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2011    ★2012  ★2013  ★2014   ★2015  ★2016
2017

1999年から2017年に【地球号を降りた あの人この人、気になる人々
50音順

2018年度


12/19
■石橋雅史(俳優、空手家)台湾花蓮港街
19日 、心不全のため死去、85歳。
福岡県飯塚市へ転居。日本大芸学術学部を卒業。在学中、空手部のキャプテンを務める。同時に大山道場(極真会館の前身)で、大山倍達の代わりに師範代を務める。大学卒業後、俳優の道へ進む。70年「野獣都市」で映画初出演。 74年千葉真一主演「激突!殺人拳」など殺人拳シリーズに敵役として出演。「水戸黄門」などの時代劇シリーズ、「ジャッカー電撃隊」などの特撮スーパー戦隊シリーズでの悪役としても知られた。日本空手道 剛柔会顧問、剛柔会八段・極真会館七段。
12/6
■ホセ・カスティーヨ (プロ野球選手、元横浜ベイスタ)ベネズエラ・ミランダ州カラカス
6日、交通事故により死亡ベネズエラで死去、37歳。
97年アマチュアFAでピッツバーグ・パイレーツと契約。07年フロリダ・マーリンズにFA移籍。09年解雇され、台湾の統一セブンイレブン・ライオンズと契約10年来日し横浜ベイスターズに所属、打率.273、19本塁打、55打点の成績を残すが、自由契約となる。 11年メキシカンリーグでプレーしていたが、6月千葉ロッテマリーンズに入団。11-16年メキシカンリーグでプレー。17年イタリアンベースボールリーグのパルマ・ベースボールクラブ と契約。
11/29
■赤木春恵(女優)中華民国吉林省長春
29日、心不全のため東京都府中市の病> 院で死去、94歳。
33年帰国し京都に住む。40年女学校を卒業、松竹にニューフェイスとして入社。同年映画「二本松少年隊」でデビュー。芸名は赤木春生。43年大映へ移籍。47年東映プロデューサーの栄井賢と結婚。48年東映に移籍、59年森繁久彌主催の森繁劇団に参加するためにフリーとなる。74年「四季の家」の出演以降、橋田壽賀子や石井ふく子プロデュース作品に多数出演。79年から「3年B組金八先生」に校長役でレギュラー出演。90年から「渡る世間は鬼ばかり」にレギュラー出演。87年菊田一夫演劇賞、14年「ペコロスの母に会いに行く」で毎日映画コンクール・女優主演賞を受賞。
11/28
■勝谷誠彦(コラムニスト)兵庫県尼崎市
28日、8月に重症アルコール性肝炎で緊急入院、集中治療室での治療をへて10月に退院していたが、兵庫県尼崎市内で死去、57歳。
早稲田大学第一文学部を卒業。85年電通に入社するも数カ月で退職、文藝春秋に入社。「週刊文春」「文藝春秋」などの編集を担当。96年退社。フリー転身後、コラムニストとして活動。読売テレビ「そこまで言って委員会」、日本テレビ「スッキリ!!」など多数のテレビ、ラジオ番組に出演した。17年兵庫県知事選挙に立候補したが落選。
11/26
■ベルナルド・ベルトルッチ(伊映画監督)タリアのパルマ
26日、ローマで死去、77歳。
61年ローマ大学在学中にピエル・パオロ・パゾリーニ監督のデビュー作「アッカトーネ」の助監督を務める。62年ローマ大学を中退。同年パゾリーニ原案の長編」殺し」を発表し映画監督デビュー。64年2作目の自伝的映画「革命前夜」でカンヌ国際映画祭新評論家賞を受賞。70年「暗殺の森」で全米映画批評家協会賞監督賞を受賞。72年大胆な性描写で物議を醸した「ラストタンゴ・イン・パリ」がアカデミー賞監督賞にノミネート。87年清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を描いた「ラストエンペラー」でイタリア人では唯一人のアカデミー賞作品賞・監督賞などを受賞。世界的 な成功を収める。その後発表の「シェルタリング・スカイ」「トル・ブッダ」あわせ東洋三部作といわれる。11年カンヌ国際映画祭で名誉パルム・ドールを受賞。
11/25
■前田憲男(ジャズピアニスト、作曲家・編曲家)大阪府、
25日、肺炎のため東京都内の病院で死去、83歳。
大阪府立桜塚高校を卒業。プロのジャズピアニストとして活動を開始。ピアノ・指揮法とも独学で習得。55年上京し、さまざまなバンドに参加。東京フィルハーモニー交響楽団のポップス部門音楽監督として、編曲・指揮を担当。03年から大阪芸術大学音楽学科教授を務める。81年東京音楽祭「最優秀編曲賞」、83年レコード大賞「最優秀編曲賞」・ジャズ界の最高位に価する「南里文雄賞」、08年レコー ド大賞「功労賞」を受賞。15年岩谷時子賞・特別賞を受賞。

11/23
■ニコラス・ローグ(英映画監督、撮影監督)ロンドン
23日、死去、90歳。
映写技師として軍隊に所属。第2次世界大戦後、雑用係および編集の見習いとして映画業界に入る。「華氏451」「遥か群衆を離れて」「華やかな情事」などで撮影を担当。70年ドナルド・キャメルとの共同監督作品「パフォーマンス 青春の罠」で映画監督デビュー。76年デヴィッド・ボウイ主演「地球に落ちて来た男」を監督。他の監督作品に83年「錆びた黄金」、85年「マリリンとアインシュタイン」など。
11/14
■佐山 雅弘(ジャズピアニスト)兵庫県
14日午後0時10分、胃がんのため川崎市の自宅で死去、64歳。
国立音大在学中から活動を始め、トリオ編成で多数のアルバムを制作。ドラマーの村上秀一さんのバンド「ポンタ・ボックス」やフュージョンバンド「プリズム」にも参加し、ピアニストや作・編曲家としてさまざまなアーティストと共演した。7月に新トリオの初アルバム「ブリッジ」を発表したばかりだった。
.........................................
本人が生前に書き残した最後のメッセージが公式サイトで公開され、「ありがとう、さようなら」と別れが告げられている。
みなさま。佐山雅弘より
このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりませんが、長きに亘ってのお付き合いにお礼を言いたくて家人に託しました。加山雄三とタイガースが大好きな中学生。高度成長期大阪の衛星都市尼崎に親父が構えた小〜さな小売商を継ぐことに何の疑念も持たないごく普通(以下)の子供がジャズとの出会いで、楽しさこの上ない人生を送ってしまいました。まことに人生は出会いであります。「君の身体は君の食べたモノで出来ている」と言いますが、まったく同様に僕という者は僕が出会った人々で出来ているのだとしみじみ実感したことです。その出会いを皆様にあらためて感謝しつつ、今後益々の良き日日を祈りながらお別れをします。ありがとう、さようなら  2018年11月14日 佐山雅弘

11/13
■片山広明(ジャズ・サックス奏者)千葉県野田市
13日、肝臓がんのため死去。67歳
高校生の頃アルト・サックスを始め、後にテナー・サックスに転向。國學院大學を中退し、プロとして活動を始めた。1970年代後半、篠田昌已、梅津和時、早川岳晴らと共に生活向上委員会大管弦楽団で活動、2枚のアルバムを発表。また、1970年代末にはRCサクセションと交流を深め、以後、レコーディングやライブをサポート。1980年代は、梅津和時率いるD・U・Bで活動。ヨーロッパ公演も行った。1990年代に入ると、渋さ知らズで活動。初参加アルバムは2作目『DETTARAMEN』(1993年)で、以後、渋さ知らズにとって重要な存在となり、 2006年メジャー・デビュー

11/7
■フランシス・レイ(仏作曲家)フランス・ニース
7日、死去、86歳。
アコーディオン奏者から作曲家に転身。シャンソン歌手エディット・ピアフやイブ・モンタンに曲を提供。66年クロード・ルルーシュ監督「男と女」の主題歌を担当し、世界的に知られる。「愛と哀しみのボレロ」など多くの同監督作品に音楽を提供した。他の音楽提供作品に68年仏グルノーブル冬季五輪記録映画「白い恋人たち」、70年アカデミー作曲賞受賞「ある愛の詩」をはじめ、「パリのめぐり逢い」「雨の訪問者」など。
11/2
■レイモンド・チョウ(香港映画プロデューサー)香港
2日、死去、91歳。
49年中華民国上海市の聖ヨハネ大学(現:跡地に華東政法大学が建つ)を卒業。香港に戻る。英字新聞社「香港スタンダード」で記者として10年間務める。50年ショウ・ブラザーズに転職し、宣伝部長、製作本部長を歴任。70年独立して、ゴールデン・ハーベストを設立。ブルースリー主演「ドラゴン危機一発」「燃えよドラゴン」ほか、ジャッキー・チェン主演「プロジェクトA」など世界的大ヒット作を数多く手がけ、同社を香港最大の映画会社に発展させた。82年「キャノンボール」で、ハリウッドにも進出。70〜80年代の香港映画ブームの立役者となった。07年引退。
10/27
■角替 和枝(女優)静岡県富士市
27日、原発不明がんによる約1年間の闘病生活を経て、27日午前6時27分に東京都内の自宅で死去。 64歳
静岡県立吉原高等学校卒業。内田栄一と金子正次の劇団東京ザットマンの立ち上げに参加し、芝居を始めた後[2]、つかこうへい事務所に所属し、その後に東京乾電池に所属。『コメディー道中でござる』、NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』や『ハイカラさん』等に出演し認知度を上げていく、その後も名バイプレーヤーとして人気を博し数多くの作品に出演。かつてはキャラクターショーにも出演しており、『アルプスの少女ハイジ』ショーのペーター役が神業と評され、様々なショーにペーター役で呼ばれていた。016年よりシニア向けの演劇ワークショップ「和枝さんのお芝居入門」を主宰する。劇団東京乾電池所属。夫は俳優の柄本明、長男は俳優の柄本佑、次男は俳優の柄本時生。
10/18
■長部日出雄(作家)青森県弘前
18日、虚血性心不全のため死去、84歳。
53年早稲田大学文学部哲学科に入学、のち中退。57年「週刊読売」記者となる。その後退職し、雑誌「映画評論」編集者、映画評論家、ルポライターをへて、作家となる。73年「津軽じょんから節」「津軽世去れ節」で直木賞を受賞。79年「鬼が来た−棟方志功伝」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。86年「見知らぬ戦場」で新田次郎文学賞を受賞。89年映画「夢の祭り」原作・脚本・監督で製作。02年「桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝」で大佛次郎賞・第15回和辻哲郎文化賞を受賞。
10/20
■芦田淳(ファッションデザイナー)韓国・全州
20日、肺炎のため東京都内の自宅で死去、88歳。
太平洋戦争直前に日本に引き揚げ。51年東都高校(現:東京高校)を卒業。少女画家の中原淳一に師事。60年から高島屋と帝人の顧問デザイナーとなり、日本のプレタポルテを盛り立てた。64年から「ジュンアシダ」コレクションを発表。77年パリコレクションに初参加。89年現地の高級ブティック街に直営店を開く。ジュンアシダ代表取締役会長。皇太子妃時代の美智子皇后の専任デザイナーをつっとめたほか、皇族や著名人の衣装を手がけた。96年アトランタ五輪の日本選手団公式服や全日空、帝国ホテルの制服のデザインもおこなった。
10/19
■穂積隆信(俳優)静岡県大仁町
19日、胆嚢うがんのた神奈川県内の病院で死去、87歳。
静岡県立韮山高校を卒業。53年俳優座養成所を卒業。 脇役として映画やTVドラマに出演。主な出演作に映画「雪国」「愛と誠」「鬼畜」、ドラマ「飛び出せ!青春」「われら青春」など。 82年薬物など非行に走った1人娘由香里をモデルにした「積木くずし」を出版。280万部の大ベストセラーとなり、ドラマ、映画化もされるなど、社会現象を巻き起こした。娘は03年35歳で急逝。
10/15
■ジョー・スタンカ(元プロ野球投手)オクラホマ州ハーモン
15日、米 国テキサス州の自宅で死去、87歳。
オクラホマ農工大学(現:オクラホマ州立大学)をへて、50年ブルックリン・ドジャースと契約。59年シカゴ・ホワイトソックスでMLB初登板。60年南海(現:ソフトバンク)に入団。1.96mの長身からの速球が持ち味で、64年26勝を挙げシーズンMVP獲得。日本シリーズでも3完封勝利でチーム日本一に貢献。「赤鬼」の異名をとった。66年大洋(現:DeNA)に移籍し、同年退団。MLB通算2試合で1勝だったが、プロ野球では外国人投手初の通算100勝を挙げた。生涯防御率は3.03.
10/8
■輪島大士(元大相撲横綱)石川県七尾市
8日、13年12月に咽頭がんの手術を受け、発声が困難な状況になっていたが、東京都内の自宅で死去、70歳。
金沢高校をへて日本大学に進学。大学時代に2年連続で学生横綱となり、14個のタイトルを獲得した。日大卒業前の70年花籠部屋に入門。同年1月場所に幕下付出で初土俵。2場所連続で幕下全勝優勝し、当時の最短記録で十両入り。4場所の十両をへて、初土俵から1年で新入幕。72年大関昇進、4場所目の73年5月場所で全勝優勝し、第54代横綱になる。初土俵から3年半のスピード出世で、史上初の学士・本名横綱。その後、北の湖とともに輪湖時代を築いた。生涯戦歴673勝234敗85休(68場所)、幕内戦歴620勝213敗85休(62場所)、幕内最高優勝14回。81年3月場所中に引退。花籠部屋を継承するが、金銭問題などで85年12月に日本相撲協会を退職。86年全日本プロレスに入門し、プロレスラーに転身。天龍源一郎らと激戦を繰り広げたが、88年12月引退。
10/4
■古川卓巳(映画監督)東京都八王子市
4日、心不全のため東京都内の病院で死去、
101歳。
41年日本大学芸術科を卒業。日活多摩川撮影所で田坂具隆監督らの助監督を務める。徴兵されたのち、46年復員。大映東京撮影所助監督をへて、55年日活映画「地獄の用心棒」で監督デビュー。56年石原裕次郎のデビュー作「太陽の季節」の監督を務めた。「鬼平犯科帳」などのTVドラマも手掛けた。他の映画作品に「顔役」「逆光線」「人間魚雷出撃す」など。
10/2
■金田留広(元プロ野球ロッテ投手)名古屋市北区
2日死去、死去、71歳。
愛知学院大学1年生で7勝4敗の成績を残すが、中退。日通浦和をへて、69年ドラフト4位で東映フライヤーズに入団。兄は元プロ野球投手の金田正一。プロ4年目の72年20勝で最多勝獲得。74年兄が監督を務めるロッテに移籍、同年16勝で2度目タイトル獲得、リーグMVP。チームのリーグ制覇、日本一に貢献した。79年広島へ移籍し、82年現役引退。87年から2年間ロッテ2軍投手コーチを務めた。通算成績は434試合128勝109敗2セーブ、防御率3.25。
10/1
■シャルル・アズナヴール(仏シャンソン歌手)パリ
1日、フランス南東部の自宅で死去、94歳。
46年エディット・ピアフに認められ、フランスやアメリカでのツアーに同伴。代表作に「ラ・ボエーム」「「世界の果てに」」など。作曲家としても活動、これまでに1300曲以上を作曲した。俳優としても60本以上の映画に出演している。95年から母の祖国アルメニアの駐ユネスコ大使を務めている。
9/29
■オーティス・ラッシュ(米ブルース・ギタリスト)ミシシッピ州フィラデルフィア
29日、03年に脳卒中で倒れ、リハビリを行っていたが、脳卒中にともなう合併症のため死去、83歳。
8歳でギターを始める。10代でシカゴに移る。54年ごろからシカゴのクラブを拠点に活躍。56年「I Can't Quit You Baby」でデビュー。全米ビルボードR&Bチャート6位のヒットを記録した。「シカゴ・ブルース」と呼ばれる演奏スタイルを確立し、クラプトンやサンタナなど多くのロック・ミュージシャンにも影響を与えた
9*28
■渚ようこ(歌手)山形県白鷹町
28日、心不全のため東京都内の病院で死去。生年月日及び本名非公表
96年ザ・ヘアのあいさとうプロデュース「アルバム第一集」でデビュー。クレイジーケンバンドの横山剣プロデュースで「Yoko Elegance 渚ようこの華麗なる世界」、04年阿久悠の作品を集めた「渚ようこ meets 阿久悠 ふるえて眠る子守歌」を発表。音楽レーベル「Sound・Of・Elegance」を主宰。07年足立正生監督「幽閉者 テロリスト」に出演。08年若松孝二監督「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」の劇中歌を担当。 10年写真家・森山大道撮影「NAGISA」を発表。
9/27
■江波杏子(女優)渋谷区
9月27日、26日に体調不良を訴え、緊急入院していたが、肺気腫の急性増悪のため東京都内の病院で死去、76歳。
16歳で宝仙学園高等学校在学中の高校生だった59年、大映に入社。60年「明日から大人だ」でデビュー。66年「女の賭場」で出演本数58本目にして初の主役抜擢。シリーズ化され、「昇り竜のお銀」として親しまれた。73年「津軽じょんがら節」でキネマ旬報主演女優賞を獲得。ほか映画「悲愁物語」「ドグラ・マグラ」、ドラマ「Gメン'75」「ごくせん 第3シリーズ」などに出演。
9/18
■山本KID徳郁(総合格闘家、元レスリング選手)神奈川県川崎市
18日、癌のため死去、41歳。
幼少時からレスリング・フリースタイルで活動。桐蔭学園高を中退。レスリング修業のため渡米し、アリゾナ州王者を獲得するなど実績を残して帰国。山梨学院大学時代には全日本学生選手権大会58kg級 を制覇。2000年シドニー五輪出場をめざすが失敗。01年修斗でプロデビュー、最高位は世界ライト級ランク2位。さらに立ち技格闘技のK―1、総合のHERO’S、DREAMで活動を展開した。11年からUFCと契約。KRAZY BEE主宰。
父はミュンヘン五輪代表の山本郁栄、姉の美憂と妹の聖子はレスリング世界選手権王者。レスリング選手・総合格闘家の山本アーセンは甥。
9/15
■樹木希林(女優)。東京市神田区
15日、05年乳癌の摘出手術をうけ、13年全身のがんであることを明かしていたが、18年8月左大腿骨を骨折し入院中だった。東京都内の自宅で死去、75歳。
千代田女学園を卒業。61年文学座付属演劇研究所に入り、悠木千帆の名で女優活動をはじめる。64年森繁久彌主演「七人の孫」にレギュラー出演し、人気を得る。65年文学座正座員となるが、66年退団。77年TV番組のオークションコーナーで、「売る物がない」との理由で自身の芸名「悠木千帆」を競売にかける。その後、樹木希林に改名。ドラマ「ムー」「ムー一族」で共演した郷ひろみとのデュエットで「お化けのロック」「林檎殺人事件」をリリース、大ヒットした。 ドラマ「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」「夢千代日記」ほか、映画「下妻物語」「さびしんぼう」や是枝裕和監督「万引き家族」など数多くの作品に出演した。13年日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。私生活では、64年俳優の岸田森と結婚、68年離婚。73年内田裕也と再婚するが、1年半で別居。夫はロックミュージシャン内田裕也、長女内田也哉子の夫は俳優本木雅弘。
9/14
■浜尾朱美(女優、ャスター)徳島市
14日、乳がんのため東京都内の病院で死去、57歳。
早稲田大学第一文学部を卒業。TBSアナウンサー入社試験を受験した際に試験官だったドラマのプロデューサーに見出され、女優としてドラマ「おゆう」に主演しデビュー。ドラマ「青が散る」などに出演。85年テレビ朝日「おはようTODAY」でキャスターへ転向。89-97年までTBS報道番組「筑紫哲也ニュース23」でサブキャスターを担当した。12−13年まで 京都ノートルダム女子大学客員教授を務めた。著書に「もう結婚占いはいらない」など。
9/6
■バート・レイノルズ(米俳優)ミシガン州
6日、フロリダ州の病院で死去、82歳。
高校時代にアメリカンフットボールの選手として活動。奨学金でフロリダ州立大学に進む。その後、俳優となり、ニューヨークで舞台を踏む。 61年「奇蹟の天使」で映画デビュー。72年「脱出」がヒットし人気をえる。97年「ブギーナイツで」アカデミー助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞。たくましい肉体とヒゲがトレードマークで「タフガイ」として人気を確立した。他の代表作に「トランザム7000」「ロンゲスト・ヤード」「キャノンボール」
8/26
■ニール・サイモン(米劇作家)ニューヨーク・ブロンクス
26日、肺炎などの合併症のためニューヨーク・マンハッタンの病院で死去、91歳。
ニューヨーク大学、デンバー大学を卒業。61年「カム・ブロー・ユア・ホーン」でのデビュー。65年「おかしな二人」、72年「サンシャイン・ボーイズ」、85年「ビロキシー・ブルース」 などにより、ブロードウェイを代表する喜劇作家になる。映画「裸足で散歩」「グッバイガール」やTVの脚本も数多く手がけた。トニー賞、ゴールデングローブ賞、ピューリッツァー賞など受賞多数。 83年ニール・サイモン劇場がブロードウェイに開場。
8/15
■さくらももこ(漫画家)静岡市清水区
15日、乳がんのため死去、53歳。
静岡英和女学院短期大学(現:静岡英和学院大学短期大学部)国文学科在学中の84年「りぼんオリジナル」冬の号に「教えてやるんだありがたく思え!」が掲載され、漫画家デビュー。86年同短大を卒業し、ぎょうせいに入社するが、2カ月で退職。同年「りぼん」で「ちびまる子ちゃん」の連載開始。同漫画で89年度講談社漫画賞少女部門を受賞。90年「ちびまる子ちゃん」がアニメ化され、国民的人気を獲得する。他の作品に「永沢君」「神のちから「など。.91年初エッセイ集「もものかんづめ」を発表。にニッポン放送「オールナイトニッポン」月曜1部のパーソナリティを務める。14年シンガーソングライターの琵奈子とともにユニット「イエローパープル」を結成し、プロデュースと作詞を担当。
8/16
■アレサ・フランクリン(ソウル歌手)テネシー州メンフィス
16日、膵臓がんのためデトロイトの自宅で死去、76歳。
ミシガン州デトロイト育ち。 61年にデビュー。ゴスペル色の強い歌声で人気を集める。67年オーティス・レディングの楽曲をカバーした「リスペクト」が全米1位を獲得。代表曲に「テェイン・オブ・フールズ」「ナチュラル・ウーマン」「チェイン・オブ・フールズ」「シンク」など。87年女性初の「ロックの殿堂」入り。グラミー賞も多数受賞。カーター、クリントン、オバマ各大統領の就任行事で歌声を披露した。17年に地元テレビに対し、「厳選した」公演を除き引退する意向を表明。
8/14
■エドゥアルド・ニコラエヴィチ・ウスペンスキー(ロシア作家)モスクワ州エゴリエフスク
14日、癌のためモスクワ郊外の自宅で 死去、80歳。
モスクワ航空大学を卒業。技師として働くかたわら、アニメーションの脚本を手がける。詩や寸劇の創作もおこなった。66年「ワニのゲーナとおともだち」をはじめ、「チェブラーシカ」シリーズの作者として知られる。69年人形アニメ化され美術監督レオニード・シュワルツマンが耳の大きな愛らしい姿に描いた。児童文学を主なフィールドとするようになり、74年初の著書「フョードルおじさんといぬとねこ」を出版。何度もアニメ映画化された。同シリーズの「バターミルク村からの3人連れ」などはヒット作となった。01年日本でチェブラーシカのアニメが初上映。14年ソチ冬季五輪のマスコットに使用された。10年コルネイ・チュコフスキー賞の本賞を受賞。
8/14
■板井圭介(大相撲元小結)大分県臼杵市
14日、東京都内の自宅で倒れているところを発見された。、心臓にペースメーカーを埋め込んでいtて糖尿病などで定期的に病院に通い急死とみられる。死去、62歳。
大分水産高校(現:海洋科学高校)から実業団の黒崎窯業をへて、78年大鳴戸部屋に入門。同年秋場所に前相撲で初土俵。序ノ口、序二段、三段目と3場所連続で優歳。勝。序ノ口からの26連勝は当時最多。幕下も2場所で通過し、79年秋場所新十両、80年秋場所に新入幕。89年夏場所で自己最高位となる小結に昇進。幕内在位54場所、通算成績496勝515敗98休。 金星3個。殊勲賞、技能賞各1回。91年秋場所限りで引退。00年日本外国特派員協会の講演で、自らの体験をあげて八百長を告発。 同年八百長の暴露本を出版。08年記事を巡る裁判に証人として出廷し、自らの八百長への関与を認めた。
8/11
■ヴィディアダハル・スラヤプラサド・ ナイポール(英作家でノーベル文学賞受賞者)イギリス領西インド諸島トリニダード島
11日、ロンドンの自宅で死去、86歳。
インド人の家系。50年から英オックスフォード大学で奨学生として4年間学ぶ。BBCの仕事をした後、作家デビュー。トリニダードのインド人社会を舞台にした小説を数多く書き、コミカルな作風で高く評価された。71年「In a Free State」でブッカー賞受賞、 01年ノーベル文学賞を受賞した。他の作品に「神秘な指圧師」「ミゲル・ストリート」「暗い河」「ある放浪者の半生」など。
8/10
■菅井きん(俳優)東京市牛込区
10日、心不全のため死去、92歳。
戦前は文部省総務課・東京帝国大学学生課の事務職員として勤務。戦後46年東京芸術劇場研究所に入所。その後俳優座に移り、黒澤明監督の「生きる」などの映画に出演。30代から老け役、わき役として活動。73年TV時代劇「必殺」シリーズで姑役を20年間演じた。85年映画化された「必殺」と伊丹十三監督「お葬式」の2作品で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。10年NHK大河ドラマ「龍馬伝」が最後のドラマ出演。このほか出演映画に「幕末太陽傳」「張込み」「キューポラのある街」「砂の器」など多数。
8/8
■翁長雄志(沖縄県知事)沖縄県那覇市
8日、4月に膵臓がんの切除手術を受け、治療しながら公務を続けていたが、浦添市の病院で死去、67歳。
75年法政大学法学部を卒業。85年那覇市議に初当選。その後、沖縄県議2期、那覇市長4期をへて、14年沖縄県知事選に出馬。普天間飛行場の移設反対を訴え、当時の現職らを破り初当選。就任後は前知事の辺野古埋め立て承認を取り消すなど知事権限を行使して政府に対抗した。
8/4
■津川雅彦(俳優)京都市中京区
4日、心不全のため死去、78歳。
芸能一家に生まれ、子役として数本の映画に出演。56年早稲田大学高等学院に在学中の16歳のとき映画「狂った果実」で本格デビュー。一気にスターダムに駆け上がる。明治大学付属中野高校をへて、文化学院を卒業。72年からTV時代劇「必殺シリーズ」に出演。82年映画「マノン」でブルーリボン賞助演男優賞を受賞。 85年渡辺淳一原作「ひとひらの雪」など渡部作品ほか、「お葬式」など伊丹十三監督作品に多く出演。 06年マキノ雅彦の名で映画「寝ずの番」を初監督。
7/31
■穴吹義雄(元プロ野球南海(元プロ野球南海選手、元同監督)香川県香川町
31日、敗血症のため大阪府堺市内の病院で死去、 85歳。
高松高校から中央大学に進学。東都大学リーグで2季連続首位打者を獲得。プロ球団の激しい争奪戦の末、当時破格の契約金700万円(推定)で56年に南海に入団。56年小説「あなた買います」のモデルになり、同年小林正樹監督により映画化された。南海では外野手として13年間で1166試合に出場、打率. 264、89本塁打。引退後、南海2軍監督をへて、83-85年まで3年間監督を務めた。
7/18
■常田富士男(俳優)長野県木島平村
18日、脳内出血のため東京都内の病院で死去、 81歳。
東京、横浜、静岡、九州を転々と、小学3年時より熊本県南小国町で育つ。熊本県立済々黌高校定時制を卒業。上京して、劇団民藝養成所へ入所。63年黒澤明監督「天国と地獄」、65年「赤ひげ」に出演。69年米倉斉加年らと劇団青年劇場を結成。TV番組「バス通り裏」「巨泉・前武のゲバゲバ90分!」に出演。75-94年までTVアニメ「まんが日本昔ばなし」で全登場人物の声を市原悦子と2人で演じた。映画「悪魔の手毬唄」「本陣殺人事件」「古都」「ベッドタイムアイズ」「うなぎ」など出演多数。
7/15
■生田悦子(女優)福岡市
15日、虚血性心不全のため自宅で倒れ、東京都内で搬送先の救急病院で死去、 71歳。
63年に準ミス平凡に入選しモデルデビュー。筑紫女学園を卒業。66年松竹に入社し、「命果てる日まで」で映画デビュー。その後、映画「喜劇 男の子守唄」「ええじゃないか」、TVドラマ「国盗り物語」「白い巨塔」などに出演した。バラエティ番組「欽ドン! 良い子悪い子普通の子」で「よせなべトリオ」の一員としてヒット曲をだした。
7/13
■浅利慶太(演出家、劇団四季創設者)東京都
13日、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去、85歳。
慶応大学文学部仏文学科在学中の53年日下武史ら10人で劇団四季を創立。以来、劇団代表・演出家としてほぼ全作品のプロデュースや演出を手がけた。「ウェストサイド物語」「コーラスライン」「ライオンキング」など海外作品を翻訳上演。さらに、「夢から醒めた夢」や「ユタと不思議な仲間たち」、太平洋戦争や日中戦争を題材とした「昭和歴史三部作」などオリジナル・ミュージカルを手がけ、日本にミュージカル文化の根づかせた。83年初演の「キャッツ」で日本初のロングラン公演を実現した。このほかオペラの演出も手がけた。98年長野冬季オリンピック開閉会式のプロデュース・演出も担当した。14年四季社長を退任。15年浅利演出事務所を設立し社長就任。
7/5
■クロード・ランズマン (仏映画監督)パリ
5日、パリの自宅で死去、92歳。
第2次世界大戦中はレジスタンス運動に参加。 戦後、ドイツで哲学を学ぶ。85年ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を描いた映画「ショア」を発表。制作に12年をかけ、膨大な証言で構成した9時間のドキュメンタリー。仏人作家のサルトルや哲学者ドゥルーズとも交流があった。他の作品に「不正義の果て」など。06年フランス最高のレジオン・ドヌール勲章を受ける。10年ヴェルト文学賞を受賞。
7/5
辻孝彦(劇団唐組俳優)
5日午前7時、内分泌性食道がんのため死去、52歳。唐十郎の主宰する劇団唐組に所属、主力の俳優および舞台スタッフのひとりとして長年に渡り活躍した。また、2015年8月、庭劇団ペニノ『地獄谷温泉 無明ノ宿』(岸田國士戯曲賞受賞作)に客演し高い評価を得た。今年2018年2月、唐組×東京乾電池 公演『嗤うカナブン』(作:川村毅 演出:柄本明)が最後の舞台出演となった

7/2
■桂歌丸(落語家)横浜市中区真金町
2日、慢性閉塞性肺疾患のため横浜市内の病院で死去、81歳。
51年横浜市立吉田中学校3年のとき5代目古今亭今輔に入門。兄弟子で後の師匠である桂米丸の初名、古今亭今児を名乗った。その後、4代目桂米丸門下となり、桂米坊となり、64年歌丸と改名した。66年スタートのTV番組「笑点」は、日本テレビの前身番組「金曜夜席」の第1回から出演。4代目三遊亭小円遊との掛け合いが人気を博した。68年真打昇進。06年5代目三遊亭圓楽の後を継いで「笑点」第5代目司会となる。16年50年出演した「笑点」の司会を勇退。落語芸術協会会長。芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
6/27
■ハーラン・エリスン(米SF作家)米オハイオ州クリーブランド
27日、ロサンゼルスの自宅で死去、84歳。
オハイオ州立大学に入学するが退学。57-59年まで陸軍に在籍。 62年ハリウッドに移住。「スター・トレック」(邦題:宇宙大作戦) 「アウターリミッツ」「ヒッチコック劇場」などTVドラマの脚本を手掛け、全米脚本家組合賞を4回受賞。「少年と犬」「ランゲルハンス島沖を漂流中」「死の鳥」「ヒトラーの描いた薔薇」「世界の中心で愛を叫んだけもの」など多数のSF作品を発表し、ネビュラ賞、ヒューゴー賞、ローカス賞など多数を受賞。別名にエリス・ハート(Ellis Hart)、スレイ・ハーソン(Sley Harson)、コードウェイナー・バードなど。
6/26
■名和宏(俳優)熊本市
26日、腎不全のため東京都内の病院で死去、85歳。
熊本大学法文学部を中退。日本大学芸術学部を卒業。日活に入社し、俳優デビュー。57年松竹に移籍し、63年フリーとなる。73年東映の「仁義なき戦い」シリーズで悪役の親分役として出演。TVドラマでは「水戸黄門」「三匹の侍」「大岡越前」などに出演。00年代は舞台中心に出演していた。
6/24
■森田童子(元女性シンガーソングライター歌手)東京都
24日、心不全のため死去、66歳。
高校を中退。75年「さよなら ぼくの ともだち」でデビュー。主にライブハウスを中心に、 80年代にかけて活動。1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリース。同年のアルバム「狼少年 wolf boy」と新宿ロフトでのライブを最後に活動休止。93年TV ドラマ「高校教師」の主題歌に76年発売「ぼくたちの失敗」が起用されヒットした。
5/28
■津本陽(作家)和歌山市
26日、誤嚥性肺炎のため東京都文京区の病院で死去、89歳。
東北大学法学部を卒業。10年以上の会社員生活をへて、同人誌「VIKING」で作家活動を始める。同誌掲載作「丘の家」が直木賞候補となりデビュー。78年「深重の海」で直木賞を受賞。織田信長が主人公の「下天は夢か」はベストセラーとなった。95年「『夢のまた夢」で吉川英治文学賞を受賞。他の作品に「南海綺譚」「前科持ち」「薩南示現流」「虎狼は空に 小説新選組」など
5/22
■フィリップ・ロス(米作家)ニュージャージー州ニューアーク
22日、鬱血性心不全のためニューヨークの病院で死去、85歳。
ラトガース大学、バックネル大学、シカゴ大学で学ぶ。55-57年までシカゴ大学で創作を教える。ペンシルベニア大学では比較文学を教えた。59年小説「さようならコロンバス」を発表、全米図書賞に選ばれた。69年「ポートノイの不満」』が年間ベストセラー獲得。このほか全米批評家協会賞を2度、ペン/フォークナー賞を3度獲得するなど、米国の主要文学賞を多数受賞した。98年ピュリツァー賞を獲得。小説「ヒューマン・ステイン」は映画化された。邦題は「白いカラス」。
6/18
■加藤剛(俳優)静岡県御前崎市
18日、胆のうがんのため東京都内で死去、80歳。
早稲田大学文学部演劇科に入学。大学4年時に俳優座養成所に入所。 62年TVドラマ「人間の条件」でデビュー。俳優座13期生として修了。テレビ時代劇「大岡越前」「水戸黄門」「江戸を斬る」などのシリーズに出演。映画では「影の車」「忍ぶ川」「砂の器」などに多くの作品に出演。紀伊国屋演劇賞、芸術選奨文部大臣賞など受賞多数。
5/16
■星由里子(女優)東京都千代田区
16日、心房細動および肺がんのため京都市内の病院で死去、74歳。
精華学園女子高校を卒業。58年東宝が宝塚歌劇団東京公演にちなんで募集したミス・シンデレラ娘で優勝し芸能界入り。59年「すずかけの散歩道」で映画デビュー、その後は浜美枝、田村奈巳と「東宝スリーペット」として売り出された。61年から始まった加山雄三主演の「若大将シリーズ」で演じたヒロイン・ 澄子役で人気を博す。68年「忘れるものか」で石原裕次郎、69年「日本侠客伝 花と籠」で高倉健と共演。テレビでは97年NHK「あぐり」、16年テレビ朝日系「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」などに出演した。
5/16
■西城秀樹(歌手)広島市東区
16日、急性心不全のため横浜市内の病院で死去、63歳。03年と11年に脳梗塞を発症、右半身麻痺の後遺症が残っていた。4月下旬から入院生活だった。
小学5年生で兄とバンドを組み、高校時代にジャズ喫茶で演奏していた際にスカウトされ上京。 明治大学付属中野高校定時制を卒業。72年「恋する季節」でデビュー。「情熱の嵐」「ちぎれた愛」「愛の十字架」「薔薇の鎖」「激しい恋」「傷だらけのローラ」などがヒットし、郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれトップアイドルとなった。73年・74年と連続して日本レコード大賞歌唱賞を受賞。TVドラマ「寺内貫太郎一家」、映画「愛と誠」に出演した。その後「炎」「勇気があれば」「ギャランドゥ」「YOUNG MAN」などのヒット曲をはなった。03年韓国でのディナーショーの後、脳梗塞を発症した。
5/14
■ジトム・ウルフ(米ノンフィクション作家ャーナリスト)米バージニア州
14日、感染症を患っていたがニューヨーク市内の病院で死去、88歳。
ワシントン・アンド・リー大学を卒業。 ニューヨーク・ジャイアンツのピッチャーのテストを受けたが不合格となり、イェール大学大学院でアメリカ研究の博士号を取得。その後、10年にわたって米紙ワシントン・ポストなど新聞業界で働く。ポップカルチャーからヒッピー運動、アート、人種問題、金融まで幅広く執筆し、60年代以降の「ニュー・ジャーナリズム」運動の代表的な担い手となった。代表作に映画化もされた79年「ライトスタッフ」のほか、 75年「現代美術コテンパン」(75年)、87年「虚栄のかがり火」、98年「成りあがり者」など。
5/13
■マーゴット・キダー(米女優)カナダ出身ノースウェスト準州
13日、米モンタナ州リビングストンの自宅で死去、69歳。
60年代後半から計1300本以上の映画やテレビドラマのシリーズに出演した。78年クリストファー・リーブ主演の映画「スーパーマン」にヒロイン役で出演した。他の出演作にブライアン・デ・パルマ監督「悪魔のシスター」や「暗闇にベルが鳴る」、「悪魔の棲む家」など。反核などの社会運動に熱心に関わり11年ホワイトハウス近くで開かれたパイプライン建設の抗議集会に参加した
5/7
■エルマンノ・オルミ(イタリア映画監督)イタリア・ロンバルディア州トレヴィーリオ
7日、近年はギラン・バレー症候群で闘病生活を送っていたがヴェネト州アジアーゴの病院で7日死去、86歳。
53年22歳で映画監督デビュー。5年間でドキュメンタリーや短編を20本以上製作。59年初の長編「時は止まりぬ」を発表。61年「定職」でヴェネツィア国際映画祭イタリア批評家賞 などを受賞。63年「婚約者たち」でカンヌ国際映画祭国際カト リック映画事務局賞を受賞。同作は、映画批評誌「カイエ・デュ・シネ マ」で64年ベストテンで第1位獲得。78年「木靴の樹」でカンヌ国際映画祭パルム・ドールとエキュメニカル 審査員賞を受賞。87年「偽りの晩餐」でヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞、心理学会賞、国際映画批評家連盟賞の3賞を受賞。 88年ヨーゼフ・ロート原作「聖なる酔っぱらいの伝説」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した。
5/2
■井上堯之(ギタリスト,音楽プロデューサー)神戸市
2日、死去、77歳。
兵庫県立星陵高校を卒業。板前をへて歌の世界にはいる。ザ・スパイダースに参画し、ギターを担当。71年解散。沢田研二、萩原健一のツインボーカルによるロックバンドPYGを結成。同時期に井上堯之バンドを率いた。その後、TVドラマ「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」などの音楽を担当。サントラ作曲、HOUND DOGの音楽プロデューサーを務めた。86年映画「火宅の人」では日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞、87年作曲した「愚か者」(近藤真彦歌)が日本レコード大賞を受賞。役者としても活動し、05年映画「カーテンコール」で全国映連賞男優賞を受賞。
4/27
■朝丘雪路(女優、日本舞踊家)東京市京橋区
27日、アルツハイマー型認知症のため死去、82歳。
山脇学園中学校を卒業。宝塚音楽学校に入学。52年宝塚歌劇団に入団、月組で娘役として活動。55年宝塚歌劇団を退団。57年「星は流れる」でNHK紅白歌合戦に初出場。60年代には「11PM」のアシスタントを務めて人気を集めた。日舞の深水流家元として、深水 美智雪の名をもつ。81年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。03年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。夫は俳優の津川雅彦、父は日本画家の伊東深水。
4/23
■衣笠祥雄(元プロ野球選手)
大腸がんのため23日死去、71歳。
1974年京都市東山区生まれ。平安高校を卒業。65年広島に入団、68年から一軍に定着。
72年最多安打を記録。76年盗塁王。 84年打点王。
87年40歳で米大リーグのルー・ゲーリッグ(ヤンキース)がもつ記録を48年ぶりに塗り替え、2131試合連続出場の世界新記録(当時)を達成。
連続試合出場記録日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場歴代3位、通算安打数歴代5位、通算本塁打数歴代7位などの記録を打ち立てる。
87年現役引退。通算23年で本塁打503本。愛称は「鉄人」。87年国民栄誉賞を受賞。96年野球殿堂入り。
4/15
■ヴィットリオ・タヴィアーニ(伊映画監督)伊イタリア・トスカーナ州サン・ミニアート
15日、ローマで死去、88歳。
ジャーねリストとして活動後、54年短編映画「San Miniato, luglio '44」を弟のパオロと共同製作し、映画監督デビュー。以降タヴィアーニ兄弟として監督活動をつづける。60年初の長編ドキュメンタリー「イタリアは貧しい国ではない」をヨリス・イヴェンスと共同で製作。62年長編「火刑台の男」、63年「ああ結婚」をヴァレンティノ・オルジーニとともに製作、前者はヴェネツィア国際映画祭でパジネッティ賞など3つの賞を受賞。67年「危険分子たち」を兄弟で監督、ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品。77年言語学者ガヴィーノ・レッダの自伝 的小説を映画化した「父 パードレ・パドローネ」でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。82年「サン★ロレンツォの夜」でカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した。01年トルストイ原作「復活」でモスクワ国際映画祭金賞、12年「塀の中のジュリアス・シーザー」でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した。
4/14
■ミロス・フォアマン(米映画監督)チェコスロバキアのチャースラ
14日、米コネティカット州の病院で死去、86歳。
51年プラハの国立映画学校で学ぶ。チェコ・ヌーヴェルヴァーグの一員として活動。東欧世界を代表する映画監督として認知され、66年「ブロンドの恋」、68年「火事だよ!カワイ子ちゃん」でアカデミー外国語映画賞にノミネートされた。68年チェコの民主化運動「プラハの春」事件を機にアメリカに移住。77年アメリカの市民権を取得。同年コロンビア大学の映画学科教授に就任。75年「カッコーの巣の上で」で、84年「アマデウス」で2度アカデミー賞監督賞を受賞。96年「ラリー・フリント」でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞、99年「マン・オン・ザ・ムーン」でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞した。

4/5
■セシル・テイラー(Cecil Percival Taylor米ジャズ・ピアニスト)ニューヨーク・クイーンズ
5日、ニューヨーク市ブルックリンの自宅で死亡、89歳。
6歳でピアノを始め、ニューイングランド音楽院などで学ぶ。56年ファーストアルバムを発表。60年代に流行した「フリー・ジャズ運動」を牽引、フリージャズの巨匠といわれた。
ピアニスト13年京都賞思想・芸術部門受賞。

4/2
■内田稔(俳優)岡山県
2日、肺炎のため死去、91歳。
岡山県倉敷工業学校(現:県立倉敷工業高校)機械科を卒業。日立精機から海軍航空部隊へ。戦後、文学座養成所に入る。63年芥川比呂志、小池朝雄、仲谷昇、岸田今日子らと文学座を脱退し、劇団雲を結成。その後、劇団欅に移り、76年から劇団昴に所属。シェイクスピア作品のほか「セールスマンの死」「クリスマス・キャロル」「八月の鯨」に出演。NHK大河ドラマ「おんな太閤記」「徳川家康」「山河燃ゆ」ほか、「暴れん坊将軍」「ザ・ガードマン」、映画「日本沈没」などに出演した。洋画の吹き替えでヘンリー・フォンダの声など声優としても活動した。

3/28
■月亭可朝(落語家)横浜市
28日、急性肺腺維症のため兵庫県内の病院で死去、80歳。
幼少時に大阪に転居。大学入試に失敗し、3代目林家染丸に入門。林家染奴の高座名で、59年大阪・千日劇場で初舞台。しかし女性問題で破門され、61年3代目桂米朝に再入門。2代目桂小米朝と改名する。その後、初代月亭可朝を襲名。69年コミックソング「嘆きのボイン」を発売し大ヒット。その後、71年と01年に国政選挙に出馬するがともに。08年ストーカー規制法違反で逮捕された。08年の「可朝・福團治二人会」で、初めて天満天神繁昌亭の高座にあがる。直弟子に月亭八方、孫弟子に八光、方正がいる。
3/27
■ステファーヌ・オードラン(仏女優)パリ郊外のヴェルサイ
27日、死去、85歳。
57年デビュー。59年クロード・シャブロル監督「いとこ同士」以降、同監督の作品に数多く出演している。68年「女鹿」でベルリン国際映画祭 女優賞を受賞。72年「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」で英国アカデミー賞 主演女優賞を受賞。78年「Violette Nozi俊e」でセザール賞助演女優賞を受賞している。アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞外国語映画賞を受賞した87年「バベットの晩餐会」で自身も英国アカデミー賞の主演女優賞にノミネート、私生活では俳優ジャン=ルイ・トランティニャンと54年結婚したが56年離婚。64年映画監督クロード・ シャブロルと結婚、80年離婚した。
3/23
■フィリップ・カー(英推理作家)英エジンバラ
23日、死去、62歳。
バーミンガム大学で法学を専攻、80年法学修士豪取得く。ロンドンの広告代理店でコピーライターとして勤務。89年「偽りの街」でデビュー。私立探偵ベルンハルト・グンターを主人公とする3部作「ベルリン・ノワール」を発表。他の作品に「殺人探求」「屍肉」など。P・B・カーという筆名でファンタジー「ランプの精」シリーズも発表している。
3/13
■内田康夫(推理作家)東京都北区
13日、敗血症のため東京都内で死去、83歳。
東洋大学文学部国文学科を中退。日本テレビジョン、一光社でCMアニメ制作スタッフとなる。コピーライターやCM制作会社社長をへて、80年、「死者の木霊」で作家デビュー。82年、「後鳥羽伝説殺人事件」でルポライター・浅見光彦が登場する作品を初めて出版した。シリーズは114作に上り、映画やTVドラマにもなった。西村京太郎、山村美紗とともに、旅情ミステリー作家の代表的人物として知られる。著作の累計発行部数は1億部を超える。06-07年まで日本経済新聞に初の歴史小説「地の日 天の海」を連載した。
3/14
■スティーブン・ホーキング (宇宙物理学者で英ケンブリッジ大教授)英オックスフォード
、英中部ケンブリッジの自宅で死去、76歳。
57年オックスフォード大学ユニバーシティカレッジ入学、ボート部に所属。62年オックスフォード大学卒業。ケンブリッジ大学大学院応用数学・理論物理学科に入学。63年筋萎縮性側索硬化症と診断される。65年結婚。 66年ケンブリッジ大学トリニティー校で学位取得。74年「ブラックホールの蒸発理論」発表。77年ケンブリッジ大学教授に就任。09年同大学を退任。量子力学や一般相対性理論などを駆使してブラックホールの存在を示したほか、83年宇宙の始まりを解明する「無境界境界条件」論を展開するなど、新しい宇宙理論を提唱。現代宇宙論の進展に貢献した。「車いすの天才科学者」として知られ、宇宙論の入門書「ホーキング、宇宙を語る」が世界的なベストセラーになった。近年は光速の5分の1という極めて速い速度で飛ぶ小型探査機「ナノクラフト」を開発し、太陽系外の惑星や生命体を探す計画を発表。いっぽうで、AIの危険性を指摘していた。
3/1
■古賀新一(漫画家)福岡県大牟田市
1日、病気のため死去、81歳。
福岡市の中学を卒業。菓子製造会社などをへて、21歳で上京。ひ ばり書房の貸本向け単行本「黒猫」掲載の「影なき犯人」で漫画家デ ビュー。64年「白ヘビ館」を「週刊マーガレット」に連載。少女向けホラー漫画家として楳図かずおと双璧をなす存在だった。以後、怪奇漫画を発表。75-79年まで黒魔術を素材とした「エコエコアザラク」を「週刊少年チャンピオン」に連載され、単行本は19巻を数えた。95年吉野公佳主演で映画化、97年佐伯日菜子主演でTVドラマ化された。
2/17
■新橋遊吉(作家)大阪府堺市
17日、午前5時10分、腎不全のため堺市の病院で死去、84歳。
初芝高等学校(現:初芝立命館中学・高校)を卒業。職業を転々としつつ、7年にわたる病気療養生活を送る。同人誌に掲載された短編小説「八百長」で、66年直木賞を受賞。「競馬放浪記」「馬券師街道」「競馬無宿」など、競馬を題材とした小説を数多く発表した。
2/24
■左とん平(俳優)東京市北区
24日、7年急性心筋梗塞で手術を受け、闘病生活を続けていた が、心不全のため東京都内の病院で死去、80歳。
世田谷学園高校を卒業。57年高校の同級生・辻しげるらと劇団結成。のち三木鶏郎の冗談工房に入団。59年ラジオ番組のレギュラーで芸能界デビュー。60年ごろから新宿コマ劇場などに出演。70年代TVドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」に出演し、人気を博する。73年楽曲「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」を発表、90年これをスチャダラパーがデビューアルバムでサンプリングし、若者層にも評価が高まった。
2/21
■大杉漣(俳優徳島県小松島)
21日、急性心不全のため死去、66歳。
県立城北高校をへて、明治大学を中退。73年太田省吾の劇団「転形劇場」に応募し研修生となる。同年舞台デビュー。80年新東宝映画のピンク映画「緊縛いけにえ」で映画デビューし、ロマンポルノ作品などに多数出演。83年滝田洋二郎監督「連続暴姦」でZOOM-UP映画祭・ピンクリボン賞主演男優賞を受賞。93年北野武監督「ソナチネ」のオーディションに合格し暴力団幹部役を演じ る。その後「HANA−BI」など同監督作品に出演。97年SABU監督「ポストマン・ブルース」でおおさか映画祭・報知映画賞を受賞。名脇役として数多くの映画やTVドラマに出演し、日本アカデミー賞、キネマ旬報、ブルーリボン賞など数々の助演男優賞を受賞した。テレビ東京系ドラマ「バイプレイヤーズ」の撮影に参加後、千葉県内のホテルで腹痛を訴え、搬送先の救急病院で死去した。
2/20
■金子兜太(俳人、現代俳句協会名誉会長)埼玉県小川町
20日、誤嚥性肺炎による急性呼吸促迫症候群のため死去、熊谷市の病院に入院していた。98歳。
43年東京帝国大学(現:東京大学)経済学部を繰り上げ卒業し、日本銀行に入行。海軍経理学校に短期現役士官として入校、大日本帝国海軍主計中尉に任官。46年復員s、47年復職。74年55歳で定年退職。一方、大学時代の41年加藤楸邨主宰の「寒雷」に投句し、以来楸邨に師事。47年「寒雷」に復帰し、沢木欣一の「風」創刊に参加。1956年句集「少年」で現代俳句協会賞を受賞。62年仲間と同人誌「海程」を創刊。85年結社誌となり主宰に就任。伝統的な「花鳥諷詠」の俳句に異を唱え、人間や社会を詠むことを重視した。83年現代俳句協会会長、00年から同名誉会長を務めた。 74-79年まで上武大学文学部教授を務めた。
■川地民夫(俳優)神奈川県逗子
10日、脳梗塞のため神奈川県横須賀市の病院で死去、79歳。
関東学院大学を中退。在学中に日活に入社。58年映画「陽のあたる坂道」で、石原裕次郎の弟役でデビュー。63年「野獣の青春」をはじめ鈴木清順監督作品に多く出演。日活退社後、「まむしの兄弟」シリーズ9本のほか、73年「仁義なき戦い」など多くの作品に出演した。
2/10
■石牟礼道子(作家)熊本県天草市
10日、パーキンソン病による急性増悪のため熊本市の介護施設で死去、90歳。
生後まもなく水俣町(現:水俣市)に移り、水俣実務学校(:・水俣高校)を卒業。代用教員、主婦をへて、58年谷川雁の「サークル村」に参加、詩歌を中心に文学活動を開始。56年短歌研究五十首詠(後の短歌研究新人賞)に入選。59年水俣病患者の姿に衝撃を受け、69年水俣病患者の姿を伝える「苦海浄土」第1部を刊行。70年大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、辞退。74年第3部「天の魚」を出版、04年第2部「神々の村」で「苦海浄土」(全3部)が完結した水俣病第1次訴訟を支援する「水俣病対策市民会議」の発足に尽力、水俣病の原因企業チッソとの直接対話を求めた川本輝夫らの自主交渉の運動を支える。73年「苦海浄土」など水俣病関連の作品でアジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞。93年「十六夜橋」で紫式部文学賞。03年詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞。02年発表の新作能「不知火」は、04年水俣湾埋め立て地で上演される。02年ごろからパーキンソン病を患っていたが、14年「祖さまの草の邑」で現代詩花椿賞を受賞。
1/31
■いときん(jpopリーダー)兵庫県三田市
31日、大阪府和泉市内の病院で肺腺がんのため闘病生活を送っていたが死去、38歳。
ヒップホップグループ「ET―KING」リーダーの旧芸名はイトキン。県立有馬高校を卒業卒。97年大阪の福祉専門学校に進学し、柔道整復師の免許を取得。99年大阪でTENN、KLUTCHとET―KINGを結成。その後、BUCCI、センコウ、 DJBOOBY、コシバKENが加入した。07年「愛しい人へ」はデジタル配信で100万ダウンロードを突破する大ヒット。「ギフト」「愛しい人へ」などのヒット曲を持つ浪速のブルースマンとして知られた。14年活動を休止したが、15年活動再開。イトキンをいときんに改名した。
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■有賀さつき(元フジテレビアナウンサー)名古屋市
30日死去、16年から闘病していたという。 52歳。
フェリス女学院大学を卒業。88年フジテレビに入社。92年フジテレビ退社後、芸能活動をはじめる。 02年フジテレビ解説委員の和田圭と結婚。06年離婚後、タレントとして活動再開。
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■上月左知子(女優)兵庫県
24日、心不全のため死去、87歳。
兵庫県立第三高等女学校(現:御影高校)を卒業。49年宝塚歌劇団に36期生として入団。「南の哀愁」で初舞台を踏み、上月あきらの名前で活動。57年退団し、上月左知子として映画「陽暉楼」「瀬戸内少年野球団」「空海」などに出演。NHK大河「春日局」、「花嫁のれん」第1シリーズほか、特撮「流星人間ゾーン」「ミラーマン」の母親役などでも知られていた。67年夫の南原宏治が所属する劇団欅に入団。76年欅が発展解消し、その後結成の劇団昴に参加。
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■アーシュラ・K・ル・グウィン(米SF作家)カリフォルニア州バークレー
22日、オレゴン州ポートランドの自宅で死去、88歳。
ラドクリフ大学でルネサンス期文学を専攻、コロンビア大学で修士号取得。61年短編「音楽によせて」を発表。62年短編「四月は巴里」で本格的に作家デビュー。66年初の長編「ロカノンの世界」を発表。69年「闇の左手」でヒューゴー賞・ネビュラ賞を同時受賞。60年代後半にゲド戦記シリーズ「ハリー・ポッター)」の執筆を開始。同作品は06年に宮崎吾朗監督によってアニメ映画化された。その他受賞多数。父親は人類学者のアルフレッド・ルイス・クローバー。
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■西部邁(評論家)北海道長万部
21日、東京都大田区の多摩川河川敷で飛び込み自殺、搬送先の病院で死亡。78歳。
58年東京大学に入学。共産主義者同盟(ブント)に加盟し、59年から同大学教養学部で自治会委員長を務める。61年左翼過激派と訣別。64年東京大学経済学部卒業。71年同大学院修士課程を修了(理論経済学専攻)。横浜国立大学助教授、東京大学助教授を歴任。86年東京大学教授(社会経済学専攻)に就任するが、88年辞任。94-05年まで月刊言論誌「発言者」を発行。保守派の評論家として知られた。75年「ソシオ・エコノミック」を出版。83年「経済倫理学序説」で吉野作造賞、84年「生まじめな戯れ」でサントリー学芸賞、 10年「サンチョ・キホーテの旅」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。他の著書に「大衆への反逆」「貧困なる過剰」など。
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■夏木陽介(俳優)八王子市
14日、腎細胞がんのため東京都内の病院で 死去、81歳。
58年明治大学経営学部を卒業。東宝へ入社し、61年黒澤明監督「用心棒」などに出演。やがてテレビに重心を移し、65年ドラマ「青春とはなんだ」に教師役で主演し、人気を博する。翌66年映画「これが青春だ!」に出演し、学園ドラマの先駆けとなる。三船敏郎に請われ三船プロに入り、75−79年まで「Gメン’75」などドラマを中心に活動した。85年・86年にダカール・ラリーに出場するなど、ラリードライバーとしても知られた。
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■フランス・ギャル(仏歌手)パリ
7日、仏ヌイイ=シュル=セーヌで死去、70歳。
63年「Ne Sois Pas Si B腎e(恋のお 返し)」でデビュー。65年イタリアで行われた ユーロビジョン・ソング・コンテストにルクセン ブルク代表として出場し、セルジュ・ゲンスブー ル提供の(夢みるシャン> ソン人形)」を歌い優勝。世界的な人気を博す。 70年代作曲家ミッシェル・ベルジェのプロデュー> スで本格的に歌手活動を開始。76年ベルジェと結 婚。80年代後半「Ella, elle l’a」がオーストリア、 ドイツで1位を獲得した。
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■星野仙一(元プロ野球選手・監督、楽天球団副会長)岡山県倉敷市
4日、膵臓癌のため死去、70歳。
岡山県立倉敷商業高校から、明治大学政治経済学部経済学科に進学。68年ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。74年初代最多セーブのタイトルと沢村賞を獲得。82年リーグ優勝を機に現役引退。現役通算で146勝121敗34セーブ。その後、87-91年および96-01年までの2度、中日監督を務める。さらに、02-03年まで)阪神タイガース監督、 11-14年まで東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。この間に計4度のリーグ優勝を飾り、楽天時代の13年には自身初の日本一に輝いた。監督としては通算1181勝1043敗53分。07年には北京オリンピック野球日本代表の監督に就任したが、08年同オリンピックでは4位に沈んでいる。

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■深水三章(俳優)栃木県
30日、東京都内の自宅前で倒れていたところを新聞配達員により発見され、虚血性心不全のため死去、70歳。
東京キッドブラザーズで活動。75年退団し、ミスタースリムカンパニーを立ち上げる。78年石井隆の劇画を兄龍作が脚色した日活ロマンポルノ「女高生 天使のはらわた」で映画デビュー。今村昌平監督作品の常連出演者でもあった。出演映画に「楢山節考」「うなぎ」「黒い雨」「蝉しぐれ」など。


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■真屋順子(女優)朝鮮・釜山
28日、脳梗塞や大動脈瘤などを患い闘病生活を続けていたが死去、 75歳。
大分県立日田高校を中退。松竹歌劇団(SKD)に入団。俳優座養成所(俳優座13期生)を卒業後、劇団雲に研究生として入る。75年演劇集団 円に参加。64年NHK大河ドラマ「赤穂浪士」でTV初出演。76年開始の「欽どこ」で萩本欽一の妻役としてレギュラー出演、人気を博す。山口百恵主演「赤い絆」では山口の敵役を演じる。80年夫の高津住男と劇団樹間舎を旗揚げ。
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■スー・グラフトン(米推理作家)ケンタッキー州ルイビル
12月28日、がんを患っていたが米カリフォルニア州サンタバーバラで死去、77歳。
61年ルイビル大学(英文学専攻)を卒業。カリフォルニア州サンタモニカやサンタバーバラの病院で受付や秘書として働く。脚本家に転向し、TV映画の脚本を執筆。79年「Walking Through the Fire」 の脚本でクリストファー賞を受賞。夫スティーヴン・ハンフリーとの共同でアガサ・クリスティの「カリブ海の秘密」「忘られぬ死」などのTV用脚本を手がけた。82年女性探偵を主人公にしたミステリー小説「アリバイのA」を刊行。タイトルに順番にアルファベットを付けたシリーズを発表。19年「ゼロのZ」の出版を計画していたが、17年Yの作品が最後になった。父は弁護士で推理作家のC・W・グラフトン。
受賞・ノミネート歴
1986年:『泥棒のB』でアンソニー賞長編賞受賞、シェイマス賞長編賞受賞
1987年:『死体のC』でアンソニー賞長編賞受賞
1987年:「パーカー・ショットガン」でアンソニー賞短編賞受賞
1989年:『証拠のE』でアンソニー賞長編賞ノミネート
1991年:『探偵のG』でアンソニー賞長編賞受賞、シェイマス賞 長編賞受賞
1991年:『逃亡者のF』でファルコン賞受賞1995年:『殺害者のK』でアンソニー賞長編賞ノミネート、シェイマス賞長編賞受賞
2004年:ロス・マクドナルド文学賞受賞
2008年:英国推理作家協会カルティエ・ダガー賞(功労賞)受賞
2009年:アメリカ探偵作家クラブ功労賞受賞
2011年:アガサ賞功労賞受賞