目三遊亭円右に入門。76年二つ目となり、 87年真打ち昇進。新作落語を得意とした。
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■加藤精三(声優)東京
17日、膀胱癌のため東京都板橋区の病院で死去、 86歳。
青山学院大学を卒業。56年劇団日芸を結成。 その後、綜芸プロ、俳優企画などを経て、68年俳協へ移籍。「巨人の星」の星一徹をはじめ、「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー」「トランスフォーマー2010」のメガトロン/ガルバトロンなどの声を担当]。映画「東京ゴッドファーザーズ」にも出演。特撮作品ではウルトラシリーズのメフィラス星人の声を担当、「仮面ライダーBLACK RX」ではジャーク将軍を演じた。
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■佐久間正英(音楽プロデューサー)広島県
16日、13年4月スキルス胃癌と診断され闘病生活を送っていたが死去、61歳。
和光大学人文学部人間関係学科を卒業。バンド「ミスタッチ」を経て、ロックバンド「四人囃子」でベースを担当後、作曲家・編曲家・セッションミュージシャンとして活動。78年テクノポップ「プラスチックス」に参加、81年に脱退。84年ブイ・エフ・ブイスタジオを設立。99年ケイト・ピアソン(B-52's)、YUKI(JUDY AND MARY)らと「NiNa」を結成、シングル「ハッピー・トゥモロー」をリリース。01年ビビアン・スー、土屋昌巳、ミック・カーン、屋敷豪太と「The d.e.p」を結成、アルバム「地球的病気」を発売。03年早川義夫と「Ces Chiens」を結成。08年若菜拓馬、星山哲也、砂山淳一、佐久間音哉らと「unsuspected monogram」として活動開始。
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■高橋昌也(俳優、演出家)東京
16日、呼吸不全のため死去、83歳。
53年劇団俳優座の舞台「襤褸と宝石」の主役で初舞台。54年劇団新人会設立に参加。61年文学座に入団、63年芥川比呂志や岸田今日子らと文学座を脱退し、現代演劇協会・劇団雲結成に参加。75年演劇集団円に参加。舞台「動物園物語」ほか、TVや映画に出演。70年代後半から演出家としての活動。87年銀座セゾン劇場芸術総監督に就任、99年閉館まで務めた。 96年から黒柳徹子主演「海外コメディーシリーズ」の多くを演出。 96年「幸せの背くらべ」で読売演劇大賞演出家賞を受賞。05年「透光の樹」で日本映画批評家大賞助演男優賞。ほかに映画「ディア・ドクター」「メゾン・ド・ヒミコ」などにも出演 した。
1/16
■小野田寛郎(元陸軍少尉「小野田自然塾」理事長)歌山県亀川村(現:海南市)
16日、心不全のため東京都内の病院で死去、81歳。
旧制海南中学を卒業・貿易会社「田島洋行」に入社し、中華民国の漢口支店勤務となり中国語を習得。42年徴兵。44年久留米第一陸軍予備士官学校を卒業、陸軍中野学校で学ぶ。44年フィリピン・ルバング島に着任。45年敗戦後も任務解除の命令が届かなかったため、ほか3人の兵士とともに戦闘を継続。ジャングルで冒険家の男性に会ったことをきっかけに、74年30年ぶりに帰国。75年ブラジルに移住。牧場を経営する。一方、84年から日本でキャンプを通して青少年の育成を図る「自然塾」の活動を開始。 89年財団を設立、理事長に就任。福島県塙町にキャンプ場を開き、経験を生かして野外活動の指導に当たった。
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■淡路恵子(女優)東京・品川
11日、食道癌のため東京都港区の病院で死去、80歳。
東京府立第八高等女学校(現:都立八潮高校)に入学。在学中の48年松竹歌劇団に入団、女学校中退。 49年国際劇場「東京踊り」で初舞台。同年黒沢明監督の映画「野良犬」に出演。年には松竹と契約し、小林正樹監督「まごころ」など多くの松竹映画に出演。主演ドラマ「この世の花」が大ヒット、完結編まで全10部作となった。54年マーク・ロブスン監督映画「トコリの橋」 に出演。57年「太夫さんより・女体は哀しく」と「下町」でブルーリボン賞助演女優賞を受賞。60年代東宝“駅前シリーズ”や“社長シリーズ”のレギュラー出演など数多くの映画に出演した。66年中村錦之助(のち萬屋錦之介)と結婚し女優引退するも、87年に離婚。
1/9
■マドリン・ギンズ(米詩人)ニューヨーク
9日、米ニューヨークの病院で肝臓癌などで闘病生活を送っていたが、死去、72歳。
62年バーナード・カレッジを卒業。 美術家の荒川修作の妻。62年ころから荒川と共同で活動しはじめる。70年ヴェネツィア・ ビエンナーレで共作「意味のメカニズム」を発表、世界的に高い評価を得た。岐阜県養老町のテーマパーク「養老天命反転地」や現代美術作品を2人で手がけた。
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■今井重幸(舞台演出家、作曲家)東京都
4日、食道癌のため東京都文京区の病院で死去、81歳。
東京音楽学校(現:東京藝術大学)選科で学ぶ。作曲家の伊福部昭、エドガー・ヴァレーズに師事、53年NHKテレビ開局にともない、影絵・人形劇の制作スタッフとして参加、「蜘蛛の糸」「杜子春」「走れメロス」などの劇伴音楽を作曲。これをきっかけにTVや舞台の音楽などを作曲。舞踏家の長嶺ヤス子の舞台演出などを手がけ、土方巽やパントマイムのヨネヤマママコを育てたことでも知られる。 
阿佐ヶ谷スタジオアルスノーヴァ座主であり、バーランボーの常連、亡くなった店主堀さんを偲ぶ会の会場にアルスノーヴァを提供してくれた、阿佐ヶ谷の仲間の大先輩。合掌

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■やしきたかじん(歌手タレント)大阪市西成区
13年食道癌の治療に伴う休養から1年2カ月ぶりに復帰したが、その後再び体調不良のため休養していたが、3日死去、64歳。
桃山学院大学経済学部中退、桃山学院大学経済学部中退。大学時代から歌手活動を始め、71年「娼婦和子」でレコードデビューするも発売禁止。76年シングル「ゆめいらんかね」、アルバム「TAKAJIN」で再デビュー。84年「あんた」、86年「やっぱ好きやねん」などヒット曲を放つ。93年「東京」が約60万枚の自己最高のヒット、94年全日本有線放送大賞「特別賞」「読売テレビ最優秀賞」を受賞。一方で、関西の民放テレビで司会者として活動。主な出演番組に「たかじん胸いっぱい」「たかじんのそこまで言って委員会」「たかじんNOマネー」など。大阪を明るくする目的で設立されたボランティア団体「OSAKAあかるクラブ」の呼びかけ人代表も務めた。